* 客室は一日限りの限定販売、在庫の翌日持越し不可品!
 色いろあったホテルの立上げも、学生ショップ共々、軌道に乗せることが出来た。 そこで、気づいたのが、
<どんなにお客に支持されても、客室在庫以上は売れないこと。イベントなどで一万人が市内に溢れかえっても、
 それ以上は、機会ロス。 逆に当日に売れ残った客室の在庫持ち越しが不可能であること> 
この辺が、この商売の限界で、物販やファッションのような面白みが全くない。
 ホテルの立上げは派手で面白いが、その後は、客室という単品を売る地道な商売。 ハレと、ケ(質素)が
ハッキリしている。 まだ学生ショップを兼用をしている時は、面白味があったが、撤退すると、宿泊客の自殺や
苦情以外は、変わりばえのない日が続く。 それも新築、増築が続いている内は、刺激があったが・・ 
 そうこう振返ると、10年が節目時? それもあって、準備期間15年間は、書くネタは幾らでもあるが、
ホテル開業後の15年目以降からは、あまりネタがない。 この辺りから母の軽い痴呆症が始まり、その介護と、
ストレス解消の秘境旅行に、暇に任せ行くようになっていた。そして、バブル崩壊の潮流の変化が、デフレと共に
表立ってきていた。 20以上あった都銀が、3つに集約された時期である。
 そして、母が亡くなった後の2001年の9・11テロから、地元を含めた地方経済は大きく落ち込んでいった。
それがそのまま、当方の業績に跳ね返えっていた。その3年後の中越地震、6年後の柏崎沖地震である。
 さらに1995年にマイクロソフトがウィンドウ95を出してネット社会が本格的に普及を始めていた。 
そこに携帯電話など情報機器の進化で、根こそぎ、ビジネスのあり方を変ってきた。 当初、付帯売り上げを
含め6千円あった客単価が、最後は3分2以下まで落込み、これに客数が3分の2になって、会社整理段階で、
売上高が3分の1になってしまった。 振返って考えるほど、10年目辺りが、郊外への転進か、撤退時であった。
 この事業、有余った余剰資金と不動産を持ってする事業。私のような弱小資金しかない者は、期間限定で、
転進する場合を除いてすべきではない!ということ。 実際に身に沁みた痛みを伴った言葉である。
 そんなこと解っていた筈だったが、バブルは、見境をつかなくさせていた。でも、心底、面白かった!
・・・・・
4504, 閑話小題 ー最近の大相撲が面白くなった
2013年07月16日(火)
  * 最近の大相撲が面白くなっている
 朝青龍の一連の不祥事も冷めやらぬ内に、「野球賭博」と「八百長」問題が続き、多くの力士が追放され、
体質も一新?以前のような馴合い相撲が出来なくなったこともあってか、勝負への気迫が格段と増し、このところ
面白くなっている。 TVで50年近く観戦してきたが、これだけ真剣で引き締まっっているのも珍しい。
大相撲の面白さは、わずか数秒の間に、多くの要素が詰まっていることにある。ところで、横綱が下位力士に
張り手をするのを見る度に、怒りを感じていた。逆に下位が横綱の顔を張るのは厳しい上下社会でタブー視され、
殆どなかった。ところが、先日、若手力士が横綱の顔を張ったのには驚いた。これは横綱を含めた一門の力士から
出稽古などで、報復されるだろう・・ また、今度はアフリカ出身の力士も出てきた。 外国人への開放は、
モンゴロイド系だけに絞るべきと思うが、今さら後には戻れない。神事の余興で神社で行われていた力比べが、
興行として発展したもの。 ムラ社会の中で、ある程度の八百長はあって然るべき。
 柔道の世界にレスリング選手が参入してくるのと同じで、大相撲の性格も変わっていく。あの小さな円で、
色々な人種が一瞬の技を競うのも面白い。やはり外国人に開放したのは正解ということか。
   * 今さらだが、どうも世界経済が変である
 世界経済を引っぱってきた新興国が、ここにきて変のようだ。あれだけ元気の良かったブラジルが、何と
「来年のワールドカップの当地開催反対のデモ」が起こっている。経済効果も考えると、マイナスよりプラスの
要素が多いはず。経済的反動で、一般市民の経済的困窮が開催反対運動につながっている。あれだけサッカー
好きの国民が反対するのは、よほどのことだろう。これまで元気だった新興国が3重苦にあえいでおり、近い将来、
世界的金融危機が近々に勃発しそうな様相である。 数ヶ月前まで一オンス1800ドルまで高騰していた金の価格が
1200ドル前後まで落ちている。 積極的に買いに入っていた中国、インドなどが緊急に売りに出たため。 
20Gで世界の主だった首脳が集まり、持ちこたえていた世界経済に黄色の点灯である。インド中央銀行がドル売り
介入をしたと見られ、世界各国が微妙な空気になっている。 エジプトは小麦在庫が50万トンを切ったと言われる。
これは一ケ月で80万トン余り消費する中で、半月しか備蓄がない中の政治混乱。これに食糧暴動が発生する
リスクが高くなっており事態は危機的状況。更にEUも、中国も、危ない。表立つまでは、今までの延長だが、
一度起こってしまえば一挙に燃え立つのが世界経済。グローバル化は弱肉強食を果てしなく強くするが、弱者は
ネットで繋がり、強者を攻撃する構図の混乱は当分、続くことになる。壮年まで、敗戦から高度成長期を
生きてこられたことに感謝ということか!
