つれづれに

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 昨日より、相撲が始まったが、幕下から、打ち出しまでの全取組
をみてしまった。過って初めてである。 特に初日が新鮮で面白い!
 
 明日が誕生日で、73歳。古希を超えた頃から、一年一年の経過が
重くなるのが実感できる。







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4321, 病気の9割は薬なしで治る  ー2 
2013年01月14日(月)
            「病気の9割は薬なしで治る」 高田明和 (著)
    * 医者のマジック
  この本の題名からして、「医者の出す薬は9割が必要ない気休めのため」ということになる。
 医者も商売の一つであることを患者も自覚すべきである。この情報化により、医者の特権意識も
 薄れてきたが、まだまだ、好き放題のところがある。  ー目に付いた箇所を抜粋してみるー
・医師が「手術の成功確率が5分5分」という場合、(万一の場合を考えてるため)8割方が大丈夫とみてよい。
・生存率も同じこと、1~2年と思っても三年というケースが多いのは、短めに告げた方が無難のため。
・最近、よく言われる「予備軍」に対して、言われたほうは過剰に反応しすぎになる。 過剰反応する患者に
 薬を投与して半患者にするケースがある。 過剰反応に注意すること。薬は売り上げに大きく貢献する。
・「病気は気」から「病気は情報」へと化している。少し前までは、少しのノボセや目まいの症状は、歳を
 とれば当たり前と思って病院には行かなかったが、TVなどで更年期障害?と心配して病院に行くようになる。
 そして薬を貰って安心。また少し腰が痛くなると病院に行き、診断する。腰は人類の数十万年の永遠の課題。
 まして歳をとれば大方の人が経験する。 タミフルという風邪薬の服用で子供たちの異常行動が問題視されたが、
 インフルエンザでの異常行動は以前からあった。しかし、それをマスコミは報じない。つまりタミフルは冤罪だ。
・著者はうつ病を「脳の下痢」という。たまたま何かの原因で、脳の伝達物質の働きが悪くなっているだけ。
 ところが、脳を臓器としての脳としてでなく、頭脳としての脳と結びつけて考える人が多いため大きな
 誤解を生んでいる。
・「薬と毒はコインの裏表」 すべての薬には効果の裏側には副作用がついて回る。特に、うつ病や、ガン
 治療に使う薬は毒性の強いものが多い。目先を乗り越えるのが現在の医療。薬は短期的に効果はあるが
 長期的には毒薬の場合が多い。
・ 生活習慣病は基本的には運動と食事療法が一番効果がある。決して薬だけでは治らない。
▼ ジェネリック薬品が話題になっているが、これは製薬会社が開発した医薬品の特許が切れた後に、
 別のメーカーが同じ有効成分でつくる後発医薬品。最初に開発された薬は新薬や先発薬とよばれるが、
 この先発薬と同等の有効成分 。「ジェネリック薬品にして下さい」と事前に言うと言わないとでは
 大きな差。ドラッグストアで薬を買うのも同じ。

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3946, 終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか ー3
2012年01月14日(土)  終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか」水野和夫著 
  * 陸と海のたたかい  「 
 「 ヴァスコ・ダ・ガマコロンブスによって海洋に進出し、近代化を始まった。これは、要するに、
「欧州における北アメリカの開発に伴う超長期のブーム」の出発と捉えることができるとウォルター・ウェップ
が述べたが、19~20世紀初頭になって、近代化は米英によるアジアの開拓史へと受け継がれ、「地理的・
物的空間」を広げていった。さらに、1970年代半ばから、米国は「電子・金融空間」を高レバレッジ
無限に膨張させようと試みた。そのブームが終わったのはベトナム戦争とドル危機が、その象徴であった。
膨張を前提にする「近代史」は本来、そこで終わっていた。その後、「大きな物語」を「電子・金融空間」
をつくることで近代は延命したが、リーマン・ショックでどうやら先進国におけるバブルの宴は終わったようだ。 
「海の時代」の構造を前提としているポンド・ドルの基軸通貨体制が成り立っているのだから、膨張が
止まれば、その危機が起きて当然である。・・・その中で、第一次石油ショックと、第二次石油ショック
乗り越えた日本も、バブル崩壊の後、原油の暴騰から日本の「実物投資空間」が輝きを失う一方で、
「電子・金融空間」を築いた米国は一見輝いてみえ、「金融帝国」化してゆき、日本も、それを見習えと
主流をなした。しかし、本当に深刻なのは、日本がいま一度、近代化の輝きを取り戻しさえすれば何とか
なると思っていることにある。その象徴が「成長戦略」であり、デフレが景気回復の妨げになっている
という考え方である。
9・11のテロは、陸と海のたたかいの構図そのものである。資源を紙切れ=ドルで持っていかれて、
 民のほとんどは貧しいまま。その反撃があのテロと想定すると合点がいく。海と空を制圧したアメリカが、
その上に「電子・金融空間」を更に付け加え世界を制圧し続けていた。その新たな空間の象徴が、あの二つ
のビルであった。そこに飛行機をミサイルとして攻撃したのだから、アラブの連中からしたら「してやったり」
である。それを口実に、原油や鉱物資源の宝庫の、アフガン、イラクに的を絞って攻撃をしたのだから、
著者の、この戦いの縮図とみることができる。

