つれづれに

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 今日のYoutube

昨日は、午前中まで、ネットに集中。 午後からは、TV漬に…
何時もの日曜日とおりの定番に、大相撲と、競馬の「オークス杯」と、
プロ野球に、北欧モノの刑事モノの録画を4本、見て過ごした。
ライブを軸にして、録画を合間にハサミ、他の定番を同時進行でみる。
これも訓練で、どれもこれも、細切れにしてみても、面白く、充実する。

カウチポテトのコテコテの日曜午後の姿である。
20時に就寝して4時間爆睡して、疲れが残らない。
今朝、で三時半に起床して、二時間半、随想日記を校正して、アップ。
その後、信濃川を一周いてきた。今朝は天気が良いわりに、人の姿は
ほぼ、みられなかった。





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5545,子どもはなぜ勉強しなくちゃいけないの? ~①
2016年05月21日(土)
          『子どもはなぜ勉強しなくちゃいけないの? 』
                    おおたとしまさ(著)
   * 子どもはなぜ勉強しなくちゃいけないの? ~①
 人生の黄昏時に思うことは、<もっと世界のことを知っておきたかった、
もっと様々な経験をしておけば良かった>である。そのベースは、子供の頃に、
つくってこそ、可能になる。 ということは家庭環境の家系も大きく左右する。
 学生時代を終えようとする時、それまでの知識不足に気づき、それから半世紀
近く、読書を続けてきたが、ベースの絶対的質量の不足をカバーできなかった?
ようだ。 「10歳までに、人生が決まってしまっている」というが、図書館で
見つけた、この本。子供向きの本かと思っていたら、熟年向きでもある。
 5年前、会社を早々、整理をした結果、「この男、あまり頭の良くない!」と、
陰口で言われたのだろうが、一番、実感しているのが当の本人。正に10歳まで
に決まっていた。 <子どもはなぜ勉強しなくちゃいけないの?>の答えが、
私の人生そのもの。その時点で、人生は既に決定済み。
「事前の一策は、事後の百策に勝る」の「策」が学び(勉強)であり、
事後の百策では、子供の時代の学び不足に追いつかない。ただ、その自覚が
あるだけ少しはまし? ~まずは、アマゾンの内容紹介の
  [子ども編]より
 ☆ 荒俣 宏
人間は動物よりも多くを勉強して生き残った/
お父さんお母さんが言うことも1つ2つは聞いてみよう/
きらいな勉強は好きなことに無理やり結び付けよう
 ☆ 内田 樹
大人も勉強する理由を本気で考えたことがない/
生き延びる力を身に付ける/
どうやって仲間と支え合うのかを学ばなければ/
勉強するのは「自分のため」じゃない
 ☆ 瀬戸内寂聴
勉強しないと心の栄養失調になる/
テストの点数は気にしなくていい/
得意なことに気付くと勉強が楽しくなる/
本からも「心の栄養」は得られる/
 ☆ 坂東眞理子
子どものころに勉強の習慣と土台をつくろう/
勉強がつまらないなら100点を取ろう/
どうしようもないことをやり過ごすことも学ぼう/
勉強するのはお金のためだけじゃない
 ☆ 福岡伸一
勉強すれば「思いこみ」から自由になれる/
人類の歩んできた道を自分の足でふみしめる/
たった十数年で3000年以上分のおさらいをする/
「大きな問い」は「好きなもの」の形で現れる/
 ☆ 藤原和博
人生とは経験値をためるゲームのようなもの/
「最強装備」は遊びから手に入れる/
「最強装備」があれば「究極の力」が手に入る/
クレジットをためればためるほど自由になれる
 ☆ 茂木健一郎
