* 40歳の私と対話ですか…
・ 毎日、同月同日のテーマ日記を読返すが、誕生日モノが心に響く。
それも去年モノが何とも。完全忘却をしているため、何か不思議な感じ。
実感は、老化が確実に進んでいて、面白さ、楽しさが増している反面、心身
とも重苦しさが増している。私たちは、過去の延長に捉われ生きていることが、
読返して気づかされる。そして、来年の誕生日も、現在の私と大して変わりない
延長上を生きている? そうあって欲しいが、消滅している可能性も大かも。
目先は、9月の卒業50周年記念の会の参加。次は、来年の東京オリンピック
健康体であること。ライフワークの一環としての「秘・異郷ツアーの参加」。
・ 去年は、20歳の私との対談だったが、今年は、40歳、それとも10歳?
今日・明日は40歳にして、明後日が、10歳ですか。まあ、面白くなりそう…
 ――
三者:いいの、危なくないの! 去年にしろ、よく思いつくね!
 73歳の私: 面白そうだが、やはり気が思い。厄年の前年だからね。
40歳の私:それより、今まで生きてたね。全くの予想外さ。40歳まで生きて
 いる自分が不思議なのに、何でまた33年の後自分と対話するのかね。
 今の時代は、1990年さ。バブル崩壊辺り。毎日が楽しくて、面白くてね。
 
〜長く続きそうなので、あとは、次回に… 〜
 ―
   * いくら何でも稀勢の里よ、引退しろよ!
 強引に日本人横綱をつくり上げた協会の責任を一身に背負った二年間。
あまりに厳しい事態。横綱に適任でないのは、昇進時に誰の眼にも明らか。
モンゴル、東欧から出稼ぎにくるのとハングリーと、肉食系と草食系とでは
根本がらして違う。徒党を組んだ狼の連携プレーにボーッとした日本力士が、
敵うわけがなく、横綱大関の大部分を占拠されてしまったのが現状。
横綱が6連敗をしても、その座に存在していること自体、大問題。
まず、横綱引退の規約、『三連敗をしたら引退!』を、つくるべき。
子供の頃に活躍した栃錦が、全勝優勝をした翌場所に、二連敗した直後、
引退をした。これぞ横綱の理想と絶賛されたが、その真逆が、これ!
現理事長と、全横審が連帯責任をとって、自認すべし! 理事長、力士と
してはファンだったが、理事長職としては最低。千代の富士を理事長に、
本人は副理事長が適任の筈。 「雉も鳴かずば撃たれまい」。
一昨日は、一横綱、三大関が、昨日は、二横綱に二大関が敗れた。
それも打ち止めの一番で、白鵬も際どい薄氷の勝利。その上に、
大関横綱の12番の取組で4勝8敗とは…、これ如何に!
公益法人の認可の取消し、再出発しかない? 自浄効果など土台、無理。
 
・・・・・・
6151,閑話小題 〜誕生日の早朝、20歳の私との対話!
2018年01月15日(月)
   * 20歳の私とですか!
 今日は「72歳の誕生日」。「目出度くもあり目出度くもなし」である。
「自分が、この年齢になるとは!72歳の私って誰のこと?」が実感。
面白いので即興で、20歳の私を呼び出し、現在の私と対話させてみる。


20歳の私: 72歳の自分と出会うなんて何か奇妙な心持がする。
 私: 私でも、そう思うよ。自分で自分じゃないみたいな… 老いるとは、
  こんなことかと、毎日、新しい老いの発見の連続だよ。
20歳の私: 精神年齢は正直のところ幾つぐらいに思えますか。
 私: そうね〜 20歳から60歳の間を、彷徨っている感じかな〜
  とにかく、ネットと、TVの御蔭で、キーワード探しをして、面白い
  情報と知識に次々と出あえるからね。それは、アンタには解らないよ。
  想像しろと言っても無理だろうがね。
20歳の私: 1966年と、2018年じゃ、想像も出来ないよ。でも、ソ連が崩壊。
  中国が自由経済社会に変身。日本もアメリカによって骨抜きが進み、属国
  状態。それと現実社会をネット社会が覆ったというが、どうだった、
  この半世紀の実感は?
