* 68歳に、つれづれに〜
 今日は68歳の誕生日、毎年同じような感慨を書いている。早生れなので、同期生は古希になる。
スポーツジムに通っているためか、何とか肉体は元気だが、それでも日々、老いていくのが自覚できる。
ただ知的好奇心と、頭の方はマスマス冴え渡っている。情報機器の進化もあってか、何もかもが新鮮に思える。
日々、固定観念が壊れていくこともある。それにしても、もっと早く、隠居になっておくべきと後悔が残る。
としても、まだまだ分厚いバイアスに囲まれている自分が、ここにいる。地方の良さは、のんびり出来ることだが、
反面、情報が薄れていること。これも人生だが・・ 以前なら、飲みに出るが、もう面倒の方が先に立つ。
過去分の誕生日の感想を読み返すと、面白い。他人にとって些細なことでも本人にとって一年で一番、感慨深いことが、
この日を振返ると見てとれる。その時どきの誕生日の感慨を真剣に考えている自分の心(文)を振返ると、
この人は何だろう? 誰だろう? と不思議な感覚になる。来年の、この日には読み返す自分がいないかもしれない。
しかし誰かが読んでいるかもしれない。その人が、自分の一部を蘇らせてくれるかもしれない。
もし、2020年まで生きていて、「75歳に、つれづれに〜」を書いていたら、どんな文章になるのだろう?
そのイメージで書くと・・〈 まさか、この年まで生きていようとは思ってなかった。まさか東京オリンピック
見ることが出来ようとは、感謝である。そして、あの日から10年になる。 良きに悪きに、この7〜8年で激変した・・ 
それにしても、ここまで生きてきたもの! 万歳である。〉 こんなふうか・・ 
 なるほど、「今日は、残されて人生の最初の日」であるのが、分る。「余命半年!」と宣言され、覚悟が固まれば、
この言葉の通り一日一日を過ごすことになる。何か年寄りくさい話になったが、とにもかくにも自分が滑稽で面白かった!
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4322, 閑話小題 ―住宅ローン破綻と、立ち退き
2013年01月15日(火)
   * ネットカフェ難民から、マック難民
 先日の朝日新聞の一面トップ記事で、マック難民の問題を取り上げていた。一晩千円も払えない人たちが100円のコーヒーで
閉店まで夜を過ごしている実態がある。決してセンセーショナルに書かれてはいない。 先日、図書館で「ネットカフェ難民」を
借りてきたが、5年前の出版された内容に既にマック難民の存在があった。 著者そのものが芸大大学院卒のネット難民。
≪ 六畳間からネットカフェの一畳の空間に居を移した。パソコンで日雇いバイトに登録し、日中は退屈で単純な労働に精を出し
夜は11時以降が入店条件の6時間深夜パックで体を縮めて眠り、延滞料金をとられないよう朝は早く起床。 時にファミレスや
吉野家でささやかな賛沢を楽しむ。やがて目に見えないところで次々に荒廃が始まった・・メディアが映し出さない"最底辺"の実録≫
で、これは5年前。最近はマック難民である。これは他人事ではない。 数ヶ月前まで普通に働いていた人がリストラでのパターン。
   * 住宅ローンの破綻と立ち退き
 去年の暮れ、この春の円滑法打ち切りで、中小・零細企業の他に「23万人の個人ローンの救済者の存在」について書いた。
昨日の夕方のレポートで、住宅ローンが払えなくなり自宅の立ち退きの生々しい実態を、幾つかレポートしていた。
「任意整理物件119番」と名をうった専門業者があって、差し押さえらる前に半値八掛けぐらいで取引するとか。だから、そこは、
そういう生々しい物件が集まってくる。1億7千万の自宅が数分の一以下で・・ リーマンショックで倒産、離婚、家族分散とか、
母娘がローンを払えず、アパートに移り生活保護とか、それぞれに事情がある。 私もリスク管理をしてなかったら、どうだったか。
   * 命を投げ打ち憲法改正をやる覚悟があるのか?
