つれづれに

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今日のYoutube

 さて72歳の誕生日だが、家内と細やかな
シャブシャブ・ランチ」のお祝いをしてもらうことに。
 



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3207, 64歳か~!
2010年01月15日(金)
 昨日、これまでの誕生日の感慨を読み返してみた。
現在の気持ち以上の感慨が、これまで全て書いてあり不思議な奇妙な気持ち。
毎年の時節に、何時も同じように考えているだけでしかないのか。
それはそれで良いが。何か差異があるとしたら、一年の少しばかりの経験の
蓄積と環境の変化だけ。家内もケーキの一つも買ってくるわけでない。
この日は新年早々ということもあり、外で酒を飲むことが多い。学生時代の卒業
直前の誕生日の日記が下記にコピーしてあるが、社会に出る間際の緊張感が伝わる。
20歳の誕生日は、試験の前日で無我夢中で勉強していたが、寮の友人に寿司を
御馳走して貰った記憶がある。還暦の誕生日の日記を読むと、少し思い入りの
入った文章になっていた。その日は、誰かと古町のウェスタンで赤いハットと
ベストを着せられて、ウェスタン調のハッピーバスディーを歌ってもらった。
これも、また御愛嬌というところだった。やはり、大台を超えるのは感慨が
あるのは当然のこと。 昨日、中学の同級生から電話があり、来年度には
65歳の区切りになるので、小中校合同の同期会の幹事会を開くので10人位が
集合し飲もうという誘いがあった。そう来年度に入ると同級は前期老齢者になる。
ここまで辿り着くと、生きているだけ有難い!と思うようになる。
加齢につれて身体も心も重くなるのは想像外だったが、それも生きていればこそ。 
還暦も過ぎ、年金も貰い、叔父叔母と、その連れ添いも全て亡くなった。
そして想像を絶する恐慌の大波。そして、情報化がもたらす社会の変化。
現実は厳しいが、面白いのも事実。 今年の誕生日の感想は、こんなものか! 
 やはり、「 なにしょうぞ 燻んで 一期は夢 ただ狂え 」 ということか! 
充分、狂ってきたが?!
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2842, つれづれなるままに -63歳か~ 
2009年01月15日(木)
 * 63歳の誕生日か~
 今日で63歳の誕生日になったが、まだ60歳を過ぎた実感すら全くない。
「歳月、人を待たず」といいうが、両親、義父、義母、そして両親の兄弟、
姉妹全てが、鬼籍に入ってしまった。そして兄姉、いとこ達の4割が亡く
なってしまった。この歳まで生きられたことと、思いのまま生きてきたので、
人生に悔いは無いが、この断絶の時代、可能な限り生きて変化の行く末を
見たいのも心情。 この誕生日からは厚生年金を満額貰える年齢でもある。
(以下、字数制限のためカット2011年1月15日)

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2006年01月15日(日)
1748, あ~あ60歳代!       
 今日で60歳になってしまった。 (*´ェ`*)w (⌒_⌒; タラタラ     
60歳を大きな到達点として、それ以降の全て前倒にしてきた?ので、
感慨がことさら深い! 成人式と同じく還暦は大きな区切りになる。
昨日は兄にカウントダウン?の還暦祝いをしてもらった。       
去年の中学校同期還暦の会で、定年間近の同級生が
「人生60歳代が一番良いらしいな!」という言葉に、『エッ!』驚いた。
サラリーマンの傍ら、自分のライフワークを持っていた人なら、
そうかもしれないが。
何度も書いてきたが、人生を振り返ってみての実感は、
1、とにかく恵まれていた。
  時代に、家庭(両親に家内に子供)に、先生に、そして事業に。
2、ついていた。
3、面白かった。
4、悔いはない!である。

人間は考え行動した総体と、自分が生まれた両親と家族、そして
自分の家庭、職業、趣味などの総体が自分を構成していると実感する。
人生の7~8割がた生きて最後の直線コースに一歩踏みこんだ日である。
 少しは大人しくしなければ!
それにしても、毎年の誕生日の日記を読むと面白い!
「自分でいて自分ではない独りの男がいる。」
それにしても、考えていることは同じことの繰り返しでしかない。           
             ★:゜o( ̄▽ ̄*)>*

