* 今年の総括 ーその2
 今年を思い返して、さほど記すほど記す事が少ないのも珍しい。 それでは新しいことを始めたか?というと、それもない。
今月初旬に同級会の出席で上京した際、単独で上野の東京都立美術館に『ターナー展』を見てきたことと、4年間一万キロ乗った
電動アシストのマウンテンバイク(自転車)を、クロスバイクに買替えた事ぐらい。 この電動クロスバイク、ギアチェンジを
最大に、アシストを強にして、全力でペダルを踏むと、アマチュアレベル?のスピードが出る。 これは、信濃川の土手を
「車輪付きグライダー」で空中を低空飛行しているような感覚が味わえる。逆に雨道でスリップで転倒、数メートル投げ出され、
しばらく呼吸困難になり、心臓停止になりそうな経験もした。この年齢になると、「無事、是好年」である。 また独りで
美術館で作品を見る経験も、一度味わえば、今度から、気楽に都内の美術館に行くことが出来る。海外旅行の際、大英博物館
ルーブル、エルミタージュ、エジプト考古学博物館など行っているが、何かで上京の折の都内博物館巡りも悪くはない。
   * 種違い
 「子供が成長するにつれ、自分の顔や体つきが違ってきたので、DNAを調べたら実は、自分の子供でなかった」という
前代未聞もニュースが問題になっている。 ーネットのウィキペディアによるとー
《 問題の母親、喜多嶋舞は、内藤よう子の娘で、父親は音楽プロデューサーの喜多嶋修。2歳のころ両親と共に米国に移住。
芸能 界デビューは1986年、俳優奥田瑛二と共演した、コンパクトカメラ 「ニューカルディア」のコマーシャル。 
大沢樹生光GENJI)と長年交際していた。1996年6月、妊娠を契機に、大沢と結婚する。その後男児を出産したが、大沢とは
2005年に離婚した。2007年、写真集の仕事で知り合った男性と再婚し、翌年1月24日、喜多嶋は女児を出産した。大沢との間に
誕生した息子の親権は当初喜多嶋にあったが、2007年4月に大沢に移った。2013年12月、DNA鑑定により息子と大沢との間に
血縁がないことが発覚した。親権が喜多嶋に一旦戻った後、息子は米国の内藤洋子の許で育てられることになった。》
 ▼ 巷に、捨てるほどある話で、具体的な事例を幾つか知っている。このケースで問題は、「出来ちゃった婚」のタネが
  複数同時進行だったので、喜多嶋本人が勘違いしたのか、妊娠を知った上で計画的誘惑?で・・ 俗な言い方をすれば、
「ヤリマン、ヤリ??同士が、たまたま挨拶がわりに一夜を共にしたが、運悪く妊娠した。とこが、その種は、違っていた」
こんなジョークがある、「二人の男が殴りあっているところに警官が駆けつけた。子供に、『どっちが父親なんだ』と聞くと、
『その件で、喧嘩になったんだ!』」 父親は誰か? 奥田説が強そうだが・・ 奥田も喜多嶋も知っていた? 娑婆娑婆
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4303, 閑話小題 ー今年のシネマ36回
2012年12月27日(木)
    * 今年のシネマ36回
 だいたい週一回、シネマに行っている。その多くはハリウッド製のため、今や「ハリウッド映画マニア」である。
時どき面白そうなのがない時に間があくので月平均三回になっている。先週末も家内と「007」(90点)を見てきた。
先々週は「ホビット」(95点)、その前は「ウーマンインブラック(80点)」、三週前は「人生の特等席(85点)」。
年末で面白いのが続いているが、暗い世相の中でマイナー・エネルギーの発散になる。 シネマの迫力はデジタル技術の
進化のため面白さが年を追うごと増している。 家内も最近、私に付いてくるようになった。 私が見てきた評価点数を
聞くと全て80点以上で面白さが分かったのだろう。 千五百円なら半分の回数だろうが、千円は価値がある。 
今年に入って36回目、月に三回、10日に一度の割合。 去年春の傷が癒えてない現在、丁度良い心のバネになっている。 
ひとつ間違えると初老性鬱症になりそうな日々、月に三千円の予防的抗鬱剤と割り切っている。一回ごと一冊の読書として
みると短時間で異世界にドップリ浸かることができる。これも慣れてくると、その異世界に積極的に入るようになる。
この予防的抗鬱剤、飲まないとストレスがより沈殿していくようだ。
   * リティラシー
 時どき耳にするが、いま一つ分からないカタカナ語に「リティラシー」がある。「あの人は、リティラシーがない」というと、
