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姉が4人もいて、常に気配りをしなければならなかった生活環境にあり、
シスター・コンが私の内面奥に根付いている。その上にマザコン・ファザコンが
微妙に絡んで何とも可笑しな性格に?… 人間とは須らく何らかコンプレックス
がベースにあるもの。それが夫婦間の歪みで生じる。そこで、生じるのが、
「なぜ夫は何もしてくれないか?」と相成る。 で、野生馬と同じ。
「飼い慣らした後に調教からするんだよ!」が、まず頭に浮かぶ。
そこで、生物、動物、猿、人間などの共通点と差異を把握し、飼い慣らす。
男女には、それぞれの特性があり… 「女性管理ができれば天下をとれる」
という格言があるほど、これがまた難しい。 バイロンの名言に、
「ずいぶん敵を持ったけど、妻よ、お前のようなやつははじめてだ。」…
最悪と思ってるが、その実は、互いは最悪の中の最善?の相手。
お互い翻ってみれば、割れ鍋にとじ蓋。まず「雄雌の違い」の認識が必要。
* ここで紹介しあった実例
◆ 結婚したら結婚記念日を忘れるのが夫、結婚記念日にこだわるのが妻
◆ 嫁と姑を仲良くさせようとするのが夫、姑と縁を切りたいのが妻
◆ 目的があるから買物に行くのが夫、目的がなくても買物に行くのが妻
◆ 必要とされていると実感する時、幸せと感じるのが夫、
愛されていると実感する時、幸せと感じるのが妻
◆ 母親が好きなのが夫、実家が好きなのが妻
◆ スポーツで汗を流してストレスを発散するのが夫、
メロドラマで涙を流してストレスを発散するのが妻
◆ 子どもには自分と同じ道を歩んでほしいと考えるのが夫、
自分とは違う道を進んでほしいと思うのが妻
◆ 夫婦ゲンカで逃げるのが夫、責めるのが妻
◆ 離婚で白髪になるのが夫、茶髪になるのが妻
◆ 老後はふたりで生きたいと思うのが夫、
自分だけのために生きたいと考えるのが妻
――
〜Amazonの投稿から〜
< 夫は妻に依存、妻の言動にアワワとなるケースが目立つように感じました。
著者は女性の立場寄りの意見が多いように感じました。
夫婦、男女に限らず人との付き合いは、付かず離れずの距離が大切といいます。
男女の間には深くて暗い河が流れているのだと、あらためて痛感しました。
結婚式にお呼ばれしたときだけでなく、子どもの入学式だとかちょっとした
飲み会だとか、家以外の場所に行く時に決まって夫が耳にする魔法の呪文。
妻の「着ていく洋服がない」。
「おいおい、クローゼットやタンスには、俺の10倍はあるやんけ!」とツッコ
むこことすらも飽きてしまうほど耳にしています。一歩進んで会話をすると、
「これは◯◯さんの結婚式に着たし」と謎の呪文が繰返しも、いつものパターン。
――
▼ 私が考えあぐねた末に出した結論が、「40回も同伴で‘秘・異郷ツアー’
に行けたのは、天然ボケの性格ゆえ。旅仲間と同居していると思えば、それだけ
でも合格としなくては!」である。大学の同級会で、仲間内でのゴルフの話題が
多く出るので、近況報告で、「ゴルフと、国内旅行を捨てて、家内同伴で、40、
50歳代を中心に、血みどろの喧嘩をしながら秘・異郷ツアーをしています」と
述べると、久しぶりの参加の前に座った男が、私の話を遮って、「アナタの
話はお惚気だよ!」と宣う。私は愚痴半分のつもりだったが…。そういえば、
本人のスピーチの中で、「数年前に連れをなくして… これが何とも侘しい!」
と話したばかり。「最悪の中の最善の相手」と思えば、何とか我慢がなる?
