つれづれに

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 なかなか、30㎝以上の積雪がない。 
   2月初旬頃にありそうな?




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5061,閑話小題 ~何を慌てている?
2015年01月22日(木)
   * 何を今さら
 イスラム国の脅しに、国家をあげての危機管理とか。生首を落とされるのが
世界中にネットで流されるのが拙いらしい。あの二人の御仁、他国の人たちの
首落としの刑からして、自分の危険を覚悟をして現地に行ったはず。たまたま、
展開が斬首となっても、いた仕方がない。何を今さらである。
 宗教戦争とは、そういうもの。 8千キロも離れた異教徒が戦争ビジネスを
画策して、そこに身を投じた結果でしかない。ツアーとはいえ、世界の秘境と
異郷で、危険な状況を体験したが、万一の場合、仕方がないと割切っていた。
 ここで御出ましになるのが人道主義者。その論理の筋たては、聞かなくとも
分かる・・ 政府としては、一応、最大限の誠意を見せるが、裏取引での妥協は
許せない。 他国のケースの身代金の相場が200万ドルというが、どうだろう、
この辺りで手を打つかどうか。今回は、安部がイスラエルの訪問のタイミングを
狙った芝居がかった大金。 暴力団の恐喝の場合、初めは法外の値を要求する
のが常套手段。部族長の仲介で、妥協するかどうか。 結果は、生首が落とされ、
映像が世界中を駆け巡り、平和な島国の危機意識の希薄さと、精神の甘さが
世界中に流される? これでは、エボラ出血熱などのリスクを考えると、中国、
東南アジア、韓国、アフリカ、中近東、欧州に、旅行する気が無くなってしまう。
 旅行代理店は、先行き真っ暗だろう。ところで、検索に『イスラム国 斬首』
と入れたところ、様々な打首が出てきた。ズラーッと並んだ刎ねられた胴体に、
生首が置かれた写真や、柵に置かれた生首とか・・ 深層は、人種間差別と、
世界的貧富の拡大が情報化で露出され、グローバル化で、いずれの国にも、
直接、影響をする時代になってしまったことと、情報端末の普及で、世論操作
が難しくなったことである。 アラブ世界には、凶暴な独裁者が必要悪として
必要とさえ思えるのが、この「イスラム国」の存在である。 
 それにしても、アブラハムは、厄介な神ヤフーをおつくりになった。

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4329, 財政恐慌 -5
2013年01月22日(火)                    
    * 死に至る無限ループ    『財政恐慌』浜矩子著 
 以下の抜粋部分は近未来の財政破綻と恐慌を明確に分析している。 
これは日本だけでなく、アメリカ、欧州も同じこと。最後のリンゲルをうち
終わった後の近未来の日本の惨状を考えると惨憺たる思いである。 
   ーまずは、その辺からー
≪ 恐慌とは何か。それは、要するに経済活動のシック死現象だ。
 劇的な形で、あっという間に経済活動がマヒ状態に陥る。そうなれば、
人々は恐れ慌てる。だから、恐慌という。このとてつもなく怖い現象を、財政が
引き起こす。そのようなとんでもないことが起こる世の中になった。それは、
なぜか。グローバル時代においては、ヒト・モノ・カネが国境を越える。
ところが、財政は国境を越えられない。国境を越えられない財政が、
国境を越えたヒト・モノ・カネの動きが引き起こす様々な大問題に対処
しなければならない。そのことが、いまだかってなく重い負担になっている。
その重みに耐えられなくなった時、起こってはならない財政恐慌が発生する。
 ご承知の通り、財政政策というものは、景気変動による経済活動の浮沈を
ならす機能を果たす。財政にそのような役割を付与すべしと唱えたのが、
かのケインズ。 経済活動が大膨張と大縮小の間を行ったり来たりし、その度
ごとに人々の生活を痛めつける。この極端な循環現象から経済社会を解放しよう。
そこに、財政政策のそもそもの眼目がある。