 自民党に政権が移り、阿部首相がアベノミクスとか何とか言い始めてから、株高と円安になっている。
それも過去に失政で追われた元首相二人が組んで、同じ焼き直しを再びやろうというのに、あまり異が聞こえてこない。
政権奪回が出来たのは民主党の自滅と、三極の分裂が原因。 憲法の改正と消費税増税を実施するため、参院で三分の二の
確保のため、アベノミクスも必要なのは理解できる。しかし、この財政赤字の惨状は世界中が周知しており、国債の売り浴びせの
危険が大きくなる。 首相任期が一年しか維持できない政治の枠組では、二人の最終目的は憲法改正に絞るしかない。財政破綻
したとしても、必要なことだろう。 問題は命を投げ打ち阿部首相はやる覚悟があるかどうか?である。
   * 67歳
 65歳過ぎてから特に、誕生日が冥土の一里塚という感が強まっている。
最近になって、「長く生きてきた」と思うようになった。先が見えてきたためだろう。父の死の歳まであと三年少し。 
これだけ大きな時代の裂け目にいることに、自分でも驚いている。 それと、タブレットPCと、スマートフォンの存在。
これだけの機能が手の平に収まってしまったのだから。 この金融恐慌と、欧米と日本の経済惨状。世の中変わった!
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3947, つれづれに ー66歳か
2012年01月15日(日)
  * 66歳の誕生日に
 還暦を過ぎてから年々、老いを感じるようになっている。 特に昨年春先の大きな区切りから緊張から解き放され、成る程、
リタイアとは、こういうものかと思い知った。 しかし人間とは不思議なもので、直ぐに次の生活に慣れてしまう。 それと、
これまでより腰を据えて本を読めるようになった。 また日常の平凡を味わえる余裕が出てきたようだ。 私の場合、
40年近い事業人生、丁度、去年が引き時だった。 挫折感とか後悔は、自分で驚くほど少ない。
 振り返ると、事業を始めた頃は日本が高度成長の真っ只中で右上がりの風の中で最も恵まれた環境であった。そして20年前に
バブルの崩壊。10年前の9・11、3年前のリーマンショック、去年の3・11震災の三連打で終了。丁度よい区切りでもある。
そして今年からはリーマン・ショックを大地震とすると、大津波世界恐慌)の襲来である。 本来、去年の後半のはずだったが、
何とか今年に延命させたが、所詮は時間稼ぎ。 そのキッカケは欧州発になりそうな雲行きである。 そうこう考えると、
去年が店しまいの時期だった。66歳というと、精神的にも肉体的にも70歳に一歩近づた感がする。仏間に祖父の写真があるが、
私より10歳近く若い時写真だが、80歳以上に思えるほど年老いている。「この人より私が10歳も上か」と見るたびに感じるが、
若い人から見たら、66歳は66歳である。 最近、TVなどで15,20歳ぐらいの人を見ると、私の年齢まで40〜50年もあり、
私が死んだ後も生き続けているのか、考えるようになった。その年齢のとき、両親も同じような気持ちで私のことを見ていたのだろう。
「私にとって、年寄りは15歳、年上の人である」という。 とすると50歳以下の人から見たら立派な年寄り。「まさか、自分が
年寄りになってしまうとは、思いもよらなった」と家内の言葉。  一年一年、来年は存在しないと仮定して、年内に出来ること、
やりたいことは、可能な限りやってしまう気構えで淡々と実行していくしかない。 実際に去年は、そうしてきたが・・・ 
もともと独立独歩の人生、これからは、それが生きてくる。 それぞれに年齢の経験は、初めてになる。 それを味わうことだ。
 例年、それぞれの実感が書き連ねているが、書き残すのも悪くはない。 今年は会社からのケーキのプレゼントはない!
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3582, 65歳か〜!
