閑話小題 ~あと数日で、米国大統領選挙!

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    * この大統領選挙、何とも面白い!
 4年前に大方の予測を裏切ってトランプが大統領に当選した。面白味では、
これで良かったが、落日のアメリカの陰がリアルに浮き出てきた4年間であった。
世界の縮図であるアメリカ社会とは、こんなものとリアルに露出させただけでも
価値があった。アメリカの影の支配する白人層は怒り心頭が見え隠れする。
面白味では、あと4年間、世界を破壊し尽くすのもありかと! 白人ファースト!
の本音そのままを、地にいってるのが世界の現実。白人が有色人種から奪略を
してきたのが歴史的事実。特に、人口の57%を占める黄色人種の時代に代わろう
としている! …これにインドが加われば、世界の大部分の層が、白に変る。
トランプ、この世界を4年かけて、破壊した! その自覚がないのが、恐ろしい! 
   ~以前のベストセラー【世界が100人の村だったら】から見ると!

≪ 全世界を人口100人の村に縮小するとしたらどうなるでしょう。
 その村には・・・
57人のアジア人
21人のヨーロッパ人
14人の南北アメリカ
8人のアフリカ人がいます。

52人が女性で48人が男性です。
70人が有色人種で30人が白人

70人がキリスト教徒以外の人たちで
30人がキリスト教
89人が異性愛者で
11人が同性愛者

6人が全世界の富の59パーセントを所有し、その6人がアメリカ国籍

80人は標準以下の居住環境に住み
70人は文字が読めません
50人は栄養失調で苦しみ
 ひとりが瀕死の状態にあり、
ひとりは今、生まれようとしています

ひとり(そう、たったひとり)は大学の教育を受け
ひとりだけがコンピューターを所有しています

もしこのように縮小された全体図から私たちの世界をみるなら、
相手をあるがままに受け容れること、自分と違う人を理解すること、
そういう事実を知るための教育がいかに必要かは火を見るより明らかです。

次のような視点からもじっくり考えてみましょう。

もしあなたが今朝、病気というよりは健康だなと思って目覚めたなら…
 あなたは今週生き残ることのできないだろう100万の人たちよりめぐまれている。

もしあなたが戦いの危険や、投獄される孤独や、獄門の苦悩、あるいは餓えの
悲痛を一度も経験したことがないのなら…世界の5億人の人たちより恵まれている。

もしあなたがしつこく苦しめられることや、逮捕、拷問または死の恐怖を
感じることなしに教会のミサにあずかることができるなら・・・
世界の30億の人たちより恵まれています。

もし冷蔵庫には食料があり、着る服があり、頭の上には屋根があり、寝る場所が
あるならば・・・  あなたはこの世界の75パーセントの人々よりお金持ちで

もし銀行に預金があり、お財布にもお金があり、家のどこかに小銭の入った
入れ物があるならば・・・
 あなたはこの世界の中で最も裕福なものの上位8パーセントのうちの一人

もしあなたの両親がともに健在で、そして二人がまだ一緒なら・・・
それはとても稀なこと

もしこのメッセージをよむことができるなら、あなたはこの瞬間2倍の祝福を
受けるでしょう。あなたのことを思ってこれを伝えている誰かがいて、そのうえ、
あなたは全く文字の読めない 世界中の20億の人々よりもずっと恵まれている
のですから

昔の人がこういいました。 わが身から出るものはいずれわが身に戻り来る、と。

お金に執着することなくよろこんで働きましょう
 かつて一度も傷ついたことがないかのごとく人を愛しましょう
誰も見ていないかのごとくに自由に踊りましょう
誰も聞いていないかのごとくのびやかにうたいましょう
 あたかもここが地上の天国であるかのように生きましょう

このメッセージを人に伝えてください、そしてその人の一日を照らして
ください。
  
 【アメリカの友人よりのメッセージ  2001.3】   ≫

 ――
▼ 一神教とは、何ぞや?を根本から考え直す機会と、
 この「コロナ禍」で問い直しの必要あり!

