つれづれに

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  今日のYoutube
 
 スポーツジム4年2ヶ月と、その中のヨガの効果と、就寝前に
続けている『海老ゾリ・マシーン』のせいか、腰痛が『弱レベル』で
収まっている。冬季には必ず付けていた「ホッカイロ」も、この冬は
一度も付けなかった。それでも、毎日、パソコン前の椅子に、
4~5時間も座っていれば、当然、腰に重圧がかかっている。

 6年前の文章の『パッション』も、『海老ゾリ・マシーン』も、
『電動ステーパー』は、現在も使っている。その上に、SJの
運動と、ヨガを加えても、この程度だが。

・・・・・・
2985,腰痛持ちの皆さんに
2009年06月07日(日)

 家内も、ついに腰痛もちになってしまった。
私の腰痛は昭和38年度の豪雪の時に高校の屋根の除雪作業で
ギックリ腰になって以来、45年間の付き合いである。
表日本に住んでいた8年間には腰痛はホボでなかったので、
地域の湿気の問題などもある。
現在でも年に平均3~4回は軽い腰痛になる。
5月と11月初旬の連休辺りの気候の変わり目に出ることが多いが、
一度も医者に行ったことは無い。 以前のような脂汗が出るような重症の
腰痛は無くなった半面、いつも腰に重い疲労感と少しの痛みが残っている。 
特に長時間の座った姿勢のパソコンが良くない。
 半年ぐらい前に(腰痛の私にとって)最高のマッサージ機器を見つけた
ことは、ここでも書いた。台がバイブレーターになっており、その上に
座ったり乗ったりするもの。これがウォーキングの次の最高の腰痛対策
になっていて、一日数回は使っている。これに最近、電動ステッパー
(7600円)が加わり、一m四方のトレーニングコーナーになっている。
 ところがニヶ月前に、長岡の郊外の家電チェーンの健康機器売り場で
「長細い座布団状のクッション」を見つけた。幅が40、長さ75センチ、
厚さが10センチ位のもの。 腰に当てて電気を入れると、7分間、
色いろな叩きと、バイブレーションが手を変え品を変えて続く。 
また首から背中に当てると肩こりに良い。
マッサージ師が一通りのコースをこなすのと同じである。 
それがロボットマッサージ師のようで何とも面白い。
 迷った末にネットで注文した「リズム・マッサージャー・パッション」
が先日届いた。早速使ってみて、7分間で、腰の重みが8割がた
消えてしまった。 特に叩きが強烈である。ビッグカメラや、ジョウシン
の店頭の値段は39800円。 少し高いと思ったが、何度か店頭で使って
いるうちに、欲しくなったのである。 そこでネットで調べると、
税・送料込み25,500円である。(メーカー希望7万8千円)
去年の年末調整の残りの「ヘソクリ」を使うことで自己納得をして
買うことにした。以上、リズム・マッサージャーと、電動ステッパーと、
縦型バイブレーション三点で、48,000円で、家庭内腰痛対策の完成
というところ。 で、どれが一番良いか? 値段に正比例ということで、
先日買ったもの。

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2621, 消費社会から格差社会へ ?4
2008年06月07日(土)
  ー「負け犬女」対「下流男」ー
   