 私: あの頃はバブル経済の二段階辺りで、何もかもが夢のようだった。
  あなたは、翌年に一ヶ月間の欧州旅行をすることになるよ。
20歳の私: 本当ですか。
 私: そうだよ翌年のゴールデンウィーク時に、ヘルパーとして手伝いに
  行っていた軽井沢の『友愛山荘』で、他のヘルパーに感化されて… 
  欧州一周旅行。それで小さい、固い殻が木っ端微塵に叩きこわれ、新たな
  真我が顔を出すことになるんだ。
20歳の私: そこで、人生が変わりそうだね。
 私: 今考えると、あれが良かったか、悪かったか? それでも、以来、
  51回も、地球を広く深く見て歩けるんだよ。そりゃ面白いことは確約する。
  大変だとしても、これは絶対に良いよ。デズニィのキャラクターのように、
  今は頭でっかちで良いんだ。とにかく、毎日をフル回転すべきだよ。
  私は、当時のアナタに感謝しているんだよ。
  「キリスト教倫理」の教授が、夏休みの宿題に、「生涯展望の見取り図」
  を、一夏かけて必死に書いたよね。
  それに対し、教授が丁寧な返事がきたよね。 あれが良かった。
20歳の私: 軽井沢の山荘で、早朝、近くの「離れ山」を散策しながら、
  必死に考えたさ。毎日が若い女性の旅人たちと歌い踊ってね。
  今が人生の春ど思っていたが、もっともっと面白いことが連なり待って
  いるなんて。 ところで、激変の中で、生きてきた実感は?
 私: 当時、『全機』という禅語に出会ったね。あの言葉を貫いてきたのが
  ポイントだったようだ。 正法限蔵全機の巻に、「それそのものが何もの
  とも相対せずに存在していることを全機という。」と。「人が持つ全ての
  機能を現し、発揮する」事をよしとする意。 これだったんだよ。
20歳の私: かなりズッシときたが、成るほど。
 私: でも、こうして話せるのは、この年齢まで生きているからさ。
  「純真な心の芯が魂」ということさ。 最後の最後は、そこだよ。
20歳の私: 行蔵を覗くと、そうでもないようですが… 何か偽悪と、
  露悪を楽しんでいたような。こんな筈ではなかったんじゃないですか。
  何か、勝手に自分を卑小化していませんか。 
 私: いや、こんなものさ。
20歳の私: 面白いから、また呼び戻して下さい。

▼ あたかも、別の存在に憑依され支配されている自動書記のような感覚の時間
 が過ぎていたような。対話は、あたかも「己の人生の使用前と、使用後の内面
の自己対話のような。インナーチルドの青年期の私との対話とも。
 煉獄内の独り言?

・・・・・・
1月15日  1969年
 今日は学生時代最後の誕生日だ。
毎年この日にNHK「青年の主張」を必ず見ることにしている。
このよう見るのは最後だろう。
 内容と評価を、メモをしながらみた。
・北海道代表の武田(女)さんの主張 
 あまりハッキリした意志が感じられないー65点
・東北代表の清水さん
 働きながら夜間にいっている。自分をしっかり把握して真正面から
 自分を見つめられる人間になりたい −70点
・四国代表の中西さん(女)ー実習教官
 自分を温かく包んでくれる深い何かに感謝−80点
・東海代表の須田さん(女)
 女である自分の農業の立場 75点
・東京代表の守屋さん
 青春の喜びー無限と思われる未来の夢に対する生き方
  若さの代名詞は可能性  75点
・沖縄代表の宮城さん(女)
 沖縄県民の心情ー85点
・近畿 林さん 精薄施設の女指導員
 園児の美しい心の素晴らしさについてー75点
・関東代表の関谷さん
 自分1人で生きていく心構え 70点
・九州 河嶋(女)
 生活の為働かなくてはならない姉妹について
 老人対策など       90点
・中国代表の吉原さん
 非行少年の観察員の主張
 心が病んでいる少年達ー80点

  〜以上が私のつけた評価の点数である。
現実にドップリ使っているのだから、仕方がないがもっと
広い視野で自分を見下ろす目が必要ではないか。
可能性の追求をもっと見つめることが大事ではなかろうか。
 この目で自分を見つめ直すと、どうであろうか。
流通で生きると決めたのだ。そこで何を可能性として求めるべきだろうか。
そこで自分の基盤を深いものにしなくてはなるまい。
そこで自己建設をしていくことになる。
 ここで忘れてはならないのは、他人もそれをおこなっているということだ。
何故、そんなことをしなくてはならないか?
