* 私自身は運が有る方か
 「運」のつくり方や、幸福論、精神論などを40年、いや50年も学んできた
割には、さほど運があったように思わない。かといって、高度経済成長期の
時代に、20、30歳代を過ごせただけでも、幸運であった。特に、終戦直後の
廃墟に、この日本に生を得ただけで、いや、人間として生を受けただけでも
奇跡的幸運に巡りあえたことになる。哲学的でいえば、『存在の不思議』
の問題につながる。
 朝日新聞のテーマの質問、「自分は運がいいほうだと思う?」に対して、
7割の人が、「運がいい」と答えには、実は驚いている。7割が、この幸運に
気づいている事実にである。
 人生を振返ってみると、何度も危機があったが、必死に取り組んでいる内に、
何時の間にか乗越えていた。「不幸」転じて、「幸運」にもになる。
 改めて、危機だった事象を振返ると、実に危ない難関があったが、
咄嗟の判断で乗越えていた。
<一つの事故の背景に、30倍の似た危機がある。> の通りである。
「間がさした」の真逆の幸運で、運が良かったとしか思えない幸運の連続。
母親の口癖が『私には、3歳の頃、亡くなった父親の守護霊がついている』。
それに対して、「そう信じることで、何か内から幸運に向かう力が働いて、
幸運に導いている」と考えていた。 
 はや7年になるが、会社清算とはいえ、倒産は倒産。 資本主義社会では、
経済的前科者にあいなった。 その時の反応が何とも皮肉で面白かった!
マイナー?な人ほど、掌を返してきた。「人を怨めば穴二つ」の別バージョン
が、そこある。 実は、そこに、その人の不幸のタネが明確に現れ出ている。 
カラスと同じで、弱ったから、攻撃する。相手の傷口に、自分の傷の血を
塗りたくり、己の不遇の鬱憤晴らしの本性が透けて見えていた。不幸系、
不遇系のマイナス度が深いだけ、辛辣になる。
 批判、非難で、神様になったり、判事や、検事だったり。弁護士役など、
誰も見当たらない。そこで、自分だけでもと、ここで『日々、是、口実』と
して自己弁護しているが、それこそ笑いタネになる。自虐、露悪の私には、
憐み、あいみたがいになる。
 〜そこで、熊、寅、八つぁん、大家さんに再び、出演してもらいます。
――
大家: 八つぁん、あんた、運がいいと思ってるかい。
八つぁん: 決まってるじゃないか。幸運ってのは、幸福につながる。
  私が幸福でなくちゃ、誰が幸福というんですか。しかし、過去を
  振り返ってみて、2割方は不幸を抱えていたね。
大家: その位の割の不幸の抱き抱えが良いんだよ。私もその位さ。
  で、 熊さんは、どうだね。
熊: 俺って怠け者だろう。働きは悪いし、カミさんと共働きで、陽気だから
  助かっているんだ。両親とも、教育が無かったのを、そのまま、引継いで。
  5割不幸で、5割幸福の割合さ。
  寅は、その点、少しでもと、耳学問で知識を得ようしているね。
寅: 子供の頃に、勉強してこなかったから駄目さね。この歳になって、
  小、中学校の教科内容って生きる上の最低の知識だったんだと反省するよ。
  でも、遊び7、学び2、働き1ってところさ。で、7割かた幸せさ。
八つぁん: 時代背景の良し悪しもあるけど、家系と、姉弟構成の立ち位置も
  大きいね。 条件、状況そのままが原因というけど、本当だね。
  「運」というけど、「運命」以前に、「宿命」の問題があるね。
熊: その違いって何?
八つぁん: 宿命って、本人の努力では克服できないこと。遺伝的な…
  運命は、努力で克服出来ることさ。 これだけは平等じゃないね。
寅: そう思って、努力をしたけどね。俺様の親の子供じゃ無理だよ。
  でも、何か運だけは良いんだ。賭け事には運があるよ。
熊: 何んだ。勝った時だけ吹聴し、負けた時は、フテ寝じゃないか。
  差引ゼロと言ったじゃないか。俺と大してかわりゃしないよ。
大家: 寅が、あれだけ楽しんで、チャラなら充分さ。そのエネルギー
  を、教養に向けていれば、後悔も少なかったさ。熊は、遊び7割、
  働き2割、学びが1割りさね。それも、この長屋住まいの御蔭で、
  道を外れないでいられるんだよ。 八つぁんはどうだろう? 
