つれづれに

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  今日のYoutube

 冬季オリンピックも、後半に入ってきた。
来月からパラリンピックに入るが、これが終わる3月末から、
かなり切羽詰まった戦争気運が高まりそうだ。始まると、想像を
絶した戦場に、日本列島と、朝鮮半島が入る可能性があるが…





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3620, ちょいとした 小話
2011年02月22日(火)
  経済学会にて、ある重大な定理について、多くの質問があった。
 イギリス人: 「その定理は経験によって裏付けられているだろうか?」
 ドイツ人 : 「その定理はいかなる基本定理から演繹されたものであるか?」
 フランス人: 「その定理をフランス語で言ってください」
 日本人  : 「あなたの先生は有名ですか?」
   ――
 ・賢い男 + 賢い女     = ロマンス     ・賢い男 + アホな女    = 妊娠
 ・アホな男 + 賢い女    = 不倫       ・アホな男 + アホな女   = 結婚
 ・賢い上司 + 賢い部下   = 業績順調    ・賢い上司 + アホな部下  = 余剰人員即削減
 ・アホな上司 + 賢い部下  = 能力主義昇進   ・アホな上司 + アホな部下 = 長時間残業
   ――
 なんでもゲームにしてしまう夫婦がいた。何事につけ勝負を競い、たがいに掛けあうのだ。
その結果、夫は常に欲求不満だった。というのも、結婚して以来彼は妻に一度も勝つことができなかった
からだ。だが夫は自分が負ける心配のないゲームを思いついた。子供の頃よくやったオシッコ飛ばしだ。
壁に向かって、どちらが高くまで飛ばせるかというあのゲーム。
 構造上からいって、自分が勝つことは確実だった。 「さあ、ごらん」彼が言った。
「あの壁に向かってオシッコをするんだ。高くまで飛ばしたほうが勝ちだ」
「分ったわ。面白いゲームね。私に先にやらせて」妻は足を広げ、スカートをまくりあげて狙いをつけた。
壁の約二十センチの高さの所に彼女の痕がしるされた。「よし」男が言った「今度は俺の番だ」
彼がジッパーを引き下ろし、モノを取り出して準備を整えたとたん妻が声をかけた
。「ちょっと待って。手を使うのはナシよ」
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3255, 「都市主義」の限界  -1
2010年02月22日(月)
   「都市主義」の限界 養老 孟司 著    ~読書日記
 ーまずは、概要となるポイントの文章を書き出してみたー
*仮想社会とは、ネットやTVなどのバーチャルなものではなく、我々の脳内に作られた社会(=都市)
であり、脳による判断のみで社会を構築していくことへの恐怖が伝わってくる。「戦後社会の変革を、
私は『都市化』と定義してきた。・・・ 戦後の日本がいかに都市化されたか、それがいかに行き過ぎたか、
 それはもはや歴然としている」『都市化』を脳化ともいう。 都市の全ての物は脳が作り出した
意識の産物であり、それと対局にあるのが都市生活者が全く意識の及ばなくなった自然である。 
日本もヨーロッパもアメリカもその状態にあり、現代社会に起きるありとあらゆる問題はそのことに
帰結するという。 少子化に決定的な解決がないのは、子供は「自然」である、
 と著者は主張。 自然は都会で排除されるものである(子供も然り)という。
 また、都市で起こる(悪い)ことはすべて「他人の所為」という視点があるからだ。
文化大革命では「批林批孔」を行っていた。このとき、中国の二大思潮は儒教老荘思想であり、
文化大革命老荘思想」「中国旧体制=儒教」なのだとおぼろげに感じた。「都市主義」対「田舎主義」
 として、儒教老荘思想文化大革命も説明している。
*日本で学園紛争がおきたが、同時に中国では文化大革命が、フランスでも「ラテン区」の騒動がおきている。
 これらの学生の動きが世界で同時におきたのはなぜか? それを氏は「都会と田舎の対立」だったと規定する。
 都会化するためにはエネルギー供給が不可欠である。そのころ石油が安価に供給できる体制が整ったことにより、
 世界中で都市化が急速に進展した。
*急激に進展する「都市化への反応」が世界各地でおきた学生の反乱だった。当時の運動は、反体制を標榜した。 
 体制」とは、「人間が意識的に作り出したもの」である。しかし、当時の若者自身が「田舎」を引きずって
