<人生を幸福で満たす20の方法>三宮 麻由子(著)
   * 空虚な日々を楽しむ方法 〜
3.手触り感のある生活
<迷ったら、天に、地に、命に触れよう。それがあなたのこころを
 すませ原点にかえしてくれるから。>
<何故、ではなく、どうすれば、と問いなさい>
▼ カーライルという詩人が、一人の女性か. ら身の上の悩みを相談された時、
「帰って、あなたの針箱の 中を整理しなさい。そうすればあなたの悩みは
やがてなくなります」と答えたというが、まさに、これ。無心で何かに集中
すると、無心の彼方から問題解決のヒントが、沸いてくる。そういえば、
朝ドラで、編集長役が、ヒントを考えるときに、「知恵の輪」に集中する
手法を使っていた。
 ――
4.幸福に働くために
 働けることは幸福なことである。 果たすべきことをやる。
 仕事に楽しみを見出し、感謝することである。
「働き、遊び、学び」は、人間が生きていく上で必要な要素である。
「恒産あって、恒心あり」である。
「いま、ここでしか出来ないことを、自分から見つけてすること」である。
▼ 外海なら、一つの判断ミスで、致命傷になる。 だからこそ面白いが、
視界は、その人の能力範囲しか見えない。孝不幸など、考えていられる
ほど自然現象は甘くない。万一の場合の、準備が常日頃から必要になる。
空虚な日々など、経営にあろう筈はない。

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5259,閑話小題 〜インサイドヘット(シネマ感想)
2015年08月08日(土)
     〜インサイドヘット:なぜ、“カナシミ”は必要なの…?〜
   * シネマ 〜インサイドヘット 感想 
 先週みたシネマの感想になるが、面白い切口である。心の中の感情を
擬人化した人形のアニメとしての遣り取りに興味を持ってみたが、難しい
感情問題を、軽妙に?扱っているところが良い。ヒロインのヨロコビと、
カナシミが、「思い出保管庫」の世界に迷い込んでしまうが、その辺りが、
難しい問題を含む。 自分を考えると、膨大な保管庫から、フラッシュで
多くの記憶が漏れ出て己を悩ます日々だからこそ、色いろ考えさせられる。
  〜 ネットの映画ビュアーより〜 
≪ 思春期の戸惑いと成長を脳内アドベンチャーに重ねて描く世界初の
 フルCG長編アニメ「トイ・ストーリー」を1995年にリリースして以来、
おもちゃや車、昆虫や魚などさまざまなものに人格を与え、彼らが感情豊かに
関り合う上質のストーリーを紡いできたピクサー・アニメーション・スタジオ。
同社の20周年作品で、“感情”そのものを複数のキャラクターで表現する
コンセプトを初めて知ったとき、「今度はそう来るか!」という期待と、
「ファミリー層には難解かも?」との懸念が相半ばした。
 物語の外側=人間世界の主人公は11歳の少女ライリー。
ミネソタの田舎町で両親の愛を一身に受けすこやかに育ってきたが、家族で
引っ越したサンフランシスコでの暮らしに馴染めず、気持ちが不安定になる。
この辺から、ライリーの内側=脳内世界のヨロコビ、カナシミ、イカリなど
5つの感情たちがダイナミックに動き出す。彼らがいる司令部から、ある事件に
よってヨロコビとカナシミが放り出され、広大な思い出保管所に迷い込む。
感情の制御がきかなくなったライリーを救うために、ヨロコビたちは司令部に
戻ろうと駆け回るが……。
 ライリーの外側で起きるドラマと内側の感情たちによる冒険が、相互作用
しながら平行して進む――聞いただけでは複雑そうだが、実際に観てみると、
繊細な表現で魅力的に描かれたキャラクターたちと、心理学などを踏まえた
深みある設定、創造性に富んだ展開に94分間引き込まれっぱなし。
CG描画の面でも、うっとりするほどリアルな質感を伴うサンフランシスコ
の街並み、柔らかい光の粒で描かれた感情キャラたちの揺れる髪、さりげなく
