つれづれに

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 昨日の天候は一日、大荒れだったが、今日は少し落ち着いている。
早朝の寒さは格別だが… 何とか起きて、パソコンの前に座っている。




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3616, 忘却の整理学 ー2
2011年02月18日(金)
       「 忘却の整理学 」外山滋比著
この随想日記は、私の「忘却のための整理法」である。 本来、ノートやメモを取るのは忘却をした後に
再び思い出すため。これを書きアップすると、次に出あうのは翌年の同月同日になる。一度記録としてまとめると、
毎年必ず出会うことができる。もう一つの分類コーナーの検索で、思い出したいキーワードを入力すると、過去の
記録が羅列して出てくるから電脳そのもの。そのためアップした文章は、その瞬間には綺麗さっぱり忘れてしまう。 
誰かと雑談をしていて、読み手が書いた内容を憶えいて、書いたばかりの話をすると「そのことは、先日、書いて
ありましたよ」と不思議そうな顔をする。忘却は知的メタボリック症候の回避に有効になる? 一度まとめ、
そして忘却の過程を踏む繰り返しは、新鮮な情報、知識に対する感度は高めてくれる。 起承転結の文章として
書き上げることは、電脳としてのパッケージ化になり、安心して忘却が出来る。
-P31の部分が、忘却と記憶の関係を分かりやすく説明している。―
≪ 記憶はなにもかもすべて覚えようとする。それに対して、忘却は、成功したところ、よいところだけをのこし、
よくないところ、失敗したことが、後に尾をひいて繰り返されないように、取り払ってくれるのである。もし、
失敗した経験がいつまでも生きていれば、何度も同じミスを繰り返すことになって進歩は望めない。よいところだけ
残し、悪いところは廃棄してしまう忘却は、進歩、上達、学習の重要な原則のはずである。 学習においても、
記憶ばかり問題にするのは適当でない。 上達、進歩を支えるのは、後退、失敗の部分を除去する忘却のはたらきは
きわめて大きい。これまでほとんど注目されることもなく、わけもなく、忘れるな、よく覚えておけなどと言われて
きたのは不当である。実に長い間、というより、歴史のはじめからずっと、忘却は故なくして汚名を受けて泣いて
いたと言ってもよい。 記憶が陽であれば、忘却は陰である。陰がなくては陽は陽たることができないはずである。
記憶が活動し成果をあげるには、陰の存在、忘却が不可欠である。両者が協同してはじめて健全な学習、習得ができる。≫
ー忘却の前に、しっかりした記憶こそ大事。人生の前半に職業の変転で、多くの経験をしてきたが、その都度、総括
をして、その記憶を革の袋に入れるイメージにして置いた。だから、あまり人生を振り返ることは最近までなかった。
しかし、数年前から、その革袋から、思わぬ記憶がフラッシュのように飛び出てくる。それも悪くはないが、
後ろ向きである。忘却の彼方の記憶も、何とも抽象的で味わいがある。 ボロボロで途方にくれていた、
あの時の記憶が光り輝いてよぎる。
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3251, 新・マネー敗戦 -2
 2010年02月18日(木)
  * ドル一極の世界通貨システムの崩壊
「既存の赤字を埋めるには更なる借金をしなければならない米国は、特に90年代以後、製造業を切り捨て
金融大国に変貌し、借金をし続けた結果、米国の公的債務残高はいまや64兆ドル(6000兆円)とも言われている。
現段階ですでに支払い不能は明らか。 米国にとっては、都合のいいときにドルの価値を高め、各国から投資
資金を呼び込み、ある程度借金が膨らんだところでバブルで弾けさせドルの価値を下げ、借金を実質損として
計上できれば、最も少ない金額を支払えば済む。借金体質の米国にとって最も必要なものは、ドルの価値の
大きな継続的な上下である。だが、1971年にドルと金との交換を中止して以来、これを利用した米国の資金集めと
借金棒引きシステムも限界にきた。 金の裏付けをなくしても、これまでは原油という枯渇燃料で価値を保って
きたドルだが、それも各国の原油決済通貨のシフトがユーロなどで行われる現在、米ドル需要減退は時間の問題。
現存する借金をなるべく多く踏み倒すために、米国は同じようにドル暴落を図るしかない」 
ーー
世界の国々は長年、汗水流して貯めた資金の価値を一方的に減額されるのだから変になるが、紙切れしか
発行してないアメリカ本体は、何の問題はない。 そこで金本位制度に戻るか、何割かの金の交換を約束する
