つれづれに

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 今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=bA10VhdFi94

 そろそろ梅雨明けの時節。 この夏も熱暑になるのか?
一月生まれなので、寒さは我慢できても、暑さには弱い。

 個人の小遣メモなど、21歳の頃から書いたことが無かったが、
最近、手帳に面白半分に書いて一週間、成るほど、さらに使わなくなった。
元もと一週間に1~2度のランチと、、酒とツマミと、シネマと、ガソリンと、
月に1~2回の飲み会以外、使わないが・・  
 ところで、車を22年前のソアラから、マーク?鶸ジオの乗り換えて、
ガソリン代が半額になった。8千円から4千円である。

 ところで、昨夜の10時ごろ、自宅に<俺折れ詐欺>と、思われる電話が
入ったと、家内から今朝、聞いた。長男の名前を訓読みで、『俺、○○だけど、
困ったことが起きてしまって!』というので、『エ~、あんた誰?』と聞くと、
無言のため、電話を直ぐに切ったという。 これで私の知る限り三度目である。


・・・・・・
2294, ハニカミ王子に、ハンカチ王子って何?
2007年07月15日(日)
 ハンカチ王子の後はハニカミ王子とか、いい歳をしたオバサンが騒いでいる。
「これって何?」と、家内に聞いたら「韓流(はんりゅう)ドラマの熱が
醒めかけたきたオバサンたちが、身近な若い子に憧れている現象」と、
TV番組でコメンテーターが解説をしていたという。
 女性は「シンデレラ・コンプレックス」を持っていて、心の奥で
私を探し出してお城に連れて行ってくれる夢がつきまとうという。
解らないでもないが。 この現象の起こる4年前に発刊された
中村うさぎの著「壊れたおねいさんは、好きですか」ー母性という名の魔女たちー
に、このオバサンたちの切ない心情が書いてあった。(また、うさぎ、である)
男が女に求める処女性と同じように、清潔な王子様願望である。
この中のホストに求めるオバサンの本音が、王子様願望として転換した心情。
可愛いといえば、それまでだが・・・・  
ーー
【「壊れたおねいさんは、好きですか」 中村うさぎ
      ー魔女が白雪姫に嫉妬した理由ー  P-64】  
「ホストって、色っぽいオーラが出てないよ。お肌もツルツルで、
 毛なんか生えてなさそうで、男臭さが全然ないんだもん」
「まあ・なかには男っぽいのを売りにしてるホストもいるけどさあ、
 そーゆのはたいてい単なる勘違い野郎で、単に無神経だったり、
 ガサツだったりするだけなんだよねー」
「そうそう、そ~ゆのは男っぽいんじゃなくて、タダのバカだよ。
  バカにはフェロモンがないからね。
 結果的には、ホストにフェロモンはないってことになるよね」
「男っぽさ」と「ガサツさ」とを混同してる男に、フェロモンなんかあるワケない。
 フェロモンってのは、ある程度、知性や品性を隠し持ってるモノなのだ。
「男の獣性」なんてものに惹かれる女はいようが、それだってよほどの
 マニアじゃない限り、本当にケダモノみたいな男を求めてるワケじゃない。
 心の中に野獣を飼い慣らしてるような男をこそセクシーと感じるのであり、
 野獣を飼い慣らすにはある程度の知性や品性が必要なのである。
 一方、ホストたちの多くは、野獣どころか、愛玩犬のような清潔さと人工的な美貌を
 備えており、そんなお人形みたいな男たちにフェロモンの発生する余地はない。

