閑話小題 ~立上げ屋ですか!

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   * 200~300%の成功確率が無ければ…
 新潟駅前の学生ショップと、ビジネスホテル兼業のホテルの珍案は、
400~500%の成功確率の確信があった。その後、情報革命による合理化で、
その業態も陳腐化していったが… 
 初期の勢いと上越新幹線・開通の勢いも相俟って、平日は満室で、客室の
運営に全力を投入し、土・日は学生服販売に重点を置いたのが合理的に働いた。 
撤退には有効に働いたが、駅前に集中したことで、10数年で陳腐化が始まり… 
中越地震や、東北大震災も重なり、最終の5~6年は青色吐息に…

 Windows95がパソコンにのって普及以来、客足減退は只ならぬ気配はあった。
あと講釈だが、…情報化による断層を見抜き、決断し得なかった己の感覚は、
こんなものか…と、我ながら恥ずかしい限り。しかし破産などの致命的な事態
までは悪化してなかった? としても、NTT株で1億の損失を出し、ワザワザ
第三シングルインの近くの廃墟ビルを購入して始めたカラオケ『どんぐり山』
で1・5億の合計=2億5千万は間接的にマイナスに働いてしまった。  
 正妻が真面目に稼いだ御金を、道楽に貢いだパターンである。
ミケランジェロのいう…
<幸福を手に入れるのではなくて…「不幸」を避ける>のが筋道。
両親から最も学ぶべき最も重要なことを、「結果が全てが事業」だが、
立ち上げ屋なら、その後の始末は、「転売しかなかった!」のか。
女子と小人、御しがたしということ! 「…たら、れば」は黙すべし!
軟着陸で、ヨロメキはしたが後悔はない。これが己の姿である。
 挫折し涙すればこそ、知りうることが娑婆にはある!の実感の
日々の味わいも、事業の味の一つ。 悲劇も喜劇も紙一重
 
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7036.閑話小題 ~二代目の電動アシスト自転車
2020年06月19日(金)
   * 朝の散歩を、ポタリングに切替えて11年!
 現在、乗っている電動自転車が6年数ヶ月、以前のが4年、合計11年近く経過。
その自転車も、そろそろガタが来始めたが、この故障でも修理で持ちこたえそう。
見積りはタイヤと部品交換で、1万7千円。これだけ乗れば、自転車も本望?
 早朝6時前から一時間の信濃川の川面を眺めながらのポタリングも精神、
肉体的に非常に有効。平日に連日、乗っているチャリダ―は一人も居ない。
 …地方でも、ストレスの蓄積は並大抵でないが、この習慣だけでも、欝病に
絶対にならない。欝病はエネルギーの枯渇があるが、大きな供給源になる。
 ――
   * 最近、できたスポーツジム
 半年ほど前に信濃川・川西に開店したジムに、一昨日、行ってみた。 
ネットのHPで、その詳細を知ったが、実際に目にすると少し違う。問題は距離。
3時に起床し、このブログ記事を書いた後に、AM:5~6までの、ここでの運動も
悪くない。7,8,9月と掛け持ちをして、ドチラの選択をするか決定。 
…人生の先が少ないと、工夫をしないと!何ごとも、実際にやってみないと! 
ますます、娑婆感覚から離れていくような!
 ――
   * 末期的病相の北の若きドン様
 映像から見える北朝鮮のドン様の太り方、ストレスの激太りが、尋常でない。
それに、北の新型コロナの流感。実態は計り知れないほど酷いのだろう。
韓国、アメリカの戦略的テロ…?と疑惑を持つなら、戦争の一つでも… 
そこで、お出ましが妹の金与正嬢。 全身からの殺気が、直に伝わってくる
ようで不気味。 ここも目が離せない。アメリカからすれば、ハエ以下の分際。
とはいえ、アメリカも、大統領の素質の問題と、コロナによる疲弊もある。
韓国大統領が権力を持っている現在、この揺さぶりも狙い目。
…ロシアのプーチンも、安倍首相も、政治的に曲がり角。何処も危ない苛立ちが
出てきた。百年前の事態が再び生じるのか! 他山の石でないから、困ったもの。