部分金本位制度にすればよい。それを見越して、彼等は大量の金を持ち続けていた。しかし日本政府には強力
な圧力で最小の金保有しか認めなかった。 現在でも、アメリカの10分の1以下である。 2001年の9.11テロ
の数ヶ月前に、スイスフランが事前に予知した??が大量に買いに入っていたと著者の岩本は書いている。
 陰謀説は、その辺から出ている。 テロ筋が、スイスフランを買っていたのを察知した金融筋が、それに便乗
したか、それとも為替差損の利益を狙った金融筋がテロを動かしたのか?得体の知れない魑魅魍魎の世界である。 
アメリカの経済学者が公然と、「アメリカの一極支配はソ連・東欧の崩壊と同時に始ったが、まだ序盤である。
金融恐慌とはいえ、圧倒的な海軍を持つアメリカの軍事力がある限り牙城が崩れることなどない!」と断言して
いたのには驚いた。 いまなお、世界はアメリカの手中にあるのだろうか? 
それとも、リーマンショック世界恐慌を引き起こしとことで、大きく弱体化したのだろうか?
これでは、紙切れで原油をかすみとられるアラブの怒りも分からないでもない。イラク戦争も、
ドル一極体制を守るためだった。 今回も、アメリカを除く世界中がマネー敗戦になる。 そう考えると
アメリカこそが諸悪の根源?ではないか。ゴールドマンサックスなど焼け太り.北朝鮮など可愛いもの?
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2876, オバマはグランドキャニオンを直視できるか
2009年02月18日(水)
現代思想」ー金融恐慌特集ー の中の「オバマはグランドキャニオンを直視できるか」
 マイク デイヴィス著  の例えが奇抜だが分かりやすい。
 ーまずは、その概要からー
1540年、初めてグランドキャニオンを見下ろした欧州人のカルデナスが、その景眺望に恐れをなして
後ずさりをして、逃げ帰ったという。その三世紀後に、次に見たアメリカ陸軍のイヴスも二回遠征して、
「殆ど凝視に堪えないほどの恐怖」という報告をしている。要は二人とも自分たちが観たものを理解でき
なかった。その後の南北戦争の英雄と地質学者や画家のチームが、コロラド川に取りつかれるが、
その時に初めて、グランドキャニオンは的確に描写されるようになった。数年かけた調査によって、
グランドキャニオンを受け容れる概念が出来たのである。遠く隔たった時間をかけて、想像を絶する
景色を受け入れることが出来たのである。現在の金融恐慌をグランドキャニオンを探検した人々のように、
我われが今回の金融危機を、これまで持っていた理解力を乗り越えることが出来るだろうかと、問題提起。
そしてオバマが今回の危機を直視が出来るのだろうか?と・・
オバマのプランといえば、「社会主義」ではなく、「超資本主義」であり、その中味は、
「少数の巨大銀行に信用を集中して、その大部分を政府系ファンドによって、制御するもの」である。
オバマは、知的にも政治的にも、クリントン主義の気乗り薄な継承者でしかない。
イラクの撤退の替わりにアフガンとパキスタンでの部族戦争を加速する抵当権を設定しただけである。
そして、彼の理想主義が失敗すれば、チェイニーやカール・ロープ、あるいはもっと邪悪な権化が舞い
戻る可能性がある。
 -以上だが、
アメリカの商務大臣を一度受け入れた二人が、たて続きに就任直前に急遽辞退した。 恐らくグランド
キャニオンを、この経済危機の中に見たのだろう。 人類が過って経験をしたことのない、深刻な広さと
深さを見れば誰も後ずさりをする。今度の恐慌は直視しても対策が限られているために、その火の手は
簡単に消すことが出来ない。今年から3~5年間は、深刻な大火災が世界中を燃え上がることになる。
その火は、世界中の国家権力を総動員をしても消し去ることは不可能。
燃え尽きるまで待つしかないから深刻なのである。肌の色?だけでは、消火は無理である。 
自業自得と他山の石として眺めている場合ではない。歴史的日々が続く。
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2008年02月18日(月)
 2511, 黒柳徹子 -2              。・∀・)ノ゛おっは~
 誰でも黒柳徹子のように「好きなことだけをして生きたいが、それが出来ないから苦労するじゃないか?」
という声が聞こえてきそうである。で、どうだろうか?これは自分のこれから自問自答の死ぬまでの問い
かけとして、付きまとう人生に対する影の声になる。「上を見ればきりがない。下を見れば底がない、
横を見れば情けない」という内語と同じ内容である。仕事でも趣味にでも好きなことを見つけただろうか?
