* 面白い写真!
  Yahoo!で、見つけた面白い写真。
 デジカメ機能が進化し、小型化、格安化したため、多くの人がデジカメを
常時、保持してシャッターチャンスが持っている。日常の中で、中で思いもよら
ない「面白写真や、ビデオ」が、YouTubeを中心の投稿される。これはYahoo!
あったものだが…
《 オジロワシの頭の上でハヤブサが“スキージャンプ”−。
 北海道・十勝の音更町在住で会社員の安斉芳行さん(56)が豊頃町内で、
2羽の猛禽類が縄張り争いをする珍しい瞬間の撮影に成功した。頭の毛をつかみ、
やや前傾気味に体を伸ばした様子はまるでスキージャンプの飛行姿勢のようだ。
写真は9日に撮影した。街路灯に止まっていたハヤブサオジロワシを発見し、
新しいコンパクトカメラの試し撮りを兼ね構えたところ、飛び立ったオジロワシ
を追い掛けてハヤブサが威嚇を始めた。背中の毛をつかんだハヤブサはそのまま
乗りかかるような態勢で飛行した後、上空へと飛び去っていった。》
 ――
   * 夫婦で目安の預金が3000万円
 何か論理に飛躍があるが… 朝日新聞にシリアスなテーマがあった。
< 65歳の夫婦の場合、90歳まで生きるとすると、3000万が必要! >
ドキッとする内容だが、これだけ持ってないと枕を高く寝てられないという内容。
「だから、どうした」の話は欠落している。あくまでも、計算上の三段論法。
「65歳の無職夫婦の平均年金が255万で、支出が321万で。90歳−65歳の25年で、
66万の赤字で、年70万のマイナスとして合計1700万と、その他の車の修理、
家の修繕、など特別経費で1000万として合計3000万という論理。概ね長生きする
妻の立場からすると、考えておくべき深刻な話。 とはいえ、金欠で餓死する
という話でもない。
▼ 一世帯平均の預金が1700万というが、均したボリュームゾーンの真中は、
 400万で、3割は預金ゼロという。400万なら、毎年、マイナスが66万なら6年で
底をつくことになる。一週間前に、近所に救急車が一日、4回も来たのが不思議
だったが、数日後に、この記事を読んで、「金欠のため搬送後に、逃げるように
帰ったのでは?」という考えが頭によぎったが、これは一方的な妄想?だが。
私が預金ゼロなら… 健康でも、そこそこの準備は必要だが、死んでしまえば、
経費ゼロ。
 アテネの時代から現在の欧米社会に至るまで、3%の特権階級、30%の市民
階級と、67%の奴隷階級が存在してきた。三分の一の人達には2〜3千万の
預金が。 未満の人達には概ね400万ぐらい、0〜100万が三分の一を占める。
グローバル化、情報化社会で、今まで、表に出なかった階級社会が、面前に
つき付けられてきた。これで朝鮮戦争など有事があれば、更なる厳しい現実
に直面することになる。国民の過半数以上が、かなり厳しい近未来が待ち
受けていることになる。この20数年で、日本という国家が衰退したようだ。

・・・・・・
3986, 生保に入るバカ、入らないバカ ー3
2012年02月23日(木)
 ここで、著者は、保険会社の危なさを次のように書いている。
≪「生保」という商品は不思議で、ふだん買い物をして、商品を持って帰る段
 になって、買ったものが買い物袋に入っていない(しかも10万〜15万円分
足りない!)のに気がつかないのは、変だろう。(p.144)≫と・・・
セールスは顧客のためにというのは嘘で、会社のために、顧客の無知に付込んで
契約をする。それも弱者の不安を掻き立てて。最近は、成人病でポックリという
のが多いが、40歳後半までに死ぬ確率は非常に低い。65歳まで亡くなる
確立は2割である。それを死ぬか死なないかの5割の確率で命をかけた博打
をするのだから、保険屋が儲かるのは自明。(詐欺的)要素を持った商品を
セールスが言葉巧みに、貧しく無知の主婦を狙い撃ちにさせる。保険会社ビルが
立派なのは、顧客を信用させる小道具のため。国家予算と保険の売上が同額
というのだから呆れる以前に、むしろ感銘を受ける。
ー それでも生命保険に入りたい人に「生命保険のカラクリ」著者の
岩瀬 大輔は次のような心掛けを勧める
  ◎ 生命保険にかしこく入るための7か条
一、死亡・医療・貯金の三つに分けて考えよう 
二、加入は必要最小限、を心がけよう
三、まずは中核の死亡保障を、安い定期保険で確保する  
