つれづれに

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 あれだけ威勢の良かった『煽り運転の2人』
たった一日で、シュンとしてしまった。
入獄前に、四つん這いにさせられ、何に棒を入れられれば、
それは、ああなって当然。 さて、何が埃として出てくるか。




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4540, 「ひとり」には、覚悟から生まれた強さがある ー2
2013年08月21日(水)
                  「ひとり達人のススメ」山折哲雄
    * TVが比較地獄をつくった
 まずは、ひとりになれない人たち、B層の人たちの比較地獄の話。 自分の頭で考えることが出来ず、
マスコミに流されていること自体、気づかない人たち。ファッション、化粧、車、スマートフォンなど
メーカーの比較戦略の術中に嵌ってしまう。人間の性としてのコンプレックスこそが狙い目で刺激をする。
ファッションのプロと称するオカマが、街頭で女性に声をかけ、服装のセンスをチェックするお笑い
コーナーとか、健康チェック、英会話など番組が続く。そのTVの弊害の結果、「ひとり」になれない
比較、嫉妬地獄の罪人のような群衆のひとりにされている。
  ーその辺りを、抜粋するー
《 戦後の変化といえぽ、テレビ文化の波及もそのひとつ。家庭の娯楽の主役がラジからテレビへと移り
 変わり、映像が強大な影響力を持つようになりました。テレビというのは視覚を重規したメディアです。
そして、現代人は視覚を重要視し、視覚に振りまわされるようになった。もちろん、人は基本的に、
朝起さてから夜寝るまで、目を開けています。たえず視覚を使い眼前にある何ものかを見て、さまざま
判断をしている。もし、ひとりが嫌いで、常に誰かと一緒にいるとすると、どういうことが起きるのか。
視覚は人間を比較に誘います。この人は(自分よりも)いい服を着ている、あの人は(自分よりも)容姿が
整っている… 視覚で判断すると、要望や才能、環境などの違いが歴然とします。そのこと耐えられない
人が多いはず。人間は平等だ、平等だと教えられてきたにもかかわらず、現実を見ると何から何まで違う。
だからひとりになれない人間、結局は比較地獄に陥る。たえず他人と自分を比鮫せずにはいられない。
比鮫して、自分が劣っていても、現実はどうすることもでません。すると恨みがつのって、「嫉妬地獄」
に移行してしまいます。さらに批難や中傷、陰口などの井戸端会議で、自分より優れていると判断した人
を引きずり下ろそうとする。このような、群れの関係がしばしば陥りがちな「嫉妬地献」から身を守る
ためにも、ひとりの時間は大切だと思うのです。  》
 ▼ 私が地元に帰ってきて、まず決めたことは、学校関係以外の人間関係を最小にすること。
商業界とか、ライオンズとか銀行が主催する「何何会」とかは、まさに比較地獄の世界。 町内、お寺の
檀家衆、商店会とかには「ひとり」になれないB層がC層を中心にした輪があって、住みやすい絆がある。
そう、NHK連続TV小説のコメディの東北の、あの街の人たち。実態は、あれは地獄の針のむしろに
座っているようなもの。都会人が、思い抱いた地方の理想郷、妄想である。地方経済は疲労困憊の結果、
若者は都会に出ていくしかなくなっている。絆は、一人一人が確立されて出来るもの。その逆の弊害を
TVが数十年かけて作り上げてしまった。それから逃れるためには、ライフワークを持つしかない!
