「うそつきーうそと自己欺瞞の心理学」チャールズ・V・フォード著
   * うそつき 
 この本は、「嘘と真実−1」を書いた後で、図書館で見つけた本である。この年齢になり人生を振り返ると、鮮明に己の
行蔵がみえてくる。そこには、自分に対する都合の良い言い訳や、無意識の浅ましい自分の嘘が浮かび上がってくる。
特に青少年期にまず身につくのは自分を騙すこと。自分の未熟さを認めたくないため、ウソで自身に対する「日々是口実」になる。
身勝手の本性に小理屈をつけ、まず自分に対する言い訳を考え、それを信じてしまう。だから生きていられることもある。
  ー以下は、この本の訳者の‘あとがき’中で語られている至言といわれるフレーズ。 これだけで、要約になる。
「人は自分にうそをつくために他人にうそをつく」 《まず人は自負心を保つために自分にうそをつく》
「人間は、自分のいうことを自分で『信じている』ときに、より効果的にうそをつく」《犯罪者の起点は、ここから始まる》
「うそをつく人間とつかれる人間の両者が共謀して事実をわい曲する」《基本的技法は相手の聞きたがっているウソを語ること》
「うそのつき手あるいは聞き手のいずれか一方が主犯というわけではない。うそは双方向通行の人間関係による力学的作用である」 
 《 落ち目の会社にある不信の構造に見られる? 》
「優秀なセールスマン同様に政治家もまた、選挙民を相手に、選挙民の聞きたがっていることを語る。この関係は双方的なもので、
 政治家が有権者の自己欺まんを代弁することもある」《権力を求める政治家に自己愛的な人が多く、その特性がうそを助長する。
 これ、恋愛もいえること。 人が真実のなかに求めているのは『いいニュース』だけ」
 《集団内で相互に強化される自己欺瞞が、恐ろしい問題をひきおこす。 現在の国内政治にも心当たりあり! 》
「正真正銘の真実を聞かされてがまんのできる人間はそうはいないものである」《逆にゴマすりも、熟練にまで高まると・・》
「幸福というものは、その希少性からして一つの精神障害として分類されるべきもの」《病的嘘つきは、脳機能不全と関連が多い》
「男が女に、また女が男に自分を見せる際には、隠れた本能的な力がある種のうそを助長する」《だから恋愛が成り立つ》
「うそを語る特権なしには、文学をはじめとして芸術の世界は存在しえない」
「人間の語る身の上話などというものは、いかに筋が通り、もっともらしいように思われるものであっても、
 その人の過去の歴史的事実とはあまり関係のないものだ…」《過去は、書き直され再編成され全く違ったものになる》
「…自分の人生に首尾一貫したものや意味を見いだそうというときには、正確な歴史的事実など重要ではないということもある」
「真実やうそというものは、それ自体では道徳的なものでも非道徳的なものでもなく、単なるコミュニケーションの形態にすぎない。
 その道徳的価値が判断されるのは、他者との関係においてそれがいかに用いられるかによってである」《リアルのウソが効果ある》
「自分にうそをつくのが下手な人は、うつ病になりやすい」とあるが、人間は自分の真実の実像を見ていたら
 耐えられないのは自明である。そして、「人はうそをつく能力は高いが、うそを見破る能力は低い」という欠点がある。
「うそは人間関係の調整、不安や苦痛への対処、種としての存続、個人として栄えるために不可欠の要素」がある。
 自分が「不完全である」という事実を受け入れられないために、他者を批判し、他者を犠牲にすることにより、
 自分への批判をまぬがれようとしている(自己愛)人間が存在する。
  ▼ 性悪説の上で、性善説を説けば良いのか? それは他者だけでなく、自分を見つめれば分かること。本当のことって
   あるのだろうか? 本当と思っているだけではないか? 時間の経過で、うそも本当になり、本当もうそになる。
   利口者の自己欺瞞と、馬鹿の正直者、その間に揺れているのが心。利口者の正直者もあるし、馬鹿の自己欺瞞もある。
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3986, 生保に入るバカ、入らないバカ ー3
2012年02月23日(木)
  ここで、著者は、保険会社の危なさを次のように書いている。
 ≪ 「生保」という商品は不思議で、ふだん買い物をして、商品を持って帰る段になって、買ったものが買い物袋に入っていない
   (しかも10万〜15万円分足りない!)のに気がつかないのは、変だろう。(p.144)≫と・・・
  セールスは顧客のためにというのは嘘で、会社のために、顧客の無知に付込んで契約をする。それも弱者の不安を掻き立てて。
  最近は、成人病でポックリというのが多いが、40歳後半までに死ぬ確率は非常に低い。65歳まで亡くなる確立は2割である。
  それを死ぬか死なないかの5割の確率で命をかけた博打をするのだから、保険屋が儲かるのは自明。 (詐欺的)要素を
