<「好き嫌い」と才能 楠木建 編著>より
    * 修羅場は人を純化させる!
  ヤマトホールディングスの社長の木川眞の言葉〜
『修羅場では人間はものすごく純化する!』が目に入った。20歳、30歳代は、
修羅場の連続。 有能の人からすれば、能力不足が招いた事態でしかないが、
私にとって、初めての経験。 ひたすら、真正面に無心で全身で立ち向かい、
知恵を出しながら「貫き抜けること」しか頭にない一種、無心の気違い状態。
 それは純化した心持であればこそ可能になる。20歳代後半、30、40、60歳代
の半ばに、修羅場がやってきた。 失敗は許されない。そこで自分を道具に
化して、無心の何かに憑りつかれた純心の魔物のような存在が感じ取れた。
それが後々、返り矢として問われるが、当然、覚悟の上。甘んじるしかない。
 挫折、崩壊の節目時の修羅場に到達した中の純粋性から知恵が湧出てくる。
節目に、チャンスを見出すのは、その内なる純粋性の知恵からであり、普段の
自分から昇華したエネルギーである。人生に大かれ少なかれ誰も経験すること。

 ロマン・ローランの『ベートーベンの生涯』にある手紙の一節、
『苦悩をとおり抜け歓喜に!』の言葉を代表に様々な言葉がある。
『純粋な心だけが美味しいスープを作る!』
『不死の心を持つ我々人間は、苦悩と歓喜の為だけに生まれる。その中で
 最も優れた者は、苦悩を突き抜けて、歓喜を勝ち得ると言える。』
『友よ拍手を! 喜劇は終わった。』
『墓の下にいても、あなた達の役に立てる。これほど嬉しいことがあるだろうか。』
『音楽とは精神と感覚の世界を結ぶ媒介のようなものである。』
『困難な何事かを克服するたびごとに、私はいつも幸福を感じます。』
これらの言葉の中に、彼の辿ってきた修羅場の激しさを感じ取ることが出来る。

交響曲第9番「合唱付き」ピアノ協奏曲第5番「皇帝」。
ヴァイオリン・ ソナタ第5番「春」。ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」の代表曲に、
その純化した魂を感じ取ることが出来る。特に難聴の病になった時の絶望感その
ままの、交響曲第5番「運命」が魂をうつ。『苦悩を付き抜けて歓喜に至る』、
そのままが伝わってくる。余命数ヵ月を直感したときに、誰もが陥る絶望感。
その後の『歓喜』はあるのだろうか? いや、乾いた『ピーッ、プツン!』か。

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4892,定年後の4年目のリアル −2
2014年08月06日(水)
            「定年後のリアル」勢古 浩爾 (著)
 面白そうな要点の抜粋が、アマゾンのレビューに幾つかあった。
≪ ・「この先わたしたちはどうすればいいのだ、・・・というように具体的な
 方策を他人や本に求める根性がすでにだめである、・・・「自分のリアル」は
 自分にしかわからない」(6~7頁)。
・「わたしのこころは基本的に幼少年期からずっとおなじものである。
 中年になってもこころはひとつ。・・・わたしはこれを自分年齢だと考えるが、
 その中核は、多くの人にとっては少年期や思春期のときのこころのままでは
 ないのだろうか」(67頁)
・「社会的年齢と生理的年齢と自分年齢は絡み合い、相互に反発しあって
 一致することはあまりない。そのときは一も二もなく、自分年齢を優先すれば
 いいと思う。いいも悪いもない。そうするしかない。基本的には自分の
 「こころのリアル」に従って生きていくのが一番である」(70頁)。
・「どんな立場もなくなるということが、これほどまで自由だとは知らなかった」
                           (104頁)。
・「さみしいなあ、でもそれがどうした」と思うことである。
 これは「ありのままの自分でいいんだよ」ではない。これが自分の現況である、
 というだけのことである」(153頁)。
・「つまらないことだが、三日間絶食をしてみた。結果、食は生活の句読点
 であり、それが失われると一日はのっぺらぼうの時間になる。それが失われる
 と生活の楽しさの大半が失われる、ということに気づいた」(169頁)
・「わたしたちは自分なりのしかたで自分の生を生きるほかはない」(208頁)。
・「さて、ここでわたしは、「定年後、残りの人生をベストに過ごすには
 どうしたらいいのだろう?」という問いに対しては、たった一言でもって
 完璧無比に答えることができる。「あなたの好きなように生きてください」
 である。 ・・・「好きに生きよう」である。
「好きでなくても、今の生活しかないのなら、それで生きよう、である」(213頁)
・「私が死んでも、・・世界にとってはまったく大したことはない。
  この世はつねに生きている者たちのもの」(235頁)
 食って、寝て、本(新聞・週刊誌・小説を含む)読んで、勉強(歴史、思想史、
 数学、等々)して、AV観て、何か執筆でもし、たまには小料理屋で一杯やって、
 あるいは散歩や旅行にでも行って・・・そういう生活に私は入りたい。≫
▼ 私が一番、実感したことは、「どんな立場もなくなることが、これほどまで
 自由だとは知らなかった」である。確かに、少し寂しいし、肩書き無しの自分に
向合うと、今まで如何に、その土台の上で好い気になっていたかを、思い知る。
しかし、それも時間が解決してくれる。ただ、突きつけられるのは収入が激減
してしまう現実。仕事上を含め付合いなどの経費は殆ど無くなるが、可処分所得
も皆無になり、ヘソクリをしてない?自分に後悔する。この辺りが、一番の
「定年後のリアル」の問題。次が、「自由の不自由」の問題。 何もかも自分で
計画をたて、判断をしなくてはならない。が、更に厄介なのが、今までの仕事の
拘束に換わって家庭内の、差別が待っている。
 