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3581, 閑話小題
2011年01月14日(金)
  * 人は知っている範囲しか、理解しようとしない!
 最近、つくづく思うことは、「人は知っている範囲でしか、ものごとが理解しようとしない」ということ。
そんなことさえ知らなかったのである。恐らく、9割、いや9分9厘の人が、そのことに気づいていないのでは?
10年間これを書き続けかつ哲学書を読み続けたため、論理的にモノゴトを捉える力が以前に比べ少しついた。
毎日、過去10年分の同月同日のこの文章を読み返していると、いやでも自分の能力の範囲がみえてくる。
そこで、その範囲でしか理解してない自分を振り返ることになる。人間は可能な限り経験し、知識を深めて
おかないと、歳を重ね己の人生を鳥瞰した時に、その浅瀬の中で苦悶することになる。 どんなに深耕した
と思っていても、振り返ると、その浅さに唖然とする。特にネット社会では、キーワードを検索に打ち込めば、
それに見合った情報、知識が無限に入手可能になる。今年からタブレット式パソコンが普及、進化を始めると
更に、何処からでも、情報が入手、かつ見ることが出来る。知っていることが財産でなくなり、即座に、知識
を入手出来て、自分の頭で消化する能力が必要とされる。しかし、それも知識の蓄積があればこそ、無ければ、
情報のまま消え去ってしまう。
  * 辺野古の移設先は「原子力空母」
 産経新聞のコラムで加地伸行が、辺野古の移設先を「原子力空母」にという案を真面目にか、ふざけてか、
提案をしていた。毎年、一隻ずつ、三隻つくり、沖縄の沖に浮べておく。世界有数の造船技術があるのだから、
可能なはず。 一隻一兆円で、三年間で三隻で三兆円。沖縄南に一隻、日本海に一隻、尖閣列島に一隻。 
これなら沖縄の外で、県民からも文句は出まい。考えてみれば日本は広大な海洋国家。こと何かがあれば、
三隻が船団を組んで対処できる。今迄の中で一番、良い案に思えるが。韓国が別に二隻をつくり、同盟でも
結べば、中国に対しても大きな抑止力になる。その前に中国の圧力と国内の反対で潰されるか!

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3206, 閑話小題
2010年01月14日(木)
  * ツイッター、その後
 昨年暮れにツイッターを一月続けてみようと思い立ち現在に至っている。 ブログを維持するのが大変
だが、ツイッターなら誰でも直ぐに出来る。ツイッターはチャットとブログを足して二で割ったような
ミニブログで、ブログを維持するほどのエネルギーを要さない。ブログの文章はテーマを考え文章を書くが、
ツイッターはテーマは必要なく自然のツブヤキを書く。キーワードはネット上で選んでくれる。 
 私のブログのテーマは、殆ど「つれづれに」である。したがって内容は【つぶやき】に近いもので、
その時に自然に発生してきた思いを書いている。ツイッターに写真を貼り付けは可能だが、分類の仕分けは
出来ない。 世界のツブヤキが地域を越えて行き交うとは面白い時代である。ブログから『ツイッター
へ多くの人が移行しているというが分かる。撮った映像をツイッターに載せるサービスもある。どこからも
発信できるので、現場の臨場感ある映像が瞬時に発信される。自分のブログを常に文章に貼り付ける人が多い。
連動するので親子ブログのようになる。。
  * 日本航空の破綻
 (字数の関係でカット2012年1月14日)

