ー「末期がん、その不安と怖れがなくなる日」樋野 興夫 (著)
 怖しい本だが、いつ何時、「余命?ヶ月」を宣言される可能性のある年齢。父の余命一年間の精神的、肉体的苦悩を
目の当たりにしたが、この世から消え去る恐怖と、生への渇望は、砂漠の中の彷徨い人のよう。 いずれは通る道。
 その時、父に聞きかじりの哲学の『死についての一考察』を話したことは、何度か、ここで書いてきた。
【 本人にとって死は存在しない、あるのは自分以外の死だけ。何故なら、死んだ瞬間、自分は無くなる。
その当人が考えている死は、他人の死のイメージで、亡くなった人にとって、死んだ瞬間、その自分は、消滅している。
だから、全て死は、それぞれの当人に存在をしていない云々』と、話したところ、ハッとして急に顔が輝いたことがあった。
 死は何か? 死の恐怖の克服を如何にすべきか? 何故、自分が死ななくてはならないか?等の問いは、哲学の究極的問い。 
いざ余命を告げられ、絶望に陥ってから、この類の本を探し当てるのは至難のこと。 哲学として死について考えること、
身近な人を見送った手記や、医師と末期患者との哲学問答などの本を読むことが出来るのは、今のうち。
『死ぬための生きかた』と『生きるための死にかた』という具体例に取上げた本を読んだことがあるが・・それは生々しい!
   まずは ーアマゾン〜内容紹介ー
《 一人の病理医師が‘期間限定’で開いた「がん哲学外来」。評判が評判を呼び、全国に広がった。
 人は「死」を前にしたとき、「生」の意味を考え始める。ここに生きるヒントがある。
日本人の2人に1人はがんで死ぬ時代、一人の病理医師が開設した「がん哲学外来」。医療が手放した末期の患者に対し、
生きる意味、死ぬ意味などを問うこの外来が大きな評判を呼んだ。余命を宣言されたとき、あなたは何を思うだろうか、
何をしたいのだろうか… 多くの患者が抱える悩みは、人間関係にあるという。それらを克服し、どう死ぬかに至るための
道筋がこの本にある。いま、がんで苦しむ本人はもとより、その家族ばかりではなく、現在、健康な人へも「なぜ生きる」
「死をどう迎える」という命題をつきつける。●人生いばらの道、にもかかわらず宴会●八方ふさがりでも天は開いている
 ●命より大切なものはないと思っている人ほど、悩みは深い●死ぬという大事な仕事が残っている●勇ましく高尚なる生涯
 〜死んだあとに何を残すか●がん細胞は人間社会と同じ●がんになっても天寿は全うできる●愛しているなら、心配するな
 ●「する」ことより「いる」ことがやさしさ●暇げな風貌と偉大なるお節介・・・ 》 
▼ まずプロローグをまとめてみる。《「がん哲学外来」の言葉は著者が、初めてつくった造語。 2008年に3ヶ月にわたり、
 5回、特別外来を開いた。宣伝をしたわけでないので不安だったが、何と80組の予約。 予測を遥かに超えてしまった。
 患者は、不安を少しでも解消したいと思っていたようだ。これだけでなく、この「がん哲学」の動きは全国的に広がり、
 講演やシンポジウムに呼ばれるという。2001年の学術雑誌に『がん哲学への道』というテーマで寄稿していた。
  末期がん患者の悩みに医師や最新医療が何も答えることが出来ない。がん医療は、患者の「心」を支える部分で不十分。
 著者が患者に語りかけた内容は、それまでの患者から教わったこと。》次回から、章ごとにおって、テーマにする。
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4330, 弧族の人たち
2013年01月23日(水)
             「 孤族の国 ーひとりがつながる時代へ 」朝日新聞「孤族の国」取材班 (著)
 NHKスペシャルが取り扱った「無縁社会」の朝日新聞版というところ。 全国53の事例でつづった渾身のルポ。
太平洋戦争以降、若い人口を都市に流入させた結果、やせ衰えた地方。帰る田舎を失い都会で独り生活している孤独の人たち。
繋がることで弧族とはいうが、繋がれないで孤立をしている個々の人たちが大部分。65歳以上のみの高齢者世帯数が962万世帯と
過去最高を記録 し、全世帯に占める割合が初めて2割台となった。90年代後半の信用不安で倒産・失業が増えた時に自殺率が
急増したことも、これと関係している。かつて都会に出てきたが、定年や失業で職を失った中高年には行先の縁がない。
   ー内容紹介(amazon)ー
 急増する「単身世帯」。いま、恐るべき勢いで社会のかたちが変わっている。高齢になったら、病気になったら、
職を失ったら―その先には孤立という罠が待ち受けている。駐車場に止められた車の後部座席で発見された55歳の男性、
