つれづれに

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4449, 老いと鬱屈
2013年05月22日(水)
                 「老いへの不安」春日武彦
   * 不快や苦悩は体内に蓄積される
 一線を退き第二の人生に入り、腰を据えて周囲をみると老人の鬱屈した姿が目につく。
どうも老人の真の姿は鬱屈にあるような気さえしてくる。そして、合せ鏡で自分の鬱屈も
垣間見ることになる。不快や苦しい事象は体内に蓄積した結果、鬱屈してしまうようだ。
締りが無くなるのは肉体だけでなく、精神にも出てくる。それが社会的な縛りも無くなるため、
長年蓄積された砒素などの毒素が心の奥に蓄積されて、愚痴の塊の老醜が身体全体から出てくる。
 
  ーその辺りを精神医の著者が、明快に説いている
≪ 老いることは、人生経験を積むことによって「ちょつとやそっとでは動じない」人間になって
 いくこととは違う。難儀なこと、つまり欝陶しかったり面倒だったり厄介だったり気を滅入らせたり
鼻白む気分にさせたりするようなことへの免疫を獲得していく過程ではないのか。難儀なことを解決
するのか、避けるのか、無視するのか、笑い飛ばすのか、それは人によって違うだろうが、とにかく
次第にうろたえなくなり頼もしくなっていくことこそが、老いの喜ばしい側面ではないかとわたしは
思っていたのだった。だが、世の中にはまことに嫌な法則がある。嬉しいことや楽しいことに我々の
感覚はすぐに麻痺してしまうのに、不快なことや苦しいことにはちっとも馴れが生じない、という
法則である。不快なことや苦しい事象は、砒素や重金属のように体内へ蓄積し害を及ぼすことはあっても
耐性はできないものらしい。だから老人は諺屈していく。歳を取るほど裏口や楽屋が見えてしまい、
なおさら難儀なものを背負い込んでいく。世間はどんどんグロテスクになっていき、
鈍感な者のみが我が世を謳歌できるシステムとなりつつある。
・・・いずれ私たちもこの世界を置き去りにしてどこかに消え去っていく。ならば世界と一緒に置き
去りにしていくグロテスクの連中を「肯定的で寛大な心」を無条件に示してやるのもひとつの見識かも…≫
▼ 老いへの不安に身体能力の衰えや、寝たきりや痴呆で他人の世話を受けなければならない状況、
 要は弱者に追い込まれる不安がある。さらに言えば、今までは別ものと思っていた老人へ変わって
いく自分への恐怖。それを受け入れまいという屈折した気持ちが、何処かにある。そこに不快感と
苦悩が蓄積されていく。それが老いるということ。老いを楽しむなどほど遠い。だから、孤独な老人に
なっていく。だから早いうちに、その孤独の別室を準備しなければならないのである。

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4075, 哲学で自分をつくる ー3 (ソクラテス
2012年05月22日(火)
             「哲学で自分をつくるー 19人の哲学者の方法 」 瀧本 往人 (著)  
   * 知ったかぶりするな! ばか
  第一章  しったかぶりはもうたくさん ~ソクラテス 
        ――「無知の知と魂の鍛錬」――    
≪ 自分のことは自分が一番よく知っているというが、本当にそうだろうかと2500年前に問うた
 人間がいた。ソクラテスである。彼は一切、書物を書き残さなかった。ただひたすら人々に問いかけ、
納得のいく議論を仕掛けた。 自分自身を知るためである。その自分自身を知ることは「無知の知
から始まる。何も分かってない自分を知ることである。 ソク
ラテスは「無知の知」「魂の鍛錬」がキーワードになる。彼は、哲学の生みの親である。確固たる
哲学の約束事のない中から哲学を作り出していった。彼の問いかけは、多くの人々の心、魂を強く
揺さぶった。しかし、当時、弟子を除けば、偏屈者としか理解してもらえなかった。
 お前は無知だと他人から言われれば、不愉快に思われて当然。しかし、ことの発端が、当時の
ギリシャ人が奉っていた神が、「ソクラテスアテネで一番の知恵者である」というお告げを出した
ことである。そこで彼は、「こんな馬鹿がなぜ一番の知恵者か、間違いではないか」と考える。
そこで、世間で知恵者といわれている人たちに多く会ってみる。彼らは、確かに知識、技巧、才能はある。
それは凄いが、それが何であるかの理屈がない。その根拠や意味が説明できないと、ソクラテスは考えた。
