『自分史の書き方』立花 隆(著)
   * 人生を4つの軸で表現 〜山本和孝さんの年表
 小学校時代の恩師の西澤元正先生の『私の履歴書』が、手元にある。
以前、新潟駅前で経営していたホテルに泊まっていただき、古町を飲み
歩いた時の御礼の手紙に同封された8頁の小冊子。時系列の箇条書で、
時代ごとの主な出来事を加えた見事な履歴書である。これで、大筋の
先生の人生を垣間見ることが出来た。ここでは、年表にして分類すれば、
より明快になると導いている。これはこれで、シンプルでよい。
 〜その辺りから抜粋し、考えていく〜 
≪ 具体例を今度は自分史年表とともに紹介する。
 最初の例は、Yさん(当時62歳)法政大学を 1969年に卒業する前に、
林周二『流通革命』の影響を受け、流通業に身を投じた。
東光ストア(現在の東急ストア)に入社。企画調査部人事・雑貨部長など歴任。
湘南店長を経由して、取締役までつとめた。子会社の東光ドラッグの社長を
2年間つとめたところで退任。96ページの図に示すように、山本さんの年表
4つの軸から成り立っている。
・「その年毎の主な出来事」と
・「よのなかのヒト・コト」が、社会一般の出来事。
・「半径5m以内の人達」が、家族、先生、友人など個人的に深い
  関係にあった人々との間に起きた出来事。
・「私ごとですが」が、個人史のメモである。
このうちで「半径5M以内の人達」というのは、山本さん独特のカテゴリー
だが、面白いコンセプトだと思う。人間にはそれぞれの文化によって特有の
(あるいはその個人によって特有の)、「他者を許容できる近接距離」という
のがあって、その距離内に他者が近づこうとすると、思わず身を引いて、相手
との距離をその距離以上に保とうとするものである。反対に必要以上にその
距離をとろうとすると、人づきあい悪い、よそよそしい人間と見られたりする。
この距離感覚は、個々人によって、また生まれ育った文化によって、著しく
ちがうもので、それをテーマとして書かれた、文化人類学上有名な学術書
(エドワード・ホール『かくれた次元』みすず書房)もある。日本人は、挨拶を
するにしても、直接の肉体的接触を避けて、ちょっと離れて頭を下げあう程度
にするのが普通で、欧米人のように、互いに抱きついてバグしあったり、
頬ずりしあったり、接吻しあったりなどはしないのが普通だ。
 そういう文化圏において、5メートル以内というのは、どういう距離感かと
いうと、「顔認識、表情認識、ことばによるコミュニケーションが簡単に成立
する空間」といえるだろう。 幼稚園、小学校などでの「小教室的コミュニ
ケーション」が成立する空間といってもいいかもしれない。人間関係でいえば、
家族ないしは、「家族的親しみをもって接しあえる相手との共有空間」といった
感覚だろうか。第3章で詳しく述べる「人間関係クラスターマップ」を作るとき、
各時代で自分といちばん親しくしていた人間をまとめて入れておくべき
「最近接クラスター」の人々といってもいいかもしれない。どう名前を付ける
にせよ、どんな人にも、いつでも何でもしゃべりあえる仲の人がいるものだが、
そういう仲の人との共有空間といっていいだろう。山本さんの年表は、自分で
描いたイラストと、各種画像資料を駆使してのコラージュがなかなかうまく
できていて、簡略ながら、全体がよく見渡せて楽しめる年表になっている。≫
▼ 当時、私も林周二『流通革命』と、渥美俊一のシリーズ本の、
流通革命への道』を読んで、流通業に身を投じた一人。知っていたら当時
の流通業の現状を知っていたら間違いなく避けていたが、無知の強さか、
愚かさか?「面白かった!」とは、あと講釈でこそ言えること。
「お陰で幅広く玉石混合の社会を知ることになった」としか言いようが
ない世界。当時の流通業は、「未開の暗黒の大陸」「激流の世界」と言われ、
百貨店や、専門店が格上で、スーパーなど最低の業種と見られていた。
その激務は今から考えても想像を超えていて、思い出すのも憚れるほど。
 4分類の一つの「半径5M以内の人達」の切り口、「家族的親しみをもって
接しあえる相手との共有空間」の設定が面白い!
