つれづれに

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?NR=1&v=g2IYQq7IkXc


 写真のペルー・(マチュピチ・チチカカ湖)には、1996・06に行っている。
外敵から逃れるために岸から離れたところに葦で数軒単位の小さな浮き島をつくり
住んでいる。 ここには、ものを蓄えるという感覚はない。魚や鳥が、限りなく
取れるし、葦の茎が食料にもなる。 家も舟も何もかも葦でつくる。
父娘が何かを引きずって歩いてきた。その手に、鵜のような鳥がいた。
恐れを知らないので、直ぐに取れるという。 ある島は、公民館など公共だけがある。
そこに、数個のホテルがあった。 世界は広いし、面白い。
小さな葦の舟を漕いで子供が通学する姿もあった。ここにも観光の害が押し寄せている。


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1023, 「眠りについてのお話」-2
2004年01月22日(木)
 「経験を盗め」読書日記-2

睡眠は8時間が理想と思い込まされてきた。
しかし、これは統計上の話であって、生物学的な根拠は何もないという。
一般的に、人間に必要な深い眠りは寝入りばなのノンレム睡眠時に集中して
訪れるから、長く眠ればよいというわけではない。
睡眠は非常に多様性に富み、個性的なものである。
10時間続けて寝ればよい人もいれば、2~3時間づつ寝ればよい人もいる。
「いい眠り」というのは、それは「自分にとっての」ということでしかない。
自分が納得した眠りを見出せれば、それが本人にとってよい眠りである。
ようするに、眠りの唯我独尊を手にすればよいだけである。
草食動物にとって寝ることは命がけである。
夜間に肉食動物に襲われる危険がつきまとっているからだ。
また回遊性のイルカは左右の脳にかわるがわる眠らせているという。

入眠障害」「中途障害」「早朝障害」「熟眠障害」全てを経験をしたが、
これで困ったことはない。ー困ったことがないということは障害とはいわないか?
何度かの挫折で眠れない夜が数限り続いたが。
「寝れないことを苦痛にしないのが大事」と子供の頃から体験上知っていた。
「寝れない時は寝れなくって結構」と思っていればよいと。
私の寝れない場合のコツは、顔、腕、足と力を意識して抜くことを
繰り返していると、いつの間にか寝入ってしまう。
寝れない時は知らないうちにどこか力が入っていることが多い。
ある人から聞いたが「寝れない時は直ぐ起きればよい」という至極単純な方法もある。
寝ようとしないで、三日間ぐらいのスパンで睡眠をとりかえせばよいという余裕を持てばよい。
睡眠障害も一種の神経症だから、陥った人にとってどうにもならないことも解るが。
セックスにしろ、食事にしても、本能的なものに神は快楽を与えた。
快眠後の爽快感も、その一つだという。
そのためには、あまりの熟睡は寝たという充実感が少ないから逆に良くない。
私の場合は、現在は6時間半が平均である。特に寝入りっぱなは熟睡をする。
誰もそうであろうが。その時々によって、「中途障害」と「早朝障害」が三日に一度はくるが、
別に苦痛ではないので障害にはならない。また万年寝不足という経験も全くない。
そういえば睡眠は一日単位の死であると聞いたことがある。よく生きれば良く死ぬことができる。
良く一日を過ごせば、良く寝ることができる。楽しい一日であれば、寝れない夜はなお楽しい。
そうそう良い一日が続かないのが人生だが。

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2003年01月22日(水)
658, 躁鬱について

人間は躁鬱質か分裂質かどちらかか、その中間を浮いている存在だ。
そのコントロールが利かなくなって第三者に迷惑をかけたり、抜け出れないのが
精神病になる。束ねている元が壊れてしまうと精神病か。北杜夫は躁鬱で有名だ。
彼の随筆を読むと面白い。彼の場合鬱が長く、躁は短いタイプという。
自分のことを書ているから、彼の躁鬱の話が面白い。躁はある説によると、
子供に帰ってしまう事だという。そうー躁すると未来志向になってしまう。
欝は逆に過去に向かって沈むことをいう。
大体沈んでいる時は、過去の嫌なことをや嫌な人間に囚われている時だ。
うきうきしている時は、何か明日や将来の楽しみを考えている状態だ。
過去の楽しい状態を考えていることは少ない。
その意味で躁は未来志向の時で、鬱は過去に向かっている時というのは肯ける。
身近に万年鬱が数人いるが、急に20年前の恨みつらみの電話をする。
電話を受けた人は、ただ驚愕をする。万年躁の人もいる、躁仮面をかぶっている
だけかも知れないが。ある自殺未遂三回の人は鬱の人だ。悪臭が周辺に漂っている。
自分に甘い人で、周辺に甘さからくる膿をばら撒いている。
昔の日記を面白がって随想日記に書いているが、一種の鬱かもしれない。
楽しい鬱などないのだから違うか?躁病7年説というのもあると書いてあったが.
私の周波が7年であるのは躁質の体質なのかと考えてしまった。三年躁で四年鬱あたりか。
人間は創造をする時は「躁造」-造語ーといってよい。
準備を積み上げた上に「躁の状態」でなければ、そうそう創造は出来ない。
女性などは生理があるのだから多かれ少なかれ躁鬱だろう。誰でも精神質はある。

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2002年01月22日(火)
308,人生の損益分岐点

人生の損益分岐点-とは人生で元はとったか?ということ。
何だろうか、そんなもの考えている暇があったらチャレンジするものを探せ!
そんなものだ。おそらく人生にそれを見ること自体、おかしいのかもしれない。
しかし、言葉の遊びとしてスキップをしてみよう。
私の場合、51歳であった。下の子供が大学入試に合格した瞬間であった。
今から5年前である。入学をしてしまえば、後はアルバイトでもすれば卒業できる。
事業で500室ーこれは新潟周辺の客室の最大数(300室)の1・7倍。
母親を見送り、一応目安はたった。その時自分の一つのライン、その表現
が人生の損益分岐点に達成したである。人間としての一応のなすべき事の達成である。
これからは、純益のそれー自己達成とかいう真にやりたい事の自己満足の
追求だ。まずは家内に「私と結婚してよかったという」本心の満足感!
それは今更、無駄か! そして大好きな秘境ツアーの60歳までの50回達成である。

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1月22日  水曜日 1969年

10時に学校に到着。川崎と会う。次に河村に帳面を返す。
そして産関研究所に行き、レポートの為の資料を借りる。
東武百貨店でコピーをとる。昼過ぎに寮に帰る。
市川さんが部屋に来る。会社が平日だが休みのようだ。彼と話をする。
何か私からゼミで得た知識を吸収しようといているようだ。
その後風呂に行き、読書をする。22時から0時半まで勉強。一時に寝る。