読書日記 ~超短編小説の書き方 -1

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        <「超ショートショート講座」 田丸雅智著 >
    * 「ショートショート」と「随想日記」の違い
 図書館で借りて、読み始めて気づいたのは、このテーマ日記は、
ショートショートに似ていること。 毎日の読書、映画、ドラマ、出来事を
物語にしてブログに上奏している。 物語とは、文章作法の『起承転結』に
まとめること。ネット検索には<「物語」には、2つの意味があります。
1. 一つのテーマ(題材)の全体を伝える話  2. 創作文章 >とある。
 私のブログの読者は、フォロアーと、将来の同月同日の私。 この原型は、
50年前のカード日記(カード二枚をフォチキスでファイルにして、その間に
情報の切抜きを挟む)の作成が元にある。表と裏に、そのメモを書きこむ。
その欠点が、二度と見ることがない確率が高いこと。それを知って断念を
したが、それでも続けておけばと… そこには生きていた記録が生々しい痕跡
として残すことができたはず。 18年前に始めた個人HPには、内部検索に
キーワードを入れると、瞬時に取りだせる機能と、同月同日に毎年、読返す
ことで、その欠点をカバーできている。 第三者にはともあれ、自身には、
行蔵の保管箱の役割を果たしている。 問題は、日々のテーマ探しと、選定!
そのヒントが、ここに多々ある… しかし、随想日記とは似て非なるもの。
ショートショート」は『超短編小説』。この随想日記は「日々の生の情報を、
その日の私が生で記録」したもの。 「ノンフェクションの記録」と、
「フェクションの小説」とは決定的違い。「ショートショート」は、自作の
超短編の小説。 今度からは新たな分野に一歩立入ることに… 

《 内容紹介
 物語を書きたい人、アイデア不足に嘆く人、必見!
ショートショート作家の田丸雅智氏が、小学生からシニアまで幅広い方々を
対象した「超ショートショート講座」の内容をまとた、超短編小説の書き方を
伝えます。 田丸氏が行っている「超ショートショート講座」では、どの年代の
方々にも「田丸式メソッド」を用いて、その場で作品を一人一作、実際に
書いてもらっています。どんなに作文が苦手な人でも、小説をほとんど読まない
人でも、このメソッドを使えば、オリジナル作品がわずか40分で完成して
しまいます。この本では、そんな田丸式メソッドを解説しながら、「超ショート
ショート講座」と同じように、 読者が実際に作品を完成させられるように
なっています。
  ――
 ~トップレビューより
  ~雑学家~
実際の作例が大いに参考になりました。
本書のp.82のオススメ本は
「ボッコちゃん (新潮文庫)」星新一
「仕掛け花火 (講談社ノベルス)」江坂 遊
「四角い魔術師 (ふしぎ文学館)」井上雅彦
「帰郷 (幻冬舎ノベルス)」太田 忠司
北野勇作どうぶつ図鑑」早川書房
ショートショートの広場 (講談社文庫)」星新一
「黒いカーニバル (ハヤカワ文庫SF)」レイ ブラッドベリ
「短い夜の出来事―奇妙で愉快なショートショート集 (講談社文庫)」江坂遊
「星からの1通話 (講談社文庫)」黒井 千次
「くんぺい魔法ばなし」東 君平  絵本
一千一秒物語 (新潮文庫)」稲垣 足穂
など短くてわずかな時間で、別世界へといざなってくれるとのこと。
  ――
  ~青空みたことか~
読んでみるだけでは無く、実際にやってみると、この本のメソッドが奇抜で
面白いことに気づく。「書きたい物を書く」という発想から「書けるものを書く」
ことに改めて気づかされる。次から次へと書かなければならない者にとっては
目から鱗でした。ペンがすすまない時は、このメソッドを読み解き、
「自分が書きたい物の性質を分解する」ことに気づくのだ。私は気に入りました。
読んだだけでは無く、実際にやってみる。ショートショートなら、20分で書ける
ようになります。そこから工夫ですね。自分の書きたい物にこのメソッドを
逆利用する。おっと、あまり教えたくないが・・・。