  私の目では、遊び5割、学び3、働き2ですか。初めは 4・3・3
  だったのにな。少し甘いのも、しょうがない、
  八つぁんの親指人形だからさ。ったく。
八つぁん: 有難いことです。

・・・・・・
5092,閑話小題 〜『悼む人』が良かった! ー�
2015年02月22日(日)
   *  『悼む人』が良かった ー�
『 誰に愛され、誰を愛していたか。何を感謝されたか。
  確かに貴方が生きていたことを私は憶えています。 』
 8人兄姉の末っ子に生まれ、両親に溺愛され?育ったことが、
私の人生の最大の恩恵である。それにも+−の両面がある。
小中学校の同級生を思い出すと、既に亡くなったが、義母に憎まれ
育った子や、戦災孤児寺男のような生活環境で育った子もいた。
5〜6坪の居酒屋の2Fの4畳半の屋根裏に母と二人住んでいた子も。
家庭環境の格差は大きな問題。人生は不条理で覆われている。
 家内も私も両親に溺愛されて育ったが、愛情を受けることには慣れては
いるが、逆に愛することが苦手。これも大問題で、最大の欠点になる。 
 創業を志したことで、感情を抑えてきたことが、果たして正しかったか。
それが現在の私の中(自己対話)での最大のテーマになっている。
 45年、無我夢中で取組んできたことが果たして正しいことだったか? 
後悔は少ない?が、無我夢中で生きていたことは確かに憶えている!
『 誰に愛され、誰を愛したか。何を感謝されたか。』の問いが、突き刺さる。
 高度成長期の20歳で創業を決意したとき、
 ‘結果はどうであれ、やらない後悔より、やってみた後悔’の道を選んだ。
撤収を決意した時、何の躊躇いもなく行動に移せたのは、出始めに、
失敗への受容の覚悟をしていたことがある。 創業とは、
『 誰かに恨まれ、誰を憎んだか。 そこで何を失ってきたか。 しかし、
  確かに、全身全霊で生きていたことだけは私が憶えています。』になる。
その結果、「ご覧のとおり、そのまま結構!」と受け止めるだけ。
 中原中也‘帰郷’の一節
「 ああ おまえはなにをして来たのだと… 吹き来る風が私に云う」
が、心の底から私に語りかけてくる。 その答えは、「面白かった! 
ただ面白かった ひたすら面白かった」
 何か辞世の言葉のような、自分への悼みの言葉になるが。
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5456,閑話小題 〜逃げるから怖ろしいのだ ー2
2016年02月22日(月)
   * 逃げるから怖ろしいのだ ー2
 このテーマ、面白いので続ける。「悲しいから泣く」の、
<悲しいは「感情」で、泣くは「情動の表出(身体反応)」>である。
「楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しい}
「うまくいったから幸福なのでなく、幸福だからうまくいく」
「成功したから面白いのではなく、努力が面白いから成功する」
このような論理で、逆照射を立てると、面白い道理が多くたつ。
「内的自由度は外的自由度と、ほぼ同じなら、まずは内的自由から
始めよ」というが、まずは、知識の蓄積から始めるのがよい。
 内的自由度のコントロールで、「うれしい」「たのしい」「しあわせ」
「ありがとう」を、日常的の口癖にすればよいと勧めた小林正観がいた。
彼の言葉に、『人はいつも<正しい>ことを受け入れるのではなくて、
<温かいもの> を受け入れる。』とか、
『友人も 全てがあなたにちょうどいい』を思いだす。人の心は普段使っている
内語で大きく左右される。この「う・た・し・あ」を暇を見つけて唱えていれば、
その感情が強い磁力になって、情動になっていく。だから、感情のコントロール
は非常に重要になる。怖ろしいので、問題から目を逸らすと、自滅するのは、
感情が、情動にマイナスに働くため。『その時は、その時、取りあえず戦い
続ける。そのうち、何か手がかりが出てくる!』でもよい。
好き嫌いの感情は、すぐに相手に伝わる。「う・た・し・あ」に、好きを
加えればよいことになる。愚痴をいうから、毎日が、つまらなくなる。
「かなしい」「つまらない」「不しあわせだ」「のろってやる」「きらい」
の言葉は、その事象を自らへの磁力になる。現実に溺れた世間原理主義者が、
巧妙に、この言葉を駆使する。言葉は言霊で、相手への毒は、自分への毒に
なる。だから、世間原理主義者を、悪し様にいうのは最悪と解ってはいても?
