つれづれに

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 ワールドサッカーが終わると、高校野球の地方大会が始まった。
そしてプロ野球のオールスターが開催され、・・・と続き、
高校野球の全国大会、お盆になっていく。


・・・・・・
2295, 中島義道の「池田晶子」追悼文 -1
2007年07月16日(月)
            ・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ○〕  
 自ら書いているように奇人変人の哲学者の中島義道が、池田晶子と知り合いであり、
彼女への追悼文を、ある月刊誌の中で見つけて驚いてしまった。
この随想日記も中島は何回か取りあげてきたが、その奇人ぶりには読んでいて、
あきれていた。唯我独尊で、ただへ理屈?を並べ立てている姿、誰かに似ている。
かた方の変人の雄の池田と知り合いで、その追悼文を書いていたとは!
中島にしては、前半はシンミリとした感じであった。
何か自分に劣らない奇人の死に戸惑っているようだった。 
 中島は池田を哲学者と認めてないようで、哲学者でも哲学研究者でもなく、
著述業として切り捨てているところが、彼らしい。
昨年から池田晶子にはまってしまっているが、亡くなったことで更に、
もう一歩踏み込んでいる。とにかく根源的で、純粋であるのがよい。
その彼女の姿を中島がどの様に見ていたかを知るのは面白くないわけがない。
 哲学者の間では彼女は無視された存在であり、著述家としてしか、
見られてなかったようだ。哲学者にとっては哲学用語を一切使わないのは、
それだけで、相手にされなかったのだろう。
初心者向けに絞って、哲学みたいな文を書いている女とみられていたようだ。
 前半は、中島が見た池田の哲学学者仲間としての心象。
後半は、中島独特の批判で構成されている。
  まずは、前半の中島の彼女の心象から・・・
 ー 月刊・新潮45-2007年・5月号ーより  P-152
ーー
池田晶子さんが亡くなった。四十六歳の若さである。
新聞報道は三月二日の読売新聞が最初だが、私は翌三日の朝日新聞社会面で知った。
昨年末、新潮社の編集者と忘年会と称して呑んだとき、彼女が癌を患っていることは
聞かされていた。その口ぶりから、末期ということはわかったが、
こんなに阜く逝くとは思わなかった。ショックはないと自分に言いきかせていたが、
その日大学にいても彼女のことばかりを考えて過ごした。
いままで意図的に避けてきたが、ある種の独特の形で哲学に携わった彼女に対する
自分の気持ち(評価)をごまかすことなく語ってみようと思う。

池田さんとは四、五回会っている。はじめは十五年以上も前のことであるが、
(いま慶応大学の教授である)斎藤慶典さんが「おもしろいことを書く人が後輩にいるから」
と「大森先生を囲む会(略して「大森会」)」に連れてきたのだ。
池田さんは例会の日に、教室の入り口でそっとお辞儀をして入ってきた。
そのころ彼女は三十歳位であり、とびきり美人であることは誰の眼にも明らかだったが、
そこにいた参加者たちはまったく無視していた。
水玉の(?)袖が長めの白っぽいワンピースを着ていたように記憶している。

池田さんは、当時まったく哲学仲間のあいだでは知られておらず、
まだ本を二冊書いた程度であったから、世間的には、ほぼ無名であった。
そこには、永井均、野矢羨樹、飯田隆、丹治個治、・・・など、
いまや日本哲学界を担う人々が決集していたが、当時彼らは哲学界という
狭い世界の中では評価されていたが、誰も世間的には有名ではなかった。

永井さんが有名になったのは『〈子ども〉のための哲学』あたりからであり、
それが講談社のPR誌『本』に掲載されていたとろから評判であった。
そして、一九九五年の夏に『ソフィーの世界」が大ペストセラーになると、
相前後して出版界は「哲学ブーム」という軽薄な掛け声と共もに浮かれ出し、
池田さんの『帰ってきたソクラテス」(新潮杜)、
永井さんの『ウィトゲンシュタイン入門」(ちくま新書)、
木田元さんの「反哲学史」など、それぞれ部数を仲ぱした。・・・(中略)

池田さんは、例会のあと渋谷での呑み会にも時々参加した。
何を話したかすっかり忘れたが、彼女としぼらく話し込んでいると、
丹治君がまん前に座り込んで、しげしげと二人を見比べ
「やっぱり綺麗っていいもんだねえ」と言った。私がそのあとを受けついで、
「池田さんの欠点は、綺麗すぎる乙とレと言うと、彼女はのけぞっで笑い
「そうなの、中島さん~!」と言って、私の膝を,ハシヅと叩いた。・・・(中略)