四、医療保障はコスト・リターンを冷静に把握し、好みに合ったのを選ぶ
五、貯蓄は金利が上がるまで、生保で長期の資金を塩漬けは避けよう
六、すでに入っていても「解約したら損」とは限らない。見直そう  
七、必ず複数の商品(営業マンではない)を比較して選ぼう 
◆ 数年前のことだが、家内が街中で見知らない女性にスカウトをされた。
 それが保険勧誘員。「何か保険セールスに御似合いのようで、如何ですか」
と勧誘されたと嬉しそうにいう。「典型的保険セールスのキャッチじゃないか。
カモがネギをしょっているように見くびられただけ。まさか乗ってしまったん
じゃなだろうな」と、私。 断ったというが、なる程!幾らでも手があるもの。
保険のブラックボックスは、あの契約書。好き放題、手前勝手でも法律の限界を
守って、全国レベルの経験則が入っている。相手は単独の無知の大衆。
マスコミも広告もあるので、それに触れない。私の両親は、数千万はゆうに
払ったがバックの話は聞いたことがない。Oとかいう関西系の保険屋の男に
食い物にされていた。
・・・・・・
3256、挫折を考えてみようか −4
2010年02月23日(火)
誰もが、人生の中で大きな挫折を経験する。挫折といえば若いときほど、
その経験はプラスになるケースが多い。そのまま、潰れてしまう危険も含まれて
いるから額面どおりにはいかない。しかし、それを乗り越える過程でついた力は、
大きい成長のためのバネになる。映画監督の新藤兼人の挫折についての言葉がよい。
「挫折をして、挫折のままだったら、今いないわけでしょ。生き延びてきたと
いうことは・挫折を乗り越えてきたからなんです。そうすると、私の財産は挫折。 
乗り越えるためには、試行錯誤があって、まだ挫折が来る。若い人は挫折をして
ませんね。これからするわけなんだから。だから、若い人と対抗して仕事ができる
気持ちになれるのは、私が挫折という財産を持っているからなんです」
 〜〜ネットで出てきた挫折の格言である〜〜   一言一言が身に沁みる!
『転んだ時にはいつでも何かを拾え』  オズワルド・アベリー
『最大の光栄は、一度も失敗しないことではなく倒れるたびに起き上がること』  
                          ーゴールドスミス
『失敗したところでやめてしまうから失敗になる』     松下幸之助
『過失を怖れては何事も為し得ないだらう』        小熊秀雄
『日本人は、失敗ということを恐れすぎるようである』   本田宗一郎
『失敗することを恐れるよりも、何もしないことを恐れろ』 本田宗一郎
『失敗には、許される失敗と許されない失敗がある』    畑村洋太郎
『失敗は人生の免疫である。味わい尽くし分析せよ』    中島義道
『何か始めてうまくいかなかったら、またやりなおせばよい』 大前研一
『努力をあきらめないかぎり、失敗なんてこの世にはないのだ』  ハバード
『我 事において 後悔せず』  宮本武蔵
『失敗のうちで最大のものは、失敗を何一つ自覚しないこと』   カーライル
『受身が身につけば達人 まけることの尊さがわかるから』    相田みつを
『勝つことばかり知りて負くることを知らざれば害その身に至る』 徳川家康
『最大の名誉は・・・倒れるたびに起き上がることである』    孔子
『過って改めざる、これを過ちという』             孔子
『おれは落胆するよりも次の策を考えるほうの人間だ』      坂本竜馬
『つまづいたっていいじゃないか にんげんだもの』       相田みつを
『他人のように上手くやろうと思わないで、自分らしく失敗しなさい』大林宣彦
エジソンは失敗を楽しんでいたんとちゃいますか』        ジミー大西
『生きる力とは、成功を続ける力ではなく、失敗や困難を乗り越える力』松井秀喜
『失敗は問題だ。成功しようとしないのは、もっと問題』    ルーズベルト
『恋をして恋を失ったほうが、一度も恋をしなかったよりましである』テニソン
・・・・・・
2009/09/18
3088,挫折を考えてみようか −3
ある人に「あなたの『挫折を考えてみようか ー1』を読んだが、
貴方には挫折経験がないのでは?」と言われた。そこで改めて考えてみた。 
大学浪人は、そこで進学を断念したのなら話しは別だが、挫折ではない?
