閑話小題 ~コロナ禍を金価格から見る

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      * 10数年ぶりに金価格の推移をみる
 湾岸戦争などの国際的軍事危機となれば、金価格である。今回の危機ともなれば、
湾岸危機と比べようがないほど高い。なれば、暴騰かと興味範囲でみたら、案の定! 
国際価格が1200ドル辺りだったのが、2000ドルを超えていた。国内価格は半年前に
5666円が、今では7769円で37%アップ。 長期投資が基本のため、乱高下の幅は
小さいが、これは異常値である。専門家に言うには、1万も有りうるとか!
来年になって、この流感の拡大が止まらないとしたら、有りえること!
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   * この9,10月から始まるのか?
 夏場の帰省も終わり、ホッとする間もなく、中小を中心に統廃合が始まり、予想
とおりに世相が一変するのか… 銀座を中心にした有名繁華街の有名店の売り物件
が多く出てくる時節。それと、失業率が大幅に跳ね上がる。現実に売上が5~7割減が、
相場だろう。劇的なコロナ菌を克服できる薬が出来たとしても、世界が落ち着くまで、
数年はかかる。それまで、事業継続可能かどうか? その判断が、この9,10月に
下される。現在、多くの経営者は、七転八倒をしながら… そこで、問題が、その
設定があるかどうか? 最後まで踏ん張る!と、啖呵を切っていた居酒屋の社長が
いたが、この判断一つで、人生が決定的に違ってくる。…凄い事例は捨てる程ある。
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   * あれは夢か、如何だろう?
 数日前になるが、近未来の補助ロボットなど、これまで無かったマシーンを
紹介する番組があった。その辺りに眠気が襲ってきたため、寝入ったが、私の創作
かどうか?今でも判定不能。 進化したゴーグルで、被って、作動すると、そこに
人型をした人形があって、横には選択するシステムがあって… YouTubeで探して
みればと思いつつその場面で完全に寝入った。で、翌日、録画を探したが、そんな
場面はない… 例えばドローンの操縦席に、人形を被って坐り、スイスアルプスを
上空から散策するとか、ドローンレースに参加するとか… 世界一怖ろしいジェット
コースタに最前列に座った体験をするとか… 面白そうだ! 
歌舞伎座の一席を借りた設定で、ゴーグルを装着したのも面白そうだ。何か暗いか?
今では、居酒屋の席で、リモート飲み会もあるのだから、何ら不思議のことでない。

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6720,閑話小題 ~美しいことは、どう、良いのか?  -3
2019年08月09日(金)
    * 具体的な美女の共通点とは…
 昔から,好きなタイプの女性には共通点があった。そこで、それぞれの地区で
出あった(というより、傍観?してきた)5人を想い浮かべると、共通点がある。
 
 ・お嬢様タイプ
 ・清潔感抜群
 ・輪郭が卵型
 ・目が生きている
 ・衣装のセンスがよい
 ・自信を持っている
 ・明るく、積極的
 ・肌がきれい
 ・歯並び、口元が締まっている
 ・健康的
 ・姿勢がよい
 ・知性・教養が満ちている
  ~これらに、5人の特殊要因…
 ・身長が中肉中背の162cm当たり
 ・血液A型?
 ・長女タイプ
私の知る限り、性格の明るさ・暗さと、知性・教養を除くと、上記の条件を
ほぼ満たしている。4人の姉が基準があったため、ある程度は冷静でいられたが、
やはり男の生理が?目を眩ませる。「一人を選ぶということは、一人以外から
除外される」周囲の事例をあまりに知り過ぎていた? 青春が一瞬で消滅して
しまう現実。
 誰もが認める美女には悩みがある。適応できる相手の絶対数が少ない。
条件が良質ほど機会が少ないのである。 こんな筈がなかった、何で? 声を
かけても、自信なさそうに、反応してこない。 現実に妥協した相手の内実を
知れば知るほど、隣の芝生が緑に見えてくるが、反応なし。自分を、少なくとも
二ランク上の逆上せが、更に自尊心を傷つける。世間の常識に縛られて、息も
出来ない程のプレッシャーの結果の妥協が、今の私? そして、それも諦めが…
で、その結果が、世間にまみれた小母さんに! 何より可哀そうで、哀れな
のが初な男! 人類の永遠のテーマ? でも、何故か、何れのステージでも、
美女に恵まれていた! 4人の姉の基準があったお陰ですか。 いや、逆か?
ところで、小泉進次郎と… 何、あれ? お似合い過ぎて、嫉妬が湧き上がる?