ある日、呑み会のあとで、数人を彼女の行きつけのバーに連れて行ってくれた。
彼女は真紅のツーピースに銀の靴を履いて、(私の正直な印象なのだが)
マネキンのように綺麗だった。
挟い階段を上がって薄暗い郎屋に入り一番奥のソファーに陣取った。
そこで野矢君が
「池田さん、自分で問いを出して自分で全部答えているから、読者は必要ない」
と言ったら、ふんふんと頷いていた。
田島君がカフカについて話していたのをぼんやり覚えている。
池田さんが「私、街を歩くとき、いつも耳栓しているの」と言ったことも覚えているから、
たぶん私は後に『うるさい日本の私』(新潮支庫)として刊行される騒音の話をしていた
のであろう。

何回目の大森会か記憶が定かではないが、帰りがけに駒場東大前の駅で、
ごそごそ鞄の中から、彼女の著書『事象そのものへ!』を取り出して、
「中島さん、法蔵館っでずるい会社だから、出版してはいけませんよ」といった。
私が彼女かららもらったのは、これと『考える人ーロ伝西洋哲学史」(中公文庫)だけ。
ふたりともその後著述業で忙しくなると、お互い一切の関係をもたなくなった。
やがて破女は大森会にも参加しなくなった。これも、自然の成り行きだと思う。
 ーー                         ーつづく
    彼女の文章からは、こういう姿は窺い知れない。
    どの世界も大変である。    
                       ヾ(。・v・。)【バィバィ】
・・・・・・・・・・
2006年07月16日(日)
1930, 二つ目のブログ
               ( ̄▽ ̄;)!! オハヨウ!               
新しいブログを二つ開設した。
一つは、このHP上に貼り付けてある海外旅行の写真ブログ。
いま一つは堀井宗親というペンネームで400年前の霊が私の脳を通して話す方式をとっている。
毎朝書いているモーニングページに現れた 霊ー着想であるが、出てきてから二週間経つ。
「霊界からの訪問者」とは、面白そうなネーミングである!                
 別人格のように自分の発想を超えて話しかけてくる。
今までは父親や母親の霊を呼び出して話しかけても直ぐに消えてしまう。
ところが、このご先祖様・四四太郎の霊に誘導してもらい、
一緒に話す形式をとると今までは直ぐに消えた両親などの対話が、延々と続くから不思議。
亡くなった恩師も何人かと同じように誘導をしてもらって話をしてみたが、
成る程どこまでも話が途絶えない。
以前、考える手段として死者でも生者でも、その人のイメージを持って
(その人をイメージをして、後ろから自分が入り込む)考え事をした。
思わない着想が出て驚いたが、しかし長続きはしなかった。
これからは、このご先祖様の霊に誘導してもらい、介添えをしてもらえば、
数倍も効果があるだろう。現実に何人の霊?の中に入ってみた!
おまえ馬鹿か?と思われるが、本を読みながら考え事をしていると同じことになる。
思考形式の一つとみればよい。       ( ̄▽ ̄)■]~~~ 珈琲TIME♪             
 以前、芹沢光次郎の「人間の運命」のシリーズを読んだことがある。
14巻のシリーズで10巻までは読んだが・・・
天理教の教祖がある人に降りてきて、その霊と対話する小説。
「文学は 物言わぬ 神の意思に 言葉を あたえることである――」
というとおり、信じ難い物語が美しい文章で綴られていた。
 90才までの人生をあらためて振り返りながら、
次々と新たに起こる不思議な体験-天理教の存命の親さまとの出会い、
神の世界と死の世界への訪問、大自然の親神の人間への思惑等、
フィクションなのかノンフィクションなのか、
 読んでいて、気味が悪くなるようなストーリーであった。
これを続けていると、それに近い状態になる可能性がある。
人間の運命は、天理教の教祖様と大文学者の組み合わせ。
こちとらは、地方の小企業の親爺と元地侍の百姓?組み合わせ。
まあ、それぞれ違っているから面白いといえば面白いだろう。
だいたい比べること自体が、オコガマシイが・・・
 多重人格者になるのか心配になり、調べたが全く違うものである。
気晴らしのお遊びとは違うようだ。
自分の本質を擬人いや、擬霊化して自問自答をすることになるからだ。
モーニングページを続けていると何か思わない着想が出てくると思っていたが、
まず第一弾はご先祖様の出現である。
 驚いたのはアクセスが2日で130以上もあったことだ。霊お宅が多いんだ! 
霊霊というけれど、人間は生きているときは魂に心を包んでいるけれど、
 それ全体は霊といえば霊じゃないか?
書き残した言葉は数千年、数百年の時空を通して我われに語りかけてくる
・・それを霊と言ってもよいはず?ジャありませんか。 まあ遊び!いや・・                       
 ブログ一つぐらい持ったほうが良いよ!
これでHPを含め三つも持っている本人が言っているのだから、間違いございません!
大した材料がないのも解るけど、それで良いじゃない! *^_^*)   
                    ホンジャ Σ( ̄□ ̄;;;)!!
・・・・・・・
2005年07月16日(土)
1565, 新潟駅周辺再開発が動き出す