  持った商品をセールスが言葉巧みに、貧しく無知の主婦を狙い撃ちにさせる。保険会社のビルが立派なのは、顧客を信用させる
  小道具のため。国家予算と保険の売上が同額というのだから呆れる以前に、むしろ感銘を受ける。
   ー それでも生命保険に入りたい人に「生命保険のカラクリ」著者の岩瀬 大輔は次のような心掛けを勧める
  ◎ 生命保険にかしこく入るための7か条
 一、死亡・医療・貯金の三つに分けて考えよう      二、加入は必要最小限、を心がけよう
 三、まずは中核の死亡保障を、安い定期保険で確保する  四、医療保障はコスト・リターンを冷静に把握し、好みに合ったのを選ぶ
 五、貯蓄は金利が上がるまで、生保で長期の資金を塩漬けにしてしまうのは避けよう
 六、すでに入っていても「解約したら損」とは限らない。見直そう  七、必ず複数の商品(営業マンではない)を比較して選ぼう 
  ◆ 数年前のことだが、家内が街中で見知らない女性にスカウトをされたという。それが保険勧誘員。
  「何か保険セールスに御似合いのようで、如何ですか」と勧誘されたと嬉しそうにいう。 「典型的な保険セールスの
  キャッチじゃないか。カモがネギをしょっているように見くびられただけ。まさか乗ってしまったんじゃなだろうな」と、私。
  もちろん断ったというが、なる程!幾らでも手があるもの。保険のブラックボックスは、あの契約書。好き放題、手前勝手でも
  法律の限界を守って、全国レベルの経験則が入っている。相手は単独の無知の大衆。マスコミも広告もあるので、それに触れない。
  私の両親は、数千万はゆうに払ったがバックの話は聞いたことがない。Oとかいう関西系の保険屋の男に食い物にされていた。
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3621,閑話小題
2011年02月23日(水)
  * やはり値下がりした薄型TV
 去年暮れに薄型TVがエコポイントの駆け込みで品薄になる現象が生じた。
その時に、直ぐにエコポイントの差額以上に必ず値下がりをすると、ここで断じた。
ところが昨日の新聞記事に早速そのニュースが載っていた。過剰消費の後には値崩れが起きるのは当然であり、
特にテレビやパソコン、携帯電話などの電器商品は、直ぐに型落ちで値下がりする際物の性格がある。
周囲が焦って買い急いでいるのを見てしまうと、その当たり前のことが見えなくなる。明らかに踊らされていた。
かくいう私も夏に買ったが、今では型落ちも含めて三割近い値下げである。 自動車も似たような現象が出ている。
その反動が、今年の日本経済を暗くする。来年の一番底に向けて景気は楽観できない。
 * 北アフリカ・中東のドミノ倒しは続く
 チェニジア、エジプトに続いて、今度はリビアにデモが飛び火をし、暴動になっている。最後は軍部がどう動くかが、
ポイントになってきた。 カダフィの外人傭兵部隊が虐殺を拡大する中で、軍部が国民側につきざるを得なくなるのが
流れになるかかどうか。 それにしてもチョットしたきっかけで、数十年続いた強固にみえた独裁国家が瞬時に崩壊するのだから
ネットの威力は絶大。 軍隊内の若い兵士も家に帰れば携帯電話を持っており、虐殺の映像を見れば上下の関係だけで動かない。
恐しいリンチや、罰則があるだろうが・・・ さっそくリビアの空軍の飛行機二機が、デモへの攻撃命令を拒否して
隣国に亡命したとのニュースが流れていた。アッラーの神への絶対の服従とは違ったネット情報で動く若い世代が出てきた。
何処も同じである。成るほど、ネット世界が現実世界を支配してきた象徴的現象である。元をたどれば金融バブルも
ネット取引のグローバル化がもたらした原因。 面白怖い、これまで考えられなかった現象が、雪崩のように起こってくる。
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3256、挫折を考えてみようか −4
 2010年02月23日(火)
誰もが、人生の中で大きな挫折を経験する。 挫折といえば若いときほど、その経験はプラスになるケースが多い。
そのまま、潰れてしまう危険も含まれているから額面どおりにはいかない。しかし、それを乗り越える過程でついた
力は、大きい成長のためのバネになる。  映画監督の新藤兼人の挫折についての言葉がよい。
「挫折をして、挫折のままだったら、今いないわけでしょ。生き延びてきたということは・挫折を乗り
越えてきたからなんです。そうすると、私の財産は挫折です。 乗り越えるためには、試行錯誤
があって、まだ挫折が来る。若い人は挫折をしてませんね。これからするわけなんだから。だから、
若い人と対抗して仕事ができる気持ちになれるのは、私が挫折という財産を持っているからなんです」
 〜〜ネットで出てきた挫折の格言である〜〜   一言一言が身に沁みる!