「論理性がない」と解釈をしていた。そこで調べてみると「断片的情報から、必要な情報を引き出す能力」とあった。
そういう意味では、日本人が一番欠けている能力。 読書からして、このリティラシーが基礎として必要である。
断片の情報から推論を重ねることで、ある結論に達する能力ということ。論理とは、そもそも推論を推し進めること。
それにしても「リティラシーが足りない」と実感する日々。 
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3928, 精神力ーその偉大な力 ー15
2011年12月27日(火)
  * 私は在る、私はできる、私はする   「 精神力ーその偉大な力  ー 」 ダン・カスター著
 意識する存在として、私たち各自は精神の意識するポイントであって、何を持とうとするか、何でありたいかを選ぶ力をもっています。
エマソンは自己信頼についての論文で、「広い宇宙は善いことに満ちているが、滋養あるトウモロコシは、耕すべく与えられた一定の
地面に人が労力をつぎ込んでのみ、手に入れるのだ。彼の中に住む力は、自然界における新しいもので、彼以外誰ひとり、彼が成し得る
ことを知らない。また彼みずからも行なってみるまでは知らない」と言いました。 私たちは常にみずからについて何かを信じています。
だから思考のタネを潜在の耕土に植え付けているのです。雑草のタネは雑草に、野菜のタネは野菜にになります。病気、貧困、不幸の
タネは、偉大な主観的で創造的な媒体に根を下ろすにまかせると、それが生育して体験になります。正しいタネを選びたいものです。
 ・・・私たちは自身も否定的な思考と同一化するかわりに、肯定的な積極的な思考と同一化することを学びましょう。
私たちの知りかつ理解しうるかぎりの最高の理想と同一化することを学ぶべきです。事実私たちの人生は完全な人生です。
 こういえます。「私は体内に無限の神、すなわちエネルギーの化身である。肉体の真の偉力、身のまわりのすべての威力は、
太陽、月、星をそれぞれの位置に保つと同じ力と同じである。それはバラの花を咲かせる力である。あの無限な力が私に個人化した
のである。私の意識する心を通して、からだにおいて、身辺の諸事において、それを正しい動作に指向することができるのだ。
なにものも私の選ぶ力を拒否することはできない」「私のなかの知性は無限の精神の知性である。その知性に限界はない。
それは終わりもなく底もなく、私が実在するそのポイントで無限である。普遍の精神は私の使う精神である。」
「私は永久の大生命、エネルギーの化身であるから、私にとり、持ち、在り、なすことが正常で、かつその権利あるすべてのものを
持つことができる。私の真の自己は永遠の存在である。私は在る。だから私はできる」・・・
 ▼ 書き写していても気持ちが奮い立ってくる言葉である。 この歳で今さらであるが、しかし一日一生とすると、
  決して軽く見ることもできない。せっかくの一日、「私は在る、できる、そして私はする」は、積極的生き方の基本。
  人間の最大の欠点のひとつは、ひ弱で何か欠けていると感じて、目の前の挑戦に尻込みすることである。
  動物ものドキュメントで、「動物の生き死にの戦いの中では、後ろをむいて逃げたら餌になる」という印象的なコメントがあった。 
  大津波で逃げない犠牲者になるが、逃げるべきと判断をしたら迷わず逃げるべきだ。が、闘うときは、最後まで闘い諦めないこと。
  「後ろを向いたら餌になる」というのが真実である。 一般社会では問題の中心点を意識し、そこから目を離さないこと。  
  中心点に自らを置き、闘いエネルギーを集中すれば、負けても次の道が開けてくる。 これが精神論の要の論である。 ーおわり
・・・・・・・                                               
3563,  閑話小題ー激流の中で
2010年12月27日(月)
   * 高校・大学生の就職難について
 25日のクリスマスの土曜日のゴールデンタイムに何と「高校・大学生の就職難」についての討論会があった。
 時代が変わったものである。 大学生は、一番価値があるモラトリアム(社会人前の猶予期間の自由)が、
 これでは満喫できない。 それより過半数以上が大学に進学すること自体が変。25%あたりが適正である。
 私の時代は16%だった。それが、まず問題である。高校卒では就職が不利、だから大学に行くというのが進学理由、
