* 日大・アメフト部ですか
   〜ネット記事によると〜
≪ アメリカンフットボールの日大と関西学院大の定期戦で悪質な反則行為が
あった問題で、危険なプレーをした日大の守備選手が「『(反則を)やるなら
(試合に)出してやる』と監督から言われた」と周囲に話していたことが16日、
分かった。関係者が明かした。日大広報部は、内田正人監督が学内の調査に対し
「違反をしろと言っていない」と述べたと明らかにし、否定した。
 日大の選手は下級生の頃から主力としてプレー。しかし関係者によると、
最近は内田監督から精神的な部分で苦言を呈され「チーム内で干されている
状態だった」という。6日に東京都内で行われた定期戦前に「やるなら出す」
と反則行為を条件に出場の機会が与えられたという。
 当該選手は、パスを投げ終えて無防備な状態だった関学大クオーターバック
に背後から激しくタックルをして負傷退場させた。その後もラフプレーを繰り
返して資格没収(退場)となった。 ≫

▼ この衝撃的場面が録画されネットで世界に発信され炎上したことが問題。
 集団格闘技なら然もありなんだが、問題は記録として残されてしまったこと。
何処まで問題が発展するかだが、「監督の永久追放と逮捕と、チームの1年間の
リーグ戦の出場停止」が妥当な収まりどころ。 一番、傷ついたのが、日大の
イメージ。元もと低いのに、これで以前の「ぽん大」に逆戻り。学生時代の寮
の隣室に日大で3年留年の先輩がいたが、その私生活の御乱行のそれは… 
 これまで表立たなかった問題も、録画されると有耶無耶出来なくなる情報社会
の恐ろしさを連日のように知ることになる。100キロもある大男がぶつかり合う
格闘技、不正ぎりぎりの陰湿なタックルも多々あるのだろうが、あれでは言訳は
出来ない。これで、去年の優勝の栄誉が、実は多くの不正の上に成り立っていた
可能性も。観客のビデオで新たな不正場面が掘り出されなけらば… ネット
ニュースで<負傷させた日大の守備選手が22日に東京都内で記者会見し、内田
監督とコーチの指示に基づいて反則をしたと主張することが分かった。>とあるが、
これで刑事訴追の可能性も出てきた。「壊してこい」も、ルールに則ってが
前提だったか? この立件は難しい。
 不正暴力事件といえば、あの事件以来、大関横綱が、立合いの張手が使え
ないため、盤石な強さが消えてしまった。何せ番付の上下関係が厳格にはたらく
ため、「肘ち、張手」は最たるアドバンティジ。守らないと、その力士の部屋
に押しかけ可愛がり! 一人時間差攻撃。合理的朝青龍直伝のシステムだった。

・・・・・・
5911,『しあわせ仮説』 −9 ネガティビティ・バイアス
2017年05月22日(月)
             『しあわせ仮説』ジョナサン・ハイト著
   * ネガティビティ・バイアス
 動物も人間も、エサを逃してしまうより、外敵のエサになる方が遥かに
リスクが高い。エサになってしまえばゲームオーバーで、その固体の終焉に
なるため、「悪いことに対し、良いことより大きく反応する」ように、自然
淘汰の中で、設計図を変えて生延びてきた。ポジティブだけでは生きていけ
ないのである。ポジティブ3〜6に、ネガティブ1の割合で必要なこと。
但し、その濃度は、3〜6倍が必要となる。成長しなければ競争に負け淘汰
される。  〜その辺りから
≪ ネガティビティ・バイアスを調整する【悪いことは良いことよりも強い】
 自分‘が’食べるものを見逃しても、すぐには死なない。しかし、自分‘を’
食べるものを見逃したら、すぐに死ぬ。だから動物は、恐怖・不快に対して
好機・快よりも敏感に反応する。人間もその例外ではない。
人の心というものは、良い物事に比べて、同程度に悪い物事に対して、より
すばやく、強く、持続的に反応するということが心理学者によって繰り返し
見出されている。私たちの心は、脅威や侵害や失敗を発見して反応するように
配線されているため、すべての物事を良く見ようとしても、単純にできない
のである。  ≫

