つれづれに
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http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive
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https://www.youtube.com/watch?v=2unh-_VbKuQ&feature=player_embedded
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150911-00000041-jij_afp-int
欧州に、シリア難民が流入しているニュースが入ってきているが、
34万人というが、その背後に、その十倍の難民がトルコ、ギリシャなどにに彷徨って
いるという。 アメリカが中東から手を引き始めた結果の現象だろうが・・・
人道主義とはいえ、数百万が、この不景気の街頭に溢れるのも、問題だろう。
第一次、第二次大戦では、町を閉鎖をして、出ると射殺して、集団餓死をさせたり、
したが、こうして画面を出されると、そうも出来ない。欧州にとって、これは、
ギリシャ問題など騒いでいられない深刻な事態だろう。 貧困国のトルコ、
ハンガリーなどは、大問題だろう。国がしっかりしての国民である。国が滅びれば、
難民になるしかない。 国民の8割が海外移住を希望する韓国! これも大問題。
他人事ではない。北朝鮮、中国から難民が船に乗って大量に押し寄せる可能性もある。
逆は無いだろうが、あるかもしれない。
・・・・・・
3084,挫折を考えてみようか
2009年09月14日(月)
「挫折」については誰かが考えているはず、と調べたら、ヤスパーがいた。
ヤスパーは、挫折を「自己に目覚めるきっかけ」として捉え、自分自身を
乗り越える機会とみる。人間は日常の生活に明け暮れで生きているが、
それでは真に生きていることにはならない。なぜ己が世界に生きているかを問い、
自分のあり方を求めることが生きる出発点になる。ところが、それを真正直に
守ると最後には挫折が待っている。 人は最期は死ぬのである。
それを考えると生きている根拠がなくなり、行き着く先の挫折を「限界状況」
とヤスパーはいう。 色いろの挫折を重ね、最後に「死」が厳然と待っているのは、
身近な死が我われに教えてくれる。しかし死を含めた多くの苦悩を通して、人間は
真の自己である実存を自覚し、そこから苦悩を乗り越える「超越」への基盤となる。
しかし人間は死の戦いや苦悩を、実存の最終的なあり方と受けとめることが出来ない。
本来は、愛、永遠、無垢に惹かれる存在だからである。 ヤスパーは、
《 実存は苦悩のうちに挫折しつつ、指し示す絶対者=包括者へと超越することが
要求される。その超越が促すのが「暗号解読」である。 それは一種の象徴で、
有限な現実の存在が自らを越えて絶対なる超越を指し示すのである。
芸術、思想、自然、歴史など、そうした暗号によって、それを包括者へと
超越せよ、という指示として受け取るのが暗号解読である。 》
と、挫折=限界状況の先のアップスケールとして、自己に目覚めるきっかけとする。
人間が生まれ存在しているから挫折をするのである。そして最後の挫折としての
死を受け入れるプロセスが超越だったり、真に生きることであると指摘する。
人間は誰かに人生を代ってもらうことはできない。 限界状況をひとりで背負う、
本質的に孤独な存在である。だからこそ独りに閉じこもらず、自分の実存を
他者に開示すべきとヤスパーはいう。他者との交わりを通して、自分を振り返る
ことが、更に自分に近づくことになる。実存に目覚めた人間同士の交わりを、
「愛しながらの戦い」と呼んでいる。人生を振り返ると挫折から多くのことを得た。
その時に、新約聖書や、大本教の本に救われた経験がある。超越者から救われて
いたのである。40,50歳代の峠越えは秘境旅行で大自然に出会うことで
超越していた。私にとって、大自然の懐が「暗号解読」の場所であった。
更に、多くの都市の美術館の名画などの作品がである。「限界状況」の中に、
そして、その向うの「超越」こそ、人間の生きている意味が隠されている。
挫折、そして苦悩こそ、人間を超越に運んでくれる。 そこで出会う感激・
感動こそ超越状態である。
・・・・・・・・
2719, 嘘について
2008年09月14日(日)
社会に生きていくうえで、嘘をつかなければならない場面も往々にしてある。
その場その場で、ころころ変化する人物は直ぐに見抜かれて信用を失う。
「約束の時間を守るかどうか」で、まず評価されるのは、そこに言い訳と嘘が
鮮明に出やすい。後ろ向きの人は、言い訳から始る。そして小さな嘘を重ねる。
過去に何人かの長年行き来していた人と断交をしてきた。 その共通点が嘘が
多い人である。開いた口が塞がらないというほど、純朴に嘘をつく。
純朴を表面に見せて、次から次へと嘘を重ねる。ある人を例に取ると
「本人は嘘を言っていることに気づいてないだけ。三歩ほど歩いたら全てを忘れる、
嘘など更々言っていない」のが真実。話を都合のよいように変えるのも、嘘の
一歩手前の行為である。営業口で、きれいごとを並び立てているうちに嘘の構築
のプロセスを踏んでいることになる。考えてみたら、誰もが大同小異ではないか。
他人のウソは見えても自分のウソは気づかいないだけだ。所詮、世の中は全てが
幻想、ウソも真実も大して変わらないではないか?と嘯くこともできる。
嘘も方便で嘘も相手を傷つけないように気遣う場面も必要である。
鮮明に憶えていることがある。父親が、末期癌になり、あと一年と宣告され
一年間実家で同居をしたとき、そ知らぬ顔をして、父親の葬式のための喪服を
つくりに行ったことがあった。 嘘も必要悪と己に言い聞かせ。
「末期かどうかは自分は聞かされてない!」という前提で、全ての言動を
しなければならなかったのも辛い。この時に、綺麗ごとだけでは生きれない
ことを、つくづくと知らされた。普段からウソの訓練も必要ということ?