 それがA層とB層の境目の目安である。それさえ持っていれば、比較とか嫉妬に陥ることが少なくて済む。
TVも、シネマも、ネットも日々、面白くなっている。これでは、比較材料の垂れ流しで「ひとり」に
なれない人たちの嫉妬地獄の修羅場が、ますます拡大していく! 「和して同ぜず」なら良いが、
「同じて、和せず」になる。 アウトサイダーは、「和せず同ぜず」になるが、インサイダーとして、
何処かの高校の校是に「和して同ぜず」があるが、「ひとり」が鍵になる。
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4165, 閑話小題 ー今年の熱さ対策
2012年08月21日(火)
   * 今年の熱さ対策
 今年は当初は熱暑だった。しかし7月末辺りから暑さも収まってきたが再び盆からぶり返してきた。
ひと月前にミニサイズの扇風機二台を買ってきて、居間と書斎に一台ずつ置き、これまでの古い扇風機と
併用して使っている。それにスーパーで売っていた「冷却ジェルパック首もとベルト」を3つを冷凍庫で
冷やし交互に使っている。これは冷たさが一時間しかもたないが、冷却時間が三時間のため複数必要になる。 
ところで今年の電力不足騒ぎ、今のところ起きてない。問題は残暑のこれからになるが。クーラーは寝室の
就寝時間だけ入れて、居間では夕方の一時間ぐらい入れている。夏場の電気料が月に3万円、1日千円になる。
   * 大手大橋にて
 先週土曜日の早朝、何時ものようにポタリング(ミニ・サイクリング)の大手大橋で、ヒキチャリを
しながら歩いていると、後ろから声をかけたれた。車椅子に乗った隻手の男性で、恐らく交通事故で右腕を
根元から切断、下半身麻痺で自走式車椅子である。私の電動アシスト自転車に興味を持ち声をかけてきた。
電動アシスト自転車が如何に良いか説明すると、自分の車椅子が電動切替え式で、背後に電動モーターが
ついていて時速6キロという。何度か薄暗い中、かなりのスピードで走っているのを見たことがあった。
人それぞれの運命と人生がある。 ところが昨日の朝、いつものコースの信濃川の土手を走行していると、
屋根つきの休憩所で、30歳前後の男女二人が、その電動の車椅子を畳んでいた。本人は不在で、まさか
聞く訳もいかないし、そのまま遣りすごしたが。その前に何か(熱中症とか?) あったのだろう。
ポタリングを始めて4年目になるが、続けていると色いろある。そういえば、雀が少なくなった。
去年の大雨で河川敷の雑草地に水が使ったせいだろうか。燕も少なくなった。多いのはカラスだけ。   
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3800, 人間の五感が認知できる範囲を世界という
2011年08月21日(日)
                「知的余生の方法」渡部昇一著 ~2
  * 人間は世界内存在である
 第二の人生は、その世界内存在の隅に足を入れたことでもある。隅から逆視線で世界内を見直すと、
これまで見えてこなかった、世界内存在の皺と虫が不思議に思えるぐらいに奇妙に見えてくる。なるほど
悲劇と喜劇は裏表とか、善悪の基準のいい加減さとかが。学生時代あたりから、この辺のこと、
「現象に現れていることと、本当のことは、違う」ことをゼミなどで少しだが分かっていた。
だから、「学び続けていないと、大きな転換期に対応できなくなってしまう」危機感が人一倍あったが、
最期は、このザマ。それでも、最悪の事態の備え、家族を事業に入れないとか、家内と私の通帳管理は
全く別にしておくとか、家内にも厚生年金を別口でかけておくとか(退職金や、倒産時の失業保険は
ないため)一般の勤め人とは違ったリスク管理をしてあった。
それをもって勤め人の立場からすると、計画倒産というらしい。
【「人間は世界内存在である」という場合の「世界」というのは、人間の五感が認知できる世界という
 ことになる。縦、横、深さの他に時間をいれてもせいぜい四次元の世界である。五次元、六次元の
世界がどのようなものであるかは想像すらできない。音も光も人間が五感で認識できる周波数の範囲は
