つれづれに

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 7月の台風とし最大級というが・・・
騒ぎ過ぎか、はたまた、その通りなのか?


・・・・・・
2288, ちょっとした勉強のコツ -2
2007年07月09日(月)
  (p≧w≦q) オッ☆ o(≧▽≦)o  ハァァァァァァ♪ ヨウ~           
                 ー読書日記
この本の中の「三つのことば」についても、面白い!
  ーまずは、その要約をしてみたー
  ----
ことばには三種類ある。
?ひとつは、生まれてまず覚えるもので、たいていは、ものの名前。
それと、ごく少数の動詞をふくむにすぎない。
日常の最小限のコミュニケーションはこれでできる。
この特質は、ものごとを直接的に指し示すところ。
‘いま’‘ここ’にある事がらについての表現である。
これをアルファーとする。
?もうひとつは、ベーターのことばとする。これは、人間の文化、
価値のあるウソを多くふくんでおり、そういうものにかかわりのあるもの。
虚構、フィクション、創作、創造など。 昔話、おとぎ話などをいう。
昔話をきいているうちに、見ることのできない、触れることもできない
非現実的世界を頭の中に描き出すようになる。つまり、想像力によって
ストーリーを理解することば。
?そしてもうひとつは、ガンマーのことば。これにはベーターのことばと違って、
ストーリーがない。その代わりに、ものごとの関係を扱う。それは論理と
いいかえてもよい。物語りや小説を読んだだけではガンマーのことばは育たない。
論説や理論のある文章、表現にふれることで体得するほかはない。
……
日本人は感覚的で、論理的でないと言われるが、ベーターのことばはよくても、
ガンマーのことばをしっかり身につけないで育つ人間が多いからであろうか。
物語や小説を読んだだけではガンマーのことばは育たない。
論説や理論ある文章、表現に触れることで体得するしかない。
学校の勉強は、子供にとってガンマーの言葉を習得する唯一の途かもしれない。
その昔、小学校低学年からの子供に高度の思考を含んだ漢文を読ませたのは、
ガンマー語の教育として絶妙であったことになる。
いずれにしても、ことばに三種類あるということ自体がわかっていないで、
勉強、勉強と言っているのは少々おかしいのである。
ーーー
 以上であるが
?「いま、ここ」の事がらの説明のことば、
?昔話などの物語のイメージをことばで説明するもの、
?ものごとの関係を論理で展開することば、の三種類のことばの使い方を
理解して言葉を使い分け聞き分けるのが、教養ということだろう。
教養がないとは、?のことばしか使えないレベルということであり、
?までは、文学好きのレベルで
?で、自分の言葉を持ってものごとを判断でき、
かつ道理を把握できる状態ということ。
英語に置き換えてみればより鮮明に解るだろう。
?は英会話が可能なレベル、?は短い物語を暗記しスラスラいえるレベル
?では、英語で自分の考えを表現できるレベルのことば。
 インターネットでブログで、それぞれの立場で主張はじめた現在、
この三つのことば、特にガンマーのことばが、大きな位置を占めてきた。
この随想日記を書き続けていると、論理で把握する訓練になる。
ただ、言葉の工作(組み立て)という感覚になることもある。
                ヾ(。´・ェ・`。)By~               
・・・・・・・・・
2006年07月09日(日)
1923, 孤独であるためのレッスン
 おっ w(゚Д゚)w ハァョ~   著・諸富祥彦
        ー読書日記           
孤独について何度か書いてきた。自由と、孤独と、死は、哲学的にみても大きな
人間の課題である。図書館で、ずばり孤独について具体的かつ解りやすい本をみつけた。
 我われは、ひとり孤独に生まれてきて、さいごはひとり孤独に死んでいく。
その土壇場で人は死を恐れるのではなく「自分はやりたいことをやった!」
といえない自分に直面することを恐れるのだという。
真の疎外感は、その恐れに支配された時に出てくる。
だから、やりたいことを早く見つけ、世間とかいう奴を無視するか、
処理をして、やりたいようにしないと仮面の人になってしまう。
仮面の人は孤独を恐れ、群れることこそ人間の性(さが)と信じている。
この本は、そういう連中は無視をして孤独の重要性を説いている。
そのための条件を以下のとおり書いている。
 ー孤独であるための八つの条件ー
一 「わかり合えない人とは、わかり合えないままでいい」と認める勇気を持て。
二  人間関係についての「歪んだ思い込みやこだわり」に気づけ。
三  自分の人生で「ほんとうに大切な何か」を見つけよ。
四 「自分は間もなく死ぬ」という厳然たる事実を見つめよ。
五 「たった一つの人生という作品」をどうつくるか、絶えず構想しながら生きよ。
六  ソーシャルスキルを身につけよ。他人の話を聴き、他人を認めよ。
七 「この人だけは私を見捨てない。どこかで見守ってくれている」。
   そう思える人を見つけよ。
八  自分だけは自分の味方であれ。
  「自分を見守るまなざし」を自分の中に育め
   まあ、巧くまとめたものだ。
 また、ー孤独の中の四つの出会いーを一章にわたって書いている。
・自己との出会い ー自分の中の深い自分と出会う
・他者との出会い -深い孤独を知っている他者と出会う
・普遍的なものとの出会い ー深い孤独の中に普遍的なものをみる
                  公平な内なる観察者
・`人間を越えた何’かとの出会い
 -人間を越えた何かは大自然の深い波に出会い感動した時に感じる何かである
この出会いは深い孤独の世界でしか出会うことができない。
そして、逆に深い孤独でこそ、人間関係も自由に柔軟になる。
「『ひとり』でいることのできる人の人間関係は、とても自由で、
柔軟で、開かれたものです。他人の視線はあまり気になりませんし、
他人と自分を比較したり、評価し続けたりすることもありません。
他者とのほんとうの『つながり』に開かれた生き方と言ってもいいでしょう。」
ーおわりにー
の最後の締めくくりの言葉がよい!
 --
他者とのつながりをきっぱりと絶ち切って、自分の孤独を、深さのほうへ、
深めていくこと。そのことによってしか孤独は癒されない。
表面的な人間関係は、さらに孤独を強化する。
もし、孤独を癒すことができる人間関係があるとすれば、
それは、その関係の中で、互いがより深く孤独に徹していけるような人間関係、
その関係の中で、互いがますます深くひとりなり、自分自身になりきることが
できるような人間関係でしか、ありえないだろう。
 孤独は素晴らしい。
人間が真の自分に出会うのも、自分の人生で何がほんとうに大切か知るのも、
すべては孤独においてである。孤独を深めていける人間同士が出会ってはじめて、
深い心のふれあいというのも、可能になる。
孤独になる勇気を持つこと。 孤独を楽しむ能力を持つこと。
この二つを備えた人間しか、本当の幸せを獲得できないはず、である。
 ー池田晶子が自分の本で孤独について次のようなことを書いている。
 ーー
「自分の孤独に耐えられない人が、その孤独に耐えられないために
求めるような友だちは、やっぱり本当の友だち、本当の友情じゃないんだ。
本当の友情というのは、自分の孤独に耐えられる者同士の間でなければ、
生まれるものでは決してないんだ。
なぜだと思う?
自分の孤独に耐えられるということは、
自分で自分を認めることができる、
自分を愛することができるということからだ。
孤独を愛することができるということは、
自分を愛することができるということなんだ。」

