* 設計と、建設と、ゼネコン・シンジケート
 ビル設計の私の方法は、各階の平面図を設計士と話合い何度か書換えながら穴があくほど凝視する。
その過程で他の戦術などを考える。そうこうしていると、夢の中で、その場に立つまでになる。今では3DやCGが
あるが・・ 問題は設計担当者と自分のレベル。それが、そのまま出る上に、後になって隠れた問題が出てくる。
 千葉の千城台と、実家の商業ビルの基本設計担当者が、事務所を辞め独立していた。 その担当者とは呼吸が合い、
創造(想像)力が引き出されていた。が、彼は私を全くの素人と見ていた。私の場合、創造工学などの本を何冊か
読み込んでいた。また学生時代のゼミなどで、ものを考え出したり、作り上げるに、何も捉われのないピエロ役
「X」を仮想し、暗黙のうちに誰かが演じ、飛躍した案を正・反・合を繰り返しながら練り上げていた。 千葉、
長岡の手掛けた二つのビル設計も、私がピエロ役(暗黙)をしていたが、それを未熟?にしか思えなかったのか、
一度会った後、居留守を使ってきた。それより、千葉と長岡の露わな姿を身近で見ていたこともあったか。
 この人物、一棟目のホテルの成功をみた後、改めて組みたいと言ってきたが、許せないのが私の限界。
既に故人だが、設計担当としては神がかり的であった。 長期投資は、時代の変遷を乗越えなければならないため、
長期的視点(神的視線)が必要になるが、ところが分かってないのが多い! 創業は、その都度、会計事務所も、
設計事務所も、何もかも変えるのが筋だが・・ その甘さが、贅肉として、付いていた。
 当初のビル建設から薄々気づいていたが、建設業界そのものがゼネコン・シンジケートの存在であること。 
当時のビル建設の99%は、その談合で決定されていた。あとの一%は、関係者の熟知した中で、何とか?・・ 
 その網の中で、私は小虫レベル。その都度、何とか努力をしたが、長年かけた膨大かつ緻密の網目で、雁字搦め。
10数年前に社会的大問題になって、大きく変わったというが? 今でも巧妙に、マフィア化し、巧妙に現存?
相手をパターン化し、シンジケートが談合で決めた粗筋どおりに、施主を躍らせる集団詐欺的要素が強い世界。
装置産業は、これと、税制のカラクリで、長期的に存続するのは至難の業である。軌道に乗ったころには、
時代遅れの産物になる。だから、長期の装置投資をする時に、当初からシェルターを組込んでおくしかない! 
創業は上手くいけば天国、失敗すれば地獄。その中間にあるのが煉獄。そこは <キリスト教の教義において、
小罪を犯し地獄に行くまでに至らないがすぐには天国へ行けない霊魂が、苦しみを受けながら浄化 され最後の
審判を待つ場所、その状態> 老後は、誰しも煉獄状態?  創業は、地獄、天国、煉獄が直に味わえる。
で、シェルター内は、煉獄? 建設業界は、生き馬の目を抜く修羅世界でもある。偶然だが、以下の文章に続く!
・・・・・・
4503, 実録・ゴールデンブリッジからの身投げ
2013年07月15日(月)
 先日、蔦屋で本を一冊買ったところ、レジの人がいうに、「今なら、シニア様なら無料でDVDが借りられます」という。
そこで借りてきたのが、『ブリッジ』。軽い気持ちで、身投げ自殺のドキュメントのタイトルにひかれ借りてきたが、
初めから終わりまでシリアスで見入ってしまった。次次とサンフランシスコのゴールデン・ブリッジから身投げをして
いくのが映し出され、遺族や友人が、インタビューに答えている。このところ『大往生したけりゃ医療とかかわるな』や
『どうせ死ぬなら「がん」がいい』の読書録と、その下書きを書いているので、死にゆく者の心模様がシリアスに伝わる。
橋の手前で、死のうか迷って考え込み、決断する悲痛な姿が痛ましく映し出されている。 バンジージャンプのように、
飛び込んでいく。身近の人の証言では、ほぼウツ病で、それが高じ自殺に到る。生きているのが辛く、死にたいのである。
 反面、誰かに助けて欲しい気持ちが迷いを生み出す。その中で、一人、助かった人がいた。足から落ち、上手く靴が
水面に突き刺さって衝撃を和らげた上に、水中でサメかアザラシ?が踏み台になり、押し上げられたという。
普段なら40Mの落差の衝撃で亡くなるが、このブリッジは66M。内容は暗く恐しいが、心の闇が、身投げを通して
浮かび上がってくる。  ーウィキペディアによるとー
 ≪『ブリッジ』(原題:The Bridge)は、2006年に公開されたアメリカのドキュメンタリー映画。社会の禁忌としている