金沢時代も挫折とは違う。目的もしっかりあったし、絶好の体験をしていると
いう実感はあった。創業を目指して彷徨いながら準備をしていたという明確な
絵図があった。そうこう考えると、「挫折体験はないのでは?」という指摘も
正しいことになる。先が見えないで暗い心情になっていた時期で挫折とはいわない。
そうこう考えると、挫折などと軽々しく言わない方がよい!ということか。
ネット辞書によると「挫折とは計画が達成できないで心が折れてヤル気を失うこと」
とあった。挫折は、それまでの自分を一度破壊して新たな自分の創造を促すチャンス
になり、竹の節目に譬えることが出来る。 そこに大きな鍵が隠されている。 
超越者の声に敏感になることもある。それまでが横の時間なら挫折の時節は
縦の時間。「節目を打て!」というが、そこで超越者に試されことでもある。 
物語なら、そこを節目としての転換期になり、「起承転結」の「転」の時になる。
挫折の状態は、追い詰められた状況ほど芸術作品や本などを通した超越者の
語りかけに鋭敏になる。 「予定挫折」という言葉がある。挫折を意図的に入れて
置いて、人生の踊り場にするのである。そこは枝葉を切って根を養う時節であり、
超越の時節になる。「そうか〜挫折と思い込んでいただけか〜」と思ったが、
それでは、挫折が無かったかというと、勿論ある。実は見落していたのである。 
大学浪人や創業時の準備は勘違い? しかし深傷だったが。最近になって
「自分は中学浪人だった」と、何人かの知人から聞いて驚いたが、一番傷つきやすい
時期の、それから見れば、当時の大学は半分近くが浪人経験者で、挫折でない。
また私の姉夫婦と実兄夫婦の倒産劇で、大きく挫折をしたのを間近で見たが、
壮年、老年近い挫折は厳しい。最近はリストラで日常が挫折だらけになっている。 
他人事ではない。予定挫折ともいかないし。幸福というビルの最上階の4Fならいいが、
屋上から何は? 挫折を茶化すこともないが・・・
「挫折とは計画が達成できないで心が折れてヤル気を失うこと」か〜! 
  なら日々挫折である。計画が甘いだけ?。
・・・・・・・
哲学について
3087,挫折を考えてみようか −2
2009/09/17
哲学者のヤスパーの「限界状況」と「包括者」は、なかなか含蓄がある。
ヤスパーは第二次世界大戦でナチへの協力を拒否したため、大学教授を剥奪され、
身の危険を感じスイスに亡命せざるを得なくなった体験がある。そこから
「限界状況」という考えが、色濃く反映している。
『限界状況』とは、突き当たり、そこで挫折するしかない壁、具体的には、死、
闘争、悩み、歴史による規定などをいう。それらの乗り越え難い厳しい壁を目
の前にして、逃避するなら人間は自分を失ってしまう。
反対に、その試練を真摯に受け止めることよって初めて、我われは自分の
生きる姿を知ることになる。しかし受け止めたところで、限界状況では挫折は
避けられない。しかし、この挫折が私たちを超越者(=包括者)の世界に導い
てくれる。もちろん、ヤスパーが考えたのは、挫折(無力感)から神のような
超越的なものへ目が見開かれるという宗教的なことではない。包括者を認知する
とは、この世の中に決して合理的に理解できないものがあることを知るという
こと、理性の限界を知るということである。理性の限界を認識してこそ、私たち
は理性的に思索できる。それをヤスパーは包括者の認知と提示したのである。 
20世紀から、このかた原爆、世界大戦、ナチ、毛沢東などが、大量殺戮を繰り
返してきた。 それは徹底した合理主義の下である。理性そのものの疑問が生じる
のは当然である。我われの挫折も、それを逆バネにすれば自分の無力感を、超越者
(作家や芸術家など)から救ってもらう切っ掛けとなる。
挫折は、それから学びプラスに出来れば、これほど効果的なことはない。 
その限界状況が芸術、思想、自然、歴史などの暗号を解いて、包括者を受け入れ
やすい環境として最適な状態となるのである。挫折は、自分の壁が破壊すること
でもある。 その壁は、自分を守ってもくれるが、反面、殻にもなってくる。
養老孟は、それを馬鹿の壁と表現した。そうこう考えると、人間にとって
(特に若いときの) 挫折は必要欠くべからざる経験ということになる。 
ところで先日・・・・    〜つづき  
・・・・・・・
2009/09/14
