つれづれに

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今日のYoutube
http://video.search.yahoo.co.jp/search?tt=c&ei=UTF-8&fr=sfp_as&aq=3&oq=い&p=インコの芸&meta=vc%3D

我が家のマメインコは、回転しか芸がない。必死に鳴声で呼びかけ振返ると、前方宙返りを
10~20回連続して回転し、餌が欲しい場合は餌箱に、外に出たい時は、外付の藁の巣に入り、
そこからだしてもらう。 ガラス戸越しの居間から、どこかに行こうとすると、行って欲しくないのか、
鳴いて回転を始める。 ただ唯一のデモンストレーション。 一週間に一度は、ヒステリックをおこし、
狂ったようにカゴ内を飛び回る。 メキシコインコからしたら、おとなしいが、反応が鈍い。
私たち呼びかける鳴き声のため、カラスや雀、しじゅうがら、鳩などが、サッシの外から様子を見に来る。
 最近、インコがペットとして人気とか。中型以上なら犬並みの知能があり、人に懐く。 


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2005年10月21日(金)
1662, 「人生の実りの言葉」-2
ー運命
この章『運命』冒頭のモンテーニュの「エッセー」の一節がよい。
ー運命はわれわれに幸福も不幸も与えない。ただその素材と種子を提供するだけだ。
それを、それよりも強いわれわれの心が好きなように変えたり、用いる。
われわれの心がそれを幸福にも不幸にもする唯一の原因であり、支配者なのである。ー
自分の人生で、いつも何時もこの心の葛藤があった。
そして、いつも何事も修行と思えば、気分まで卑屈になることはなかった?
何事も、その対処をするに如何考えるかである。
 高見順がガンによる死の前にこういう詩を作った
    電車の窓の外は
    光にみち
    喜びにみち
    いきいきといきづいている
    この世ともうお別れかと思うと
    見なれた景色が
    急に新鮮に見えてきた

    この世が
    人間も自然も
    幸福にみちみちている
    だのに私は死ななければならぬ
    だのにこの世は実にしあわせそうだ
    それが私の心を悲しませないで
    かえって私の悲しみを慰めてくれる
    私の胸に感動があふれ
    胸がつまって涙が出そうになる
                                
       高見順『詩集 死の淵より』
  ーーー
 死に切迫した人間の、ぎりぎりの葛藤から生まれる孤独の詩である。
誰もが身近な人の死に直面した経験があるはずだ。
しかし自分が直面する場合と、それが最愛の人であっても全く違うのは両親を見ていてよくわかった。
母親の心のどこかで、「自分でなくてよかった!」という気持ちがみえた。
そのくらい割り切らないと、最愛の伴侶の死を冷静になって見送ることができない。
死が近くなる実感によって、生が凝縮されてくる。
「人間は死を覚悟した瞬間から死ぬまで、それまで生きた全ての人生を生きる」
という。父の死で、それをま近にみた。死の淵で人間は、過去に生きるしかない。
そして、その全人生を生きるのだ。人間はノタウチマワッテ死ぬかもしれない。
それはそれで、よいのかもしれない。
死という最終の運命が誰にも待ち受けている。それに対して、どう対応できるか?
70歳になると、死が後ろから迫るのでなく前から近づく感覚になるという。
その死に対してただ茫然とするしかないのか。

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2004年10月21日(木)
1297, 原価は一人170万円
毎日新聞の『外国人事件の実情』という、シリーズものの記事によると、「フィリッピンパブや、
外人パブや、性産業に売られる女性の値段は一人当たりの原価が170万円前後。
女は原価の3倍の500万を返すまでは逃げられない」という。
その筋の男の話によると、「タイの女性なら、シンガポールブルネイに寄らせて、
その国の偽造パスポートで日本に入国させる。両国は、日本入国にビザが必要ないからだ。
現地からブローカーが付き添い、例えば上野のホテルで170万円と引き換えで引き渡す。
タイ、フィリッピン、台湾、コロンビア・・・。
女性の国籍はさまざまだが、値段の原価は一緒である。取締りの厳しい時は、品不足になり、高くなる。
売春の値段は大体、泊まりで3万が相場で、早い娘で3ヶ月で返す娘もいる。
その後は儲けになるから、悲壮感は無い」とか。一方で、「同じ地域の出身者を一箇所に集め、
逃げたり通報した場合、どの家の娘か分るようにして、ブローカーから家族から取り立て
出来るようになっている」という。バブル華やかな頃、何回かフィッリピン・パブに行ったことがあった。
そこは、ただ遊びに行くコースと、口説いて店の外で売春をするコースがあると聞いていた。
ただ会話が面白く、陽気で、何ともいえない異国情緒が良かった。
それと、一生懸命、接客してくれるのが良かった記憶がある。
ところが最近になって、殆んど暴力団が背後にあると知った。
彼女等は、こういう値段で仕入れられていたとは、また日常的に売春がおこなわれていたことも、
この記事を読むまで知らなかった。バブルの崩壊とともに、そういう店が激減したようだが。
こういう記事が出れば出るほど、こういう店は激減するだろう。いや、しないか?