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5036,ポジティブ・サイコロジー ー⑥
2014年12月28日(日)
    『 ポジティブ・サイコロジー』クリストファー・ピーターソン(著)
  * 深く味わうこと
 私たちは、ネガティブの出来事を経験した後で、その気持ちに様ざまな方法で
「対処」しようとする。その出来事を変えようとするか、自分自身を変えることで、
悪影響を軽減させようとする。上手くいかないことは、自分が問題なのか、適正が
悪いと考えて転職するか、それを甘んじて受けて、家庭に気持ちを移すか。
瞑想、神への祈りか、麻薬、酒か、その人によって不幸劣位を避ける対処法がある。 
逆に、幸福優位であるためには喜びを深く味わえばよい。喜びに対する意識および、
その意識を維持するための意図的な試みが、『味わうこと』である。
 私の趣味に、『秘境・異郷ツアー』がある。まず、面白そうなところを探す
楽しみを味わい。実際に、そこでの感動の瞬間味わい。その後、写真を見たりして
思い出として味わう。更にTVなどの現地レポート番組で味わう。それらの
味わいの中で、幸福優位を強化していく。感激、感動、感謝の場面や、よい事、
嬉しい出来事に出会ったとき、立ち止まってそのことに注意してみることが重要。
準備期間を含めて40数年の事業人生を過ごせたことと、秘境ツアーを多く経験
出来たことと、家庭生活を平穏?に過ごせたことが、が人生の大きなである。
 49回の秘境を中心にしたツアーは、幸いなことに、7割以上を家内と同じ経験を
共有できたため、TVで毎日、どこかの行き先を放映していることもあって、
会話の3割?が旅行経験の内容である。重要なことは、誰かとの共有体験と、
写真、文章化などで記憶を構築しておくこと。これは、知覚が研ぎ澄まされる。 
こういう記憶の再生は、幸福優位の重要要素になる。
 最近まで、一度見たTVドラマや映画を再び観ることはなかったが、最近は、
良かったと記憶しているものは率先して観るようになった。分かっていても、
一度目より面白く感じるのである。 余白の老後は、過っての経験を再び、味わう
ためにあるのでは。 「ピーク・エンドの法則法」がある。
《 アメリカの行動経済学者・ダニエル・カーネマンによって提唱 された理論で、
「あらゆる経験の快苦は、ほぼ完全にピーク時と終了時の快苦の度合い で決まる》
というもの。これからすると、事業や仕事も含めた人生のエンド(死に際)が
重要となる。その時に、人生を深く味わってきたか否かが問題になる。
 挫折と、節目こそ人生を味わいの醍醐味が隠されている。深く味わうには
噛締めること、それも何度も。そこで、すじ肉こそ、噛締めるほど味わいが出る。
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4669. 閑話小題 ー今年の総括 ーその3
2013年12月28日(土)
   * 今年のシネマ、53回
 去年の12月27日の随想日記に「今年のシネマ、36回」があったが、
今年は53回。週一回で、52回プラス一回になる。何はあれ週一回は行く
ルールを生活習慣に入れておくのも良い。数回、休みんだり週二回行ったり
したが。週一は無理?となら月一度から始める手もある。時間が無い? 
時間は作るもの。お金?同年代なら月4千円。居酒屋一回分も何とか? 
見た全てが80点以上で合格点で、90点以上なら、大いに満足である。 
見続けると楽しむコツが分かってくる。心を純白にして自分からシネマの物語に
世界に入ること。 そのための映画館である。
 年末年始に何が良いか?と聞かれたら、宇宙衛星モノ「ゼロ・グラビティ」。
ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」のキュアロン監督が、宇宙空間に
投げ出されてしまった宇宙飛行士たちの極限的状況を最新VFXと3D技術を駆使
して描いたSFもの」。
 今年の53本のシネマのうち、印象に残ったものは『レ・ミゼラブル
『ライフ・オフ・パイ』『アルゴ』『ジャンゴ』『探偵はバーにいる』
『ローンレンジャー』『ホワイトハウス・ダウン』『スティーブ・ジョブス
キャプテン・フィリップス』『ゼロ・グラビティ』等々。百点満点はないが、
90〜95点。 こうして振返ると実に面白い。昨日は迷った挙句に
ハンガー・ゲーム』にしたが、ネットのシネマ評が芳しくない割に面白かった。
私は90点。去年37回、今年53回といえば、かなりのシネマファンだろう。
暇なだけだが・・この中で一つを選ぶのは無理。『レ・ミゼラブル』『ジャンゴ』
ホワイトハウス・ダウン』だが、『ゼロ・グラビティ』も捨てがたい。
この数年では、『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』『2020』