2011年01月15日(土)
 今日で、目出度く?65歳である。法的にも立派な前期高齢者である。二年前に厚生年金の支給を受けているし、
今更だが、今日から60歳後半に入ることになる。死んでも「お早いのに、残念ですね!」とは、言われなくなる。
60歳までは、10年スパンを大きな目安にしていたが、還暦を過ぎてからは5年を目途に切かえた。
で、この5年は何をテーマにしてきたかというと、50歳代に目指した「10年間で、人生の余白分を全て埋める」
のフォローをすることにしてきた。それと、一年一年を確実に埋めること、哲学を深めることである。
リーマンショックの不意打ちで、5年間の後半の2年半は混乱をしたが、それでも深まる波の中で、
数百年、数十万年の人類にとっての断層の現象化を日々、見届けている幸運を経験もしている。
 45歳から誰もが訪れる肉体的老化が、還暦を過ぎる頃から角度が一段下がってきている。
また同年代の知人が、定年で一線から身を引き始め、大病になったり、生老病死の問題に直面しつつある。
とはいえ、死ぬまでは生きていかなければならないのが人生である。父は38年前に71歳で亡くなった。
それからすると、やはり「とりあえず5年」として、一年一年を生きていくしかない。これは前半5年と同じである。
 私の伯母が、90歳過ぎに「歳をとることは無念なこと」と、話していたというが・・・
まさか、自分が65歳になるとは、自分でも驚き。 それぞれの年齢の峠を通るのは、その都度、初めての経験。
面白いといえば面白い。特に、この断層の時代である。「魂に更に何を満たしたらよいか?」この問いが答えの手がかり?
 「で、何だろう?」      それにしても、毎年、ほぼ似たようなことを書いている自分が滑稽である。
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3207, 64歳か〜!
2010年01月15日(金)
 昨日、これまでの誕生日の感慨を読み返してみた。現在の気持ち以上の感慨が、これまで全て書いてあり不思議な奇妙な気持ち。
毎年の時節に、何時も同じように考えているだけでしかないのである。それはそれで良いが。何か差異があるとしたら、
一年の少しばかりの経験の蓄積と環境の変化だけ。家内もケーキの一つも買ってくるわけでない。この日は新年早々ということもあり、
外で酒を飲むことが多い。 学生時代の卒業直前の誕生日の日記が下記にコピーしてあるが、社会に出る間際の緊張感が伝わってくる。
20歳の誕生日は、試験の前日で無我夢中で勉強していたが、寮の友人に寿司を御馳走して貰った記憶がある。
還暦の誕生日の日記を読むと、少し思い入りの入った文章になっていた。その日は、誰かと古町のウェスタンで赤いハットと
ベストを着せられて、ウェスタン調のハッピーバスディーを歌ってもらった。これも、また御愛嬌というところだった。 
やはり、大台を超えるのは感慨があるのは当然のこと。 昨日、中学の同級生から電話があり、来年度には65歳の区切りになるので、
小中校合同の同期会の幹事会を開くので、10人位が集合し飲もうという誘いがあった。そう来年度に入ると同級は前期老齢者になる。
ここまで辿り着くと、生きているだけ有難い!と思うようになる。加齢につれて身体も心も重くなるのは想像外だったが、それも生きて
いればこそである。 還暦も過ぎ、年金も貰い、叔父叔母と、その連れ添いも全て亡くなった。そして想像を絶する恐慌の大波。 
そして、情報化がもたらす社会の変化。現実は厳しいが、面白いのも事実。 今年の誕生日の感想は、こんなものか! 
 やはり、「 なにしょうぞ 燻んで 一期は夢 ただ狂え 」 ということか! 充分、狂ってきたが?!
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2842, つれづれなるままに -63歳か〜 
 2009年01月15日(木)
* 63歳の誕生日か〜
 今日(1月15日)で63歳の誕生日になった。 が、まだ60歳を過ぎた実感すら全くない。
「歳月、人を待たず」といいうが、両親、義父、義母、そして両親の兄弟、姉妹全てが、
鬼籍に入ってしまった。 そして兄姉、いとこ達の4割が亡くなってしまった。
この歳まで生きられたことと、思いのまま生きてきたので、人生に悔いは無いが、この断絶の時代、
可能な限り生きて変化の行く末を見たいのも心情。 この誕生日からは厚生年金を満額貰える年齢でもある。
(以下、字数制限のためカット2011年1月15日)
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2008年01月15日(火)
2477, 62歳の誕生日に     YΘ!!。  _゜ヽ(*´∀`)ノ
 今日で62歳になった。この随想日記に誕生日の感想を書いていたが、そのこと自体を全く忘れている。だから読み返すと面白い。 
5年続けて、自分の誕生日の実感を気持ちを込めて書いてあった。さらに、39年前の誕生日の日記も書いてあった。(後記してある) 
こころから誕生日に祝ってくれる人はいない?ので、せめて自分に対して、実感としての言葉を残すしかない? 