私の場合は、後味の悪い他者への裏切りや、嘘は避けてきた。 結局は周り
回って帰ってくる。動機が純粋かどうかを、最終の判断基準にしている。
ただ、人間の窮したときの露骨な嘘こそ忌み嫌う。自分の利益行為のために、
綺麗ごとを当然のごとく並び立て、結果として尻尾を出している男かいる。
営業という仕事自体が綺麗ごとを並べ業績に結びつける要素が含まれる。
全てを営業成績を上げるため、生きるため、の手段にしなければならないのが
プロと思わないと、やれない。嘘をつかないで、相手をグサリと刺しまわって
いる「私」も大問題である。嘘を言う前に、まず真実を知らなければ!
真実も嘘も知らない手合いが多いから困ったもの。そうこう考えてみると、
親の資質や、本人の教養度合いの低い人が、ウソが多い人、ということになる。
まあ、娑婆は適当なウソで持っているところがあるが・・・
後記)書いた後に気づいたが、ほぼ同じ文章を書いたことがある。
・・・・・・・・
2007年09月14日(金)
2355, ギリシャとエーゲ海の旅 -1
この旅は、予測していた通り、ヨーロッパをメインに旅行している人が大部分で、
秘境・異境派は一組もいなかった。23名の参加者のうち、16人が夫婦づれ、
6名が女性づれ、1人参加が1名。 平均年齢が大よそ60歳強で、私達にとって
丁度良いバランスの連れ合いであった。少し、お品の良い人種が多いのが特徴で、
食事時の会話が大変であった。(その辺は家内の得意とする分野! 私は寡黙の
人に変身した日々。)内容的には、クルーズではトルコのクシャダズと、また
乗り継ぎ拠点のエジプトでは、ピラミッドとエジプト考古博物館のオマケつき。
盛りだくさんのスケジュールが組まれていて10日間としては、内容が豊富であった。
点数でいうと、100点満点といってよい。 まずは今回のツアーの「スケジュール
と主な内容」を旅行代理店のクラブツーリズムのHPのスケジュール表をコピーした。
ーーー
(字数の関係でカット09年9月14日)
■空路、エジプト航空直行便にて帰国の途に 宿泊:(機中泊)
10日目 成田着 12:55
ーーー
以上である。次回は、その感想を書きます。
たまたま、数年前の今日、同じエジプトの旅行記が書いてあった。
面白い偶然である。
つづく
・・・・・・・・・
2006年09月14日(木)
1990, 9・11から5年が経過
おはよ~!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・
9・11同時テロから先日で丸5年が経った。 その日を境に世界が一変してしまった。
その認識度が、その人の時代感覚の度合いとみてよい。ユダヤ対アラブ戦争が発生、
これが今後延々と続く図式ができてしまった。アメリカはアフガンとイラクに
アメリカが侵攻、政権を覆してしまった。あの事件以来、国家としても個人としても
弱肉強食がハッキリしてきた。丁度その頃からインターネットが一般社会に根付いて、
世界がさらにグローバル化した。まだまだ、アメリカの時代は続くのだろう。
石油と、世界通貨としてのドルと、圧倒的な軍事力と、英語が世界共通語が歴然と
してあるのだから・・たまたま未遂に終わったが、イギリスで大規模なテロ計画が
直前で摘発された。もし実行されたら、9・11に匹敵する大惨事になっていた。
最近のアメリカのタイム誌の調査では、73%の人が一年以内に米国でテロが
起きる可能性があると考えているという。このテロをきっかけに、アメリカの
大手の航空会社が二社倒産した。 他人事ではない、ホテルの稼働率が9.11のテロ
を境に右下がりに転じ、それが現在でも続いている。この事件を契機に何かが大きく
変わったことは事実である。イスラム対ユダヤ・キリスト教の戦いが始まったのだ。
これは数十年、いや100年以上続くだろう。それに中国が絡むから、複雑な展開に
なってくる。その認識が一番ないのが、島国の日本人だろう。グローバル化国際
社会で、島国という閉鎖性は許されない。 おっもしろそうだから、
イスラムでも入信してみよようか?
