つれづれに

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 今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=h2xTdk3Udf8

 どうも、ここにきて内面が変わろうとしている。
全てが、思い込みということが、ますます自覚出来始めてきた。
そう思って自分も周囲を見ると、その人たちの思い込みを
自分の思い込みで洗い直してみると、違った視点が出来てくる。
 この分厚いバイアスー思い込みから、何歩も外に出て、
残された時間の中で、改めて世界の広さと、深さに触れる日々が、
今の私にとって必要のようだ。 せっかく、情報化で、そのチャンスが
大きく開いている・・ 貪欲に、世界に触れ、感じ取ることを楽しむこと! 
 介護を受けないで健康体でいれるのは平均からみて、私には、
あと二年あまりといえば、日々に貪欲になるしかない。 ただ面白い日々だが!

・・・・・
1755, 道洲制度について
2006年01月22日(日)
そろそろ道州制度が問題として浮かび上がってきた。
全国を8~11道洲に分割して合衆国制度にすればよい。
これだけ情報化が進んでしまえば、県という存在は必要でなくなる。
イギリスのサッチャーが、首相になったと同時に市のみにしたという。
 市町村の合併のあとには県の廃止と洲の導入は必然である。
そしてその中間の道洲制を取り入れて思い切った権限委譲をして、
ミニ国家的にすることだ。県は江戸時代の藩を元につくられたものでしかない。
道州制度には中央省庁は大反対をするだろう。中央官僚のタカリの種がなくなるからだ。
実現は今のところ空論でしかない雰囲気だが、情報化の進展が県という中二階の
存在を消滅させるだろう。
合併による合理化と、思い切った地方への権限委譲が効率よく出来るようになる。
国の経費を三分の二に縮小するには、思い切った道州制度は避けて通れない。
大阪府京都府などあるのを疑問視していた。奇異と誰もが思っていたはずだ。
京都・大阪・神戸・和歌山・滋賀など合併しても当然と、遠くから見れば解ること。
 新潟県は、それぞれの行政単位で中途半端の状態に置かれている。
関東甲信越北陸地方、東北地方)
この三案で全て違う組み合わせになっているが、道路と新幹線を基点に判断すると、
関東甲信越の枠組みである。最悪は北陸地方にくみこまれることだが、それはないだろう。
                            