3084,挫折を考えてみようか
「挫折」については誰かが考えているはず、と調べたら、ヤスパーがいた。
ヤスパーは、挫折を「自己に目覚めるきっかけ」として捉え、自分自身を乗り
越える機会とみる。人間は日常の生活に明け暮れで生きているが、それでは真に
生きていることにはならない。なぜ己が世界に生きているかを問い、自分の
あり方を求めることが生きる出発点になる。ところが、それを真正直に守ると
最後には挫折が待っている。人は最期は死ぬのである。それを考えると生きて
いる根拠がなくなり、行き着く先の挫折を「限界状況」とヤスパーはいう。 
色いろの挫折を重ね、最後に「死」が厳然と待っているのは、身近な死が我われ
に教えてくれる。しかし死を含めた多くの苦悩を通して、人間は真の自己である
実存を自覚し、そこから苦悩を乗り越える「超越」への基盤となる。しかし
人間は死の戦いや苦悩を、実存の最終的なあり方と受けとめることが出来ない。
本来は、愛、永遠、無垢に惹かれる存在だからである。 ヤスパーは、
《 実存は苦悩のうちに挫折しつつ、指し示す絶対者=包括者へと
超越することが要求される。その超越が促すのが「暗号解読」である。それは
一種の象徴で、有限な現実の存在が自らを越えて絶対なる超越を指し示すのである。 
芸術、思想、自然、歴史など、そうした暗号によって、それを包括者へと超越せよ、
という指示として受け取るのが暗号解読である。》
と、挫折=限界状況の先のアップスケールとして、自己に目覚めるきっかけ
とする。人間が生まれ存在しているから挫折をするのである。そして最後の挫折
としての死を受け入れるプロセスが超越だったり、真に生きることであると指摘。
人間は誰かに人生を代ってもらうことはできない。限界状況をひとりで背負う、
本質的に孤独な存在である。だからこそ独りに閉じこもらず、自分の実存を他者
に開示すべきとヤスパーはいう。他者との交わりを通して、自分を振り返ることが、
更に自分に近づくことになる。実存に目覚めた人間同士の交わりを
「愛しながらの戦い」と呼んでいる。人生を振り返ると、挫折から多くのことを
・・・・・・
4361, 嘘と真実 −2
2013年02月23日(土)          
    「うそつきーうそと自己欺瞞の心理学」チャールズ・V・フォード著
  * うそつき 
 この本は、「嘘と真実−1」を書いた後で、図書館で見つけた本である。
この年齢になり人生を振り返ると、鮮明に己の行蔵がみえてくる。そこには、
自分に対する都合の良い言い訳や、無意識の浅ましい自分の嘘が浮かび上がる。
特に青少年期にまず身につくのは自分を騙すこと。自分の未熟さを認めたく
ないため、ウソで自身に対する「日々是口実」になる。身勝手の本性に小理屈
をつけ、まず自分に対する言い訳を考え、それを信じてしまう。
だから生きていられることもある。
ー以下は、この本の訳者の‘あとがき’中で語られている至言と
 いわれるフレーズ。 これだけで、要約になる。
「人は自分にうそをつくために他人にうそをつく」 
          《まず人は自負心を保つために自分にうそをつく》
「人間は、自分のいうことを自分で『信じている』とき、より効果的うそをつく」
          《犯罪者の起点は、ここから始まる》
「うそをつく人間とつかれる人間の両者が共謀して事実をわい曲する」
          《基本的技法は相手の聞きたがっているウソを語ること》
「うそのつき手あるいは聞き手のいずれか一方が主犯というわけではない。
           うそは双方向通行の人間関係による力学的作用である」 
          《 落ち目の会社にある不信の構造に見られる? 》
「優秀なセールスマン同様に政治家もまた、選挙民を相手に、選挙民の聞き
 たがっていることを語る。この関係は双方的なもので、政治家が有権者
 自己欺まんを代弁することもある」
 《権力を求める政治家に自己愛的な人が多く、その特性がうそを助長する。
これ、恋愛もいえる。人が真実のなかに求めているのは『いいニュース』だけ」
 《集団内で相互に強化される自己欺瞞が、恐ろしい問題をひきおこす。 
                 現在の国内政治にも心当たりあり! 》
「正真正銘の真実を聞かされてがまんのできる人間はそうはいないものである」
