つれづれに

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  今日のYoutube

 何かの本に、調査をすると、どの階層の人も、大よそ二割の
収入増だと、満足をすると答えるという。 これは、消費社会の
ため、広告などで、殆ど一杯、使うよう洗脳されていて、ギリギリまで
使っているためという。 今まで、足りないと思ったことも無いし、
使い切れないと思ったこともない。 基本は、普段の生活を
慎ましく、使うときは、割り切って使って、収入以上の
買物をしないためだろう。 年金暮らしになっても、別に
切り詰めることもないし、ただ、大きな買物は控えるだけ。

 時々、机の前に置いてある小さな布袋様と、金持ち長者の
像の頭を撫ぜている。これが、なぜか、効果があるようで、
気持ちが豊かになる。もう、20年以上になるが・・・


・・・・・・
2147, 白い雲に乗って ー2
2007年02月18日(日)
          b(^o^)dおっ W(^O^)Wはー♪
    先日のつづきの夢をみた。
    半分は覚醒をしていたのかもしれない。
    前回の夢が契機になって当時のイメージがドンドン出てくる。
    如何いうことなのだろうか?
    それは57年前の世界そのものである。
    その世界から此方をみている感覚と、此方の世界の感覚の間の塀の上での
    微妙な世界に立っているようである。    
    ーー

  白い雲に乗って再び、その世界(4歳)へ行ってきた。
そこは前回よりリアルな当時の世界があった。
中央保育園の面接があるというので、目新しい服を着せられて、
母の手に引かれて「同じぐらいの小さい子が多くいるところ」に行った。
そこは家から10分ほど歩いた小さな小路にあった。
面接のオジサンがニコニコしながら、色々なことを聞いてきた。
母に前もって聞いていたので、驚くほど上手く答えた。
恐らく入れるだろうと思った。
    家(店)に帰った後、三輪車に乗って前の安栄館というビルの
    同じくらいの友達のところに行った。
    やはり最近できた大きなビルのところの子だ。
    何か遊んでいると楽しい!

その数日後に場面が変わり、幼稚園の合格のしらせがきた。
手紙を待っていたが、何時までたってもこないので、
お母さんが「落第したのかもしれないけれど、そんなことがないはずだが・・」と言う。
ガッカリしていたところ、合格の葉書がやっと届いたが、凄く嬉しい。

    クリスマスの飾り付けのため、二番目の姉の恭子と近くにツリーの飾りを買いに
    二人で行った。大きな雪がフワフワと降っている。
    ツリーに吊るす色いろなものを二人で選んだ。
    小さな家とか、星とか、動物とか、人形などがあった。
    それを袋一杯に買って家に帰って3Fの食堂で飾り付けをした。
    ラジオのクリスマスの音楽を聴きながら、それを他の姉たちと飾りつけた。
    ツリーの電飾がいやに奇麗だ!
    こんな楽しい気持ちは初めてと喜んでいる自分を誰かがみている。
     あれは誰だろう?
    翌日の朝、枕元に箱に入ったサンタの贈り物があった。
    雪が、ドンドン降っていて窓の下は雪で埋まりそうだ。
    
突如、周りを見渡すと誰もいない空間になってしまった。
何処に行ったのだろう、皆は!
白い靄がかかり、その中で恐ろしさが襲ってきた。
目をつぶって白い布団を被った。
  目が覚めると、そこは寝室の布団の中であった。
     
               (o ・д・)ツ  バイ!
 ・・・・・・・・
2006年02月18日(土)
1782, ウオーキング・シューズの話
   
        ((ヾ(*ゝ∀・*)ノ☆゜+オハヨ~゜+.☆
    我が家の玄関にウオーキング・シューズが8足も並んでいる。
    これでも、不燃物ゴミの有料化の前に三足処分している。
    趣味がウオーキングのため、
    チラシなど3~5割セールなどをみるとついつい買ってしまうのだ。
    そして通勤もビジネス・シューズかわりにも履いている。