・・・・・・
4130, マネー大動乱  −3
2012年07月16日(月)
    * ユーロの崩壊の可能性?     「日本と世界を直撃するー マネー大動乱」 増田悦佐
  リーマンショックをキッカケに欧米が没落過程に入ったといってよい。世界は人種間、民族間、国家間、すべからく
 フラットになっていくプロセスに入った。それが良いか悪いかは解らないが、これまでとは全く違った激流が押し寄せてきている。
 本格的情報化社会のもたらした新時代の到来である。その中でユーロ圏という人工的な経済共同体が出来たが、壁にぶつかり
 右往左往している。南欧系を抱え込んだため、大きな価値観の差が大きく立ちふさがっている。もしユーロの崩壊ともなれば、
 数千年続いてきた白人主導社会の崩壊に繋がる可能性が強くなる。 ー 以下はそれを指摘している部分である。
≪ ユーロというあまりにも人工的にでっち上げられた共通通貨が採用されたことで、これらの加盟国の勤労倫理が改善するとか、
借りたカネは返さなければならないといった市民社会の倫理が浸透するとかの変化があったのだろうか。人間の働き方や生き方は、
制度が変更されたからといって5〜10年でガラッと変るものではない。むしろ、突然変わってしまったら、南欧ののんびりした
雰囲気を満喫きた観光客を失望させてしまうだろう。 ギリシャポルトガルアイルランドあたりでの危機対応策が公式に
債務不履行と認められるかどうかは別として、何らかの債務不履行なしでユーロ圏金融市場が再建できると考えるのは白昼夢に近い。
ここにきて格付けが大きく引き下げられたイタリアも、かなり危ない。このへんの金融市場の混乱は既定の事実で、あとは実際に
起きるのがいつになるかというタイミングが興味の焦点ということになる。 すぐにもやってくるヨーロッパ発の金融危機が打ち上げ
花火のように派手なものになろうと、比較的地味に抑えることができようと、これからのヨーロッパ経済が回復のない没落過程に
入っていくことだけはまちがいない。これは、決して世界にとって悪いことではない。大した働きもないくせに、夏は一〜二ヵ月の
バカンスをとり、「ヨーロッパはアジア、アフリカ、中南米の人間より生まれつきできがいいのだから、いい生活をして当然だ」と
思いこんでいる連中は没落して当然なのだ。 第二次世界大戦が終わるまで(フランスやベルギーの場合は、一九六〇年代まで)、
この手前勝手な思いこみが通用していた最大の理由は、アジア、アフリカ、中南米の植民地を収奪していたからだ。イギリスが
その典型だが、戦後のヨーロッパは、慢性的な経常赤字を垂れ流しながら、慢性インフレによる合法的な借金踏み倒しをすることで、
稼ぎよりいい生活をし、欧州諸民族の人種的優越性という虫のよい思い込みを維持してきた。 そういう連中が、やっと身の丈に
合った生活水準に引きずり下ろされるのだ。まじめに働ぎ、自分たちの稼ぎの範囲内で生活してきた人たちにとっては、
なに一つ悪いことはない。むしろ、そのタカリ屋たちが、没落すれば、自分たちの取り分が増える。アジア、アフリカ、
中南米の人たちには、間違いなく歓迎すべきことである。≫
 ▼ 白人主導のシステムとして、マネーを支配下に置くことがある。これまではドルだったが、それに対抗すべしと欧州が
 ユーロという共同通貨を作り上げた。しかし、それが崩壊の一歩手前に陥っている。恐らく、これから数十年かけて、新しい
 通貨システムが構築されるだろうが、その間は恐慌と戦争などの大混乱が生じる厳しい時代に入った。問題は何時、発火するか。
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3764, ユング ー7
2011年07月16日(土) 
  * 集合的無意識と、元型
潜在意識には、個人が長い年月を経て蓄積してきたさまざまな人生経験にとどまらず、個人を超えた「普遍的なもの」と
アクセスする場合がある。この「普遍的なもの」から送られてくるメッセージによって、人類の長い歴史や文化という
大きな文脈の中における、自分の本質的な位置をとらえることができる。