「負け犬女」というキーワードは、数年前からTVのドラマで
何度か聞いたことがある。それに対して、男は負け犬という言葉自体が
負けを認めることになり、言葉として抑圧されている。
そのこと自体は、自分の挫折経験からして痛いほど解る。 
社会学者は、その辺の造語は適格である。現在の男女の結婚年齢が32歳と
29歳なら過半数に近い比率で当てはまってしまう。それほど、当人は
気にしてないから、流行語になるという面白い現象である。
 ーその部分を抜粋してみるー
三浦: 彼らはパソコンの前に座っているんじゃないですか。
 ある住宅メーカーが調査したら一日五時間ぐらい
 一人暮らしの男性は、パソコンの前に座っているんです。
上野: この人たちが、ネットのヘビーユーザーですね。あなたの
下流社会』でよくわかったのは、下流の人たちにパソコンの
 ヘビーユーザーが多いということ。今パソコンは一番安直で低価格
 の娯楽だから。その反対にアウトドア系は著しく少ないとあったので、
 なるほどと思いました。
三浦: 自転車みたいにおカネがかからないアウトドアでも、
 「上」の人の方が多いんです。
 下流の人はまったく体を動かさない。女性もそうなんです。
 「おうち」でじつとしている(笑)。
上野: それを支えている強力なインフラが、コンビニなんですね、
 男女ともにね。
三浦: そうですね。あと高級スーパーの「成城石井」とかでね。
 一人でもおしゃれな惣菜を買って帰って、エンヤを聴きながら
 カモミールティーでも飲んで、「まあいいかー」みたいな(笑)。
 それとネットショッピング。ひきこもっていても、暮らしていける。
 コンビニすら面倒くさくて行かなくなる説もある。・・
  ーー
三浦: 「負け犬」という表現にある諧謔が読めてない。
 裏返して書えぱ、彼女たちの対極にいるはずの、彼女たちと同じ年齢層
 の結婚していない男たちは、自らを「負け犬」と呼ぶことすら抑圧している、
 それくらい男の負け感が強い。自分の負けを認めることさえ、抑圧の対象と
 なるほどの状況にいる男の立場と、負けをさっさと認めて競争から降りる
 女の戦略とでは、男の抑圧の方が強いでしょう。 そういう意味では、
 「負け犬」の男に与えられた称号が、「下流」だったかもしれない。
上野: うん、男は負け犬とは呼ばないですね。なるほど、「負け犬女」
 対「下流男」か(笑)。ただし同じ年齢層で「負け犬女」と「下流」を
 比べると、経済階層では「負け犬」の方が高いでしょう?
三浦: そうですね。
上野: 次の世代は、「下流男」対「負け犬女」になるかもしれませんね。
三浦 その「負け犬女」と「下流男」が、どっちも「おうちタイプ」
 だから出会わないわけです(笑)。調査をすると、けっこうおもしろい
 結果が出ていて、階層意識は低いけど生活に満足している人は、
 男性にはいますね。「下流」とは言っても、三〇代の前半で年収は
 三〇〇万円くらいあるんです。
上野 へえ…「下流」と言ってもけっこうあるんだ。一人なら暮らせますね。
 でも結婚できない際どいラインですね。「負け犬女」は、年収三〇〇万の
 男は相手にしないでしょう。「負け犬女」」と「下流男」が出会わない
 のは両方「おうち系」だからだけではなくて、出会ってもすれ違いに終わる。
 ーー
 中学校の同級生をみていると、最下位5?6人の成績の男達の殆どは
 結婚してないか、しても離婚をしている。そして上位は、それなりの
 社会的な立場になり、離婚の話は聞いていない。育った家庭環境の為
 だろう。「べきことを、べきときに、べくすべし」の積み重ねを
 していたかどうかだろう。