39歳の餓死、中国で婚活・結婚したものの破綻し蓄えを失った男性、震災後に離散した集落、独身無職女性の苦悩など
多数の事例から変容する家族と社会のあり方を追ったルポ。 団塊世代の高齢化、単身者の急増、相次ぐ孤立死
他人とつながることで、とえ少数だとしても納得できる人生の「力」になる。 朝日新聞連載のヒューマンストーリー。 
  ーここで53のケースが紹介されているが、生々しい。
【(CASE1) 神奈川県逗子市。公園の一角にある駐車場に止められた軽自動車の後部座席から遺体で発見された
 佐藤正彦さん、享年55。 DNA型鑑定で身元は特定できたものの、遺体の引き取り手がなく市が火葬、遺骨を保管。
司法解剖の結果は病死。4人きょうだいの末っ子だった佐藤さんは、なぜ「行旅死亡人」として生涯を閉じたか。取材班が
その足取りを追い、浮かび上がってきた生前の姿。】等々ある。
▼ 独居老人や孤独死は、憐れむ存在だろうか。死ぬ時は誰も独り。高齢者の自殺率 で、最も多いのが3世代同居、
 いちばん低いのが独り暮らしという。独りの寂しさやつらさより、家族関係の中の寂しさの方が辛いのだろう。
 ある幼馴染が倒産をした。そして離婚、アパートの独り暮らし。寂しさを紛らわせる痛飲、そしてアル中のパターン。 
 最後は県外にいる娘の近くのアパートに引っ越していった。が、他人事ではない。弧族は、核家族化と高齢化社会の中で、
 大方が待っている現実。 高齢化社会の大きな問題である。 麻生副総理の、「サッサと死なせろ!」は、名言である。
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3955, 他人を責める「新型うつ」について
2012年01月23日(月)
   * 生存適応戦略だった「ユウウツ」
 「新型うつ」についてNHKのクローズアップ現代や、新聞や、週刊誌で何度か見て、ここでも書いてきた。
ある本に、次のような記述があったが、なかなか面白い。 まずは、その内容から・・・
【 うつ病は現代病の代表のようにいわれるが、もちろん太古の昔から存在していた。うつ病の歴史について詳述された、
防衛医大野村総一郎教授の著書『うつ病の真実』(日本評諭社)によると、進化生物学的には、うつ病の主症状である
「ユウウツ」はもともと、ぽ乳類以上の高等動物が、生存に適応するために獲得した感情だという。たとえばサル社会では、
ボスの座を追われたサルは、うつ病のように元気がなくなる。このユウウツは、新ボスに反抗しないという無意識の屈従信号であり、
これにより攻撃されないという利点があると考えられる。また一〇〇万年前の人類が、仲間同士でマンモス狩りをしていたとする。
ある人が果敢に正面からアタックしたが、簡単にマンモスにつぶされる。その死を悲しんだ仲間たちは、ふたたびマンモス狩りを
する気力もなくなるが、あまり悲しまなかった仲間はまた同じ方法でアタックして死んでしまう。 生き残った悲しみの人たちは、
もっと安全なマンモス狩りの方法を考える …。このように、本来は生存適応してきたユウウツが、人類の発達とともに、かえって
不利に働く場面がでてくる。たとえば、人類に言語が発達すると、マンモス狩りの方法は行動より言葉で伝達したほうが効率的であり、
悲しみによって行動が停止してしまうデメリットのほうが大きくなる。人間社会が複雑になると、ボスザルの世代交代のように円滑に
いかなくなり、ボスの座を追われてもウツ状態になってはいられず、巻き返しをはからざるを得ないケースもでてくる。
このようにして、遺伝子に囲い込まれユウウツに関する内部的なルールと外部環境がかならずしも適合せず、行働に無理が生じる。
野村教授それがうつ病に発症につながるかもしれないと述べる。】ー日本の論点2012ー他人を責める「新型うつ」片田珠美 より
▼ 「ユウウツ」は本来、ぽ乳類以上の高等動物が生存に適応するために獲得した感情で、適者生存のため必要な病とは、
 面白い見方である。 人生の節目は、大方が挫折、絶望のカタチで、表立った心の病としてウツが押し寄せてくる。それは、
 本人にとって内面の切り替えどきであり、竹の分厚い節と同じで、独りで耐えるか、病院通いになるか、自死に至るかの
 瀬戸際になる。しかし断崖絶壁の危機を独り耐えないと、それまでとの切替えは不可能である。これは、ボスの座を追われた
 ボスザルの屈従信号のサインと同じ。それは当事者としても、ギアの切り替えになる。 現在の日本が、その立場にある。
 「一億二千数百総うつ病」状態である。その怒りの攻撃対象が、首相と政府に集中するため、一年で引きずり下ろされる。
 その背後にいるアメリカも間接攻撃をする。そのため、奪略対象として冷静に操作が出来る。 振り返れば節目時は鬱だった!