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6669,閑話小題 ~ 『ああ、またか!』
2019年06月19日(水)
   * 昨夜の「新潟沖地震(仮称)」
 地元経済にとって、この地震は厳しい。5年先?には、何とか飼い馴らし?を
謀ってきたのに、これで二倍の10年先に… 何せ、柏崎・刈羽原発は、世界最大
規模を誇る原発基地。柏崎市内の公共投資は、その収入を前提で造られている。

≪ 日本海側、過去にもM7クラスの地震 津波で死者も 新潟震度6強
    6/18(火) 23:54配信 /毎日新聞
  ◉ 過去の近隣の地震は?
日本海側では津波を伴う地震が繰り返し起こっている。地震の規模を示す
マグニチュード(m)が7.5だった1964年の新潟地震では日本海沿岸一帯を
津波が襲い、全国で26人が死亡した。
・83年の秋田県能代市沖を震源とする日本海中部地震(M7.7)でも津波の被害が
大きく、104人が死亡した。
・93年の北海道南西沖地震(M7.8)は北海道の奥尻島北西沖が震源で、地震発生
から2~3分後に奥尻島津波の第1波が到達したとされ、奥尻島を中心に死者は
202人に上った。
・2007年の能登半島地震(M6.9)、同年の中越沖地震(M6.8)でも津波が観測。
  =大竹政和・東北大名誉教授の話=
日本海側は東北地方から中部地方にかけて地震帯があり、これまでいくつも
 大きな地震が起きていた。今回の地震は1964年の新潟地震震源が近い。
 もう少し北側には近年、地震の起きていない地域もあり日本海側は要注意】≫

▼ 既に爆睡していた22時過ぎ、強い揺れで目が覚めた。「中越地震」「柏崎・
刈羽地震」「東北大地震」を経験していたこともあり、『ああ、またか!』と、
震度予測「5弱」と予測…。これで世界最大の規模を誇る『柏崎・刈羽原発
の再開は当分ない?と考えると県内、とりわけ中越地区の経済の回復の見通しは、
更に厳しくなった。 2007年に、350億円の赤字を抱えて事実上破綻した北海道
夕張市が、どうしても類推される。東京電力と政府は、補償金の捻出のためにも
再開が絶対条件。 それ以前に、万一の大地震の場合、我々の生命そのものが、
脅かされることになる。としても、角栄さんよ、公共事業のプラスの遺産は、
有難いが、何とまあ、酷い?負の遺産を残していったもの。あれだけ反対運動を
していた左翼系の言い分が正しくて、餌を吐き出してくれた何?が、極悪?…。
差引ゼロとしても… ここは越後・新潟、何だったんだ。 その恩恵の一端を
受けてきた一人としても。 で、その原発って大丈夫?   娑婆!
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6306,読書日記 ~良い人生だっただろうか?
2018年06月19日(火)
      『老年を愉しむ10の発見: ドイツ流「穏やかに生き抜く」哲学 』
                    ヴィルヘルム シュミット (著),
    * 「いい人生だった」を言える人生を
 人生を振返り、「いい人生だった」、一日を振返り、「いい一日だった」
と言えるために、最後の4分の1の老齢期を泰然と生きるべしと、著者は言いたい
のである。それも、長年の準備が必要とする。 『いい人生だった!』の言葉を
聞いたのは、私が27歳の時だった。父が余命1年の末期ガンを察知し、その恐怖心
と格闘していた最終に近づいたとき、『ああ、良い人生だった。今度、生まれても
全く同じ人生を生きたい』と突然、話したことを思いだす。その時に、
 私の僅かな死に対する知識、
『哲学でさ、自分って死なないっていうの知ってる。死んだ瞬間、自分が消滅
するでしょ。死体は、もう自分でない。死体を見るのは他者でしょ。
だから自分は永遠に生きると考えられるでしょう。』と聞いた父がハッとし、
『こんな話を聞いたのは初めてだ。死が何か、ここで初めて知った』と正直に
吐露していた。それより、太平洋戦争を跨ぎ、2つの人生を生き抜いてきた人も、
死の前の恐怖心には… で、私も「いい人生だった」― の、この一言を口に
出来るだろか?
≪ ―内容紹介― Amazon
 ドイツ『シュピーゲル』誌で18週にわたりベストセラー1位の話題の書!
年を重ねる中で得ていく「落ち着き(Gelassenheit)」とは何か。
 私は「アンチ・エイジング」より「アート・オブ・エイジング(年をとる術)」を
身につけることが大切だと思う。これは、老化というプロセスを拒否するもの
ではなく、それとともに生きるための術である。―ヴィルヘルム・シュミット
・これから得られる「豊かな実り」とは
・自分に起こる「変化」と折り合いをつける
・「それまでの積み重ね」が花開くとき
・「心穏やかに生きる」のに欠かせないもの
 ~カスタマー・レビュウより
古代ギリシャの哲学者デモクリトスが「朗らかさ」を、
外的な財産や感覚的な満足感に依存しない最高の「内面的な財産」とみなした、
というエピソードが心に残った。
快活さ=平安に満ちた心地よさを持つための土台が「生」についてなどの
スケールの大きい思慮から得られた朗らかさだと。
彼自身、「笑う哲学者」と呼ばれていたほど明るく快活だったという。
快活こそ悟り。≫

