つれづれに

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 明後日の《長岡花火》 の土手の花火席も大掛かりな土手内の
工事も進み、準備完了。 ところが台風の接近? どうなることやら。
 写真は私の早朝のポタリングのコースのごく一部だが、これが両側の
土手内に左右数キロも続く。成るほど数十万人も集まるわけである。


・・・・・・
2310, また地震!どうなっている?まったく!- 9
2007年07月31日(火)     
              才ノヽ∋― (゚▽゚*)♪
田中真紀子様が、この参院選挙に中越長岡駅で堂々と車の上から選挙応援ができるか、
見ものであった。TVでは映像を出なかったので、さすがに度胸が無かったのか、
警察からでも忠告を受けたのか、どちらだろう。
昨日の朝のTVのニュースでコッソリと個人演説会に来ていた映像があった。
「下手に話すとマスコミに何を言われるかもしれないから、街頭演説はしない」だと。

この角栄の嬢様は、柏崎・刈羽原発を強引に誰が持ってきたか、ご存知なのだろう。
いくら越後人が人が良いとしても、そろそろ誰が危ない原発を誘致したか、
気が付かないはずはない。 しかし誰も口にしないから呆れてしまう。
原発で??されかけたのに、何で怒らないのか? 不思議でならない!
娘だから関係ない?そうだろう関係ない!のか?
しかし姿を現すな、姿を!

仕事場が新潟の駅前だから、たかをくくっていたが甚大の風評被害が出始めてきた。
毎日のようにTVと新聞のトップで原発事故関係が出ていれば、
観光客を含めて一般客も来るはずがない。
当ホテルは関東方面から春夏、自動車学校が二週間の宿泊客を送り込んでくる。
延べで2000人以上である。まずは、そこから激減である。
8月上旬の長岡祭りと、新潟祭りも、これでは期待が出来ない。
一割減で済めばよいが・・(地震前の予定は一割増だったが)

北朝鮮の、あの方?も、ミサイルを原発の周辺に一発ぶち込めば間違いなく
日本は政治的に折れるだろうと熟知しただろう。ミサイルに原爆を積んでなくともである。
相手はキ印のドン様なのである。 キ印が脅しの武器なのだから・・・
原発には敢えて原爆などミサイルにつけなくても充分だということだ。
まあ専守防衛とか、戦争放棄とか何処かの党が言っているが。
平気で信じているこの国こそキ印ではないか!?

  何で、20万以上が即死なのか、数年以内に数百万人が死ぬのか、
   いま一度おさらいをしてみよう。
核爆発をするの、核爆発を。そして人体の最悪の放射能が一瞬に飛び散るの!
それも八個も!日本全体が放射能に浸され数百万人が数年内に死ぬの!
その規模は、広島の数百倍などではない!
人類史上最大の事故が、あわや地元で、それも私も即死をしていたのである。
中越地震なみだったら、新潟地震(マグネチュード7・5)なみだったら、
現実だったのである。
その危険を全く知らないのが、この日本国民。 この事故、いや事件でも!
恐らく、私が書いてきた内容を読んで笑っている人がいたら、あなたが無知蒙昧!
あの時(原発内火災で映像を見たとき)、何で即、
車で脱出しなかったのかを真剣に反省して当然である。
それだけ、危ないことだったのは外国人は知っていて、知らないのは日本人だけ。
真紀子が何で街頭演説をしなかったのか、放射能を心配したのでは?とも、
うがった見方もできる。

阿部首相を信じているの? 自民党幹部や官僚を信じているの?
本当のことを言ったら日本中はパニックになるから、まず隠し、
その後に小出しにする。 誰も助けてくれない、自分で考えるしかない。
自分の直感を信じるしかない。 これからの日本はますます楽観できない。
  こんなことを書いていると、そろそろ公安辺りから何か言ってくるか。
  しかし、こちらは現実である、現実。 生活も、命がかかっている。
                 