・・・・・・・・・
2005年09月14日(水)
1625, 戦略的思考について-2
アインシュタインは、質問の力について、「もし自分が殺されそうになって、
助かる方法を考えるのに一時間だけ与えられるとしたら、最初の55分は適切な質問を
探すのに費やすだろう」と述べている。それだけ最適な質問には、莫大なエネルギー
と力が秘められている。 その事態に対する『隠された質問』を探しだしさえすれば、
問題の殆どを解決したことになる。 それは思考についても同じことがいえる。
問答による思考発展として2500年前のギリシャで、ソクラテスの対話による教育手法
が生まれた。現在もソクラテスメソッドとして、主流の教育方法になっている。
18世紀にアメリカで大人数の教育が世界に伝わり、ソクラテスメソッドを破壊してしまった。
これは高等教育を普及させるのに役にたったが、個人の教育の立場ではギリシャ以前に
立ち戻ってしまった。その為に教育とは、生徒に情報ー知識を詰め込むことと考えて
しまうようになったが、教育という言葉の語源の『エデェカーレ』は、本来は‘引き出す’
という意味がある。古代から教育者が、生徒自身から持っている知覚や洞察力を引き出す
方法で、ソクラテスによって名が知れるようになったテクニックである。
先生が鋭い質問を生徒に投げかけ、彼らの持っている知覚を試して、説明するように
仕掛けることである。これは闊達な対話を通して進められる教育形式である。
はじめに結論を言わないで、対話の中から結論を見出していく。
私が学生時代に武澤ゼミで訓練された「ケースメソッドーケーススタディ」は正にこれ。
多彩な事例問題を毎週二回与えられ、それに対して先生とゼミ仲間同士が問答形式
(ソクラテスメソッド)で、ある結論に導いていく方法である。
与えられた(一枚の紙の)ケースに対して、はじめはアトラン. ダムに論じ合い、
最終的には全員で一定の結論を導くという方法である。 その効果は
・不確実性の内容の中で、的確な意思決定ができる
・自由な質問(ソクラテスメソッド)を使い、
論理を引き出し問題を明確にしていくプロセスの学習
・ロジック構築のプロセスの学習 である。
内容が「思考」に偏ってしまったが、戦略についてに戻そう。
戦略は鳥瞰としての絵図である。 その絵図の構図を練ることが戦略思考である。
それも地頭で考えることが戦略思考にとって最も要求される。
戦略とは、限られた資源を集中して最大の効率を図ること。
その為には、時流とその方向を見極めることが求められる。
わたしが最近ゲンキがないのは、デフレのすざましさを読み違えたことだ。
インフレ脳でしか考えてなかったことか!戦略思考など偉そうなことは書けない
立場のはずだが! 冷静に鳥瞰しなくてはならない時期のおさらいである。
・・・・・・・・・
2004年09月14日(火)
1260, 人生の基礎は10歳までに作られる!
人生は10歳での環境によって、ほぼ決まっている。中学校は選抜される前の最後の場。
その時の成績が、その後の人生を殆んど決めてしまっている。以前にも書いたことがあるが、
私の中学の同級では、一番が慶応大学の教授、 二番が日本レコード協会の専務理事、
三番が自衛隊の幹部?である。反対に、成績が悪い方を見ると、具体的に?書かないほうが良い。
それをより突き詰めてみると、10歳の成績と環境まで遡ることができる。
好奇心と向上心が潜在意識の中に如何育まれていたかである。子供のころは「退屈をする時間」
が有り余っていた。その時間の中ありあまる好奇心で大人の世界を見たり、子供同士の世界
の中で多くの試行錯誤を繰りかえしていた。初恋や、新しい遊びの発見、人間関係の駆け引き等々。
また大人の世界を子供の純粋な目でチャンと捉えていた。ここで親が、その自由な時間を
奪い取ったり、口出しをしたら、無気力な指示待ちの基礎が出来てしまう。
もう一つのチャンスは、大学時代である。 嫌になるほどの、自由な退屈な時間と、有り
余った時間の中で、自分の人生の「予行練習」と、「人生計画」を練り上げる。
多くの分野の本を読んだり、多くの人と出会い議論するのは、その知識を得る為である。
クラブ、寮、ゼミの先輩、教授から、その準備期間に如何に多く教え頂くかで決まってくる。
その時に、如何に準備に集中したかで長い人生が決まってしまう。
「べき時に、べき事を、べくすべき」ということだ。10歳までは親の責任である。好奇心と、
自主性と、やる気を壊さないように導き出してやれるかだ。しかし,それだけでないのが
人生だからこそ面白い。反面教師として、それをのりこえる場合も往々にしてあるから。
いや無いか!