いまさら誕生日もないが・・所詮、それも言葉でしかない。 年越しに全員でするのだから、誕生日を敢えてすることはない!
というのが、日本の昔からの習慣だから、あまり誕生日に祝うことはなかった。現在も、それはあまり変わってないようである。
 私は、両親の42歳と38歳の時に誕生したこともあり、二人の晩年の峠を一緒に過ごした。その経験から、同じ峠にさしかかった現在、
擬似体験をしているような気持ちになる。熟年は過ごし方によっては、これほど面白い時期はないのである。 
親鸞ではないが、この峠の道が同行二人、いや同行三人という気持ちになる。私の場合は仏様と同行というより、心の中の両親である。
 熟年は過去を抱えながら、だんだん峠が高く険しく空気が希薄になっていく。何故?空気が希薄になるのかを自問自答しながら
自分の過去と向かい会う。そして己と同じ年齢の両親の当時の姿が生々しく目に浮かぶ。峠が高くなるにつれ視界は大きく
開け遠景が広ろがる。それもこれも、宇宙の彼方からみれば、この62年の経験は、砂?塵?原子?でしかないが。
その時々に、その時々の気持ちを書き残した痕跡は、自分の宝物になる。全く同じ言葉でも、その時のメルクマールになるのである。
要するに時間が縦として記録されているのである。それが如何した?というが、それが如何もしようがしまいが、良いのである。
人生は生きていくだけで大事業である。どんな大事業より価値がある。その当たり前のことが解らないから平気で道を誤ってしまう。
 今日は毎月の飲み会! 外で飲む理由がたつので、丁度良い?歳月、人を待たず! か〜。 
 ただ、一日一日は充実をしている。                 
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2007年01月15日(月)
 2113, あ〜もう、誕生日か〜  61歳ですか  お陰さまで ○‖=‖_有難うございます! (; ̄ー ̄A アセアセ・・・
例年、誕生日にほぼ、誕生日の実感を書いていた。それを忘れていて、前の同日分を貼り付けようとして思い出し急遽、
これを書き出した次第である。それにしても過去分の「誕生の実感」を読み返してみるのも楽しいものだ。
他人の誕生日は『ああそうか!』ぐらいしか思わないが、自分は感慨が深い?読み返すと、それがよく解る。
61歳?自分が自分でないような,認めたくないというより信じられないのが実感だ。
この歳には、もっと老成していると思いきや、とんでもない!気持ちがドンドン若くなっていくのだ。
それに加え、脳がアップスケールしていく。この随想日記を書き続けていることと、ネットサーフィンの効果もある。
それと、数年前から人や社会の見方が根底から変わってきた。情報の質・量が圧倒的に増えて、脳の基幹が
変わったこともあるが、人生の競馬でいう直線コーナーに入ったこともある。コペルニクス的な大転換である。
元々、世間・社会の価値を根こそぎ疑っていたが、それが更に転換した。人間の見方を例にとると、人間の品性を
まず見るようになった。「国家の品格」という本がベストセラーになったが、人間の品位が年齢を重ねると、
ますます見えるようになったきた。そこで自分は品位はあるのだろうか?不安になってきた。いつも家内に『品が無い!』
と言われ続けてきた。私の両親は間違いなく品位があったが、私がどうだろうか?と。家内の両親も品位は充分あった。
じゃあ、どちらがあったかというと、まあここで書くことでないか! 明日にでも、「品位について」を書くが、
ある物指しからみて、何と信じられないことに、家内より私の方が品位が上?であった。その基準によるが、
「目先の現象や価値観に左右されない」のが品位というらしい。それも明日書くとして・・・
結局、人生はゆったりと豊かな気持ちで、感謝して生きていれば、それで充分ということだろう!
「で、どうした!」「61だと!」「で、」「今日は、のみに行こうか!」 結局、このあたりに話が収まる。                     
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2006年01月15日(日)
1748, あ~あ60歳!          オハヨ〜━ヾ(*´∀`*)ノ━☆
 今日で60歳になってしまった。(*´ェ`*)w(⌒_⌒; タラタラ  ´ヘ`;)エヘへ・              
前にも書いたが、60歳を大きな到達点として、それ以降の全て前倒してきた?
