つれづれに

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   今日のYoutube

 ついに、70歳代に入ってしまった。
自分が70歳など、まったく信じられない。
映画の帰りに、アピタで、少し高めな刺身でも買って、
祝いの予定。 外食に出るなど、面倒である。

 55歳辺りから、だんだん弱っていくのが自覚できて、
65歳からは、年々、体力が落ちていくのが、分かる。
 
 ツアーなどに参加すると、コースに就いていくだけで精一杯。
参加する度に、「ツアーは老いのバロメーター」という風になる。
 特に、半世紀以上の持病の腰痛が、重くなっていく。
何とか、ヨガで足腰を鍛えているが、それでも、直後は、
歩くに、腰が痛む。しかし、頭と、心だけは、何故か若いまま。

 毎日、雪が消えた分、平均15センチほどの積雪が保たれる
ほど降っている。 そろそろ1メートルほど積もってよいが・・・

 また金曜日、シネマの日。 さて、何を見ようか?
みる度に、気持ちが切り替わるので、ストレス対策にはベスト。


・・・・・・
2008年01月15日(火)
2477, 62歳の誕生日に     YΘ!!。  _゜ヽ(*´∀`)ノ
 今日で62歳になった。この随想日記に誕生日の感想を書いていたが、そのこと
自体を全く忘れている。だから読み返すと面白い。5年続けて、自分の誕生日の
実感を気持ちを込めて書いてあった。さらに、39年前の誕生日の日記も。
(後記してある) こころから誕生日に祝ってくれる人はいない?ので、せめて
自分に対して、実感としての言葉を残すしかない? いまさら誕生日もないが・・
所詮、それも言葉でしかない。 年越しに全員でするのだから、誕生日を敢えて
することはない!というのが、日本の昔からの習慣だから、あまり誕生日に祝う
ことはなかった。現在も、それはあまり変わってないようである。
 私は、両親の42歳と38歳の時に誕生したこともあり、二人の晩年の峠を一緒に
過ごした。その経験から、同じ峠にさしかかった現在、擬似体験をしているような
気持ちになる。熟年は過ごし方によっては、これほど面白い時期はないのである。 
親鸞ではないが、この峠の道が同行二人、いや同行三人という気持ちになる。
私の場合は仏様と同行というより、心の中の両親である。熟年は過去を抱え
ながら、だんだん峠が高く険しく空気が希薄になっていく。何故?空気が希薄
になるのかを自問自答しながら自分の過去と向かい会う。そして己と同じ年齢
の両親の当時の姿が生々しく目に浮かぶ。峠が高くなるにつれ視界は大きく
開け遠景が広ろがる。それもこれも、宇宙の彼方からみれば、この62年の経験は、
砂?塵?原子?でしかないが。その時々に、その時々の気持ちを書き残した
痕跡は、自分の宝物になる。全く同じ言葉でも、その時のメルクマールになる。
要するに時間が縦として記録されているのである。それが如何した?というが、
れが如何もしようがしまいが、良いのである。人生は生きていくだけで大事業。
どんな大事業より価値がある。その当たり前のことが解らないから平気で道を
誤ってしまう。今日は毎月の飲み会! 外で飲む理由がたつので、丁度良い?
歳月、人を待たず! か~。 ただ、一日一日は充実をしている。                 
ーーーーーーー
2007年01月15日(月)
2113, あ~もう、誕生日か~ 61歳ですか   
 例年、誕生日にほぼ、誕生日の実感を書いていた。それを忘れていて、
前の同日分を貼り付けようとして思い出し急遽、これを書き出した次第である。
それにしても過去分の「誕生の実感」を読み返してみるのも楽しいものだ。
他人の誕生日は『ああそうか!』ぐらいしか思わないが、自分は感慨が深い?
読み返すと、それがよく解る。61歳?自分が自分でないような、認めたくない
というより信じられないのが実感だ。この歳には、もっと老成していると思い
きや、とんでもない!気持ちがドンドン若くなっていくのだ。それに加え、
脳がアップスケールしていく。この随想日記を書き続けていることと、ネット
サーフィンの効果もある。それと、数年前から人や社会の見方が根底から変わった。
情報の質・量が圧倒的に増えて、脳の基幹が変わったこともあるが、人生の競馬
でいう直線コーナーに入ったこともある。コペルニクス的な大転換である。
元々、世間・社会の価値を根こそぎ疑っていたが、それが更に転換した。
人間の見方を例にとると、人間の品性をまず見るようになった。「国家の品格
という本がベストセラーになったが、人間の品位が年齢を重ねると、ますます
見えるようになったきた。そこで自分は品位はどうだろうか?不安になってきた。
いつも家内に『品が無い!』と言われ続けてきた。私の両親は間違いなく
品位があったが、私がどうだろうか?と。家内の両親も品位は充分あった。
じゃあ、どちらがあったかというと、まあここで書くことでないか! 
明日にでも、「品位について」を書くが、ある物指しからみて、何と信じら
れないことに、家内より私の方が品位が上?であった。その基準によるが、
「目先の現象や価値観に左右されない」のが品位というらしい。
それも明日書くとして・・ 結局、人生はゆったりと豊かな気持ちで、
感謝して生きていれば、それで充分ということだろう!「で、どうした!」
「61!」「で、」「今日は、のみに行こうか!」 このあたりに話が収まる。