 その意味で、極めて雑駁に言えぱ、要するに財政政策というものは恐慌逃避
のために存在するということになる。恐慌は経済活動のショック死現象だが、
見方を変えれば洪水のようなもの。大河が溢れれば洪水になる。洪水はすべてを
流し、その過ぎ去りし後に新たな生命の循環が始まる。新たなスタートを切る
のは結構だが、その前に、あまりに悲惨な大清算の場面をどうしても経なければ
ならないのか。その衝撃をなんとか緩和できないものか。そのような発想の中から、
政策の関与によって経済的変動を微調整しようというケインズ的考え方が生まれた。
 かくして、ケインズ後の経済の世界は、恐慌というショック死現象に陥ること
を免れることになった。ただし、そのための代償として、常にインフレに陥り
やすい体質が世界的に根づくことになった。それはそうだろう。
経済活動のショック死を防ぐべく、政策が早め早めにカンフル剤を打つ。
その状態が続けば、経済活動は常にとってもハイになりやすい。欝状態に陥る
ことを避けるために、どうしても躁状態を慢性化する方向にバイアスがかかる。
要するに人類は慢性インフレという代償を払うことによって、繰り返し襲う
恐慌の洪水から解放された。それが従来型の基本認識だった。ところが、いまや
その認識とはあまりにも違う構図が我々の目の前に出現している。いまや、
内と外との関係は実に曖昧だ。国内から外に出て行き、外から内に流れ込む。
数多くの工場が丸ごと国境を超えて移転する。それに伴って雇用機会もかつて
ない勢いで内から外へ流れ出す。≫
▼ 問題は、大清算の国民の痛み。ギリシャが、いざ予算削減で国民の痛みに
 直面すると同時に拒否するパターンと同じことが、今までも、これからも
日本に起こる。目先の痛みを恐れ問題の先送りを続けてきたが、もう許されない。

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3589, ユダヤ人 魔法のコトバ
2011年01月22日(土)

  「ユダヤ人 魔法のコトバ」 ースティーブ・モリヤマ著
 ユダヤ人の格言は、数千年の歴史に裏付けられているので、奥行きが深い。
 世界の権力構造にはユダヤ人が深く関わっている。下手な人生論など足元にも及ばない説得力を持つ。
  ー この本の中で、印象に残った箇所を幾つか書き出してみる ー
* 成程!
 「私は決して歳をとらない。私にとって、老齢とはいつも自分より15歳年上のことだから」
   ー米国投資家・ベルナルド・バル-ナ
   解) 逆に自分より15歳年下からみれば、老齢ということになる。
     40歳位までは55歳以上の人は皆、老齢に見えた。
* 笑うしか術がない時
  人生の中で、本当に深刻な時と問題がある。その時は、独り笑うしかない。 
   解)その笑いが、振り返ると何ともいえない思い出になる。ところ、笑えるのは本当に深刻だろうか? 
     愚問か!
* 物忘れ
 「まずは名前、そして顔が思い出せなくなる。次にズボンのジッパーを上げるのを忘れるようになる。
  そして最後には、ジッパーを下ろすのを忘れるようになる」 コメディアン ージョージ・ハーンズ
   解)これ、笑っていられない年齢になってきた!
* 口の軽い奴
 「手癖、女癖の悪い奴より、口の軽いやつのほうが始末が悪い」    ータルムード
 「噂話はかならず三人を殺す。噂をばら撒くやつ、疑問も抱かずに噂話を聞く人、対象になっている人」
   解)教養のないオバチャン。それと、そのトジブタの割れ鍋の男。酒が入ると、他人事ではないか…
* 夢も悪夢もあったけど
 「夢も悪夢もあったけど、夢があったこそ悪夢を乗り切れた」 ージョナス・ソーク
   解)悪夢を乗り越えた時点で、それは志に変ってしまう。乗り越えないと挫折が待っている。
    「夢も悪夢もあったけど、(悪夢)があったこそ(夢)がかなったのだ」も、道理。
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3224, 地球を通り過ぎる
2010年01月22日(金)
 2000年前後、6年間、朝日新聞に連載されていた「一語一会」の随想集の中にあったもの。なかなか、