見つけたなら、他人のことを羨むこと比較することはないはず。彼女の次の問いかけは人生の先輩として
の真実の声として、よい指標になる。
 --
 胃腸が人一番強かったのが、幸運だった。いつも食べることを考えてきた。いま考えているのは、
足を、どうしたら、今のままで、百歳まで、保てるのか、ということ。これは、ジャイアント馬場さん
亡くなる前に、『徹子の部屋』で、「あなたは百歳まで生きたい
 (字数制限のためカット 2010年2月18日)
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2007年02月18日(日)
2147, 白い雲に乗って ー2       b(^o^)dおっ W(^O^)Wはー♪
先日のつづきの夢をみた。半分は覚醒をしていたのかもしれない。前回の夢が契機になって当時の
イメージが出てくる。如何いうことなのだろうか? それは57年前の世界そのものである。 その世界
から此方をみている感覚と、此方の世界の感覚の間の塀の上での微妙な世界に立っているようである。    
 ーー
白い雲に乗って再び、その世界(4歳)へ行ってきた。そこは前回よりリアルな当時の世界があった。
中央保育園の面接があるというので、目新しい服を着せられて、母の手に引かれて「同じぐらいの小さい子
が多くいるところ」に行った。そこは家から10分ほど歩いた小さな小路にあった。面接のオジサンが
ニコニコしながら色々なことを聞いてきた。母に前もって聞いていたので、驚くほど上手く答えた。
恐らく入れるだろうと思った。家(店)に帰った後、三輪車に乗って前の安栄館というビルの同じくらい
の友達のところに行った。やはり最近できた大きなビルのところの子だ。 何か遊んでいると楽しい!
その数日後に場面が変わり、幼稚園の合格のしらせがきた。手紙を待っていたが、何時までたっても
こないので、お母さんが「落第したのかもしれないけれど、そんなことがないはずだが・・」と言う。
ガッカリしていたところ、合格の葉書がやっと届いたが、凄く嬉しい。クリスマスの飾り付けのため、
二番目の姉の恭子と近くにツリーの飾りを買いに二人で行った。 大きな雪がフワフワと降っている。
ツリーに吊るす色いろなものを二人で選んだ。小さな家とか、星とか、動物とか、人形などがあった。
それを袋一杯に買って家に帰って3Fの食堂で飾り付けをした。ラジオのクリスマスの音楽を聴きながら、
それを他の姉たちと飾りつけた。 ツリーの電飾がいやに奇麗だ!こんな楽しい気持ちは初めてと喜んで
いる自分を誰かがみている。 あれは誰だろう? 翌日の朝、枕元に箱に入ったサンタの贈り物があった。
雪が、ドンドン降っていて窓の下は雪で埋まりそうだ。 突如、周りを見渡すと誰もいない空間に
なってしまった。何処に行ったのだろう、皆は!白い靄がかかり、の中で恐ろしさが襲ってきた。
目をつぶって白い布団を被った。        (o ・д・)ツ  バイ!