限られている。それは、象の皮膚の襞の中の寄生虫には星が存在せず、梅の香が存在しないようなもの
ではないか。人間は五官の世界に閉じ込められていて、これから逃れる方法はない。 この状況を
「人間の世界内脱出不可能性」というらしい。人間は象の皮膚の嫉につく寄生虫とは違う。人間は自分が
五官の世界内に存在していることを知りながら、そこから脱出しようという努力をしたり、脱出する
ことを、祈ったりするからである。そしてそれに成功している人もあると主張する人もいる。それが
オカルトである。オカルトとは、つまり五官と時間の囲い込みを超越しているという意味である。
どの宗教の神様も人間の世界内に閉じ込められてはいない存在だ。だから有難いのである。神様とは
いかないまでも、超能力があるという人もある。ある宗教家には私の前世がわかるという。
私の霊魂は在原業平ベンジャミン・フランクリンのそれだったという。二人とも私が好きな人であり
尊敬する人でもあるから悪い気はしないので、それを信ずるわけでないが、有難く承っている。
こういう認識の仕方は、人間の世界内存在の状況を完全に超越しているわけである。普通の人間は解剖
学的制限の下にある。これを哲学的に言えば、「世界内存在」の実体である。だから解剖学者はオカルト
の世界を認めない人が多い。霊魂だとか超能力などは、人間をいくら解剖し、いかにすぐれた顕微鏡や
検査法を用いても存在をつきとめられるわけではないからだ。】
 ▼ ビックバンが起こって宇宙ができたというが、それは世界内というのか、それを人間の知識が
感知した範囲でしかないから、人間は世界内存在というのか、どうか。インドのカースト制度
それぞれの身分に世界があり、最下位にも、チャンとした目下がいる。 世界は、それぞれの視界内
のことになる。 この情報化、世界中の寄生虫が、他の寄生虫と瞬時に情報交換が可能になってきた。
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3435, 再び、死について考えてみる ー3
2010年08月21日(土)
 新聞広告に「死ぬときに後悔すること」の幾つかが載っていた。直接、死とは関係ないが
  死際の後悔は事前に準備で少なくできる。 面白そうなのでネットを調べてみた。
  ーアマゾンの「死ぬときに後悔すること25」の紹介文よりー
《 ほとんどの人は死を前にすると後悔するという― では、人生の最期を前に、どのようなことに
 後悔するのか。本書は、終末期医療の専門家である著者が、千人を越す患者たちの吐露した「やり
残したこと」を25に集約して紹介。この本の著者は1000人の死を見届けた終末期医療の専門家。
死に直面した時でも充実した生き方をして生ききったら、『この世に未練はない!』の境地に
なれそうである。》
   =「死ぬときに後悔すること25」のうち20に絞って記した。
▲1 健康を大切にしなかったこと ●病気になる前にお金を使うか、なってから使うか 
   ●健康のうちから健康を大切にする
○3 生前の意思を示さなかったこと ●大切なのは遠慮なく話し合うこと●平素から意思疎通をしておく
◎5 自分のやりたいことをやらなかったこと●自分の気持ちに嘘をつかない●自由に生きるか、忍耐に生きるか
○6 夢をかなえられなかったこと       ●一つのことを続けると良いことがある   
○8 感情に振り回された一生を過ごしたこと    ●小事に心を揺るがせないことが大事
?9 他人に優しくなれなかったこと        ●優しさを行う難しさ  心の優しい人は後悔が少ない
?11 遺産をどうするかを決めなかったこと ●遺産と介護の問題   ●遺産分与の話し合いは元気なうちに
?12 自分の葬儀を考えなかったこと  ●自分の望む葬式とはどういうものか ●自らの葬儀を準備した女性
◎14 美味しいものを食べておかなかったこと   ●好きなものを楽しく食べる
◎15 仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと ●「仕事命」の人生を後悔しないために 
   ●病気をきっかけに散歩の喜びを知った
◎16 行きたい場所に旅行しなかったこと   ●旅行は出来るうちにしておくほうが良い 