「孤独というものはいいものだ。
友情もいいけど、孤独というのも本当にいいものなんだ。
今は孤独というとイヤなもの、逃避か引きこもりとしか思われていないけれども、
それはその人が自分を愛する仕方を知らないからなんだ。
自分を愛する、つまり自分で自分を味わう仕方を覚えると、その面白さは、
つまらない友だちといることなんかより、はるかに面白い。
人生の大事なことについて心ゆくまで考えることができるからだ。」

孤独について書いた内容をコピーしておきます。
ーーーーーー
2003/07/16
孤独について -3

以前も書いたが(あとでコピーしておきます)、
再び孤独について書く。 

経営者は孤独でなくてはならないとか、孤独であるという。
特に創業は孤独に徹しないと、甘さが生まれてくる。
山の中の孤独というより、街の中の孤独である。
街の中の孤独とは、密着している他者と、自分の間にラインを
引くことである。

ある本に孤独を「六独」6つに分解して、
説明をしていた。
1 独想
2 独学
3 独行
4 独遊
5 独創
6 独楽

 これが出来るようになるには強い意志が必要だ。
創業を何回か経験をすると深い孤独の経験を何度もする。

独り着想と構想をねり、その為の情報を集め、
分析をして決断、たった独りで嘲笑のなか行動開始、
途中からゲーム化をして遊びまで高め、創りあげる。
そしてその起承転結を楽しむ。