▼ ハイトは、「このマイナスのバイアス原理は、心理学の至る所で現れる」
と、さまざまな例を示す。その一つが、『一度の殺人を埋め合わせるためには、
人命を救うような英雄的行為を25回しなければならないと見積もられている』。
人は、自分に恐怖や不快を与えた人のことを容易には忘れない。≫
 しかし、その逆の心理も言える。傷をつけたり、殺した相手に深く傷つく。
北朝鮮のドン様。叔父を銃殺し、実兄を暗殺し、多くの側近を殺してきた。
何を恐れ、ここまで狂気になっているのか? 処分してきた身近な人たちの
亡霊を恐れているためである。外敵が日米韓なら、内なる敵は、処分した政敵
の亡霊。だから何をしでかすか、最たる危険な小心の男である。
夫婦関係を身近にみれば… 一度、争ったら、その25倍の代償が必要となる。
だから、代償の負債残高が数知れず蓄積されていく。「おお妻よ、どんな敵でも
御前のような酷いのはいなかった」と、独り呟くことになる。 
そして、ネバティビティ・バイアスは、ここで再生産されることになる。
だから、自分の世界を長年かけてつくっておかないと、爆死することになる。
・・・・・・
5181,アウシュビッツの回想
2015年05月22日(金)
                      『読書脳』立花隆著 
   * アウシュビッツの奇跡的幸運(地獄に仏)
 二ヶ月前のNHK/BSのアーカイブで、ある女性の奇跡的生還を扱っていたが、
これも似たケース。奇跡的幸運が重ならないと、この過酷の状況下で生延びる
ことなど出来ようはずがない。
≪「シモーヌ・ヴェーユは驚くべき女性だ」と書くと、日本では社会思想家の
シモーヌ・ヴェーユを思い浮かべる人が多いかもしれないが、私が言及している
のは、もう一人のシモーヌ・ヴエーユだ。フランスで最も有名な女性政治家。
一九七四年シラク内閣で保健大臣になったのを皮切りに、歴代の内閣で保健大臣
をつとめ、フランスに人工妊娠中絶法を導入したことで知られる。一九七九年
には、第一回欧州議会で直接選挙による初代議長に選出されてもいる。
だが彼女を何より有名にしているのは、ドイッがフランスを占領している最中、
ユダヤ人身分証偽造)に問われて、ゲシュタポに逮捕され、アゥシュヴィッツ
送られながら、奇跡の生還をとげたこと。彼女の腕には、いまでも囚人番号の
入れ墨がある。シモータ・ヴェーユ『シモーヌ・ヴェーユ回想録』は自ら筆を
とってその数奇な人生をふり返ったもので、フランスでは〇七年に発売されるや
たちまちベストセラーになった。政治家になってからの話も面白いが、圧巻は
第二章「罠」と第三章「地獄」。逮捕劇とアウシュビッツ時代を語ったくだり。
アウシュヴィッツに着くとすぐに、その場で囚人の仕分けが行われた。彼女
は十六歳だったが、見知らぬ人の耳打ちで「十八歳」と申告し危くガス室送り
をまぬがれる。子供、老人、身障者など労働に適さないと判定された者は、
その場でガス室送りのトラックに乗せられたのだ。「親や子どもがどこへ
行ってしまったのか(略)カポー(女看守)に尋ねる人がいると、彼女たちが
窓から見える死体焼却炉の煙突とそこから上がる煙を指し示していたことを
私は覚えている。(略)死体焼却炉の煙は休みなく煙をはき出していた。
堪え難い匂いが立ちこめていた】 読んでいくと、彼女が生きながらえたのが
不思議に思えるくらい地獄の生活がつづく。収容所の娼婦あがりの女監督官に
気に入られて「あんた本当にかわいいねえ、ここで死なすにはもったいないよ。
別のところへ行けるようにしてあげる」「でも母と姉が一緒だからいいです」
と断ると、「じゃお母さんとお姉さんも一緒に」と、本当に三人そろって、
アウシュヴィッツから別?収容所に移され、仕事も調理担当に代えてくれる
というウソのような話が本当に実現した。その女監督官がなぜそんな特別の
ことをしてくれたのか、理由はよくわからない。その頃かわいい女囚に同性
愛的サービスを求めて特別の便宜をはかる女看守もいたが、それ的な要求も
なかったという。それから間もな-戦争が終り、女監督官は英国の手で
逮捕され処刑されてしまったので、その理由がいまでもわからないという。
本書には若いときのヴェーユの写真もおさめられているが、確かにガス室
すぐ殺すには惜しい容貌だ。≫
▼ アウシュビッツといえば、フランクルである。12年前に、彼の本を
 集中して読んだが、人生への絶対的肯定に驚かされた。こういう極限の中で
奇跡的に生延びている人の共通点がある。それは、この状況下から生延びて、
家族か、友人たちと楽しい時間を過ごす具体的イメージを持っている人という。
【人生に何かを求めるのでなく、人生が私に何を求めているかを問うべきだ!】
が、特に印象に残っている。女監督官は、ただヴェーユが可愛いという理由
だけでなく、光る何かを見出したのだろう。そして、その後、彼女は光った
のである。肯定的イメージ化と、信念こそが、人生で最も必要ということか。
――
2003/09/19
《V・E・フランクル》について
 十数年前にフランクルの「夜と霧」を読んで感銘した。
そして数年前、春秋社の以下の彼のシリーズをむさぼり読んだ。
人生の調度まがり角であったためであろう。
その意味の深さー絶対的人生の肯定に魂を揺さぶられた思いであった。
彼の「意味」発見のための3つの問い
「私は、この人生で,今何をすることを求められているか」
「私のことをほんとうに必要としている人は誰か。その人は、どこにいるのか」
「どの誰かや何かのために、私のできることには、何があるか」
この3つを常に念頭において生きることが,『なすべきこと』
『満たすべき意味』を発見するための手がかりになると、
フランク心理学では考えている。