 おり、大学は「封建的」で「田舎」的。当時の若者は「都会」的であることを志向して「田舎」的である
 大学に反発、同時に彼らは「都会」主義に反発もして、文化大革命
「田舎」主義にも共鳴した。
▼ なかなか、面白い切り口である。多くの国ではの人口の三分の二が大都会の周辺に住んでおり、その半分
 ~三分の一が首都圏に住む。東京都民の増加が止まらないで、何時の間にか1300万人を超えてしまった。
首都圏には大よそ三分の一が住んでいる。彼等は、異常な位にそれ以外に住む人を「田舎もの」と差別をする。 
自分たちは文明の最先端で文化的な生活をしている。彼方此方で催事があり、それに触れる機会が多いのは
事実だが、不自然な生活環境である。 「都会人が優位という感情が、目くそ鼻くそを笑うレベルでない
ことは学生時代から認識をしていた。そこで産まれ育った人の固定観念は想像を絶したことを知った。
機能を優先させて不自然な環境に住んでいることが自覚できない。
偶然に、下記の同月同日の上海のターミナルの文章が間接的だが、同じ問題を提起している。ー つづく
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2880, 上海のバスターミナルにて
2009年02月22日(日)
19日の「NHK・BSの世界のドキュメンタリー」が、迫真に迫っていた。
今年の中国の正月にあたる「春節」に、上海で撮られたもので、中国の出稼ぎ労働者の現状を
生々しく追ったもの。
  ーまずは、その部分NHKのHPの番組紹介からコピーしてみた。
 《 再訪・上海バスターミナル ~不況下の帰省ラッシュ~ 》
中国の人々が年に一度、故郷の家族と水入らずで旧正月を祝う「春節」。NHKが2年前に取材した好景気に
沸く上海の長距離バスターミナルは、春節の直前90万人もの帰省客が押し寄せ大混乱に陥っていた。人々は
貧しいながらも明日への期待を膨らませていた。しかし今年のバスターミナルは、打って変わり閑散としていた。
世界経済危機の荒波を被り、出稼ぎ者の多くが仕事や生活の基盤を根こそぎ奪われ、すでに帰郷していたのだ。
それでも大晦日のバスターミナルには、追いつめられながらも故郷で春節を迎えたいと願ってやまない人々の姿
があった。バス代を工面するのがせいいっぱいで、土産も買えず身一つで帰省する農民工。給料が支払われず、
妻子だけを帰省させて一人上海に残る工員。故郷に残した我が子に会いたくて、リストラされた夫の反対を
振り切って来た母親。
(字数の関係でカット2012年02月22日) 
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2008年02月22日(金)
 2515,  iMacの感想! -2              オッ ヽ(゚∀゚)ノ ハー
Macを買ってから一月ほど経つ。
これを入れてから2週間もしないうちに4棟のホテルのロビーに6台、事務所に二台、自宅も含めて
9台を導入した。とにかく画面が綺麗なことと大きいことでパソコン環境が一変した。そのキッカケが
年に数回事務所に訪ねてくる知人が三年前のパソコンを見て、「そんな古いパソコンなぞ使っているのは
如何なものですか?」といわれたことである。何かピンとくるものがあり、直ぐ近くある「ヨドバシカメラ
に、パソコンを見に行ったところ、最新のオール・インワンの「iMac」を見て気に入り、即座に事務所
に一台入れた。旧来のノートパソコンの隣で比較をしてみて驚いてしまった。
   (字数の関係でカット2010年02月22日) 
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2007年02月22日(木)
2151, スピリチュアル・ブームを考える -2    オッ(*^○^*) ハ~ヨウサン
溝口敦の批判も当然ながら鋭い。最近は著書「細木数子ー魔女の履歴書」で、怪しげな女占い師
を切り捨てている。
(字数の関係でカット2010年02月22日)             
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2006年02月22日(水)
1786, 誰も知らなかった英国流ウォーキングの秘密
       才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)  ー 読書日記
 図書館で借りてきたが内容が深いので、中古本だが、ネットのアマゾンで取り寄せた。それぞれが