                 byebyeヽ(o・ω・o)ノ゛ジャアニャー
・・・・・・・・
2006年07月31日(月)
1945, 満水の阿賀野川河口でカヌーに乗る
           (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ~ ヨウ
豪雨で満水の阿賀野川河口でヨットカヌーに乗った。
大学時代のゼミの後輩Mさんが、最近ヨットカヌーに凝っていて、
「今度、是非カヌーを乗ってみませんか」と誘われていた。
先日行われた「新潟県活性化の会」を仕掛けている人だ。
 来県の前日の27日に電話があり、
「車の上にカヌーを乗せて東京の自宅から来たい」という。天気予報では
豪雨注意報が出ていたので「カヌーなど絶対に無理」と言ったが、
それでも車の上にカヌーを乗せてやってきた。
「出来ないとしても、帰りの道すがら何処かの河で浮かばせるから!」
という。好きな人はそういうものだ。
天気予報では豪雨、絶対にこんな時にカヌーなど不可能と、服装などの
準備は全くしていなかった。一昨日の29日の朝、どういうわけか打って
変わった穏やかな天候になった。(前夜半はかなり降ったようだが)
 前回にMさんが来て、一緒に飛行場周辺を見て回った時に、
阿賀野川の河口がカヌーの最適の場所と目を付けていた。
当日そこに行ってみると、数日の豪雨のため河は溢れていた。
しかし、Mさん「平気で大丈夫です、乗りましょう」という。 
 この玩具みたいなカヌーでこの数百m、いや1キロ以上?もある
河口を乗りまわるなど、とんでもないと思ったが、本人は
「平気、平気、何でもないですよ」という。
    そして、ドンドンカヌーを組み立て始めた。    (o_o ;)
岸沿いを漕ぐのかと思いきや、どんどん河の真ん中の主流に出て、
そして対岸まで行ったしまった。             \(゜ロ\)
当然この満水の中、他のボートは1隻も見当たらない。
沿岸にはモーター・ボートが20艘ほどあったが、この洪水一歩手前の中、
誰も乗るはずがない。       ヽ(///>_<;////)ノ
 始めは少し恐怖があったが乗っているうちに、恐ろしさが全くなくなってきた。
地元の人からみたらとんでもことであろうが、それにしても、面白い!
豪雨のため大きな流木が彼方此方流れてくるが、
それを避けながらボートを操るのだ。ふと気づくと2時間近くたっていた。
そして、午後は寺泊の海岸に移動、再びカヌーを浮かべた。
また河とは違ったスリルがある。
風が不意に舞うのと、海流の動きをみながら操る。河とは全く違う面白さがある。
Mさん、「このカヌーあげましょうか」というが、私が乗りこなせるものではない。
丁重にお断りをした。Mさん、ヨット歴をいれると30年は舟に乗っているという。
そりゃそうだろう。あの川幅のある阿賀野川の満水の中、流木を避けながら
ヨットカヌーを乗りこなすには長年の経験が必要だ。  
 Mさん、その日は遅くなったので急遽、長岡に宿泊。
殿町を深夜まで飲み歩いた。     ( ^^)/▽☆▽\(^^ )
そして、翌日の15時過ぎまで、再び寺泊で、午前・午後にわたりカヌーをして、
16時に東京にある自宅に帰っていった。
 やってくる前日、知人の通夜があり、数時間しか寝ないで新潟にきたというから、
凄いエネルギーである。 こういうのも、能力というのだろう。
 28日の活性化の会を含めて、この三日間は、刺激的であった。
阿賀野川の満水の河渡りは、一生ものの思い出になった!ー
                      (@´∀`p★)゚*。
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2005年07月31日(日)
1580, パンセについて

昨日の随想日記の昨年の同日分に、パスカルについて書いてあった。
その中の格言を読み返してみて、現時点の考えを書きたくなった。
学生時代に感じたこととは自ずから違ってくる。
・人間は一つの極端にあるからといって、その偉大さを示しはしない。
 むしろ同時に二つの極端に達し、その中間を全て満たすことによって、
 それを示すものである。
 ーー
 二つの極端とは、善と悪・神と野獣・観念と実践、等々あるが、
中庸こそ偉大さがあるということか。
偉大さも所詮は人間の価値観の判断でしかない。