この20年で世界は、決して改善されてない。むしろ悪くなっている。
2001年の「9・11テロ」「リーマンショック」を経て、この『コロナ禍』で、
寒空に怪しげな空気が漂っている。

 ・・・・・・
2019年10月31日(木)

6804,,閑話小題 ~自転車乗りも終わりですか
   * 電動アシスト自転車を乗り始めて10年
 今日の随想日記を書きあげて、過去の同月同日分を読み返したところ、
4年前の内容に出くわした。とすると、電動アシスト自転車に乗り始めて、
まる10年になる。 …で、急遽、このテーマに変更することで、上奏が遅れる
ことに。 15年程前に知人の帆立カヌーに、数回、同上させてもらった経験が
あったから。それも忘れはしない台風直後の増水の阿賀野川・河口で対岸まで
渡ったり、魚市場のある通称「魚のアメ横」近くで… 。私に勧められたが、
私向きでないと、判断した。 そこで考えたのが海を道路とみたてたチャリ。
 である機会に電動アシスト自転車の試乗をしてみて、これは正しく「道路を
車輪で走るヨット」と直感し、ネット上でみつけて買うことに。以来、10年、
早朝のポタリング習慣が続いている。10年経過した現在、街中で、あまり
見かけないのは? まして、クロス自転車は皆無。 疎らな土手を独り、快走
する気分は、何ものにも替えられない。 特に、これを書上げた直後なれば、
尚のこと。 これも、あと一月足らずで冬休み(11/20~3/30)。
4ヶ月の冬期間の休止は、毒素が溜まってしまいそうな。春先の1ヶ月は、
一回ごとに、毒素が身体から抜けていくのが実感できるほど。
 ――
 ところで、過去文を読み返して、数年間の当時の自分と出会っている感覚が
我ながら面白い。ほぼ毎日、こんなことを、繰り返し、ぼこぼこと脳の底から
沸き上がってきている。 人間なれば、多かれ少なかれ、事象が少し違えども
似たようなものか? 過去に垂直に立ち上がった自分との邂逅も書き残す
秘儀ということ。 残るのは垂直に立ち上がった永遠の純粋の「わたし」。

・・・・・
2015年10月31日(土)
5343,閑話小題 ~電動アシスト自転車を乗り始めて6年
  * 電動アシスト自転車を乗り始めて6年
 6年前の、この31日分の文章をみると電動自転車のことが書いてあった。
まる6年間乗ったことになる。年間200日×6年=1200日。さらに一回15キロ
として1万8千キロ走ったことになる。地球半周近くになる。2年前に、4年間
乗ったマウンテンバイクから、現在のクロスバイクの乗り換えたが、今では
早朝の日常生活の一部になっている。それまで、殆ど、自転車に乗ることは
なかった。しかし、これを乗りつけると便利な代物。 しかし、何故か街中で
見かけることが思ったより少ない。買換えの時期に来ているママチャリに
電動アシストを家内に勧めても、「近くだから必要ない!」の一言!
試乗を1~2度しても、いま一つピンとこないようだ。あくまで、スーパー
の買い物の手段としてしか見てないため。乗っていること自体を楽しむ、
着想が持てないため。こうした感動を書き残していると、当時の光景が、
そのまま伝わってくるからよい。
 
――――
2006/07/31
1945, 満水の阿賀野川河口でカヌーに乗る
                    (。^0^。)オッ

 豪雨で満水の阿賀野川河口でヨットカヌーに乗った。
大学時代のゼミの後輩Mさんが、最近ヨットカヌーに凝っていて、
「今度、是非カヌーを乗ってみませんか」と誘われていた。
先日行われた「新潟県活性化の会」を仕掛けている人だ。

 来県の前日の27日に電話があり、
「車の上にカヌーを乗せて東京の自宅から来たい」という。
天気予報では豪雨注意報が出ていたので、「カヌーなど絶対に無理」と
言ったが、それでも車の上にカヌーを乗せてやってきた。
「出来ないとしても、帰りの道すがら何処かの河で浮かばせるから!」
という。好きな人はそういうものだ。

 天気予報では豪雨、絶対にこんな時にカヌーなど不可能と、
服装などの準備は全くしていなかった。
一昨日の29日の朝、どういうわけか打って変わった穏やかな天候になった。
(前夜半はかなり降ったようだが)

 前回にMさんが来て、一緒に飛行場周辺を見て回った時に、
阿賀野川の河口がカヌーの最適の場所と目を付けていた。
当日そこに行ってみると、数日の豪雨のため河は溢れていた。
しかし、Mさん「平気で大丈夫です、乗りましょう」という。
    
 この玩具みたいなカヌーでこの河口を乗りまわるなど、とんでもないと
思ったが、本人は「平気、平気、何でもないですよ」という。
そして、ドンドンカヌーを組み立て始めた。    (o_o ;)