『自殺』をテーマにしている。観光の名所のゴールデンブリッジに1年間カメラを設置し、自殺者の様子をカメラに収めた。
後に遺族にインタビューをし、そこから自殺を図る人々の様子を映しだそうとしている。映画では24人が、橋から66Mの
高さから海面に向かって飛び降りている。監督のエリック・スティールはこの映画を取る際、映画の宣伝効果で自殺者が
増加しないように極秘に行っていた。 また、橋の柵に足をかけたら管理局に通報することをルールとして定めていた。
 映画は主に橋とその周囲の日常を撮影した風景、自殺者の飛び降りるシーン、遺族や友人、目撃者へのインタビュー、
遺書などから構成されている。中でもインタビューの映像が多く、自殺者の情報はインタビューの情報でしか語られない。
自殺者の多くが精神的な病やトラブルを抱えていることがその中で分かる。≫
▼ 2006年の時点で、この橋からの自殺者は年に24人もいるというから、全員撮ったことになる。次から次へとブリッジ
 から飛び降りるが、躊躇しているうちに警官や近くの人に、取り押さえられた人が数人いた。 生死の問題もあり、
それぞれの人生が浮かび上がる。ゴールデンブリッジという名所が、ロマンチックな気持ちを駆り立て、志願者が
国内から集まってくる。県内なら新潟の万代橋が河口に近いため海に流され、死体が上がりにくいとか。人知れず
消えている人がいるのだろう?テーマがテーマだが、決して後味が悪くないのは、シリアスすぎて、実感がわかない為? 
死ぬには死ぬ理由があるはず!
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2012年07月15日(日)
1129, マネー大動乱  ー2
        「日本と世界を直撃するー マネー大動乱」 増田悦佐
 アメリカの金融業界と他の産業の格差は二倍。そして製造業が商業より三割り高い。日本もアメリカほどでないとして
同じ傾向にある。最近では公務員が民官に比べて2〜3割以上も高いことが問題になっている。強い立場を利用して
御手盛りをしているのである。情報化もあり、一強多弱の傾向が全ての産業で強くなってきた。日本の自動車業界も
日本資本はトヨタとホンダぐらいしか残っていない。家電にいたっては総崩れの様相になってきている。
グローバル化は世界各国の垣根を超えた戦いになり、一強しか生き残れない事態になる。
ー 第二章 アメリカの金権社会は、荒治療でしか直せない ー
   * 産業間格差と、一業界一社の時代
≪ 日本の金融業界の給与水準は、その他産業の20〜30パーセント増しくらいである。これがアメリカだと、その他全産業の倍。
20〜30パーセント増しではなく二倍なのだから驚いてしまう。製造業と商業の給料ベースを比べると、日本では製造業が商業の
15〜16パーセント多いだけだ。これがアメリカになると、製造業は商業よりも30パーセントは高くなっている。あらゆる職種に
ついて給与水準の差が大きいのがアメリカの特徴なのだ。当然、給与がいい産業には誰れもが殺到するから、どうしてもその
産業は慢性的に人員過剰になる。いくらでもスペアは利くからリストラもしやすい。逆に、低賃金のところは慢性的な人手不足に
なりがちだ。人手不足だから時給を上げて人を手当をしようとすると採算割れになるので、他ではどこにでも採用されそうも
ない低賃金労働者で久場を凌ぐしかない。移民には絶好の勤め口だが何時までも経っても生産性が低いままだ。
結局、会社ごと、産業ごと衰退してしまう。 アメリカに比べると、日本はどの産業を見渡しても収入に大きな格差がない。
人手不足も人員過剰も極端ではない。それでいながら採用する会社側は「人員過剰の人手不足時代だ」と愚痴をこぽし、
雇われる側は「天職に転職したい」と夢ばかり追いつづけている。どちらの陣営も自分たちがいかに恵まれた環境にあるか
ご存じないが、一般庶民が夢を追い、高い要求水準を主張しつづけられるのは文句なくよいことだ。
 参考までに、お隣の韓国は教育水準がますます高くなっている。だが、1997〜1998年の大不況でIMFが乗りこんできて、
大企業は一産業一社というアメリカンスタイルにつくり変えてしまった。おかげで、それまでの7〜8つの財閥が競争して
採用活動を展開していた時代は遠い昔、企業の求人活動はすっかり衰退している。 電機.電子ならサムスン、自動車なら現代に