特に以下の分析には深く納得をした。
ー自己超越のための3つの意味(価値)ー
1・創造価値: 創造行為を通して得られる意味
          =仕事・子育て・学問・芸術
       ー力への意志
2・体験価値: 体験を通して得られる価値・意味
          =自然・芸術・愛
       ー愛への意志 
3・態度価値: 運命に対し模範的な態度を取ることで
        得られる価値・意味ロゴスの覚醒=対象との一体化
        ※自身が何らかの喜びに満たされていること
       ー知への意志 
人生には発見されるべき価値や意味がある
 (1)意志への自由 (いかなる境遇でも自由意志を持つことができる)
 (2)意味への意志 (意味と目的を発見し充足するのは人間の努力である)
 (3)人生の意味  (創造・体験・態度生きる姿勢の中に意味を見出す)
  ー生きることは価値判断(学習)と選択の連続である

ー私が読んだ本は以下であるー
・「夜と霧」:ドイツ強制収容所の体験記録
 V・E・フランクル 霜山徳爾(訳)  みすず書房  1985年
・「それでも人生にイエスと言う」 V・E・フランクル 山田邦男・松田美佳(訳)   
  春秋社   1993年

・「宿命を超えて、自己を超えて」
 V・E・フランクル山田邦男・松田美佳(訳)   
  春秋社   1997年

・「<生きる意味>を求めて 」
  V・E・フランクル  諸富祥彦(監訳)
  上嶋洋一・松岡世利子(訳)   
  春秋社   1999年

・「フランクル回想録:20世紀を生きて」
  V・E・フランクル  山田邦男(訳)  
  春秋社   1998年

・「フランクルに学ぶ 」    
  斉藤啓一 日本教文社  2000年

・「どんな時も、人生に‘YES’と言う
  諸富祥彦
  大和出版
・・・・・・
2003/09/20
《V・E・フランクル》について
十数年前にフランクルの「夜と霧」を読んで感銘した。
そして数年前、春秋社の以下の彼のシリーズをむさぼり読んだ。
人生丁度まがり角であったためであろう。
その意味の深さー絶対的人生の肯定に魂を揺さぶられた思いであった。
彼の「意味」発見のための3つの問い
「私は、この人生で,今何をすることを求められているか」
「私のことをほんとうに必要としている人は誰か。
 その人は、どこにいるのか」
「どの誰かや何かのために、私のできることには、何があるか」
この3つを常に念頭において生きることが,『なすべきこと』
『満たすべき意味』を発見するための手がかりになると、
フランク心理学では考えている。
ーー 
  『夜と霧』(みすず書房、1971年新版)
収容所での体験を描写することによって語っているのは
「人は変えようのない運命に直面したときでも、それに対して取る゛態度゛
というのは自ら選ぶことができる」という真実です。精神的自由、すなわち
環境への自我の自由な態度は、この一見絶対的な強制状態の下においても、
外的にも内的にも存しつづけたということを示す英雄的な実例は少なくない
のである。強制収容所を体験した人は誰でも、バラックの中をこちらでは
優しい言葉、あちらでは最後のパンの一斤を与えて通って行く人間の姿を
知っているのである。そしてたとえそれが少数の人数であったにせよ