 だから学生時代に自由を有意義に謳歌できないのである。 高校、大学とも42〜3%が就職先が決まってないというが、
 違う学部に再編入したり、大学院に残ったりした学生は数字に入ってないので、実際は過半数が就職出来ないのが現実。
 すざましい厳しさである。 韓国、中国人の質を比べるとレベルが非常に低下しているというが・・・ 
   * どうなっている?朝鮮半島
 23日の韓国の大規模な実弾射撃訓練、危ないと思っていたが北は急にトーンが低下してしまった。
 全面戦争になった時、韓国は失うものが北に比べて格段に大きいためイザとなると腰が引けてしまう。
 片一方は、全面戦争を常にちらつかせ、始ったら終いのことを熟知している。脅しは、脅しでしかない。
 目を凝らして状況を見ると、結局は北朝鮮は中国の隠し砦、日米韓はいいようにあしらわれている。
アメリカへの間接的脅し道具」ということ。 中国が「世襲は反対、早晩、金一族は政権を国民に返すべし」
 という声明と、国境閉鎖で数ヶ月で体制がひっくり返る程度のこと。
   * 瞬間像
 「突然涙が溢れたり、ふと笑いがこみあげたりすることがある。それは過去に堆積された経験、思い出が〈今〉と結びついて、
 瞬間像がフラッシュのように表出した結果、それはまさに生そのものと触れた時である。 その意味では、瞬間像とは、
「純粋持続」を感覚的に把握するする瞬間である。この特性を、ベルクソンは〈直感〉ないし〈哲学的直感〉と呼んでいる。
 これは「意図的にぼんやりすること」で、感じ取ることが出来る。だから老齢期には、その時間が多くなる。
 これを日本語で〈イメージ〉とか思い出像と言ってしまうと、明確な輪郭をもったものと想起されるが、 フラッシュは、
 あたかも「いま、ここ」に鮮明なイメージを映し出す。年寄りはボンヤリしているようだが、これまでの人生の思い出が、
 次々と表出しているのである。それが、コントロール出来なくなると、痴呆症に陥るのである。
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3188, 3D映画の初体験の感想とは?
 2009年12月27日(日)
 昨日の朝9時からシネマで「アバター」を観てきた。「3D=立体のシネマとは、どんなものか」の実感の感想を書いてみる。
メガネに上に重ねたこともあり、初めの30分は馴染めなかったが、馴れてくるにしたがい異空間に引き込まれいた。
「映画の画面と、自分の顔の間に映像空間ができた」というのが、未体験の人に説明するに分かりやすいだろう。
映画そのものが、画面から映像が飛び出して見える演出が計算されてつくられていて、自分が映画の空間の中に
入りこんでしまった感覚になり、緊迫感が数倍になってしまう。 ストーリーがなかなか面白く、想像を絶する画面が
次から次へと展開していく。 20世紀では考えも及ばない映画である。「2012」も、同じだったが、自分が、
どっぷりと異空間に取り込まれてしまうのである。 21世紀のバーチャルもここまできたかと感じいった。
所詮は、生きていること自体、夢・幻のバーチャルでしかないが・・・。私がみたのは字幕版だったが、
3Dに関しては字幕が見えずらい。 吹き替え版がお勧めである。これをみても何とも感じない人もいるだろう。
戦後、何も無いところから時系列で時代の変化をみてきたので、こういうものに敏感になるのだろう。
今世紀に入ってから次から次へと、これまでとは違う世界がつきだされる。 21世紀に生きているのである。
9・11テロ、9・15の金融危機、ブログの飛躍的普及、携帯電話の進化、アメリカの黒人大統領の誕生、
中国の経済発展。 日本では、自民党の壊滅など、思いもよらない現象が起きている。
この3D映画も、その一つである。 ドラッガーが40年前に「断絶の時代」がやってくる言っていた。
ソ連の崩壊、中国の文化革命、インターネットなどの情報革命、それと100年?数百年に一度の恐慌と、
怒涛のごとく日常にも押し寄せてくる。 この3D映画も、その一つだろう。面白いが、恐ろしい時代である。
 ーところで、家内は3Dが思っていたより大したことがなかった、という。 私とは受けとめ方が違う。
 私は、意識的に立体空間に入ろうと勤めていたのと、初めの30分の違和感に引きずられたからだろう。
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2823, 年初来、世界の株価は半減!