説明できないなら、「知恵」がないに等しい。ソクラテスは、彼らほど何かを持っていないのに、
一番の知恵者といわれるのは、自分が何も知らないということを知っているだけ。彼らから知恵を
学ぼうとしたが、彼らは何も知らないといえない。ソクラテスは彼らより風通しのよいところにいて、
なぜと問うことができる。どうも、その辺が違うのではないかと考える。それまで似たような理屈を
こねる人々は ソフィストと呼ばれていたが、彼らが追求していたのは「弁論術」と呼ばれていた。
自分の意見で相手を説得することを目的にしていた。どうも、それとは違う。「たえずそれが何で
あるかを問い続けることが大事なのである。これが「知を愛する」、つまり「哲学」と考えた。
 それを公衆の面前で行ったため、結果として相手をやりこめることになった。それゆえに、相手から
憎しみを増す結果となった。 ≫
 ▼ 相手の無知、いい加減さをつけば、相手は不愉快になる。その相手の怒りの感情や圧力に
耐えて、その先にある真実を追求しようというする態度、これが哲学である。この歳になっても、
毎日のように自分の無知に出会うことは、他人だけでない、自分が一番、辛い。しかし、せっかく
地球に人間として生まれきたからには、少しでも真実を追究するのは当然のことである。感動し、
感激すること、真実を知ること、自分とは何かを求めることは、死ぬまで求めなくてはならない。
以下は偶然関連していた。

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3709, 自己を見つめる -25 
2011年05月22日(日)
               「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
 最後の「解説 渡邊哲学の真髄 ー榊原哲也」が、全体の要約で締めくくっていて分かりやすい。
  ーまずは、その部分から
【 著者の渡邊氏の長年の研究成果は、
・「世界を見ることは自己を見ることであり、自己を見ることは世界を見ることである」という
 哲学上の根本洞察と、
・「意味と無意味が力動的に交錯する世界のなかで他なるものの媒介を経ながら自己を実現して
 いくのが人間である」という世界観・人間観に結実したが、こうした渡邊哲学の核心が、本書
 ではたとえば、「内面性」という「孤独」こそ「そこで私たちが本当の自分を取り戻し、自己
 自身と世界と人間のすべてを見直し、存在の真相に触れ直す瞬間だ」(「孤独」)とか、
・「どこからも、どこへも見通せない、その投げ出された底なしの」「自分の存在の根底」を
 みつめつつ「まことに定めなく、当てにならず、油断のならない魔物である」「世間」のなかで
「徐々に自らの理想を目指して努力する漸進主義的な考え方以外に、人間の生きる道はない」
 (「世間」の章)といった平易かつ説得力ある表現で語られている。
・本書でたびたび言及される「これが、生きるということだったのか。よし、それならば、もう一度」
 という二ーチェの言葉は、世界観・人生観上の根本問題に対する渡邊哲学の真髄を一言で表した
 モノといっても過言ではない。
本書は、一般の読者が人生の諸問題を自分にひきつけて哲学的に考え、「自己を見つめる」ことを
可能にする好著であり、また渡邊哲学への格好の入門書でもある。放送大学叢書の一冊に加えられる
ことになった本書が、さらに多くの読者を獲得することを願ってやまない。
  (さかきばら・てつや/東京大学大学院准教授) 】
 ▼ 人生の節目時に、偶然この本をみつけ、連日、読み解説をしてきた。一章ごとに、考え
させられる内容で満ちていた。特に、「孤独」「愛」そして「老い」については、{老いへの節目時}
ということもあり、一言一言が自分の現在に向けられているようである。 ー特に以下の部分は現在
の心境にあって、ドッキとする内容である。
【 老いは、心身の変化や不調、障害や不全、病気や悩、生計の面での困難や窮迫、人間関係に
 おける亀裂や別離、忘恩や裏切り、さらには長年の人生遍歴における事故や災害、対立や紛争
などの側面の出現といった、ありとあらゆ
る不幸な事態の顕在化という姿を取って、人生の暗い側面を表す顛末の様相を帯びながら迫ってくる
傾向が強い。もちろん、明るく幸せな老年というものも存在するであろう。けれども、老いは、
もともと死の予感とも結びついて、悲惨な様相の影を本質的に内在させている。
*老いは総じて、誰もがそこから眼を背けたがる暗黒の象徴を含んだ現象であることは
否定することができない。】
老いてこそ気づくか?