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5257,二度の地球規模の大爆発 〜地球大進化46億年 ー?
2015年08月06日(木)
      ー「地球大進化 第3回 知られざる“生命の星”の秘密」ー
   * 爬虫類から哺乳類への主役交代
 地球環境により、その都度、新しい生命が生まれ出てきた。 そして、
環境の激変で、それらが絶滅。違う環境に適した生命が生まれ出てきた。
知的生命たる人間が、それ故に、自滅するのに百年はかからないというが、
何か時代の様相からみて、考えられないことがない。 〜その辺りから〜
≪ 2億5千万年前、突然生命に襲いかかった地上最大の火山噴火、それが
 当時生きていた生物の実に95%を絶滅させるしまうことになった。
さらにその後訪れた巨大恐竜の全盛時代、私たちの祖先はその影に怯えながら
暮らすことを余儀なくされていきます。しかしこの暗黒の時代を乗り越えた時、
私たちの祖先は爬虫類から哺乳類へと一気に進化し、大きな飛躍を成し遂げる
ことになる。おなかの中で子供を育て哺乳で養うという哺乳類独特のLife style
の誕生。それは全ての生命を絶滅の危機に追いやるような地球の途轍もない
大変動とその後の恐竜の支配がなければ生まれなかったことが分かってきた。
地球生命史上、最も劇的といわれる哺乳類誕生のドラマとは・・・
 ○ 大量絶滅:地球が95%死んだとき
 私たち哺乳類を語る前に、まず2億5千年前に起きた史上最大の生物絶滅事件
の実態を探る旅からスタートする。実はこの事件こそ私たちの哺乳類の誕生の
ためになくてはならないものだと考えられているからです。それは恐竜が登場
するはるか昔の出来事でした。案内してくれたのは南アフリカ博物館、ミジャー
スミス博士です。20年に渡ってここカルー盆地で動植物化石を調査してきた。
乾燥した大地に絶滅が起こる直前の地層がむき出しになっていた。
ここに童子の陸上を闊歩していた動物の足跡が残っているという。
この動物の体長は3m、しかし恐竜ではありません。最初の恐竜が地上に現れる
のはこの足跡よりさらに2000万年も後のこと。足跡をつけたのは一体どんな
動物だったのか。実はこの時代に繁栄していたのは現在の哺乳類と非常によく
似た動物、ディクトドンと呼ばれる草食動物の化石(南アフリカ蔵)。
体長は50?、穴熊のように地面を掘った巣で暮らしたと考えられています。
またゴルゴノプスと呼ばれる肉食動物、体長3m。鋭いきばが特徴です。
この時代の百獣の王、いわばライオンのような存在だったと考えられている。
これらは皆、爬虫類のように卵によって繁殖したと考えられています。
しかし骨格や歯に私たちの哺乳類と共通の特徴が数多く見られるため、哺乳類型
爬虫類と呼ばれています。この仲間の中からやがて哺乳類へと進化的動物が現れる
ことになります。「哺乳類型爬虫類は一般にはあまり知られていない存在です。
しかし実に多様で当時の環境に非常にうまく適応していた動物であること知ると
皆さん驚くことでしょう。しかも私たち人類の祖先にあたる動物なのです。
彼らは恐竜が現れる数千万年も前に繁栄しました。いわば地球を初めて
支配していた動物たちだったのです。」≫
▼ 上記のプロセスを経て、哺乳類が、そして類人猿が地上に現れ、主役の
 座を占め、人間へと進化?してきた。乗越えることが出来ないような、
大きな壁が、逆に進化をもたらすのは「人生」と同じ。成長後、挫折と崩壊、
そして灰の中からの再生から、その都度、新たな自分が生まれ出てくる。