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6357,閑話小題 ~つれづれに哲学=言語ゲーム
2018年08月09日(木)
   * 日常生活の中で言語を考える!
1日1テーマで、文章を書上げ、ここに提示しているが、これはテーマ探しから、
起承転結の文を書上げ、推敲し、完成に至るゲームでもある。毎日、何か黒い影
に追いたてられている感覚になるが、これも慣れ。気ままに、ゲーム感覚で、思い
のままにテーマを決めて、論理を組みたてる遊び。どうしても、過去の話に捉われ
がちになるが、前向きな創造的内容も多くある。 5年、10年、17年間、読み続けて
いる読者(自分も含め)に向け書いている点でゲームに近い。
 ウィトゲンシュタインとは少し意味合いが違う。彼は日常用語に注目し、
諸活動に織り込まれた言語に注目し、分析する。 ~その幾つかを紹介する~

≪ 言語ゲームとは、言語哲学ウィトゲンシュタインの用語。
 彼は言語を、「命令する」「演劇をする」「ジョークを作って話す」などの、
諸々の活動に織り合わされたものとして考察した。
このような言語を伴った諸活動が、言語ゲームと呼ばれる(『哲学探究』1953年〉)。
 そこには「言語に先立って個人の内的感覚や客観的事実があらかじめ存在しており、
言語はそれを写し取る道具である」とする古典的言語観を解体しようとする意図がある。
・言語が客観的事実を描写するとしても、それは単に事態を写すのではなく、例えば
 火事を知らせる場合のように、「自己や他者に対するなんらかの活動」なのである。
・第2に、言語による表現は、人々の間に共有されたルールにもとづくものとされる。
 個人の内的感覚でさえも、そうしたルールに基いてはじめて表現され理解されうる。
・第3に、ルールはたまたま成立している慣習的なものにすぎず、絶対のルールなど
 存在しないとされる。 例えば真偽を判断する際も、なんらかの慣習的なルールに
 基いて行われる以外になく、絶対的な判断基準などは存在しない。
こうして言語ゲームの考え方は、相対主義的ニュアンスを強く帯びることになった。
現在では言語ゲームは、社会学上の用語としても広く用いられている。例えば、学校
や家庭やもろもろの宗教などを、それぞれ異なったルールをもつ言語ゲームと見なし、
それぞれの特質を分析することができるからである。≫

≪ 言語の本質はなにか、というのを考えて行き着いた概念。
例として挙ているのは、石置き場におけるやりとり。親方が「柱石」と叫ぶとする。
すると、弟子が柱石を持ってきてそれを親方に渡す。この場合、別にその「柱石」
という語の意味を把握して何かの行為をしているわけではない。この台詞を聞けば
このように行為せよ、というのを既に習得していて、それに従って行為したという
だけだ。だから、たとえばこの「柱石」という言葉は、別のところに行けばまた
別の意味を持ってくるわけである。個々の状況から独立した言葉の意味というものは
存在しない。すべての語の意味は、状況に規定されるものだ、ということになるわけ。
このことを、ゲーム(互いに理解しているルールに基づいてやりとりするもの)と
似ているという理由で言語ゲームと呼んでいる。≫


