* つれづれに 〜事業を通した「力と、遊びと、学びと、その背後の闇」
 事業を通して多くを学んだ。その一つが金沢でのこと。追込まれ、気持ちが深く沈んでいた時、内なる声が
浮かんできた。「私は、ここに学びに来ている。順調で満足しているより、この事態こそが学びではないか。
こんな惨めな状態は二度と経験はできない。現状がマイナスほど、逆にプラスになるはず。そんなことも
分からないのか!」と。そこで現象を改め見直すと、全てが違って見えてきた。逆境は学び、順境は遊びと、
割り切ればよいということか。 3年前も、そのことを思い出し、「こんな経験、二度とない。倒産の当事者に
成りきって、今すべきことを一つずつ処理をしろ」の、内なる声にしたがい冷静?に取組めた。これは、
節目時の対処を何度か経験してきたこともある・・ それをみていた、月次の経理監査で30年、来社をしていた
税理事務所のJさん曰く、「楽しんでいますね!貴方は現在、何が起き、どういう立場にいるか分かっていない?」
と、呆れ顔。それに「分かっていないのは彼方!」とも言えない。 偽悪的にいえば「これで創業から終わりまで
起承転結の全てを経験できる! これは立上げからの行蔵を持った私の45年の最期の仕上げ!」の気持ちが、
身体も心も自由にしてくれていた。 表立った心は沈んでも、こころ根まで折ることはない。痩せ我慢としても、
冷たい視線?に対し、逆照射をしているしかないが。
 ブラックスワンの長期的対策をしてない中小企業の9割?以上の方々が、その視線で、面白おかしく中傷して
いる自分の姿が分からないのが、ブラックジョーク。 他人には、隠れた45年が見えないし、見ることもない。
 学び、遊び、働きと、それらから解き放された自由な心、の4分類で考えると、人生が鳥瞰して見えてくる。 
「学び」を切口にすると、マイナスの出来事が真逆に見えてくる。「遊び」も同じ、現象そのものを遊べばよい。
失敗も、遊びで括ると、ケセラセラ!に、思える。 「働き」で括ると、戦略的失敗も、無我夢中だから・・になる。 
全てが意味(価値)づけが可能ということ。 この3つの括りも、宇宙的括りの解き放された自由な切口で、
包み込めばよい。死んで3日もすれば、300年前、死んだのと同じになるのだから。 人生の鳥瞰は面白い!
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4498, 大往生したけりゃ医療とかかわるな ー1
2013年07月10日(水)           
   * 現役医師の「自然死」のすすめ    『大往生したけりゃ医療とかかわるな 』中村仁一著
 以前から、新聞や雑誌などの見出しをみたり、書店で立ち読みをしていた本だが、偶然、図書館の返却コーナーで見つけ、
読んでみて驚いた。現在の医療のありかたを根底から否定している内容である。生殖能力を終えた動物は、延命などの
無駄な努力をしないで自然死をしなさい。その無駄な努力は、医師などによる洗脳によるもの。それも特老施設の配置医が、
長生きしている特老の死を見るにつけ、薬で何とか生き延びた結果の、痴呆老人の目線から、書いているから
考えさせらる。  =まずは、概要の部分を抜粋する=
≪ 医者にも格付けがあって、大學病院の医者が頂点で、旧国立病院や日赤、済生会、県立、市立などの税立病院と続き、