含蓄のある随想である。地球環境破壊に対する問題提議にもなっている。この人の写真集を持っているが、
なかなかよい。
  * ー地球を通り過ぎるー  長倉洋海 写真家
「鳥のように静かに地上に降り立ち、やがて静かに飛び去っていく。それが私たちインディオの生き方。
人は地球を傷つけることなく、通り過ぎることができる」。 ブラジルを共に旅したアユトンの言葉だ。
 アマゾン先住民を取材しようと訪れたブラジルで、出会ったのがクレナック族のアユトン。
彼は「開発」で故郷を追われ、都市の建設労働者などを経て、インディオの権利回復運動で活躍した。
が、大切なのは子孫に残すべき文化だと気づき、今は各地のインディオの村々を訪れ、経済的自立と伝統
文化の復興に力を注いでいる。アユトンとの旅は楽しかった。彼は森に入る時に、森の女王サマ・ウーマ
の巨木に語りかけて許しを乞う。動物の鳴き声をまねてはみんなを笑わせ、万物の存在をユーモラスに詩に
して吟じる。舟をこぎ、森を抜ける行程はきつかったが、彼は森の精に力をもらうのか人一倍、元気だった。 
 ヤノマミ族の村を訪れた時には、半裸になり、二人で踊りの輪に入った。
両隣の人と手をつなぐと、ぬくもりばかりか心臓の鼓動までドクドクと伝わってくる。
カシナワ族の村に滞在した時は、別れ際、族長に「こんな寂しい思いをするなら、最初から来てくれない方が
良かった」と言われた。モノではなく、人との出会いを何より大事にする姿に胸が熱くなった。
「人は何もしないために存在していてもいいじゃないか。生きていること自体が素晴らしい贈り物だから」
とアユトン。インディオの家も舟も、衣類や薬も、すべて自然から生まれ、そこに還っていく。人の生死も
同じだ。世紀末やら千年紀やらと浮足立っている我々と対照的に、祖先から続く大きな流れにゆったりと
身を任せ、烏のような生き方で地球を子孫たちに手渡す……。
アユトンとの旅は、私の中で挨をかぶり、眠っていた人間の素地を呼び覚ましてくれた。
 ――
 還暦も過ぎ、60代半ば近くなり人生を振り返ると、あくせく生きてきた自分に疑問を持つようになる。
地元の中学校の同級生に、高校を出て地元の会社に勤め、そして倒産。更に勤めたところも倒産。それでも、
淡々と転職先で準社員として勤め、晴れて年金暮らしに入り、嬉しそうにしている無口の男が居る。
人を羨むようでもなく、ただ淡々と生きている。時どき、土・日のアルバイト先の家電チェーンで見かける。
 最近、彼のような自然体の静かな生き方も良いのではないかと、思えるようになってきた。
  人は人、我は我、だが。
・・・・・・・・
2849, 「ほめる」言葉  - 3
 2009年01月22日(木)
  ネットで「褒め言葉」で検索をしたところー「二段ぼめ」が基本ーとあった。 一段目が、外見や仕事
などに対する一般的なほめ方。二段目は、その長所から連想される内面をほめること。
 ただネクタイの色柄をほめられるよりも、それを選んだ感性がステキと言われるほうが数段も嬉しい。女性?、
ファッション服を買う時、彼女の頭には誰か友達に見せて褒められる場面を想定している。何気なく着ていて
『素敵!』と言われる場面である。 外国のブランドショップで買うときなど、そこで日本より安く、いち早く
買ったことを自慢したいのである。ほめて欲しい方も、二段構造になっているのである。それなら二段ぼめを
しないと。「いいわね~私も、その国に一度は言ってみたいの!」とか。人間は優位に立ちたいのである。
嬉しそうに家内が言うには、「ある店に行ったら偶然なのだろうが、女店員が持ってくる服が全て似合って
いるの。 女店員も調子に乗り次から次へと、試着させてくれた。外れは一着もなく至福の時間だった。」 
幸せな人には幸せなことが起こるのである。買ってきたのを着てみせてくれたが似合っていた。
褒めるとは、互いに呼吸を合わせるということである。
 ーーー
第二章 相手の言動に関心を持つ「ほめ言葉」
 ー相手をよく観察すれば、とっかかりの言葉は見つかるー
「さすがー」その場でほめる 56     「やるじゃないか」相手に関心を持って接する 58