          《逆にゴマすりも、熟練にまで高まると・・》
「幸福は、その希少性からして一つの精神障害として分類されるべきもの」
          《病的嘘つきは、脳機能不全と関連が多い》
「男が女に、また女が男に自分を見せる際には、隠れた本能的な力が
          ある種のうそを助長する」《だから恋愛が成り立つ》
「うそを語る特権なしには、文学をはじめとして芸術の世界は存在しえない」
「人間の語る身の上話などというものは、いかに筋が通り、もっともらしい
 ように思われるものであっても、その人の過去の歴史的事実とはあまり関係
 のないものだ…」《過去は、書き直され再編成され全く違ったものになる》
「…自分の人生に首尾一貫したものや意味を見いだそうというときには、
          正確な歴史的事実など重要ではないということもある」
「真実やうそというものは、それ自体では道徳的なものでも非道徳的なもの
 でもなく、単なるコミュニケーションの形態にすぎない。その道徳的価値が判断
 されるのは、他者との関係においてそれがいかに用いられるかによってである」
         《リアルのウソが効果ある》
「自分にうそをつくのが下手な人は、うつ病になりやすい」とあるが、
 人間は自分の真実の実像を見ていたら耐えられないのは自明である。そして、
「人はうそをつく能力は高いが、うそを見破る能力は低い」という欠点がある。
「うそは人間関係の調整、不安や苦痛への対処、種としての存続、個人として
 栄えるために不可欠の要素」がある。自分が「不完全である」という事実を
 受け入れられないために、他者を批判し、他者を犠牲にすることにより、
 自分への批判をまぬがれようとしている(自己愛)人間が存在する。
▼ 性悪説の上で、性善説を説けば良いのか? それは他者だけでなく、
 自分を見つめれば分かること。本当のことってあるのだろうか? 
本当と思っているだけではないか? 時間の経過で、うそも本当になり、
本当もうそになる。利口者の自己欺瞞、馬鹿の正直者、その間に揺れるのが心。
利口者の正直者もあるし、馬鹿の自己欺瞞もある。
・・・・・・
5823,閑話小題 〜しまった! ーああ勘違いー 11
2017年02月23日(木)
   * ああ勘違い    <第6章「フレーミング〜ああ勘違い」>
・「日常の多くのもめ事は間違ったフレーミング(問題を捉える枠組み)が原因」
 解) 相互理解というが、人は相互理解など出来るのか? 自分の思いこみ
 (偏見)を貼り付けているだけで理解など出来ようがない。認識は、「主観が
 対象を従えるのであって、客観に主観が従うのではない」という道理。
 フレミングの共通化など、土台無理の話。烏合をフレーミングと勘違いした衆。
 楽で、寂しくなく、温もりがあるが… 
・「600人のうち200人‘助かる’選択肢が、400人‘死ぬ’選択肢より
  好まれる」‘助かる’方が、‘死ぬ’より、2倍の言葉のインパクトが強い。
 解) 言葉の持つ魔力。政治家が、言葉の持つ、効果を利用する。
・「結果が出るのが先であればギャンブルも辞さないが、すぐ出れば慎重になる」
 解)宝くじのキャンペーンは、長いほど、売れゆきが良くなることになる。
・「ローン案内に女性の写真を載せるだけで利率を5ポイント下げたのと同効果
  があった」 
 解)韓国では整形が普及しているというが、少しバランスをなおすだけで、
  売れゆきが増えるというのも、ドラマのヒロインが美形=正義のバイアスが
  強いため。考えてみれば不思議だが…
・「アンカー効果(問題に直面した人は答えを一定の数字に結びつける。
 「セット価格」や「一人何個まで」など)」 
――
フレーミング効果で、英国の研究者が行った実験。《食品店のワインの選択に、
 同じ値段の辛口のワインを並べて、フランスとドイツの音楽を隔日に流した。
その売れ行き結果が3〜4倍も流した国のワインが売れていた。当人たちは、その
影響に全く気付いてなかった》という。
 如何に人間はバイアスで捻じ曲がっているか、ということ。だから、バカンス
などで、日常から離れて、捻じれを自覚する必要がある。30年の新潟〜長岡間の
新幹線通勤が、地域間のバイアスの矯正をしていたようだ。20年間の年2回の
秘異境旅行も然り。で、地元バイアスを通すと大変な人!どっちが?、どっちも!