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2006年02月18日(土)
 1782, ウオーキング・シューズの話
(字数制限のためカット 2010年2月18日)
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2005年02月18日(金)
 1417, 新シルクロード
 数年前のツアーで、北京からウルムチに飛行機で飛び、そこからタクマカラン砂漠を眼下にみて、ホータン
に渡った。 ホータンからはバスに乗り換えて、シルクロード南道を一路カジュカルに数百キロ走った。右に
タクマラン砂漠を見ながら何処までも続く道は、25年前にNHKが放送をした時に見たシルクロードの景色が続いた。
荷車を牽いたロバと老人の姿が印象的である。1980年に放送され、大ブームを呼んだNHKの大型紀行番組
シルクロード」が、25年ぶりによみがえった。前作では平均視聴率20%を超え、喜多郎のテーマ曲も話題
を呼びシルクロードブームを起こした。当時は遠い遠い異国のイメージであった。25年後の中国の民主化と、
経済発展と 西域での遺跡発掘の進んでいること、などから新シリーズが企画された。日中共同制作の
新シルクロード」(中国編全10回)として、この1月から1年間にわたって放送を始めた。
既に二回放送されたが、見ごたえのある内容であった。 
 (字数制限のためカット 2011年2月18日)
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2004年02月18日(水)
1050, 客観性ってのは何?
金沢にいた頃(25歳の頃)の話になるが、「客観的に」という言葉を、よく使っていたところ
「客観的というが、客観的と勝手に思っているお前の主観ではないか?俺は客観という言葉が嫌いだ」と言われて、
ドキリとした思い出がある。親しかった金沢大学を出たばかりの寡黙の哲学的な男であったから、なお答えに窮した。
それから客観的という言葉を控えるようになった。 「事実」は「客観的事実」と「自己ー主観」にわけることが
できる?が、その「客観的事実」も突きつめれば、あくまでも「主観」でしかない。主観と客観の違いは、あくまでも
情報量の比較の世界でしかない。または自分を隠す手法になるケースが多い。(多いほど客観的といっているにすぎない)
真理を追究する科学者は、その目指すところは「客観的事実である」それも、次の真理へのステップでしかない。
この随想日記も、「自己の主観」を第三者の目に曝けだして客観性を鍛えていることになるが。
今まで書いてきた文章を読みかえして、支離滅裂の内容は自分自身でも妥協できないものだ。「自己主張ー主観」
が客観的?に充分耐えられことがまず重要になる。その意味で、常に内省を繰りかえさなくてはならない。
文章化は自己客観化への一歩といってよい。テーマの内容を起承転結の筋道をつけることは脳の機能を有効に使う
ことになる。「万物の霊長類である人間の最大の特質は言葉を持った」ことである。この随想日記を書くように
なって、自分の考えをより客観視出来るようになった。それも55歳過ぎてからのこの三年間である。書き手と
しての視点を外と内に向けざるを得なくなったからだ。 随想日記というからには「起承転結]をハッキリさせ
なくてはならない。これが思考能力を飛躍的に伸ばしてくれている。特にインターネットの検索が使えることが
最大の武器になった。テーマさえ決まれば情報はいくらでも取れる。 今まで、社内報の原稿や手紙を書くときは、
メモ用紙に下書きして、書き足しや書き直しをした後に、清書をしていた。ところが現在はパソコンに思いついた
ことを随時書いた後に文章化と添削をするようになった。これで書く量が飛躍的に増えた。 
またパソコンを開けば、そこが書斎になってしまうことで、隙間時間に気楽に書き込めるようになった。
文章が(紙という物質を媒体をしていたものが)パソコンの画面という非物質の媒体になってしまった。
気楽に他の文章をコピーをして貼り付けて加工さえ可能になった。紙から開放されたのだ。これは書き手にとって