勉強することとは自分をかがやかせること/
勉強を続けるコツはマイペースを保つこと/
学校を利用する気持ちになれば勉強は楽しくなる
 ☆ 養老孟司
「そんなくだらないことを聞くんじゃない! 」/
勉強とは「山道を登る」みたいなこと/
好きなことを思い切りやれば勉強が必要になる/
「答え」を知ることよりも考えることが大事
――
▼ 一言一言が、どれも身に覚えのあること。幼児なりに、言葉から
 何かを察知する言語能力が必要である。やはり、両親、特に父親の幼児
教育がベースになる。人生の「最強装置」から得た経験値は、遊びにあった。
「もっと稼いでおけば良かった」でなく、「もっと遊んで楽しんでおけば
良かった」が、最後の最後に残る。結局、何か心の底から楽しめるシステム
を、見つけ出しおくことが必要であり、それが子供時代の学びから生じる。

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5180,私はガス室の『特殊任務』をしていた
2015年05月21日(木)
    * ガス室の中の、断末魔の地獄絵   『読書脳』立花隆
 ー私はガス室の『特殊任務』をしていたーショロモ・ベネツィア著を、
『読書脳』立花隆著で紹介をしていたが、その内容は極めて凄惨である。
ガスを吸った瞬間死ぬのではなく、15~20分の間、のたうちまわるのだ。
そこで生残った特殊任務部隊員(囚人)の証言が生々しく記されている。
≪「人体組織の抵抗力で目が眼窩から飛びだした人もいました。
 身体じゅう出血している人もいれば、自分や他人の排泄物で汚れている人も
いました。恐怖とガスの効力で、犠牲者は身体のものを全部排出することが
多いのです。(略) みんな苦しんで死んでいました。普通の人は、ガスが注入
され、はい終わりと考えるでしょう。でも、なんという死か!…。よく見ると、
お互いにしがみついて、少しでも空気をと、みんな必死だったんですね。
床に落ちたガスから酸が発散するので、みんな空気がほしくなる。
そのために、最後のひとりが死ぬまでみんな互いの上をよじ登ろうとする」 
その言葉通りまるで運動会の棒倒しのように、天井の空気穴めがけてもがき
あい手足をひっぱりあい重なりあいながら人間ピラミッドを作るようにして
死んでいた。その一体一体が苦悶の表情を浮かべている。ガスの注入から全員
の死亡まで15分~20分だった。断末魔の悲鳴が徐々に弱くなり、無音になる
のを待って、特殊任務部隊(囚人)が中に入り、からみ合った死体を一体
一体引き離し、焼却炉に運んだ。遺体の口を開き、金歯をしている者からは
金歯を抜いた。ガス室の中に入ることを許されたのは、特殊任務部隊員だけ。
彼ら自身も三ヵ月ごとにガス室で処分され、秘密が保持された。生き残り
数十人だけがガス室の中で起きたことを証言したが、あまりのおぞましさ故に、
その詳しい実情はこれまであまり表に出なかった。 本書は2007年に仏国で
出版されると大ベストセラーになり、世界15ヶ国以上で翻訳されている。
これを読まずにアウシュヴィッツに行っていたら、私も東大生と同じように、
ガス室や焼却炉の残骸を見ても、犠牲者の髪の毛の山や遺品の山を見ても、
本や映画で見たのと同じと思い、ショックを受けなかったかもしれない。≫
▼ 多くが糞尿を垂れ流し、断末魔の苦しみの中で死んでいく姿が、そのまま
 描写している。個々では、どこかの病院の一室で毎日あることだが、それが
集団となると地獄絵そのもの。20世紀は、集団殺戮の世紀で、一億近くの
人たちが抹殺された。21世紀の現在も、北朝鮮や、中近東で、こうした
殺戮が現に行われている。恐ろしいが、これが現実である。ー以下も御覧あれ!