人間として生まれ、最後は死ぬ中で自分の生きた証を残す為である。
それが義務といってよいからだ。
その立場によって、それぞれが違って当然である。
私は今、そのスタートラインに立っている。
誕生日に毎年この番組を見るのが私にとってベストになった。
・・・・・・
5784,閑話小題 〜今度は71歳ですか
2017年01月15日(日)
  * 今度は71回目ですか
 昨日は誕生日の前日だったが、地元ステーキチェーン店で、細やかな誕生日
祝いをしてきた。 昼間の千円ランチでの誕生祝いの品は、皿にアイスとか、
ケーキがついた、飾りには小さな閃光花火がチリチリと光っていた。
隔年ぐらいは、その線香花火に癒されている。
 この年齢になると、祝いというより、あの世への一里塚の感が強くなる。
還暦か、その一年後の70歳代になったら、自分への贈物をと考えた挙句、
アンドロイドTVの買替えを思いついた。家内に察知されれば、即、潰される。
 とはいえ、年金生活者には重負担。家内の罵声覚悟の上だったが… それが
何とも、老いの身に堪える。で、何とか乗り越えた。一番喜ぶのは家内。
この5年半はタブレットPCに夢中だったが、今度は、これに気持ちが移行する。
で、結果として、思い通りに大正解。 これが思いのほか極上の機能。
白黒からカラーTVへのアップスケールした以上の画期的代物。一時、3Dテレビ
が話題になったが、この立体的に見える画面であれば、その必要性は薄れる。
例とえば、大相撲の力士が土俵下で映し出されるが、同時に観客席の観客の
姿かたちと表情が力士と同じ位に鮮明に見える。 相撲も面白いが、様々な
コーデネイトや、長年かけて出来上がった、様々な仕草を見ているだけで、
現場の臨場感がある。何か異次元世界に足を踏みこんだ感がする。17時〜20時
までは居間で晩酌をしながらTVを見ていたのが、今では1時間もしないうちに、
奥の院の寝室に行く。居間のTVでは頭が痛くなるため。 
 明日は、このアンドロイドTVをテーマにする。

・・・・・・
5419,閑話小題 ー今日で満70歳ですか
2016年01月15日(金
  * 世界的不況が更に深刻のようだ
☆ 庭の木々の積雪は15センチほどか。これでは冬物衣料は、大打撃だろう。 
世界的不景気もあり、原油が一時的にしろ30ドルを割った。一年ほど前は、
120ドルだったから、4分の1。これは世界的デフレと産油量の供給過剰が
背景にある。世界の広がりあるテロと地球温暖化による、作物の不作もあり、
株式からも目が離せない。現役の立場だったら、かなり厳しいはず。
☆ 去年の暮れに、大学時代の同級会で隣席の有名な夏はゴルフ場、
冬はスキー場で某リゾートホテルを経営している人に、
『万一の備えを、たとえば、夫婦して厚生年金に入っているとか、
奥さんの通帳を別立てにしているとかの万一の対策をしている?』
と聞くと、『妻は長い間入院して働いておらず、二人とも国民年金。備え
などしている余裕などない。それより目先のスキー場の積雪が心配だ! 
まだ、中国、オーストラリアなどの外国人の来客があるからよいが・・』
と、弱気な顔。それぞれ事情があり、無神経な質問をしたと反省。
地方経済は、いずこも厳しい経済環境。 
☆ 最近、太平洋側のゴルフ場が次々と閉鎖され、芝生の上には、太陽光
発電のパネルが立ち始めているとか。こんな話をきくと、バブルの時代を
知っているため、隔世の感が強い。ここで、阿部首相が、リーマンショック
規模の経済変動が無い限り、10%の消費税を実行すると述べたが、その
クラスの経済事変の可能性がないとはいえない事態である。 年初来、
株価が連日、下げて、昨日は何とか反発。 不況の影響は、まず年金生活
など弱者を直撃するから、たまったものじゃない。
  * 今日で満70歳 
 今日から70歳の大だいに入る。50,60歳の大だいという点で、
一番、心理的にショック。この数年、いやに気持ちが老け込んできた。
そう遠くない、ある日、末期ガンと宣告され、七転八倒のうえ死んでいく。
そして、3日もすれば、忘却の彼方に消えていく。元気なうち、一日一日を
噛み締めていくしかない。いや、かみ締めてきたから今さらか。
 70代は、還暦時の感慨より、年齢の重みを実感する。
60歳代の10年間で、気持ちも、身体も、日々衰えが身に沁みていたが、
これから10年、いや5年は、更に衰えを実感する日々になるのか。
 とはいえ、老いへの不安とか、死に対する恐れは、何故か少ない。
<楽しむだけ楽しみ、やりたい事をやった> 実感があるためだ。
 なるほど、日々の気持ちを書残し、改めて読返すと、昨日、確信した
<「永遠の命」が実相で、「わたし」と思っている、「これ」は妄想で
 しかない>と思い知らされる。過去も、いま、ここの、わたしも夢幻!