▼ 長屋の熊、寅、八、大家とのコンニャク談義、これは「ノンフェクション」。

いや「フェクション」? その中間ですか。自己対話そのものの具現化?
 こんど超短編小説を書いてみますか!「書きたいこと」より、「書けること」
で、何とか書き上げることが可能では… その点、このブログと同じだが。
なら一時期、嵌った小噺、ジョークが、これじゃないか? いや違う。 問題は、
自分が創作すること。行蔵の中のエピソードを脚色し、例えば「背景」「人物」
を入替えたり、妄想を生々しく表現したり。 「質」の問題を横に置けば、題材の
引出は数限りなくある。 例えば… 
【 初めて、取上げるが、ケニアに最初に行った時の話。 ロンドン経由で、
ナイロビから夜半、サファリカーでサバンナをぶっ飛ばしていた時に、運転席の
隣に乗っていた~ ところが、バスの直前にカスルように大鹿と交錯しそうに…。
一瞬の間の出来事。知っているのは私と、ドライバーだけ。こんなところで
大参事になったら、病院も、何もあったものじゃない。話はまだまだ続く… 】
 これは、ノンフェクション。 で、これを脚色しフェクションにすると…
さて如何、展開するか。                ~つづく

・・・・・・
6217,閑話小題 ~ 人類の未来は明るいか? ―3 否定派の論
2018年03月22日(木)
     『人類は絶滅を逃れられるのか―
              ―知の最前線が解き明かす「明日の世界」』 
    * 否定論: 未来は暗い! 
 「人類が今世紀中、生存可能か否か?」の設問に当初は、冗談にしか思え
なかったが、今では3割は有りうると思うようになった。ロシアのスパイ上りの
大統領の策謀で、アメリカ大統領が選出され、アメリカ国内だけでなく、世界が
混乱の際に陥っている現状を見るにつけ、悲観的になるのも当然のこと。
 
  ~マルコム・グラッドウェル
☆ 進歩は新たなリスクを生む
 有る問題を解決する進歩は、新たな問題を生む。
 原子力がいい例。原子力は良いエネルギー源だが、究極的には街を吹飛ばす。
☆ 1%のリスクが進歩を台無しにする可能性がある
 人類の99・9%の暮らしが昔より良くなった、残りの0・1%で、恐ろしく
 惨めな状況に突き落とされる可能性がある。ソ連ではスターリンの一人のため、
 2000万人が殺された。この男一人以外全員が天使だったとしてもである。
 私たちはキリスト教の起源から現代まで進歩に取りつかれていたようだ。
 今はAIの時代である。人間は進歩により、自分の能力への不満を補ってきたが、
 テロリズムと気候変動のリスクは増大する。

  ~アラン・ド・ボトン
☆ 人間の本質は1000年たっても変わらない
 人口爆発の危機、核戦争へのシナリオ、増大し続けるテロ、AIの脅威、
 気候変動リスク…が山積み。
☆ データ(寿命、貧困、平和、民主主義といった指標)によって人間の暮らしは
 豊かになっているのは既に証明されているとする肯定派に対して、5年、10年後、
 25年後に人類が今より進歩していると言う保証は全くないと言う否定派。
・人間は結局「死への恐れ」と「妬み」から自由になれない/絶対的な貧困は未来
 でも消えることはない。寿命がいくら伸びてもそれに対応する「哲学」を人類は
 持っていない。
・人間の脳は不完全だ
・世界史の災禍は完璧主義が引き起こしてきた。

▼ インド、中国で10億人が貧困から脱出しても、その隣では、怒れた独裁者
 一家が国を私物化し、核ミサイルを恐喝手段にした危険極まりない戦争の間際
に陥っている。 しかし、アメリカも同じか… 人間という生き物、欲望に際限
はなく、どんなに豊かになっても、満足することはない。進歩をしても、満足が
出来ないから始末が悪い。人間の肯定と否定感の比率は、2対1というが、会場の
聴衆も大たい、その位の7対3の割合だった。ところで、進歩を内的、外的に分け、
学生時代に比べて、『進歩をした? 後退をしたか? どうだ?』と問われたら、
如何だろう? 『山は高くなった反面、谷は深くなった!』になるが… 
『こんな筈ではなかった!』か、『こんな時代を経験出来ようとは、進歩7対、
ところにより後退3じゃないか! ただ、面白かったと言えるだけ幸せか。』
自分に対する言訳のところもあるか。「日々、是、言訳」で良いじゃないですか!