・・・・・・
1748, あ~あ60歳!
2006年01月15日(日)
              オハヨ~━ヾ(*´∀`*)ノ━☆

今日で60歳になってしまった。  
                             
 前にも書いたが、
  60歳を大きな到達点として、それ以降の全て前倒してきた?
   ので、感慨がことさら深い!
    成人式と同じく還暦は大きな区切りになる。

昨日は兄にカウントダウン?の還暦祝いをしてもらった。 
 明日は友人の数人にしてもらう。      
 
去年の中学校同期還暦の会で、定年間近の同級生が
  「人生60歳代が一番良いらしいな!」という言葉に、
   『エッ!』と、驚いてしまった。
    サラリーマンの傍ら、自分のライフワークを持っていた人なら、
     そうかもしれないが。
               

何度も書いてきたが、
 人生を振り返ってみての実感は、
  1、とにかく恵まれていた。
     時代に、家庭(両親に家内に子供)に、
     先生に、そして事業に。
      2、ついていた。
       3、面白かった。
        4、悔いはない!である。


人間は考え行動した総体と、
 自分が生まれた両親と家族、
  そして自分の家庭、
   職業、趣味などの総体が自分を構成していると実感する。
                    
    人生の7~8割がた生きて最後の
     直線コースに一歩踏みこんだ日である。   
     少しは大人しくしなければ!

それにしても、毎年の誕生日の日記を読むと面白い!
 「自分でいて自分ではない独りの男がいる。」
  それにしても、考えていることは同じことの繰り返しでしかない。
             
             ★:゜バイ~*☆※>o( ̄▽ ̄*)>*

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・・・・・・・・

2005年01月15日(土)
1383, 誕生日ーつれづれに

今日は私の誕生日である。
 59歳である。
  この歳になってしまった自分が信じられない。
   人生は短いという思いと、長く生きたものだという思いが
    交差している。

     気持ちは全く歳をとっていないのに自分でも驚いている。
      早くいえば馬鹿ということだろう。
       鏡を見れば歳相応の顔があるが、見慣れてしまったせいか
        その歳の自分に気がつかなくなっている。

1月15日は以前「成人の日」で祭日だったので、
 それも重ねて「自分の祭日」にしていた。
  しかし、数年前から日にちが変更になってしまった。

   以前は毎年1月15日にはNHK『青年の主張』を楽しみにしていた。
    色いろな世界を垣間見れるのがよかったが、最近はみなくなっていた。
     今年はまだ放映されていないが、どうしたのだろうか。
      学生時代の日記にも『青年の主張』の感想が書いてあった。

あと一年で還暦になる。
 以前は還暦というと大年寄りという感がしていたが、あと一年でなるのだ。

  最近は、歳をとることがあまり気にならなくなっているのも事実である。
   60歳以降の人生を、60歳前までに押し込んで生きてきたので、
    気持ちの中の充実感は強い。

昨夜は、一日早い誕生祝いをスナックでしてきた。
 以前は祭日だったので、一人でたまたま開いているスナックに
  飛び込むのを、楽しみにしていた。
   誕生日というと、祭日で暇なこともあり歓待をしてくれた。
    それが狙いなのだが。
 ---

書き終えてから、数年前の随想日記を見ると、
 ほぼ同じ日記が書いてあった。
  毎年同じ感想というのも馬鹿みたいといえば馬鹿みたいなものだ。
   しかしメルクマールー道しるべーにはなっている。

・・・・・・・
・・・・・・・

2004年01月15日(木)
1016, 58歳の誕生日

 あと二年で還暦である。
  もうこの年になった!というのが実感である。

   60歳までに、60歳以降の余白を全て埋めてしまう生き方をしようと
    50歳の時、決心をした。
     「10年で30年分を生きる」が、それからのコンセプトになった。
      そして8年が経つ。
       実際のところ、そうしてきたかというと自信はないが、
        そう思って生きてきたことは事実である。
        「海外旅行を50回を60歳まで」にと目標としたのも、
         その一つである。