しかし実際はつらい孤独業である。
つらさと楽しみは裏表であることを知る。
二代目が失敗をするのは、この孤独に耐えられないためである。

 孤独に耐えるためには、宗教が必要である。
日本人が平気で自分は無宗教と答える・・・
欧米では自分が気違いだと言っているに近いことになる。

スモールS (多神教)の集まりを宗教観としていることを自覚していないためだ。
                   ーつづく
ーーーーーーー
2003/04/27
孤独について-2

自分の強みは何だろうと考えてみた。「孤独に強い事」である。
あまり人といなくとも平気である。若い時の都会の生活や勤めの時代に鍛えられたことと、
8人兄姉の末っ子だったこともある。 一人でいつも遊んでいたという。
創業を独りで何回か経験をしてきたのが、さらに孤独の訓練になった。
孤独をポジティヴに前向きにしなくては、無から有は創れない。
青年期はそれほど強くはなかった。 実際は空元気であった。

「孤独を恐れるのは、ひとりそのものではなくて、孤独であることを責める自分
の中の内在化された他者の声である。それが多くの人の心を責めさいなまし、
安らかな心を破壊してしまう・・・」と、ある本に書いてあったが、
私の場合そのような内在化された他者の声は全くない。
独り事業を何回か立ち上げてきた為に内在化する余地がなかったのだろう。
それと行蔵が整理?されていた
                   (。・ω・)ノ☆゚+.バイ!
・・・・・・・
2005年07月09日(土)
1558, BOSEのステレオ-6

購入してから4ヶ月経つ。
7万円台のものでもよかったのではないか?と疑問を持ちはじめた頃、
TVの横から、6m位先の部屋の隅に置いてみた。 そして、それが正解であった。

二m先のTVの横なら7万円代のものでも充分だが、
部屋全体の反響を使って聞くなら、これが丁度よいようだ。
ただ、このコンポの効果的な使い方を知らなかったのだ。
そして、このステレオの良さを改めて知った。

それと
「ベストクラシック・100」シリーズが、3千円で販売された。
100曲で3000円は安い。
・ベストクラシック・100
・ベストクラシック・100モア
・ベストピアノ・100
と買いこんだのが良かった。
半分ほどは、過去に買ったシリーズのCD に入っているが、音質がよくない。

家内には、「7万台で充分だったのでは?」と、言われつづけてきたが、
位置を変えてからは何も言わなくなった。

イギリス人はゴルフやテニスなどの道具は思い切って良いものを揃えるという。
良い道具を揃えると対象に気持ちが入るし、途中でやめるわけにいかなくなる。
また一生物になる。

今まで、音楽に対してはそれほど興味があったわけではないが、
このコンポのお陰で一日一~二時間は聴くようになった。

「人が皆、我より偉くみえる日は、コンポを聴いて妻と愉しむ」
というところか!

・・・・・・・・・
2004年07月09日(金)
1193, ニーチェ(1)
  ー哲学についてー14

 ー概略はー
ドイツの哲学者。(一八四四~一九〇〇) 実存哲学の先駆者。

キリスト教的・民主主義的倫理を弱者の奴隷道徳とみなし、
強者の自律的道徳すなわち君主道徳を説き、その具現者を「超人」とする思想に達した。
機械時代・大衆支配時代に対する批判は、一面ファシズムの支柱ともなった。
薯「ツァラトゥストラはかく語りき」「善悪の彼岸
 「道徳の系譜学」 「権力への意志」など。
  ーーーー
 
 人生を振り返って、一番影響を受けたのがニーチェである。
 高度経済成長の時代という背景もあったのだろうが、自分の能力を最大限発揮するのが
 男の務めと考えていた。儒教頑張りズムに相通じるところもあるが。
 自分が考えることは、しょせんは全てが借り物。
 ただ借り物と意識をしないで踊っているにすぎない。
 それを気がつくかつかないかでしかない。
 
 ー印象的なことを書き連ねてみると、 

 この世には神は存在せず、人間には不滅の魂などないという
 ショーペンファウアーの主張には賛同した。
 
 人生とは大部分が意味のない苦しみや争いの連続で、[意志]とよばれる非合理な
 力に引きずられていくだけという点でもショーペンファウアーに同意している。
 しかし、この世界は部分にすぎない、それも大して重要ではないという彼の主張には
 反対をした。この世界こそすべてだと考えた。
 