 
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3344, 高校生でもわかる日本経済のすごさ  ー1
 2010年05月22日(土)
 「高校生でもわかる 日本経済のすごさ」三橋 貴明 (著)
   ーアマゾンの内容紹介よりー
 消費税は上げなくても大丈夫! 年金は破綻しない!政府の借金は心配するな!  国民的大疑問を
丁寧にわかりやすく解決。日本経済の常識を根底から覆す。 世界の経済大国「日本」の底力を、
グラフやデータをもとに世に知らしめる珠玉の一冊! 
≪年金、消費税、格差、国の借金。4つのテーマから見る、日本の将来が安泰なこれだけの理由。≫
  ーまず、その概要をまとめてみたー
 以前からメディアは日本の借金が数百兆円だ、破綻すると騒いでおり、現在、日本の借金は
1000兆円を超えようとしている。しかし一向に国家が破綻する気配を感じない。「いつ破綻するの?」
「いくらになると破綻する?」のだろうか。 父親(国家)が、子供たち(国民、企業、他)の
預金を借用書(国債)で目一杯借りて、何とか急場を凌いでいるが、それが数年で差し引きゼロの
限度に達しようとしている。 とはいえ国の預金は、まだ二百数十兆円もあるから大丈夫!とか。
そして発行する国債の限度が尽きた時、自前で札を刷って、それを国債で賄えば良いだけと著者は
主張する。しかし、これは禁じ手と前から言われていること。 この辺から著者の論に疑問が出て
くるが・・。 国の金融資産も、アメリカ国債を強引に買わされ、その額が500兆というし、
楽観視は出来ないはず。 ただし消費税がまだ5パーセントと、20~25パーセントまで余裕?
がある。 (ここには書いてないが)それを資産価値に換算すると500兆円。しかも国民の
銀行預金や企業の預金などで国債借入れを賄っているので円安になった時のリスクはない。
(もし外貨建てなら90円が150円になれば、借金が900兆円から1500兆円に増える
ことになる。)知人から「国債は永久債にして、返済は一切しない!で、金利だけ払う方法がある」
と聞いたことがあるが、金利をしっかり払えば、子供たちも何とか我慢してくれるか? そのため
諸外国は日本の国債の異常な数字には、あまり危険視をしていないというが・・。 
ところで、リーマンショックで欧米がニッチモサッチモいかなくなってしまった。アメリカは
軍事力を背景に新ドルの「アメロ」の切り替えで、デフォルトをしてくる可能性があるが、
ユーロ通貨の矛盾も見ているので躊躇するだろう。「日本経済がすごい!」稼動かは疑問だが、
1400兆の預金は中途半端な金額ではない。 それと、消費税の10~15パーの余裕もあるか? 
さらに永久国債化と、日本銀行国債買い入れ、デノミ、道路公団の株式化による売却に、地方
分権と称した切捨てに、・・ギリシャのように、気楽に生きましょうか~     ったく! 
 ー続くー
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2969、住まうこととさすらうこと -1
2009年05月22日(金)
 「住まうこととさすらうこと」 ウーテ・グッツォーニ著      ー読書日記
   * 世界という家の中で、住まうこと と さすらうこと
 図書館で何気なく手にとって、そのまま二時間以上も近くの机で読み込んでしまった。 
その本の冒頭に芭蕉の『奥の細道』 「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也。 
舟の上に生涯を浮べ、 馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。
古人も多く旅に死せるあり。」が書かれていた。住まうこととさすらうこと、さすらうこと
と住まうこと。 人生を振り返ると、この二つの間を行ったりきたりした。そこで学生時代の
寮生活を思い出してみると、住まうこととさすらうことの重なっていることが解る。
そして、その後にジャスコに勤務をし、三重、神戸に行き。 東京に舞い戻り、金沢に、
住まいさまよい、長岡に舞い戻り、千葉に、そして再び長岡・新潟に 住まいさすらってきた。 
人はそれぞれが、住まいさまよってきたから、その一言一言が鋭く心奥に響いてくるのである。
(以下は字数の関係でカット2012年5月22日)
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2605, 自己愛について
 2008年05月22日(木)
先回書いた「最近みる夢」で、自分の夢を分析して驚いたのは、自分の心の奥の本質を、
そのまま提示されたことである。夢に出てくる「海」が「自己愛」の象徴で、海底の牢獄で
もがいている己の姿に、我ながら驚いた。ユングの地下の象徴の夢に近い。その夢の中には、
自己逃避、不安、自己愛、それに囚われもがいている自分、そして、死などなど、多彩な内容が
重なっている。これは、私個人というより、人間の本質を提示していると言える。
(いや、勝手に、そう解釈したとも言えなくないか?)