「笑顔がいいね」観察していればほめる言葉は見つかる 60
「誰よりも早く出社するね」事実を伝えるだけでも「ほめ効果」は期待できる 62
「創業1OO年だそうですね。さすがに老舗の風格がありますね」 事実にプラスの評価を付け加える 63
「慎重なタイプだから安心だよ」 個性をほめる 「よく知つているね.感心させられるよ」知識をほめる
「キミの報告書は、いつもデータがしっかりしているね」 具体的にほめる
「いつも一生懸命だね」 プロセスをほめる 70
「わかつていてもなかなかできないことだよ」 当たり前のことでもほめる
   (字数制限のため中間カット、2011年1月22日)
  ーーー
 子供の褒め方に理想的なほめ方があるという。
 「すごいね。どうやったらそんなふうにできるようになったの?」
 こう言えば、ほめられた人間に自己の行為を振り返らせることになる。
 ほめる目的と効果は、本人の行為を認識させ、次の活動への意欲を増大させることにあるからだ。
  そういえば、ほめた相手が嬉しそうな顔をした思い出が幾つかある。 それは次回 - つづく
・・・・・・・・・
2008年01月22日(火)
2484, 「世間体」の構造 -2           ('-'*)オハヨ♪
 ーあるブログに、この本の要約があった。
以下は、それを更に簡略をした内容であるー これで、ほぼ概要を網羅している。
 -
”世間”とは個人からみれば、”準拠集団”=自分の行為・行動・態度・意見、価値観にもっとも強く影響
を与える集団と捉える著者は、語源から”世間”の”世”は「時間」を意味し”間”は「空間」を意味する
として、人々の”世間”に準拠して人々が行動するようになった世間観の原型を江戸期時代として、井原西鶴
世間胸算用』がその象徴とみた。 村の「オキテ」、武士の「イエ」をその背景として、明治期に家族生活
を統括する基準となる家制度(共同体社会における和合価値と、武家社会における献身価値の融合)を明治
民法で国策化し、『「せまい世間」は「イエ」と対峙しながら、それに優先し「ひろい世間」は「せまい世間」
と対峙しながら、それに優先した。「ひろい世間」はより「ひろい世間」と対峙しながら、それに優先する。
このように、同心円的に幾重にも重層化「世間」が国家を頂点に整序づけられた』と述べる。
(字数制限のためカット、2010年1月22日)
ーーー
2007年01月22日(月)
2120, 一度はやってみたかった!    オッ(*^○^*) ハ~ヨウサン!
 ー下品な人は誰のこと?ー
「品格のない男とはどういう品種」かと先日書いたが、酒を飲むと、その人間の品性が出るという悪い事例を
「自分にみた!」 男なら一度女性の和服を脱がしてみたいものである!が、その願いが何と叶えたのである。
先日の中学校同期会の二次会で、午前の一時過ぎの帰る間じかに女性二人が、着物から洋服に着替えるので
席で帯を解くという。「私に解かせて!」と頼むと、「OK!」の返事。スナックのボックスだが二人の着物
を脱がせてもらった。 初めてで最後の経験だろうが、何か淫靡な面白い疑似体験?になった。二人が
「着物の似合う上品な艶かし女性」だから、リアルで切迫感があった。着物用の下着を着ていたが・・少し
気があった人?だから、それを加味すれば差引ゼロか。「芸者ワルツ」と、「温泉芸者」のカラオケを聴き
ながら無言で、帯を外し、着物を一枚一枚脱がしていくのだから! 妙な気持になる。『何もしてないのに、
何か?しているような・・』 長いボックスの一番奥だったので、他の人はあまり気づかなかったようだが。
いい歳をして何をしているのだろうか? こういうのを下品というのだろう。着替えたあと、
『貴方とは帯をとかれ、着物を脱がされた仲ね』と言われた。罪のない余興だが! こういうのを「遊び」
というのだろう。 もう直ぐ花婿の父をやらなけらばならないから・・ 品をよくしないと!本当に。
この文書を嫁になる人がみたらどう思うだろうか? まあ、可愛い酔っ払いの余興でしかないが・・!   
人生二度となし、一期一会で「いま、ここ」を大事にしただけだ!
それにしても、こんなこと書いてよいのだろうか!  今さらか!   