――
2015/03/15
ホロコーストを生き延びて
  * 囚人番号A26188~ホロコーストを生き延びて~
          ~15年3月11日 水曜 午後6時~6時50分~
 先日、大相撲が終わり何気なくまわしたチャンネルが、この番組。
当時の凄惨な収容所や、殺された人たちの写真と共に淡々と語る老婆
へニアの話に、我を忘れ見入ってしまった。転々としたどの収容所でも、
奇跡的に助かり生き延びた内容は、想像を絶した生き地獄。 途中で、
この番組を数年前に見ていたことに気づいた。 ポーランドソ連
中心に500~600万人が虐殺されたホロコーストは残酷の極み!何度見ても、
その悲惨さに驚愕をする! ~NHKのHPの、その紹介記事から~
≪ 1939年のドイツによるポーランド侵攻は、ある少女の運命を狂わせた。
 靴工場を経営する父と母、3人の兄弟と幸せに暮らしていたヘニアは、
マイダネク強制収容所、「シンドラーのリスト」の舞台として知られる
プワシュフ強制収容所アウシュビッツ強制収容所終戦時のベルゲン・
ベルゼン強制収容所と、4つもの収容所を転々とし、偶然と機転、そして
時には他人に助けられて奇跡的に生き残ったのだ。
 現在南アフリカで静かに暮らす彼女は、ホロコーストを知らない若者が
増えていることに危機感を抱き、今まで夫や息子にも話さなかった悲惨な
過去を明らかにすることを決めたという。目の前で日常的に繰り返された
ナチスの残忍な行為の数々、アウシュビッツ解放前に強いられた“死の行進”、
家族の行方―ホロコーストを生き延びた“囚人A26188”ヘニア・ブライヤー
が、壮絶な体験のすべてを語る。≫
▼ 20世紀といえば、スターリン毛沢東ヒトラーポル・ポトなどが、
 大量殺戮を重ねた世紀。彼らは国内や隣国の人民を1~2割も殺戮した、
というから、平和ボケした日本では想像すら出来ない事態。 現在も、
北朝鮮が同じような状況にある。社会主義も資本主義も駄目というなら、
何が良いのか? その上、情報機器が飛躍的に進化する中、政治体制が、
それを持った大衆をコントロールするのは至難の業である。その行着く先は
混沌とした世界。そして極端な原理主義が、世を覆い、同じような大量殺戮
の世が再び、生じる可能性が出てきた。人間は本当に進化したのだろうか?
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4815,尊厳死は必要か ー1
2014年05月21日(水)
 尊厳死について、多くの身近な人たちの最期をみて、これは正しい!
という答えが無いことを前提に、司法は可能な限り介入すべきではないと思う。 
回復の見込みがなくなった時に治療の中止を認める、尊厳死法案が検討されて
いるが、これは当然のこと。人生の終わりに、どうすれば尊厳は守られるのか、
当人にとって大問題である。この3月末にとり上げた、
「そんなに長生きしたいですか 1~7」の内容に通じるところがある。
◆ 深く悩み納得するのが先 ー①   <映画監督・周防正行>  
                 ー朝日新聞 オピニオン~耕論ーより
《「患者に良かれ」と思い、治療をやめたお医者さんが、告発される。
 一度つけた呼吸器は外せない。そんなことがあるのなら、何らかの法律が
要るんだろうなと漠然と思っていました。でも、2012年に公開した映画
「終(つい)の信託」をつくるため終末期医療を調べるうち、「待てよ」と
感じるようになりました。死の迎え方は、人がどう生きてきたかと同じように、
一律ではない。経済的な理由から治療をやめざるをえない場合もあり、
社会システムの問題でもあると気付いたのです。取材してわかったのは、
食べられなくなった時に栄養を直接いれる胃ろうをつけた家族も、つけな
かった家族も、どちらも「正しかったのか」と悩んでいること。そこに正解
はなく、あんなに考え、話し合って決めたのだから、という思いがせめてもの
救いになるのでは。その質と量によって納得するしかないんですよね。