・・・・・・
4755,そんなに長生きしたいですか ー7
2014年03月22日(土)
    『日本人の死に時 そんなに長生きしたいですか』久坂部 羊著
   * 早いーうまいー安いー
現状の終末医療の現状を知れば知るほど、恐ろしくなる。以下の内容が現実。
《 ある医療講演会で、こんな話を聞きました。「早い!うまい!安い!」
 という看板のスライドを見せて、これはある牛丼屋の宣伝文句ですが、
うしろに「治療」という言葉をつけると、そのまま病院のキャッチフレーズに
なるというのです。たしかに、早い治療、うまい(上手い)治療、安い治療は
患者にとって最良のもの。講演者はさらに続けて言いました。
「『治療』の代わりに、「死」という言葉をつければ、今度は理想の末期医療
になります」早い死、うまい死、安い死というわけです。なるほど、うまいこと
を言うなと、私は感心しました。・・ その発想だけでは現実は立ち行かない。
患者はほとんど見込みがなくても治療を求める、医師は治療すればするだけ
儲かる、この状況では、医療費が膨大になって当然。そろそろ冷静になって、
現実をしっかり受け止め、無駄な延命治療から死を支える医療に転換すべき
ではないでしょうか。 死を支える医療は、よけいな治療をしません。
医療費が安くなれば、患者側も自己負担が少なくてすむし、国民の医療費も
削減されます。これで困るのは、無駄な治療で収入を得ている医師だけでしょう。
早い死というのは、患者を見捨てることでありません。苦しむ時間を短くする
という意味です。病気や老いと闘いながら、精いっぱい生きてきた人も、死が
近づくとどうしても衰弱します。食事や排泄などが自力でできなくなり、これ
以上生きることの意味が見出せなくなってしまいます。それを理想主義的な
励ましで無理にがんばらせたり、延命治療で長引かせるのは残酷なことです。
死は自然の成行きですから、どこまでも抵抗するのは不毛です。極論かも
しれませんが、死が避けられない状態になってから、少しでも長くとあがくのは、
手遅れだと私は思います。そうなる前に時間は十分あったはずです。・・・ 》
▼「終末期医療費が全老人医療費の2割を占める!とか、国民一人が一生に
 使う医療費の半分が、死の直前の二ヶ月に使われる!」という報告がある。
だから、医療側からすると、可能な限り生かしておいて方が良いことになる。
生かしておいて拷問の苦しみを与え、その治療費を膨大に絞るとる末恐ろしい
現実が、そこにある。末期ガンは、どのみち助からない。だったら死をサポート
する医療があるべきである。これでは入院前に、青酸カリか、致死量の睡眠薬
準備をしておくべきと、考えてしまう。そう簡単には、死ねないのである。 
良くも悪しくも死ぬまでは生きている。死ぬのは挫折でも、何でもない。
目出度いことなに、何で延命をするか、それが利益のためなら、
犯罪的システムではないか。
・・・・・・
5850,物語で経験する「生老病死
2017年03月22日(水)
       <老いの風景 ー物語で経験する「生老病死」~石光勝(著) >
  * 経験の4つの形と、物語化
 経験の意味を、ここで理解しやすく紹介している。 ~P/18
≪ 本屋大賞吉川英治文学新人賞などを受賞した冲方丁が『天地明察』で、
 「人間は経験したことがないものを、理解できない」としてうえで、経験には
4つの形があると言います。
 【人間は、視覚、嗅覚、味覚、聴覚、触覚の5感で直接的経験をする。
 生きていくうえで、それだけに足りず、他者の経験による間接的経験に
依存する。しかし、誰にも実証は不可能な神話的、宇宙的な経験をする。
こういた3つの経験をもとに万人に伝える形にするのが第四の経験、いわゆる
物語です。物語は架空にあるにかかわらず、時には社会を動かすような力を
発揮します。】
 つまり、物語を読むことが‘経験’になるというのです。
言われてみれば、私たちは『三国志』で、中国の後漢時代を、『戦争と平和』で
帝政ロシア時代を、『竜馬がゆく』で日本の幕末期を経験した。それは世界史や
日本史の資料や知識では決して得られなかったはずです。
 批評の神様の小林秀雄の同じようか言葉に出逢いました。
「経験という言葉は西洋の言葉だが、誰も合理的な経験なんてしません。
ナマの経験の意味というのは、各自みんな自覚しえないものです。みんな、
自分の経験に対しては支離滅裂なことしかわからない。そこで創作という形式が
必要になる」というのです。これを逆に捉えると、創作という形式の物語によって
初めて、合理的な‘経験’が得られるということでしょう。≫
――
▼ 16年続けてきた、このテーマ日記は、毎日の読書や体験をテーマを元に、
