つれづれに

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 今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=S94j633KqE8

 ワールドカップ、アルゼンチンとドイツが決勝に残った。
順当ならドイツだろうが・・ これだけは? そして、プロ野球も後半に入った。
あれだけの戦力なら巨人が優勝だろう! 原監督も今年までか! 
 江川監督、桑田ヘッドコーチあたりが、面白い! 
老いたとしても、野村元監督のGMで、後を固めて!

・・・・・・
2289, 霊長類オンナ科図鑑 -2
2007年07月10日(火)
                   才ノヽ∋―_φ(゚▽゚*)♪
 ーヨゴレ自慢女ー
 この本の中でも特に「ヨゴレ自慢女」が、面白い。私も「偽悪主義」と、
ある姉に言われるほどである。奇麗事をいう人の前に出ると、意識的に「非奇麗事」
を言わないと気が済まない性質である。しかしこの「ヨゴレ自慢女」には敵わない。
中村うさぎといえばやはり「うんちネタ」が浮かぶほど、露悪主義女である。
「ヨゴレ自慢女」は、自分のことを書いているので、言葉が躍っていて迫力のある内容。
本人は病気と開き直って、それを盾にとって好き言いたい放題である。
それがまた、面白いところである。他人を子供扱いをし、エロ系などの
ヨゴレネタが9割といってよい。自らを貶め、その場の人々に対して優越感を抱こうとする、
逆説的な「露悪魂」が彼女の彼女たる所以である。
 ーまずは、そのの真骨頂の部分を抜粋してみる。
ーー
今回のテーマは「ヨゴレ自慢女」って、私のことかいっ!
まあ、世の中には、シモネタやウンゲロネタやバカ話を得意とし、
皆様に笑っていただことを無上の喜びとする女が、私を含めて多数存在する。
ある女に言わせると、こーゆー女は、もっとも「モテない女」なんだそーな。
確かにモテねーよ。ああ、モテないさ。けど、男にモテることより、
その場でウケることのほうが、我々にとっては快感なんだから、誰にもあたくしたちを
止められなくってよ! それにしても、ヨゴレ自慢の女ってえのは何故、自分を虐めても
男を遠ざけても女友達にバカにされても、自らのヨゴレネタを披露せずにはいられない
のであろうか。もちろん「皆に笑って欲しい」「面白がられたい」という一種の
「人気者願望」があるにはあるのだが、それだけでは説明しきれない奇妙な欲望も、
そこには存在する。たとえば私の場合、ヨゴレネタが必ずしもウケない場面
(シモネタを嫌う人々がその場のメンツであった場合など)でも、
自分を抑えきれずに暴走し、結果、人気者になるどころかひんしゆく?
経歴者になることだって、多々あるのだ。
決して、その場のムードが読めなかったワケではない。
むしろ「ここでシモネタはマズイだろーな」とわかっていながら、やってしまう。
その時の私の気持ちは、一種の「挑発」というか「反抗」というか、テロリストの
心理に近いものがある、と、自分で感じる。要するに、「お上品ぶりやがって、
バーローおまーらだってウンコもするだろ、セックスもするだろ! 何を気取って
やがんだ、ええ!」と、まあ、翻訳すれば、このような気持ちなのである。
じつは昨日も私は、とある新人賞の学会の後で先輩作家など、