 この随想日記もその一つだ。
  60歳を過ぎてからというのが一般だが、約三年前1千を目標にして、
   昨年の暮れに達成した。
    言い残しておきたいことは殆ど書いてしまった感じだ。
     あと二年で730日分書けば?もういいだろう。

      父が58歳の時、私は中学二年生、
       母は、大学一年だった。
        その頃、50代後半は凄く年寄りに見えたものだ。
         恐らく若い人から見たら、そう見えるのだろう。

年齢を重ねると、マイナスだけでなくプラスも同じくらいあることも知った。
 若い時と違った充実をした日々を過ごせるのだ。
  経営をしていると、そう心休まる日はない?が、
   といって毎日の内容が濃い。

 この年齢の風景を見てみると、
  ・10~15?の同級生が亡くなっている。
   ・私の両親の兄弟姉妹と連れ添いは9割以上亡くなっている。
    いとこは4割、兄姉は9人中4人亡くなった。
     従兄弟で現役で働いている人は一割もいない。
      兄姉で働いているのは、兄夫婦と私だけだ。
       同級生では、男では定年か廃業の直前の人が殆どだ。
        こんなものだろう。

 生老病死とは、よくいったものだ。
  生き、老い、病んで、死んでいくのだ。
   それを苦しみと捉えて解決法を説いたのが仏教だ。
    といって死ぬまでは生きているのだ。
     また楽しみは無限にある。
     
      「日々是好日」の意味の深さが解ってくる年代に入った。

・・・・・・
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 2003年01月15日(水)
647, ハッピーバースデー

         おめでとう~
         *<( ・∀・)ノ□☆□ヽ(・∀・ )>*

ツアーで、ホテルのレストランで食事をしていると時おり人だかりができる。
 宿泊客の誕生日に、レストランのコックやボーイが全員集まって、
  ケーキに火をつけハピーバースデーの歌を歌っているのだ。
   小さいレストランの場合は全員が合唱をする。
    何とも心が和むひと時だ。
     そして本人がケーキを持って、各席に持って回って配るのだ。

キリスト教徒の誕生日に対する思い入れは、日本人と比べるとずっと強い。
 それはキリスト教の教えにある。
  神から頂いた生命の記念する日に、その場に居合わせた人は神の意思である。
   従って祝うほうも心からその人に祝福する。
    またケーキもその祝福として、お互い分け合う。
     与えるほうも貰うほうも目出度いのだ。
      あの暖い雰囲気には、キリスト教の教えの背景がある。

数年前までは1月15日は休日であった。
 その誕生日には一人で飲みに出ることにしていた。
  それも入った事のない店に飛び込む事にしていた。
   この日だけは家内は「一人休日に飲みに出ること」に文句を言わない。
    休日のために殆どの店が休んでいるが、飛び込みで入って誕生日で特別に
     飲みにきたと話すと歓待される!勿論それを狙っているのだが。
      これを年中行事にしていた。
       「その日が休日だから面白い」のであって、いまでは家に大人しく帰る?
        勿論今日も会社から貰ったケーキを持って!

誕生日ほど自分と第三者の差が大きい。
 子供の頃の家庭では「正月に一度に祝うのだから、誕生祝の必要はない」
  と一切やらなかった。
   勤めていたときや、以前の会社では朝礼で全員でハッピーバースデーの歌を
    歌いケーキを贈り、寄せ書きをしていた。
     今は会社でメールで祝いの文章をお互いに送ることにしている、
      それとケーキを。

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 ・・・・・・・・・
 
 2002年01月15日(火)
 301、動物の不思議な世界-2

土手で散歩をしている時、ある家の玄関にいるゴールデンリトルバー
 の一歳ぐらいの犬と目が合った。

  思わず右手を上げて「ヨッ!」と挨拶をしたら、
   なんとその犬が右前足を挙げて挨拶?をかいしてきたのだ。
    「嘘だろう!」というのがその時の気持ちであった。

     翌日全く同じ状態で挨拶をしたが挨拶を返さなかった。
      そこで考えた、あれは「お手」の感覚で思わず手を出したのではないだろか?
       生きていると思わず、いろいろのことを経験する。
      でも傑作であった。

     中学の時、その当時飼っていた柴犬に悪戯で日本酒に砂糖を入れてなめさした。
    はあはあ口で息をはきだし尻尾を振りながら、
   よろよろと千鳥足で歩き出した。
  急に変なことを思い出した。