これを、その時点時点で、見ているのが、「永遠の命」の片割れの実相。
まあ、我ながら、本当に真面目、いや馬鹿真面目なことだ。
喩えでいうと、「精神的な腰痛もちが、日々を生きていくための杖代わり
に、書き続けている」が、よくも15年も毎日、飽きもせず。

・・・・・・
5054,閑話小題 ー古希ですか! ー2
2015年01月15日(木)
   * 古稀ですか ー2
 過去分の、1月15日分を読み返すと、それぞれの年ごとに、現在と同じ
気持ちになって感想を書いている。どの年齢の感慨も、少し文章を変換するば、
同じような内容になる。自分が老人など、どうしても信じ難いが現実は現実。
 年末年始の三週間以内に、クリスマス、晦日も、元旦、誕生日と、収まる。
当日ごとに、同じような共同幻想を何とも不思議がらず、受け止め、こんな
文章を書いている。果たして、古希まで生きたのが目出度いのか? いや逆?
どうだろう。同期の大よそ4分の1が亡くなった。あと10年で、更に4分の1が
亡くなる。私の想定余命を、あと6年、と数年前にした。 私の父親が71歳で、
母親は88歳で亡くなった。その平均が79歳。このところ幸福論などの本が
面白くて、ここで書評を書いている。人生の先が、決定的、絶対的挫折?
の『私の死』がやってくる。そこで、ささやかな、幸せがほしくなる。
 目先、『一対三の法則』(ネガティブ・1対ポジティブ・3)で、
己をコントロールするしかない。何か、今日を区切りとして、
「一年一区切り」と想定して、生きることが出来そうだが・・
 この程度としても、恵まれていたし、面白かった!
現在も続けている、この早朝の学習習慣のお陰である。
それにしても、過去の、自分の誕生日の感慨がメルクマールとして、
面白いが、ひと様からみたら、これほどツマラナイものは無い? 
・・・・・・
4689, 閑話小題 ー68歳に、つれづれに〜
2014年01月15日(水)
   * 68歳に、つれづれに〜
 今日は68歳の誕生日、毎年同じような感慨を書いている。早生れなので、
同期生は古希になる。スポーツジムに通っているためか何とか肉体は元気だが、
それでも日々、老いていくのが自覚できる。ただ知的好奇心と、頭の方は
マスマス冴え渡っている。情報機器の進化もあって、何もかもが新鮮に思える。
日々、固定観念が壊れていくこともある。それにしても、もっと早く、隠居
になっておくべきと後悔が残る。としても、まだまだ分厚いバイアスに囲まれて
いる自分が、ここにいる。地方の良さは、のんびり出来ることだが、反面、
情報が薄れていること。これも人生だが・・ 以前なら、飲みに出るが、
もう面倒の方が先に立つ。過去分の誕生日の感想を読み返すと、面白い。
他人にとって些細なことでも本人にとって一年で一番、感慨深いことが、
この日を振返ると見てとれる。その時どきの誕生日の感慨を真剣に考えている
自分の心(文)を振返ると、真剣に向き合っている、この人は何だろう? 
誰だろう? と不思議な感覚になる。来年の、この日には読み返す自分が
いないかもしれない。しかし誰かが読んでいるかもしれない。その人が、
自分の一部を蘇らせてくれるかもしれない。もし、2020年まで生きていて、
「75歳に、つれづれに〜」を書いていたら、どんな文章になるのだろう?
そのイメージで書くと・・
〈まさか、この年まで生きていようとは思ってなかった。
今年の東京オリンピックを見ることが出来ようとは、感謝である。
そして、あの日から10年になる。良きに悪きに、この7〜8年で激変した
・・ それにしても、ここまで生きてきたもの!万歳である。〉 
こんなふうか・・ なるほど、「今日は、残されて人生の最初の日」
であるのが分る。「余命半年!」と宣言され、覚悟が固まれば、
この言葉の通り一日一日を過ごすことになる。何か年寄りくさい話
になったが、とにもかくにも自分が滑稽で面白かった!
・・・・・・
4322, 閑話小題 ―住宅ローン破綻と、立ち退き
2013年01月15日(火)
 * ネットカフェ難民から、マック難民
 * 住宅ローンの破綻と立ち退き
 * 命を投げ打ち憲法改正をやる覚悟があるのか? (略)
    * 67歳か〜
 65歳過ぎてから特に、誕生日が冥土の一里塚という感が強まっている。
最近になって「長く生きてきた」と思うようになった。先が見えてきたため。
父の死の歳まであと4年少し。これだけ大きな時代の裂け目にいることに、
自分でも驚いている。 それと、タブレットPCと、スマートフォンの存在。
これだけの機能が手の平に収まってしまったのだから。この金融恐慌と、
欧米と日本の経済惨状。世の中変わった!