 岸沿いを漕ぐのかと思いきや、どんどん河の真ん中の主流に出て、
そして対岸まで行ったしまった。         \(゜ロ\)
当然この満水の中、他のボートは1隻も見当たらない。
沿岸にはモーター・ボートが20艘ほどあったが、この洪水一歩手前
の中、誰も乗るはずがない。      ヽ(///>_<;////)ノ

 始めは少し恐怖があったが乗っているうちに、恐ろしさが全くなく
なってきた。地元の人からみたらとんでもことであろうが・・
それにしても、面白い!
豪雨のため大きな流木が彼方此方流れてくるが、それを避けながらボート
を操るのだ。 ふと気づくと2時間近くたっていた。

 そして、午後は寺泊の海岸に移動、再びカヌーを浮かべた。
また河とは違ったスリルがある。風が不意に舞うのと、海流の動きを
みながら操る。河とは全く違う面白さがある。

 Mさん、「このカヌーあげましょうか」というが、
私が乗りこなせるものではない。 丁重にお断りをした。

Mさん、ヨット歴をいれると30年は舟に乗っているという。そりゃそうだ。
あの川幅のある阿賀野川の満水の中、流木を避けながらヨットカヌーを乗り
こなすには長年の経験が必要だ。
    
 Mさん、その日は遅くなったので急遽、長岡に宿泊。
殿町を深夜まで飲み歩いた。( ^^)/▽☆▽\(^^ )  
そして、翌日の15時過ぎまで午前・午後カヌーをして16時に東京に
ある自宅に帰っていった。やってくる前日、知人の通夜があり、数時間しか
寝ないで新潟にきたというから、凄いエネルギーである
 こういうのも、能力というのだろう。
    
   ー阿賀野川の満水の河渡りは、一生ものの思い出になった!ー
                (@´∀`p★)゜*。
――――
2006/08/01
1946, 満水の阿賀野川河口でカヌーに乗る-2
            Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning

 その日(7月29日)の夜、松下さんと長岡市の駅近くの「一心堂」という
スナックで飲んだ。そこで、「阿賀野川の河口で帆付きのカヌーで向う岸に
渡ってきた」と、酔っ払いの自慢話。ところが、マスターとスタッフが、
そこをよく知っていて、「大きな川の河口は恐ろしいところで、あそこでは
エンジン付きの舟以外は誰も乗らない。知らないだけで、とんでもないこと。
何も知らない子供が、寝ている虎の背中に乗って遊んでいるようなもの。
少しでも川の流れが変化したら、どうなったことか・・・」と、呆れていた。

 翌日、会社で近くに住む人に話たところ、もっと厳しい指摘。
「あそこは海の波と川の波がぶつかり合っていて、いつどういう波が来る
か分らないところ。毎年何人か人が死んでいる。そのため誰も泳ぐ人もいない
危険地帯。この豪雨の翌日にカヌー遊びなど危険とかいう問題ではない。」
流木が多く流れていて危なそうだと思ったが。
誰も泳いだり、ボートなどに乗ってないはずである。
松下さんは海が主流で川では乗らないといっていた。
さらに大きな川や、その河口も初めてと言っていた。
知らぬが仏だったのか。たまたま、そのような幸運なTPOSを遭遇したのか。

 カヌーも経験すればするほど深い世界であり、のめり込んでしまうという。
一人でカヌーを持って川に行き、組み立て、そこで遊び、また解体して車に積み
込み、一人で帰ってくるのが良いという。こういう趣味を持っているのは羨ましい
限りである。おまけに、河口湖に別荘を持っていて、そこでカヌー遊びなど・・・
人は人、我は我だが・・・ こういう羨ましいと思った時、自分の趣味を持って
いると、余裕を持てるからよい・・・
「趣味は、その人をそのまま現す」というが、そのとおりである。
永年かけて一人で自分の世界を作り上げていくプロセスを楽しむもの・・
人がとやかくいう世界とは別物。

 ――
(ところで、一心堂というスナック開業70年という店。
私の母とマスターの母が同級生。その上、私の兄とマスターも同級生ときている。
こういう老舗が地方都市には多いが、最近どんどん廃業している。
このテーマと関係ないが)
                 バイヾ( ̄ー ̄ヾ))))