ので、感慨がことさら深い! 成人式と同じく還暦は大きな区切りになる。
昨日は兄にカウントダウン?の還暦祝いをしてもらった。明日は友人の数人にしてもらう。      
去年の中学校同期還暦の会で、定年間近の同級生が「人生60歳代が一番良いらしいな!」という言葉に『エッ!』と、
驚いてしまった。サラリーマンの傍ら、自分のライフワークを持っていた人なら、そうかもしれないが。         
何度も書いてきたが、人生を振り返ってみての実感は、
1、とにかく恵まれていた。 時代に、家庭(両親に家内に子供)に、先生に、そして事業に。
2、ついていた。 3、面白かった。 4、悔いはない!である。
 人間は考え行動した総体と、自分が生まれた両親と家族、そして自分の家庭、職業、趣味などの総体が
自分を構成していると実感する。人生の7〜8割がた生きて最後の直線コースに一歩踏みこんだ日である。     
少しは大人しくしなければ! それにしても、毎年の誕生日の日記を読むと面白い!
「自分でいて自分ではない独りの男がいる。」それにしても、考えていることは同じことの繰り返しでしかない。★:゜( ̄▽ ̄*)>*
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2005年01月15日(土)
 1383, 誕生日ーつれづれに
今日は私の誕生日である。 59歳である。この歳になってしまった自分が信じられない。
人生は短いという思いと、長く生きたものだという思いが交差している。
気持ちは全く歳をとっていないのに自分でも驚いている。早くいえば馬鹿ということだろう。
鏡を見れば歳相応の顔があるが、見慣れてしまったせいか、その歳の自分に気がつかなくなっている。
1月15日は「成人の日」で祭日だったので、それも重ねて「自分の祭日」にしていた。
しかし、数年前から日にちが変更になってしまった。以前は毎年1月15日にはNHK『青年の主張』を楽しみにしていた。
色いろな世界を垣間見れるのがよかったが最近はみなくなっていた。今年はまだ放映されていないが、どうしたのだろうか。
学生時代の日記にも『青年の主張』の感想が書いてあった。 あと一年で還暦になる。 以前は還暦というと大年寄りという
感がしていたが、あと一年でなるのだ。 最近は、歳をとることがあまり気にならなくなっているのも事実である。
60歳以降の人生を、60歳前までに押し込んで生きてきたので、充実感は強い。
昨夜は、一日早い誕生祝いをスナックでしてきた。以前は祭日だったので、一人でたまたま開いているスナックに
 飛び込むのを、楽しみにしていた。誕生日というと、祭日で暇なこともあり歓待をしてくれた。それが狙いなのだが。
▼ 書き終えてから、数年前の随想日記を見ると、ほぼ同じ日記が書いてあった。
 毎年同じ感想というのも馬鹿みたいといえば馬鹿みたいなものだ。しかしメルクマールにはなっている。
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2004年01月15日(木)
 1016, 58歳の誕生日
 あと二年で還暦である。もうこの年になった!というのが実感である。 60歳までに、60歳以降の余白を全て埋めてしまう
 生き方をしようと50歳の時、決心をした。「10年で30年分を生きる」が、それからのコンセプトになった。
 そして8年が経つ。 実際のところ、そうしてきたかというと自信はないが、そう思って生きてきたことは事実である。
(字数制限のためカット 2013年15日)
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 2003年01月15日(水)
647, ハッピーバースデー
  おめでとう〜   *<( ・∀・)ノ□☆□ヽ(・∀・ )>*
ツアーで、ホテルのレストランで食事をしていると時おり人だかりができる。 宿泊客の誕生日に、レストランのコックやボーイが
全員集まってケーキに火をつけハピーバースデーを歌っている。小さいレストランの場合は全員が合唱をする。何とも心が和むひと時だ。
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 2002年01月15日(火)
 301、動物の不思議な世界−2
(字数制限のためカット 2012年15日)
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1月15日 ー1969年
 今日は学生時代最後の誕生日だ。毎年この日にNHK「青年の主張」を必ず見ることにしている。
 このよう見るのは最後だろう。内容と評価を、メモをしながらみた。
・北海道代表の武田(女)さんの主張  あまりハッキリした意志が感じられないー65点
  (字数制限のためカット 2012年15日)