・・・・・・・・・・
2007年06月07日(木)
2256, 定年後の生活費は幾ら?   
              おはよー(((。・-・)从(・-・。)・          
私の年代が定年に突入をはじめた。そこで、その後の平均値はどうなって
いるのだろうか、調べてみたら、平成16年度の総務省家計調査で、
世帯主が60歳以上の無職世帯(二人以上の世帯)の
・実支出の月額は28万。
公的年金を含めた平均現金収入は、22万円。ということは差額の
 6万円は下げるしかないということになる。下げるためには、
小さな家に引っ越すとか、車に乗らないとか、食費を斬る詰めるとか、
 義理を欠くとか、それぞれ割り切るしかない。でも「括り」そのもの
を捨てるには腹をくるしかない。それに対して、(財団法人の
「生命保険センター」の統計では)夫婦で「ゆとりある生活」をする
ためには、月額38万円が必要としている。 それにしても
「ゆとりある生活」をおくるには、あまりに大きな差がある。だったら
「ゆとりある生活」とやらの幻想を捨てて、22万円以下の生活に
甘んじ楽しむようにするしかない。反対に、定年生活者は将来の
不安から、3割は貯蓄にまわすという日本的な国民性があるという。
余裕があるからいえるのだろう。しかし、老後の不安とやらの心理が、
自分の楽しみの壁になる。もう子供も巣立ちをしているし、健康のために
粗食も求めらるから、切り詰めた生活に不満も持たないで貯蓄に励む
滑稽な存在が垣間見られる。子供や連れ添いにとって、これほど
有難いことはないが、アフォバカな哀れな姿でしかない。
一年前のある意識調査で1?が上流、74?が中流、25?が下流
自認しているというから、まだまだ日本は健全の国。 大部分が
中流意識を持っているのは、世界の奇跡?である。まあ、60歳も
過ぎれば食べるものも決まってくるし、車も軽自動車で充分。 
いいようになっている。収入と支出だけが豊かさではない。しかし、
それは最低限が保証された人間が言うこと!でしかないのも事実。
昨日、ネットで注文していた「今日、ホームレスになった」という
本が届いた。毎日のように新潟駅構内で、彼らを目にする。
一人のホームレスの背後に大きなドラマを、想定していたが、
その一端が見えるのだろう。まあ、いずれ死が清算するのだろうが
・・極限に真実が見えてくるから、ついついこういう本を買ってしまう。 
2?3日で読み終わるので、何時でも貸しますよ。 
ところで、取引先の社長、行詰ると寝袋を持って新宿のホームレス
のところに行って泊まってくるという。
何があったかわからないが? 娑婆は面白いところだ!ツクヅク思う。 
「定年後の生活費」から話がかけ離れたが、定年になったらギアを
思い切って変えなければならない!ということか。
                  (○´ω`○)ノ**SeeYou**
・・・・・・・
2006年06月07日(水)
1891, 村上ファンド崩壊の衝撃?2
           おはよ?!(*^ワ^*)i
(以下、字数の関係でカット2009年6月7日)
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2005年06月07日(火)
1526, ディープ・フロート判明

あのウォーターゲート事件(72年)の情報源が米連邦捜査局FBI
の元副長官、マーク・フェルト氏とは驚きだ。情報源については、諸説紛々
であったが、その一人とも目されていたFBI副長官であったとは。
外部からのFBI長官の招聘に対して、第一候補であった副長官の恨みが、
当のニクソンを失脚をさせたことになる。後任の長官に自分が指名される
ことを期待していたが、実際に任命されたのはニクソン大統領側近の
グレー司法次官補。このような因果関係から、フェルト氏が情報提供に
協力する背景にあったのだ。彼はFBI退職から6年後の1979年に著書
FBIピラミッドの内部」を発表し、その中では「ディープスロート
ではないと否定していた。たった一人の怨念が世界を揺るがす大事件に
なったのだ。非常に興味が持たれた真相も、この程度のことであった。
ミステリーのままの方が良かったのだろう。彼の名前も挙がっていたが、
キッシンジャーブッシュ大統領の父親の名前も挙がっていた。 
それにしても、フェルト氏も命がけであったと同時に、ニクソンが窮地に
立たされていくのをみていて快感であっただろう。
ー以下は、あるHPからコピーしたニュースの内容であるー
(以下、字数の関係でカット2008年6月7日)
 