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2841, 雲頓庵 -2
 2009年01月14日(水)
 とにかく、この寺は何ともいえない磁力があり、新鮮だった。
勝沼という若い僧侶がいたが20年前に行ったところ新井石龍の養子?に収まり、副住職になっていた。
この坊主が面白い人物だった。次回に彼について書いてみる。まずは石龍禅師から・・・
 ーS63・07 新井石龍禅師に学んだ事 ー
夜十時頃、一人で本堂より三百m先に入った禅堂で坐禅のマネ事をしていた時の事。我慢で時おり襲ってくる
恐怖感に耐え、そろそろ本日の終了と思った矢先。誰もいるはずのない堂内に何かの気配!雲水に因縁めいた
話を聞いた事も手伝い恐怖のどん底に落とされました。私の人生で二回の超恐怖体験の一つです。大声を出し、
逃げ出したいのをこらえ震える足で本堂にたどりつきた。雲水と“医者の卵”と“弁護士の卵”と四人で、
懐中電灯と棒を各々持ち、恐々禅堂にその正体をたしかめに行ったところ、猫位の大きさの獣物だったのです。
逃げられないように禅堂の戸閉まりをして翌朝に持ちこみました。再び四人で棒を持ってその獣物の正体を
たしかめに行ったところ、何と“モモンガ”だった。そこで“生け取り”と追いかけ回したのですが、途中から
反対に歯をむき追いかけられる仕末。野生の獣と直接対峙したのは初めてでしたが、その殺気には驚いた。
その時騒ぎを聞きつけた老師が我々の一人の棒をとりあげるや、一撃でモモンガをたたき殺してしまった。
その気合のすごさに本当に驚いてしまいました。二十才そこそこの大の男が四人逃げまわっているのに、九十
近くの禅師が何のためらいもなくただの一撃!私自身その時、合気道を三年近くやり、少し逆せていた時
だけに、その迫力にショック。結局武道も禅よりみると枝葉でしかない?等々。禅師の一面をみた事件でした。
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 当時の日記が残っている、書き残すということは生きた痕跡を残すことである。
写真もしかりだが、日常の何気ないことほど細かく残すと数十年後に、それが網のようになり、
多くの記憶が戻ってくる。過ぎてしまえば4年も40年も同じである。
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-1968年8月31日日記帳より
今日、雲頓庵(禅寺)に来る。卒論の勉強の為だが、予想どうりのところだ。 早速座禅をくんでみる。
足が痛くなり無我の境地にさほど遠い。現在の自分が求めていたもののヒントを与えそうだ。
ここに慶応大学を卒業して弁護士の試験勉強をしている高橋さんと、立教女学院の短大生が10人位いる。
面白い人ばかりで明日帰ると言う。帳面を忘れてきた。これから当初の目標の計画立てだ。
  ー9月1日
朝5時に目が覚める。鐘の音が聞こえてくる。6時半に起き早速掃除をする。
朝食前に高橋さんと裏山に登ってみる。昼、彼女らが帰る。昼飯時にこの寺の後見人という人と話す。
午後は離れの一室で「流通革命」を100ページと「流通機構の話し」を60ページ繰り読む。
勉強の集中力が足りないのがいらだつ。明日より気を入れなおさなくては。夜は10時にうとうとしてしまった。
 後記ー独りで夜30分禅堂で座禅をくんでみる。ロマンチックな感がする。誰も見ていないので自分との闘いだ。
  ー9月2日 六日町 雲頓庵
朝6時に目が覚める。6時半に顔をあらい掃除をする。食事の後、「流通革命」を後半100頁を読み終える。
そして昼飯。小千谷の根本医院の長男がやってくる。二浪とか「つらいだろう!」13時から17時半まで
「流通機構の話し」を読む。中央公論の流通の切り取りも読む。何か集中が足りない。21時半に禅堂にいって
座禅をくむが、何かごそごそという音がする。こわごわ見ると猫みたいなのがいる。一瞬凍りつく!よく見ると
小さなイタチみたいだ。皆を呼びにいく。全員でそれを追いかけまわす。逆に歯をむいてくる。とりあえず
戸締りをして、次の日にする。
  ー1968年9月3日
目が覚めるが時計が止まっていて何時かわからない。本堂に行くと6時10分、顔をあらっていると、住職が
昨日の動物を退治しようと長い棒を持ってやってくる。そして気合もろともその動物をたたき殺す!凄い気合。
よく見るとイタチでなくモモンガであった。顔を見ると可愛い顔をしている。少し気の毒に思った。昼飯後、
住職とわれら3人組で裏山に茗荷を取りに行く。それが結構面白い!かごで3杯とる。午後の勉強は3時になる。
急に将来のことを考えると、不安が押し寄せる。相変わらず、読書のペースが遅い。
  ーー
 40年の時空を超えてというのも、自分のことだから実感できる。書いてあるからである。

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2008年01月14日(月)
2476, 閑話小題                ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]
 *大相撲初日の感想!
大相撲の年三回開かれる両国場所の初日が、それも初場所の初日が特に面白い。
それが昨日であった。朝青龍の復帰の場所と、時津風部屋のリンチ殺人事件が、大きく取り扱われている
タイミングもあり異様な感じが漂っていた。幕下の取り組みから、若手有望力士を見分けてやろうと見たが、
有望なのは旧ロシア圏とモンゴルの若手だけ。元アマチュア世界チャンピオンなど、
一~二年後に三役間違いない力士が4~5人、横綱間違いないというのが、二人もいた。そのうち、
半分は怪我で潰れるが・・幕下、十両に有望な力士の厚みが、全体のレベルにつながってくる。
 (字数の関係で、中間カット09年01月14日)