最近、少しは高めのものを買いだしたが、安いものを買うと
何処か一箇所が磨り減って外出では履きにくくなる。
靴ベラを数回に一度は使わないので、踵のヘリが破けてしまうのだ。
その為に捨てるに捨てられないのだ。
当たり前のことだが、
値段と品質は正比例している。

    先日、散歩の途中に見かける靴修理屋の看板のある店に立ち寄ってみた。
    70歳半ばの頑固そうなお爺ちゃんが、胡散臭そうな顔で修理の値段を
    教えてくれたが、チョッとした直しでも3000~5000円という。
    5000円~12000円の靴の修理には躊躇をしてしまう。
    それなら、チェーン店で新しいのを買ったほうが良い。
                   (*^ー^)/C□~~ コーヒー
近くの100円ショップで踵の修理用の部品を買い、
踵の部分に皮用ボンドで貼り付けて使っている。
最近買った二足に靴ヅレ防止と、靴の傷み防止にと貼り付けている。
張り続けていれば、二倍は長持ちするだろう。    
    10年近く前になるが、一足のウオーキングシューズが気に入って、
    4~5年間、通勤、ウオーキング、旅行に履きっぱなしであった。
    如何いうわけか、どこも擦り切れることが無かった。
    さて最後はどうなったか?
    靴底の中央が磨耗し二つに割れてしまった!
    過去にも先にも初めてで最後であったが、自慢できる話ではない。
    今ひとつ話はそれるが、学生時代にガムを何日間、噛み続けたことがあった!
    最後は融解してしまった。 どうでもよいことか?
                    ε(´',_c')зβyё
・・・・・・・
2005年02月18日(金)
1417, 新シルクロード

 数年前のツアーで、北京からウルムチに飛行機で飛び、
そこからタクマカラン砂漠を眼下にみて、ホータンに渡った。
ホータンからはバスに乗り換えて、シルクロード南道を
一路カジュカルに数百キロ走った。

右にタクマラン砂漠を見ながら何処までも続く道は、25年前に
NHKが放送をした時に見たようなシルクロードの景色が続いた。
荷車を牽いたロバと老人の姿が印象的である。
1980年に放送され、大ブームを呼んだNHKの大型紀行番組
シルクロード」が、25年ぶりによみがえった。
前作では平均視聴率20%を超え、喜多郎のテーマ曲も話題を呼び
シルクロードブームを起こした。当時は遠い遠い異国のイメージであった。

25年後の中国の民主化と、経済発展と、西域での遺跡発掘の進んでいること、
などから新シリーズが企画された。
中共同制作の「新シルクロード」(中国編全10回)として、
この1月から1年間にわたって放送を始めた。
既に二回放送されたが、見ごたえのある内容であった。

一回目は、1980年から放送され大ヒットしたNHK特集「シルクロード」に記録された
映像と同じ地点にカメラを据え、風景の25年間の変化を描いていた。
さらに映し出された人物のその後を徹底的にリサーチ
・天馬のふるさとで撮影された20歳の花嫁は?
・南疆鉄道の機関車運転手は?
カシュガル大バザールの楽器職人一家は? 
と、以前の続編という構成である。
そこには四半世紀を経た現代中国の変ぼうがあった。

第2部ではシリーズの音楽監督を務める世界的チェロ奏者
ヨーヨー・マに焦点を当てていた。
彼は2000年からアジアを中心にした音楽家集団
シルクロード・アンサンブル」を結成、世界各地で公演を行っている。
彼らの活動と民族楽器を多用するテーマ音楽の作曲過程を紹介、
シルクロードという言葉は現代にあっては相互理解を意味する象徴的な
言葉として使用されるべき」という、ヨーヨー・マの考えを伝えていた。

パラグライダーでの低空撮影やCG映像、映画のような再現ドラマなどを活用。
「臨場感あふれる歴史エンターテインメントを目指した」
とプロジュウサーのコメントもあった。