▼ 時間と空間を超えて、すべてにつながっているもの <集合的無意識と、元型>
 〔1〕人類に普遍的に存在する「集合的無意識
 潜在意識には、個人の過去の経験とは無関係な誰もが普遍的に所有している無意識層があり、ここに、時代、国家、
 地域、 民族、文化、さらにはすべての人類における「共通の意識」があると考え、これによって、人類が考え方を
 自然に共有できるとも考えた。 このような人類に存在する深層意識の共通点を「集合的無意識」とした。
 〔2〕集合的無意識に触れるから、自他との会話が可能になる
 古今、時空を超えた地域の神話や昔話が心をとらえたり、そこに自分と似たような人物を見出したりする。
 また時代や地域の異なる宗教に真理を見出すことが出来ある。
 時代や地域を超えた「普遍的なもの」に「自分」の本質的な位置を理解することができます。
 〔3〕元型
 集合的無意識を構成しているものを「元型」と呼び、世界各地の神話や伝説、遺跡や壁画、宗教、芸術、小説、映画、夢で
「普遍的なイメージパターン」を生み出している。元型は、子を生んで育む母性イメージとしての「母親元型」、 厳格に教え導く
 父性イメージとしての父親元型」、男性の心の中の女性的な部分(女性像)である「アニマ」、女性の心の中の男性的な部分
 である「アニムス」、 社会に適応するために身につけた外向きの顔である「ペルソナ」、自我を形成する過程で
 発達させることができずに抑圧さえた人格である「シャドー(影)」などがある。
 〔4〕自己
 特に重要な元型は「自己(セルフ)」と呼ばれるもの。 これは「完全なるもの」「最高なるもの」を意味し、この元型から
 生み出されるイメージパターンは、悟りや解脱などの宗教的境地や、イエス像・天使像・仏像などの頭上や背後にある光の輪、
 あるいは、金やダイヤモンドなどのような物質に与えられた特別な(尊い、神聖な)意味などが挙げられる。
 「自己(セルフ)」の元型は、自分らしくない人生を生きている場合や、自分の人生が意味のないものに感じられる時に、
 生きる意味を与えたり、自分らしい人生を選択していくための力となったりする。
◎ 我々が自然に安らぎを感じたり、太陽を崇拝することは人類に共通すること。その共通するものがあるからこそ、
我々は自分とも他人とも対話したり、つながることができる。民族に伝わる神話や昔話が、それぞれの民に共感するのは、
それぞれの集合的無意識が働くからである。ところでペットにも集合的無意識があるんじゃない?共通項があるから可愛いのでは?
  ・・・・・・・
3399, おテレビ様と日本人 ー3
2010年07月16日(金)
 * 限定的な陰謀、対極的な陰謀
 ここまで書いて良いものかと思うほど辛らつだが、これが真実である。
さらに「ゆとり教育」で植民地人間=ブタ化の完成である。
   (字数の関係でカット 12年07月16日)
≪ヤフーのブログ「バードウォッチ」に転載します!≫
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3024,明治・大正と昭和・平成の符号説
 2009年07月16日(木)
 「生の科学、死の科学」 −養老孟司 対談集ー  〜2
  【憂国の時代】 ー関川夏央
*明治・大正と昭和・平成の符号説
 この中で、関川が語っていた明治・大正と昭和・平成の符号説が面白い。
  ーその概要をまとめるとー
 現在の激変の時代を幕末から明治維新期に例えると分かりやすいが、明治・大正と昭和・平成の符号説というのがある。 
「時代の状況」がそっくりに見えるのである。その平成も大正時代を越えて21年になる。 大正という時代は、
明治の近代国家づくりが日清・日露戦争を経験し完成。「大正デモクラシー」という教養を尊ぶ自由な時代。
第一次大戦の好景気があり、関東大震災があり、その5年後と言えば昭和の大不況の真っ只中。昭和・平成といえば、バブルと、
その崩壊、平成不況と阪神大震災とピッタリ符合する。そうすると、次にくるのは第二次世界大戦ということになる。
これから10年間は大恐慌の嵐が吹き荒れ、そして戦争? それとも、既に戦争があり、全ての国が敗戦したのだろうか? 