 で、以下の内容が丁度よく繋がっていく。世間とは、そういうものである。
脱兎のように逃げるべき時もある。逃げ、負けは、前向き、勝利の裏表。
・・・・・・
5822,閑話小題 〜しまった!  ー人は皆、うぬ惚れの生きものー10
2017年02月22日(水)
       < しまった! 「失敗の心理」を科学する
       ジョゼフ・T・ハリナン (著) >
   * 人は皆、うぬ惚れの生きもの
  金沢に勤務していた時の会社のNO2に教わった言葉、
<創造の一歩は、自己能力の限界の設定>があった。それが何時の間にか、
うぬ惚れて、小隙から船が沈む諺通り…この有様。創業とは、小さな隙間に
的を絞り、バブッテ、破裂する一環。以前は平均30年だったが、今では10年。
自信喪失も、うぬ惚れも人間の持つサガ。その一環を経験してみたが、深い
甘塩っぱい味がした。 例えると何だろう?味の素をそのまま口にしたような。
 健康食品など多くの事業が、この人間の性癖を利用している。
懲りずに再び健康食品を使いだしたが…  〜その辺りから〜
≪私たちは自分を他人より上だとうぬ惚れて生きている。このバイアス(偏り)
が多くの過ちの種を宿している。行きもしないスポーツジムの会員権、リゾート
マンションの共同利用権の購入。初期だけの低金利のクレジットカード。こういう
傾向を研究している学者が一般的な結論に至った。
 <人はおよそ誰もが自信過剰である。例外は、じつは現実的な自己認識
  をしているという欝状態の患者だけだ。>
アメリカで大きな成長をしてきた「ニュートリシステム社」がある。その株価
が大きく上がったのは、その呼び名を借りると「シリアル・ダイエッター」―
つまり体重を減らそうとして失敗してきた人たち。大半(80%)が、平均年齢が
44歳、体重95キロ、大方の減量目標が27キロだが、結局9キロしか減らない。
10〜11週間でギブアップが通例。では、何故、会社は顧客が失敗し、会社が成功
したのか。他の企業と同じように、人の自信過剰につけ込むすべを学んでいたから
である。人が実際にすることでなく、人がすると信じていることで、この会社は
成立っている。ここでも、有名スポーツ選手を広告塔にしている。ただし広告を
よく見ると、重要な?の単語から成る免責事項が、小さな字で書かれている。
「結果に個人差があります」と。≫
――
▼ ネット検索によると、<日本にもフランチャイズで、2009年10月にハウス食品
より発売された「ニュートリシステムJ-ダイエット」だが、2年で全サービス終了
という結果となった。>とあった。こうした本が日本で出版されると、ハウス食品
が効果のないことを分かっていてフランチャイズ契約を結んだという悪いイメージ
がつくため、サービスを中止にしたようだ。大志を抱き、何とかカタチにして、
うぬ惚れの小隙がバイアスとなって、はい、それまでよ>も決して悪くない。
どの道、死んでしまえば、それまでの人生。神様が存在するのではと思えるほど、
丁度よい味ある結末を与えてくれたと我ながら感心する。外には飄々と風が吹く。
 ・・・・・・
3985, 生保に入るバカ、入らないバカ ー2
2012年02月22日(水)
 生命保険は生命を賭け対象にした博打。保険屋が騙すのも悪いが、騙される
のも問題。確率論を背景に不安心情につけこんだ悪質?商法が生保の本質。 
彼らは必要悪と嘯くが、それも程度の問題。 欧米の二倍の9割の世帯が、
3倍〜8倍の額の契約、というと10倍以上の額を生保に支払っている異常さに
誰も気づいていない。 国家予算と同額が生保の餌食とは、日本沈没も当然。
愚かさという点では、他人にいえた柄でないが・・ 私が生命保険嫌いのため、
家内は、こっそりと家内名義の給料の全額を40年近く預金をしていたことを、