・人間は偽装と虚偽と偽善にほかならない。 
  自分自身においても、また他人に対しても
 ーー
 偽装・虚偽・偽善と気づくかどうかだ。
・もしクレオパトラの鼻がもっと低かったなら、世界の歴史は変わっていただろう。
 人間のむなしさを知ろうとするなら、恋愛の原因と結果とをよく眺めるがよい。
 -ー
 恋愛の原因と結果とを眺めてみて、男とは他愛のないものである。
 それだけ若き性欲は昇華して恋愛を促進する。
 その障壁が高ければ高いほど燃え上がり、お互いが見えなくなるから困ったものだ。
・人間はつねに、自分に理解できない事柄はなんでも否定したがるものである。
 --
 それが、親から・環境からの植えつけられた強固な先入観であれば、
 養老猛のいうバカの壁になってしまう。
・人間相互の尊敬を結ぶ綱は、一般的に必要から生じたものである。
 というのは、全ての人間が支配者になりたがるが、みながそれになるわけにはいかないし、
 種種の階級が存在せねばならないのだから。
 ーー
 お互いの尊敬か~ 
・悲しみは知識である。多く知る者は恐ろしき真実を深く嘆かざるをえない。
 知識の木は生命の木ではない。
 ーー
 軽く、いや生命の木でもある!といえないところが、この格言の深いところである。
 不条理が何事にもついてまわるし、無知の涙と同じくらい知識は涙をともなう。 
・好奇心というものは、実は虚栄心にすぎない。
 たいていの場合、何かを知ろうとする人は、ただそれについて他人に語りたいからだ。
 --
 実をいうと、これがあるから、この「随想日記」が続いている。
 これが無かったら、これだけ毎日本や雑誌などこれほど読まない。
 といって、その時点時点の好奇心を書き残すのは、
 自分のためのメルクマールである。
 パスカルもそうだったのだろう。
・人からよく言われたいと思ったら、自分のよいところをあまり並べ立てないことである。
 --
 このHPを閉鎖して方がよいと、忠告されてはいるが。
 人に良く思われたいと全く思わないから自分のことを並べ立てることができるのだが。。
・この無限の空間の永遠の沈黙は私に恐怖を起こさせる。
・人間は考えるために生まれている。
 ゆえに人間は、ひとときも考えないではいられない。
 --
 一日、6~7万位のことを考えるというが。
 人は本当に考えるために生まれてきたのかどうか?
・ひとつの事柄についてすべてを知るより、すべての事柄について何らかのことを 
 知るほうが、ずっとよい。
・我々は現在についてほとんど考えない。たまに考えることがあっても、
 それはただ未来を処理するために、そこから光をえようとするに過ぎない。
 現在は決して我々の目的ではない。
 過去と現在は我々の手段であって、未来のみが目的である。
 --
 若いうちは、そうだとしても未来がだんだん少なくなってくると、
 現在と過去に光を与えようと必死になる。 それも必要ではないのか?
・習慣は第二の自然だといわれているが、
 人は、自然が第一の習慣だということを知らない。
 ーー
 自然体を基礎においた習慣を意識してないと、習慣そのものが続かない。
・誤った法律を改正する法律くらい誤ったものはない。 法律は正義であるが
ゆえに従うといって服従している者は、 自分の想像する正義に服従しているので
あって、法律の本質に服従しているのではない
・偉人が我々より偉いのは頭が少しばかり高くでているだけのことで、
 足のほうが我々と同じくらい低いところにある
 ーー
 足の位置が同じとみて、同じ気になってしまうから困ったものだ。
 しかし、少し頭の位置が高く出るということは大変なことである。
・実物には一向に感心しないくせに、それが絵になると、似ていると言って感心する。
 絵とはなんとむなしいものだろう。
 ーー
  実物も移り変わるものだから。
 関心をもつチャンスになることも確かだ。
 画家の意図を見てくれる人が必ずいるものだが。
 