だが・私も含めた一部の女たちは、そんな清潔で無毛の人形のようなハンサムに、
強く惹かれてしまう。我々にとって、彼らは「王子様」なのであり、
王子様にはフェロモンなんかあっちゃいけないのである。考えてもみるがよい。
王子様がフロモンむんむんの胸毛生やしたラテン男だったら、シンデレラも白雪姫も、
抱かれた途端に鼻をつまんで逃げ出すぜ。だって彼女たちは、処女なんだもの。
世間知らずで臆病な処女のお姫様は、中性的な美貌を持つフロモン皆無の王子様
にしか心を許せない。 と、このようなことを言うと、
「中村、おまえは処女のお姫様のつもりか。四十四歳のバツイチ女が」
などと嘲笑されそうだが、自分が処女でもなければお姫様でもないからこそ、
私は「王子様」を必要としてしまうのであった。いや、もっと言えば、
私が「女」ですらなくなったからこそ、なのかもしれない。
ある時期から、私は「女」になった。
「少女」でもなく「お姫様」でもなくなった私は、「女」というアイデンティティを、
さしたる感傷もなく受け容れ、何の疑問も持たずに「女」として生きてきた。
ところが中年にさしかかった頃から、もう「女」として生きていく必要すら感じなくなり、
人生から「男」を締め出してしまったのであった。「女」でなくなった中村は、
「男」の代わりに、フェロモン皆無の「王子様」を愛玩する趣味を持った。
ボケ老人が幼児に退行するように、「女」をリタイアした魔女は姫様に退行する
のであろうか。白雪姫に嫉妬した魔女は、本当は白雪姫より王子様が欲しかった
のかもしれない。だとしたら、あれは哀しい話である。
--
という内容である。
 王子様願望の中年女性の心情が解ったような、でも少し解らないような・・・
満たされてない女性は、何かを追いかけてないと居たたまらない?ということか。
それとも、ハンカチ王子様はホストの代用として騒いでいる、ということか。
ホストは、それを知っているのだろうが。
 そういえばプロのホステスやママは、何もかもご存知で、お相手をしてくれた。
今は、その残存のママ?しかいない。それも、性的な魅力はゼロとなってしまえば、
サッサと帰った方がよい。 いや、行かないでよいということ! アフォ~               
                  byebyeヽ(o・ω・o)ノ゛
・・・・・・・・
2006年07月15日(土)
1929, ローマから日本が見えるー13
        (♯ゝωσ♯)人(+>∀<+)ノ おぁはは~
                      ー 読書日記 -
 第6章 勝者ゆえの混迷-2
  ーグラックス兄弟の改革ー
 ローマの名門貴族出身の若者でティベリウスグラックス
ガイウス・グラックスという兄弟がいた。彼らはスキピオの一族でもある名門の出。
このグラックス兄弟が、ローマ農民の没落をくいとめる改革を断行する。
                               Σ(・ε・|||)
最初に改革を試みたのは兄のグラックスである。彼の政策は非常に筋が通っていた。
都市に流入している者達に土地を与えて再び自作農民に戻し、
ローマ軍を再建しようと考えた。土地は貴族のラティフンディアである。
125ヘクタール以上の土地を占有している貴族から
それ以上の土地を国家に返させ、それを市民に再分配しようとした。
この政策に平民たちは喜ぶが貴族たちはマイナスである。
農民の没落でローマ軍の弱体化は解るが、土地を取り上げられるとなると反発して当然だ。
彼は元老院との相談もなしに、改革を推し進めようとした。
反対派貴族と改革を歓迎する平民の対立でローマは騒然とした。
 兄グラックス護民官護民官は神聖な立場のため反対派も手が出せない。
そこで反対派が多くの人を雇ってグラックスを襲わせて、その死体は川に投げ込まれた。
この事件が起きたのは前133年であった。
弟ガイウス・グラックスは兄の死の10年後、同じく護民官になって
兄の政策を実現しようとした。このときも暴動が起こり、混乱の中で弟グラックス
自殺してしまった。(前123)       
ーマリウスの軍制改革 ー
 貴族は大土地所有を守ることができたが、ローマ軍の弱体化の問題は残った。
これを解決したのがマリウスの軍制改革(前107)である。
ローマの軍の基本は、財産を持ったローマ市民が武器を自前で調達して従軍すること。
それを狙ってグラックス兄弟は農民を作りだそうとしたのだ。
 マリウスはこの基本をあっさり捨ててしまう。
マリウスは市民を兵士として採用し、武器を与え、給料も払うことにした。
その費用は基本的には彼の自費である。
兵士として働ける期間は長いモノではなく、年をとったら引退する。
その兵には土地を分けて、自作農民として育てていった。
それで兵士不足は解決して、マリウスはこの新しい軍隊で勝利を続けた。。
この軍制改革でローマ軍の質が大きく変化した。
それまでの兵士はローマ市民の義務を自覚して、ローマのために戦っていた。
ところが、マリウスの兵はローマのためとか、ローマ市民の義務として、
という意識は小さくなる。マリウスの「私兵化」になっていた。
 この軍事力で、マリウスのローマでの発言力が増していった。
この後、多くがマリウスのやり方を真似ることになる。
私兵を養った将軍同士の内乱が続いてローマは混乱の時代になっていく。
グラックス兄弟の改革から100年間を「内乱の一世紀」とよぶ。
前91年から前88年には、イタリアの都市がローマ市民権を求めてローマに反乱を起こす。
これが同盟市戦争である。ローマはローマ市民権をイタリア諸都市に与えることで
この戦争を終わらせた。
 前88年から前82年まで、マリウスとスラ将軍の抗争が起こる。
マリウスは平民派、スラは閥族派である。
そして、スラは軍隊は入城することが許されなかったローマ市内に乱入した。
ローマの元老院は、この二人の将軍の抗争に対して解決できなかった。
この結果、あれだけ強大だった元老院の権威が低下してしまった。
 