・・・・・・・・
2003年09月14日(日)
893, 「バカの壁」ー読書日記-1
以前から気になっていた本だが、ついに買った。この人の本を多く読んでいたので立ち
読み程度でよいと思っていた。しかし金を出して、手にとって読むと真剣度と理解度が
全く違う。人間は、本気になって知ったこと以外「バカの壁」に囲まれている存在である。
教養とはその「バカの壁」をいかに多く取り除いた状態の程度といってよい。といって
その壁は取り除けば取り除くほど、更に自分を取り囲んでいる多くの壁に気がつく。
この本では、「詳細を知らず、かつ知ろうともせずに上辺だけを見みて、わかっている
と思いこんでしまうことの恐ろしさ」を指摘している。「わかっている」という思い込みの
怖さである。「人間は全てそんなものだが」と書いた後、そこで「人間を解っているつもり
の自分の壁」に気付いて驚くことが度々ある。小さい世界から一歩も外に出たことのない
住人は、この壁が頑強に取り囲んでいる世界が全てである。その壁に囲まれている自覚すら
ないから更に恐ろしい。そういう壁が全ての人に存在している。「知識と常識」
「科学的事実と科学的推論」「意識と無意識」「脳と身体」「都会と田舎」等々は、
違うものであるという「二元論」の重要性を説いている。「ものごとには良い面と悪い面
があるということを認識しよう。それには実際に経験するのがいい」というのがテーマでもある。
一般に良いこととされる言葉-- たとえば
「個性重視」,「効率化」,「景気回復」「人間性」なども,考えるとそうである。
「個性重視」...これは最近あまりいわなくなったが、我がままの人間とどこで線を引くのか
「効率化」..... 仲良しクラブも良いところがある?のではないか
「景気回復」... ハイパーインフレになっても良いから目先の阿波踊りが良いのか
ー景気回復が本当に良いのか
「人間性」..... いい訳に使う言葉に最適である
「物事は全面的に良いものではなく,良い面と悪い面があるものだ」、「一元論」を否定し,
「二元論」を示唆している。 話せば分かる,という世の中にするためには,多くの人が
「一元論」の考え方から脱却し,「二元論」を受け入れることが必要としている。
以下は字数の関係でカット(2007年09月14日)
-続く
・・・・・
2002/09/14
眠れない夜に
眠れない夜にどういうわけか、こうすると不思議によく眠れる。
・仰向けになり全身の力を抜く。
・頭から額にかけて力を抜くー次に目とその奥、鼻と口、 首と肩、両手、両足と
気持ちをその都度そこに集中して力を抜いていく。そうすると、自然に寝ていても
何処かに力みが入っているのが分かる。
・完全に力が抜けた状態で、一番楽しかったことを考える。私の場合海外旅行の大体3番目
のあたりで睡眠に入る。それでも眠れないで、過去に行った全ての「思い出し旅行」
に3時間かけたことがあるが。それはそれで楽しい時間。
・眠れないときは寝ようと考えず、眠れない状態で自然に任せることだ。それでも
眠れないのが不眠症だろうが。月に一度位は、夜半に目が覚め寝つけなかったりする。
でも苦にはならない。ポイントはマイナス思考の差し込む魔の時間にしないことだ。
これは注意していれば防げるのが不思議だ、訓練の結果だが。
・羊の数を数えるとよいという説があるが、私の場合逆に疲れてしまう。
何かの本に面白い内容があった。「アメリカの西部の砂漠の深い渓谷を
イメージする。自分はインデアンのイメージで、騎兵隊の待ち受けている。
彼らは狭い渓谷に入ってきた。 その一人一人を狙い撃ちをする。
一人一人が自分の銃で撃たれて死んでいく。彼らはそれでも何処に潜んでいるのか、
幾らでもいるのだ。それでも執拗に一人一人を撃ち続ける。眠りに入るまで。」
これをやるチャンスはまだないが、何か寝てしまいそうな感じだ。寝付きのよいほうだが、
不眠症の人の焦りも解る。不眠症の原因は、寝れない時間の過ごし方が下手ではないか?
その時間を空想や過去の楽しい思い出を楽しめばと思うのも、当人でないからだ。
・・・・・・・・・
2001/09/14
宗教戦争-3
[姉のメールに是非見てみろとホームページのアドレスが載ってました。
今回の事件の写真が載ってます。 http://www.tch.org/~russb/wtc/ ]
初めてエジプトに行った時の事を忘れられない。深夜にカイロに着き、ホテルで寝入った瞬間
妙な音で目が覚めた。丁度ラマダンの期間で早朝より街中コーランの祈りの声が流されるのだ。
何か異様な世界にきてしまったと感じた、強行軍で数時間の眠りの後直ぐ朝食。
レストランに行くと、ボーイ意がラマダンの為か苛苛していて皿を投げつけるように置くのだ。
バスに乗ったと同時に若い女性の日本の現地ガイドが曰く「この国に来たら、キリスト文明
の感覚を全部すてて下さい。ここはイスラムの世界ですから。腹を立てるだけ無駄な事、
車に轢かれたら、轢かれたほうが悪いというのがこの国の常識。私もこの国に来た初日に
ひき逃げを見て動転した。土産物屋やほぼ釣りは誤魔化す、文句をいって取り返さない方が
悪いという国ですから。はやく慣れてください。」なるほどとそこで身構えた。
しかし何回もそれをやられていると、怒りを抑えられなくなるほど露骨であった。
その中で逆に、いつの間にアメリカ文明にドップリ漬かっていることにきずいた。
ラマダンー断食ーの時期とはいえ街中、ある時間になるとあちこちで全員が頭をひれ
伏しているのは、日本人には全く考えられない姿であった。都合のいい事、悪い事総て
‘アラーの神の思し召し’それで済むのだ。全員でアラーといっていればそれは気分はいい。
メッカでの数十万のイスラム教徒が一同に集まり祈る姿は、TVで見ても感激する。
それを信じて、共同意識で祈ったら恍惚になるだろう。このイスラムの神ラージXとユダヤと
キリスト教のラージXが同じだから始末が悪い。イスラエル人のラージXをマタイがローマ人や
女性に解放してキリスト教をつくり、マホメットがアラブ人に解放してイスラム教をつくった。
ユダヤ教対アラブの戦いが旧約聖書(かなり大雑把だが)新約聖書対コーランの闘いになった。