 2008年12月27日(土)
年初来の世界の株価と貨幣の下落が、朝日新聞に載っていた。(12月23日、経済欄)
解りやすいが、世界の株価6000兆の半分3000兆円が失われたことになる。これに国債や住宅ローンや
サブプライムローンなどの債権の暴落を入れると、その損失は計り知れない。
 ーまずは、その記事からー 
 この金融恐慌で、
・世界の株価は、1年間で半減 アイスランドは99%(百分の一)の下落になっている。
 9月半ばからの金融危機と景気後退の深刻化で、世界の株式市場の株価が08年の1年間でほぼ半減する見通し。
 年初から11月までの世界の株価の下落率は46%に達しており、市場からの資金の流出と、世界経済の牽引役だった
 新興国の急落ぶりが激しい。 年間の下落率は02年の19.6%を超え、95年以来で最大で、対象の国すべてがマイナス
 となるのも初めて。  なかでも新興国の急落が目立っている。ロシアが11月までに71.30%、インドが67.98%、
 中国57.80%、ブラジル57.50%の下落。高い経済成長率で投資マネーが流れ込んでいたが、損失を被った投資家が
 資金を一斉に引き揚げ始め、株価の大暴落。 ちなみに、ドイツ・フランス・ドイツは5〜60%の下落。
・通貨をみると、アイスランドで、99.37%の下落。ロシア、アイルランドが69.86%)、
 ベルギー(同68.78%)で、調査した全体の3分の2以上の32カ国・地域が5割以上の下落という。
 日本はマイナス34.50%で下落率はモロッコに次いで2番目に小さい。
 金融危機震源地の米国は39.60%の落ち込みで、日米は07年から株価が低迷していた分、
 新興国と比べると下落率が小さいようだが、数年スパンでは同じと見ることもできる。
 来年も不安定な相場が続くだろう」とみている。これでは世界恐慌に一直線進んでいるといえる。
▼ これからみると日本の被害は最小に思えるが、元もと日本は十数年かけて下落していたし、米国は一年前から下落していた。
 その上に輸出立国のモデルの日本は一挙の落ち込みで、大打撃を受けることになる。これから5年間は倒産の嵐になるのは必然。
(字数の関係でカット、11年12月27日) 
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2007年12月27日(木)
2458, 明治大學応援団       ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]
現在はどうか分らないが、私が学生の頃の明大応援団は名が知られていた。
中越十日町市の元市長の諸里という人も、明大の応援団長だった。(二番目の姉が中学校で同級生で、その辺の話を聞いていた)
当時は厳しい規律と格式?の高いブランド・イメージがあった。それが、応援団の暴行で学生が自殺。その凄惨な内容が露見した。
「鉄拳制裁」や「かわいがり」「いじり」など一般では考えられない虐めである。
(字数の関係でカット、11年12月27日)         
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2006年12月27日(水)
2094, 下流喰い −3      (+>∀<+)ノ おぁはは〜ようさん!