その場・知的でたっぷりな会話に途中から激しく苛立ち、隙あらば「ウンコ話」や
フェラチオ話」をぶつけてやろうと虎視眈々と狙ってたのだが、
とうとう口を挟む機会を与えられずにショボンと肩を落として帰宅したのであった。
こういう時の「敗北感」には、何とも言えないやりきれなさがある。
やはり私は、ウケ狙いだけでなく、嫌がらせに近い気持ちでシモネタ爆弾を
繰り出すタイプの女なのである。こーゆーのを世間では「露悪」と呼ぶワケですが。
私の中には、この「露悪魂」が、深く深く根を下ろしている。
それは、自らを卑しめることによって、その場の人々に対して「優越感」
を抱こうとする、じつに逆説的な(アマノジャクとも言うが)魂なのである。
「どーだ、ここまでヨゴレにはなりきれまい。ふはは!」みたいな気持ちなのよ。
もちろん、羨望どころか軽蔑の対象となるであろうことも、重々承知。
本人は得意満面の英雄気分。「汚れた英雄」つーか、一種の「蛮勇」なんだよな。
本人的には臆面もなくモテ自慢話をする女と同様、こーゆーのも「公開オナニー行為」
だと私は思う。周囲が全然気持ちよくなくても、私だけが気持ちいいのだから。
周囲の人間たちは、単なるギャラリーに過ぎないのだから。
だが、モテ自慢女と大いに違うのは、「ヨゴレ自慢レなんかが自分にとって
一文の得にもならないことを、我々自身、よおーく知っている、ということであろう。
知っててやることは、知らないでやることよりも百倍もあざとく嫌味な行為であるが、
しかし「嫌味な女」と思われることすら我々にとって快感なのであるから、いっそう厄介だ。
ーー
等々、つづく。
彼女のエログロも慣れると、何とも快く?聞こえてくるから不思議である。
でも、読んでいて反省するのも、合せ鏡になるからである。
たっくもう~!こういう上手(うわて)の話は反面教師になる。
考えてみると、私は「露悪的偽悪主義」か、 いや、「偽悪的露馬鹿主義者」か?
                 ☆ァディオス☆(`・ω・´)ノ
・・・・・・・・
2006年07月10日(月)
1924, ワールドカップー2
    おはよ~!(*^ワ^*)i (~O~)ふぁ・・
               2006年7月10日6時記
今ワールドカップが終わった。有利といわれていたイタリアの優勝で終わった。
試合はフランス優位であったが、1対1で終了。PK戦の結果,イタリアが優勝した。
PKを外したフランスの選手は一生ハンデを持つだろう。
フランスのジダンが後半の終了間際に、イタリアの選手の挑発に乗って
頭突きをして退場になったのも印象的であった。
開催前はブラジルが優勝候補で、イタリア、フランス、スペイン、イングランド
アルゼンチンが、次の候補に挙げられていた。
私の予測は、「ドイツが開催国の勢いに乗ってもしかしたら?しかし、やはりブラジル」
と、思っていた。イタリアが優勝の予測は、あまり見あたらなかった。
これだけは、終わってみなければ解らないことだ。
 サッカーは玉一つの行方に、世界中が注目するのがよい。
日本と世界の差はまだ歴然としている。体格と歴史の差はいた仕方がない。
私の楽しみ方は、家内の反対側を応援することだ。
その方が面白いからだ。決勝戦は、家内がフランス。私がイタリアであった。 
国同士の戦うなら、互いに反対の立場で応援した方が盛り上がる。
 昨日は、21時に寝て、3時半に起きてみた。4年に一度のことだから・・