『で、どうした!』 「ただ帯解きを手伝ったのを、‘かなり脚色をして’面白可笑しく書いただけ」
『で、・・』 「貴重な体験でした」 『ほれで?』 「少し興奮しました」  
『アフォ! 本気になって読んだじゃないか、 全くもう!』
「話に引き込むために、オーバーに書いただけです」  
『何か、いやにリアルな内容じゃないか?それも品が無い!』
「まだ、アルコールが残っているとき書いたからじゃないですか」
ー『で、どうした!』以下は、 将来 嫁とか孫に見られたときのフォローのため書き足した文章です。
ーーーー
2006年01月22日(日)
1755, 道洲制度について       |(*′口`)ノ||O | ☆.:゚+。おはょ゚+。:.☆
そろそろ道州制度が問題として浮かび上がってきた。全国を8~11道洲に分割して合衆国制度にすればよい。
これだけ情報化が進んでしまえば、県という存在は必要でなくなる。 イギリスのサッチャーが、
首相になったと同時に市のみにしたという。(;-”-))))さ 寒い・・・∵ゞ(>д<)ハックシュン!
   (字数制限のためカット 2011年1月22日)
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2005年01月22日(土)
1390, 迷ったときは運命を信じなさいー2      ー読書日記
 第6章の「あなたの自身の『原型』を知る』の中の ー光の領域のレッスンーが面白い。 
寝る前に「光のイメージ」の実験をした。「アメリカの田舎の並木道から、一軒家に入り、廊下を通って、
部屋の衣装棚の奥へかき分けて入って、地下のトンネルを通って、大きな川辺に出て、船に乗り、
トンネルに入って、出て、船から降りて、光になって、そして、女神ヘラになり、老王リシになり、
救い人になり、救い人の母のデメテルになり、酒の女神のバアッカスになり、学問の女神アテナになり、
美の女神ビーナスになり、神の子になって,最後は宇宙の錬金術師のクリシュナになる」
以上を、ポストイットに書いて手帳に貼り付けて、酒を飲みながら見ていたら、2時間ほどで覚えてしまった。
そして2日間、ベッドで自分が「風になったイメージ」をして先ほどの「霊魂ー風」になったつもりで、実験
をしてみた。そうして寝てみると「多くの夢をみる」のに驚いた。ユングの世界の被験者になっているようで。
自分の内面の深層に、ドンドン降りていくような感じになった。ーいや実際降りていったのだろうー
そして、それぞれの女神や、救い主になった感覚が面白い。 一種の白昼夢か?この文章を読んでいる人は、
信じられないのではないだろうか?イメージで、かつ半覚醒で女神や神の錯覚状態をまともに書いてあるから。
神様と対話している感覚のようでもある。ユングは、このような地下への階段をドンドン降りていったのだろう。
『その状態をもっと詳しく書いてみろ!』という声が聞こえてきそう。今度、ミニミニ小説を書いてみようか?
それとも、宗親日記に取り入れて書いてみようか。あまり入り込むのは、この程度でやめておくが・・・。
 ーーー
驚いた!、去年の今日が『眠りについてのお話』のテーマであった。ここまでくると、気持ちが悪い!
・・・・・・・
2004年01月22日(木)
1023, 「眠りについてのお話」-2
 「経験を盗め」読書日記-2
 睡眠は8時間が理想と思い込まされてきた。しかし、これは統計上の話であって、生物学的な根拠は何も
ないという。一般的に、人間に必要な深い眠りは寝入りばなのノンレム睡眠時に集中して訪れるから、長く
眠ればよいというわけではない。睡眠は非常に多様性に富み、個性的なものである。10時間続けて寝れば
よい人もいれば、2~3時間づつ寝ればよい人もいる。「いい眠り」というのは、それは「自分にとっての」
ということでしかない。自分が納得した眠りを見出せれば、それが本人にとってよい眠りである。
ようするに、眠りの唯我独尊を手にすればよいだけである。草食動物にとって寝ることは命がけである。
夜間に肉食動物に襲われる危険がつきまとっているからだ。また回遊性のイルカは左右の脳にかわるがわる
眠らせている。「入眠障害」「中途障害」「早朝障害」「熟眠障害」全てを経験をしたが、これで困ったこと
はない。ー困ったことがないということは障害とはいわないか?何度かの挫折で眠れない夜が数限り続いたが。
「寝れないことを苦痛にしないのが大事」と子供の頃から体験上知っていた。「寝れない時は寝れなくって