視線をいざなう仮想カメラの滑らかなポジション移動など、技術の進歩を
印象づけるビジュアルと卓越した演出センスが随所に光る。 ・・・
鑑賞後は、頭の中が解きほぐされ、心がふわりと軽くなった。(高森郁哉)≫
▼ ヨロコビに影のように付添うカナシミの役割を解りやすく示している。
 カナシミは色いろの記憶を悲しみに書き換えてしまう強力な力を持つ反面、
ヨロコビを引きたてる力を持つ。ここでは、イカリに対して、注目されて
なかったが、実はイカリこそが司令塔を動かす力を持っている。虎に例えると
解りやすい。なだめ、飼いならし、時には、その背に乗って奔りまわることも
できる。 感情の擬人化した人形アニメとは、哲学的切り口でもある。
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4894,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー46
2014年08月08日(金)
  * ホテル事業と、マイホームの購入
 ホテル事業も、個人のマイホームの投資も、長期ローン物件は大きなリスクを
抱え込むことになる。ホテル建設には、まず銀行の同意が絶対条件で、完成後
には会社所有になると同時にオーナーと錯覚をする。それが実は間違いの元。
10億投資のホテルで、2億円を自己資本としても、8億円は銀行で、実質的
オーナーで、あくまで間借り人。住宅ローンで例えると、3千万のうち自己資本
が600万、2400万をローンで組んだとして、実質、その分は銀行が所有で、
実質オーナーは、あくまで間借りということになる。そこが間違いの元。
「お金は、自身が固定されることを極めて嫌うため、買ったと同時に暴落する
性格を持っている。買ったと同時に3分2とみればよい。 そこで自己資本
600万は、ゼロになる。夢のマイホームとは、サラリーマンが長年かけた預金
を一瞬にして蒸発させてしまう現実を、99%の凡人は、その現実に気づかない。 
売り手の住宅メーカーも、利益団体であり経費がかかる。
そこに3〜5割の掛け値を上乗せをするのは当然。商談が済み、契約をした途端、
長年かけた自己資本の預金が消失してしまう。そのことを99%は理解できない。 
 資産=負債+純資産というバランスシートが会社も、個人にもある。
契約をした瞬間に、この純資産が消滅してしまうだけでなく、マイナスになって
いる現実に気づかない。そのため、自宅は不良在庫になる。バランスシートで
考える限り、貧乏サラリーマンは、自宅を購入してはならないことになる。
だから、親が無借金の持家かどうかが大きく人生を左右する。
 住宅ローンの3千万円を、ホテル事業でも同じことが言える。私の場合、
二桁上の30億。自己資本が、当初、2億、その後の利益で5〜6億円まで
増加したとして、ホテル建設費で、ゼネコンの談合システムで2〜3割は
撥ねられしまう。実質営利犯罪システムが、存在していた。更に、金利の上下
変動と、税制のカラクリで多くの税金を払うことになる。最後は、時流の変化
のリスクが待っている。そこに資産デフレとなれば、まさに倒産になる。
三年前、私の身に起こったことは、まさに、これ。金利変動、収入減少、
それと欠陥や火災問題などがある。現に、私は、会社と個人補償で丸裸。
当時の役員二人は、この住宅ローンに直面している。私を含めた三人は、
30年も長期投資物件にたずさわった経験者。それからして、この有様。 
西武鉄道グループは解体、東武鉄道グループにしろ、日本の大手ホテル
チェーンは、都心以外は経営状態は良くない。 弱小資本は、長期ホテル
投資などしてはならない!が、結論である。 やるなら早々の事業転売が
前提で、資産デフレの転換期の1990年代まで。 面白かったのは、
準備期間と、立ち上げ。 しかし面白かったは、感情面の話でしかない!