ここにきて、新潟駅再開発が本格的に動き出した。
昨日(7月15日)、近くの市民会館で住民説明会が開かれた。
一時間あまりであったが、400人位が来ていた。同じ内容で、この数日で
6回も開かれるという。当社のホテル4棟のうち2棟が駅東線道路の拡張に引っかかり、
更に200坪の駐車場が明石紫竹線道路に面していることもあり、
このプロジェクトは非常に大きな要素を持っており、ホテル事業に大きな影響を与える。
丁度、ホテル建設から10~24年経っており建て替え時期になっているので、
プラスになるだろう。
また工事が始まると工事関係者の宿泊に多大な影響をもたらす。
10~30?のアップが見込める。
朱鷺メッセと、至近の東横インの入っている再開発ビル工事で実証済み)
総事業費が1445億というから、新潟市にとっては巨大プロジェクトになる。
この事業構想から13年も経つが、やっと具体的な動きになってきた。
年度内計画決定を目指すという。
事業完成目標は平成25年というから、
決定さえしてしまえば工事は急ピッチになる。
今までの大きなプロジェクトとして
ー県事業として
万代島再開発事業で 
  290億円
・サッカーの新潟スタジアム
  300億円
ー市事業として
・市民芸術文化会館の建築費
  180億円
・市民病院建設費
  220億円
 等々である。これに比べても、この1445億円の開発の大きさは
 新潟市レベルからみて大きいことが解る。

内訳として
・立体交差事業に
  707億
・駅周辺整備事業として
  738億(鳥屋野線・85億 駅西線・85億 
      駅東線・129億 明石紫竹線・12億)
高架区間は2、5キロ
在来線ホームは現在の4面7線から3面5線になる。
投資効果が、投資額の2、6倍という。
それほどある訳がないが、まあ何もいわない。

以前の説明会の時、道路拡張計画で道路の反対側のホテルの社長が大反対をぶっていた。
初めは両側の拡張計画が、当方の側一方に変更になった。
買収先も半分で済むし、当然の結果である。
彼も後で地団駄を踏んで後悔したと思われる。
十年前に、近くの再開発ビル建設の時も、反対にまわって・・・・

これさえ決定すれば、新潟駅前事業も軟着陸できそうだ。
ついているのは、最後までついていることになるはずだが?
それにしても丁度良い時に、丁度良い工事が図ったように始まるものだ。