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1383, 誕生日ーつれづれに
2005年01月15日(土)

今日は私の誕生日である。
59歳である。
この歳になってしまった自分が信じられない。
人生は短いという思いと、長く生きたものだという思いが、交差している。

気持ちは全く歳をとっていないのに自分でも驚いている。
早くいえば馬鹿ということだろう。
鏡を見れば歳相応の顔があるが、見慣れてしまったせいか、その歳の自分に
気がつかなくなっている。

1月15日は以前「成人の日」で祭日だったので、それも重ねて「自分の祭日」にしていた。
しかし、数年前から日にちが変更になってしまった。

以前は毎年1月15日にはNHK『青年の主張』を楽しみにしていた。
色いろな世界を垣間見れるのがよかったが、最近はみなくなっていた。
今年はまだ放映されていないが、どうしたのだろうか。
学生時代の日記にも『青年の主張』の感想が書いてあった。

あと一年で還暦になる。
以前は還暦というと大年寄りという感がしていたが、あと一年でなるのだ。

最近は、歳をとることがあまり気にならなくなっているのも事実である。
60歳以降の人生を、60歳前までに押し込んで生きてきたので、
気持ちの中の充実感は強い。

昨夜は、一日早い誕生祝いをスナックでしてきた。
以前は祭日だったので、一人でたまたま開いているスナックに
飛び込むのを、楽しみにしていた。
誕生日というと、祭日で暇なこともあり歓待をしてくれた。
それが狙いなのだが。
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書き終えてから、数年前の随想日記を見ると、
ほぼ同じ日記が書いてあった。
毎年同じ感想というのも馬鹿みたいといえば馬鹿みたいなものだ。
しかしメルクマールー道しるべーにはなっている。


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2004年01月15日(木)
1016, 58歳の誕生日

 あと二年で還暦である。
もうこの年になった!というのが実感である。

 60歳までに、60歳以降の余白を全て埋めてしまう生き方をしようと
50歳の時、決心をした。
「10年で30年分を生きる」が、それからのコンセプトになった。
そして8年が経つ。
実際のところ、そうしてきたかというと自信はないが、
そう思って生きてきたことは事実である。
「海外旅行を50回を60歳まで」にと目標としたのも、その一つである。

 この随想日記もその一つだ。
60歳を過ぎてからというのが一般だが、約三年前1千を目標にして、
昨年の暮れに達成した。言い残しておきたいことは殆ど書いてしまった感じだ。
あと二年で730日分書けば?もういいだろう。

 父が58歳の時、私は中学二年生、
 母は、大学一年だった。
その頃、50代後半は凄く年寄りに見えたものだ。
恐らく若い人から見たら、そう見えるのだろう。
年齢を重ねると、マイナスだけでなくプラスも同じくらいあることも知った。
若い時と違った充実をした日々を過ごせるのだ。
経営をしていると、そう心休まる日はない?が、といって毎日の内容が濃い。

 この年齢の風景を見てみると、
・10~15㌫の同級生が亡くなっている。
・私の両親の兄弟姉妹と連れ添いは9割以上亡くなっている。
 いとこは4割、兄姉は9人中4人亡くなった。
従兄弟で現役で働いている人は一割もいない。
兄姉で働いているのは、兄夫婦と私だけだ。
同級生では、男では定年か廃業の直前の人が殆どだ。
こんなものだろう。

 生老病死とは、よくいったものだ。
生き、老い、病んで、死んでいくのだ。
それを苦しみと捉えて解決法を説いたのが仏教だ。
といって死ぬまでは生きているのだ。
また楽しみは無限にある。
「日々是好日」の意味の深さが解ってくる年代に入った。

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 2003年01月15日(水)
647, ハッピーバースデー

ツアーで、ホテルのレストランで食事をしていると時おり人だかりができる。
宿泊客の誕生日に、レストランのコックやボーイが全員集まって、
ケーキに火をつけハピーバースデーの歌を歌っているのだ。
小さいレストランの場合は全員が合唱をする。
何とも心が和むひと時だ。
そして本人がケーキを持って、各席に持って回って配るのだ。