   ●最期の旅で人生を完結させた人たち
◎17 会いたい人に会っておかなかったこと  ●人は終わりまで他者を求めるもの   
   ●人との出会いは一期一会の精神で
?18 記憶に残る恋愛をしなかったこと ●恋愛の記憶は最後の日々を豊饒にする●スローラブのすすめ
○19 結婚をしなかったこと ●結婚という「形」がもたらす安心感●夫婦の深い結びつきが苦しみを和らげる
○20 子供を育てなかったこと ●多くの家族に囲まれた患者には笑顔が多い●自由と孤独はいつも隣り合わせ
?21 子供を結婚させなかったこと●子供が結婚していないという心残り●まず子供を独り立ちさせるところから
◎22 自分の生きた証を残さなかったこと ●人生の総括は早めにしておくほうがいい●生きた証として何を残すか
   ●手紙に思いの託して
◎23 生と死の問題を乗り越えられなかったこと ●生の意味、死の意味を考える ●「マイ哲学」を確立する
○24 神仏の教えをしらなかったこと  ●世界で一番死を恐れる現代日本人 ●「来世」の持つ癒しの力
   ●健康なうち宗教について考える
○25 愛する人に「ありがとう」と伝えなかったこと  ●家族愛が問われる時代
 ~~
×▲○◎は、私自身の評価である。第三者の評価は違っているのだろうが、死ぬときの心の問題としての自己評価。
    ×と▲が少ないのに驚いているが、普通に生きていれば?、こんなものか! 唯一の▲は酒の飲みすぎ!
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3060,逆説思考 ー4
2009年08月21日(金)
  逆説思考で思い出したことがある。
 武澤ゼミの武澤信一先生に中根千恵著「縦社会の人間関係」の読書と、その感想を述べる課題が与えられた。
その前年の昭和42年に出版されて注目された本で、日本社会の特性をズバリついた内容。
現在でも日本社会を知る名著として知られている。 ーその概要をネットで調べてみると
《今では、常識になっている縦社会(日本)、横社会(西欧)という概念を最初に提示した古典的な本。
 初版本は昭和42年であるが、今でも現代の日本社会に当てはまる内容である。逆にいうと、それほど
日本社会における普遍的な構造を捉えた本と言う事ができる。 本書によると、社会集団の構成の要因を、資格
(構成員に共通したもの、例えば、氏、素性、学歴:出身大学、地位、職業、資本家、労働者、など)による
ものと 場(一定の職業集団、所属機関、地域)によるものに分類し、どちらの要因で社会構造が構成されて
いるかで、社会が特徴づけられている。 日本は場により構成される社会であり、その中での順序:通常は
年功序列、が重要な縦社会である。日本のような縦社会は、分業が成り立たない社会(競合メーカーは
フルセット戦略をとりがち)、能力平等という非現実的な事柄を前提とした悪平等社会、中央集権の政治
構造を持つ社会、派閥の功罪の生じる社会、である。 一見すると縦社会であるということとの因果関係が
わかりにくいような現象についても、縦社会という社会構造が原因であると、分かりやすく説明されている。 
また、契約精神の欠如のために、共通の目的・仕事の達成に責任感が乏しく、往々にして、それ以上に感情的
な人間関係が重要視される社会である。》
▼ 以上だが、年功序列・終身雇用を前提とした日本社会の人間関係について社会人類学の観点から論じる。
日本社会はタコツボ社会とも喩えられ、現在の中央省庁の官僚機構も、それぞれ独立性が強すぎて国家運営の
障害になっている。 
  (字数の関係でカット11年8月21日)
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2695, 「レンタルの思想」-3
2008年08月21日(木)
「レンタルの思想」を、私の理解したレベルで、まとめてみよう。
ー以下は、思いのまま書いた内容で修正を敢えてしなかったー
《地球システムを構成しているのは、大気圏、その中の物質圏、その中の生物圏、そして、更に一万年前に
出来た人間圏である。 それまでの生物圏で採取、狩猟で生きてきた人間が、牧畜・農業を始めたことで、