西欧社会の正義とアラブ社会の正義は全く違うのだ。今まではイスラエル対アラブ諸国の
図式が欧米対イスラムの闘いにに換ってくる(字数の関係上、カット08年09月14日)
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive
今日のYoutube
https://www.youtube.com/watch?v=2unh-_VbKuQ&feature=player_embedded
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150911-00000041-jij_afp-int
欧州に、シリア難民が流入しているニュースが入ってきているが、
34万人というが、その背後に、その十倍の難民がトルコ、ギリシャなどにに彷徨って
いるという。 アメリカが中東から手を引き始めた結果の現象だろうが・・・
人道主義とはいえ、数百万が、この不景気の街頭に溢れるのも、問題だろう。
第一次、第二次大戦では、町を閉鎖をして、出ると射殺して、集団餓死をさせたり、
したが、こうして画面を出されると、そうも出来ない。欧州にとって、これは、
ギリシャ問題など騒いでいられない深刻な事態だろう。 貧困国のトルコ、
ハンガリーなどは、大問題だろう。国がしっかりしての国民である。国が滅びれば、
難民になるしかない。 国民の8割が海外移住を希望する韓国! これも大問題。
他人事ではない。北朝鮮、中国から難民が船に乗って大量に押し寄せる可能性もある。
逆は無いだろうが、あるかもしれない。
・・・・・・
3084,挫折を考えてみようか
2009年09月14日(月)
「挫折」については誰かが考えているはず、と調べたら、ヤスパーがいた。
ヤスパーは、挫折を「自己に目覚めるきっかけ」として捉え、自分自身を
乗り越える機会とみる。人間は日常の生活に明け暮れで生きているが、
それでは真に生きていることにはならない。なぜ己が世界に生きているかを問い、
自分のあり方を求めることが生きる出発点になる。ところが、それを真正直に
守ると最後には挫折が待っている。 人は最期は死ぬのである。
それを考えると生きている根拠がなくなり、行き着く先の挫折を「限界状況」
とヤスパーはいう。 色いろの挫折を重ね、最後に「死」が厳然と待っているのは、
身近な死が我われに教えてくれる。しかし死を含めた多くの苦悩を通して、人間は
真の自己である実存を自覚し、そこから苦悩を乗り越える「超越」への基盤となる。
しかし人間は死の戦いや苦悩を、実存の最終的なあり方と受けとめることが出来ない。
本来は、愛、永遠、無垢に惹かれる存在だからである。 ヤスパーは、
《 実存は苦悩のうちに挫折しつつ、指し示す絶対者=包括者へと超越することが
要求される。その超越が促すのが「暗号解読」である。 それは一種の象徴で、
有限な現実の存在が自らを越えて絶対なる超越を指し示すのである。
芸術、思想、自然、歴史など、そうした暗号によって、それを包括者へと
超越せよ、という指示として受け取るのが暗号解読である。 》
と、挫折=限界状況の先のアップスケールとして、自己に目覚めるきっかけとする。
人間が生まれ存在しているから挫折をするのである。そして最後の挫折としての
死を受け入れるプロセスが超越だったり、真に生きることであると指摘する。
人間は誰かに人生を代ってもらうことはできない。 限界状況をひとりで背負う、
本質的に孤独な存在である。だからこそ独りに閉じこもらず、自分の実存を
他者に開示すべきとヤスパーはいう。他者との交わりを通して、自分を振り返る
ことが、更に自分に近づくことになる。実存に目覚めた人間同士の交わりを、
「愛しながらの戦い」と呼んでいる。人生を振り返ると挫折から多くのことを得た。
その時に、新約聖書や、大本教の本に救われた経験がある。超越者から救われて
いたのである。40,50歳代の峠越えは秘境旅行で大自然に出会うことで
超越していた。私にとって、大自然の懐が「暗号解読」の場所であった。
更に、多くの都市の美術館の名画などの作品がである。「限界状況」の中に、
そして、その向うの「超越」こそ、人間の生きている意味が隠されている。
挫折、そして苦悩こそ、人間を超越に運んでくれる。 そこで出会う感激・
感動こそ超越状態である。
・・・・・・・・
2719, 嘘について
2008年09月14日(日)
社会に生きていくうえで、嘘をつかなければならない場面も往々にしてある。
その場その場で、ころころ変化する人物は直ぐに見抜かれて信用を失う。
「約束の時間を守るかどうか」で、まず評価されるのは、そこに言い訳と嘘が
鮮明に出やすい。後ろ向きの人は、言い訳から始る。そして小さな嘘を重ねる。
過去に何人かの長年行き来していた人と断交をしてきた。 その共通点が嘘が
多い人である。開いた口が塞がらないというほど、純朴に嘘をつく。
純朴を表面に見せて、次から次へと嘘を重ねる。ある人を例に取ると
「本人は嘘を言っていることに気づいてないだけ。三歩ほど歩いたら全てを忘れる、
嘘など更々言っていない」のが真実。話を都合のよいように変えるのも、嘘の
一歩手前の行為である。営業口で、きれいごとを並び立てているうちに嘘の構築
のプロセスを踏んでいることになる。考えてみたら、誰もが大同小異ではないか。
他人のウソは見えても自分のウソは気づかいないだけだ。所詮、世の中は全てが
幻想、ウソも真実も大して変わらないではないか?と嘯くこともできる。
嘘も方便で嘘も相手を傷つけないように気遣う場面も必要である。
鮮明に憶えていることがある。父親が、末期癌になり、あと一年と宣告され
一年間実家で同居をしたとき、そ知らぬ顔をして、父親の葬式のための喪服を
つくりに行ったことがあった。 嘘も必要悪と己に言い聞かせ。
「末期かどうかは自分は聞かされてない!」という前提で、全ての言動を
しなければならなかったのも辛い。この時に、綺麗ごとだけでは生きれない
ことを、つくづくと知らされた。普段からウソの訓練も必要ということ?