ーーー
2006年07月04日
ワールドカップ-1
     (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪ヨ~
前回のサッカーのワールドカップの感想が
2002年07月01日(月) 「454,面白かった!! 」というテーマであった。
この内容からみると、当地の新潟でも試合があった。そのわりには、興に乗っていない。
 しかし今年は、4年前の何倍も興味を持って観ている。
私も変わったものだ。この4年で多くの劇的な試合を多く観たためである。
      ヽ`д´)┌┛┌┛★( )~~(ノ★´з`)┌┛☆(:*・*゚)
日本は早々に敗退し、優勝候補筆頭のブラジルも、準準決勝で敗れてしまった。
 ブラジルの二つのジンクス、
・ペレがいた、958年の大会で優勝して以外は、
欧州大会開催でのW杯の南米優勝はない。
・ブラジルは優勝候補に挙げられた時の優勝はない。を破ることはできなかった。
           (*・-・)θ (*・-・)θ (*・-・)θ☆ 【蹴り隊】      
ーーーーー                    
2002年07月01日(月)
 454,面白かった!!

ワールドサッカーが終わった。やはり世界のトップが集まる試合は面白い。
サポーターと一体になった選手が段段燃えていくのがよい。
その時の勝負のアヤが左右するのが特に面白い。優勝候補のフランスと
アルゼンチンが早々に敗れるというのも、勝負のアヤであった。
=字数の関係上カットしてます。
              タタタタッッ≡≡≡≡≡
           ☆^(*≧ω≦)ノ~~~βyёβyё♪
・・・・・・・
2005年07月10日(日)
 1559, つれづれに
   ー新潟駅連続立体交差
やっと新潟駅連続立体交差事業が動き始めた。
十年は工事関係の宿泊見込めるので、稼働率のアップが見込める。
三年前までの4年間は、朱鷺メッセ東横インの再開発の工事関係者の団体宿泊で潤った。
これが至近距離の駅の工事だと、かなり見込める。来年の今頃は一日一日が、
その具体的な動きで沸き立つだろう。
「25年間このために事業をしてきたといってよいと思える」
とまではいかないとしても、それに近い状態が期待できる。たんなる書いた餅ではない。
長期宿泊用の低プライスの価格帯は当社しか出せないからだ。
やっと、4棟を建てた辻褄があってくる。
ー梅雨、真っ只中
梅雨と雪が日本の豊かさの源泉と思えば、それもよい。
散歩をしていて雀とカラスの巣立ちの時期だ。
カラスのツガイが巣立ちしたばかりの子ガラスを連れているのが何とも微笑ましい。
また巣立ちしたばかりの雀の雛が、まだ人間の恐れをしらないのが可愛い。
ー同期会の打ち合わせー
昨夜は中学校の同期会の打ち合わせ会が開かれた。10人集まった。
60歳になろうとしているのだ。一応、この歳が一つの人生の目安になる。
逆成人式というのが良い表現になるだろ。41歳が同級会で一番良い時という。
そして60歳は次の大きな目安である。

・・・・・・・・・
2004年07月10日(土)
1194, ニーチェ(2)
ー哲学についてー15

ニーチェの最も受け入れられている考えかたとして、
「人は自分自身にとってどんなに受け入れられない不快な現実であっても、
ひるまずに立ち向かい、それを直視すること、そしてその知識に基づいて、
人生そのものを目的として、それ以外の見返りを求めずに生きるべきだ」が支柱にあった。
当時、信仰心が薄れていた人たちにとって、まさに生きるべき指標となった。
これは儒教とほとんど同じ考えといってよい。

人生を徹底して生ききろうとしたとき、人はその分だけ争いに巻き込まれる。
それだけ振動が大きくなるのだから当然のことだ。
しかし、ニーチェによれば、「争いの緊張感が、指導者としての力を最大限に引き出し
その能力をさらに高めてくれる」と説いた。

反面、彼の思想はファシズムにも大きな影響を与えた。
ファシズム創始者ムッソリーニが彼の本を幅広く読んで、ヒトラーと1938年に
歴史的会談をおこなった時に、ニーチェの作品を贈呈している。
そのため彼の思想は大きく誤解されることになってしまった。
彼はむしろ、ドイツの民族主義を嘲笑し、反ユダヤ主義を軽蔑していた。

19世紀末から20世紀にかけて、ニーチェは芸術家にも大きな影響を与えた。
その一人バーナードショーはニーチェの思想を
シェークスピアがリチャード三世に語らせている次の言葉に要約されていると指摘した。

良心など臆病者の使う言葉しかすぎない
そもそのも勇者を脅かすための計略なのだ
我々の力だけが良心、剣をもって法律とするのだ

ニーチェは特に文学的才能を持ち合わせていたのが特徴といってよい。
多くの人によって散文作家とみなされている
彼の文章は哲学者に見られがちな、主張と反論がつづく長い文章ではない。
格言や聖書のように短く区切られていた。