爆発的な人口増加を可能にした。そして5000年前から始る各地の文明は一万年前の牧蓄・農業への
転換と、その結果としての人口の爆発的増加から始っている。人間が狩猟に留まっていれば、せいぜい
5~600万の人口が限度であった。それが、その1000倍を超えた現在、地球のシステムは、人間圏を
支えることが出来ない相転移点の水が氷、水蒸気に変化すること)に、達っしてしまった。現在の天変地異や、
エイズ鳥インフルエンザなどの世界の混乱は、その一現象である。我々は、人間圏からみた哲学的人間観、
生物的人間観だけでなく、宇宙から俯瞰した地球システムの中の人間圏の中の人間観を改めて作らなければ
ならない。 ここで、一万年前から始った牧蓄・農業のもととなる所有という欲望を見直さなければならない。 
それは、地球上の自然だけでなく、土地、そして我々人間すら、地球からの借り物=レンタルという視点。
地球システムは、このまま人間圏が膨張し、地球を汚染、破壊し続けると、人間圏に対してマイナスの
エネルギーを発することになる。いや、既に発している。それがミャンマーのサイクロンであり、エイズ
あり、鳥インフルエンザであり、世界各地で起きている大地震である。それを解決するヒントの一つが
江戸時代にある。江戸時代の支配階級の武士社会は、武士階級の土地の所有を認めなかった。更に江戸時代
の消費をするものの大部分が有機物の植物であった。それは、自然循環するもので、廃棄物そのものが、
殆ど出ないもので賄われていた。》 
 ~~
 以上が、私が著者のー地球をすくう「レンタルの思想」ーから理解した概要である。著者は対談の中で、
インターネット社会は、地球外から俯瞰して考えてみると、危ないという。情報が均質化され、個々人が
過剰に主体的になりすぎるからである。それが進むと、ビッグバンの状態に近い、混沌状態が生まれて、
何が起きるか解らない事態になる。これは、実感として解る。 現在の社会問題の多くは、これを起因して
いるといってよい。この本を読み返し、そしてインターネット上で、彼のインタビューや、彼の著書の評論
を読みながら、考えているが、深い大きな示唆が提示されている。人生観や信条が根こそぎ揺らぎだして
さえいる。考え出して僅か一週間で、根っこが揺らぐのだから、私も知れたものだが、それだけのインパク
がある。この百年の人口増加の比率が、今後3000年続くと、地球の体積と人間の体積が同じになるという。
それだけ20世紀は、人口が爆発的に増えてしまった。その一部の文明国?先進国が化石燃料を使い込んだため、
その汚染で地球システムは崩壊を始めたのである。僅か100年で、地球が数十億年かけて創りあげてきた
システムを根こそぎ破壊したのである。この狂った猿は、「一人の人間の生命の重さは、地球より重い」と、
のたまっていたのである。隣の国では、狂った独裁者が今だ存在をして、将軍様と名乗り国を乗っ取っている。
しかし内向きという点では下手な資本主義より、地球のシステムにとって良いのかもしれない。
オウム教を肯定するのではないが、視点は宇宙からである。 オームとは、宇宙からの音波の音である。 
地球システムに人間は従うべき?という思想があるかどうかわからないが、一度修行で、宇宙に出て、再び
現生を見直すことに関しては否定は出来ない。インターネットという、人類にとって一万年、いや十万年スパン
の、とてつもない手段を手に入れた人間は、時を同じくして地球システムの破壊という大失態をしてしまった。
以上だが、なるほどと、改めて納得する。図書館で借りた本だが、他の著書と同時にアマゾンで発注をした。
  ー次は、印象に残ったの対談の内容を書いてみる。
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2007年08月21日(火)
2331, 「ぼくの血となり肉となった500冊」ー2
                     (*'▽'*)/☆゜'Good☆Morning   -読書日記         
「ハエとハエとり壺」は、哲学の意味の説明に解りやすい喩えである。    
  (字数の関係でカット08年8月21日)