秀吉の辞世「露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢」
天国も地獄も現世にあり。 それもまた夢…とすると、刹那に味わうしかない。  
 勘違いのままの夢の中で良いのかも。所詮は、娑婆は娑婆!シャボン玉のよう。
                 
・・・・・・
5457,閑話小題 〜政治を哲学する
2016年02月23日(火)
           「世界の哲学思想」小須田健著」より
   * 政治に対して哲学ができることは?
 政治には、烏合の衆をまとめて理想の世界に導く役割がある。そのためには
哲学が背景になければならないが、目先の力学も必要になる。政(まつりごと)
を治めるのが、まず第一になる。ここで「政治とは様々な意見の対立がある
ことを前提とした上で、おたがいに共有できる土台を作れるかを目指す」と、
明示している。 高度成長期には、成長を。低成長期には、低成長の政策を
とるのが政治。哲学は、それらを鳥瞰した視点を持たなければならない。
だから哲学からは安易な答えは出してはならない。 ここで、政治についての
本質をズバリついている。 〜その辺りから〜
≪ プラトンたち古代哲学者が活躍した時代から現代にいたるまで、哲学の扱う
 問題はあきれるくらい変わっていません。もともと哲学とは、千年単位で思考
する営みであるため、一年や二年といった短期的な問題に答えていくのには、
あまり向いていないところがあります。つまり哲学とは、政治や社会や、急務な
課題に答えるものではないのです。
 では哲学が、政治や社会問題に対してまったく無力かといえばそうでもない。
哲学は、どんな問題に対しても安易に答えを出してしまう私たちを戒め、
自制を促す力をもっています。数学の問題のように、ただひとつの明確な答え
が領域が確かにあります。しかし、現代の、政治・社会問題には簡単に割り
切ることのできない問題が山積しています。また、どんな問題にも正解がある
はずだと考えることは、危険な一面も併せもちます。このような人は、正解だ
と思えるものを見出したとき、それを錦の御旗のように振りまわして、自分以外
のすべての立場を否定する態度にでかねないものです。確信をもって他人を批判
する人々は、もはやその自分の確信そのものが誤っているかもしれないという
可能性をすっかり失念してしまいます。ある時点で正解と思われたものが、
いつまでも正解であり続ける保証など、どこにもありません。ですから、
「もうこれは正解でなくなったのではないか」と、絶えず自己吟味をして、
自分対して批判的な目をもち続けることが大事なのではないでしょうか。
これはけっして日和見の勧めではありません。わかることはわかり、解決できる
ことは解決していくべきなのはいうまでもありません。「今の自分にはわから
ないことがありうる」という観点を保ち続けることが大切なのです。
 哲学は、けっして万能の解決策を教えてくれる学問ではありません。
むしろ、適切なかたちで問題を提起してくれるのです。適切なかたちで問題を
提起することができれば、そのときに解決もある程度見えていることでしょう。
なんにでもわかったような顔をするのではなく、わからないことはわからない
と素直に認める潔さもときには必要なのです。
 民主主義の基本は、自分と遅う意見の持ち主の存在を認めることにあります。
ですから野党が存在しない一党独裁の国には、どういいつくろってみても本来の
意味での自由はないので。政治とは様々な意見の対立があることを前提とした
上で、おたがいに共有できる土台を作れるかを目指すのです。フランスの哲学者
スポンヴィルの言葉を借りるなら、「みんな一緒でエゴイストになれる」道を
模索するのが政治です。哲学的思考は、常に他の答え(正解)も在り得るのだ
ということを認識させてくれるものなのです。・・・≫
▼ 世界はキリスト教イスラム徒の原理主義戦争の様相を呈しているが、
 これは、中東と、欧米の風土の違いからくる宗教観の違いがある。砂漠では
家長が絶対的権力をもって、家族を導かなければならない。過酷な環境では、
民主主義や個人の自由の主張はマイナスになる。イスラム原理主義を強引に
推し進めようとするISが、猛威をふるっているが、これを欧米に持ち込もうと
しても、土台無理がある。とはいえ、欧米の世界支配で、中東などの世界から
資源を奪略してきた現実と格差が、ネットで公然となってしまった。それは
民族間の相克であり根が深い! 21世紀の世界大戦は、既に始まっている?