――彼等は、人が強制収容所の人間から一切を取り得るかもしれないが、
しかしたった一つのもの、すなわち与えられた事態にある態度をとる人間の
最後の自由、をとることはできないということの証明力をもっているの。
「あれこれの態度をとることができる」ということは存するのであり、
収容所内の毎日毎時がこの内的な決断を行う数千の機会を与えたのであった。
その内的決断とは、人間からその最も固有なもの――内的自由――を奪い、
自由と尊厳を放棄させて外的条件の単なる玩弄物とし、「典型的な」収容所
囚人に鋳直そうとする環境の力に陥るか陥らないか、という決断なのである。」
 生きていれば、誰しも避けがたい苦悩に直面するわけですが、そういった
ときに、「どのような゛態度゛を取るのか」というコトが問題となってくる
のだと思います。変えられない運命に絶望しニヒリズムに陥ることや、責任を
転嫁して他者を恨むこと、現実逃避のために自暴自棄になることは簡単
だけれども、フランクルは、そういった態度は人間としての自由と尊厳を
放棄した態度だと言っているのだと思います。

「〜生命そのものが一つの意味をもっているなら、苦悩もまた一つの意味を
もっているに違いない。苦悩が生命に何らかの形で属しているならば、また運命
も死もそうである。苦悩と死は人間の実存を始めて一つの全体にするのである。
 一人の人間がどんなに彼の避けられ得ない運命をそれが彼に課する苦悩とを
自らに引き受けるかというやり方の中に、すなわち人間が彼の苦悩を彼の十字架
としていかに引き受けるかというやり方の中に、たとえどんな困難の状況に
あってもなお、生命の最後の一分まで、生命を有意義に形づくる豊かな可能性が
開かれているのである。」 変えようがない事実そのものをそのまま認識し、
そこから自分はどうするのか、何が出来るのか、といった自らの可能性を考える
態度。それは、苦しみを受け入れ、苦しみに耐えながら、苦しみと共に生きて
いこうとする態度。人はこのような苦悩を正面から受け取る態度を取ることに
よって初めて、その苦悩を乗り越え、自己をさらなる高みに引き上げることが
出来るのだと思います。ここで、苦悩の持つ意味・価値が創り出されるのでしょう。
 フランクルは、このように苦悩を超えることによって生み出された価値という
のは、他の価値とは次元の違うものであるとしています。彼は、それは如何なる
外的状況(例えば、傍から見れば「失敗」であったり「不幸」であったり「悲惨」
であったりするような状況)に関係なく得るコトの出来る価値だと述べる。
 このように、苦悩を自己の飛躍へと転化することというのは、きっと誰にでも
可能なことなのだろう、とわたしは思います。わたしたちの苦悩が収容所での
経験を凌駕するほどの悲惨なものでないのなら、この、人間が運命に対して挑む
ことの出来る唯一のやり方、「事実を受け入れ、そこから生きていくという姿勢
を取るコト」は、わたしたちにも可能だろうと思うのです。フランクルも本の
中で、このような態度を取ることが出来た人が過去において一人でもいたという
事実そのものが、「人間がその外的な運命よりも内的にいっそう強くありえる」
ということの証しとなると述べています。
  【2017年5月22日字数制限のためカット】