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2004年06月07日(月)
1161, 衛星授業

アメリカのデンバーのあるコロラド州は校内で銃乱射があったところで、
学校に通わせたくない親が極端に増えているという。そこでインターネット・
ハイスクールが注目されてきており、生徒数がアメリカ全体で、もう10数?に
なっているという。ところが、その方が教育効果が遥かに高いということが
わかりはじめ、まてよということになっているとか。実際インターネット・
ハイスクール出身の学力は普通の高校よりはるかに高くなっているという。
そこでは非常にユニークな教えかたをする。 重要なキーワード出てくると
手元にあるパソコンに、「それを調べてみてみてください」という指示がくる
そうだ。 生徒は指示されたと同時に検索で調べる。 そこで、さらに
専門的なキーワードを調べるようにという指示がくる。そしてドンドン
深く問題を掘り下げていくという。十年もしないうちに過半数を超えるのでは
なかろうか。そして日本も似たような状態になることは間違いはないだろう。
予備校や専門学校もインターネット授業が本格的になったきた。代々木ゼミ
とか東進ゼミが取り入れている。英会話もそうだ。講義中心なら、それで
充分である。いやむしろ一流の先生の授業を聴いたほうが効率がよいはずだ。
考えてみたら、高校受験は受験雑誌や参考書を中心に勉強をしていたし、
大学受験は、それに加えてラジオ講座が中心に変わった。
それが、パソコンや衛星TVによる映像に変わっただけだ。
  面白い時代になってきたものだ。

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2003年06月07日(土)
794, 夢とイメージ

 学生時代に3番目の姉が結婚をして、家を建てた時の話である。
その姉は節目ごとに私にノウハウを教えてくれていた。
(小学校5年時の勉強のコツ、中学2年時に具体的な目標のたて方と
挑戦の仕方を教えてくれた)「実を言うとね、この家と庭と旦那との
この生活、ずっと願って心にイメージをしていたの。
それがね、このままいま現実にあるんだよね。夢を持って、イメージ
まで高めなさい。そうすると叶うんだから。
本当に驚いているんだから」と教えてくれた。
今ではポール・マイヤーとか、ナポレオン・ヒルとかの本に詳細に
そのノウハウが本に書いてあるが、当時は新鮮な情報であった。
「なるほど夢を持ち、それを目標に変えて、具体的にイメージ化をして
実行していけば夢が夢でなくなる」と解釈した。建物なら平面図を描き、
次にビルのイメージ画を先に書いてしまうのだ。 女性なら好きな女性の
イメージを頭に描くのだ。しかし世の中には自分の想像を超えた理想の
女性がいることを現実に知った、高嶺の花でしかなかったが。
好きなタイプをイメージ化した為、早めの判断をしないで済んだ。
(ダブルデートで、もう一組が何人も結婚していった)
当時、簡単に一生の伴侶を決めてしまうのが不思議であった。
いま考えると、自分の未来を考えてない人が大部分であった為だ。
私の勝手の見方だったのかもしれないが。 夢のイメージの類の本を
小ばかにして拒否している人がいたら、とんでもないことだ。
夢の実現の方法論として、高度のシステムとして体系化してあるからだ。
特に若い時に、この知識・情報を持っていると人生を効率よく生きることが
できる。全く知らないのと知っているとでは天地の差が出る事は間違いない。
偉人などの自伝を読み、その中で自分を投影して夢を創っていくのが
一般的であるが。もっと割り切った時の方法論である。末っ子は、
つらい反面けっこうノウハウを貰っていたことになる。

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2002年06月07日(金)
430,自分の居場所

誰もが自分の居場所を持っている。逆に居場所がすくないということは、
非常に厳しい状態の時である。自宅の自分の場所、会社の自分の場所、
通勤の自分の場所、日祭日の自分の居場所、全て時間と同時に変わっていく。
20代のある時、ある姉にいわれた。「あなたはすぐ自分の居場所を作り始める。
まず部屋の中に本と椅子と机に本棚に手帳を配置する。そうすると、
そこにあなたの居場所ができあがる。座ると何気なく自分の物を机の上などに
配置する。いつの間にあなたの場所ができている。」その時代だけでなく
何時もそうだった。私だけでなく人間すべてがその筈だ。
 居場所とは、
・自分が一人でいても寂しくないところ
・何かをしていて、自分が生き生きしてるところ
・すわり心地の良いところ
そうすると趣味など、そういえるかもしれない。それをしている時、
それが心の居場所だ。毎朝あげるお経もそうかもしれない。引っ越したら、
別に住まいだけでなく、まずは居酒屋、そして昼飯を食べる店と
自分の座る席。猫でもそれを本能的にあるはずだ、テリトリーとして。