 物語化の創作をしていることになる。事業人生45年をテーマに、50回以上に
わたって書いたのも支離滅裂で行き当たりばったりの転職、転業を、尤もらしく
文章化をすることで、合理的経験として修練したに過ぎない。人生など、所詮、
その程度のことでしかない。それぞれの人にとっての物語化の方法がある。
散歩の最中、頭に浮かぶ雑念を、物語化するとか、旅行に出て、日常に溺れて
いる自分を見つめ直すのも一人語りの物語化になる。そのためには独りの場が
必要になる。毎日、TVで楽しんでいる映画とドラマも、その物語を経験をして
いることになる。だから、やみ雲にみないことだが… 著者は、現在進行形の
生老病死」の「老」を‘経験’するために、小説などにある「老い」を訪ねる
という奇妙な構図の物語なら、面白、可笑しく、哀しく共感する内容である。
山の麓から見ていた「老い」の雲に、一歩踏み込んだ霧の中で、一日一日、
「老」と「死」の何たることかを問うている道先案内人の言葉は、重く響き
わたってくる。還暦、古希を過ぎ、霧は晴れたり、濃霧になったりである。
前をみれば、日々、人数が減り、横をみれば、バタリバタリと… 
 生きている限りは、他人はお先! である。 
・・・・・・
4388, 「うつ」かもしれない ー3
2013年03月22日(金)           
  * ウツの治療 ー「うつ」かもしれないー
            死に至る病とどう闘うか~磯部潮著
 ウツ症とウツ病の境は、日常生活に支障をきたすかどうか、軽症か重症かは、
「死にたくなる度合い」がが目安という。逆にいえば、それだけ苦しいのである。 
身近にも自死した人が何人かいる。共通しているのは、真面目で、几帳面、感情
は表に出さず、周りの人を思いやる心優しさがある。また、考えに弾力性がなく、
自分一人に固まっている。 こういう人が暴発すると秋葉原の無差別殺人のよう
になる。私がウツ病に何で興味があるかというと、人間の原点が、見え隠れする
かである。人生は生易しくはない。要は難題への対処である。息をつくところが
ないと、ストレスが蓄積していく。ウツの治療には、「薬事療法」と「認知療法
がある。薬事療法は、医者と相談して症状にあった薬をみつけ最小を前提に治療
すること。それに対し認知療法は、ウツの人の持つマイナス思考、悲観的考え方
を修正するスキルをいう。私は昔から、その類の本を身近において常に手に
取ってきた。その一つに中村天風の一連の「積極一貫」の哲学の本がある。
これは本当によい。 ウツによる歪みが固定化されると、「視野狭窄」に陥り、
自殺の危険性が出てくる。だから普段より予防剤として、少し気持ちが落ち
込んだとき手にする習慣をつけておくとよい。この本にある、
「「5つのコラム」も心のコントロールによい。
1枚の紙に5つのコラム(欄)を作って、何か問題が起きたときの状況や
自分の考えを書き留めていく方法で、頭であれこれ考えるよりも、冷静に
客観的に検討することができる。5つのコラムのうち、(状況、感情、自動思考)
の3つは、自分の「認知のゆがみ」をはっきりとさせるのに役立つ。
あと2つのコラム(別の見方・考え方と最終的な心の変化)を合わせて
書いていくことで、「認知のゆがみ」を直すに役立つ。
 第1コラム 状況(気持ちが落ち込んだり、不安になったときの出来事)
 第2コラム 感情(不安、怒り、悲しみなど))
 第3コラム 自動思考(不快な感情を経験するときに心に浮かんだ考え)
 第4コラム 自動思考とは別の見方・考え方
 第5コラム 最終的な感情と考え(心の変化)
ここで詳細を省くが、ネット検索で「5つのコラム」で調べると、事例が
数多く出てくる。 著者は、日常生活での日々の習慣づけは大変なので、
第三と、第四だけを頭に思い浮かべるシュミレーションを薦めている。
書いるうちに自分の思考の癖が見えてくるだけでも効果がある。
心は荒馬のようなもの、時間と愛情をかけて乗りこなしていくしかない。
・・・・・・
4014, 事業生活39年の、独り語り ー3
2012年03月22日(木)
  * 武澤ゼミ (20歳の頃 ーある教授との出会いー3)
 高度成長の真っ只中、創業人生が面白そうと20歳の時に思い立ち、色いろ
の教授に触発された。その最大の恩師が、人事管理の武澤教授である。
その後も、ゼミOB会に2~3年に一度は参加していた。10年前に亡くなられた。
【 1024, 22歳の日記-2   ー武澤ゼミについて
 何度か書いた事があるが、ゼミについて考えてみる。この時期は、武澤ゼミと
寮とクラスメイトなどの過去4年間の友人が、ほとんどを占めていた。その中で
武澤教授の影響が大きいことが、当時の日記からうかがい知ることができる。