1月2日放送では、
タクラマカン砂漠楼蘭の一角にある4000年前の墓地の遺跡・小河墓の発掘に密着。
約70年前に探検家ヘディンが発見した後、忘れられていた。
それが2000年に再発見され、発掘が始まった遺跡だ。

撮影中に、彫りの深い顔立ちに亜麻色の髪と長いまつ毛を持つ西欧系と思われる
若い女性のミイラが出土した。まだ生きているような美貌には驚いてしまった。
ふた付きのかごを身につけ、中から小麦が出土した。
楼蘭王国以前の推定3600―3800年前のミイラで、
小麦の伝播(でんぱ)の歴史が数百年早まったことになる。

2月14日に放送した2回目は
世界遺産敦煌莫高窟(ばっこうくつ)・北窟の調査や青海湖周辺から
大量出土した絹織物の研究成果も紹介していた。
トルファンのベゼクリク千仏洞では、龍谷大学の協力で、
散逸した「誓願図」の巨大壁画をCGで再現をしたプロセスが詳しく紹介していた。

このような、撮影はNHKではなくては作れない規模である。
準国家放送局も必要ということか。
毎月半ばの放送が一年にわたって続くが、また一つ楽しみが増えた。

・・・・・・・・
2004年02月18日(水)
1050, 客観性ってのは何?

金沢にいた頃(25歳の頃)の話になるが、
「客観的に」という言葉を、よく使っていたところ
「客観的というが、客観的と勝手に思っているお前の主観ではないか?
俺は客観という言葉が嫌いだ」と言われて、ドキリとした思い出がある。
親しかった金沢大学を出たばかりの寡黙の哲学的な男であったから、
なお答えに窮した。それから客観的という言葉を控えるようになった。

「事実」は「客観的事実」と「自己ー主観」にわけることができる?が、
その「客観的事実」も突きつめれば、あくまでも「主観」でしかない。
主観と客観の違いは、あくまでも情報量の比較の世界でしかない。
または自分を隠す手法になるケースが多い。
(多いほど客観的といっているにすぎない)
真理を追究する科学者は、その目指すところは「客観的事実である」
それも、次の真理へのステップでしかない。

この随想日記も、「自己の主観」を第三者の目に曝けだして客観性を
鍛えていることになるが。
今まで書いてきた文章を読みかえして、支離滅裂の内容は自分自身でも
妥協できないものだ。
「自己主張ー主観」が客観的?に充分耐えられことがまず重要になる。
その意味で、常に内省を繰りかえさなくてはならない。

文章化は自己客観化への一歩といってよい。
テーマの内容を起承転結のスジ道をつけることは、脳の機能を有効に使うことになる。
「万物の霊長類である人間の最大の特質は言葉を持った」ことである。
この随想日記を書くようになって、自分の考えをより客観視
出来るようになった。それも55歳過ぎてからのこの三年間である。
書き手としての視点を外と内に向けざるを得なくなったからだ。

随想日記というからには「起承転結]をハッキリさせなくてはならない。
これが思考能力を飛躍的に伸ばしてくれている。
特にインターネットの検索が使えることが最大の武器になった。
テーマさえ決まれば情報はいくらでも取れる。

今まで、社内報の原稿や手紙を書くときは、メモ用紙に下書きして、書き足し
や書き直しをした後に、清書をしていた。
ところが現在は、パソコンに思いついたことを随時書いた後に文章化と添削を
するようになった。これで書く量が飛躍的に増えた。
またパソコンを開けば、そこが書斎になってしまうことで、隙間時間に気楽に
書き込めるようになった。

文章が(紙という物質を媒体をしていたものが)パソコンの画面という非物質の媒体に
なってしまった。気楽に他の文章をコピーをして貼り付けて加工さえ可能になった。
紙から開放されたのだ。これは書き手にとって革命的な大事件である。
文章化が客観性への第一歩なら、ここで飛躍的に変化したことになる。
紙に書くこととワープロでは、自転車と飛行機の差以上であろう。
だから毎日こういう随想日記も書けるのだ。
ここにきて当初の五分の一のエネルギーで済むようになった。