・・・・・・・
2005年01月22日(土)
1390, 迷ったときは運命を信じなさいー2    
             読書日記
第6章の「あなたの自身の『原型』を知る』の中のー光の領域のレッスンーが面白い。
以下を要約をした。
 ーーー
2~3回、深呼吸をしてから次のイメージをしていく
1、都会の喧騒から離れた美しい並木道のある田舎道歩いている。
2、そこに広場の先に藁葺き屋根の風情の小屋が建っている。
3、その家の中を入っていくと、ロビーの先の廊下があって、その一室に入って、
 クローゼットを開けてみる。
4、服の奥に隙間があり、そこに入っていくと、下に行く廊下がある。
 そこをどこまでも降りていく。
5、下にたどり着くと、月の光を映している大きな川があった。
 そこで、座り川のせせらぎの音を聞きながら星を見ていると、船が見えてくる。
6、その船上でリネンのローブに身を包ん人物に呼ばれて、船に乗る。
7、その時に、流れるようなサラサラした衣装を与えられ着こむ。
8、その船はトンネルの中に入り、どこまでも進む。 船先にいる髭を生やした船頭が、
 聞きなれないマントラを唱え始める。そうすると、感覚が信じられないほど、
 研ぎ澄まされて、緊張はほぐれ、爽快な気分になってくる。
9、トンネルの向こうに光が見え、ドンドン明るくなっていき、
 そこが『可能性の領域』の入り口であることに気がつきます。
10、船を下りて水に浮かび、光に溶け込んでいく。
 そこでは光そのものになっている。振動する光であり、仮想の存在になっている。
11、光の中にいき、 
  ギリシャの神々の女王である、「尊厳と美の象徴のヘラ」に変身する。
 そこでは自信に満ち、周囲には威厳を放ち、世の中を指揮しています。
 そこに、別れを告げて、また光の戻ります。
12、再び純粋な領域いて、再び光の中心につき、今度は人生の荒波を乗り越える知恵を持った
 『賢い老王』に変身します。あなたはこの世の中にある形や現象を宇宙のダンスと考えている
  偉大な『リシ』ー賢者です。この世にいながら、世の中を客観的に眺めている。
13、そこに別れを告げて、今度は「救い主」に変身します。
  あなたは、許しや希望を周囲に振りまく思いやりの光です。
14、では、救い主に別れを告げる。今度は神々の母の姿になる。全てをはぐくみ、
 生命力を授けるエネルギーに満ち溢れた農業、多産、結婚の女神『デメテル』であり、
 シバの神の妻のシャクティーである。 あらゆるものに愛情を注いでいます。
15、そこに別れを告げ、再び光の中心につき、今度は快楽、恍惚、酩酊、
 の神『バッカス』になります。あなたは一瞬一瞬に全身全霊を捧げています。
 バッカスの目で世の中を見て、あなたを祝福する宇宙の音楽に耳を傾けてください。
16、バッカスに別れを告げ、今度は学問と芸術の女神『アテナ』や、
  インド神話の知恵の女神『サラスバティー』に変身する。
 知識、知恵、芸術、科学的論理を司る、文明の保護者である。
17、そこに別れを告げて、今度は愛と美の女神『ビーナス』として光から生まれてきます。
 あなたは官能、情熱、セックスの象徴である。愛の神の意識を表現し体験する。
18、愛の女神から別れを告げて、再び光に溶け込んで、『神の子』として、再び表面にでてくる。
 捧げる立場と、受け取る側のどちらにも無条件の愛の期待を抱かせる、純粋無垢な象徴です。
 神から宇宙から生まれたので、運命そして宇宙の可能性に満ち溢れています。
19、神の子に別れを告げて、光に戻ります。  そこでくつろいでいる。
  そこは願望をすべて叶えることのできる、激しい鼓動である。
20、また光に戻って、宇宙の錬金術師に変身する。
 あなたは無から有を創り出し、有を無に帰すことのできる最高の魔術師です。
 あなたにとって、意思と注意力を利用して、エネルギーを物質に変えていきます。
  どんな生き物であれ、物質であれ、姿を変ることができます。
  宇宙の錬金術師のクリシュナであり、無限な可能性です。
  -----
以上だが、これを更に省略をして、寝る前に「光のイメージ」の実験をした。
アメリカの田舎の並木道から、一軒家に入り、廊下を通って、部屋の衣装棚の奥へ
かき分けて入って、地下のトンネルを通って、大きな川辺に出て、船に乗り、トンネルに入って、
出て、船から降りて、光になって、そして、女神ヘラになり、老王リシになり、救い人になり、
救い人の母のデメテルになり、酒の女神のバアッカスになり、学問の女神アテナになり、
美の女神ビーナスになり、神の子になって,最後は宇宙の錬金術師のクリシュナになる」
以上を、ポストイットに書いて手帳に貼り付けて、酒を飲みながら見ていたら、
2時間ほどで覚えてしまった。
そして2日間、ベッドで自分が「風になったイメージ」をして
先ほどの「霊魂ー風」になったつもりで、実験をしてみた。
そうして寝てみると「多くの夢をみる」のに驚いた。
ユングの世界の被験者になっているようで面白い。
自分の内面の深層に、ドンドン降りていくような感じになった。
ーいや実際降りていったのだろうー
そして、それぞれの女神や、救い主になった感覚が面白い。
一種の白昼夢か?
この文章を読んでいる人は、信じられないのではないだろうか?
イメージで、かつ半覚醒で女神や神の錯覚状態をまともに書いてあるからだ。
神様と対話している感覚のようでもある。
ユングは、このような地下への階段をドンドン降りていったのだろう。
『その状態をもっと詳しく書いてみろ!』という声が聞こえてきそうだ。
今度、ミニミニ小説を書いてみようか? それとも、宗親日記に取り入れて書いてみようか。
あまり入り込むのは、この程度でやめておくが・・・。
ーーー
驚いた!、去年の今日が『眠りについてのお話』のテーマであった。
ここまでくると、気持ちが悪い!