 次が民間の大病院、中小病院の医者で、一番下が町医者といわれる開業医で、老人ホームの医者はさらにその下ですから、
いわばホームレスレベル。ですかから、県立病院の部長であっても、開業した途端に最下位の町医者に転落するわけです。
世間では、「そんな小さな町医者では駄目」というのがふつうなのですから。考えてみれ当然です。・・・
 ・・配置医はホームレスレベルという構図です。その老人ホーム勤勤も12年目に入り、最後まで点滴注射も、酸素吸入も
いっさいしない「自然死」を数百例もみせてもらえる、得がたい体験をしました。病院では、最後まで何かと処置をします。
いや、しなければならないから、「自然死」はありえません。 在宅における死も、ふつうは病院医療を引き継ぎますから、
ほとんど「自然死」はないっていいでしょう。また、医者の方も、何もしないことには耐えられないでしよう。
しかし、それは、穏やかな死を邪魔する行為なのです。ですから、殆んどの医者は「自然死」を知りません。
人間が自然に死んでいくのを、見たことがありません。だから死ぬのにも医療の手助けが必要だなどと、いいだすのです。
「死」という自然の営みは、本心、穏やかで安らかだったはずです。それを、医療が濃厚に関与することで、より悲惨で、
より非人間的なものに変貌させてしまうのです。世の中で、一番の恐がりなのは医者でしょう。それは悲惨な死ばかりを
目のあたりにしてきたせいだと思います。・・・ がんでさえも何の手出しもしなければ痛まず健やかに死んでいきます。
 以前から死ぬならがんに限ると思っていました。近年、年寄りのがんの自然死を70〜80例みて、確信に変わりました。
繁殖を終えた年寄りは「がん死」が一番のお勧め。「手遅れの幸せ」を満喫するには、「がん検診」や「人間ドック」など
受けてはなりません。病院通いが多いのは、医者たちが、「健やかに老いなければなりません」と洗脳してきたせいもあります。
今、年寄に対する、重圧は、かなりのものは、健康食品やサプリメントの売れ行きをみれば分かります。本来、年寄りは、
どこか具合の悪いのが正常なのです。不具合のほとんどは老化からがらみですから、医者にかかって薬を飲んだところで、
すっかりよくなるわけはありません。昔の老人のように、年をとればこんなものと諦めることが必要です。ところが、
「年のせい」諦めようとせず、「老い」を「病」にすり変えます。 なぜなら「老い」は一方通行で、その先には、
「死」がありますが、病気なら回復が期待できますから。人は、生きものである以上、死ぬという運命は免れません。
最先端医療といい、再生医療といい、所詮、「老いて死ぬ」という砕内での話です。年寄りは、あまり近づかない方がいい。≫
 ▼ ‘まえがき’の一部だが、これが概要である。これを読んで、さっそく、『どうせ死ぬなら「がん」がいい』という
  近藤誠と著者・中村仁一の対談集を買ってきた。まだ目を通した段階だが、多くの共通点がある。上記の‘まえがき’
  の内容である。ガンには良性と悪性があって、悪性は、どのみち助からない。それを延命するのが果たして当人に
  良いのだろうかという素朴な疑問がある。裸の王様ではないが、誰が声高に主張するかだった。それを放射医と、
  特老の配置医が公にしたのだから反響は大きいの当然である。この本も特老の医師という視点で、壮年以下の年齢の
  人には当てはまらないが、参考にする部分は多くあるはず。根底から私の先入観を覆す内容である。そういうこと!