・・・・・・・・・
2005年07月15日(金)
1564, 「これから5年・地価は半値になる」-3
    ーマンション編

都心の高層マンションの計画が進んで、売れ行きがよい。
しかし、今後これも供給過剰になり、クラッシュで不動産不況を引き起こす可能性が大きい。
マンションは売り残って翌年になれば、2割引とかで売らなくてはならない。
もし売れ残りの動きが出はじめたら、これらの土地の値上がりはストップして、
値下がりに転じかねない。

2005年までに、品川、港区、中央区江東区などの湾岸エリアを中心に
40棟以上の大規模マンションが建設される。
現実にマンションの値下げ合戦が激しさを増しているという。
売れ残りが出ると、その後に売り出されたマンションが予期せぬ値下げを
しなくてはならなくなる。
特に、今年のマンションの売り出し数がピークに達するから、
間違いなくダンピングが激しくなる。
このような高層マンションの破綻が、不動産不況の引き金になる可能性がある。

-基盤整備はカンフル剤になりえるか?
JRなどの駅、高速道路の入り口、大規模ビル、複合大型商業施設などがつくられると、
目先は周辺の地価は上がる、それは地価下落を抑える一時的なカンフル剤に過ぎない。
少し時間が過ぎれば、他の土地の値動きと同じになる。
現在勝ち組みといっても、未来が約束されているとは決していえない。

西武鉄道グループの問題も地価下落要因に
このグループの本格的なリストラもこれから始まる。
レジャー施設も150あって、スキー場、ゴルフ場なども110もある。
それらの大部分が一気に売却されるようになったら、
地方の地価にあたえるマイナスのインパクトは相当大きくなる。
もともと森林を切り開いて、そこに無理にレジャー施設をつくって、
土地の付加価値を高めていったから閉鎖をされれば、価値は元に戻ってしまうだけ。

ーーーー
以上要点をまとめてみたが、どう考えてみても地価の下落は抑えられない。
「これ以上の不動産の下落はない」と見ていたが、
供給サイドは有り余っているのだから、今後も下がり続けるのは当然である。
特に地方の地価は半値ではなく、三分の一とみてよいだろう。
考えただけでも恐ろしいことである。
地元の新潟の勝ち組の土地は新潟駅の周辺だろうが、
そこすらどうなる事か?

・・・・・・・・・・
2004年07月15日(木)
1199, つれづれなるままに
ー夢ー
この数日、最近たて続きに面白い夢をみている。
他人の夢ほどつまらないものはないというが、
潜在意識を覗くという面でみると面白いのではないか?