後で知った。ある意味、それが正解。死ななかったこともあるが、塵も積もれば山。
それが現在の命綱になっているが、それを生命保険に注ぎ込んでいたら、数分の一
も手元に残っていなかったはず。その辺の詳しい内容は、≪生命保険のカラク
(文春新書)  岩瀬 大輔 (著)≫に詳しく書いてある。 その一部を抜粋する
【▼ この仕事を始めてわかったのだが、生命保険を理解できていない人は、
  決して少数派ではない。ビジネスパーソンも主婦も、若者も年配の方も、
 そして金融のプロでさえ、同じく生保の仕組みについては理解できてない(p.70)
* 多くが巧妙に近づいてくる女性セールスとの「付き合い」で契約し、
 「月々いくら」という状況で気楽に契約しているが、1,500万円近い商品に
 関して理解していない。
 ▼ 日本の生保業界の現状といえば、専属のセールスの人海作戦のネットを
  張り巡らせがビジネスモデルのために、組織として高収益の保障性の商品を
 販売してきた(p.43)
 ▼ 生保業界では長きにわたり、「顧客のニーズに合った商品は何か」でなく、
 「既存の販売組織を維持するために必要な商品は何か」という観点から、
 高収益を確保できる商品開発がおこなわれてきた。(p.46)
 ▼ 売り手である保険会社と買い手である国民との間に、大きな情報格差
 あることを前提とした既存のビジネスモデル(p.189)
 ▼ 生命保険商品の3つの機能(p.81) 
  1. いざというとき、残された家族のための所得保障→遺族保障(死亡保障)
  2. 病気・ケガによる入院・手術のための保障→医療保障  
  3. 将来に備えるため→生存保障(貯蓄・年金) 】
* 家庭の大黒柱が死んでも生活に支障のないのに保険に入る人をバカという。 
 それを積立にしたほうが、二倍も得になる。その本質は「弱者救済を建前とした
 タカリの類」で、貧困ビジネスそのもの。豊かな人は、そんな不安は本来、
 全くないのと、保険のいかがわしさの情報を持っている。いずれにしても
 情報格差で搾取を業にしていることは事実。千五百万の買物の中身はカス。
・・・・・・
4727,閑話小題 ー「受け継ぐ〜京都 老舗料亭の代替わり〜」
2014年02月22日(土)  <プレミアムアーカイブ 2/19(水)9:00〜11:05 >
   * 受け継ぐ〜京都 老舗料亭の代替わり  
 最近の日常生活に、午前中のNHK・BSの過去の名作番組を見ることが多い。
これが未知の世界を垣間みることができ、下手な読書より遥かに良いことに
気づいた。 今回は7年前の番組。 ーその番組内容によるとー
《400年の歴史を持つ京都の老舗料亭「瓢亭」が、転機を迎えようとしている。
 14代目主人で日本料理を代表する重鎮・高橋英一から、15代目となる息子・
 義弘への代替わりである。 挑戦することで新鮮な魅力を生み出し続けてきた
 京料理の魅力の神髄を、新しい和食を捉えようと格闘する15代目と、彼を
 励まし育てていく周りの老舗料亭の主たちの姿を通して描き、
 京都の伝統文化の奥行きと幅の広さを浮かび上がらせる》
▽「京都の老舗料亭の代替わり」となれば、静かな寝室で二時間かけジックリ、
 その世界に入ってみた。京都の歴史が作りあげてきた独特の京料理の世界は、
 奥行が深い。ライバル店の主が競合店の調理場に、平気で入って、料理場の
 様子をみる。お互いにフリーの長年の京都独特の慣習という。また、先代が
 亡くなった場合、その知りあいが、他店の後継者の面倒をみる。
 京料理の世界が共同体のようになっている。また100店以上の料理店が
 互いに腕前を競い合う展示会が年一回は開かれ、それぞれ新商品を展示する。