「最悪の中の最善」のテーマが思い立った。 近々に取上げてみようか。
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6156,閑話小題 〜好奇心指数
2018年01月20日(土)
* 枯れないために
CQ(好奇心指数)たる言葉に引き付けられた。何ごとにも興味を持ち、仲間を
集い、チャレンジするのは比較的、女性に多い。男は仕事本位でなければ、
荒波の中で生抜いていけないため、好奇心があっても、集中を維持できない。
第二の人生には、妻たちの好奇心との圧倒的な格差を知り、愕然とする。
そこで、ネット検索すると…
≪IQ(知能指数)やEQ(心の知能指数)と並びCQ(好奇心指数)が注目される
・IQとは 知能指数のこと。高いほど知能が高いことを、低いほど知能が低いこと
をあらわす。
・EQとは、(心の知能指数、「自己や他者の感情を知覚し、自分の感情をコント
ロールする知能」。
・IQにちなんだ新しい知的な精神活動の指数Curiosity Quotient
(好奇心指数)を 指す。 好奇心が学習や仕事などの精神活動にとって重要で
あろうこと は、多くの人が経験上、なんとなく気づいている。
目新しいものに興奮しやすい一方で、決まったルーチンにすぐ飽きてしまう。
独創的なアイデアを思いつくが、反体制的になりやすい。
もちろん賢いことは重要だ。でも知的好奇心のほうがもっと重要だ。
グーグルで成功する人は、すぐに行動を起こしたがる傾向がある。
グーグルが従業員に贅沢なまでの快適なオフィス空間を提供するのは、オフィス
空間が従業員の創造性に大きく影響を与えることを熟知しているからだ。
一つのことを最短で答える能力であるIQから、一つのことからたくさんの
ことを連想する創造力であるCQの養成へ、教育もシフトしていくべきだ。
CQは自分自身の努力で高めることができる。IQは生涯かけても変わらないかも
しれないのに対して、感情や好奇心は発達させることができる
出典:<IQの高さより大切なのは「ICE」 ライフハッカー[日本版]> ≫
―
▼ この随想日記で一日一テーマを17年間、続けてきたが、問題はテーマ探し。
これは常日頃から好奇心を持ってネタ探しをしなければならない状況になる。
備忘録、アイデアノートとしても、第三者に公開するため、面白く、何か
しらプラス!に… というサービス精神が働く。とすると、当り前の内容
では、自分の心に残らないし、価値がない。常に何か新奇なテーマの影に追い
かけられることを良しとするかどうかの問題になる。その緊張感も慣れると、
中毒になる。常に、頭を空にして網を張っておかないと、好奇心を煽るテーマ
は出てこない。その為には、「快適な空間」と、「快適な心的状況」が必要。
一応、知的な精神活動の継続が、IQを高めているのか! 成るほど、毎日が
面白く、刺激的なのは… また手前味噌の話で終わる?
逆に、この結果、EQ指数が減退していたような。 そういうこと!
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4694, 知恵と、教養と、知性の違い
2014年01月20日(月)
ー人生は65歳からがおもしろいー河村 幹夫 (著)
* 知恵と、教養と、知性の違い
この本には、なかなか含蓄ある内容がある。ーその幾つか書き出してみるー
・ シニアこそ、教養と教育が必要! 教養とは「今日、用がある」
教育とは「今日行くところがある」
【 これは、面白い。40年少し前になるが、勤めていた会社の人事課長を揶揄
して「今日行くか」が来たぞと誰かが言った言葉を思い出した。「教養が無い」
は「今日用が無い」と、学問を疎かにすること」と定義づけていた。「シニア
は特に、自分から何かを探して実行をしなくてはならない!」ということ。
・ ー知恵と、教養と、知性の違いとはー
知恵とはー「(知識・情報+経験)×思考 =知恵」
教養とはー「人間の生き方のもっとも深い部分に存在し、人間の原点になり、
人間性を律する基本となるべきもので、すぐれて個別的なもの」
知性とはー「教養を感性でくるんだもので、教養×感性=知性と表現できる、
なお一層個別的なものであり、何人も簡単に到達できない高次元の精神性」
▼ 著者は、この3つをを意識的に区別して自分のレベルを知ろうと
努めている、という。
☆ 知恵は、自らを土壇場に置かないと出てこない、ある意味、
神の領域から出てくる偶然、霊感的要素がある。
☆ 教養は、「学問、幅広い知識、精神の修養などを通して得られる創造的
活力や心の豊かさ、物事に対する理解力。また、その手段としての学問・
芸術・宗教などの精神活動」とある(ネット辞書)。これは長年かけて
積み上げた結果の精神状態。良い文学を読み、より美術品に触れ、崇高な
音楽を聞き、大自然に触れて精神を高める結果にある。
☆ 知性は、「(1)物事を考え、理解し、判断する能力。人間の知的能力。
「豊かな―の 持ち主」「現代を代表する―」 (2)感覚によって得られた