・・・・・・・・・
2001年06月07日(木)
[45] 創業の話

27歳、千葉の千城台で千城ビル建設と養老の滝1122号店の立上げをやった。
準備1年4カ月かかった。その間に一緒に計画に携わった父も亡くなった。
今も忘れられない1973年5月30日であった。11月07日、店の立上げと
ビルの完成でパニックの頂点をむかえた。 地獄!・・・・・
その頃写真を撮っているいる余裕などない、写真日記のそれは千城台
引き揚げたあと、懐かしく行った時に撮った写真である。全く知らない
千葉で我ながらよくやったと思う。この地獄の中で創業のノウハウしっかり
身につけることができたと思う。自らを空にして、おきて来た問題を一つ
ずつ解決していくしかない。その時本能的に相手に両手で拝んでいた。
どういうわけか拝まれると人間引受けてくれるものだと感じた事を憶えている。
軽い気持ちで拝むポーズを時々みると,張りたおしたくなるのそのせいだ。
当時のことを記した文章があるのでコピーをしておく。
また写真も写真日記にコピーしておきます。
ーーーー
ーH0907 養老の瀧1122号店、店長の日々ー
 両親の創業を幼児の時みていて、その厳しさを知っていたつもりで
あったが、いざ自分がその立場に立って、その認識の甘さをつくづく思い
知らされた。千葉の新興住宅地(五万人)の十字路に“貸ビルの建築”と
“養老の瀧オ?プン”と“結婚”という、人生の初体験を同時に始めた。
丁度石油ショックにより高度成長期が弾け、ビルの前の数千世帯の
マンション計画が中止となり、最悪の出発となってしまたった。
そしてオ?プン...!完全にパニック状態!オ?プン人気も含めお客の列!
しかし、こちらは全くの素人である。ビル建築等、他に諸々が重なり、
地獄のような日になってしまった。辛くて、恐ろしくて、一日一日が精一杯、
今考えても、よく持ちこたえたと思う。当初の、2?3ヶ月は朝8時より
夜半の1時までの激務であった。指導員と私とアシスタントの3人の
激しい日々であった。“勤め人”と自営業の立場の大転換がその時おこった。 
それまでは8時間プラス2?3時間、という立場が、“24時間(休んで
いても仕事のうちという)仕事”という立場になった。 サラリ?マンが
事業をおこして大部分失敗するのは前者より脱皮できない為である。
大手ス?パ?の創業期に入社、異常に近い厳しい世界に3年近くいたが...。
その厳しさが全く違うのだ。はじめの数ヶ月は、今日辞めるか明日辞めるか
という位、厳しいものであった。あの空ビルをテナントで埋めなければ、
私の立場が無くなる!という前提があった為乗り越えられたと思うが。
でも不思議なもので、真っ正面より立ち向かっていると、いつの間にか
辛さが辛さでなくなってくる、適応能力が自然についてくるのだ。
ヤクザ、土方、得体の知れない人間に“気違い水=酒”を飲ませているのだ。
それと兎にも角にも全くの無警察状態に近いのだ。そこで自分1人で店を
衛らなくてはならない。酒を飲んだ人間の本当の恐ろしさをそれまで、
ほとんど知らなかったためだろう、命が幾つあっても足らない位の事件が
月に一度はおきた。恐怖の中で1人トイレの中で(他の人にはわからない
ように)震えた事があった。そこで、大きく唸った。そしてお客に対処した
ところ腹が据わったのだろう、お客が逆に竦んでしまった。
“これだ!”と直感した。また店の従業員に前もって、うちあわせを
しておき、お客に怒鳴る変わりに従業員を怒鳴りつけ竦ませたり、
土壇場に立つと知恵がついてくる。ただフランチャイズのシステムは
今でも素晴らしいものであったと思う。標準化、単純化、マニュアル化
がきっちりできあがっていた。創業時の勉強という点で、このシステムは
自らに非常に有効に働いたと振り返って思えるようになった。
                 創業は辛い! 1973.11.07?