この結果で、思いの外、喪失感が少ないのは、自分も、借り物でしかない
ことを少しでも知っているため? 凡人は、何であれ、搾取される対象で
しかないとは、これも自然の摂理ということ? グローバル化とは、
そういうこと。一強多弱は、どの世界でも、露骨にたち表れてくる。
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4527, 生きる悪知恵  ー6
2013年08月08日(木)
  「生きる悪知恵 ー正しくないけど役に立つ60のヒント」西原 理恵子(著)
 * 娘が、漫画家になりたいと言い出しました
Q: 高2の娘が、漫画家になりたいから、大学に行かずマンガを描くと言い
 出しました。昔からお絵かきが好きな子でマンカもよく読んでいましたが、
 まさかそんなことを考えているとは思わず、驚いています。特に成績がいい
 わけでもなく、この就職難の時代に中途半端な大学に行くより、なれるなら
 なってくれたほうがいいという気もします。でも、プロの漫画家になる
 なんて簡単なことではないでしょうし、娘の描きかけのマンガを見ましたが
 才能があるかどうかわかりません。娘に才能があるかどうか、どうやって
 判断すればいいのでしょう? 今は大学もマンガ学科があるようですし、
 そういうところやマンガ専門学校に行かせたほうがいいのでしょうか? 
 アドバイスいただればと思います。 
A:私が美術予備校に行って勉強になったのは、自分の作品と他者の作品を
 冷静に見比べることができるようになったこと。300人の絵を並べて、その中
 で最下位だということがわからなかったの、最初は。「なぜ、自分が最下位で、
 この人が一番?」なのか自分が見えてなかったの。 ・・すごい不細工なのに
 自分のことを可愛いと思い込んでるコがいるでしょ。あれと同じ。でも、
 予備校で本当に上手な人の絵を見て、大学に行ったらもっとみんな上手かった。 
 で、「ダメだ、こりゃ」って、自分の実力がいかにないかとわかって、
 「じゃあどうするのか」って、そこからですよね。そういう意味で、専門学校
 みたいに人が集まっているところに行くのも自分の位置を知るにいいかも。
 ・・才能があるかどうかなんてやってみないとわからんし、親が判断すること
 でなく、それは世間様が判断すること。・・まあ、別に漫画家じゃなくても、
 高校生にもなった娘が進路について「これをやりたい」というのに反対する
 ことはない。ひとつだけアドバイスするなら、「アルバイトはさせたほうが
 いい」ってことかなあ。お金をもらって、他人に怒ってもらえるという経験は
 貴重です。私もアルバイトでいろんな経験させてもらったのが財産になってる。 
 いるだけで「可愛いね」って言われる時代から、いるだけで「邪魔、パパア!」
 って言われる時代まで、女の人の方が描くことの引き出しが多いんですよ。
 だから、やっばりいろんな場所でいろんな経験してほしいですね。
▼ 早期退職のサラリーマンの蕎麦屋をしたいという話と同じ。遊びや趣味で
 やるのと、それで生活していくのは別問題。17〜8年前になるが、甥っ子が
京セラに勤めて10年、何かで社長賞を貰ったのを契機に漫画家に転身と聞いた。
当初は、そこそこ売れっ子だったと聞いていたが・・ 漫画家の名は、自分の
名前を逆読みにした「きもと○○」という。次々と若い漫画家が出てくる中で
若い人の感覚を取り入れ続けて生き抜くのは大変のはず。この娘の場合は、
専門学校に入れるのがベスト。その世界で仕事が出来るだけでも、本人に
馴染むからである。
・・・・・・
4152, 「B層」の害毒
2012年08月08日(水)
   【ニーチェの警鐘 日本を蝕む「B層」の害毒】ー適菜収著 より
 哲学者の適菜収のー日本を蝕む「B層」の害毒ー論が面白い。B層といえば
(何度か取り上げたが)、小泉元総理が「ワンフレーズ」で、「マスコミに扇動
されやすい大衆に名付けた層」をいう。2005年の郵政選挙の際に選挙戦略として
国民をIQと構造改革への姿勢からA層、B層、C層、D層に分類、B層を選挙の