 更にショーペンファウアーの「人はそのような軽蔑すべき世界から背を向けて、
 関わりを持たずに生きるべきだ」という結論を否定した。 逆にニーチェは、
「人は自分の人生を精いっぱい生き、可能なかぎりのものを手に入れるべき」と考えた。
 
 ニーチェ哲学の最大の課題は、
 「神が存在せず、意味もない世界で、人はどのようにすれば情熱を持ち続けながら
 生きていけるか」ということであった。

 自己の能力を最大限に伸ばした人間は一種の超人的存在であるため、ニーチェはそれを
「超人」といった。
 ニーチェにとって人がもつべき最高の価値観とは「自己の人生を肯定する」ことであった。
 「誰もが完全に自己を表現し、充実した人生を送り、人生を肯定すべきである」と説いた。

 ニーチェの二つの主張がある。

・充実した人生そのものこそ意味があり、価値があるとした。
 充実した人生は芸術作品のようである。

・すべては永遠の無に帰すのではなく、永劫回帰する、というものである。
 時間は巨大で宇宙的な同心円を描いて進むため、以前おこったことはすべて、
 ふたたび巡り帰ってきて、その後永久の時を経て同じことが繰りかえします。
 人は精いっぱい生きることで、永遠に生きたいと思う人生を送る。
 時間は永遠に繰りかえすことで、限りある閉ざされた世界にいる人間に、
 永遠といえる生命を与える。
                          - つづく
・・・・・・・
003年07月09日
826, アラスカ旅行記 -1

一週間の予定でアラスカツアーに参加してきたー2003年7月2日ー8日
行く前は、もしかしたら「外れ」になるのではと不安であった。
山脈や海を中心とした旅行は『天気』に大きく左右されるからだ。
それと「アラスカが良い」という人の話は過去の旅行仲間から一回も聞いたことがなかった。
良ければ必ず情報が入ってくる。

このツアーは大手の旅行代理店が数社共同で、日本航空のジャンボを借り切って、
アラスカとしては廉価で打ち出した企画のパックである。
ーだいたい一般の30?OFFあたり。
SARS対策に、アラスカ州日航と大手代理店が組んで打ち出した破格の商品ということを
現地ガイドに聞いて初めて知った。今夏は一ヶ月間だけの企画で、来年は未定だそうだ。

直行便以外は、成田からシアトル経由で入るか、
ソウルに飛んでそこからの直行便で行くかどちらかである。
その為シアトル経由は14時間、ソウルでも10時間以上は軽くかかる。
ーソウルからの直行便は出ているが、日本はないということ。
その為、一週間にしては内容の非常に充実したものであった。
パタゴニアやアフリカには34時間以上かかったのに比べ、
6時間というのは信じられない感覚である。
全くの素人がキングサーモンの釣りのオプションに参加をすれば、
ガイドの指導のもと一m以上の鮭を釣れるのだから、さすがアメリカはサービスの国と感心する。

ー印象順に書いてみると
1、何といってもマッキンレー山である。 あまり期待をしていなかったが、
 実際に見るマッキンレーは想像を絶する素晴らしさであった。
 特に、軽飛行機からのフライトで見たマッキンレーは言語に絶する内容であった。
 ー詳しい内容は明日書く予定です。

2、氷河もパタゴニアを見ているので、全く期待していなかったが、
 実際は決して見劣りのしない素晴らしい内容であった。

3、期待していたアラスカ鉄道の景観が思ったより良くはなかった。
 どこまでも単調な景色でハイビジョンで見たものとは違っていた
 ー値段の高い展望車でなかったこともあるが-それと天気がよくなかった。

4、ハイライトのデナリ国立公園のワイルドライフツアーのガイドが偶然に
 日本人ガイドの有名な伊藤さんであった。
 星野道夫やミッキーハウスの坂本某の本の出てくる人だ。
 まる一日、彼のガイドで現地の色いろなことや、星野道夫などの現地でのエピソードを
 詳しく 話してくれた。
 彼はガイド兼猟師で狼やムースやヘラジカの狩猟の話しが別世界を垣間見た
 おもいであった。  
            ーこの内容も後日書く。
                           -つづく
・・・・・・・
2002年07月09日
スイス旅行中
・・・・・・・
2001年07月09日
北欧旅行中