アバター』が100点。 来週は『永遠の0』か。
  
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4304, 野生の思考
2012年12月28日(金)
  * 「ありものの使いまわしで急場をしのぐ」
 この時代の激変の中で、企業は究極的サバイバルの様相になっている。
そこで求められるのが「野生の思考」である。野生の思考とは、ありものの使い
まわしで急場をしのぐこと。 それにみあったブリコラージュという言葉がある。
  ー そこでネットで調べてみると
 ≪ フランスの文化人類学者 レヴィ=ストロースは、著書 『野生の思考』
(1962年)などで、世界各地に見られる、端切れや余り物を使って、その本来の
用途とは関係なく、当面の必要性に役立つ道具を作ることを紹介し、
「ブリコラージュ」と呼んだ。彼は人類が古くから持っていた知のあり方、
「野生の思考」をブリコラージュによるものづくりに例え、これを近代以降の
エンジニアリングの思考、「栽培された思考」と対比させ、ブリコラージュを
近代社会にも適用されている普遍的な知のあり方と考えた。また彼は世界各地の
呪術や神話における思考の特徴的なパターンも「ブリコラージュ」と呼んだ。
たとえば神話体系は様々な神々や英雄が織り成しているものであるが、全体と
しては個々のエピソードの集まりであり、きれいに一続きにはなってなく神々の
系図も複雑になっている。これは、先行する民族や隣接する民族の神話を引用
したり、各地方の神話を一まとめにしながら神話が形成されてきたために、神話
体系が寄せ集めの状態(ブリコラージュされた状態)となっているからである。≫
▼ 人生の節目は、今までの生き方を根本から変える時節。
 そこで、崩壊した、それまでの材料の中から、再出発に必要なものを探し出し、
それをベースに一から創りかえる時になる。この情報化の世界で、新たな 
世界像を創りかえる節目に世界も、個々人も直面している。色々な材料を集め
違った意味を作るのは、文章の作成にもいえる。テーマを決めて、それに見合う
材料を集め、起承転結のカタチにパッチワークをしていく。そして時間を置いて、
 それに魂を吹き込む。そこに普遍的に通じる筋道が自ずと現れでてくる。
それは、カレーの材料を煮込むのと似ている。現在の日本が限界の極限に
入りつつある。これまでの在り物を掻き集め焦土の中から立ち直ることが
出来るだろうか? あの自民党の面々からみて非常に疑問!である。 
この時代、野生といえば「憲法改正核武装と」に自ずから行き着く。
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3929, 聯合艦隊司令長官 山本五十六
2011年12月28日(水)
 思い立って、「聯合艦隊司令長官山本五十六」を見てきた。
出身が長岡で、私の実家が戦前、元帥の自宅近くにあり、父親が度々伺って
書画などを書いて貰ったなどの話を聞いていた。実際に我が家には、二ぷくの
書画があり、私が受け継いでいる。最後は記念館に寄贈するか、子供に引き継ぐ
ことになる。既に亡くなったが、私が建てたビルの建設会社社長が元部下で、
熱狂的なファンだった。人を惹きつける人間的魅力があったようだ。
 ハワイ奇襲も、実際はアメリカに筒抜けで失敗だったことや、ミッドウェー惨敗
の内幕などを淡々と映し出していた。そのため、それほど暗い気持ちにはならない。 
家にある書を何度か眺めているが、豪胆な人物の書は心打つものがある。 
先日、日本橋で大学時代の同級会があったが、隣に座った男が元帥の大ファン。 
会社の転勤で三条市にいたおり、山本五十六の家を訪ねたことがあり、東京での
試写会に二度も見たという。それを聞けば、見にいかないわけにはいかない。 
 この重い?人物と海戦を、あっさりと映画にするとは驚きである。 
地元の人なら是非、見ておいて方がよい。「大勝利の報道で神様に祭り上げられ
ましたね」の冷かしに「神だったら、この戦はやりませんよ」という言葉が印象的。
 軍神というより、人間・山本五十六そのものを、浮かび上がらせていた。 
本人にとって敗戦の屈辱を味わう前に亡くなったのが良かったのか、悪かったのか。 
日本がアメリカによって、第二次大戦に誘導された節があるが、65年以上
経った現在も、軍事も、経済も、実質的占領下にある。その責任者の一人である
ことは歴然とした事実。それにしても、演じていた別所に山本五十六が乗移った
ように感じたのは私だけでないはず。珍しく観客が多かった。
それも80歳以上が・・・

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3564, 豊かなのに、幸せになれない、何故 ?