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3590, 戦略ネット会議システム −2
2011年01月23日(日)
 K氏の話. そのメンバーの人物像が面白い。大手企業、官僚と渡り、大手銀行に応募をして入社した人物の面接での
応答に驚いた。「貴方は我社に対し何が出来るか?」に対し、「貴社が潜在的にやりたいと望んでいたことを、掘り起こして
達成しててみせます!」という。 実際にやってのけるだろうし、その新しい実績が本人にとって、さらにキャリアになる。
その本人も凄いが、探して採用する会社も、時代のなせるわざ。ネットのY社のキャリア女性の感覚が初めて見る人種とか。
東北の電鉄会社の開発の人が、線路に直接バスを乗り入れる開発のチームを組んで・・・とか。 中国、インドなど新興国向けの
ネット上のセキュリティー・ソフトに絞り開発している会社とか、聞いているだけで面白い! それらの事業戦略のコア部分に、
互いに知恵を出しあえば、多くの切口から多くの事業ヒントを得ることが出来る。 秘密漏洩の問題もあるだろうが、互いに戦略を
マナイタに上げて、複数の脳で練りこみをした方が、内容はアップする。そこにはある種の独特のアルファー波が出ているのだろう。
その現場の空気を一度吸ってみたいもの。 「潜在的に、やりたいことを掘り起こし、新たに顕在化すること」こそ、企業にしても、
個人としても革新ポイントのコアになる。 この事業戦略の互いのケース・スタディーは、その辺に焦点を合わせているはず。
 ところで、「現時点で、会社にしろ個人の、潜在的にやりたいと望んでいることは何? それを練り上げあげているのか? 
この恐慌の一番底が来年に到達しようとする中で、どうする?」 そう簡単に答えはない。考えつくし、身を委ねるしかない。
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3225, 死もまた愉し
2010年01月23日(土)
  孤高の文士・結城昌治が死の直前に語った「死とどう向かいあったか」の言葉がよい。50代には、ハッキリした絶対言明があった。
 「60歳までに、それ以降の人生の全てを成し遂げること」。そして、還暦をむかえて一人「もとをとった!」と、ほくそ笑んだ。
 今となって本当に良かったと思っている。ところが還暦を過ぎてから、次の絶対言明が見つからないのである。 
 しかし「死もまた愉し」の中の、次の言葉が、 これからの私の指標に最適に思えたのである。
≪ 余生だから、とにかくあくせくしない。5年先、10年先まで考えて計画を立てたりすると、どうしても張りきりすぎる。
 とりあえずは1年だけ考える。あと1年だと思えば、その間の人生を目いっぱい生きることができる。1年が無事に過ぎたら、よし、
 もう1年生きよう、と……。 新しい目標を定めてもいいし、前のつづきをやってもいい。また1年たったら、つぎの1年を考える。
 こうすれば、1年ごとに新鮮な人生をくり返すことができる。これはうぬぼれをなくすコツでもあるし、人生最後の志として
 大事なことではないかと思うんです。 ≫
  若い時に肺結核を患い、肋骨を12本も切るという大手術をうけ、長い療養生活をおくった結城の人生は死と隣り合わせ。
 ーそのような境遇で、会得したことは、
【死を大袈裟に怖がるのではなく、生きている最後に来る愉しみと思えば、寧ろ、日々の人生がずっと気楽なものになる】ということ。
 私には、どうも無理のようだが・・。 彼は毎年、誕生日ごとに遺言書を書いていた。 内容は毎年同じで、原稿用紙。
 「通夜、葬式、告別式、無用のこと」
  結核療養所石田波郷福永武彦と出会ったことが、彼の生涯を決定付けた 
・春惜しむ いのち惜しむ 酒惜しむ         ・耀きて 驟雨に落つる 蝶見たり
・風船の まぎれむ雲も なかりけり         ・緑陰に 置かれて空の 乳母車
・降る雪や 余生といふも やすからず        ・來し方の 見わたすかぎり おぼろかな