キリスト教徒の誕生日に対する思い入れは、日本人と比べるとずっと強い。
それはキリスト教の教えにある。
神から頂いた生命の記念する日に、その場に居合わせた人は神の意思である。
従って祝うほうも心からその人に祝福する。
またケーキもその祝福として、お互い分け合う。
与えるほうも貰うほうも目出度いのだ。
あの暖い雰囲気には、キリスト教の教えの背景がある。

数年前までは1月15日は休日であった。
その誕生日には一人で飲みに出ることにしていた。
それも入った事のない店に飛び込む事にしていた。
この日だけは家内は「一人休日に飲みに出ること」に文句を言わない。
休日のために殆どの店が休んでいるが、飛び込みで入って誕生日で特別に
飲みにきたと話すと歓待される!勿論それを狙っているのだが。
これを年中行事にしていた。
「その日が休日だから面白い」のであって、いまでは家に大人しく帰る?
勿論今日も会社から貰ったケーキを持って!

誕生日ほど自分と第三者の差が大きい。
子供の頃の家庭では「正月に一度に祝うのだから、誕生祝の必要はない」
と一切やらなかった。
勤めていたときや、以前の会社では朝礼で全員でハッピーバースデーの歌を
歌いケーキを贈り、寄せ書きをしていた。
今は会社でメールで祝いの文章をお互いに送ることにしている、
それとケーキを。

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 2002年01月15日(火)
 301、動物の不思議な世界-2

土手で散歩をしている時、ある家の玄関にいるゴールデンリトルバー
の一歳ぐらいの犬と目が合った。

思わず右手を上げて「ヨッ!」と挨拶をしたら、
なんとその犬が右前足を挙げて挨拶?をかいしてきたのだ。
「嘘だろう!」というのがその時の気持ちであった。

翌日全く同じ状態で挨拶をしたが挨拶を返さなかった。
そこで考えた、あれは「お手」の感覚で思わず手を出したのではないだろか?
生きていると思わず、いろいろのことを経験する。
でも傑作であった。

中学の時、その当時飼っていた柴犬に悪戯で日本酒に砂糖を入れてなめさした。
はあはあ口で息をはきだし尻尾を振りながら、よろよろと千鳥足で歩き出した。

急に変なことを思い出した。

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1月15日  1969年

 今日は学生時代最後の誕生日だ。
毎年この日にNHK「青年の主張」を必ず見ることにしている。
このよう見るのは最後だろう。

 内容と評価を、メモをしながらみた。
・北海道代表の武田(女)さんの主張 
 あまりハッキリした意志が感じられないー65点
・東北代表の清水さん
 働きながら夜間にいっている。自分をしっかり把握して真正面から
 自分を見つめられる人間になりたい -70点
・四国代表の中西さん(女)ー実習教官
 自分を温かく包んでくれる深い何かに感謝-80点
・東海代表の須田さん(女)
 女である自分の農業の立場 75点
・東京代表の守屋さん
 青春の喜びー無限と思われる未来の夢に対する生き方
  若さの代名詞は可能性  75点
・沖縄代表の宮城さん(女)
 沖縄県民の心情ー85点
・近畿 林さん 精薄施設の女指導員
 園児の美しい心の素晴らしさについてー75点
・関東代表の関谷さん
 自分1人で生きていく心構え 70点
・九州 河嶋(女)
 生活の為働かなくてはならない姉妹について
 老人対策など       90点
・中国代表の吉原さん
 非行少年の観察員の主張
 心が病んでいる少年達ー80点

 以上が私のつけた評価の点数である。
現実にドップリ使っているのだから、仕方がないがもっと
広い視野で自分を見下ろす目が必要ではないか。
可能性の追求をもっと見つめることが大事ではなかろうか。

 この目で自分を見つめ直すと、どうであろうか。
流通で生きると決めたのだ。そこで何を可能性として求めるべきだろうか。
そこで自分の基盤を深いものにしなくてはなるまい。
そこで自己建設をしていくことになる。
 
 ここで忘れてはならないのは、他人もそれをおこなっているということだ。
何故、そんなことをしなくてはならないか?
人間として生まれ、最後は死ぬ中で自分の生きた証を残す為である。
それが義務といってよいからだ。
その立場によって、それぞれが違って当然である。
私は今、そのスタートラインに立っている。
誕生日に毎年この番組を見るのが私にとってベストになった。