採用してもらえるかどうかで、その後の人生が天と地ほどもちがってしまう。 同業で生き延びているのはクズ同然のその他
大勢企業だけだから、敗者復活戦もありえない。同じ電機業界でも、パナソニックもあればソニーも日立も東芝もあるという
構造はいま、世界中でも日本だけになりつつある。ドイツもかつては大きな産業ごとに代表的な企業が3〜4社ずつあって
しのぎを削っていた。これがドイツという国家の活力になっていた。いまはそんな状況ではないぜいぜいフォルクスマゲンと
ダイムラーペンツ、BMWを抱える自動車くらいしか、複数の企業が切磋琢磨して高い技術水準を維持できる産業は残っていない。 
こうして改めて見渡すと、いまや基幹産業ならどれを取っても少なくとも三〜四社の大企業同士の激しい競争が続いている
国というのは、日本だけなのだ。
あとはどこでも、基幹産業それぞれで国際競争に打って出て通用する企業は一社だけという「競争」環境になっている。≫
▼ 情報化によるグローバル化が産業間格差と、一業界一社の時代を作り上げたといってよい。但し、その周辺で、それにとって
  変わる群れがいることが前提になる。問題は個人レベルの格差に直接影響すること。日本の産業も大きな亀裂が出来たようだ。
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3763, ユング ー6
2011年07月15日(金)
 * この東北大震災を、ユングの「布置」とし日本国家に置き換えてみると!
 10年前の9・11テロと、3年前の9・15のリーマンショックで大打撃を受け瀕死の事態に、今度の3・11の東北大震災と
福島原発事故が重なり襲った。 これを「二つの歴史的経済震災」に対する、この東北大震災は「めぐり合せ」(布置)と考えると、
この大地震の意味が見えてくる。 世界的経済震災が二つ日本に直撃した。それで経済基盤が弱い東北・北海・北陸など地方経済は、
これ以上ないほど疲弊をしていた上に、このめぐり合わせである。 ただ偶然が重なっただけでなく、そこに意味を見出すべきである。 
 また世界全体からみれば、地球温暖化の中で原子力の是認が流れになっていた矢先のこれ。「西洋的合理主義に対しする根底からの
見直しのサイン」と、この「布置」=めぐり合わせを見るべきではないか。
 日本もグローバル化の時代の中、西洋的合理主義の考え方を、根底から変える機会と見るべきである。 また同時に開放も図る
サイン?ではなかろうか。 外国人を入れるだけでなく、外国に日本人も出ていくべき時期にある。現在の政治体制では日本は
成り立たなくなっているが、現在の日本は自己修正能力が失われている。 この「布置」は、この震災が最後のダメ出しとして、
否応なく壊滅的状態まで個人から国家までの既存のシステムの破壊が進むことになる。 世界は日本を先駆けとして、その崩壊と
先行きを冷静に学習することになる。 これは取ってつけた民主主義と、隷属国家の末路として捉える。波乱の中で現状を変えるのは、
信長か、秀吉のような下克上で、成り上がってきた者である。 日本も世界も、思い切ったダウンサイズの時期に来ている。
 この10年間の、幾つかの自然災害の頻発は、地球規模の大転換へのサインである。まさに、その時に、9・11、9・15の
経済大震災である。やはり、来年後半にかけて、世界は政治的、経済的に大津波が荒れ狂うことになる。 その中で、全体が、
より合理的な、身丈にあった生活になっていくのでは? 現に、日本は、その一歩を踏み出している。 
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398, ゴリラは人間の隣人 ー1
2010年07月15日(木)
ビートたけしと、ゴリラ学者の京大大学院教授・山際寿一の「ゴリラは人間の隣人」をテーマにした対談が面白い。
山際寿一の「アフリカでのゴリラ研究の現地ドキュメント」を数年前にTVで見たことがあった。
  ーまずは、印象に残った部分からー
≪ゴリラと人間は97パーセント以上同じ遺伝子を共有しているとか。ならばゴリラが分かれば人間も分かる?・・・
遺伝子かみると、オラウータン、チンパージー、ゴリラは「ヒト科」に属しており、人間に非常に近い存在。
サルとの差の方が遥かに大きい。 では、「人間と類人猿と大きく違うところは何か」というと、人間は劇を作ること。