*タクシー業界運転手の悲鳴*
 (この内容は本の概略でなく生の現場のレポートである)
この本を読んで、改めて現在の日本の病巣に深さに驚かざるを得ない。ここでは何度も取りあげてきたが、
「タクシーの運転手の悲鳴」である。飲み会の帰りに数ヶ月に一度は使う程度だが、必ずというほど、
「運転手さんも大変でしょう!」と聞くが、ほぼ同じ返事が返ってくる。<月の手取りが14~5万円で、奥さんがパートで
8万位稼いで、子供1~2人で何とか食いつないでいる云々・・。それでも辞めても直に補充が入ってくるからね〜」である。
(字数の関係でカット、08年12月27日)   
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2005年12月27日(火)
 1729, 流通再編成             (*´ノД`)<<< +。:.才八∋ー
「西武・そごう」をセブン&アイグループが傘下に収めると各誌のトップで報じていた。
 これで、7兆数千億の規模になり、世界の流通グループでも5番目の規模になるという。
      (字数の関係でカット、10年12月27日)     
・・・・
2004年12月27日(月)
 1364, M資金
学生時代から、この資金の話を聞いていた。また父が、東京女子医大病院で手術をした時、隣のベッドの人の話も
M資金に似た話を父にしていた。「終戦時に軍の秘密の金塊を隠して持っている」とか。
  (字数の関係でカット、09年12月27日
・・・・・・・
2003年12月27日(土)
 997,「 私の死亡記事」−2
 この本を読んで、それでは私も書いてみようかと思って既に2年経つ。そこで書きだしたが、そうは書けないものだ。
あからさまな自分を、突き放して見つめることは辛いことである。宇宙から地球を見つめ、地球から日本を見つめ、
日本から新潟を見つめ、そして自分を見つめ、その自分を突き放して最終の死の視点から冷静に書くのも面白い挑戦でもある。
 ー以下、真面目にフザケテ書いてみるー
戦後直後の混乱期の1946年01月15日、新潟県長岡市に8人兄姉の末っ子として生まれる。父が43歳、母が38歳にの時に生まれた為に、
両親に溺愛?されて育った。実家が丁度、転業期の為、いつも一人放って置かれて育った。一生を通して独り遊びの癖が抜けていない。
しかし無事に人並み?に大学を卒業をした。両親の姿をみていたためか、大学時代より創業の準備を始めていたと
彼の文章に書いてあった。27歳で千葉で独立したが、その二年後に実家で騒動が勃発。実家の「衣料量販店」を五年近く従事する。
実家の経営を軌道に乗せ、その後新潟の駅前で日本で初めて客室主体の「シングル専門ホテル」を開業する。35歳の年であった。
一階に学生服を兼業して奇妙なホテルとして注目を浴びる。その後、70室の客室を500室まで新潟駅前で増やす。
そのプロセスでリースバックを思いつくがバブルの時代に買い取り方式に拘りすぎたようである。
現在デフレのフィッシャー効果の為、事業構造の転換迫られ丁度手がけた矢先であった。
酒を飲んで多くの失敗を繰り返していたが、昨夜ついに暴走族と長岡駅裏で乱闘、袋叩きにあって
翌日死んでいるのを発見される。誰も同情する人が無いのは、この人の生き方をそのまま顕している。
死を予感したのか、随想日記を997日分書き残したが、その最後に皮肉にも「私の死亡記事」が書いてあった。
本人の目標の1000に、あと三日であった。 享年57歳。 葬儀、告別式は本人の希望でなし。
・・・・・・・・・
2001年08月13日(月)
 [107] 「私の死亡記事 」‐文芸春秋
図書館で何気なく借りてきた本だが、これが面白い!各分野の有名人に「物故者の解説を、当の本人執筆という点である」
(字数の関係でカット、09年12月27日)
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2002年12月27日(金)
 623, 新しいパソコンについて
会社の自分のパソコンを日立のPuriusに入れ替えた。感想はとにかく画面がきれいだ。明るくクッキリしているのが良い。
(字数の関係でカット、09年12月27日)
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2001年12月27日(木)
 282、同姓同名
東京でも、地方でもいつも同姓同名を電話帳で探していた。必ずいるはずだと。山田太郎とか、
小林恵子とか言う名前の人は何回もそのことに慣れていたと思うが、一回もあったことがないのも気になる。
(字数の関係でカット、12年12月27日)
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ある時間の断片
 12月27日  1968年
12時に起床する。 午後読書をする。夕方に新宿の紀伊国屋に行くが、目的の本がない。
帰寮後、21時に瓜生の部屋で、彼と佐藤と緒方と酒を飲んで騒ぐ。22時に先輩の永田さんと渡辺文雄さんがくる。
(字数の関係でカット、12年12月27日)