2010年12月28日(火)
 日曜日のモーニングショーで、「豊かなのに、幸せになれない、何故」という
テーマで、レギュラーのメンバーが議論をしていた。直ぐに、「豊か=幸せ、と
決め付ける前提の方が変である」と、呟くと、家内が「また屁理屈を言っている」
と、のたまった。「豊かさは必要条件だが、絶対条件ではない」と言っても
分かる相手ではないと頭の中で呟いていたが・・。しかし人生を振り返ると、
やはり豊かであるにこしたことはないのも事実。あるメンバーが「豊かさは、
求めるものでなく、深めること」という言葉に一人納得。幸福度の一番高いのが
デンマークで、二位がスイス、八位がブータン、日本は90番目という。
何の根拠かしらないが欧州に続いて、日本は幸福度はAクラスに入っていいはず。 
日本人が世間知らずというか、あまりに世界を知らない。
ここで、「人間は繋がりの中で生きているのに、変な個人主義に陥ってしまい、
集団社会の中の役割を果たす場面が少なすぎる」といっていたが、そのとおり。 
哲学の先生がインタビューで、「戦後からこのかた、成長を追い求めてきた結果、
便利の追求が、身体を使わないことと思い込んでしまい、自分の立ち位置が
見えなくなっている」と、述べていた。戦後、日本は自由主義個人主義
民主主義=平等主義、成長経済=豊かさを追求してきた。それもこれも共同幻想
しかなかったが、それでも世界に稀な国家をつくりあげた。それも、占領統治国家
アメリカの手の内で、その手を返され直ぐに崩壊してしまった。
それが国家として、現在も大きな暗い影を覆ってしまっている。「物質的な幸福と、
精神的な幸福を混同してしまい、幸せを幸せと感じることが出来なくなっている
のが現在の日本」。また人間は世界の王様と勝手に思い込んでしまった結果、
多くの矛盾が生じている。考えてみれば、幸せという言葉自体が共同幻想そのもの。
それからすると、不幸もである。「貧しいのに、幸せな私、何故?」という言葉、
やはり、そぐわないか。「豊かで、幸せの私」「貧しくて、不幸な私」どれも
これも、似て非なるもの? いや違う? でも、「豊かなのに、幸せになれない、
何故?」は、ブラックジョークの最たる言葉。 家内が言うに、
「友達の殆どが、自分は不幸と思っているみたい」だと! 傍から見れば、
豊かで美人で教養がありそうなのに? ということは、やはり、このテーマは
殆どの人が実感していることか。ところで豊かとは何?それは比較?共同幻想? 
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3189, つれづれに ー閑話小題
2009年12月28日(月)
* 来年は、どういう年になるのだろうか?
 思いつくまま、来年のイメージしてみるが、マイナーしか思い浮かばない。
・日本国債と株価の暴落と、金の暴騰。
 日本経済の二番底、二番底の底抜け。中小企業の破綻がドミノ倒しのように続く。
アメリカは今更だが、日本と欧州経済が後半にかけて更に大混乱する。
・国内も参院選挙に向けて、政界再編成に動くだろう。鳩山も参院まで
 持つかどうか。持てば、長期政権の可能性も出るが、この難局を
 乗り越えるかどうかというと疑問である。
* かえり矢
 かえり矢とは、矢を放せば、おのれに矢はかえることをいう。
現在の鳩山首相が、この言葉そのもの。野党時代に、自民党幹部の秘書の汚職
に対して、それは代議士本人の責任で辞めるのが当然と攻撃。今度は自分の秘書。
当時の鳩山の攻撃の映像が、彼の弁明会見の前後に繰返し放映されるのだから、
どうもこうもである。 どうみても、あの弁明では納得できない国民感情だろう。
* クレタ人のウソ
 今更だが哲学に、「嘘つきのパラドックス」 がある。 
(ネット辞書のウィキペデアによると)
≪ 自己言及のパラドックスの古典として知られるのが、次の嘘である。
 “ 「クレタ人は嘘つきである」とクレタ人が言った。 ”
なお、この発言をしたクレタ人はエピメニデスであるとされる。
ここでクレタ人(エピメニデス)自身が「クレタ人は嘘つき」と言及している
ため、パラドックスが発生してしまう。すなわち、「クレタ人は嘘つきである」
が本当なら、クレタ人であるエピメニデスも嘘つきであるはずで、従って
クレタ人は嘘つきである」という発言も嘘でなければならない。しかし
クレタ人は嘘つきである」が嘘なら、クレタ人であるエピメニデスも正直者
である事になる。 従って彼の「クレタ人は嘘つきである」という発言も
本当でなければならない ≫  禅問答のような話になるが。
 人生の中に似たような場面にしばしば出会うことがある。
鳩山のウソは、これ以前のレベルである。