▼ 紀元前6Cのピタゴラスの時代より、死に方に対して様々な可能性について
 語られていた。生きているうちから繰返し何度も「死の瞬間」という極限の
地点に立っているつもりで、これまでの人生を振返り、それを自ら評価し、
時に人生の新たな指標をもとめる哲学的修練。
 この数年、何度何度も、死に関する読書の中で自問自答し、夜半に独り、
考えてきた。それを考えることは、自らの人生を振返ることになる。
人生において何が大事だったのか。何を間違っているかの問題に行き当たる。
如何だろう? いい人生とは何か?からすれば、自問自答で満点のはずだが。

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4844,「事業人生を決心して45年」の語り直しー18
2014年06月19日(木)
   * 衣料量販店のコツ
 肩書きは取締役本店店長。通称、「店長」。母が社長で、兄が専務。
家業そのもののパパママストア。出社日から多くの判断が次々と求められたが、
衣料量販店経営など全く知らない白紙からの出発。ところが、その白紙状態が、
結果としてベストに働くことになる。心だけでなく、何事も、空即是色である。
四日市、神戸、桑名、金沢、千葉と渡り歩いてきたが、いずれも、駅前は競争
激化と、新興のチェーン店の進出で、劇的な変化の過程であった。ところが、
当時の豪雪は、現在と比べようもないほど多く、冬期間は、雪の壁が、町を
遮断する特殊の商圏でもあった。そのため、地元百貨店が二店。
金沢の百貨店と、寄合専門店ビルと、実家である衣料量販店と、その支店の
ファッション衣料店が、そして駅に隣接した一等地に大型チェーン店が、
駅前のメイン通りに並んでいた。しかし、豪雪地区のため、他県からみれば、
その波の強さは、穏やか。この本店、規模の割には、「超繁盛店」で全国で
知られていた。その中での、御家騒動は、世間話の絶好のネタ。
 本店の過去のデーターは、全てを前任者が持ち出し、その上に、前任者達の
意をくんだ残留者は無言の抵抗。一週間、二週間経つうちに店内の商品が底を
ついてくる。その中、地元の問屋の一社が、当面、全面協力をしていた。
そうこうするうち、私の知らぬ間に、秋物衣料相場が、値崩れを起こしてきた。
普通なら、導入期に一通り秋物を並べ、次の最盛期に値崩れの仕入れをして、
稼ぐ。しかし、導入期の商品が無い中の、絶妙なタイミングに、東京、大阪へと、
現金を持って初めての仕入れ。何も知らないのに知ったふりの緊張感の中での
仕入れは、今でも忘れられない。そして、何とか値崩れ品の仕入れが終わった。
そして次回は、名古屋、大阪、岐阜へ現金問屋や、メーカーへの飛込み仕入れ。
 その時、思い浮かんだのが、父と中学、高校時代に一緒にまわった記憶。
まずは、一回り目は情報を取り、そのシーズンの流行と、相場を把握。その後、
商品を選び出し仕入れていく。それも現金で。右上り時代の中で、誰も忘れて
いた商売の原点を、動物的直感で綱渡りの瀬戸際で、始めていた。何とか一月が
過ぎた頃、店に高崎の有力衣料問屋の部長が訪ねてきた。店頭の立話しだったが、
現在の経緯と、自分の経歴と、現状を手短に話したところ、『当社として、
全面的に協力します!』という。暫くしてから、その意味を知った。それは
『その窮状を、産地問屋として、当分の間、原価ギリギリで商品を提供します!』
であった。これが大きかった。それに現金を持って産地を歩く、基本的原理を、
父から教わっていたことも大きい。これで、地元の問屋、メーカー、百貨店の
相場を根こそぎ叩き壊す、本来の姿に戻ったことになる。その中、その年末は、
思いもよらない暖冬で、冬物衣料の相場が大崩れをした。他の大型店は、事前
予約の冬物の在庫の山だが、当方の店の中は、予約など無しのカラ。
その中での、大阪、岐阜、岡山、に現金を持っての仕入れ。多くの筋ものが、
半値以下の大量仕入れ。それを、そのまま、小利で売りに出せば、大当たりに
なって当然。 時代の流れもあって、全てが、プラスに働いていた。
激変の中、むしろ既存の常識無視の方が、プラスに働く。