『転んだ時にはいつでも何かを拾え』  オズワルド・アベリー
『最大の光栄は、一度も失敗しないことではなく倒れるたびに起き上がることである』  ゴールドスミス
『失敗したところでやめてしまうから失敗になる』     松下幸之助
『過失を怖れては何事も為し得ないだらう』        小熊秀雄
『日本人は、失敗ということを恐れすぎるようである』   本田宗一郎
『失敗することを恐れるよりも、何もしないことを恐れろ』 本田宗一郎
『失敗には、許される失敗と許されない失敗がある』    畑村洋太郎
『失敗は人生の免疫である。味わい尽くし分析せよ』    中島義道
『何か始めてうまくいかなかったら、またやりなおせばよい』 大前研一
『努力をあきらめないかぎり、失敗なんてこの世にはないのだ』  ハバード
『我 事において 後悔せず』  宮本武蔵
『失敗のうちで最大のものは、失敗を何一つ自覚しないこと』   カーライル
『受身が身につけば達人 まけることの尊さがわかるから』    相田みつを
『勝つことばかり知りて負くることを知らざれば害その身に至る』 徳川家康
『最大の名誉は・・・倒れるたびに起き上がることである』    孔子
『過って改めざる、これを過ちという』             孔子
『おれは落胆するよりも次の策を考えるほうの人間だ』      坂本竜馬
『つまづいたっていいじゃないか にんげんだもの』       相田みつを
『他人のように上手くやろうと思わないで、自分らしく失敗しなさい』   大林宣彦
エジソンは失敗を楽しんでいたんとちゃいますか』           ジミー大西
『生きる力とは、成功を続ける力ではなく、失敗や困難を乗り越える力だ』 松井秀喜
『失敗は問題だ。成功しようとしないのは、もっと問題』         ルーズベルト
『恋をして恋を失ったほうが、一度も恋をしなかったよりましである』   テニソン
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2009/09/18
3088,挫折を考えてみようか −3
 ある人に「あなたの『挫折を考えてみようか ー1』を読んだが、貴方には挫折経験がないのでは?」と言われた。
そこで改めて考えてみた。 大学浪人は、そこで進学を断念したのなら話しは別だが、挫折ではない?
金沢時代も挫折とは違う。目的もしっかりあったし、絶好の体験をしているという実感はあった。
創業を目指して彷徨いながら準備をしていたという明確な絵図があった。そうこう考えると、「挫折体験はないのでは?」
という指摘も正しいことになる。 先が見えないで暗い心情になっていた時期で挫折とはいわない。
そうこう考えると、挫折などと軽々しく言わない方がよい!ということか。ネット辞書によると「挫折とは計画が達成できないで
心が折れてヤル気を失うこと」とあった。挫折は、それまでの自分を一度破壊して新たな自分の創造を促すチャンスになり、
竹の節目に譬えることが出来る。 そこに大きな鍵が隠されている。 超越者の声に敏感になることもある。 
それまでが横の時間なら挫折の時節は縦の時間。「節目を打て!」というが、そこで超越者に試されことでもある。 
物語なら、そこを節目としての転換期になり、「起承転結」の「転」の時になる。
挫折の状態は、追い詰められた状況ほど芸術作品や本などを通した超越者の語りかけに鋭敏になる。
「予定挫折」という言葉がある。 挫折を意図的に入れて置いて、人生の踊り場にするのである。。 
そこは枝葉を切って根を養う時節であり、超越の時節になる。「そうか〜挫折と思い込んでいただけか〜」と思ったが、
それでは、挫折が無かったかというと、勿論ある。実は見落していたのである。 大学浪人や創業時の準備は勘違い? 