類人猿のゴリラやチンパンジーは、劇を見ていても意味が分からない。その中に入っていけない。
劇中で、AとBという人間がいたとして、それぞれの行動を見ながら、どういう思惑で、何をしようかと、劇中の人物に
共感しながらみるが、しかしチンパンジーやゴリラは、それが分からない。彼らは現実に起こって事実からあまり離れられない。
しかし我われは現実から離れて、空想の中でドラマを作ることができるわけ。≫
 ▼ ー以上だが、これは人間にもいえること。 本を読み込んでない人は現実の世界から離れることができない。
現実を形而下とすると、形而上の言葉の訓練がないので想像力や空想力が弱い。小説を読むとは、文字から作者の創りあげた
イメージの世界に入り込むことである。 本を多く読み込んでいる人と、ほぼ読まない人とはゴリラと人間の差ほどがある、
というと言い過ぎになるか? その位、本を読み、考えることは人間の人間たる所以である。 人生設計を前もって作っておいて、
それに従い生きることは自分の人生劇を作ることになる。 必死に生きてきた人は、形而上も形而下の質量が豊富になるので、
言葉とイメージは、それに比例して出来てくる。ゴリラと人間の差は考え、イメージする質量が圧倒的に違うということになる。
情報手段としての言葉がキーワードということ。 街に徘徊するヤクザは、ほぼゴリラの原型の世界とみれば分かるだろう。
時どき弱者を見つけてデモンストレーションをしたりするが、他者への迷惑は、あれほどかけない。   ーつづく
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3023,衝撃的な「ひらめきの話」
2009年07月15日(水)
  「生の科学、死の科学」 −養老孟司 対談集ー 
 養老孟司の対談集に、慶応大学教授で映像作家の佐藤雅彦の話が衝撃的であった。
  ー彼の語っている一部分を書き出してみるー
【 その日、家の窓から外を見ていたら、まだ見たことのない映像がガーんと出て、今までの中で一番大きかった。
 それが、三年後に、100万本ソフトになった『IQ〜インテリジェントキューブ』というゲームです。この世界観が突然出て、
 動けなくなってしまった。 暗い画面に、あるステージが浮いている。向こうから巨大な四角いキューブがガンガン来て、
 その前を七人とイヌ一匹が逃げ惑い、僕はその人たちに『右に行け』とか『危ない』とか、叫んでいるのです。しばらくして、
 これが僕がやったことがないコンピューターゲームなのかと思って、一週間後に、ソニー・コンピュータエンタティメントに
 のこのこ出かけていった。僕は一線級のディレクターの誰かに話を聞いてもらいたかったのですが、話を聞いてくれたのは
 ポロシャツ姿のおじさんでした。拍子抜けをしたのですが、気を取り直して「この人に望みを託そう」と決めて、
 頭の中の世界観を話したら、僕のことをジッと見て「その話は面白いよ、僕と契約しないか」「えっ」。
 そのポロシャツのおじさんは、何と幸運にも副社長だったのです。 】
【 甥にと東京駅でお土産に買ったルービック・キューブをいじっていたらバーンと構造が見えた。当時27歳の時です。それからです、
 わけもなく頭に映像がクルクル流れるとか、カタカタというか、とにかく勢いよく動くのが始った。 それまでは‘AならばB、
 BならばC,ゆえにAならばC」と理屈でやっていたのが、そんなことでは現実の問題は追いつけないのです。 20歳代前半は酒でも
 飲まないとやっていけなかったのが、あのルービック・キューブ以来、一滴も飲まなくなった。 飲みたくないのですよ。
 これ以来、わけがわからないけれど面白いというような映像がいっぱい見えるようになって、それでCMプランナーになったのです。
 そうしたらスポンサーから話がくると、♪《スコーンスコーン コイケヤスコーン》とか♪《バザールでござーる
 みたいなのがどんどん頭に中に来て・・・・・・・。》】
▼ モーツワルトが似た状態で「作曲モードに入ると、完成した音楽が宇宙の彼方から聞こえてくるようだった」というが。 
 現実にこういう話を聞くと人間の脳の不思議さを感じる。特に天才脳の・・(天才は梅毒による脳のロックの開放説もある)  
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2658, 幸福の4階建て
 2008年07月15日(火)      ヾ(●´∀`●)GOOD MORNING!!