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5574, 突然、余命宣告を受けました ー④
2016年06月19日(日)
    『あの世へ逝く力』 小林玖仁男著
   * 自殺願望の八割が、いざとなると
 苦しめるために生かしておくような延命治療なら、そうそうの安楽死を選択
したいが、現実は痛み止めの薬を強くすることで早めに死に導く。安楽死
ついて、まだまだ議論が足りないようだ。 考えてみれば、人間は穏やかな
自殺か、安楽死の道を歩いている。 自分の死の決断こそ、最期に残された
人間の最大の自由の行使になる。  ~その辺りから~
≪ 現在スイスでは安楽死が認められていますが、興味深いデータ報吉がある。
 自殺蓄助による安楽死を希望する場合、希望者の医療記録を徹底的に分析し、
生き続けていくのが困難だと判断された場合にのみ致死量の薬が処方される
そうです。しかしここからが驚くべきことなのですが、安楽死のための薬の
処方が可能と判断された患者でも、いざ安楽死可能と分かった時点で"自殺願望"
が弱まるというのです。その割合が何と八割もの人々の自殺願望が急速に冷める。
つまり、「苦しみながら死を待つ。この生き地獄から抜け出すことが可能と
分かれば、この理不尽に社会が理解さえ示してくれれば、我慢もできる」と
言っているのです。やはり、倫理観からも、宗教観から見ても、家族の手前も、
「苦痛だから死ぬ」というのは、どこかでなじめないのかもしれません。
だから、「この苦しみに、大いなる同情と、法的な権利さえくれればそれで
いい。我慢もできる」と。気持ちを分かってさえくれればー。そういうこと
なのではないのでしょうか。≫
▼「苦痛を最小に消え去りたいため、余命を告げられたら、早々、リンゲルの
 大量投与を」と思っていたが、「いざ安楽死が可能になると、八割が自殺
 願望から冷める」という事実。何だろう、これは? 
 ~ところで、私が生死に関する言葉で、気に入ってるのが、
<死ぬことは、生前の自分が存在しなかった状態に戻るだけ>
<遺伝子が私の身体を借りていただけ、それが無くなっても、数限りない
 遺伝子が、何処かの身体を通して生き延びる。「私」など他愛のない存在>
<充実した過去と現在を生きている(きた)なら、死など、恐れることはない>
<死んでしまえば、それまでよ。生きている内、できる内。>
<当人にとって、『死』は存在しない。死んだ瞬間、本人は存在しないのだから>
<宇宙の彼方から地球へ旅に来て、見るだけ見て、するだけして、帰っていく
 のが死である。>  …それにしても、辛いだろうに。