私の場合は、後味の悪い他者への裏切りや、嘘は避けてきた。 結局は周り
回って帰ってくる。動機が純粋かどうかを、最終の判断基準にしている。
ただ、人間の窮したときの露骨な嘘こそ忌み嫌う。自分の利益行為のために、
綺麗ごとを当然のごとく並び立て、結果として尻尾を出している男かいる。
営業という仕事自体が綺麗ごとを並べ業績に結びつける要素が含まれる。
全てを営業成績を上げるため、生きるため、の手段にしなければならないのが
プロと思わないと、やれない。嘘をつかないで、相手をグサリと刺しまわって
いる「私」も大問題である。嘘を言う前に、まず真実を知らなければ!
真実も嘘も知らない手合いが多いから困ったもの。そうこう考えてみると、
親の資質や、本人の教養度合いの低い人が、ウソが多い人、ということになる。
まあ、娑婆は適当なウソで持っているところがあるが・・・
後記)書いた後に気づいたが、ほぼ同じ文章を書いたことがある。
・・・・・・・・
2007年09月14日(金)
2355, ギリシャとエーゲ海の旅 -1
この旅は、予測していた通り、ヨーロッパをメインに旅行している人が大部分で、
秘境・異境派は一組もいなかった。23名の参加者のうち、16人が夫婦づれ、
6名が女性づれ、1人参加が1名。 平均年齢が大よそ60歳強で、私達にとって
丁度良いバランスの連れ合いであった。少し、お品の良い人種が多いのが特徴で、
食事時の会話が大変であった。(その辺は家内の得意とする分野! 私は寡黙の
人に変身した日々。)内容的には、クルーズではトルコのクシャダズと、また
乗り継ぎ拠点のエジプトでは、ピラミッドとエジプト考古博物館のオマケつき。
盛りだくさんのスケジュールが組まれていて10日間としては、内容が豊富であった。
点数でいうと、100点満点といってよい。 まずは今回のツアーの「スケジュール
と主な内容」を旅行代理店のクラブツーリズムのHPのスケジュール表をコピーした。
ーーー
(字数の関係でカット09年9月14日)
■空路、エジプト航空直行便にて帰国の途に 宿泊:(機中泊)
10日目 成田着 12:55
ーーー
以上である。次回は、その感想を書きます。
たまたま、数年前の今日、同じエジプトの旅行記が書いてあった。
面白い偶然である。
つづく
・・・・・・・・・
2006年09月14日(木)
1990, 9・11から5年が経過
おはよ~!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・
9・11同時テロから先日で丸5年が経った。 その日を境に世界が一変してしまった。
その認識度が、その人の時代感覚の度合いとみてよい。ユダヤ対アラブ戦争が発生、
これが今後延々と続く図式ができてしまった。アメリカはアフガンとイラクに
アメリカが侵攻、政権を覆してしまった。あの事件以来、国家としても個人としても
弱肉強食がハッキリしてきた。丁度その頃からインターネットが一般社会に根付いて、
世界がさらにグローバル化した。まだまだ、アメリカの時代は続くのだろう。
石油と、世界通貨としてのドルと、圧倒的な軍事力と、英語が世界共通語が歴然と
してあるのだから・・たまたま未遂に終わったが、イギリスで大規模なテロ計画が
直前で摘発された。もし実行されたら、9・11に匹敵する大惨事になっていた。
最近のアメリカのタイム誌の調査では、73%の人が一年以内に米国でテロが
起きる可能性があると考えているという。このテロをきっかけに、アメリカの
大手の航空会社が二社倒産した。 他人事ではない、ホテルの稼働率が9.11のテロ
を境に右下がりに転じ、それが現在でも続いている。この事件を契機に何かが大きく
変わったことは事実である。イスラム対ユダヤ・キリスト教の戦いが始まったのだ。
これは数十年、いや100年以上続くだろう。それに中国が絡むから、複雑な展開に
なってくる。その認識が一番ないのが、島国の日本人だろう。グローバル化国際
社会で、島国という閉鎖性は許されない。 おっもしろそうだから、
イスラムでも入信してみよようか?