・花あんず 母と旅せし 記憶なく          ・ぼうふらも 生きるいとなみ 死ぬなかれ
・ゆゑ知らぬ 疲れ金魚を 憎みけり         ・秋風や 逢ひたきひとは みな故人
・いわし雲 どこへゆくにも 手ぶらにて       ・夕虹や 夢はかなはぬ ままがよし
・いくたびも 死にそこなひし ゆかたかな
    ≪ 一句一句が、何とも格調高く、見にしみる ≫
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2850、チベット旅行記 −1
 2009年01月23日(金)
ある人に強く勧められて読み始めた、これ面白い。 6年にもわたるチベット旅行の記録が本になっている。 
内容が臨場感があり、生々しいから自分が経験しているような気持ちになってしまう。
勧めてくれた人が山の手線の東京駅を(内容に引きこまれて)三回も行ったりきたりしたというのも頷ける。
 ー要約をすると
{ 日本に伝わっていない未伝経典を知りたいという思いから、サンスクリット原典が唯一残っているチベット国に行くことを思い立つ。 
鎖 国状態のチベットに、ヒマラヤを越えをして入国する大旅行。 唐の玄奘三蔵のインドへの旅に似ているが、河口慧海の場合は
 個人の意志によるもの。 三蔵とは事情が違う。 明治30年(1897)31歳の時の密入国である。 当然に死を覚悟を
 しなければならない。抜け道の間道を通ってヒマラヤ山脈を逆回りのコース。 僧衣で平均高度4500mのヒマラヤを走破する。
 若い娘に結婚を迫られたり、強盗に出会いながら山中で野宿。 凍りつくような川を裸で渡ったり、雪中で進退きわまる時や、
 右に行くか左かの道を選択しようかという時は、座禅をして知恵を得る。食事は麦こがしをお湯とバターで練ったものを1日に一食。 
 想像を絶した苦難を次から次へ乗り越えた末にチベットのラサ府に到達。そこで知遇を得、日本から持参した薬と医学知識で
 病人を治し、現地の人たちに経を唱えて糧を得る。そして大学に入る。その旅で、チベットの生活、習慣、風俗などを細かに観察、
 貴重な記録になっている。目的と動機を以下のように書いている。「私は世の冒険家にならって、探検の功をあげることを
 目的にしてはいない。 我が国未伝の経典を得たいがために出かけたのだ。したがって探検家の資格は私にはない。
 ……ただ、今回の旅行では、宗教に関すること以外にも、社会学、経済学、歴史学、地理学、動植物分布などに
 関する様々なことを観察することができた。」 その観察眼の客観的で冷静な見方に、ただただ驚かされた。
 ▼ 河口慧海チベット旅行記」:1866年大阪堺生まれの僧侶。チベットに仏教の原典を求めるために僧籍を離れ、
  1897年に船でインドに渡り、ダージリンやムスタンでチベット語の勉強などの周到な準備を整えた末、
 1900年にヒマラヤ山脈を越えて西チベットに入る。マナサロワール湖やカイラスを巡礼した後、 日本人として初めてラサに入り、
 セラ寺に入門。漢方薬の知識を生かして人望を集め、ダライ・ラマ13世に謁見するまでになるが、日本人であることが露見したために
 急遽ダージリンに脱出。 その後も中国、インド、ネパール、チベットを訪れ、在家仏教を起こすなど、日本のチベット学の
 始祖として知られる。         1945年、「チベット語辞典」の編纂半ばにして没。享年80歳――。  ーつづく
  ・・・・・・・・・・
 2008年01月23日(水)
2485,「恐慌」が待ち構える黄昏の米国 −2      オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
  今週に入ってからも、更に日本の株価は下がり続けている。当面は1万2千円辺りが底値か、それとも更に下がり続けるのか?
 世界的に広がってきたのが気がかりである。余りにも悪材料が揃い過ぎている。下手をすると、恐慌の可能性がある! 