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5939,閑話小題 ~無知は、教養より金がかかる
2017年06月19日(月)
   * 無知は、教養より金がかかる
<教育にはカネがかかる。とはいっても無知にもカネはかかる。
                    ~クラウス・モーザー卿 >
☆ 何とまあ、人生をシリアスに切って捨てた言葉である。
 そう、人は無知で失った方が、知っていたが故に得たことより遥かに多い。 
なればこそ、無知を少なくし、知識など教養を長年かけ蓄積しておかないと。
私の場合、5歳までの、家系としてのベースが貧弱だったということ?
いや、それは99%の人たちに当てはまること。ならば学び続けるしかない。

   *  BE(なる)―DO(する)―HAVE(持つ)
<目標は、この3つのうち『持つ』の部分。スタイルが良くなりたい、恋人や
配偶者といい関係を持ちたい、あるいは百万ドルほしい、こういった目標は
どれも何かを『持ちたい』です。目標が決まると、次に、そのため何をなす
べきか、リストを決めまtす。問題は、スタイルが良くなる、金持ち、BEの状態
になること>
☆ 以前、<上手くいったから幸福になるのではなく、幸福であればこそ
 恐れることなく上手くやれる>という幸福論の一つの道理について触れた。
< BE(なる)の状態なればこそ、―DO(する)のプラス循環の結果、―HAVE
(持つ)になる>  6年前の大きな節目からこの方、見えたのが、マイナーの
人たちの視線。彼らは自らの傷口の膿を、他人の傷口に塗りつける自傷行為
業の磁力が強い。マイナーのばい菌は、人に塗りつけると、他者のばい菌が、
当人の膿を更に濃厚にする。その毒のため、何人かが倒れていったような。 
自業自得、いや事業自毒。 これは私自身にも当てはまることだが。
 で、当時、直ぐに実行した手順が、2ランク上の習慣づけ。慣れてしまえば、
習慣自体は「第二の天性」となるはずだが… ただ淡々とコナシテいる。
ベストのことは、張りのある充実感と、毎日が兎に角、面白いこと。
 〈・BE=充実感のある日々 -> ・DO=生活習慣 -> ・HAVE=楽しみ〉
『こんな日々の何が楽しい?』かって。 『いいじゃないですか!これで…』
 「知らないバカ」と、「知ってるバカ」と、どちらがマシ?
「知ったかバカ」もいるが、「知ってるバカ」は、まだ、すくいがあるか?
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5209,閑話小題 ~何気ない会話の中で
2015年06月19日(金)
   * 何気ない会話の中で
 先日、中学校の来週の同期会の幹事の打合せの会で、顔は何となく憶えて
いるが、話を1~2度したかしないかの男が隣席に座って酒を酌み交わす
中で、私が、『以前も話をしたかもしれないが、たしか40年以上、消防隊員
になったと憶えているが・・ 』と語りかけると、次の言葉が返ってきた。
『自分は、当時の花の中卒で、地元の津上製作所に入社。同期の殆どが、
夜間高校に4年通い、高卒の資格をとって地方公務員に転職をしていった。
自分は消防署に勤め変え42年間、勤め上げた。』と、さらりと言った。
15歳で働きながら高校資格をとって地方公務員になり勤め上げるコース。
こういう人生もある。これまでの私の恵まれた?生活環境と、あまりに
掛離れた生活環境に、言葉が出なかった。地道だが、地に足のついた
恵まれた人生である。 問題は、自分の歩んできた人生を肯定できるか
どうか。消防士といえば、火事と救急救命の現場の仕事。そこでは、
様々な露出した人生模様が垣間見れる上、生き死にの瀬戸際に立ち合う。
小さな世界の安穏とした人生を根こそぎ否定してきたが、それも人生。
彼にとって、救急搬送と、消防は、生き死の境目の現場の仕事である。
何か世間とかに捉われていたのは、逆に自分ではないか? 日々、是、
目覚め。それぞれの人生を否定も、肯定もしてはならない!ということ。
数年後?には、私なりの結末(死)が待っている。 貴方もだが・・
 『ああ~、面白かった!』と、心底から言えるかどうか。
そういえる背景には、いえるだけのエネルギー量が必要だが。