・・・・・・
2018年10月31日(水)
6440,読書日記 ~やさしさね
           「やさしさ」という技術 2015/12/3
                   ステファン・アインホルン (著),
   * やさしさは、気づかいから… 
 10年前に、人生の終止符の目安にしてきた75歳まで、あと2年3ヵ月。
この年齢で、ガンで余命2~3年か、脳梗塞で寝たきり状態のはずだが、腰痛が
少し辛いぐらいでいたって元気。事業の新潟駅前シリーズで縁あった営業関係者
たちが、この10年で次々と亡くなっている。そろそろ順番が来そうだが…
全く、その兆候がない。 75歳が男にとって大きな節目。そこで心の底から
〔 いや面白かった! やり残し、言い残しはないし、後悔は多々あっても、
 抱えて逝くに丁度良い質量。『自分の人生、これで結構気にいっている!』 〕
と、言えるかどうか。自分への「やさしさ」は、実に良かったといえる行蔵を
蓄積してきたかどうか。この本の副題が「賢い利己主義者になるための7講」。
<賢い利己主義者> 利己主義には、何やら賢くないの意味が含まれるが、
少なくとも集団第一主義より遥かに良い。賢いに「考えている」の意味が
含まれるため。
 
  <20歳で起業を目指す>と決心した時から、利己主義、個人主義の傾向が強く
なったが、当然といえば当然。当時の時代の趨勢からしたら、個人主義
なるということ。 これは我が道を行く孤独業でもある。自分の周囲に垣根を
つくり門を構えて、出入りを制限。そして家の奥間で、自問自答。
それが慣れるほど社会が面白く見えるが、嫌な奴と誤解される。嫌な奴そのもの
になる。常に森の上から、自分と、環境を観る視線があるからである。それが
現在まで続き、このブログの17年半の継続に繋がっている。 
 それは、まず自分の立ち位置をはっきりさせる、まず自分に優しくなることに
他ならない。自分への優しさは、他人へ直につながる。
「内が白で、外側が黄色の日系ハワイ?、?をバナナと」いうが、大都会なら受け
入れられても、個人主義は、まだまだ拒否反応が強い。
それが現在ではスマートフォンなどの情報化で、内側は白基調の混濁色に… 
 面白くなってきている。

―― 
内容紹介(Amazon
 北欧で社会現象となった世界初の「やさしさ学」講義。

なぜ、見返りを求めない行為があなたの得になるのか?
なぜ、「高い収入」や「名声」を求める人ほど幸福度がダウンするのか?
なぜ、多くの動物が「思いやり」や「やさしさ」を持っているのか?
ノーベル賞の選考委員会を擁する世界トップ医大・カロリンスカ医科大学
「学生が選ぶ最優秀教授」に輝やいた名医が、わかりやすく、感動的に語る!
「死ぬ前に後悔しない人生」を確実に手に入れるための名講義、日本上陸。

◎やさしさは誰でも身につけることができる「技術」である
◎「高収入」「名声」を求める人ほど幸福度が低い
◎銀メダル選手より銅メダル選手のほうが満足度が高い
◎他人に目をかけられることは心身の健康に不可欠
◎他人を褒める人ほど出世する
◎衝突は百害あって一利なし
◎やさしさは個人にとっても社会にとっても大きな「得」をもたらす


▼ 先日、学生時代からの酒友と10数年ぶりに地元の長岡駅周辺で酒席を共に
 した。73歳になろうとした現在でも、1年2ヶ月ぶりに、社長交代で現場に
呼戻されて今も現役という。社長直属のコントローラ役の便利屋的存在か。
20~50歳代が占める中で大変だろうと思うが…。声は小さく、掠れ気味だが、
絶対肯定的なオーラが出ていた。 一軒目の居酒屋では、出てくる料理に
箸をつけると、次々と「美味い!」と。特別サービスセットもあり、値段から
みて好感が持てた、そのまま、「良い店を紹介して貰ってありがとうと…」と。
そして二軒目のスナックでは、隣の客と、直ぐに馴染んで… そして、何気なく
褒めたおす。地元の否定的空気に慣らされて馴化してしまった自分と比べ?
早々のリタイア肯定派の見方が、ここで軽く躱されてしまった。
 群れるのも、人によって、必要条件、絶対条件も、あるのでは! 
家のスペースが小さい為、居心地が悪いこともあるというが。
卓上の大型犬が、再度、働き出た直後、夫婦して働きに出て散歩時間が
激変をしたためかストレスで亡くなってしまったというから、犬が逝くか、
当人かだったと、ブラックジョークも忘れない。
 
 やさしさ~ 人生で一番足りなかったのかも。
末っ子はやさしさを受けて当然と思いがちで、与え方が苦手。
何やら褒めることが第一歩は分かってはいるが…