素材を整理・統一して、新しい 認識を形成する精神のはたらき」とある。
これらは、人間の深い精神レベルの核の部分のもの。その点、これらは
年齢とともに熟成していくため、人生を楽しむに、必要条件の大きな
ベースになる。だから、ライフワークを若い時から持っておくべきである。
ライフワークは、それらを具体的に求める趣味である。この3つの区分は、
自分の程度を図るに明確にしておくべき『知識』になる。
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5423,人生で最も大切な技術 ー? 心の内側を熟視する
2016年01月20日(水)
『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
* 幸福に関する名言 〜心の内側を熟視する
ここで、無知からの脱出の方法として内観がある、という。その方法は
「分析」と「瞑想」。とすると、私の夜半の半睡の4時間が「瞑想」に近く、
この随想日記の完成のプロセスが「分析」に近いから、夜半から早朝にかけて
毎朝、内観をしていることになる。 幸・不幸は、現実に対する光の当て方、
内側の問題になる。心の熟視は、熟年の楽しみの一つ。 〜その辺りから〜
≪ どのような探求の仕方であろうと、それを喜び、義務、情熱、満足の
うちの何と呼ぼうと、幸福こそが人間の目指す最大の目標ではないだろうか。
アリストテレスいわく、
「幸福は人間の唯一の目標である。人間は常に幸福そのもののため幸福を選択
するのであって、何か別のもののための手段として、それを選択したりしない。」
それに異論を唱える人は、自分が何を望んでいるかを実際にわからないだけで、
幸福という言葉を使わずにそれを求めているに過ぎない。数々の障害を乗り越え、
最終的に価値ある目標を達成するときの満足感は、疑いもなく本当の幸福
「スカ(安楽)の一つの側面が反映された状態といえる。
それは、自分が内面的に調和していると感じさせてくれる。
苦悩や苦難は「自己鍛錬」に繋がる、と信じこんでいる人が、自分の「義務」を
立派に果たす場合でも、自分または人類全体の不幸を培養しようとは望まない。
こうした至福感を手に入れる方法を誤認するのは悲劇的である。
無知は、向上心を歪める。
チベット密教の高僧トゥルンバは、無知についてこう説明している。
「無知は愚鈍とは関係がない。無知とは、ある意味で非常に知性が高い、
ただ、その知性が、あるがままの現実の姿を単純に捉えずに、専ら自分の
固定観念に反応する方向に向いているとき、それは無知と呼ばれる」。
仏教辞典で、無知は、あるがままの現実を認識することができず、幸福と
苦悩を左右する因果の法則があることも理解していない状態、と定義される。
例えば、最善の世界を築きたいだけ、と主張して民族浄化を支持する人たちは、
自分たちの憎悪が正当化できると確信している。利己的な衝動を満足させる
ためなら、死や破壊の種をばらまくことも躊躇しない、という連中は、それが
まったく理屈に合わず、不健全な考え方であっても、自分たちの行為が一定の
満足感をもたらしてくれると期待している。
悪意、妄想、侮辱、傲慢などは、純粋な幸福を手に入れる手段にならない。
にもかかわらず、残酷で、妄想に取りつかれ、独善的で、思い上がりの激しい人
は、物事の本質をまったく気づかないまま、突然に向きを変えてみたりしながら、
ただ闇雲に幸福を追求しようとする。耐え難い心身の苦痛にけりをつけようと
して自殺する人は、ただ幸福を求めて破れかぶれの行為に及んだだけである。
こうした根本的な無知からどうしたら抜け出せるだろうか。
唯一の方法は、誠実に真剣に心の内側を熟視することである。
この内観には、分析と瞑想の二つの方法がある。分析とは、自分の苦しみと
自分が他者にもたらした苦しみを、あらゆる角度から明確かつ整然と評価する
ことであり、どの考え、言葉、行為によって痛みが生じたか、反対に精神的
健全性がもたらされたか、を理解する作業を伴う。手始めとして、自分の在り様
と自分の行為に何らかの問題がないか、ということを探求し、続いて、自己変革
への燃えるような願望を抱くことが望ましい。
瞑想的アプローチでは、混乱した思考に飲み込まれない状態をほんの少しの間
保ち、心の奥底にある願望の正体を見つけるために、心の内側にひろがる景色を
静かに眺める、という作業をする。人によって瞑想は、快楽の醍醐味を一つ一つ
味わいながら、一瞬一瞬を激しく生きる生き方に繋がることがある。
あるいは、家族、社会的成功、レジャー、またはささやかながら苦しみない
人生、等の目標達成の手段にする場合もある。残念ながら、こうした願望達成
の瞑想はどれも未完成に終る。≫
▼ 行蔵を取り出し、支点を変え眺め直すと、その時点では思いもよらない
気づきがある。それぞれの場面で、知っている範囲でしか、理解できない
のである。そう、それは現時点の私にも、他者にもいえる。独りになりきり、
分析と瞑想こそ、最も重要になる。〜また偶然だが、以下の内容が丁度良い!