ー何かの乗り物で地球外の何処かにいってきた夢である。
そこは小さな惑星で、別宇宙という感覚であった。
恐らく、鈴木秀子とユング臨死体験を読んだ影響と思われる。
二人の臨死体験を夢で疑似体験をするところが不思議である。

ー子供の時に亡くなった兄が帰ってきた夢をみた。
何か、寂しそうで生気が無い顔をしていた。思わず泣いてしまった。
翌日、家内に寝言で泣いていたと言われた。その後に、仏間に誰かがいる気配がした。
起きていってみるが、そこには誰もいない。 それも夢であった。

ー過剰情報ー
全国ニュースを見ていると、中越地区が水浸しで沈没しているような感じる。
一番凄そうなところをカメラマンが取っているのだが。
情報化はこういう異様な現象が出る。
ほんの限定的な一時的な現象をことさらオーバーに報じる。
そういえばイスラエルに行った時の事を思い出す。
アチコチでテロが続発しているイメージが強いが、現地の99.99?の生活は
普通である。世界各国から信者が礼拝に来るが、どこの国の人も家族に戦地の
真っ只中に来るように誤解されるという。
よほど自分の病気か自動車事故のほうが恐ろしいのに。

・・・・・・・・・・
2003年07月15日(火)
832,「阿弥陀堂だより」-映画日記

 先週末にDVDレンタルショップで『阿弥陀堂だより』を借りてきて見た。
何げなく借りてきたのだが、何とも味わいのある内容であった。
あとで作家の南木けい士の『自書を語る』をコピーして貼り付けておくが、日本の味わいと、
スローなテンポと日本人が忘れていた故郷の世界を感慨深く表現していた。

主役の夫婦が春に信州の田舎に転居して来て、田舎の四季の美しさを見せながら
ストーリーを展開していくスローなリズムが良かった。
美智子役の樋口加奈子がいう言葉『悲しくないのに、涙が出てくる』という言葉が
このストーリを全て言いあらわしているように思えた。
また北林谷栄役の、おうめ婆さんが長野の自然の中に溶けこんでいたのも印象的である。

黒澤明の遺稿シナリオを映画化した『雨あがる』で、日本アカデミー賞を受賞した
小泉堯史監督の新作であることを、インターネットで調べてしった。
 気楽に話題の名作をDVDレンタルで見ているのが不思議な感覚である。
特にアラスカから帰ってきたばかりだからこそ、日本のアイデンティテーが
印象的だったのだろう。下手な感想文より以下をご覧あれ!

ーあらすじー
 東京に住む夫婦、孝夫と美智子。夫はなかなか日の目を見ない小説家。
妻は大学病院で働く有能な医者だった。ある時、美智子はパニック障害という心の病にかかる。
それをきっかけに、二人は、孝夫の故郷、信州に移り住むことを決意する。

山里の美しい村に帰った二人は、96歳の老婆おうめを訪ねる。
彼女は阿弥陀堂という、村の死者が祭られたお堂に暮らしていた。
おうめのところに通ううちに、孝夫は声の出ない少女・小百合に出会う。彼女は村の広報誌に、
おうめが日々話したことを書きとめまとめた「阿弥陀堂だより」というコラムを連載していた。
美智子はこの村で診療所を開き、おうめや小百合、村の人々の診察を通して、
医者としての自信と責任を取り戻してくる。…

ー南木けい士の『自書を語る』ー
 阿弥陀堂は生まれ育った群馬県吾妻郡嬬恋村大字三原の下屋組と称される十軒あまりの
 集落の裏山にある。そのすぐ下の墓地には私が三歳のときに死んだ母や、以後十三歳の
 春までこの集落で私を育ててくれた祖母の墓がある。弱りきった精神は退行を好む。
 あのころの私は底上げなしの、あるがままの存在を許されたふるさとの自然や人の
 なかに還りたかった。
 
 しかし、実際に還ったところで懐かしい人たちはみな死者であり、ともにながめる人を
 亡くした風景は色あせて見えるだけだろう。ならば言葉でふるさとを創り出すしかない。
 そんな想いで『阿弥陀堂だより』を書き始めた。