そこで、行き着いた「自己愛」とは何か?を調べてみた。
▼ 真の自己愛とは、奥深い自分に忠実であるということ。 自分が深く納得している自己愛
 でなければ、ナルシストの姿かたちの表面的なものに過ぎない。キリスト教の教えのように、
真の自分を愛するように隣人を愛しなさいという自己愛である。 自己愛という言葉は、
「私さえよければ」という利己主義とはまったく違う。 あるいはまた、自己愛は自分の魅力
を感じて 自分自身が好きであると思われることもあるが、本当はそれとも違う。その区別を
見わけるために本当の自己愛の条件をあげてみる。自己愛とは、自分が認められたり、周りから
褒められたりすると、喜ぶ。これが自己愛です。生きていくうえで、他者の存在は絶対に必要で、
そのため自己愛と同じように他者愛を持つことも必要となる。 常に自分が一人ではない、と認識
したうえで、自己愛を持つことが、健康な自己愛といえる。その極端な「自己愛性人格障害者」の
特徴として、次のようなものがあげられる。
・自分は偉くて重要人物だと思っている。この幻想に限度がない 
・自分は特別であり、優れている人にしか理解されないと信じている。
・過剰な賞賛を求め、特権意識が異常に強い。         
・相手を自分の目的にしか利用せず、相手に共感することがない。
・自分の身体の不快にとても敏感でオーバーに反応する。
  ~~ 以上だが、
 ごくごく至近に、その傾向の強い人がいる。女性の本質だから仕方が無いだろうが。
いや、誰の心の奥にも酷似した傾向が隠れている。
               (以下は字数の関係でカット2011年5月22日)
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2007年05月22日(火)
 2240, ヤバいぜっ!デジタル日本    ・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ○〕 
                高城剛著  集英社  ー読書日記
ー表紙裏に書いてある内容ーから
ヤバいとはvery badとvary coolのWミーニング。世界各地を飛び回る著者が、情報最先端の
事象を紹介しつつ日本人の知らない日本と日本人を論じる。世界から取り残されてしまった
IT戦略をこのままにしていいのか? 国家ブランド戦略をきちんと立てなくていいのか? 
日本が世界に広めたハイブリッド車のように、異なる
要素を組み合わせて新しいスタイルを創ろう、それこそが日本人の得意分野で、世界から
「クールでヤバい」と評価されるはずじゃないか? 日本への憂慮と愛が溢れる、元気の出る本。
今後10年間のデジタル社会の変化を予言する書でもある。著者は、これからの近未来はPCではなく
「携帯電話」を情報の受・発信装置として駆使するライフスタイルが主流となり、そのTrendは
日本(人)が主導する」と予言。「携帯で電話しながらメールを書いてるのは日本人くらい凄いらしい」
Googleは基本的にただの情報整理屋」と断定している。デジタル社会に乗り遅れないために
日本が行うべき事として使い方(ライフスタイル)志向で携帯電話の機能・Design・Softを開発し、
デジタル社会のプラットホームにするような国家戦略を練っていくべきと論じている。
グーグルに対しての見方には異論があるが、それでも携帯電話が主流になるとは、成る程と思うが・・
ーまずは面白そうな部分を
 P-21 ー TVを処分することを勧める!ー
(字数の関係でカット2013年5月22日)
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2006年05月22日(月)
 1875, 大相撲・千秋楽   才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
大相撲は初日と千秋楽が何ともいえない緊張感があって面白い。
  (以下は字数の関係でカット2012年5月22日)
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2005年05月22日(日)
 1510, ご自愛のほどー2
この本は仕事も家庭も愛するひとりの女性が、長年の経験と知恵と、大切にしてきた
ことを娘のために綴った、 (以下は字数の関係でカット)
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2004年05月22日(土)
 1145,「デフレ・スパイラル」について
 資産デフレと物価デフレが、装置産業にいるためか深刻である。
そこで、デフレについて、調べてみた。
(字数制限のためカット2010年5月22日)
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2003年05月22日(木)
778, 私が10歳の頃-1956年
 長岡の坂之上小学校4年から5年生に進級した頃だ。
10歳までが長岡駅前の繁華街の四つ角の衣料ディスカウント店の3階に住んでいたが、
この年に駅裏の台町に転居していた。
  (字数制限のためカット2010年5月22日)
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2002年05月22日(水)
 414, サッカー直前の馬鹿話!
一昨日、TVでサッカーのキャンセルがここにきて大量に出て、
開催地のホテルが深刻な?悩みというのを放映していた。
  (以下は字数の関係でカット2012年5月22日)