この年齢になって、何にも分かってない自分に、毎朝、気づくのも辛いもの!
・・・・・
4327, 10年日記も最終年
2013年01月20日(日)
十年日記を書き始めて10年目。1ページに上から4行分に仕切られて、
10年分書けるようになっている。10年分が一目で俯瞰できるので、
なかなか面白い。具体的な内容を書き込んでいるので、その時々が分かる。
2004年1月20日(火) 万代のダイエーと紀伊国屋とソフマップに、第三の長期
滞在用の部屋の備品探しにいく。第三の二つを一つにした
部屋の一つの出来上がりが不満。
2005年1月20日(木) 昨夜半に、独り布団の中で、一日の出来事をイメージで
再現してみる。意外と憶えていないもの。その後眠って
しまったが、多くの夢をみる。 脳は複雑で繊細である。
2006年1月20日(金) 昨夜、長男から、お返しの贈り物と相手の私に関する感想
の電話報告が入った・・ 学生時代の合気道の師範の生活
救済の以来の10万円を振り込む。私らしくないが必要なこと。
2007年1月20日(土) 昨夜は午前二時まで飲む。朝は8時過ぎまで寝てしまった。
騒ぎすぎた為、まだ疲れが残っているが、随想日記に気持ち
を集中する。 外は天気だが、一歩も外出はなかった。
2008年1月20日(日) 昨夜、パソコンが不調。しかし朝になると元に戻る。
積雪のため昼、長岡駅セゾンの一周ウォーキング。
2009年1月20日(火) 昨夜は新潟駅前の大橋で「一六会」。8名出席。その後、
駅南6Fのスナックと沼垂のスナック街へ。新館に泊まる。
今週の宿泊予約を見ると、良くない。 オバマが新大統領に。
2010年1月20日(水) 家内は義妹と東京へ。8時過ぎに家を出る。通勤途中の
長岡駅で文芸春秋を買う。学生時代の友人の鈴木さんから電話。
合気道の黒岩先生が亡くなった。21日に通夜、22日に本葬。
私は、欠席にする。
2011年1月20日(木) 9時半に免許証書換え。眼の検査、辛じて合格。
山田電器に立ち寄り12時半〜16時半、防火管理者講習。
2012年1月20日(金) 回転寿司で昼食後、シネマ「マイウェイ」
(12時5分〜14時半)をみる。これが大当たり。
その後、サンライフのジムで50分運動後、帰宅。
▼ 書き写していて、全ての日が浮かび上がってくる。書いた範囲だけだが、
具体的に書き残しておく価値を実感する。全く書き残してなかった空白の
時期が、あまりに勿体ない。千葉・千城ビルの立ち上げの日々とか、実家の店を
死に物狂いで立ち向かっていた日常を書いていたら・・ 忘れることも大事だが。
2011年までは事務所にこれを置いていた。土日分は月曜日に事務所で書いたもの。
今日も家内が毎年恒例の割引セールの新幹線で義妹と東京へ。三年前と同じだ。
9年前の2004年には売上減対策で、第三・シングルインを長期滞在用ホテル
にする様子が窺われる。記録は記憶!である。
・・・・・・
・・・・
5789,閑話小題 米国新大統領就任
2017年01月20日(金)
* さて見もの
今日、トランプが新大統領に就任の予定だが、見もの。アメリカの白人層に
とって移民に対し食傷気味なのは解らないでもない。今日のデモがどうなるか?