新しい視点でものごとを見てもらうために、心に残るイメージを利用した。
彼の主張は、暗示的であり、喩えから類推しなくてはならない。
[稲妻の閃光のあとで轟きわたる雷鳴]のように工夫してあった。
当時の人に直接大きな影響を半世紀にわたって与え続けた哲学者として、
やはり特記すべき人である。

ー以下の抜粋の言葉の中にニーチェの思想がことごとく入っている。
彼の言葉は、難しく体系化されてないところが、逆に解りやすくなっている。
・私は君たちに、君たちの官能を殺せと勧めるのではない。
 私が勧めるのは官能の無邪気さだ。
・独創的――何かの新しいものをはじめて観察することではなく、
 古いもの、古くから知られていたもの、あるいは誰の目にもふれていたが見逃されて
 いたものを新しいもののように観察することが真に独創的な頭脳の証拠である。
                     ―「人間的な、あまりに人間的な」―
・善とは何か――人間において権力の感情と権力を欲する意志を高揚するすべてのもの。
 悪とは何か――弱さから生ずるすべてのもの。 ―「反キリスト」―
・生きるとは何のことか――生きるとは、死にかけているようなものを
 絶えず自分から突き放していくことである。 ―「華やかな知識」―
・真実の山では、登って無駄に終わることは決してない。
・誰であれ、若いうちは、思う存分遊ぶべきである。
 長いあいだ活字の森にばかりいると、そこから抜け出られなくなるものだ
・人間のみがこの世で苦しんでいるので、笑いを発明せざるを得なかった。
・人間は深淵に架けられた一本の綱である。
 渡るも危険、途上にあるも危険、後ろを振り返るも危険、身震いして立ち止まるのも危険。
                     ―「ツァラトゥストラ」―
・狂気は個人にあっては稀なことである。しかし集団・民族・時代にあっては通例である。
                     ―「善悪の彼岸」―
・自殺を想うことは強い慰謝剤である。これによって数々の悪夜が楽に過ごせる。
                     ―「善悪の彼岸」―
・怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくては
 ならない。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。
・私は隣人に対する愛を諸君には勧めない。
 私が諸君にすすめるのは遠き者に対する愛である。 ―「ツァラトゥストラ」―

・苦しみを共にするのではなく、喜びを共にすることが友人をつくる。
                     ―「人間的な、あまりに人間的な」―
・地球は皮膚を持っている。そしてその皮膚はさまざまな病気も持っている。
その病気の一つが人間である。       ―「ツァラトゥストラ」―            
・男が本当に好きなものは二つ――危険と遊びである。
 そしてまた、男は女を愛するが、それはもっとも危険な遊びであるからである。
・人間とは神の失敗作に過ぎないのか、それとも神こそ人間の失敗作にすぎぬのか。
・たくさんのことを生半可に知っているよりは何にも知らないほうがよい。
・脱皮できない蛇は滅びる。その意見をとりかえていくことを妨げられた精神も同様だ。
                     ―「曙光」―
・高く登ろうと思うなら、自分の足を使うことだ!
 高いところへは、他人によって運ばれてはならない。人の背中や頭に乗ってはならない!
                     ―「ツァラトゥストラ」―
・到達された自由のしるしは何か?――自己自身に対して恥じないこと。
・話題に窮したとき、自分の友人の秘密を暴露しないものはまれである。
                     ―「人間的な、あまりに人間的な」―
・多く考える人は党員には向かない。
 というのは党派などを突き抜けて考えてしまうからである。
                      ―「人間的な、あまりに人間的な」―
・事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。
                     ―「権力への意志」―
・善悪において一個の創造者になろうとするものは、まず破壊者でなければならない。
 そして、一切の価値を粉砕せねばならない。 ―「この人を見よ」―
・悪意というものは他人の苦痛自体を目的とするのではなく、
 われわれ自身の享楽を目的とする。
・君は言う「善行のためには戦いを犠牲にせよ」と。
 私は言う「善戦のためには万物を犠牲にする」と。―「ツァラトゥストラ」―
                       