 これぞ京都の古くからの原風景の世界が映し出されていた。
   * 記憶のモザイク
 以前行った旅行先の写真をネットで探し、気に入った何枚かをファイルに
入れ、改めて見ていると、タイムスリップをしたように、当時の光景が蘇る。 
その先が異郷・秘境のため、強力に脳に焼きつき残っているが、撮ってある
写真は、さほど良くない上に、記憶が年々薄れていく。しかし、その時の感動を
思い出しながら、画像検索にキーワードを入れると、忘れていた記憶が鮮明に
戻ってくる。その写真が磁石の役割を果たしてくれる。情報機器の進化が、
同じような体験をしてきた人たちの画像がネット上に溢れ、次々と新鮮な
それぞれの瞬間が現れ出てくる。現地で実際に見ていた光景が、きめ細かく、
広範囲に、新たに追体験が可能になる。例えば長岡花火のフェニックス。
自分が撮った写真よりネット上の写真の方が遥かに臨場感がある。
パンプローナ牛追い祭り」や、「リオのカーニバル」のなどの熱狂は、
現場に実地に行かないと味わえない。しかし、当時の感動を思い浮かべながら、
検索で現れ出てきた写真を見ていると、当時と同じような追体験が可能である
当時の朧げながらの記憶も、ネット上の写真から生々しい記憶に置き換える
ことができる。 ケニアの丘で見た夕景。そこに足の骨折で取り残されたヌーが
印象に残っている。いつ獣に襲われるかもしれない恐怖で立ちすくんでいる姿が、
痛々しいが、何とも美しい。それらの記憶が脳の染み込んでいるためか、
ネット上のアフリカの夕景が違って見えてくる。

・・・・・・
4360, 閑話小題 ー久々の百均ショップ
2013年02月22日(金)
  * 久々の百均ショップ
仏壇用のライターと、チャックが壊れたのため、衣服用の両面マジックテープ
を探しに『百円ショップ』にいってきた。半年ぶりである。「日本の主婦は世界で
一番、頭が良い」というテーマのTV番組があった。 百均ショップの商品を、
材料にし、組み合わせて新たなインテリアを作ることを趣味にしていた主婦を
紹介していた。恐らくネット世界で情報が流れているのだろう。私の周りには、
この数年来、買い集めた百均の小物が100はくだらない。100円だから
欲しくなるものは数多ある。以前、針に糸を通す道具があれば、と思っていた。
子供の頃、市場で針通しの小物を売っていたのを見たことがあった。
で、探すとあった。極細の針金が二つ折りになっていて、それを針の間に入れて、
出た先で糸が通る位の空間ができ、そこから引き出すことで糸を通すというもの。
成るほどである。 家内が目が悪いので、ボタンの縫いつけや、ほつれ等は
私がすることが多い。これも慣れると面白い。あとiPadのスタンドがあった。
ネットで買ったものがあるが、かさ張る。 単行本用の書見台にも使えるので
衝動買いをしたが、実際使ってみてなかなか良い。30分、5百円の
ディズニーランドと思えば良い。で、要らない物が、溢れかえっている。
   * 久々の夢の中の母
 最近あまり母親の夢をみてなかったが、一昨日の朝方、母が出てきた。
それもリアルに。ふと眠りから覚めると、居間の炬燵で母が隣に寝ていた。
夜半に私も転寝をしていて、母親に声をかけた。80歳代半ばの年令で、夢では
呆けてはなかった。夢は現実との境が無くなっている。毎晩、寝ている場所が
母親が寝ていた同じ位置にあるためである。末っ子ということもあり両親から
特別愛され育った。また、その後姿から多くのことを学んだ。父親の死亡年齢に、
あと4年足らずになった。本当に良い両親に恵まれて良かったと年齢を重ねる
たび思いが深まる。父親との差はあまりに大きい。両親とも、常に何かテーマを
見つけて追い求める人だった。意識として両親から出発して、最期は、
そこに戻っていくのか。