世界恐慌、格差問題の露呈、世界大戦の図式が不気味に現実になろうとする。
・・・・・・
5093,タガメ女の正体  ー?
2015年02月23日(月)
      ー日本の男を喰い尽くすタガメ女の正体 〜深尾 葉子(著)
   * カエル男度チェック
  有難いことに、タガメ女と、カエル男度チェックシートがある。
まずは、☆カエル男度チェックシート  ( )内は、私自身のチェック
1.パートナーや家庭を大事にしている  (○)
2.周囲から「愛妻家ですね」と冷やかされたり、「恐妻家」と呆れられる(?)
3.気がつくと、「うちの女房が」「家内に聞かないと」の言葉がでている(×)
4.住宅ローンを組んでいる(×)
5.月の小遣いは一万〜三万円と決まっている(×)
6.職場にいるとなによりも落ち着くので、朝出勤をするときの気持ちは
 憂鬱というよりもウキウキしている(×)
7.時には、家に帰りたくない夜があってわざと寄り道をして帰宅する(×)
8.フェイスブックに奥さんや子どもたちの写真をひんぱんに公開している(×)
9.学生時代よりも社会人になってからのほうがよくモテたと思う(?)
10.よく部下や後輩に仕事を押しつけてしまう(?)
11.職場や周囲からは「コワモテ」だと思われている(○)
12.部下の指導力には自信がある(?)
13.周囲からは面倒見がいい親分肌だと思われている(×)
14.酔うと居酒屋の店員やタクシーの運転手に威圧的なことを言う(?)
15.大きな声では言えないが、けっこうセクハラっぽい言動をしてしまう(?)
16.渡辺淳一の小説が好きだ(×)
17.じつは若い愛人がいて、仲間内ではよく"愛人自慢"(浮気自慢)をいう(×)
18.女性と交際をしているときは、白分が主導権を握っていると思う(×)
19.正直に告白すると、マンガの「島耕作」のような生き方に憧れている(×)
20.たまには「俺も辛いんだよ」などと甘えたことを周囲に言ってみたい(×)
 ☆ あてはまった項目の数で、
   0〜4:カエル男度20%
   5〜10:カエル男度50%
   11〜15:カエル男度80%
   16〜20:カエル男度100%
(?)を0・5として加えると、私のカエル度 30%? 
  主観と傍目は違う? だから共生していける!いや、共演? 実演?
・・・・・・
4728,近代化が進むほど、幸福感が少なくなるのは何故? ー2
2014年02月23日(日)
  * クラインの壺と、パラノ型、スキゾ型人間 〜�   
          ー「経済予測脳で人生が変わる!」中原圭介著
 時代はバブル崩壊辺りから変わってしまった。と共に人間の生き方も、
ここで大きく変化を始めてきた。資本主義の論理の限界もみえた中で、
貨幣に縛られ振り回されている枠を見直そうという動きも出てきている。
先進国といわれてきた人たちと、後進国といわれる地の人たちの文化と、
果たしてどちらが優れているか? それが構造主義である。  
 ー以下の解釈が、明快であり、納得できるー
《「脱コード化」社会においては、貨幣が王に代わって社会の頂点に
 君臨するわけではありません。貨幣は、頂点と底辺の間(言いかえれば
「王座」と「世俗」の間を行ったり来たりと、めまぐるしく回転運動します。
人々は貨幣を追い求めるため、それを資本として活用することで商品や
サービスに換え、より多くの貨幣を手に入れるという生産活動を繰り返す。
「もっと豊かに」「他人より幸福に」という人々の思いに突き動かされて、
貨幣は資本となり、資本はさらに貨幣を生み出し、それが資本として再投下
されます。貨幣はそのような無限の運動を 繰り返すのです。
このように、貨幣が「王座」と「世俗」の間をぐるぐると回り続ける様子を、
浅田彰氏は『構造と力』の中で、「クラインの壺」をモデルに使って解説。
「クラインの壼」とは、境界も表裏もない壺のことです。 
実際の三次元世界では存在しえない形状ですが、円錐形である「超コード化」
社会との対比として、動的な「脱コード化」 社会のイメージを明確化
するために、このモデルを採用した。ここで注目したいのは「脱コード化」