マスコミはスキャンダルを掘り起こすだろうし、ロシアの犯罪モドキ?陰謀説を
書き立てる。それに加え、暗殺の危険もある。移民の国で、自分の両親も移民
なのに、それを露骨に否定するとは… 要するに「ゲルマン系白人を優位を、
前提にしよう」という単純な発想。で、彼らの不満を煽り建てたキャンペーンの
裏に、アメリカ分断を狙うロシアのプーチンの策謀が加わった結果が、これ。
アメリカの民度は、これ程低いと! 70歳のトランプも今さら、性格は変える
ことが出来ない。「過去を忘れても、過去は忘れない」の格言が、そのまま、
問題として現れ出てくることになる。70歳ともなれば誰にも当てはまる道理?
それが、大統領となれば、ことは穏やかでは済まされない。
この中にあって、経営者にとって毎日がスリルとサスペンスの日々になる。
世界のトップが、「?」とくれば、ある日、目が醒めたらブラックスワンが数羽
舞っている? イギリスの前首相が、自ら保身のため、「EU存続か、離脱」の
国民投票に打って出たため、長年かけたEUが、今では存続の危機に立っている。
このレベルの決断は、有識者が議会で充分討論をして結果を出すべきで、ズブの
素人の判断に委ねるべきでない事案。直接、国民に判断してよい問題と、悪い
問題がある。その最悪の事態がトランプの選出。それも、KJB出身のプーチン
に手を突っ込まれた劣悪の選出となれば、国家は真っ二つに割れて然るべし。
クリントン一家と、ブッシュ一家の権力のパスに辟易としていた国民が、根本
から国家戦略の大転換を求めるのは解らないでもないが、それが経済恐慌、勃発
的世界戦争に至らなければよいが。オバマも「何を自分は今までしてきた?}と、
思い悩んでいるのだろう。「白の心、黒知らず」いや、「黒の心、白知らず」か。
よく見れば、こんなものだろう。 有色、中でも黄色の時代が、今後の趨勢か。
今の黄色は中は真っ白とくるから、何が何だか分かりません。
・・・・・・
5059,花嫁への3つの母の教え 〜?
2015年01月20日(火)
【本日「いいかげん」日和 〜楽しく生きる一日一話】
ひろさちや(著)
これまた面白い本である。 ーまずは、アマゾンの内容紹介よりー
< 幸せは、血眼になって探したって見つかるはずありませんよ。
幸せになろうと頑張りすぎて、逆に不幸になっていませんか?年がら年中、
笑顔でゆったり人生を楽しむための知恵を、一日一話でやさしく紹介。
わたしは、日本人の民族性は、季節の移ろいと無関係ではないと思います。
ものすごい暑さのあとにやってくる秋を喜び、厳しい寒さのあとにくる春を
楽しむ。それが、「いいかげん」だと思います。ゆったりとじっくりと
「ほどほど」を楽しむ。そういう民族性が日本人の血の中に流れているのでは
ないでしょうか。そして、その「いいかげん」は、仏教の「中道(ちゅうどう)」
につながるものです。中道というのは、決して中途半端ではありません。
極端を避けて、ほどよいところ、いいかげんをゆったりと楽しんで生きる。
それが仏教の教える中道の精神です。もう一度、「いいかげん」精神に
もとづくゆったりとした生き方を取り戻しましょう。(「はじめに」より)>
* 花嫁への3つの母の教え
一日一話の、楽しく生きる寓話などの話題をランダムに抜粋してみる。
まずは、『賢愚経』というインド仏教経典にある話。お少し堅い話だが・・
≪ 結婚式の前夜、花嫁に教えた母親の三つの心得。
一つ、いつでも美しい着物を着ているように。
二つ、毎日、おいしい物を食べなさい。
三つ、絶えず鏡を見なさい。
これを立ち聞きをしていた大臣の花婿の父親はびっくした。
こんな贅沢な嫁は心配だが、もう取り消しがきかないため、翌日、
結婚式が行われた。 ところが嫁は、いっこうに贅沢をしない。
着物は質素、食事はつつましく、鏡もあまりみない。そこで大臣は嫁に聞くと、
美しい着物は、いつも洗濯をした綺麗な着物の意味。美味しい食事は、働いた後
の食事は「おいしい」の意味。鏡を観なさいは自己反省という意味だった。≫
▼ 現代では、低価格のユニクロの服を選び、外食はサイゼリアで、観劇は
テレビで抑えなさいというところ?考えてみたら、3つの教えは戒老でもある。
ところで母親の3つの教えは何だったろう? 『 常に新しいことに挑みなさい。
許しなさい。今日一日楽しみなさい。』・・ それと、卑しい人を避けなさい。