・・・・・・
2004年01月22日(木)
1023, 「眠りについてのお話」-2
「経験を盗め」読書日記-2
睡眠は8時間が理想と思い込まされてきた。
しかし、これは統計上の話であって、生物学的な根拠は何もないという。
一般的に、人間に必要な深い眠りは寝入りばなのノンレム睡眠時に集中して訪れるから、
長く眠ればよいというわけではない。睡眠は非常に多様性に富み、個性的なものである。
10時間続けて寝ればよい人もいれば、2~3時間づつ寝ればよい人もいる。
「いい眠り」というのは、それは「自分にとっての」ということでしかない。
自分が納得した眠りを見出せれば、それが本人にとってよい眠りである。
ようするに、眠りの唯我独尊を手にすればよいだけである。
草食動物にとって寝ることは命がけである。夜間に肉食動物に襲われる危険が
つきまとっているからだ。また回遊性のイルカは左右の脳にかわるがわる眠らせているという。
入眠障害」「中途障害」「早朝障害」「熟眠障害」全てを経験をしたが、これで困ったことはない。
ー困ったことがないということは障害とはいわないか?何度かの挫折で眠れない夜が数限り続いたが。
「寝れないことを苦痛にしないのが大事」と子供の頃から体験上知っていた。
「寝れない時は寝れなくって結構」と思っていればよいと。
私の寝れない時のコツは、顔、腕、足と力を意識して抜くことを繰り返していると、
いつの間にか寝入ってしまう。寝れない時は知らないうちにどこか力が入っていることが多い。
ある人から聞いたが「寝れない時は直ぐ起きればよい」という至極単純な方法もある。
寝ようとしないで、三日間ぐらいのスパンで睡眠をとりかえせばよいという余裕を持てばよい。
睡眠障害も一種の神経症だから、陥った人にとってどうにもならないことも解るが。
セックスにしろ、食事にしても、本能的なものに神は快楽を与えた。快眠後の爽快感も、
その一つだという。そのためには、あまりの熟睡は寝たという充実感が少ないから逆に良くない。
私の場合は、現在は6時間半が平均である。特に寝入りっぱなは熟睡をする。誰もそうであろうが。
その時々によって、「中途障害」と「早朝障害」が三日に一度はくるが、別に苦痛ではないので
障害にはならない。また万年寝不足という経験も全くない。
そういえば睡眠は一日単位の死であると聞いたことがある。よく生きれば、良く死ぬことができる。
良く一日を過ごせば、良く寝ることができる。楽しい一日であれば、寝れない夜はなお楽しい。
そうそう良い一日が続かないのが人生だが。

・・・・・・
2003年01月22日(水)
658, 躁鬱について
 人間は躁鬱質か分裂質かどちらかか、その中間を浮いている存在だ。
そのコントロールが利かなくなって第三者に迷惑をかけたり、抜け出れないのが精神病になる。
束ねている元が壊れてしまうと精神病か。北杜夫は躁鬱で有名だ。彼の随筆を読むと面白い。
彼の場合鬱が長く、躁は短いタイプという。自分のことを書ているから、彼の躁鬱の話が面白い。
躁はある説によると、子供に帰ってしまう事だという。そうー躁すると未来志向になってしまう。
欝は逆に過去に向かって沈むことをいう。沈んでいる時は、過去の嫌なことをや嫌な人間に囚われている時だ。
うきうきしている時は、何か明日や将来の楽しみを考えている状態だ。
過去の楽しい状態を考えていることは少ない。その意味で躁は未来志向の時で、鬱は過去に
向かっている時というのは肯ける。身近に万年鬱が数人いるが、急に20年前の恨みつらみの電話をする。
電話を受けた人は、ただ驚愕をする。
万年躁の人もいる、躁仮面をかぶっているだけかも知れないが。
ある自殺未遂三回の人は鬱の人だ。悪臭が周辺に漂っている。
自分に甘い人で、周辺に甘さからくる膿をばら撒いている。
昔の日記を面白がって随想日記に書いているが、一種の鬱かもしれない。楽しい鬱などないのだから違うか?
躁病7年説というのもあると書いてあったが、私の周波が7年であるのは躁質の体質なのかと考えてしまった。
三年躁で四年鬱あたりか。人間は創造をする時は「躁造」-造語ーといってよい。
準備を積み上げた上に「躁の状態」でなければ、そうそう創造は出来ない。
女性などは生理があるのだから多かれ少なかれ躁鬱だろう。誰でも精神質はある。

・・・・・・
2002年01月22日(火)
308,人生の損益分岐点
 人生の損益分岐点-とは人生で元はとったか?ということ。
何だろうか、そんなもの考えている暇があったらチャレンジするものを探せ!
そんなものだ。おそらく人生にそれを見ること自体、おかしいのかもしれない。
しかし、言葉の遊びとしてスキップをしてみよう。
私の場合、51歳であった。下の子供が大学入試に合格した瞬間であった。
今から5年前である。入学をしてしまえば、後はアルバイトでもすれば卒業できる。
事業で500室ーこれは新潟周辺の客室の最大数(300室)の1・7倍。
母親を見送り、一応目安はたった。その時自分の一つのライン、その表現
が人生の損益分岐点に達成したである。人間としての一応のなすべき事の達成である。
これからは、純益のそれー自己達成とかいう真にやりたい事の自己満足の追求だ。
まずは家内に「私と結婚してよかったという」本心の満足感!
それは今更、無駄か!そして大好きな秘境ツアーの60歳までの50回達成である。

・・・・・・
1月22日ー水曜日 
 1969年
10時に学校に到着。川崎と会う。次に河村に帳面を返す。
そして産関研究所に行き、レポートの為の資料を借りる。
東武百貨店でコピーをとる。昼過ぎに寮に帰る。
市川さんが部屋に来る。会社が平日だが休みのようだ。彼と話をする。
何か私からゼミで得た知識を吸収しようといているようだ。

その後風呂に行き、読書をする。
22時から0時半まで勉強。
一時に寝る。