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4124, 老後の備え
2012年07月10日(火)
             「老後に後悔しない10の備え」三浦朱門著  ー�
  * 老後の備え ーあってもなくても、虚無
 学生時代に社会学を専攻した。社会といえば人間の集団をいう。個々にみれば人間学ということになる。人生とは、
その人間の始まりから終わりまでをいい、老後は最後の2割ぐらいの時期。その備えを人生の半ばの中年期から如何に
準備するかを問うているのが、この本。 その時々に、やるべきことを明確にして全力で生きれば老後の備えなど考える
こともないが、とはいえ、長年かけた準備は必要である。 私の場合、何度も書いているが
、「50歳代の10年間に30年分の人生を生きること」が人生の最終の備えの仕上げであった。
この御陰で60歳になってから、精神的に非常に楽になった。し残したことが少ないという実感は他人に対しても自分に
対しても余裕を持てる。40年近い事業人生は常に最悪の事業破綻の心配が纏わりついてきた。その恐怖感が逆に
リスク管理をさせることになった。 倒産すれば全て失うし、失業保険もないし、退職金もない。まる裸になってしまう。
その危険の海の中でこそ智恵が出てくる。しかし、想定外の事態が起こるのが事業。その事業破綻の備えは人生の備えと
大きく重なる。破綻の備えを事業計画の組立の中に入れておくのは基本である。 私は、第一に「家族は事業に直接
関わりを持たせない」であった。家業と事業の違いは、会社規模に関係なく家族・親戚を事業に関わらせているかどうか。
家業は家業で、それはそれで良い。ただ危険度は高いが、長年かけた備えの知恵がある。家内の実家を見ていると、
つくづく感じる。何があっても生き延びる体質がある。長年かけた老後の備えに、日記帳的記録を書き続けることがある。
私の場合、このブログ。大きな挫折で虚無に陥りそうな気持ちを何とか支えてくれている。 この著書は、
「老後に後悔しない10の備え」を勧めているが、老後に至った現在、「今から」より、「今更」の内容。
 行蔵の中身の質量を高めておけば、それが老後に生きてくる。 それぞれの人の視界にみえる地平線内の景色は、
その人だけのもの。 目先の生活の心配をしないで済む余裕があれば良いが、時代が時代で一寸先は闇である。
その中にあって、孤独に耐えらる教養と趣味。この二つをベースとした構えを中年から本気になって構築すべきである。 
ところで、老後という言葉。死ぬまで、その人に纏わりつく不安の化け物にも思える。それは還暦から20年以上も
生きなければならない分、大きくなっていく。人生は何とかなるもの。何ともならない時は、自分は無になっている。
だから「いま・ここ」で、精一杯生きるしかない。ただそれだけ。
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3758, ユング ー 1
2011年07月10日(日)
 < ユングー地下の大王  コリン・ウィルソンー� >
15〜6年前に、この本を買って読んだ時の衝撃は現在も残っている。それ以前にスェーデン・ボルグの
霊に関する本を読んだことがあったが、この序文からして、一挙に著者によって、「ユング」の異様な世界に引き込まれてしまった。
6年ほど前に、文芸春秋の誌面で立花隆が、「ユング」について、書いた時、ここで取り上げた。 ユングといえば、
超常現象と霊について、心理学者として真正面から向き合った人である。それでフロイトと袂を分かった。
 日本では河合隼雄秋山さと子が、ユング研究で知られている。また江戸時代に明恵という坊様が、夢世界の著書を書いている。
著者のコリン・ウィルソンは、これまた面白い人物で、「アウトサイダー」以来一貫して、「現代人の精神の貧困を問題視し、
その原因と克服の道は何か」を問い続けてきた人物。この著書は、序文から終わりまで、息をつかせないぐらい濃い。 オカルト、
共時性(意味ある偶然の一致)、能動的想像など、ユングの神秘的側面を明快に説いている。この本を読み返したと同時に、連日、
不思議な夢を見ている。私の人生の節目時に、ユング心理学を通して自分を振り返るに丁度良い機会と、怖いが、オカルト世界を再度、
覗いてみたい。一笑にふすなら簡単だが、この世界は踏み込んだものしか知ることが出来ない。この10年哲学を独学してきたので、
オカルト世界を探索し戻ってくる命綱(哲学が)と気休めもある。ユングは、内面の対話を重視した心理学者。ソクラテスの対話法にも
影響され、患者との対話と、バランスを重視した。「汝自信を知れ」を潜在意識に求め、それまで科学者がタブーにしてきたオカルト
世界の神秘世界に正門から入っていった。ユング関係の本を数冊、目を通しため、毎日、明らかに潜在意識の地下世界の夢を見ている。
この手の世界は自分の内面の意識下の何かを刺激する。 以前から、ここでも書いているが、人より強い?霊感が私にある。
ネット世界になってから、この手の話題は静まった。 直感、霊感より、ネットによる認知が強くなったのでは?と思われる。
 何が今さらユングだが、それでもユングユングである。それで何を知ることが出来る? 宇宙の外のXとやらを何でもよいから、
ネットで公開したら良いではないか。神秘主義など、情報不足のなせる技。で、終わってしまう。 
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3393, 閑話小題
2010年07月10日(土)
  * お金の恐ろしさ
 金の持つ威力、魔力は今さら言うに及ばない。では、その恐ろしさを本当に知っているかというと疑問?