・・・・・・・・・・
2003年07月10日(木)
827, アラスカ旅行記ー2

ーデナリ国立公園ー
 今回のハイライトは、なんといってもデナリ国立公園のワイルドライフツアーであった。
デナリ国立公園は四国を少し大きくした位の大きさで、アンカレッジから3百数十?、
車で6時間の距離にある。
このデナリに二泊をした。
ワイルド・ライフツアーは朝5時過に出発して午後の1時過ぎに帰ってくる、
野生動植物や自然を堪能する内容だった。
グリズリーベアーやヘラジカ、ムースカリブー、大型鷲、山岳羊、雷鳥などが多く見られた。
アラスカの大地を背景にした動物が自然に溶け込んでいたのが印象的であった。
なんといってもビューポイントからみた、マッキンリーの美しさに息を呑んだ。
スイスのマッターホルンと、パタゴニアのパイネ山の夕景に匹敵する神々しさであった。
ツアー客の全景をみれる確率は20?と、パンフレットに書いてあったが、
その20?にあたったのが幸運であった。

 更に幸運が続いた。
偶然、有名な日本人ガイドの伊藤さんがガイドについたのだ。
彼の年齢は63歳、顔中髭だらけの現地のエスキモーそのものといってよかった。
ーこのバスは40人乗りで、幾つかの日本人のグループが乗り合わせていたが、
その一つのガイドが彼であった。その彼がバスのガイドをかってでたのだ。
彼のことはミッキーハウスの坂本さんの本でしてっいた。
またその本に「三億円事件の犯人」疑われた人と書いてあったが、本人も嬉しそうに、
その逸話を話していた。
3億円事件当時、ハーレーダビットソンを乗り回していたのが疑われた理由という。
日本からアラスカに渡って30年経って、アラスカのエスキモーとの外見の差は全くない。
「アラスカン・ハイ」という言葉を聞いたことがある。
人里離れた人がたまに街に出てくるとスナックなどで話しまくる姿が見られるという。
発語(専門用語でさかりのついた動物の発情と同じで、溜まった言葉を吐き出す)
が伊藤さんの特徴のようで、マイクを持って話しまくっている姿が何とも自然でよい。
イスラエルの老添乗員もそうであった。めったに来ない日本人に自分の
生き様を全て話すのだ。自己承認を求めているのだろう。
色いろな人生があるものだとつくづく思う。

 彼は星野道夫の友人で、彼とのエピソードを色いろ話してくれた。
NHKで彼のドキメントタリーを数年間にわたってシリーズでやっていた。
また地球シンフォニーという映画にも出ていた。
旅をする木』『森と氷河と鯨』など何冊かを読んでいた。
数年前にグレズリーベアに食べられてしまった。
そのためか伊藤さんの一言一言が胸に突き刺さるようであった。

 マッキンリーで亡くなった冒険家の植村直己とも親交があったという。
彼が死んだのは日本では、クレパスに落ちて死んだと信じられているが、
アラスカでは風速100?の突風で飛ばされたといわれている。
アラスカに遊びに来る変わった人のエピソードも中々だ。
沖縄の裏世界の実業家の話も面白い内容だーその人が舌癌になったが、
足の肉を切り取って舌の再生手術で、また味が感じ取れるようになった
人間の身体の不思議な話とか、名古屋の実業家の自由奔放の生き方とか、
彼でなくては聞けない話を次々と話してくれた。
伊藤さんのような生き方に何か男のロマンを感じた。
ガイドと猟師が本人の職業で、好きな生き方をしながら現在、
二人の息子を大学にいかせているという。
ー続く
・・・・・・・・
2002年07月10日
スイス旅行中
・・・・・・・
2001年07月10
北欧旅行中