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5987,閑話小題 〜最後の講義・7 ー石黒浩:対談
2017年08月06日(日)
    ―所属する集団で意識が左右される―
 20歳代を振りかえ考えると、意識、価値観が、その時々に所属した集団で
大きく変わっていった。その中で、自分の志(天に輝く星)を目安にして判断
していったが、若さが故のエネルギーがあってこそ。大きな判断ミスは比較的
少なかった? それぞれの節目時での自問自答を、少ない経験と知識の範囲で、
するしかなかった。 何事にも自由に触媒し、実戦出来ることが、若さの特権
であった。20歳で「創業」を志して、21歳で「欧州+東南アジア・ツアー」に
参加をし、アッパーの人種を知り、22歳で「武澤ゼミ」に参加。そして、
ジャスコの合併」に立ち合い、その後、産能大編入。その後、金沢に
一年半、修行の身を経験。 26歳で千葉市郊外の新興住宅地・千城台で、
「千城ビル」の一年の準備。27歳で最大の協力者の父親の死に立ち合う。
その半年後に結婚と同時に、ビル内で飲食ビルを立上げ、焼きたての、
パン屋のFC店をオープン。数ヶ月後に実家で「御家騒動」が生じて、急遽、
二つの店は知人の紹介で経営委託をして、Uターン。振返ると、濃厚な10年間
だった。尤も、30歳代は、さらに濃度が増していったが。「所属する集団で
意識が左右される」というが、その中で、それに流されない強力な意志が必要
となる。それは「発狂」状態。狂う時には、狂わないと、出来ないことがある。
学者の生き方と自ずから違って当然。他人のことなど、所詮は理解しようが
ないし、出来るわけがない。 〜その辺りから〜
 ――
≪ <本荘>
皆さんの中で、小学生のときに、人の「気持ち」や「考える」ということに
対して、疑問を持ったことのある方はいますか。
<石黒>
みんな問いは持っていると思います。その問いを大人に投げかけると、
「うるさい」と言われ、「そういうことは、大人になったら分かるよ」と、
うそをつかれるのです。僕自身は、人の話を聞かない子どもでした。授業参観
とかで、先生の言ったことを全部無視して、1人だけ絵を描いていたら、それを
見た母親が泣いていました。自分は、「人とは違うのだ」と思いました。
<本荘>
アインシュタインみたいですね。 以前、中学生に対して「若いのだから、
何でもトライすればいい」と言ったところ、「初めてそういうことを言われた」
と返されたことがありました。 周りの大人は、日常的に「(○○を)やっては
いけない」、「オマエにはできない」などと言ってしまっているのです。
<石黒>
もっと不思議なのが、PTAなどの場において、「こういった親はダメだ。」
と説いて周囲からは賛同されている大人が、家に帰ると、自分自身がダメな大人
になってしまうことです。つまり、所属する組織や群れに適応するように振る
舞うことができても、別の集団に属した瞬間に意識が変わってしまう。
自分の中で、何が疑問で何を解決しないといけないかを考えていないと、集団の
意識に簡単に振り回されてしまう。だから人の話を聞いてはいけないのです。≫
――
▼ 6年前に長岡・新潟間の31年間の通勤生活を終えて、自宅周辺の生活圏に
収まった。高校を卒業をして30歳近くまでの県外生活を含め、合計43年間を、
曖昧な二重生活をしていたため、現在、息苦しい生活を強いられているが…
 とはいえ、割切ってしまえば、それはそれで… 問題は受け止め方。
<共同体には、それぞれの長年かけた価値観や道徳感があり、それを前提に生活
している中で、何やら得体のしれない妙なことを、ここで書いている。>が現状。
 最近、泡沫候補上がりのトランプが大統領になって失態を重ねているが、
根底に、「コミュニタリアニズム」がある。「自分の生れた場所や、仲間が第一」
の考え方。地域社会は、外の世界に対する無知のヴェールで覆われているため、
本来、強固である。グローバリズムの弊害が顕著になっている現在、原点回帰も、
当然かもしれない。EUの問題と同じ。「悪貨は良貨を駆逐する」ではないが、
唯我独尊の姿勢も、情報化故に必要となる。 ロボットはロボットでしかない。
されどロボットでもあるが。 所詮、人間の心など、泡沫でしかない。