  ー前回の「記者の目」ー毎日新聞の、つづき
ローンを担保に次の金融商品を作り、それを担保にまた商品化(証券化)と何度も繰り返されていることがサブプライムの特徴で、
どの商品が焦げ付くのかが見えにくいから始末が悪い。しかも、住宅価格が上がることで借金が可能となり消費を膨らませるという
アメリカ人の消費行動も狂わせた。減速どころではなく、アメリカのリセッション(景気後退)が現実味を帯び始めている。
原油高騰などからインフレ懸念を引きずっての景気後退となれば、なおやっかいである。1月7日、経済3団体などの賀詞交換会
アメリカはスクラップ・アンド・ビルドの国。うみを出し切れば、あらゆる手を打ってでも、経済を立て直してくる」。
年後半の相場反転を期待する企業トップもいたが、多くは「アメリカ・プロブレム」を気にかけていた。
 90年代以降、同時多発テロで一時揺らいだものの、世界経済を主導し、自らもその果実を満喫してきたアメリカの黄昏。
一方で、ユーロ高を導いているEU(欧州連合)、今夏、北京五輪を開催する中国、資源外交を強めるロシア、
成長力は中国以上といわれるインド、オイルマネーが勢いづく中東諸国、資源大陸アフリカ等々、08年経済の担い手は多士済々だ。
基軸通貨(ドル)の信頼感からアメリカに還流していた資金は今、原油に向かい、金を買い、非鉄金属などをめざしている。
資源バブルである。バイオエタノール需要を見込んで、穀物にも向かっている。どれも投機色が強いが、新興国の経済急成長という
需要増が背景にあり、世界経済の主役の座がすでに、アメリカからこうした国々に移っていることも確か。
 (字数制限のためカット 2012年1月23日)
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2007年01月23日(火)
2121, 銀行も本格的な競合状態に!     (^^)/ おはようよっ!
地元の銀行の担当の話によると、「地方銀行も本格的な競合状態に入ってしまった。都銀や大手信託銀行が、
中小企業への本格的な開拓を始めてきた上に、地銀同士がこれまでのテリトリーを越えて顧客の奪いあいを始めた。
 (字数制限のためカット 2010年1月23日)
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2006年01月23日(月)
1756, サイボーグ   (σ・з・)σオハYO!!
NHK・BSスペシャル「サイボーグ技術が人類を変える」の放映が衝撃的であった。身体の一部を機械に置き換え、脳が機械と
直接つながったサイボーグ。SFの世界の話だと思われていたサイボーグが、現実のものになろうとしている現状のレポートである。 
脳とコンピューターを直結し、考えただけで身体を動かす研究を実用化しようとしている。 ・∀・)つ 
   (字数制限のためカット2011年1月23日) 
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2005年01月23日(日)
1391, 危ない格言           ー 読書(毒書)日記 ー
ー新書yosennsya 榎並 重行 (著)
書店で立ち読みをしていたら、鋭いとげのある格言が目についたので衝動買いをしてしまった。私向きの本である。
買って読むと棘が棘に見えなくなってくるから不思議なものだ。ー帯びに『類を見ない猛毒に満ちた格言集!』とあるが、
買ってジックリ読むとやはり毒だらけである。それぞれの章ごとに、毒の強い文章を幾つか書き写してみる。
第6章まであるので、数日の随想日記のネタになる。先ず本の名前を見て、帯を見て、表紙の裏の文章をみて、そして、
前書きを見て、終わりを見て、パラパラと開いて、飛ばし読みをするのが通例だが、どこを見ても毒だらけの珍しい本である。  
(字数の関係でカット2009年1月23日)              
・・・・・・
2004年01月23日(金)
 1024, 22歳の日記−2
何回か書いた事があるが、ゼミについて考えてみる。この時期は、武澤ゼミと寮とクラスメイトなどの過去4年間の友人が、
ほとんど全てを占めていた。特に武澤教授の影響が大きいことが、この日記か窺い知れる。ゼミでは、まず一週間前に事例
(ケース・スタディー)の用紙を渡される。 その間に対処を考えてきて、それを元に全員で徹底的に議論をする。 
その後、その事例研究の答えの用紙を見せられる。我々の出した結論と、誤差について更に議論をさせる。
また二班に分かれて議論した結果を持ち寄って互いに議論もする。
 字数の関係でカット(2008年01.23)
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2003年01月23日(木)
659, 人間-女心
ー宗親流に書いてみるー
人間の心ほど、いや自分の心ほど面白いものは無いね。単純で複雑で自分でもコントロールが不可能なものだね。
だからノイローゼになるんだろうな。それにさ男女の下が絡んでくるからね。「女の身体の真ん中辺にシンショぶっちゃる穴がある」
という都都逸があるがね。
字数の関係でカット(2013年01.23)
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 2002年01月23日(水)
309,壁ー2(言葉の壁)
決断しなくてはならないが、そこに壁があり躊躇するとき「取りあえず、決断を引き伸ばすか回避する言葉」が
「取りあえず」である。思考停止病といっていい。「とりあえず、こおしておこう」「とりあえず、大学にいっておこう」
 (字数制限のためカット 2012年1月23日)
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1月23日 木曜日 1969年
 8時起床。登校後、産関論の授業に出席。この授業は、これが最後だった。その後、川崎と喫茶店に行く。 
午後は価格理論に出席。帰寮後、合気道のOB会出席迷ったが、結局欠席にした。
字数の関係でカット(2013年01.23)