  祖母は村の広報誌のことを「村だより」と呼んでいた。「阿弥陀堂」と「村だより」、
小説の題名はこの二つをくっつけたのだ。祖母たち老人が先祖供養の念仏をもうしながら
数珠を回していた阿弥陀堂。その小さな庭からは向かいの崖と谷底の川と狭い集落が見渡せた。
それが幼い私にとっての世界の景色のすべてだった。もし生きのびられるのなら、
もう一度この世界から歩き出したかった。切実に、誠実にその世界を創りあげたかった。

うつ病による罪業妄想と言ってしまえばそれまでだが、末期の癌患者さんたちを看取ることの
多い生活をしてきた私は夜ごとに 亡くなった人たちの顔を思い出し、彼、彼女たちの訴えの
十分の一も理解できていなかったことを悔い、ひたすら詫びた。

悪夢で深夜に目覚めるたびに「天罰」という言葉が天井から降ってきた。
書くことで供養ができるなら……そんな想いを先祖の霊を守る老婆に託た。
記憶に刻まれた人や風景を寄せ集め、仮想の村、集落を創り、それらを忠実に描写して
いったら一つのおとぎ話ができあがった。

この物語を誰よりも読みたかったのは私自身なのだった。完成したとき、
これが小説たりえているのかどうか判断できなかったからとにかく編集者に送り、
大丈夫ですよ、の回答をもらって安堵のため息を何度もついた。
 
 しかし、ある新聞に載った文芸時評では、その内容の甘さをこっぴどく批判された。
そんなにひどいことを書くならなんでこれほど大きく時評に取り上げるんだよ、
と涙ぐみつつ送られてきた新聞を庭の隅の焼却炉で燃やした。
ものを書くことを仕事にしてから、他者が私の作品について評した文章を燃やすのは
初めてだったが、いかにも後味の悪い体験だった。
 
 都会の病院勤務で心を病んだ女医が小説家である夫のふるさとの村で癒されてゆく。
たしかに安易と言われればそれまでのプロットだが、そのころの私には企んだ小説を
書ける余力がなかった。細部をていねいに書き込むことしかできなかった。

阿弥陀堂だより』には私の存在の世話をしてくれた人たち、底上げされた
私のいたらなさを口に出して責めぬまま静かに逝った人たち、そして、ただの存在に
もどった私の目に映った自然の生なましさなどが詰め込まれている。
甘く書くしかなかった酷薄な事実が隠されている。

書きあげ、本になった時点でこれらのものはすべて本のなかに大事に封印した。 
表紙の阿弥陀堂の戸はしっかり閉じている。
そうすることでなんとか今日まで生きてこられた。
少なくともいまのところこの封印を解くつもりはない。
他者の解釈を観たり聞いたりする勇気もない。
 
・・・・・・・・・
2002年07月15日(月)
457,スイス旅行記ー2
ーマッタホルンの凧揚げー

マッターホルンで凧揚げた!といっても、他人の凧揚げの紐を一時も持っただけだ。
マッターホルンを近くに見る展望台の横の小高い丘で写真を撮っていると、
突然ある中年の夫婦が小さな凧を二つ取り出し、揚げはじめた。

家内と登山列車の隣席で話をしてきたという他のグループの夫妻。
その写真を撮って欲しいと頼まれた。
そこで「是非自分も記念で凧揚げしてみたい」とお願いすると、
気持ちよく私らに貸してくれただけの話だ。

それでも揚げたことに間違いはない!貴重な体験だった。
それにしても色々のことを考えるものだが、その情報を持っていたら
私も凧を買っていったに違いない!ーこれも情報なのだろう。
今度からは、大自然のツアーには凧を必ず持っていくつもりだ。

キリマンジェロやタンザニヤのセレンゲッテーの凧揚げなど最高だろう。
10個ぐらい持っていき、現地の人にあげるのも喜ばれるだろう。
その凧は横15cm、縦25cmぐらいの小さなモノだったが、
風に乗りどんどん高く舞いあがった。
おそらく西洋凧ではないかと思われるが、玩具屋で捜す楽しみがまた増えた。

いろいろ楽しい!!
・・・・・・・・
2001年07月15日
 ー旅行中