結構」と思っていればよいと。私の寝れない時のコツは、顔、腕、足と力を意識して抜くことを繰り返して
いると、いつの間にか寝入ってしまう。寝れない時は知らないうちにどこか力が入っていることが多い。
ある人から聞いたが「寝れない時は直ぐ起きればよい」という至極単純な方法もある。寝ようとしないで、
三日間ぐらいのスパンで睡眠をとりかえせばよいという余裕を持てばよい。睡眠障害も一種の神経症だから、
陥った人にとってどうにもならないことも解るが。セックスにしろ、食事にしても、本能的なものに神は
快楽を与えた。快眠後の爽快感も、その一つだという。そのためには、あまりの熟睡は寝たという充実感が
少ないから逆に良くない。私の場合は、現在は6時間半が平均である。特に寝入りっぱなは熟睡をする。
誰もそうであろうが。その時々によって、「中途障害」と「早朝障害」が三日に一度はくるが、別に苦痛
ではないので障害にはならない。また万年寝不足という経験も全くない。そういえば睡眠は一日単位の死で
あるという。よく生きれば、良く死ぬことができる。良く一日を過ごせば、良く寝ることができる。
楽しい一日であれば寝れない夜はなお楽しい。そうそう良い一日が続かないのが人生だが。
・・・・・・・・
2003年01月22日(水)
 658, 躁鬱について
人間は躁鬱質か分裂質かどちらかか、その中間を浮いている存在だ。そのコントロールが利かなくなって
三者に迷惑をかけたり、抜け出れないのが精神病になる。束ねている元が壊れてしまうと精神病か。
北杜夫は躁鬱で有名だ。彼の随筆を読むと面白い。彼の場合鬱が長く、躁は短いタイプという。
自分のことを書ているから、彼の躁鬱の話が面白い。躁はある説によると、子供に帰ってしまう事。
そうー躁すると未来志向になってしまう。欝は逆に過去に向かって沈むことをいう。大体沈んでいる時は、
過去の嫌なことや嫌な人間に囚われている時だ。うきうきしている時は、何か明日や将来の楽しみを考えて
いる状態だ。過去の楽しい状態を考えていることは少ない。その意味で躁は未来志向の時で、鬱は過去に
向かっている時というのは肯ける。身近に万年鬱が数人いるが、急に20年前の恨みつらみの電話をする。
電話を受けた人は、ただ驚愕をする。万年躁の人もいる、躁仮面をかぶっているだけかも知れないが。
ある自殺未遂三回の人は鬱の人だ。悪臭が周辺に漂っている。自分に甘い人で、周辺に甘さからくる膿を
ばら撒いている。昔の日記を面白がって随想日記に書いているが、一種の鬱かもしれない。
楽しい鬱などないのだから違うか? 躁病7年説というのもあると書いてあったが、私の周波が7年である
のは躁質の体質なのかと考えてしまった。三年躁で四年鬱あたりか。人間は創造をする時は「躁造」-造語ー
といってよい。準備を積み上げた上に「躁の状態」でなければ、そうそう創造は出来ない。
女性などは生理があるのだから多かれ少なかれ躁鬱だろう。誰でも精神質はある。
・・・・・・・・・
2002年01月22日(火)
308,人生の損益分岐点
 人生の損益分岐点-とは人生で元はとったか?ということ。 何だろうか、そんなもの考えている暇
があったらチャレンジするものを探せ!そんなものだ。おそらく人生にそれを見ること自体、おかしい
のかもしれない。しかし、言葉の遊びとしてスキップをしてみよう。 私の場合、51歳であった。
下の子供が大学入試に合格した瞬間であった。 今から5年前である。入学をしてしまえば、
後はアルバイトでもすれば卒業できる。事業で500室ーこれは新潟周辺の客室の最大数(300室)の1・7倍。 
母親を見送り、一応目安はたった。その時自分の一つのライン、その表現が人生の損益分岐点に達成した
のである。人間としての一応のなすべき事の達成である。 これからは、純益のそれー自己達成とかいう
真にやりたい事の自己満足の追求だ。まずは家内に「私と結婚してよかったという」本心の満足感!
それは今更、無駄か!そして大好きな秘境ツアーの60歳までの50回達成である。
・・・・・・・・・
1月22日ー水曜日  1969年
10時に学校に到着。崎と会う。次に河村に帳面を返す。そして産関研究所に行きレポートの為の資料を
借りる。東武百貨店でコピーをとる。昼過ぎに寮に帰る。市川さんが部屋に来る。 会社が平日だが休み
のようだ。彼と話をする。何か私からゼミで得た知識を吸収しようといているようだ。
その後風呂に行き、読書をする。 22時から0時半まで勉強。 一時に寝る。