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2007年01月14日(日)
2112, 塩野七生が「日本の政治と政治家」を語る -2      才八∋ウ_〆(∀`●)
 ローマ帝国の歴史を熟知している欧米の政治家からみて、日本の政治家の演出があまりにも乏しく
 みえるのは解る。国家連合を1400年も維持してきた政治センスは一朝一夕で出切るものではないが。
 しかし、真似ることも、学ぶ事もできるはずである。また国家のために一身を投げ打つ覚悟が
 出来ているかどうかもある。
*民主主義の仕組みの中で、理想的な政治家は生まれるのでしょうか? 
  果して民主主義は絶対的な善なのだろうか?
塩野:私は日本人に少し違和感を感じるのは「民主主義を信じすぎ」ということです。
   民主主義は万全でない、デマゴーグに左右されるのです。
*政治家の粒が小さくなったと言われますが、どうですか?
塩野:それは政治家を使い捨ての存在だと思ってないからです。使い捨てだと思えば、その人の一番
   いいところがどこだと考えて使います。権力は「必要悪」でなくて、何かをやるために「必要」
   なのです。この頃の政治家は面白くないという議論は、20歳そこそこの若い女性が
「この頃の男は面白くない」というのに似ています。
*政治家は善人には出来ませんね
  (字数制限のためカット 2010年01月14日)
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2006年01月14日(土)
1747,新潟駅・駅再開発が決定!      オッハヨ~
        (((。・-・)从(・-・。)・゜・。・゜゜・*:       
 昨日、市役所に駅再開発の経過を聞きに行ったところ「最終決定された!そして近々に公示。
(字数の関係でカット2012年1月14日)
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2005年01月14日(金)
1382, 23歳の日記ー8  ー9月01日 1969年
 (字数の関係でカット2009年1月14日)
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2004年01月14日(水)
1015, 一人と独り
度々この言葉の書き方を迷うことが多い。私の場合は、状況から「疎外感を持っている状態」を
「独り」と書き、数名の一人の場合を「一人」と書いていた。独りは、独身や孤独などの置かれた状況を
いい、一人は、一が人についている状態で孤立とは違う。したがって独りという言葉とは少し意味が違って
くる。数字で言うと一人は「一」で、独りは「ゼロ」ということか。
 辞書で調べると
・ 独り ー単独、孤独「独りになりたい」
・一人 ー人数「息子が一人います」となっている。
状況と数の違いということだ。凍りつくような独身生活と青春を謳歌している独身生活とは同じ独りでも、
また意味が違ってくる。老人の自殺は、凍りつくような独り生活に耐えられなくなるケースが多い。生涯を
通じて、自分独りの楽しみを創ってきたかどうかだ。しかし連れ添いや子供を失った喪失感は、それでも
カバーできない場合がある。この随想日記も早朝、独り居間で書いている。全く寂しいとか、辛くて書いて
はいない。どちらかというと面白い。「独り」は「真我」といってよい。
自分の中心点の奥の「正一点中心無」といも言えるだろう。
ー以下はインターネットで調べた内容をコピーしました。ー
 ー「独りって…」ある人が言ってたよ。 一人と独りは違うとね。私はその言葉にうなずくよ。
  私は独りだけど独りじゃない。私には、友達も仲間もお母さんもいる。でも、私は独りです。
  どんなに幸せな時間が流れても さっきまで、仲間と笑ってる時間があっても独りの寂しさは
  やってきます。 人間、しょせん独りなんです。
 -ひとりでいるのは寂しくない?-
   (字数の関係でカット2011年1月14日)
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2003年01月14日(火)
 646, 教育を考えてみた
昨日は成人式だった。少し硬い教育を考えてみよう。
過疎の学校の生徒の成績は普通の学校の生徒よりかなり落ちるという。
(字数の関係でカット2013年1月14日)
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2002年01月14日(月)
 300、「心と合理化」
「合理的とは最小の資源で最大の効果を求めることである。しかし心構えとして必要なことは、
最大の努力で最小の効果である」
(字数の関係でカット2013年1月14日)
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1月14日 1969年
11時過ぎに起床。 食後、卒論の最後の仕上げだ。 16時に酒井君がくる。
佐藤の友人で早稲田の男で何か気が合う。酒を買ってきて、佐藤と三人で飲む。
(字数の関係でカット2013年1月14日)