つれづれに

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?feature=endscreen&v=eBAIK4K4UFo&NR=1

もう降らないだろうと思ってから一週間以上も雪が続いている。雪下ろし、やはり必要か。 

載せきれない過去分を、ここに転載しているが、まあ、まじめに12年間も書いてきた。
一度、書き上げアップした後、もう一度、目を通し誤字、当て字がないかチェックする。
それでも時々、それが見つかる。読み返し、自分が、どんどん変わっているのが見て取れる。
良い意味でも悪い意味でも・・・ 


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1423, 名画200選 -読書日記
2005年02月24日(木)

購入して数ヶ月、時々読んでいるが味わい深く飽きない。その半分は観たことがあった。
思ったより多く観ていたのには自分でも驚いた。そのうちTVで観たのが、半分だろうか。
この本を読んで初めて「成る程!」と、今になって感心をしているものが多い。
ラブストーリーとか、ウエスタンとか、サスペンスなどのジャンルに分かれているので読みやすい。
映画は日々つくられ、無数の映画のなかで見れる映画は限られる。その中で、よほど良い映画で
ないと残らない。そのため、名画200選の一つ一つの内容の説明・解説に説得力がある。
名画は古典の書と同じで、良いものは何時まで経っても残る。
黒澤明の「7人の侍」など何回観ても感慨が残る。私が時々に感動したと、いま現在いえるのは
ベンハー、アラビアのロレンス駅馬車、荒野の7人、ウエストサイド物語、モダン・タイムス、
ゴッドファザー、ダンス・ウィズ・ウルブス、そして、太陽がいっぱい、などなどである。
しかし、最近の映画があまりにも面白く心に残るものが多い。
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ビデオで観たい 名画200選
 淀川 長治 (著),佐藤 有一 (著) 知恵の森文庫

生涯を映画にささげた「映画の伝道師」淀川長治は、1998年11月11日この世を去った。本書の原稿を
書き終えたのは同年の春。それを弟子であり、共著者である佐藤有一が丹念にまとめ上げ、
淀川の死後から2年の歳月を経て完成させた。本書は「もっと映画を観なさい」と言い続けた淀川長治
遺言書であり人生の集大成といえよう。 本書のつくりは、「ラヴ・ストーリー」「サスペンス&アクション」
「SF&スペクタクル」「ウエスタン」「ミュージカル」「ヒューマンドラマ・アメリカ編」
「ヒューマンドラマ・ヨーロッパ編」という7つのジャンルに分かれており、
見やすい見開き1ページで1作品を紹介するかたちをとっている。
 
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2004年02月24日(火)
1056, 千回の力
「何事も千回続けると、何かが見てくるか、何かを感じるようになる」という。
散歩時に「ありがとう」を言い続けて、千回を越えたあたりから何かが変わる。
心から「ありがとう」の言葉が出てくるのだ。そういえば、この随想日記も千回を去年の暮れに達成をした。
千回を達成した安堵感の為か、その後何も考えたことがなかった。そこで改めて「何か変わった事や
感じることがあっただろうか」を内省をしてみることにする。

・ものを見る眼が全く変わった。 ー記者の目、書き手の目で現象を見る習慣がついた。
・テーマ探しを無意識にするようになった。
・そして、そのテーマに対し内省をするようになった。
・脳内サテライトの面白さを実感できるようになった。
・自分が知らない読者や、子孫を意識をして書くようになった。
「何かが見えたか」と問われれば、別に何も見えないし、
「何か感じたか」と問われても、何も感じない。しかし、書き始めた以前と、それ以降という感がする。
脳内を公開することが想像する以上のインパクトを自分に与えていることになっている。
書いている内容に対してコンプレックスも自信も、全くない。ただ考え、感じた全てを、
書き込んでいるだけ。その集積が、基地としてのネット上にあることは異様な感じである。
「石の上にも三年」も大よそ千日である。
一つの言葉を気持ちを込めて千回いえば、大よそのことが達成可能になるという。
「駄目だ駄目だ!」と自然に流されれば、繰りかえしてしまうものだ。
言葉は、意識して使わなくてはならないと解っているが・・・