▼ <諸活動に織り込まれた言語活動という点で、このブログ活動は言語ゲーム。>
 新たな読者が読みはじめて半年、一年では、脈絡が理解しにくいだろうが、
慣れてしまえば、こんなものか?と。ウィトゲンシュタインの後期には、日常言語
に立ちもどって日常会話に注意を向け分析をしている。哲学者たちは神、魂などの
語りえないものについて語ろうとしているわけになるが、彼は哲学から、こういう
形而学を排除し、語りえないことには沈黙を守るべし!と主張した。それは、この
ブログを読めば、生半可な知識、情報を、未消化で提示している愚かを気づくはず。
それでも、私にとってプラスと思えるから続けている。毎日、同月同日分の
文章を読み直しているが、書き、提示する目的が自分自身向けのためか、状況説明
が甘い欠点と、それ故の誤解も多くなる。大相撲協会の怪しげな体質を代表とする
諸々のスポーツ協会の問題。現在は、レスリング協会、日大アメフト問題、そして
ボクシング協会へと問題が移動しているが、彼らの言語活動から垣間見る異常な
世界が、言語ゲーム感覚で何とも面白い。格闘技など、言語の代わりに「暴力」を
入替えた「暴力ゲーム」でしかないため、そこには、『言葉足らず』の活動が
独り歩きし、独特の世界を形成する。「力」とは「知空」とゲーム感覚で当て
はめるのも言語ゲームですか。スマートフォンの進化の御蔭で、言語ゲームから、
インスタバハエの『映像ゲーム』に世の中は変化をしている。これも、添えて書き
こまれた言語次第だが、それさえ必要としない映像が溢れている。
豊かさって何でしょう? その根本が、世界で問われている。「意味の意味?」…
 さて、エネギー補充のため、信濃川土手に向けて出発だ! 
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5260,永劫回帰  ~ニーチェ「超」入門~
2015年08月09日(日)
             ~ニーチェ「超」入門~白取春彦
   * 永劫回帰 ~人生の肯定
 ニーチェといえば、「超人思想」の他に「永劫回帰」があるが、この本
では、大きく取り扱われてない。しかし、これを避けてニーチェは語れない。
『哲学で自分をつくる』瀧本往人著の中に、以下のような文章があった。ーp141
≪ 二ーチェは「奴」のいない「主」を超人とした。超人は誰にも何にも依存
しない。確かにこれは人間を超えている、人間はもとより社会的な生き物で
あるがゆえに、誰にも何にも依存しないということはほぼ考えられない。
考えられないことを創出したからニーチェの思考は飛びぬけているが、
同時に危険でもある。それはまた自分の生き方にも適用される。
「いやもう一度、いや何度でも、まったく同じ自分の人生を」といった、
自分の生を絶対的に肯定する。これがニーチェの言う「永劫回帰」である。 
人は誰もが死に至る。しかしこの「私」とは、生まれてきた以上、永遠である。
生まれ変ったら別の人生を歩もうとか、前世は立派な人間だったはずだ、とか、
そういう考えはたわごとにすぎない。永遠にくりかえし、足し引きがなく、
まったく変わらず、そのままの人生に戻ってくる、と二ーチェは述べる。
永劫回帰は、どうみても当時ヨーロッパにおいて流行した仏教の輪廻思想との
近似性を感じるが、ただし輪廻においては全く同じ人生に戻ることはない。
世界のあらゆる事象が有機的に結びつき、死もまた新たな生と結びついている
ということを輪廻は教える。また、輪廻思想では、自分が死んだあとには
別の何者かに生まれ変わるが、ニーチェは生まれ変わってもまた、全く同じ
自分が「生きる」だけなのだ。これは、一般的には好まれない考え方だろう。
人はみな、生まれ変わったら、別の自分でありたい、と思う場合が多いからだ。
 つまり何かしら後悔をしており、やり直したい、別の人生を歩みたい、
あのときもし、ああしていれば、そういった後悔の修復・訂正を求めている。
 しかしニーチェはそういった考えをやめよ、と強く主張しているのである。
つまり死んだらおしまい、である。永劫回帰とは、絶対的な虚無主義を基盤と
しつつも、だから人生は虚しい、と考えるのではなく、人間は本来、この一度
きりの生を十分に楽しみ自己を肯定して生きるべきである、という人生観を
現している。そこにニーチェの強烈な、魂の咆哮を感じずにはおれない。
二ーチェの嫌ったソクラテスが自らの運命として毒杯をあおったように、
ニーチェは自らの「表現」に稲妻を落とすのであった。しかし、ニーチェは、
このように並なみならぬ強さ、超人的な生き方を強調するが、実際の彼は
きわめて病弱だった。そんな彼が異常なまでに健康や生の強度(内的な充実性
に溢れた自己経験)にこだわった文章を遺していることこそ、実は、彼の生の
弱さを物語っているとも言える。そして同時に(だからこそ)彼がここで「超人」
に至っているのは、それでもなお、自分の生を肯定的に受けとめ、しかも
それを永遠にくりかえしてもかまわない、と言い切ってしまったところである。
ここに他の哲学者にはない迫力と緊張を私たちは見ることになる。・・ ≫
▼ 『再び、生まれ変わったても同じ人生を!』と言えるかどうかが、晩年の
 私たちに 突きつけられる大問題。自分の人生が肯定できるか、否かは、
本人にとっての一大問題。しかし、肯定できたとしても、死んで三日もすれば!
ならばこそ、「一度限りの人生を楽しみ、自分を肯定して生きるべき」になる。

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5625,人生を幸福で満たす20の方法 ~⑤
2016年08月09日(火)
         <人生を幸福で満たす20の方法>三宮 麻由子(著)
    * 空虚な日々を楽しむ方法  
  5.海を渡って心をリセット
≪ あなたは、あなたという船の船長です。乗組員がいてもいなくても、海に
乗り出した以上、あなたは航海しなければなりません。漕ぎ手や修理係りは
来てくれるでしょう、でも舵取りはあなたの役目です。・・(略)
  川では小さすぎる。隔てるものもあるが、文化を結びつける働きもする。
 しかし、海は「文化を隔てる」ものである。だから、海を渡ると、実に
 多くのことが見えてきて、心も経験も豊かになる気がする。海を渡ることは、
 リセットの極意である。 ・・海を渡るということは、自然の境界を越える
 ということである。自然や文化を大きな変化を体験できるということ。
 これは、一つの冒険であり、リセットの極意でもある。 ≫
▼ 21歳の「欧州30日間の旅行」は、人生にとっての大きな分岐点(リセット)
 になった。アラスカ経由でデンマークコペンハーゲンに下り立った時の、
あの空気と、宿舎への道すがらのバスからみた光り輝く緑の中にある街並み。
その時から行く先々の光景のどれもが、異界を見ているようであった。
この経験は、それからの人生の浮沈みの中で大きな支えになっていた。
 その時の経験が私にとって、いかに衝撃だったかである。それから10数年は、
仕事、家庭に専念、十数年間は出ることが出来なかった。 40歳前半辺りから、
年に二回は出るようになっていた。年に二度のリセットで、何とか人生の峠を
のり超えてきた。これも絶対量が蓄積すると、強力な磁力なる。