革命的な大事件である。文章化が客観性への第一歩なら、ここで飛躍的に変化したことになる。
紙に書くこととワープロでは、自転車と飛行機の差以上であろう。だから毎日こういう随想日記も書けるのだ。
ここにきて当初の五分の一のエネルギーで済むようになった。 本を出すことを考えている訳でもないし、
興味本位で書いているだけでもない。自転車から飛行機に乗りかえて、今までとは違った視野ができたことの
自由さと一日単位の達成感が味わえるから書いているのだ。自己慰安が最大の動機かもしれないが。
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2003年02月18日(火)
685, 値段のカラク
ダイヤモンド価格の話である。世界で一般にダイヤと金は物質的な価値基準になる。動乱で最後もって
逃げる物質として、コンパクトで便利な塊である。どこの世界でも通用する。買った宝石を高価と思って
いたが質屋に持っていったら、ぜんぜん値段がつかないことはよくあることだ。じつは、宝石の原価には、
面白い原則があるという。 全体の値段が高いものほど、原価の占める割合が大きいのだ。たとえば、100万
クラスの指輪だと、原価が20~30万。ところが、20万だと、原価は1~2万いやそれより以下だ。宝石は買った
と同時に10分の以下になると考えてよい。数ヶ月に一回位、5~8割引の宝石などのチラシが入ることがあるが、
あれはゴミ?である。それで満足するのもそれでよいが。規格外の小さいゴミを飾り立てているのだから、
面白い。20万クラスの宝石が売れた場合、原価が10%だが、
・メーカーが15パー  ・卸商が25パー  ・最終の販売店が50パー
三越伊勢丹や阪急などの百貨店は、地下の食品で釣って、1~2Fの宝石・装飾品売り場で、無知の客を吊り
上げ詐欺師商法に近い事をしている。詐欺?を自覚しているから、詐欺るためにあらゆる仕掛けをつくってある。
50?のいや80?の利益を得る為にあらゆる手段を使うのだ。これしつこくいうが、三越高島屋が実際やっている!
老人を集めて、飯を食べさせて、詐欺同然の商法を今も実際やっているのだ。十数年前にハワイの飛行場の
免税店のテナント料が、売り上げの70数?が報道された事があった。売れ残りのブランド物を10~20倍の価格
をつけて売っているのがばれてしまった。JTBとか日本旅行が安いツアーで、詐欺同然の店に連れて行って
騙して、原価10%の商品を売りつけていた。無知という事は、本当にかわいそうなことだ!
今の日本のデフレも、こういう仕掛けが壊れているだけでしかない。これはデフレというのだろうか?
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2002年02月18日(月)
 335,読書について
・大学にいってよかったのは、「都会の人は本を読んでいる」ことを知ったことだ。
  ー読書の必要性を学生生活を通して実感
・特に基礎教養としての読書の必要性、しかしノウハウ書の重要性も馬鹿にできない
・知識・情報を得る手段として、人間と本そしてラジオ・TV、今はパソコンのインターネットである。 
 その価格や内容からみて、まだまだ書物を超えるものは無い。 「おおよそ500円から5000円」
   の間でこれだけの情報が詰まっていて、手軽にあつかえるのは今のところ他に無い。
・時空を超えていろいろな人と邂逅できる。 頭の中のバーチャルの世界の触発をしてくれる。
・よい本は自身の中の悪い情報を、どんどん弾き出す働きを持つ。
・特に学校を出てからの読書が大事である。
・学歴でなく、学力が最も重要である。その力を効率良くつけるのが読書だ。
 他人の話を聞けない人の特性が「読書の重要性」のわからない人だ。
・一般に言う「井戸端会議のおばちゃん」は、本を読まない人の別称と言える。いや蔑称か。
・卒業をしてから大体平均2~3時間は読んできて、この程度の学力だ。
‘子狐’の中に「もしかして全く読んでない自分の姿」をみた時、背筋の寒さを覚えた。
   世間には凄い人が多い、それも過去の人の中に無限に存在している。