 今の医療現場では、患者や家族と医師らの間で信頼関係を築きにくい。
お互い忙しく遠慮もあるのでしょう。患者や家族がいつでも、これからの
ことや不安を相談できる人が病院にいる態勢づくりが、大事だと思う。
患者と医師を結びつけてくれる窓口のような存在がいると、患者や家族は
深く考え、きちんと悩めるようになるのです。この人が望む道は何なのか。
共通認識を持ち、それを実現するのが「尊厳ある治療」なんじゃないかな。
まずはそれが大事。良い医療かどうかって、患者や家族がいかに納得できる
かにかかっている。コミュニケーションがうまくとれないとだめなんです。
・・・ つづく 》
▼ 医療現場では、各個人の尊厳死に至るまでのフォローする仕組みなど
出来ていない。あとは、医療経営に有利な延命治療か、家族の都合によって
生かされるか、殺されていく。病院を監獄と看做すと、病室は獄内、身体に
つけられたチューブは鎖、看護婦は刑務官になる。そこでは、拷問のため
生かされた人たちの苦しみの悲鳴が聞こえてくる。チューブを外し、死なす
尊厳死は犯罪として禁じられている。しかし、当人も、家族も、それを望む
なら、拷問のような苦痛の人を死なせることも、必要になる。それを法律で
禁止すること自体に問題がある。縁者の死際では、殆どが医者の手で、呼吸を
止めているが、その前段階に、本人や家族の希望で延命を認めるべきだが、
色いろなケースがあるから一概に断じることが出来ないのが末期医療。
今までは他人事だったが、今では近い将来の問題になってしまった。
・・・・・
4448, 屋根裏に誰かいるんですよ -2
2013年05月21日(火)
   「屋根裏に誰かいるんですよ―都市伝説の精神病理」春日 武彦著
 「幻の同居人」をネットで検索すると、日本老年精神医学会学会での
「幻の同居人」に関する考察で、医師の深津亮(埼玉医科大学)が講演で、
以下のような発表をしていた。
1.はじめに = 超高齢社会を迎えた我が国の社会構造は劇的な変化が
 もたらされている.高齢者は社会的に孤立を余儀なくされており,このような
孤独な環境は 種々の喪失体験を増悪させ,特有の妄想反応や誤認症候群を生じる
母胎となる.「幻の同居人」もその様な症状の一つであり,「自分の家の中に
だれか知らない人たちが住み込んでいて,さまざまなかたちで自分を苦しめる」
という妄想と定義されている.「幻の同居人」はRowwan EL が1984 年に
「自分の家の中にだれか知らない人が住み込んでいて,さまざまなかたちで
自分を苦しめる」と訴える女性例を報告したことをもって嚆矢とされている.
「幻の同居人」は「天井裏や,床下に住んでいる」,「留守にすると部屋に
入ってきて,いろいろなものに触っていく」などと訴えられる.さらに自分
の行動がその同居人に監視されていると確信していることがある.
Rowan の報告例では,知的機能の低下や感情障害が明らかではなく,思考,
感情,精神運動の障害や退行などの脳器質性障害を示す徴候も認められない
ことから遅発性パラフレニーにみられる被害妄想とされた.
2・「幻の同居人」はどのような精神症状か?=「だれかが自分の家に
侵入して,物を盗んでいく,部屋を汚す,嫌がらせをする」などの住居(家)
に関する被害妄想は遅発性パラフレニー,遅発性統合失調症接触欠損性妄想症
などにも認められる.高齢者では少なからず見出される.我が国においても,
同様の症例は,報告されている. 精神症状はいかなるものか,幻覚か,
実在性意識か,あるいは想像上の友達などとの鑑別が必要と思われるが,
必ずしも明確でない。
3.「幻の侵入者」か「幻の血縁者」か? = 確かに「幻の同居人」は,
 本邦の高齢者にも稀ならず見出される.Terada S らは前述の「幻の同居人」
の特徴を分析して,「幻 の侵入者」と記載した.我が国では,このほかに
父,母,祖父,祖母,子供などの血縁者が現れることがある.外部から
侵入するのではなく被害的でも敵対的でもないことが多い.