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2005年09月14日(水)
1625, 戦略的思考について-2
アインシュタインは、質問の力について、「もし自分が殺されそうになって、
助かる方法を考えるのに一時間だけ与えられるとしたら、最初の55分は適切な質問を
探すのに費やすだろう」と述べている。それだけ最適な質問には、莫大なエネルギー
と力が秘められている。 その事態に対する『隠された質問』を探しだしさえすれば、
問題の殆どを解決したことになる。 それは思考についても同じことがいえる。
問答による思考発展として2500年前のギリシャで、ソクラテスの対話による教育手法
が生まれた。現在もソクラテスメソッドとして、主流の教育方法になっている。
18世紀にアメリカで大人数の教育が世界に伝わり、ソクラテスメソッドを破壊してしまった。
これは高等教育を普及させるのに役にたったが、個人の教育の立場ではギリシャ以前に
立ち戻ってしまった。その為に教育とは、生徒に情報ー知識を詰め込むことと考えて
しまうようになったが、教育という言葉の語源の『エデェカーレ』は、本来は‘引き出す’
という意味がある。古代から教育者が、生徒自身から持っている知覚や洞察力を引き出す
方法で、ソクラテスによって名が知れるようになったテクニックである。
先生が鋭い質問を生徒に投げかけ、彼らの持っている知覚を試して、説明するように
仕掛けることである。これは闊達な対話を通して進められる教育形式である。
はじめに結論を言わないで、対話の中から結論を見出していく。
私が学生時代に武澤ゼミで訓練された「ケースメソッドーケーススタディ」は正にこれ。
多彩な事例問題を毎週二回与えられ、それに対して先生とゼミ仲間同士が問答形式
(ソクラテスメソッド)で、ある結論に導いていく方法である。
与えられた(一枚の紙の)ケースに対して、はじめはアトラン. ダムに論じ合い、
最終的には全員で一定の結論を導くという方法である。 その効果は
・不確実性の内容の中で、的確な意思決定ができる
・自由な質問(ソクラテスメソッド)を使い、
論理を引き出し問題を明確にしていくプロセスの学習
・ロジック構築のプロセスの学習 である。
内容が「思考」に偏ってしまったが、戦略についてに戻そう。
戦略は鳥瞰としての絵図である。 その絵図の構図を練ることが戦略思考である。
それも地頭で考えることが戦略思考にとって最も要求される。
戦略とは、限られた資源を集中して最大の効率を図ること。
その為には、時流とその方向を見極めることが求められる。
わたしが最近ゲンキがないのは、デフレのすざましさを読み違えたことだ。
インフレ脳でしか考えてなかったことか!戦略思考など偉そうなことは書けない
立場のはずだが! 冷静に鳥瞰しなくてはならない時期のおさらいである。
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2004年09月14日(火)
1260, 人生の基礎は10歳までに作られる!
人生は10歳での環境によって、ほぼ決まっている。中学校は選抜される前の最後の場。
その時の成績が、その後の人生を殆んど決めてしまっている。以前にも書いたことがあるが、
私の中学の同級では、一番が慶応大学の教授、 二番が日本レコード協会の専務理事、
三番が自衛隊の幹部?である。反対に、成績が悪い方を見ると、具体的に?書かないほうが良い。
それをより突き詰めてみると、10歳の成績と環境まで遡ることができる。
好奇心と向上心が潜在意識の中に如何育まれていたかである。子供のころは「退屈をする時間」
が有り余っていた。その時間の中ありあまる好奇心で大人の世界を見たり、子供同士の世界
の中で多くの試行錯誤を繰りかえしていた。初恋や、新しい遊びの発見、人間関係の駆け引き等々。
また大人の世界を子供の純粋な目でチャンと捉えていた。ここで親が、その自由な時間を
奪い取ったり、口出しをしたら、無気力な指示待ちの基礎が出来てしまう。
もう一つのチャンスは、大学時代である。 嫌になるほどの、自由な退屈な時間と、有り
余った時間の中で、自分の人生の「予行練習」と、「人生計画」を練り上げる。
多くの分野の本を読んだり、多くの人と出会い議論するのは、その知識を得る為である。
クラブ、寮、ゼミの先輩、教授から、その準備期間に如何に多く教え頂くかで決まってくる。
その時に、如何に準備に集中したかで長い人生が決まってしまう。
「べき時に、べき事を、べくすべき」ということだ。10歳までは親の責任である。好奇心と、
自主性と、やる気を壊さないように導き出してやれるかだ。しかし,それだけでないのが
人生だからこそ面白い。反面教師として、それをのりこえる場合も往々にしてあるから。
いや無いか!