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5622,人生を幸福で満たす20の方法 〜?
2016年08月06日(土)
          <人生を幸福で満たす20の方法> 三宮 麻由子(著)
   * 空虚な日々を楽しむ方法 〜好奇心が世界を開かせる
 好奇心が幸福を満たすための第一歩という切口は新鮮である。
老いるとは好奇心が萎んでしまうことだろう。特に知的好奇心から萎む。
教養とは知的好奇心のベースを言うのだろうが、その枯渇したのが「おばさん」。
現象を、そのまま現実として受け止める蓄群である。やはり、知的好奇心が、
萎んだ心を開放させてくれる。
≪  1、好奇心で心を満たそう
  情報の八○パーセントを受け持つといわれる視覚を失うのは、正直なところ
 かなりしんどいことである。しかし、その特色を生かして音を味わい、音で
できた風景を心のなかに再構築することは実に楽しい。これによって、私は
scenelessからscenefulへ止と生まれ変わることができた。そして、ここまでの
道程を楽しくリードしてくれたのは、他ならぬ好奇心だったのである。
  好奇心は、幸福の真空を埋めるばかりか、このように人生に新しい世界を開き、
人を生まれ変わらせる可能性を秘めた宝物だと思う。それを豊かに養い、年齢に
関係なく育てていくポイントはただひとつ。少しでも印象に残ったことがあったら、
それを迫いかけて一歩を踏み出すことである。
 素朴な疑問を素直に追いかけ、何か新しいこと、面白いことはないかと目を
キラキラ輝かせ、耳をピンと澄ませて受信アンテナの感度を上げていくのである。
もちろん、野次馬はいけないけれど、よい好奇心、特に知的好奇心は、必ずや
私たちにワクワクする世界を開いてくれることだろう。

 きょうからできること
興味の向かなかった分野を覗いてみよう
きょう発見したことをメモしてみよう
明日は何をチェックしようか、と考えてみよう  ≫
――
【とにかく、やってみましょう!やれたらそれだけ豊な1日になるのです】
子供の頃の好奇心は、何処に行ったのだろうか。何もかもが面白く、世界は
光り輝いていた。そして、学生時代にみた世界の、あの輝き。高度経済成長期
に青春を過ごせた幸運。 好奇心は感性である。磨くほど、それは光り輝く。