しかし深傷だったが。最近になって「自分は中学浪人だった」と、何人かの知人から聞いて驚いたが、一番傷つきやすい時期の、
それから見れば、当時の大学は半分近くが浪人経験者で、挫折でもなんでもない。
また私の姉夫婦と実兄夫婦の倒産劇で、大きく挫折をしたのを間近で見たが、壮年、老年近い挫折は厳しい。 
最近はリストラで日常が挫折だらけになっている。 他人事ではない。 予定挫折ともいかないし。
 幸福というビルの最上階の4Fならいいが、屋上から何は? 挫折を茶化すこともないが・・・
「挫折とは計画が達成できないで心が折れてヤル気を失うこと」か〜! なら日々挫折である。計画が甘いだけ?。
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哲学について
3087,挫折を考えてみようか −2
2009/09/17
  哲学者のヤスパーの「限界状況」と「包括者」は、なかなか含蓄がある。
ヤスパーは第二次世界大戦でナチへの協力を拒否したため、大学教授を剥奪され、身の危険を感じ
スイスに亡命せざるを得なくなった体験がある。そこから「限界状況」という考えが、色濃く反映している。
『限界状況』とは、突き当たり、そこで挫折するしかない壁、具体的には、死、闘争、悩み、歴史による規定などをいう。 
それらの乗り越え難い厳しい壁を目の前にして、逃避するなら人間は自分を失ってしまう。
反対に、その試練を真摯に受け止めることよって初めて、我われは自分の生きる姿を知ることになる。
 しかし受け止めたところで、限界状況では挫折は避けられない。しかし、この挫折が私たちを超越者(=包括者)
の世界に導いてくれる。 もちろん、ヤスパーが考えたのは、挫折(無力感)から神のような超越的なものへ目が見開かれる
という宗教的なことではない。 包括者を認知するとは、この世の中に決して合理的に理解できないものがあることを
知るということ、理性の限界を知るということである。 理性の限界を認識してこそ、私たちは理性的に思索できる。
それをヤスパーは包括者の認知と提示したのである。 20世紀から、このかた原爆、世界大戦、ナチ、毛沢東などが、
大量殺戮を繰り返してきた。 それは徹底した合理主義の下である。 理性そのものの疑問が生じるのは当然である。 
 我われの挫折も、それを逆バネにすれば自分の無力感を、超越者(作家や芸術家など)から救ってもらう切っ掛けとなる。
挫折は、それから学びプラスに出来れば、これほど効果的なことはない。 その限界状況が芸術、思想、自然、歴史
などの暗号を解いて、包括者を受け入れやすい環境として最適な状態となるのである。
 挫折は、自分の壁が破壊することでもある。 その壁は、自分を守ってもくれるが、反面、殻にもなってくる。
養老孟は、それを馬鹿の壁と表現した。そうこう考えると、人間にとって(特に若いときの)
挫折は必要欠くべからざる経験ということになる。 ところで先日・・・・    〜つづき  
・・・・・・・
2009/09/14
3084,挫折を考えてみようか
 「挫折」については誰かが考えているはず、と調べたら、ヤスパーがいた。ヤスパーは、挫折を「自己に目覚めるきっかけ」
として捉え、自分自身を乗り越える機会とみる。人間は日常の生活に明け暮れで生きているが、それでは真に生きていることに
はならない。なぜ己が世界に生きているかを問い、自分のあり方を求めることが生きる出発点になる。
ところが、それを真正直に守ると最後には挫折が待っている。人は最期は死ぬのである。それを考えると生きている根拠がなくなり、
行き着く先の挫折を「限界状況」とヤスパーはいう。 色いろの挫折を重ね、最後に「死」が厳然と待っているのは、
身近な死が我われに教えてくれる。しかし死を含めた多くの苦悩を通して、人間は真の自己である実存を自覚し、そこから苦悩を
乗り越える「超越」への基盤となる。しかし人間は死の戦いや苦悩を、実存の最終的なあり方と受けとめることが出来ない。
本来は、愛、永遠、無垢に惹かれる存在だからである。  
 ヤスパーは、《 実存は苦悩のうちに挫折しつつ、指し示す絶対者=包括者へと超越することが要求される。
その超越が促すのが「暗号解読」である。 それは一種の象徴で、有限な現実の存在が自らを越えて絶対なる超越を指し示すのである。 
芸術、思想、自然、歴史など、そうした暗号によって、それを包括者へと超越せよ、という指示として受け取るのが暗号解読である。》
と、挫折=限界状況の先のアップスケールとして、自己に目覚めるきっかけとする。人間が生まれ存在しているから挫折をするのである。
そして最後の挫折としての死を受け入れるプロセスが超越だったり、真に生きることであると指摘する。
人間は誰かに人生を代ってもらうことはできない。 限界状況をひとりで背負う、本質的に孤独な存在である。
だからこそ独りに閉じこもらず、自分の実存を他者に開示すべきとヤスパーはいう。
他者との交わりを通して、自分を振り返ることが、更に自分に近づくことになる。
実存に目覚めた人間同士の交わりを、「愛しながらの戦い」と呼んでいる。
 人生を振り返ると、挫折から多くのことを得た。 その時に、新約聖書や、大本教の本に救われた経験がある。
超越者から救われていたのである。40,50歳代の峠越えは秘境旅行で大自然に出会うことで超越していた。
私にとって、大自然の懐が「暗号解読」の場所であった。 更に、多くの都市の美術館の名画などの作品がである。 
「限界状況」の中に、そして、その向うの「超越」こそ、人間の生きている意味が隠されている。
挫折、そして苦悩こそ、人間を超越に運んでくれる。 そこで出会う感激・感動こそ超越状態である