ゼミでは、一週間前に社内トラブルの事例(ケース・スタディー)の用紙を
渡される。その間に対処を考えて、全員で徹底的に議論をする。 
その後、その事例研究のベストの答えの用紙を見せられる。そこで私たちの
出した結論と、その差異について更に議論をする。また二班に分かれて、
それぞれが議論した結果を持ち寄り、互いに議論する。その結果、知っている
限界の知識と体験をもとにした、それぞれの地言葉(赤裸々)の議論になる。 
教授は要所要所以外はほとんど話さないで議論の推移を聞いている。
考えるヒントを与え、議論を通して「考えること」を促す。そして
「考えることは如何いうことか」と、一歩踏み込んでいく。そこに各自の
知識不足を自ら気づく仕組みになっている。当時の日記を写して気づいたが、
ソクラテスの「対話法」の真理追究を、そこで体験させていたようだ。 
素朴に深い疑問を常にもって、社会や世界を見る目を持たせるのが目的。
対話の訓練が友人に受けたのだろう、卒業まじかに多くの友人が私に集中
してきた。誰もが卒業という節目で迷っていたからである。武澤ゼミで学んだ
ことは、社会に出て、事業の組立てなどに非常に役に立った。冷静な事実の
把握と、仮説の積み上げと崩しの、繰り返しの中で計画の練り上げをして
いくのと酷似していた。要は地頭で考える訓練であった。 】
▼ 振り返ってみて、事業人生で学生時代の3人の教授と、コンサルタント
 渥美俊一に大きな影響を受けていた。渥美コンサルタントは、カリスマ的
流通革命の指導的立場にいた。 学生時代に、鈴木教授に「意志」の自覚。
野田教授に「統合(経営)」。武澤教授に「分析(冷静)」を学んだ。
独り総括をしていると、「私の人生は結局は何だったのだろう?」という、
基本的な問いが、立ち上がっては消える。人生など何の意味(価値)もない
こと位は分かっていても・・哲学を学生時代に、より深く追求しておくべき
だった。それもこれも還暦過ぎれば、それがどうした!でしかないとしても。
・・・・・・
5485,閑話小題 ~51回の海外ツアーで ー②
2016年03月22日(火)
    * 世界の絵画
 ベルギーのフランドル地方の古都ゲントの大聖堂にある
『フランドルの祭壇画』を、以前にみてきたが、立花隆が、死ぬ前にみて
おきたいと、わざわざみにいった絵画。この絵画はスペイン圏では、非常に
有名で、スペインから毎日、特急が出ているという。教会の定位置には、模写
の絵画飾られていて、特別のコーナーに本物が防弾ガラスの中に、監視の元で
飾られていた。模写のコーナーでは写真撮影はオッケーだが、本物のコーナー
では不可。少女が賛美歌を歌っている表情に、それぞれの内面が出ていてよい。
 ルーベンスの『夜景』と、エル・グレコの『オルガス伯爵の埋葬』、
ダビンチの『モナリザ』、ベラスケスの『ラス・メニーナス』、
ボッチィチェリの『春』、ゴッホの『ひまわり』、ピカソの『ゲルニカ』と、
このファン・エイクの『フランドルの祭壇画』を見れたのだから、これで良し
としなければ。 絵画といえば、スペイン、英国、オランダ、ベルギー、
イタリアである。 一枚の絵画の中に、さまざまな思惑、情報が詰込まれている。
ひとつ『夜景』を取上げると、ここに出てくる人たちは、自分の姿を後世に
残すため、この絵画を特注したという。 ~『夜景』をネット検索すると
《 レンブラントに発注した18人の名は中央右後方の盾に描かれている。
 その他、鼓手、少女、少年などが絵の中には描かれたほか、左側には絵が
切り詰められる前はあと2人ほどの傍観者が描かれていた。この時の支払いや
受注の記録は全く残っていないが、発注者たちの記録によれば各人が
100ギルダー、計1,600ギルダーレンブラントに払われた。これは当時の
肖像画の報酬としては大きな額である。
 絵画は次の三つの要素のために有名である。
・まずその巨大さ(縦3メートル63センチ、横4メートル37センチ)、
・次に光と影の効果的な使用、
・そして当時は不動の姿勢で描かれた軍隊や自警団の集団肖像画
 動きの要素を取り入れたことである。
『夜警』はオランダ黄金時代の絶頂期であった1642年に完成した。
この絵は題名となった(火縄銃手組合による)市民自警団)が出動する瞬間
を描いている。・・一斉に人々が動き始めたため、その下では犬が吠えたて、
左には少年が走り回っている。各隊員はそれぞれ異なった方向に体を向け、
多様な表情を見せて、隊員の動きが交錯して画面に興奮を生み出している。
いずれも体の一部分しか画面に映されておらず、全身が描かれているのは
3人のみ。》とある。 絵画を描かれる背景の意味などを知るか知らないかで、
捉え方が全く違ってくる。芸術とは、そういうことである。