(字数の関係でカット 11年07月16日)
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2659, コールド・リーディング
 2008年07月16日(水)
 本の新聞広告に「コールド・リーディング」という言葉が目についた。
そこで、フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』で調べてみたら面白い。
 ーー
コールド・リーディング(Cold reading)とは話術の一つ。
 外観を観察したり何気ない会話を交わしたりするだけで相手のことを言い当て、相手に「わたしはあなたよりもあなたのことを
 よく知っている」と信じさせる話術である。「コールド」とは「事前の準備なしで」、「リーディング」とは「相手の心を読む」
 という意味である。詐欺師、占い師、霊能者などが相手に自分の言うことを信じさせる時に用いる話術であるが、その技術自体は
 セールスマンによる営業、警察官などの尋問、催眠療法家によるセラピー、筆跡鑑定、恋愛などに幅広く応用できるものであり、
 必ずしも悪の技術とは言えない。
・よく似たものでショットガンニング(Shotgunning)も、超能力者や霊能者を自称する者が用いる技術である。
 彼らは実演する相手に大量の情報を話すが、そのうちのいくつかは当たるため、相手の反応を見計らいながら
 その反応に合わせて最初の主張を修正し、全てが当たったように見せかける。
 エドガー・ケイシー、ジョン・エドワードらはショットガンニングの疑いがもたれている。
コールド・リーディングの技法として、実際のリーディングを始める前に、読み取る者は相手の協力を引き出そうとする。
「私には色々なイメージが見えるのですが、どれも明確ではないので、私よりあなたの方が意味が分かるかもしれません。
 あなたが助けてくだされば、二人で協力してあって導き出しましょう」という。これは情報を引き出そうという意図である。
 そして分からないように相手をよく観察しながら、誰にでも当てはまりそうなごく一般的な内容から入る。
*「あなたは、自信がなくなる感じのすることがあるようですね。特に知らない人と一緒にいるときなどです。
そのように感じますがどうですか?」(バーナム効果を参照) または、観察に基づき、より具体的にみえる内容
(実は具体性はあまりない)に踏み込んで推測を行う。
*「私には年老いた婦人があなたのそばによりそっているイメージが見えます。
 少し悲しそうで、アルバムを持っています。このご婦人はどなたかお分かりになりますか。」
*「私はあなたの痛みを感じます。多分頭か、もしくは背中です。」相手はこれら具体性のない推測に対して、びっくりしたり
 思い当たることを話したりするなどの反応をすることで、リーディングを行う者になんらかの情報を明かしてしまうことになる。
 これを基礎に、リーディングを行う者はさらに質問を続けることができる。推測が次々当たれば、相手はリーディングを行う者への
 信頼をどんどん深めてしまう。もし相手に推測を否定されたとしても、態度を崩したりうろたえたりせず、威厳をもって
 「あなたは知らないかもしれないが実は私にはそのように見えるのです」と言い張るなど、信頼を損なわずうまく切り返す方法がある。
 コールド・リーディングには確立した技術がある。多くの演者がこの技術を習っており、能力者を装って一対一の占いを行ったり、
 ジョン・エドワードのように「死者と対話する」などと題した公開の場で、観客に死んだ近親者からのメッセージを披露したりする。
 演者の中には、観客について言い当てて大喝采を受けてからはじめて、実は超能力は使っておらず、心理学と
 コールド・リーディングの知識だけあればできるとばらすものもいる。
 ▼ 以上だが、少し前は宜保愛子、最近では細木数子などが、この手法を使っていた。
 スタッフに相手の下調べをさせたり、待合所に隠しマイクを設置して、情報をとる「ホット・リーデング」がある。
(字数の関係でカット 11年07月16日)
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2007年07月16日(月)
2295, 中島義道の「池田晶子」追悼文 -1           ・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ○〕
 自ら書いているように奇人変人の哲学者の中島義道が、池田晶子と知り合いであり、彼女への追悼文を、
ある月刊誌の中で見つけて驚いてしまった。この随想日記も中島は何回か取りあげてきたが、その奇人ぶりには読んでいて、