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4525, 生きる悪知恵  ー4
2013年08月06日(火)
  「生きる悪知恵 ー正しくないけど役に立つ60のヒント」西原 理恵子 (著)
 歯車の一つとしてのサラリーマンが、自分で商売をしてみたい気持ちも分から
ないでない。私が、ここで度々取り上げる飼い犬、野良犬、狼、の例えがある。
飼い犬がサラリーマン、野良犬は商売人、狼は一つの判断ミスで餓え死ぬ作家・
芸術家・政治家・創業実業家あたり。その最もひ弱な飼い犬が、「定年間近に
僅かな退職金元手で何か商売」というストーリーに無理がある。それも小さい
ながらも創業など、土台無理。野良犬にも野生剥き出しで、餌をあさる逞しさが
必要だが、とっくの昔に去勢されている自分が見えない。そして出来もしない
夢に憧れている。 それが、「あっぶね〜」のである。
《  * 夫が脱サラして田舎暮らしをしたいと言い出した
Q:夫が脱サラして田舎暮らしをしたいと言い出した。早期退職の退職金元手に
 田舎でそば屋をやりたいと言うんです。そば打ちは趣味でやっていて、確かに
 おいしいことはおいしいのですが、商売の経験もなく成切すとは思えません。 
A:あっぷねー。 商売は雪山と一緒なんで、うりかり一緒に登ったら夫婦で
 遭難しまうで〜 だいたい「田舎でそば屋」って、水商売上がりの女が
「お花屋さんやりたい」って言うようなもんで、あまりにも夢見すぎ。
 田舎ってどのへんを考えてるのかわからないが、田舎ってそんなに客来ないよ。
 人いないから。こういうパターン、今すごく多いみたいだけどね。ダンナは
 会社の人間関係に疲れて「田舎で暮らしたい」、奥さんは「デパートのある
 とこじゃないと嫌」っていうんで定年退職後にケンカになちゃうっていう。
 これ、半々にすればいいと思うんだ。都会に小さなアパート借りて、奥さんは
 そこで暮らして、たまにダンナさんのいる田舎に会いに行くとか。だって
 今までダンナが生活支えていたわけでしょ。だったら、奥さんも今から
 働けばいいじゃない。老舗のそば屋で働いてノウハウを盗めば一石こ鳥(笑)。 
 とにかく上手くいっている人と、いってない人の話を聞けばより。そうすれば、
 旦那さんも勘違いに気づくかもしれないし。でも、このダンナさんも今まで
 頑張ってきたんだから、一度失敗させてあげてもいいんじゃない? やらずに
 後悔するより、やって後悔したほうが絶対いいし、あんまりお金をかけずに
 小さく失敗してみるといい。退職金を突っ込んで田舎に家を買うんじゃなくて、
 古い民家をちっと改造したようなお店とかあるじゃない。田舎じゃなくて
 埼玉ぐらいにしておくとか。それだったら、失敗しても取り返しがつくって、
 失敗すると決めつけちゃってますけど、だいたい失敗しますから。》
▼ こういう質問自体が愚問そのもの。サラリーマンに成りきった人が、
 創業、それも田舎でそば屋など、何年も蕎麦屋を続けきた主人に失礼である。
彼らでさえ、大方が冷凍やインスタント麺の普及で危機の瀬戸際。趣味と職業は
全くの別問題。20年前に、近くのバイパス沿いに趣味がこうじて蕎麦屋を出した
人がいた。そこの主人が、蕎麦の奥行の深さを滔々と講じたが、好きでない私は、
ポケッとして聞くしかない。そして1〜2年後に、その店は閉店していた。
凝った店構えだったが! 本当のソバ通など少数派で、金にはならない。
早く言えば、月末の材料と電気光熱費を支払うために働いているようなもの。
それが殆ど。厨房と、店内の一つ壁とカウンターの内外では異次元の世界。 
これは創業者と、二代、三代目にも言える。本能剥き出しを必要とする創業者を
狼とすれば、中途半端な二代目、三代目は野良犬、いや宅上犬。宅上犬ほど、
野良犬や、狼を笑い見下す。家を出て、ゴミ漁りや、荒地で野生生物の捕獲の
経験がないためである。

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4150, 5年前に、現在の状況を予測できたか?
2012年08月06日(月)
 今から5年前といえば、2007年8月である。それから13ヶ月後に
リーマンショックが生じた。当時は以前に経営していた会社のリストラ効果で、
何とか目途が立ったところで、米国の住宅ローンの債権証券が危険水域にある
と新聞が書き始めていた。そして2008年9月15日にリーマンショック
現実に起きてしまった。それから売上は激減、二年半後に倒産に至った。
あの時と現在の状況を比較すると、現在の方が格段悪い。今後5年後を考えると、
早ければ年内に、遅くとも数年内にリーマンショックなど比べようもない激震
が世界中に駆け巡る。それからして、かなり厳しい想定を現実としてしなければ
ならない。私自身も年齢からみて、これまでの不摂生を考えると、今さらなので
腹を据えているが。 実際のところ5年後、どうだろう?この5年の激変より
遥かにマイナスの状況と見るのが自然。今から5年後に「現在の状況を予測
できたか」という問いに対して、やはり想定外であるという答えが帰ってくる
だろう。目に前に迫っている経済大津波は分かっているが、実際に起きて
みないと実感できないのが人間。想定外のことは考えられないが、万一の備え
を作っておくことは可能である。家族経営をしているところは、
�身内を外に出すか、それとも自分が出るか。�身内の債務保証を無くすこと。
�売上が半減した時の想定をしておくこと。�運転資金がマイナスに転じた時の
対処の想定。(見切り千両のタイミングの想定)�予備資金の準備、などが
考えられる。私の場合、7年がかりで予備資金を準備、万一、これを一時的
にも流用した時が見切り時とし、そして実際に実行した。ところで5年前に、
現在の状況は想定外だったのだろうか? その頃、危機管理セミナーに立て
続けて参加していた。予測通りの部分と、まだ予測に至ってない部分があるが
潮流は大方、予測通り。しきりに金の購入を勧めていたが、当時より金価格は
2〜3倍。恐らくハイパーインフレが5年内で吹き荒れるが、その状況が
予測不能ということか。中国が一度、国内外で動乱が起こる可能性があるが、
いずれにしても立ち直りは早いはず。ユーロ圏、アメリカ、ロシア、中国、
日本と、いずれも激変するはず。 大変とみるか、面白いとみるかだが、
前者だろう。まず経営者は5年後の仮説をたてないと!