京都大学の工学部の新宮教授が、古今東西の幸福論を読み漁った成果としての「幸福の4階建て論」説が面白い。
《「幸福ということ?エネルギー社会工学の視点から」 新宮秀夫著 》 
「新ストレス学説」の創始者・ハンス・セリエ(1907-82)は、そこで、《人間はあまり[[無事」だけでは、死ぬ時にガッカリする。
「ストレスは欠くことのできない人生のスパイス」こそが重要》と主張しているが、
 その部分から触発されて、幸福論を4つのステージに分類した。これが面白い。
  4階:克服できない苦難や悲しみの中に、幸福がある。
  3階:苦難や悲しみを経験し、それを克服する。
  2階:獲得した「快」を永続させる。
  1階:人間の本能的な「快」(恋、富、名誉など)を得て、増やす。
・幸福の1階は人間の本能的な「快」、つまり富、恋、名誉を得て、それを増やすことである。
・2階は獲得した富や名誉を永続させることである。 そこに時間的要素を入れ、いかに長続きさせること。
・3階は苦難や苦しみを経験し、これを克服することである。自己実現の要素が入ってくる。
・4階は克服できない苦しみや悲しみの中に究極の幸福があるのだという。これは解かりにくい。
 さすがに、教え子達に猛反発を受けたそうだ。
 1、2階の心の感動よりは、3階の苦悩や、難問を乗り越えた方が、より感動を得られることを経験的に知っている。
「感動することが幸福」なのだと看破している。確かに1、2階による心の感動よりは3階の自己実現のほうがはるかに
大きな感動を得られる。苦難を乗り越えた成功体験を知った人たちは自発的かつ前向きになる。
成功の対価としてのお金はもはや副次的なものとなってくる。 達成感が生きがいになるのである。
しかし新宮教授は、その上のランクとして、克服できない苦痛や悲しみの中に、幸福があるという。
この辺は、解るような解らないような。 三階までは、この世の幸せ。
4階は克服できない苦しみの中でこそ強まる天国の世界の願望と、その混濁した中の幸せ。
その苦しみの中で、己が融けてしまう状態が幸せということのようだ。
 何か、凄い話になってきたが、両親の創業期の苦しみを身近に見たのが、その感じである。
 ロマン・ローランの「ベートヴェンの生涯」の中に、『苦悩を通り抜けて歓喜へ』という言葉にも近いか。
 苦悩を得てこそ歓喜があるが、歓喜を予感しながら苦しみに耐えることが、最上の幸福ということだ。
 それにしても、頭を大きな棍棒で思い切り殴られたようである。教え子は大反発をするのも当然のこと。
 死ということを前提にして、この4つのステージはなりたっており、死という最大のストレスを迎える
 人生の終わりに、最上の感動を見出すこと!という意味なのか。この問いは今後の持続的自問自答になるほど、
 大きな問いである。「克服できない苦難の中こそ、幸福がある」とは? それも最上階にあるとは?
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2007年07月15日(日)
 2294, ハニカミ王子に、ハンカチ王子って何?
  (字数の関係でカット2009年7月15日)
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2006年07月15日(土)
1929, ローマから日本が見えるー13                 
 第6章 勝者ゆえの混迷ー2     
  ーグラックス兄弟の改革ー        ー 読書日記 ?
 ローマの名門貴族出身の若者でティベリウスグラックスとガイウス・グラックスという兄弟がいた。
 (字数の関係でカット2012年7月15日)
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2005年07月15日(金)
1564, 「これから5年・地価は半値になる」ー3
 ーマンション編
都心の高層マンションの計画が進んで売れ行きがよい。 
    (字数の関係でカット2011年7月15日)
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2004年07月15日(木)
 1199, つれづれなるままに
ー夢ー
この数日、最近たて続きに面白い夢をみている。他人の夢ほどつまらないものはないというが、潜在意識を覗くという面でみると
面白いのではないか? 
 ( 字数の関係でカット2011年7月15日 )
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2003年07月15日(火)
832,「阿弥陀堂だより」?映画日記
 先週末にDVDレンタルショップで『阿弥陀堂だより』を借りてきて見た。
 (字数の関係でカット2008年7月15日)
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2002年07月15日(月)
 457,スイス旅行記ー2
ーマッタホルンの凧揚げー
(字数の関係でカット2012年7月15日)
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2001年07月15日
 ー旅行ー