その魔力の金を金融工学で創りあげ、破壊したのがアメリカである。 金があれば世界の9割が自由になるし、
無ければ今日明日の飯の心配をしなかればならない。 1万円を持って千円の買い物をするのと、1千円を持って
1千円の買い物をするとでは気持ちの余裕が違う。 身近で金にまつわる人間模様を見ていると、その恐ろしさを実感する。
親戚が親からの相続で大金が入ったところが、人相と着ているものが様変わをした。環境=条件が人をつくる典型的事例である。
逆の話しは幾らでもある。 だから、その恐ろしさを充分に知り尽くさないと・・・・
  * 再びユーチュウブについて考えてみる!
(字数の関係で中間カット2012年7月10日)
  * 不機嫌とイライラ
 歳をとるとともに人間は円熟していくと青年期までは思っていた。ところが社会に出て、仕事を通してみる年寄りは
機嫌の悪い偏屈の人の方が多いことに気づいた。 30年前から駅前で事業を始めて出あった老人の何割かは、明らかに不機嫌と
イライラの塊のような人が多いという事実がある。 しかし今度は自分が60歳を過ぎた辺りから、イライラが多くなってきた。 
それは肉体の老化の上に、精神の老化もある。あの出会ったイライラした老人の不快を自分が、その歳になって始めて気づいたのである。 
なるほど人生は60歳までと曽野綾子が述べていたが、その一端が分かってきた。それと社会は年寄り向きには出来ていない。 
円熟なんぞは、年寄り仲間でしか通用しないのも、道理である。むしろ不機嫌、イライラは避けることの出来ない事態と割り切って、
人に見せないようにカモフラージュすべきである。 自分もそうであるように、同年代の知人も老化現象が起こっている。 
他人から聞いた片耳で喧嘩を仕掛けてくる、それを、待ってましたとばかり受けて立つ、というような老化現象を自分にみる。 
 先のことを考えられなくなると、過去の経験がフラッシュのように思い浮かぶ。 40年前のことを思い出して独り怒ってみたり、
ニヤニヤしたり、年老いた幼児である。これが高じると痴呆症ということか。 晩年は、冬景色ということか。
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018, 旅する力 ー深夜特急ノート ー2
2009年07月10日(金)
 「旅する力ー深夜特急ノート」 沢木耕太郎著    読書日記
第一章 旅という病
 * スタインべックの『チャーリーとの旅』には、
  子供のころ、たまらなく何処かに行きたくなると、大人は私に「大きくなれば、そんなにむずむずしなくなるよ」といったものだ。
  年齢から見て大人の歳になると、中年になれば収まる、と言われたものだ。いざ中年になると、今度は「もっと歳になれば、
  その病は治るよ」といわれた。 いま58歳だが、これだけ歳をとれば大丈夫のはずだが、いっこうになおらない。
   解)年齢ごとに行きたくなる場所が変わっていく。だから、その歳ごとに行けるところに行くのが理想的。
    時間の隙間を見つけ強引に行くしかない。定年後に行こうとしても、限界がある。準備を充分してもだ。
 * もし旅が病だとすれば、私がそれに冒されたのはいつのことだったのだろう。ひとり電車に乗って行った
  あの旅においてだったのだろうか……。その小さな旅がすべての始まりだったかもしれない。
  「最初のひとり旅はたった一日で逃げ帰ることになった」 中学生の時、伊豆・大島の三原山を登る途中、
  テントを張っている若い男性から「泊まるところが決まっていなかったら泊まってもいいよ」と声をかけられ、
  泊めてもらうつもりだったが、犯罪者ではないのかとの疑問が恐怖に変わり、山を下りるとそのまま東京に戻ってしまった。
  「たくさんの経験を積んだ今なら、その男性を冷静に判断しただろうが、その時は、誰かが親切にしてくれた場合、
  それがどういうことなのかを判断する力量がなかった」
 解)私の旅の病は《学生時代の30日間の欧州旅行であった。》 自分を取り囲んでいた殻が、大きくヒビが入り、
   半年間は放心状態であった。 日が経つほど、ヒビの割れ目が大きくなっていくのが分かった。その翌年に、北海道の一人旅や、
   そして九州、紀州能登と一人旅をした。一人旅は、一歩踏み出せば気楽で良いことを、その体験上知ったが、世界に出て行く
   器量はなかった。   もし可能性があるとしたら、20代までだろう。 私の場合は。 あの21歳の時の旅行は、