ターゲットとしたことに由来する。これで当時の自民党に圧倒的大勝利を収めた。
この層について、著者は以下のように分析している。
≪ 「B層」とは何かというと、
◎〈マスコミ報道に流されやすい『比較的』IQ(知能指数)が低い人たち〉
 とあり、〈B層は絶対に反省することがありません。無制限に拡大した
 権利意識と被害者意識がB層の行動を規定します。郵政選挙で騙され憤慨し、
 再び民主党マニフェスト詐欺に騙され失望し、将来にわたり「騙された!」
 と喚き続ける存在がB層です。〉とある。
◎〈今の世の中が肌に合わない人。今の世の中のどこかおかしいと感じている人。
 今の世の中を深く軽蔑している人。そういう人はニーチェの言葉に耳を傾けて
 みるべきでしょう〉という
◎〈B層の問題とは、すなわちキリスト教の問題なのです。〉 
〈B層が無知を自慢し、偉大な人物が死んでも「アタシ知らなーい」「誰それ?」
 などとわざわざネットに書き込むのは、彼らがキリスト教の影響下にあるから。〉 
◎〈まともな哲学者・思想家は、例外なく民主主義を否定しています。人類の知性
 は、民主主義と戦い続けてきたのです。 民主主義は、十八世紀に発生した
 キリスト教カルトです。〉(わが国にも「民主主義には寛容の精神がある」
「民主主義は少数意見を尊重する」などと言う人がいます。バカなんでしょうか?
 民主主義に一番たりないのは寛容の精神と少数意見の尊重です。) ≫
▼ 問題は、B層が悪いのではなく、彼らは、どの様にも操作されやすいという
 ことである。これまで、マスコミは、大衆として、彼らを捉えて、その操作を
駆使しトップダウンを役割にしてきた。 ところが、そのB層に超小型パソコン=
モバイル携帯が普及して、これが情報のコンテンツになってしまった。B層には、
自分がB層の自覚がないため、そのレベルの判断が体勢を占めてしまう。
これが「B層の害悪」になるのである。B層はA層にコントロールされてこそ、
社会は保たれるのに、B層が主導権をとったら、そこには混乱があるだけである。
現在の民主党の混乱は、これである。A層を自認してきた自民党も、あのざまで、
C層化している自覚が全くない。この超小型パソコンが、今後もたらす影響は
モンスターのように、世界を混乱に陥れることになる。タブレットPCも含めた
端末情報機器が、プラスにもマイナスにも社会を激変させている。
 ・・・・・・・
3787, 閑話小題
2011年08月08日(月)
  * アメリカ国債の格下げ
 ここでアメリカ国債が、アメリカ議会での共和・民主党の対立で危うく
デフォルト(債務不履行)になりかけた。このため70年維持してきた格付けが
トリプルAからダブルAに下げと発表になった。これはアメリカ国家の格付け
と同じである。3年前のリーマンショックは世界経済システムの崩壊だったが、
それに対してアメリカ政府は、やれることは全てやり尽した。それが限界にきた
結果がデフォルトの危機である。 このことは、円高、ドル安は当分の間は続く
ことを意味する。その結果として世界にとって、とりわけ日本にとって最悪の
事態になる。まず世界同時株安、そして世界恐慌の具体的現象化とみてよい。
それが今年の後半から来年に始ることはリーマンショック直後からいわれていた。
欧州経済も右倣いで崩壊寸前の事態で、その歪が何時爆発してもおかしくない
異常事態。 まず今週から来週にかけて世界の株価がどうなるか見ものである。
  * 原発事故、これから始る影響
 原発事故による放射能汚染の実態が一つずつ表面化している。
まず、この秋の新米がどうなるのか。最悪の場合、東北・関東甲信越の新米が
全滅ということもありえる。その対策として消費者は既に古米の購入に走っている。 
特に子供がいる世帯は他人事ではない。汚染が、どの程度で収まるのか今のところ
誰も分からない。 それは時間と共に現われ出てくる。悲観楽観論は、この事態
では失せてしまう。放射能は水の循環の中で動植物の生態の循環の中に静かに
入り込み我々に影響してくる。昨日、チェルノブイリの事故の、その後の現地民