味わい深い内容で満ちている。 ヨーロッパの郊外にある公園に行くと、必ずといってよいほど、
ウオーキングやジョギングやサイクリングをしている人を見かける。その度に生活の豊かさを感じ取っていた。
ウォーキングの本は数多あるが、これだけ詳しく書いてあるのは珍しい。
  ーこの本の概要をまとめてみた。    _φ[・ω・`*]メモメモ♪
 英国では1800年代にフットパスと呼ばれるウオーキングのための小径が誕生し、現在では20万キロ
も整備されていて生活の一部となっているという。イングランドウェールズ地方だけでも、なんと
16万キロメートルの歩くための道が、公道だけでなく、私有地の農園、庭先、工場の敷地内をも繋ぎ、
そこで人々は自由に通行ができる権利を有している。国民の45%がウォーキングをスポーツとして実行し、
何処かへ着くということよりも歩く過程そのものを楽しんでいる。「フットパス(footpaths)」とは、
「人の足によって踏み固められた歩行路」のことで、人だけが通れる道のこと。 他には「ブライドル
ウェイ(bridleway)」があり、これは手綱(bridle)のとおり 人、馬、自転車が通れる道のことをいう。
この本では、英国のランブリング(逍遥)と、日本における散歩の歴史を紹介している一級の内容である。
人は‘歩くこと’という肉体の運動としてだけでなく、精神を様々な様式で駆け合せてきた。
 その枠組みを以下のように提示している。
(1)思索のウォーキング 歩きながら考える、アリストテレスからルソーなど思索を深めるために歩く
(2)宗教的ウォーキング 悟りへの歩行、空海の山野行、修験道、八十八個所巡礼、富士山登山講など
(3)自然観照のウォーキング 静かな心で自然に向かい、その本質を見ようとする態度、
   芭蕉、ベートーベン、ワーズワース国木田独歩などロマンチックな歩行の原点
(4)達成へのウォーキング  アルピニズム、長距離を踏破する
(5)訓練のウォーキング 歩行のなかで体や根性や団体行動の技能の訓練をするための歩行、
   ワンダーフォーゲルや軍隊などの教練、鍛練など「やらせる側の意図」による歩き
(6)余暇活動としてのウォーキング 暇な時に目的もなくぶらつく歩き、無為という行為を楽しむ、
        夏目漱石の散歩、長井荷風の夜歩き
(7)コミュニケイションのためのウォーキング 友人、恋人、家族がコミュニケイションのために歩く
(8)教育のためのウォーキング   自然学習、社会学習のための歩き
(9)見せるウォーキング   繁華街を見せるために歩く
(10)健康のためのウォーキング  フィットネスウォーキング
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 20年近く近くの土手をウオーキングをしてきたが、散歩をしている人が少ないのが不思議である。
生活に取り入れている人は5㌫にも満たないようだ。 初めは腰痛対策と運動のため歩いていたが、
現在では「歩くために歩く」に、目的が変化してしまった。この本を読むかぎり、英国は生活天国
の国のようだ。 -,_っ-)ゥンゥン
ーー
山と渓谷社    市村 操一【著】      
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 2005年02月22日(火)
1421, 西武鉄道前社長の自殺と、カリスマ失墜
  何回か堤義明について批判的な文章を書いてきた。
プリンスホテル内で御付が、待っている宿泊客を制して、堤をエレベーターにのせた
・突然ヘリコプターでホテルに乗り付けて、査察をした
  (字数の関係でカット09年02月22日)
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2004年02月22日(日)
1054, 職業性格形成論-3
 ー「営業屋性格論」が解りやすく、面白いから取り上げてみる。
仕事柄、営業の人と接することが多い。営業にも色いろな種類があるので一括りには出来ないが、
彼等には大きな特徴を見える。「褒めること」と「世間情報の内幕情報屋」を武器にする。遵って、
その人の人柄が出てしまうのだ。一つ間違えば信頼を失い「汚い子狐」として軽蔑の対象になる。
その為には、自分の良い部分を相手に示し、信頼させるがポイントになる。営業といえば、外商や
代理店や飲食業や店のママなど挙げればキリがない。姉から聞いた話だが、欧州旅行のツアー仲間の