社会においては、「貨幣が、人間の欲動をクラインの壷における反復運動の
エネルギーに転換させることによって、秩序を維持するための装置として
機能している」ということです。・・・
 ここの狙いは、哲学的な「ものの考え方」や「もののとらえ方」を身につけ
「経済予測」に生かす方法を説明することにある。・・現代の資本主義社会は、
人間がお金によって動かされ、生かされる社会であり、人間が幸福になれない
理由はそこにある、という話をしました。では、どうすれば人間は幸福に
なれるのでしょうか。そのひとつの答えとして、浅田彰氏が『構造と力』に続く
『逃走論』で提示するのが、「パラノ」人間から「スキゾ」人間への転換です》
▼ 最近、シルクロードの一つの村々の人たちの姿と、アメリカの都会の人たち
 の姿を比較すると、果たして彼らが先進をしているか疑問に思わざるをえない。
フンザの老人と子供の澄んだ姿と、あのファッションの姿を比べれば一目瞭然。
アメリカの主軸通貨のドルと、米国債を、貨幣と資本に当てはめると面白い。
アメリカ資本が二種類の紙切れで世界を牛耳ってきたことが見えてくる。
その循環の大元を握っていれば、紙切れの発行をするだけでモノが手に入る。
パラノ人間が、スキゾ人間から、ものを収奪してきたのが人類の歴史といっても
過言ではない。ブータンのように、地政学的に隔離されていれば、それはそれで
良いが。だから、生き方として、実社会人の時は、パラノ型で、50歳を過ぎた
辺りから、スキゾ型になる、そのため定年がある。森からサバンナである。  
・・・・・・
3621,閑話小題
2011年02月23日(水)

* やはり値下がりした薄型TV
去年暮れに薄型TVがエコポイントの駆け込みで品薄になる現象が生じた。
その時に直ぐにエコポイントの差額以上に必ず値下がりをすると、ここで断じた。
ところが昨日の新聞記事に早速そのニュースが載っていた。過剰消費の後には
値崩れが起きるのは当然であり、特にテレビやパソコン、携帯電話などの電器
商品は、直ぐに型落ちで値下がりする際物の性格がある。
周囲が焦って買い急いでいるのを見てしまうと、その当たり前のことが見えなく
なる。明らかに踊らされていた。かくいう私も夏に買ったが、今では型落ちも
含めて三割近い値下げである。 自動車も似たような現象が出ている。その
反動が今年の日本経済を暗くする。来年の一番底に向けて景気は楽観できない。
  
* 北アフリカ・中東のドミノ倒しは続く
チェニジア、エジプトに続いて、今度はリビアにデモが飛び火をし、暴動に
なっている。最後は軍部がどう動くかが、ポイントになってきた。カダフィ
外人傭兵部隊が虐殺を拡大する中で、軍部が国民側につきざるを得なくなるのが
流れになるかかどうか。それにしてもチョットしたきっかけで、数十年続いた
強固にみえた独裁国家が瞬時に崩壊するのだからネットの威力は絶大。軍隊内の
若い兵士も家に帰れば携帯電話を持っており、虐殺の映像を見れば上下の関係
だけで動かない。恐しいリンチや、罰則があるだろうが・・・ さっそく
リビアの空軍の飛行機二機が、デモへの攻撃命令を拒否して隣国に亡命した
とのニュースが流れていた。アッラーの神への絶対の服従とは違ったネット
情報で動く若い世代が出てきた。何処も同じである。成るほど、ネット世界が
現実世界を支配してきた象徴的現象である。元をたどれば金融バブルもネット
取引のグローバル化がもたらした原因。面白怖い、これまで考えられなかった
現象が、雪崩のように起こってくる。

得た。その時に、新約聖書や、大本教の本に救われた経験がある。
超越者から救われていたのである。40,50歳代の峠越えは秘境旅行で
大自然に出会うことで超越していた。私にとって、大自然の懐が「暗号解読」
の場所であった。 更に、多くの都市の美術館の名画などの作品がである。 
「限界状況」の中に、そして、その向うの「超越」こそ、人間の生きている
意味が隠されている。 挫折、そして苦悩こそ、人間を超越に運んでくれる。 
そこで出会う感激・感動こそ超越状態である