の汚染による影響のTV番組の再放送を見た。あそこまで酷くはないとしても、
日本人は放射能に敏感である。それが水と農作物、畜産物から体内汚染とくれば、
壊滅的打撃になる。 本州崩壊と原発事故直後に風評が聞こえてきたが、
それが現れ出てきているのか。
  * 私は特別の人間! だもの
 若い女性は、いや人間そのものは、心の何処かに「自分は特別な存在」
と思っている。しかし少し考えれば、それぞれが特別の存在であり、今さら
いうことではない。しかし世界の広さと深さを知り、自分の卑小さ知るにつけ、
特別の存在という思いなど吹っ飛んでしまう。 最近、身近の人が正直に
「私は特別の存在なの」と面といわれて驚いてしまった。その言葉の中に、
特別選ばれしものという思いあがりを感じたが、そう心の底に、思える純真は
大事なのかもしれない。ただ見方によれば、ただ無知なだけだが・・ 
今、此処にある存在の不思議からみれば、私は特別の存在と思うのも
仕方がないのか? たまため去年の同日に取りあげたテーマの通じていた。
 ・・・・・・・・
3422, 哲学者の言葉 100 ー2
2010年08月08日(日)
 * 第一章、哲学と人間
≪ すべての人は、われわれのようなものである。<ヤスパース> ≫
 これまで生きてきて、どの世界にも同じような人がいて、同じことを考えて
いた。ただ違うのは、地方性と、レベルの差。そこで差異をみると同時に、同じ
ところをみることが、早く同化するポイントになる。年齢差、男女、地域性、
学歴差、などあるが、まずは、同一性が問題になる。 
  まず P−21の以下の部分を、抜粋してみる。
【 そもそも人間とは何であるかについて、ヤスパースは次のように考えました。
「人間は一つの点のように存在しているのではなく、いつも何かの状況の中に
拘束されて生きている、そのような"状況内存在"である。さまざまな状況と関わり
をもち、いろいろな予測や判断によって危険を回避しながら事を運んでいくが、
最後には乗り越えることのできない壁にぶち当たる。それは、争い事や、責め苦や、
死によってもたらされる」 ヤスパースにとっては、人間は言葉をもち思考する
生物であり、行為によって国家(都市国家)を法律のもとに共同体としてつくった
生物であり、道具を製作し仕事をし、経済によって生計を営む生物なのであるが
決定的なことはそういう事柄にはない。人間の本質は運動の中にあるという。
人間は現状のままにとどまってはいられず、他の動物のように平穏無事に世代
から世代へと同じことを繰り返す存在ではない。人間は、袋小路、退化、転倒を
繰り返し、自己疎外に陥ることすらある……。・・ ヤスパースは、このような
意味で「すべての人は、われわれのようなものである」と言いました。そして、
人間が、やがてどこかで、いつの日か、限界状況にあるのを知ったときに、
人間はこれまでと違うことを始める。知識欲や、航海の冒険、とどめがたい
好奇心等々いろいろありますが、それは勇気を伴なう。この勇気こそが限界状況
でも人間に自由への希望を与え、勇敢に終局へと向かわせるもの、とヤスパース
は考えた。人間が何であり得るかは、やはり彼の自由の希求の中に秘められて
います。人間が生きていく限り、絶えず努力して獲得しなければならないのは、
人間として品位であり、人間が人間であるのは、その品位をまた他人の中にも
認めること、それが、「すべての人は、われわれのようなものである」という
ヤスパースの言葉の内実(内なる事実)でもありました。】
《人間が生きていく限り、絶えず努力して獲得しなければならないのは、
人間として品位であり、人間が人間であるのは、その品位をまた他人の中にも
認めること、それが、「すべての人は、われわれのようなものである」》は、
究極の真理。そうありたいが、そうはいかないのが人間様である。人間として
の品位のないのが、人の中にあるわけのない品位を求めてしまうから、ことが
拗れてしまう。勇気こそが限界状況の中で自由への希望を与える、
というのも道理。老いは勇気の喪失からくる。