本を出すことを考えている訳でもないし、興味本位で書いているだけでもない。
自転車から飛行機に乗りかえて、今までとは違った視野ができたことの自由さと
一日単位の達成感が味わえるから書いているのだ。
自己慰安が最大の動機かもしれないが。

・・・・・・・
2003年02月18日(火)
685, 値段のカラク

ダイヤモンド価格の話である。
世界で一般にダイヤと金は物質的な価値基準になる。
動乱で最後もって逃げる物質として、コンパクトで便利な塊である。
どこの世界でも通用する。

買った宝石を高価と思っていたが質屋に持っていったら、ぜんぜん値段が
つかないことはよくあることだ。
じつは、宝石の原価には、面白い原則があるという。
全体の値段が高いものほど、原価の占める割合が大きいのだ。

たとえば、100万クラスの指輪だと、原価が20~30万。
ところが、20万だと、原価は1~2万いやそれより以下だ。
宝石は買ったと同時に10分の以下になると考えてよい。

数ヶ月に一回位、5~8割引の宝石などのチラシが入ることがあるが、
あれはゴミ?である。それで満足するのもそれでよいが。
規格外の小さいゴミを飾り立てているのだから、面白い。
20万クラスの宝石が売れた場合、原価が10%だが、
・メーカーが15?
・卸商が25?
・最終の販売店が50?
三越伊勢丹や阪急などの百貨店は、地下の食品で釣って、1~2Fの
宝石・装飾品売り場で、無知の客を吊り上げ詐欺師商法に近い事をしている。

詐欺?を自覚しているから、詐欺るためにあらゆる仕掛けをつくってある。
50?のいや80?の利益を得る為にあらゆる手段を使うのだ。
これしつこくいうが、三越高島屋が実際やっているのだ!
老人を集めて、飯を食べさせて、詐欺同然の商法を今も実際やっているのだ。

十数年前に、ハワイの飛行場の免税店のテナント料が、売り上げの70数?
が報道された事があった。
売れ残りのブランド物を10~20倍の価格をつけて売っているのがばれてしまった。
JTBとか日本旅行が安いツアーで、詐欺同然の店に連れて行って騙して、
原価10%の商品を売りつけていた。

無知という事は、本当にかわいそうなことだ!
今の日本のデフレも、こういう仕掛けが壊れているだけでしかない。
これはデフレというのだろうか?

・・・・・・・・
2002年02月18日(月)
335,読書について

・大学にいってよかったのは、
 「都会の人は本を読んでいる」ことを知ったことだ。
 ー読 書の必要性を学生生活を通して実感
・特に基礎教養としての読書の必要性,
 しかしノウハウ書の重要性も馬鹿にできない
・知識・情報を得る手段として、人間と本そしてラジオ・TV 、
 今はパソコンのインターネットである。
 その価格や内容からみて、まだまだ書物を超えるものは無い。
 「おおよそ500円から5000円」の間でこれだけの情報が
 詰まっていて、手軽にあつかえるのは今のところ他に無い。
・時空を超えていろいろな人と邂逅できる。
 頭の中のバーチャルの世界の触発をしてくれる。
・よい本は自身の中の悪い情報を、どんどん弾き出す働きを持つ。
・特に学校を出てからの読書が大事である。
・学歴でなく、学力が最も重要である。
 その力を効率良くつけるのが読書だ。
 他人の話を聞けない人の特性が「読書の重要性」のわからない人だ。
・一般に言う「井戸端会議のおばちゃん」は、本を読まない人の別称と言える。
 いや蔑称か。
・卒業をしてから大体平均2~3時間は読んできて、この程度の学力だ。
‘子狐’の中に「もしかして全く読んでない自分の姿」をみた時、背筋の寒さを覚えた。

 世間には凄い人が多い、それも過去の人の中に無限に存在している。