・・・・・・
2004年07月31日(土)
1215, 「世界の名著をあらすじで読む」         
        ー読書日記
最近、本屋の平積みのコーナーで、古典などのダイジェスト版が目立つ。
文庫本も出始めているからブームになっているのだろう。 
先日、図書館で「世界の名著をあらすじで読む」と、
「子供に読ませたい世界の名著」を借りてきてさっそく読んでみた。
振り返ってみて、世界の名著はあまり読んでない。
古典的なものとして、「罪と罰」「大地」「赤と黒」「魔の山」「旧約聖書
新約聖書」・・・それと、ロマンローランの数冊と、
最近ではソルジェニーツェンの数冊と、あと数人の作家の本ぐらいである。
ノンフェクションが好きなためだ。
「子供に読ませたい世界の名著ーベスト26冊」の中に挙げてある本は
殆んど読んでいたので安心はしたが。
読んでみて、名著といわれるものはダイジェストでも非常に面白いことが解った。
それと過去に読んだ本でも99?は忘れているのには驚いた。
それを思い出すだけでも充分に価値があった。
トルストイの「戦争と平和」やモーパッサンの「女の一生」や、
ショーロフの「静かなるドン」などダイジェストでも面白い。
サドの「悪徳の栄え」など、当時の社会によく受けいれらたものだ。
買ったまま、まだ読んでないが、
「世界の旅行記・101」「世界の哲学書」などのテーマ別のダイジェストがある。
今度は「日本の名著をあらすじで読む」をよんでみよう。
ーーー
「子どもに読ませたい世界の名著」
 ーあらすじで読むベスト26ー
著者: 三浦朱門  出版社:あ・うん

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2003年07月31日(木)
848、10の小法
ホームページのネットサーフィンをしていたら「10の小法」が出てきた。
  なかなか含蓄のある内容である。
    小食多噛
    小肉多菜
    小塩多酢
    小糖多果
    小煩多眠
    小衣多浴
    小車多歩
    小言多行
    小念多笑
    小欲多施
それでは「10の多法」と大と小を入れ替えてみた。
『成人病への近道-10の多法』というとピッタりだ。
 逆も真なりである。下記が私の自己評価であるが、一番悪いのが多食少噛である。
これさえなおせばよいが、終戦直後の生まれのせいか腹が膨れないと
食事をした気にならない、それも早食いのため小噛になる。
20歳なら80?、40歳なら60?、60歳なら40?と歳に応じて
胃に収める量を減らしていかなくてはならないという。
 半分以上バツなら成人病間違いなしである。
  ○ー無し、△ー普通、×ー傾向あり 
  『10の大法』  
    多食小噛  ×
    多肉小菜  ○
    多塩小酢  △
    多糖小果  ○
    多煩小眠  ○
    多衣小浴  ○
    多車小歩  ○
    多言小行  △
    多念小笑  ○
    多欲小施  △

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2002年07月31日(水)
473,一言タレント
小泉首相が大衆に人気がある大きい要素に毎日だす一言コメントがある。
すべてをこめていると言ってよいほど簡素で鋭いし、いいえて妙だ。
-ワンバイト(一言)化というらしい。
それで気が付いたが、随想日記も「一言コメント」に似ている。
テーマが一言コメントで、文がその解説と言えよう。
そういう面では時代に適しているのかもしれない。
テーマの決定にエネルギーをつかうが、それなりに出てくる。
小泉首相の場合、そのプロのコピーライターが側近にいるだろう。
時代が一言タレントを求めているのだろう。これも情報化社会の一現象である。
TVの色々の分野の専門的な番組を初心者向けに放送すると、
よい番組が出来上がるという。簡単に、特化して、編成すると内容が芯をつくという。
田中真紀子女史もその事をしって、批判をしているから人気の大きい要素になっている。
つまらない時代になったのか、面白い時代になったのかどちらであろうか?

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2001年07月31日(火)
[93] 旅行で出会ったー普段会えない人

日本生産性本部の元トップとおぼしき人
・NHK幹部
・いつもお付きと来るが今回は一人できている山の手の奥様、
・天下ったばかりの元官僚、
日本興業銀行本部のキャリアウーマン
・遠い親戚が亡くなりおもわず数億の現金を相続した人
・ツアーを2重がさねで続けて、現地でおち合った80台半ばの見た事がないくらい
 品の良い老夫婦、
・TVの経済解説でよく見る人
・えげつない関西のおばちゃん
  まあ彼等から見たら、反対にどうみられているのだろうか?