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2003年02月24日(月)
691, 「わたしを認めよ!」-2「読書日記」
 ー 気になったところを書きうつしてしてみた。
「ふつう」の意味とは・・
 普通の生き方というのがどういうものかは教えてくれない。当然である。 だれも知らないからだ。
 わたしが考えるふつうとはこういうものである(普通」と区別する)。
 奴隷みたいな退屈な生き方が上と下の中間(中流)に落ち込んだ普通だとするなら、
 目指されるべきふつうとは、みずから選びとった〈中間〉のことだ。
 普通が惰性なら、ふつうは意思である。すなわち、その場その時に可能な限り最善の判断を
しようとすること、 それがふつうである。 たしかに、普通に生きていくのは簡単ではない。
けれどもふつうとは困難にして容易である。 できるかぎり認識と思考の元手をかけて、
どう考えてみても自分にとってはこれが最善であり最も正しいとおもうことを、覚悟してやるしかない。
むろん判断は一回かぎりではない。 覚悟もまた一回かぎりではない。
  ・・・「断念」について・・
・いうまでもなく、自己承認は挫折の連続である(それゆえくりかえし打ち立てられなければ
 ならない)。自分はよくやっている、だれが認めなくても自分が自分を認めるという弧絶した
 自己承認には限界がある。すくなくとも、わたしが承認する一人の他者から、わたしは根本的に
承認されているという自己確信は不可欠である(たとえ錯覚であれ、この確信がなければ、そもそも
 〈少しだけ大きな他者〉などただの戯言にすぎない。そこまで個人は強くない)。
 世界のなかで、わたしはすくなくともひとりの人間から承認されているという確信さえない
 ところには、ほんとうの勇気や元気は出てこない。 ところが、ここには根本的な逆説がある。
だれも認めてくれなくても、自分はあくまでもふつうを一生懸命生きるという覚悟のない者には、
 他人からの信頼に値する承認はもたらされないという逆説である。
 承認は循環するのだ。
 その場その時に、最善の判断と選択を求めつづけたあとになにが残るか。信頼するに足る承認が
 わたしに残る、とわたしは信じるが、それと同時に、ある種の断念が残るとおもう。
 家族、性、社会も、金も、セックスも、有名であることも、そしてあくまでも自分らしくありたいという
欲求さえもが断念されるとおもう。人事をつくしたあとの行方さえ、断念しなければならない。
 わが はからいには あらずという言葉が、私の頭の奥にいつも響いて消えません。
 「なるようにしかならない」と思い、さらに、しかし、おのずと必ずなるべきようになるのだ
 と心の中でうなずきます。そうすると、不思議な安心感がどこからともなく訪れてくるのを感じる。
五木寛之『他力』講談社
 この安心感のなかには、人事をつくしたあとに、もしそれでも承認がもたらされない
 のなら、それはしかたがない、という断念がある。
 もう、それでいいではないか、という断念の強さがあるとおもう。
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 ちなみに著者は1947年生まれの団塊ではあるが「平凡パンチ」にも「朝日ジャーナル
 にもかすらず生まれてこのかたドライヤーをただの一回も使ったことがなく、
 麻雀牌を握ったこともなく、クラブ・バー・キャバレーの類の店には一歩も足を踏み入れた
 こともなく、競馬場競艇場競輪にも無縁で、車の免許持たずカラオケも基本的には好まず、
 赤提灯にも無縁ゴルフもやらず、どんなサークルにも属していない洋書輸入会社の勤め人という。
ー感想
 地方にいると「部落」的噂社会に呆れかえる。 もっとも都会は内幕情報社会だが。
 この三層の元-下層は「魂」で、その次は「社会」そして「世間」になる。
 子供時代は「世間」レベルしか見えない。 成人になるにつれて「社会」レベルに生きる
比重が大きくなり。 成人の後半になるにつれて、魂の世界比重が更に大きくなる。
 前に書いた「厭なことはなるべくやらない!」の世界である。
 三層の世界をきっちり意識していれば、特に世間の現象をクールに対処する事ができそうなのだが。
                        ーつづく
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 2002年02月24日(日)
 341,遊びについて-1
人間にとって「遊び」は最も重要の一つである。そこで「遊び」とは何かを考えてみよう。
まずその達人を事例で考えてみる。一番身近では母がそのプロ?であった。
戦前、戦中、戦後の動乱期に10人の家族が生きていく中で、父とともに苦労の連続であった。
そして長男、次男の連続の不幸な死で今の重症のノイローゼーになった。心筋梗塞、死の一歩の
手前までいった。亡くなった時、医師の要望で心臓を解剖したら、心臓の4分の1が壊死していた。
それを乗り越えた後は、それまでのエネルギーを遊びに全て向けていった。
約40年近く遊びきって亡くなった。日本舞踊、短歌、お花、旅行、茶道、写真。
毎日いそいそと何か遊びを見つけ楽しんでいた。子供ながらに、そのエネルギーに感心をしていた。
遊びの重要さもそのため学んだ。重点としてだが父は「働く人」、母は「遊ぶ人」と役割分担が
ハッキリしていた。ただ父も仕事の合間に、結構遊びを作っていた。
「遊び」を儒教的影響の為かキリスト教的倫理観の為か、罪悪と教えられてなかったか。
子供のころ誰もが、毎日目を光らせて遊んでいた。ただただ無心に遊んでいた。
あの遊びをいつの間にか我々は忘れてしまった。
人間は生きていかなくてはならない。その為に働かなくてはならない。
競争に打ち勝たなくてはならない。その為に勉強もしなくてはならない。
しかしそれだけでは、それだけの人生だ。それがクロなら、その対象の白が必要になる。
どちらが大事かでない、どちらも必要なのである。それを特に母の生き様から学んだ。
一般的にいうと、遊びの優先順位があまり高くない。どうしてだろうか、やはり生活をして
いかなくてはならないからだ。そして厄介な不安という心理がある。
その為に、お金をセッセと溜め込まなくてはならない、「馬鹿な?生き物」である。

遊びとは、「好きな事をして、それを楽しむ事」をいう。そうすると、仕事も遊びになりうる。
天才はその典型であろう。あの子供の時の遊びを我々は忘れてしまった。何でも遊びの対象にした
「遊び心」を。純真の心を失っているからだ。「純真な遊び心」をいつの間にか忘れてしまった。
「遊んでないで、笑ってないでもっと真面目にやれ!」と暗示をかけられてないか?
私の趣味の一つにウオーキングある。初めは腰痛対策であった。今は大事な趣味ー遊びになっている。
純真に楽しいーヽ(^o^)丿(^^♪!(^^)!(#^.^#)(*^^)vのである。
その中に純真な遊び心が躍動を始める。何々のためにといった場合は、遊びでなくなる。
それを乗り越え、純真な遊び心になった時点で「遊びに昇華」する。
パソコンもそうだ、このホームページもそうだ。そこまで持ち上げる必要性を人生で学んだ。
「遊びになるまで集中する」という事か。  これから散歩だ!

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お笑いコーナー
ー下ネタ

弁護士が奥さんとパリの酒場