・・・・・・
5546,子どもはなぜ勉強しなくちゃいけないの? 〜?
2016年05月22日(日)
     『子どもはなぜ勉強しなくちゃいけないの? 』
                     おおたとしまさ(著)
 子供はこんなテーマの本を手にしない。手にするのは親など大人たち。
とすると、[子供偏]だけでなく、親向けの勉強の必要性を説く[大人編]があって、
至極当然である。私のようなリタイア後のシニアに、最後の総仕上げも含めて、
学ぶべきことは数限りなくある。せっかく地球上に、「遊び、学び、働き」に
来たのだから、総括の仕上げが必要である。この歳になっても、相も変わらず、
頼まれもしない、このような文章を書き続けている。しかし、今のところ
止めたいと思わないのは、テーマを探し、文章構想をたて、書上げるプロセスで、
多くの考える時間を得ることが出来るから。「考える」ことが、己を己たらし
めしている実感があるため。死ぬまで学び続ける姿勢そのことが最も大事である。
   [大人編]
 :荒俣 宏
動物だって勉強している/
人間は一人で生きていけないから勉強する/
人間は生き残るために知的欲求を発達させた/
「やってみたい」こそが「コンテンツ」集めの最強の動機/
「コンテンツ」が増えれば勉強はラクになってくる/
マイペースで勉強するのがいちばん身に付く/
親のアドバイスが子どものストレスになるジレンマ
 :瀬戸内寂聴
勉強しないと「心の栄養失調」になる/
子どもの得意なことを見つけてやるのが教育の第一歩/
「先生は尊敬すべき人」と教えるべき/
子どもはテストの点でなく親の顔を気にしている/
1行でも印象に残る文章を見つければ立派な読書/
 :坂東眞理子
「人はパンのみにて生きるにあらず」/
グローバル社会の処世術を身につけるには/
自分が今ここにいるのは自分の努力のおかげだけじゃない/
裾野が広くなければ高い山にはならない/
型を破るためにはまず型を覚える/
 :福岡伸一
「脳の水路付け」から逃れるために/
勉強には人類の文化史が折りたたまれている/
教養とは知識の時間軸を持つこと/
「小さな問い」に一つ一つ答えていく/
大人になれないサルが「大きな問い」を発明した! ?/
センス・オブ・ワンダー」が人生を豊かにする/
科学と技術は違う。教育と職業訓練は違う
 :藤原和博
成長社会から成熟社会への移行/
情報処理力から情報編集力へ/
勉強と遊びの両方が必要/
クレジットをためれば自由になれる/
クレジットを希少性に投資するリターンは大きくなる/
 :茂木健一郎
知恵を得る以上に価値のあることは存在しない/
「フロー」のサイクルができれば子どもは勝手に勉強する/
知識や教養は高性能な脳内ネットワークを形成する/
今こそ日本の教育のベストシナリオを描くチャンス/
親がすべきは、子どもの「学ぶ本能」が起動するきっかけづくり
 :養老孟司
昔なら「くだらないころ聞くんじゃない! 」でおしまい/
「くだらないころを聞くな」と「そういうもんだ」は違う/
「勉強したくない」というのが本当のメッセージかも/
好きなことを突き詰めればすべての学問に通じる/
山道を登り始めればさらに先が見たくなる/
――――
▼ 世の中には、「心の栄養失調」の病人?の多いのに驚かされる。
 私自身、どうだろう。 倒産という形で事業生活を終えた私の人生は、
<この結果なればこそ、「五目並べ」の白の石目が一挙に黒に変わって
しまったことで、過去の白を黒として問い直せ!>ということになる。 
成るほど、どれもこれもが面白可笑しく、それらの事象が変わってくる。
視点の変化で、「大人は、なぜ勉強しなくてはならないの?」が、そのまま
我が身に突き刺さってくる。人生を洗いなおすために、学び直すために、
この結果はベストだったことになる。 
 福岡伸一氏の《教養とは知識の時間軸を持つこと》からすれば、この随想
日記を書きつらね、同月同日の内容を毎日、読み返す行為は、ベストになる。
15年分の同月同日の時間軸で、自分を省みる勉強になっている。
「シニアになっても、何ゆえに学ばなければならないの?」の答えは、
「あなたの現状そのままが、答えになっている!」  
「自由になるため、心の平安のため、広く深く遊ぶため、後悔しないため!」
 で、これもまた、以下の文章に繋がっていく。