   私の人生を大きく変えた。 今から考えてみると、
    ・世界は広いこと 
    ・人間も社会も普遍的な部分と異質の部分の両面を持っていること
    ・自分の目線は、多くの世界の目線の一つでしかないこと、この三つを二十代の経験から知ったのである
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653, サッカーやオリンピックで、何故ひとは熱狂するのか
2008年07月10日(木)
  あまりサッカーの歴史のない日本人が、欧州や南米のサッカーの盛り上がりに、「何故あそこまで熱狂するのか?」
 戸惑うことが度々ある。人種間や、国家間の代理戦争?とは気づいてはいたが、ある本にその辺の事情が詳しく書いてあった。
 巨人阪神戦が盛り上がるのは、関東人対関西人の、特に関西人のコンプレックスのハケグチということか。
ー(字数の関係で中間カット2010年7月10日)
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007年07月10日(火)
2289, 霊長類オンナ科図鑑 ー2      才ノヽ∋?_φ(゚▽゚*)♪
ーヨゴレ自慢女ー
  この本の中でも特に「ヨゴレ自慢女」が、面白い。私も「偽悪主義」と、ある姉に言われるほどである。
 奇麗事をいう人の前に出ると、意識的に「非奇麗事」を言わないと気が済まない性質である。 
 しかしこの「ヨゴレ自慢女」には敵わない。中村うさぎといえばやはり「うんちネタ」が浮かぶほど、露悪主義女。
 「ヨゴレ自慢女」は、自分のことを書いているので、言葉が躍っていて迫力のある内容である。
    ー(字数の関係で中間カット2008年7月10日)
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2006年07月10日(月)
1924, ワールドカップー2
                      おはよ?!(*^ワ^*)i (~O~)ふぁ・・
 2006年7月10日6時記
今ワールドカップが終わった。有利といわれていたイタリアの優勝で終わった。試合はフランス優位であったが、1対1で終了。
PK戦の結果,イタリアが優勝した。PKを外したフランスの選手は一生ハンデを持つだろう。 フランスのジダン
後半の終了間際に、イタリアの選手の挑発に乗って頭突きをして退場になったのも印象的であった。   
開催前はブラジルが優勝候補で、イタリア、フランス、スペイン、イングランド、アルゼンチンが、
次の候補に挙げられていた。
(字数の関係で中間カット2012年7月10日)
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2002年07月01日(月)
454,サッカーが面白かった!!
   =字数の関係上カットしてます。   
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2005年07月10日(日)
 1559、つれづれに
 ー新潟駅連続立体交差ー
 ー梅雨、真っ只中ー
 (2011年7月10日字数制限のためカット)
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2004年07月10日(土)
 1194, ニーチェ(2)
ー哲学についてー15
ニーチェの最も受け入れられている考えかたとして、「人は自分自身にとってどんなに受け入れられない不快な現実であっても、
ひるまずに立ち向かい、それを直視すること、そしてその知識に基づいて、人生そのものを目的として、それ以外の見返りを
求めずに生きるべきだ」が支柱にあった。
   (字数の関係で中間カット2013年7月10日)
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2003年07月10日(木)
827, アラスカ旅行記ー2
  ーデナリ国立公園ー
 今回のハイライトは、なんといってもデナリ国立公園のワイルドライフツアーであった。
(字数の関係で中間カット2013年7月10日)
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2002年07月10日 スイス旅行中
2001年07月10 北欧旅行中