・・・・・
3947, つれづれに ー66歳か
2012年01月15日(日)
  * 66歳の誕生日に
 還暦を過ぎてから年々、老いを感じるようになっている。 特に昨年春先の
大きな区切りから緊張から解き放され、成る程、リタイアとは、こういうものか
と思い知った。しかし人間とは不思議なもので、直ぐに次の生活に慣れてしまう。 
それと、これまでより腰を据えて本を読めるようになった。 また日常の平凡
を味わえる余裕が出てきたようだ。 私の場合、40年近い事業人生、丁度、
去年が引き時だった。 挫折感とか後悔は、自分で驚くほど少ない。
 振り返ると、事業を始めた頃は日本が高度成長の真っ只中で右上がりの
風の中で最も恵まれた環境であった。そして20年前にバブルの崩壊。
10年前の9・11、3年前のリーマンショック、去年の3・11震災の三連打
で終了。丁度よい区切りでもある。そして今年からはリーマン・ショック
地震とすると、大津波世界恐慌)の襲来である。本来、去年の後半のはず
だったが、何とか今年に延命させたが、所詮は時間稼ぎ。 そのキッカケは
欧州発になりそうな雲行きである。そうこう考えると、去年が店しまいの時期。
66歳というと、精神的にも肉体的にも70歳に一歩近づた感がする。
仏間に祖父の写真があるが、私より10歳近く若い時写真だが、80歳以上に
思えるほど年老いている。「この人より私が10歳も上か」と見るたびに感じるが、
若い人から見たら、66歳は66歳である。 最近、TVなどで15,20歳ぐらい
の人を見ると、私の年齢まで40〜50年もあり、私が死後も生き続けるのかと、
考えるようになった。その年齢のとき、両親も同じような気持ちで私のことを
見ていたのだろう。「私にとって、年寄りは15歳、年上の人である」という。 
とすると50歳以下の人から見たら立派な年寄り。「まさか、自分が年寄りに
なってしまうとは、思いもよらなった」と家内の言葉。一年一年、来年は存在
しないと仮定して、年内に出来ること、やりたいことは、可能な限りやって
しまう気構えで淡々と実行していくしかない。実際に去年は、そうしてきたが・・
もともと独立独歩の人生、これからは、それが生きてくる。それぞれに年齢の
経験は、初めてになる。 それを味わうことだ。例年、それぞれの実感が書き
連ねているが書き残すのも悪くはない。今年は会社のケーキのプレゼントはない!
  ・・・・・・・
3582, 65歳か〜!
2011年01月15日(土)
 今日で、目出度く?65歳である。法的にも立派な前期高齢者である。
二年前に厚生年金の支給を受けているし、今更だが、今日から60歳後半に入る
ことになる。死んでも「お早いのに、残念ですね!」とは、言われなくなる。
60歳までは、10年スパンを大きな目安にしていたが、還暦を過ぎてからは5年
を目途に切かえた。で、この5年は何をテーマにしてきたかというと、50歳代
に目指した「10年間で、人生の余白分を全て埋める」のフォローをすること
にしてきた。それと、一年一年を確実に埋めること、哲学を深めることである。
リーマンショックの不意打ちで、5年間の後半の2年半は混乱をしたが、それでも
深まる波の中で、数百年、数十万年の人類にとっての断層の現象化を日々、
見届けている幸運を経験もしている。 45歳から誰もが訪れる肉体的老化が、
還暦を過ぎる頃から角度が一段下がってきている。また同年代の知人が、定年で
一線から身を引き始め、大病になったり、生老病死の問題に直面しつつある。
とはいえ、死ぬまでは生きていかなければならないのが人生である。
父は38年前に71歳で亡くなった。それからすると、やはり「とりあえず5年」
として、一年一年を生きていくしかない。これは前半5年と同じである。
 私の伯母が、90歳過ぎに「歳をとることは無念なこと」と、話していた
というが・・ まさか、自分が65歳になるとは、自分でも驚き。 
それぞれの峠を通るのは、その都度、初めての経験。面白いといえば面白い。
特に、この断層の時代である。「魂に更に何を満たしたらよいか?」
この問いが答えの手がかり? 「で、何だろう?」      
それにしても、毎年、ほぼ似たようなことを書いている自分が滑稽である。