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2003年10月21日(火)
930, 自己責任の時代
 今日、ある見積もりの結果を見たら、77万円と240万の二つの結果であった。工事関係は
素人が餌食でしかないのだろうか。当事者が解ってやっているのか、どうかも問題であるが。
 今のホテルを創めるとき、客室掃除の下請けの見積もりをとった。
五社から見積りをとったが、最低が月67万で最高が280万。凄い世界を垣間見た思いをした。
 建設業界は業界そのものが、こういう恐ろしい世界である。
いま道路公団総裁が首を切られそうなり、自民党の癒着の暴露を脅しにして、
情けない醜態を見せている。今までの官僚社会主義世界の暴露と、自民党の利権汚職構造を
露呈してをしてくれるから!、面白いといえば面白い。
 奇麗事で人間信頼の経営などというと、こういう手あいが工事で入り込む。社員もだが。
ホテルの創業時には二代目の??ビル管理の専務が、二倍の見積もりを持ってきた。
小ばかにしたような面をしていた。世間様の世界に、だまさて二倍の経費をかけるか、
シビアにやるか?当然後者でやるべきである。いや前者だというのが、いまだ地方世界で
まかり通っている。地方ー痴呆の崩壊は当分続いて当たり前である。
 いま、マンションをつくらせ、「入居保障の殺し文句」で詐欺に近い商法をしている会社があるが。
「つりの計画書」も素人騙しそのものである。倒産した「ジュエリーをいつでも買い戻すといって
販売道具にして倒産した」詐欺宝石会社より性質が悪い。
「断言してよいのか?」と思われるかもしれないが、事実だから問題はない。
ある人がマンションビル計画の提案に「入居保障が不可能の場合はどういうケースですか?」の問いに、
「当社が倒産した時」と答えたと言う。こんな営業保障は、当然行き詰るに決まっている。
 株式の四季報でみると減資をしたり、内容が滅茶苦茶! 月に一度は自宅に営業から電話がかかってくる。
義弟にも電話があるという。それもしつこく何回もあるという。ジュエリーの詐欺販売の世界と全く同じ。
これだけもっともらしく広告を出して、よくやるよ!という世界である。
素人に、この手あいを見抜くには限界があるはずである。「マルコー」という会社が以前、違う形で
詐欺的商法?でマンション販売をして倒産。その会社が成長真っ盛りの時に、周囲に「あれは詐欺世界!」
と言たが、誰も「まさか!」という顔をしていた!

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556、一秒一円の価値
- 2002年10月21日(月)

[時は金なり]というが、人生という意味でわかり易く考えてみよう。
一秒一円で一生を80年とすると何と25億円になる。
時給1000円のアルバイトとすると、一生で換算すると7億円だ。
時間をお金に置き換えるのはおかしいが、わかり易く考えるに丁度よい。
高利貸しや銀行はその事を一番知っており、借りる方はその事を一番解ってない。
海外旅行は大体の目安が一日3~4万、実質滞在日が4~5万円である。
一年を一秒に圧縮すると、一年前が3153万年前になる。
数年前に恐竜がいたことになる。150年前が地球誕生、400年前がビッグバンになる。
人生を考える時に一日に圧縮して考える事がある。昼の12時ですでに40歳で、60歳で
夕刻の6時である。そうすると私は17時半あたりになる。このテーマとは関係ない事だ。
製品もグラムあたりで値段を読む事がある。鉄が安い象徴で、パソコンの半導体が高単価である。
人生で感動の場面は金かプラチナの価値、平凡な日々を銅か鉛と例えると、可能な限り
そういう場面を求めていった方がよい事になる。
芸術や大自然に可能な限り触れ感動のシャワーを浴びる事だ。

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[193] まだ生きている!ー漂流
2001/10/21
もう古い?話になったが、数ヶ月前に
「33日の漂流の後、奇跡的に助かった漁船の船長」がTVに出ていた。
「スイカが流れてこないかなーとか、おや今日も生きているとか、
なかなか死なないもんだとか、ぼーと考えていた」このような一つづつが奇跡の原因らしい。
イカが流れてこないかなーはプラス発想、なかなか死なないもんだは生に執着しない、
おや今日も生きているのかというは、事故(自己)の客観化、一人者で、一人船長で、
待っている家族もないのも諦念にあったのだろう。
10年位前ののヨットレースの佐野某の漂流記を読んだことを思い出した。
鴎をを捕まえて食べていたらしいが、一種の死の瞬間の倒錯?がすごい。
「乗っているボートごと垂直に数百メートル昇っていった」という。
「それは夢でもない事実としかいえない出来事だった」という。
かれは手記で今でも絶対に事実と信じていると強調していた。
 ユングがそれに似た経験をしている。瞑想をしていてそのまま天に上るくだりである。
インドの上空をどんどん昇っていく、インドの国の地形,青い海,そして地球が見えたという。
それがそのずっと後,宇宙飛行士が見た光景と同じであった。
 中世では人肉を食べた内容が克明に残っていたりした。
子供の時読んだジョン・万次郎を思い出した。