リタイアをしたばかりの人の成功話が印象に残っている。「営業活動で、キーマンが名古屋コーチン
の鶏肉が大好物という話を聞いて、雛を買ってきて、最良の餌と水を与えて育て上げ、潰して、
その肉をお歳暮として持っていき続けた」という。ここまですれば誰でも心が動くだろう。逆に、
その位しなくてはプロとしての営業にはなれない。昔は金持ちや偉い人には「太鼓もち」や「芸者」
が、お世辞や芸のサービスを売っていた。現代では、クラブのママやホステスやバーテンなどが
代わって、その役割をするようになった。現代芸者・太鼓持ちというところか。営業活動で、
職務としてキーマンに「どっこいしょ」と持ち上げ、心の隙を見つけて営業をスムースにする
スキルを求められる。人好きの人でないと勤まらないだろう。必死になれば人好きになるだろうが。
営業は自社の商品を売るのが目的であり、その良さをアピールするのが仕事になる。そのために、
相手の気持を開かなくてはならない。その際たるものは保険屋の営業であろう。第一保険の
日本ナンバーワンの手記を読んだことがある。トップセールスに相手を絞って、徹底的にお客の
サイドに立った保険のシステムを組んでやるという。そのために顧客大部分が、顧客の知人の
紹介でのネットされたもの。セールスの機能を保険会社の代行ではなく、顧客の代行と切り
替えたのである。
(字数の関係でカット2012年02月22日) 
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2003年02月22日(土)
689, 人生の「かたち」
  ーいやなことはやらない!
 51歳になった年に、母を見送り(88歳で死亡)、下の子供が大学に入学。事業では
新潟駅前で500室の客室数の完成で、人生の丁度目安がついた年ー人生の分岐点の年。
その時に、「好きな事をやり、厭なことは可能な限りやらない」という方針をたてた。
ところが同じような記事が産経新聞に出ていた。哲学者の中島義道氏の文章で 
 ー私流人生の「かたち」ーの{「厭なこと」はなるべくしない}であった。
 きしくも、私と同じ歳で、やはり6年前に決心したというから不思議なものだ。
ー私よりずっと徹した内容で、人生を半分降りようと決意したという。
・社会的成熟を拒否し、世間体を投げ捨て、どんなに嫌われようと、排除されようと、
 いやなことはなるべくしない
・親戚とか友人の冠婚葬祭は一切省く、大学の校務はギリギリ最低限のことしかしない。
 -5年前と2年前に亡くなった両親の法事にも一切参加しなかった。
・自分の実感から離れる社会的慣用句(「世間語」)を語る事を完全にやめる。
 -感謝してない時は「ありがとう」といわない、心のそこからそう思わない時は
  「おめでとう」と言わない。
・あまった膨大の時間、18歳の少年のように「生きるとはどういうことなのかな~。
 まもなく死んでいくとはどういうことなのかな~」とか考えている。
・楽しいかといえば、全然楽しくはない。むしろすざましく不幸である。
 しかし、自分の人生のカタチと諦めている。
  (字数の関係でカット2011年02月22日)  
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2002年02月22日(金)
339,笑う人 
ベトナムに行った時に出会ったバスのドライバーという人。旅行の最中、ほとんど笑いっぱなし。
あるいは人を笑わせていた。お笑いの芸人も2種類いるという。普段の生活の中で「全く笑わない人と、
笑いっぱなしの人」と。その人に「如何してそんなにわらえるのか?」聞いた。「母親が何時も笑って
いる人で、その影響だ」という。職業が「観光バスのドライバー」というから、それに磨きがかかった
のだろう。ハワイに初めて行った時のバスのドライバーがポパイにそっくりな顔」をしていた。
そして初めから最後まで運転しながら、ニコニコ鼻声で歌っていた。こんな陽気な笑いは、かって
見たことが無くハワイにピッタリであった。あそこまでは無理としても、訓練すれば半分は可能な筈だ。
土壌と、また特に母親の影響が大きいのだろう。子供は何らかの形で両親の分身なのだ。
会社に毎年新人が何名か入ってくる。研修を終えて恒例の歓迎会が毎年楽しみである。
若い女性が研修から解放され、「純粋な笑いの渦」にその会がなるからだ。
知人の数名もそれを知っていて、招待されるのを待っている。ちょうどこんな感じである

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