あきれていた。唯我独尊で、ただへ理屈?を並べ立てている姿、誰かに似ている。かた方の変人の雄の池田と知り合いで、
その追悼文を書いていたとは! 中島にしては、前半はシンミリとした感じであった。何か自分に劣らない奇人の死に
戸惑っているようだった。中島は池田を哲学者と認めてないようで、哲学者でも哲学研究者でもなく、著述業として切り捨てている
ところが、彼らしい。昨年から池田晶子にはまってしまっているが、亡くなったことで更に、もう一歩踏み込んでいる。
とにかく根源的で、純粋であるのがよい。その彼女の姿を中島がどの様に見ていたかを知るのは面白くないわけがない。
哲学者の間では彼女は無視された存在であり、著述家としてしか、見られてなかったようだ。
哲学者にとっては哲学用語を一切使わないのは、それだけで、相手にされなかったのだろう。
初心者向けに絞って、哲学みたいな文を書いている女とみられていたようだ。
 前半は、中島が見た池田の哲学学者仲間としての心象。 後半は、中島独特の批判で構成されている。
  まずは、前半の中島の彼女の心象から・・・
 ー 月刊・新潮45?2007年・5月号ーより  P-152
 池田晶子さんが亡くなった。四十六歳の若さである。新聞報道は三月二日の読売新聞が最初だが、私は翌三日の朝日新聞で知った。
昨年末、新潮社の編集者と忘年会と称して呑んだとき、彼女が癌を患っていることは聞かされていた。その口ぶりから、
末期ということはわかったが、こんなに阜く逝くとは思わなかった。ショックはないと自分に言いきかせていたが、
その日大学にいても彼女のことばかりを考えて過ごした。いままで意図的に避けてきたが、ある種の独特の形で哲学に
携わった彼女に対する自分の気持ち(評価)をごまかすことなく語ってみようと思う。
 池田さんとは四、五回会っている。はじめは十五年以上も前のことであるが、(いま慶応大学の教授である)斎藤慶典さんが
「おもしろいことを書く人が後輩にいるから」と「大森先生を囲む会(略して「大森会」)」に連れてきたのだ。
池田さんは例会の日に、教室の入り口でそっとお辞儀をして入ってきた。そのころ彼女は三十歳位であり、とびきり美人であることは
誰の眼にも明らかだったが、そこにいた参加者たちはまったく無視していた。水玉の(?)袖が長めの白っぽいワンピースを着ていたように
記憶している。池田さんは、当時まったく哲学仲間のあいだでは知られておらず、まだ本を二冊書いた程度であったから、世間的には、
ほぼ無名であった。そこには、永井均、野矢羨樹、飯田隆、丹治個治・・など、いまや日本哲学界を担う人々が決集していたが、
当時彼らは哲学界という狭い世界の中では評価されていたが、誰も世間的には有名ではなかった。  (字数の関係でカット 10年07月16日)
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2006年07月16日(日)
1930, 二つ目のブログ                         
新しいブログを二つ開設した。一つは、このHP上に貼り付けてある海外旅行の写真ブログ。
  (字数の関係でカット 09年07月16日)
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2005年07月16日(土)
 1565, 新潟駅周辺再開発が動き出す
ここにきて、新潟駅再開発が本格的に動き出した。昨日(7月15日)、近くの市民会館で住民説明会が開かれた。
  (字数の関係でカット 10年07月16日)
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2004年07月16日(金)
 1200, ロマン・ロラン
 ー哲学についてー16
(以下、字数の関係でカット2008年7月16日)
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2003年07月16日(水)
833, 孤独について ?2
 以前も書いたが(あとでコピーしておきます)、再び孤独について書く。経営者は孤独でなくてはならないとか、
孤独であるという。
(字数の関係でカット 13年07月16日)
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2002年07月16日(火)
 458,一期一会
 以前にも書いたが、旅行の楽しみの一つが色々の人と会えることである。 それも字のとおり「一期一会」である。
(字数の関係でカット 13年07月16日)
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2001年07月16日
 旅行中