むしろ親密で友 好的協調的な懐かしい血縁者であり,特に小さな子供の場合も
少なくない.これらは「幻の血縁者」と呼ぶことができるかも知れない.
この様なタイ プの同居人が比較的よく見出されることが我が国の特徴のように
思われる.また妄想性誤認症候群,鏡像現象やTV 現象を伴うことも稀ではない.
  4.「幻の同居人」の発現機構 = このような精神症状は加齢による
さまざまな変化や社会文化的背景をもとに出現していると考えられている.
精神機能の解体過程,退行などによ ってゲマインシャフト的世界,しかも
日本的な農村共同体への回帰とみることができよう.「幻の血縁者」に子供が
現れることは,遠野物語のザシキワラシ 伝説とも相通ずることを示唆している.
▼ 以上だが、この「屋根裏に誰かいるんですよ」で、< 身体の一部を
 失っても、脳機能は、それがあたかも存在するように感じ取る働きをする。
それに似た働きに近いのでは>は納得できる。作家の佐藤愛子本人が、色いろな
場所で、これに近い経験をしているが、作家なら、冷静に精神の衰えと看破する
はずだが、どうだろう。知人の夫人の場合は、高齢者の孤立、種種の喪失体験
などによる精神不安定が見て取れる。老化による精神機能の解体過程に出てくる
妄想ということ。私にもサードマンが頭の中に同居しているが、これは自分で
意識的に作りあげた対自。ちょっと違うか。
・・・・・・
4074, 屋根裏に誰かいるんですよ
2012年05月21日(月)
        「幻の同居人」―都市伝説の精神病理  春日 武彦 (著
   ーアマゾン 紹介文ー
 まず、その奇妙なタイトルが目を引く。しかし本書は、そのタイトルから
受けるコミカルな印象とは異なり、精神科医である著者が、現代社会における
さまざまな精神病理を、きわめて冷静に考察したものである。 ある日、
ひとりの老女が、「自分の部屋に勝手に人が入ってきて困る」と訴える。
その侵入者は、彼女の部屋にある日用品などを盗んでいったり、ちょっとだけ
位置をずらしていったりするという。しかし、姿は見えない。まるで、
「座敷わらし」などの妖怪のしわざとしか言いようがない不可解な話を、
老女は真剣に語る。表題となっているこの症例は、「幻の同居人」と呼ばれる。
このような症例は、多数報告例があるらしい。患者たちは、脳に器質的な異常が
認められるわけではなく、精神的にも問題ない場合が多い。「妄想の突飛さと
当人の穏やかな常識人ぶりとのあいだに乖離が生じているときには、精神医学は
たちどころに歯切れが悪くなってしまう」と著者は言う。それがこの症例の複雑
さと奇妙さとを物語っている。本書は、現代社会においても、妖怪と出会うと
いったような「非日常」的な現象が、たちあらわれる瞬間があることを示唆する。 
精神科医が語っているだけに、いっそう説得力がある。
▼ ある亡くなった友人の奥さんが数年前、急に事務所に訪ねてきて、世間話の
後に何気なく「最近、家に侵入者が時々入ってくるが、生前、主人が何か言って
ませんでしたか」と言う。「侵入者とはとんでもないこと、どういうこと?」
と吃驚して聞きなおすと、「自宅の屋根裏に侵入者がいて、彼方此方、徘徊して
いる。」という。よくよく聞いた後、「貴女は魔界に一歩踏み込んだようですね。
ご主人からは、それについて聞いたことはありません。」と答えた。
警察に相談して屋根裏を調べてもらった時の写真を何枚か出して、「私には、
侵入者が見えるが,貴方は見えませんか」という。 私には全く見えなかったが、
その辺から、何か精神的に追い詰められているのだろうと思い始めた。
その後、ご主人と共通の複数の知人から彼女の同様の話を聞かされた。
本人には、実際に屋根裏に何かがいるのだろう。彼女は初老で、独り暮らし。
佐藤愛子が、似たような現象を経験している。それと同じかどうか私には
分からない・・・