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2003年09月14日(日)
893, 「バカの壁」ー読書日記-1
以前から気になっていた本だが、ついに買った。この人の本を多く読んでいたので立ち
読み程度でよいと思っていた。しかし金を出して、手にとって読むと真剣度と理解度が
全く違う。人間は、本気になって知ったこと以外「バカの壁」に囲まれている存在である。
教養とはその「バカの壁」をいかに多く取り除いた状態の程度といってよい。といって
その壁は取り除けば取り除くほど、更に自分を取り囲んでいる多くの壁に気がつく。
この本では、「詳細を知らず、かつ知ろうともせずに上辺だけを見みて、わかっている
と思いこんでしまうことの恐ろしさ」を指摘している。「わかっている」という思い込みの
怖さである。「人間は全てそんなものだが」と書いた後、そこで「人間を解っているつもり
の自分の壁」に気付いて驚くことが度々ある。小さい世界から一歩も外に出たことのない
住人は、この壁が頑強に取り囲んでいる世界が全てである。その壁に囲まれている自覚すら
ないから更に恐ろしい。そういう壁が全ての人に存在している。「知識と常識」
「科学的事実と科学的推論」「意識と無意識」「脳と身体」「都会と田舎」等々は、
違うものであるという「二元論」の重要性を説いている。「ものごとには良い面と悪い面
があるということを認識しよう。それには実際に経験するのがいい」というのがテーマでもある。
一般に良いこととされる言葉-- たとえば
「個性重視」,「効率化」,「景気回復」「人間性」なども,考えるとそうである。
「個性重視」...これは最近あまりいわなくなったが、我がままの人間とどこで線を引くのか
「効率化」..... 仲良しクラブも良いところがある?のではないか
「景気回復」... ハイパーインフレになっても良いから目先の阿波踊りが良いのか
ー景気回復が本当に良いのか
「人間性」..... いい訳に使う言葉に最適である
「物事は全面的に良いものではなく,良い面と悪い面があるものだ」、「一元論」を否定し,
「二元論」を示唆している。 話せば分かる,という世の中にするためには,多くの人が
「一元論」の考え方から脱却し,「二元論」を受け入れることが必要としている。
以下は字数の関係でカット(2007年09月14日)
-続く
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2002/09/14
眠れない夜に
眠れない夜にどういうわけか、こうすると不思議によく眠れる。
・仰向けになり全身の力を抜く。
・頭から額にかけて力を抜くー次に目とその奥、鼻と口、 首と肩、両手、両足と
気持ちをその都度そこに集中して力を抜いていく。そうすると、自然に寝ていても
何処かに力みが入っているのが分かる。
・完全に力が抜けた状態で、一番楽しかったことを考える。私の場合海外旅行の大体3番目
のあたりで睡眠に入る。それでも眠れないで、過去に行った全ての「思い出し旅行」
に3時間かけたことがあるが。それはそれで楽しい時間。
・眠れないときは寝ようと考えず、眠れない状態で自然に任せることだ。それでも
眠れないのが不眠症だろうが。月に一度位は、夜半に目が覚め寝つけなかったりする。
でも苦にはならない。ポイントはマイナス思考の差し込む魔の時間にしないことだ。
これは注意していれば防げるのが不思議だ、訓練の結果だが。
・羊の数を数えるとよいという説があるが、私の場合逆に疲れてしまう。
何かの本に面白い内容があった。「アメリカの西部の砂漠の深い渓谷を
イメージする。自分はインデアンのイメージで、騎兵隊の待ち受けている。
彼らは狭い渓谷に入ってきた。 その一人一人を狙い撃ちをする。
一人一人が自分の銃で撃たれて死んでいく。彼らはそれでも何処に潜んでいるのか、
幾らでもいるのだ。それでも執拗に一人一人を撃ち続ける。眠りに入るまで。」
これをやるチャンスはまだないが、何か寝てしまいそうな感じだ。寝付きのよいほうだが、
不眠症の人の焦りも解る。不眠症の原因は、寝れない時間の過ごし方が下手ではないか?
その時間を空想や過去の楽しい思い出を楽しめばと思うのも、当人でないからだ。
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2001/09/14
宗教戦争-3
[姉のメールに是非見てみろとホームページのアドレスが載ってました。
今回の事件の写真が載ってます。 http://www.tch.org/~russb/wtc/ ]
初めてエジプトに行った時の事を忘れられない。深夜にカイロに着き、ホテルで寝入った瞬間
妙な音で目が覚めた。丁度ラマダンの期間で早朝より街中コーランの祈りの声が流されるのだ。
何か異様な世界にきてしまったと感じた、強行軍で数時間の眠りの後直ぐ朝食。
レストランに行くと、ボーイ意がラマダンの為か苛苛していて皿を投げつけるように置くのだ。
バスに乗ったと同時に若い女性の日本の現地ガイドが曰く「この国に来たら、キリスト文明
の感覚を全部すてて下さい。ここはイスラムの世界ですから。腹を立てるだけ無駄な事、
車に轢かれたら、轢かれたほうが悪いというのがこの国の常識。私もこの国に来た初日に
ひき逃げを見て動転した。土産物屋やほぼ釣りは誤魔化す、文句をいって取り返さない方が
悪いという国ですから。はやく慣れてください。」なるほどとそこで身構えた。
しかし何回もそれをやられていると、怒りを抑えられなくなるほど露骨であった。
その中で逆に、いつの間にアメリカ文明にドップリ漬かっていることにきずいた。
ラマダンー断食ーの時期とはいえ街中、ある時間になるとあちこちで全員が頭をひれ
伏しているのは、日本人には全く考えられない姿であった。都合のいい事、悪い事総て
‘アラーの神の思し召し’それで済むのだ。全員でアラーといっていればそれは気分はいい。
メッカでの数十万のイスラム教徒が一同に集まり祈る姿は、TVで見ても感激する。
それを信じて、共同意識で祈ったら恍惚になるだろう。このイスラムの神ラージXとユダヤと
キリスト教のラージXが同じだから始末が悪い。イスラエル人のラージXをマタイがローマ人や
女性に解放してキリスト教をつくり、マホメットがアラブ人に解放してイスラム教をつくった。
ユダヤ教対アラブの戦いが旧約聖書(かなり大雑把だが)新約聖書対コーランの闘いになった。
西欧社会の正義とアラブ社会の正義は全く違うのだ。今まではイスラエル対アラブ諸国の
図式が欧米対イスラムの闘いにに換ってくる(字数の関係上、カット08年09月14日)