・・・・・・・・・
2004年07月16日(金)
1200, ロマン・ロラン
 ―哲学についてー16
学生時代、野田一夫教授の[経営学]の授業で、ロマン・ローランの
ーベートーベンの生涯ーを勧められ読んだ時の感激を今だ忘れることができない。
1967年6月中旬だった。
高度成長期の時代背景もあってか、彼の理想主義が大きく心に刻まれた。
彼は生涯をかけ人間の善意と崇高さを信じ、理想を求めたヒューマニズムの作家であった。
演劇作家から、しだいに偉大な天才たちの評伝を書くようになった。
『ベートーベンの生涯』の中で
「ぼくの芸術は貧しい人々の運命を改善するために捧げられねばならない」
と述べている。「第九」は作者ベートーベンの人生ー病苦、難聴、絶望―
を投影している。それでもベートーベンは生き抜く意思を込めた曲である。
悲痛な心情とともに、それを乗り越えて、芸術で人々に尽くすことに生きる意義を
見いだそうと格闘する魂。その使命感が彼を救ったのである。
音のない闇の中、ベートーベンは光を見つける。
「これこそそうだ! 見つかった!! 歓喜! われらに不滅のシラーの歌を歌わしめよ!」
(『第九』発表1年前、音楽ノートにつづった言葉)
「第九」は、第1楽章から第3楽章まで、あの「歓喜の歌」の旋律が断片的に現れては消え、
最終楽章に向かって苦悩し続ける。
そしてついに「おお、友よ。この調べではない」と、最終楽章でこれまでを否定する。
それは、これまでを全否定しているわけではない。
実は、現れそうになっては消えたあの調べ、あの旋律こそが主題の「歓喜」であり、
今までの苦労の中に「歓喜」はあったのだと劇的に展開していく。
 ーベートーベンの言葉がよいー
「良くかつ高貴に行動する人間は、その事実によってだけでも不幸に耐えることができる」
「苦悩を突き抜け歓喜に至れ」「私は善良よりほかに卓越性のあかしを認めない」
「諸君、喝采したまえ。喜劇は終わった」(ベートーベン最後のことば)
「苦難の時に動揺しないこと。これは真に賞賛すべき卓越した人物の証拠である」
ロマン・ローランは、彼の音楽と言葉から苦痛と、それをのりこえた魂の偉大さを
感じとる。そしてその生き方と彼の理想主義がマッチしているのがこの本であった。
「良くかつ高貴に行動する人間は、その事実によってだけでも不幸に耐えることができる」
「苦悩を突き抜け歓喜に至れ」は、私の20代の心の芯になっていた言葉であった。
ロマン・ローランは、他にも多くの格言を残している。
ー彼の言葉を抜粋するとー
・愛はそれが自己犠牲であるときのほかは、愛の名に値しない。
              ―「トルストイの生涯」―
・真理への愛のみが、我々を決して裏切ることのない唯一の愛だ。
              ―「愛と死の戯れ」―
・三つの大きな性的異常のうち、
第一のもの《自愛》は、個人にもっとも害を及ぼす。
第二のもの《同性愛》は、人類種族にもっとも害を及ぼす。
第三のもの《近親同士の愛》は、社会にもっとも害を及ぼす。
              ―「回想録」―
・諸種の主義のあいだの闘争がなんだというのか。
 唯物論、唯心論、社会主義共産主義といったところで、
  それはどれも繋いだ犬の首輪なのだ。
              ―「魅せられたる魂」― 
・理想主義のない現実主義は無意味である。 
 現実主義のない理想主義は無血液である。
              ―「先駆者たち」―
・英雄とは自分のできることをした人である。ところが、
 凡人はそのできることをしないで、できもしないことを望んでばかりいる。
              ―「魅せられたる魂」―
・男性は作品を創る。しかし女性は男性を創る。
              ―「ジャン=クリストフ」―
・まさしく音楽こそ、精神の生活を感覚の生活へと媒介してくれるものです。
              ―「ゲーテベートーヴェン」―
・大半の聴衆が興味を抱くのは、音楽ではなく音楽家である。
              ―「ジャン=クリストフ」―
ーロマン・ローラン概略ー
フランスの小説家であり思想家。
トルストイの思想的影響の下に出発、人類への愛、理想主義の信念に基づき
創作や平和運動に活躍した。ベートーベンの研究もある。
代表作は「ジャン=クリストフ」「魅せられたる魂」。
                   (一八六六~一九四四)
・・・・・・・・
2003年07月16日(水)
833, 孤独について -2

 以前も書いたが(あとでコピーしておきます)、再び孤独について書く。 
 経営者は孤独でなくてはならないとか、孤独であるという。
特に創業は孤独に徹しないと、甘さが生まれてくる。
山の中の孤独というより、街の中の孤独である。
街の中の孤独とは自分と他者の間にラインを引くことである。
お互いの距離をおくことである。
 ある本に孤独を「六独」6つに分解して、説明をしていた。
1 独想
2 独学
3 独行
4 独遊
5 独創
6 独楽
 これが出来るようになるには強い意志が必要だ。
創業を何回か経験をすると深い孤独の経験をする。
独り着想と構想をねり、その為の情報を集め、分析をして決断、たった独りで
嘲笑のなか行動開始、途中からゲーム化をして遊びまで高め、創りあげる。
そしてその起承転結を楽しむ。
しかし実際はつらい孤独業である。つらさと楽しみは裏表であることを知る。
二代目が失敗をするのは、この孤独に耐えられないためである。

 孤独に耐えるためには、宗教が必要である。
日本人が平気で自分は無宗教と答えるが、グローバルで見たときとんでもないことだ。
欧米では自分が気違いだと言っているに近いことになる。
スモールS (多神教)の集まりを宗教観を前提で答えていることを、自覚して
いない為である。
                   ーつづく
・・・・・・・・
2002年07月16日(火)
 458,一期一会

 以前にも書いたが、旅行の楽しみの一つが色々の人と会えることである。
 それも字のとおり「一期一会」である。
 殆んどの人が初めて会い、2度と会うことがないことが解っているから、
 全てを曝け出し、そして別れていく。
 「天国?に行く途中の舟で一時隣り合わせた人たち」に喩えることができる。
 
 平気で自分を曝け出せる場でもあり、人生の学問の場でもありうる。
 お互いの人生の通知表を見せ合える場であり、
 人生の決算書を携えて来ているともいえる。
 
 色々な人生があるものとつくづく思う。
 遠藤周作の「深い河」というインドのツアーの参加者のそれぞれの人生を
 描いた小説があったが、正しくそれである。

 直にそれを見れるのも、
 一種独特の圧縮された社会がその期間形成されるからだろう。
 特に秘境系のツアーには濃い人生を生きてきた人が多い。

 私のように人間ウオチャーにとって、最高の観察ができる場でもある。

・・・・・・・・
2001年07月16日
 旅行中