つれづれに

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今日のYoutube

 写真は、今日の随想日記のテーマに対応してネット検索で、
拾ったものをコピーしたもの。数ヶ月前にも、写真を載せたが、
迫力が充分に伝わってくる。18年前はデジタルカメラが出始めの頃で、
フィルムの写真のため、あまり多くは撮れなかった。 今では、このような、
素晴らしいのが、次々とネット上に載せられてくる。町全体の熱気は、
それはそれは・・ 
   ――――
   2016年5月2日
 * 祭りから世界を知る
『若者よ、まず楽しさを経験しろ!』である。「嬉しい、楽しい」という
感情が、人間を突き動かすことになる。ゲームでも、ミニ祭りの飲み会でもよい。
その極地が街レベルで行われる祭り、それも世界的祭りの楽しさを知ること。
 世界最大の祭りといえばクリスマスだが、ど派手な祭りの、ブラジル
の「リオのカーニバル」と、北スペイン「牛追い祭り」を体験してみた。
その熱狂の渦が全ての人を恍惚に誘う。この2週間の北スペインのバスツアー
は、これまでのツアーのベスト5に入れることが出来る。祭りは、原始人の頃
から営なわれていたことは壁絵から推察される。生き抜く苦労と、その憂さ
晴らしは、古代も現代も同じ。祭りには時代の文化が現れ出る。
 大相撲も神事で行われていたのが始りだった。 祭りは実に楽しい! 
が、その背後には、普段の地道な生活が必要である。
≪ ☆ パンプローナ牛追い祭り(2002/09/07 記)
 今朝9時半より、衛星TVで今年のサン・フェルミン祭を放映していた。
もし神様が一日だけもう一度同じ日を与えてくれるといったら、4年前の
この祭りの最終日を間違いなく選ぶだろう。今年は例年になく多くの負傷者
が出たようだ。今日の番組は毎朝の牛追いに絞った8日間の内容の為、毎年
放映される中でも特に迫力があった。初めから最後まで手に汗を握る内容だ。
 この祭りはヘミングウエーの「日はまた昇る」で舞台になり世界に一躍
知られるようになった。
 この期間ー7月上旬の8日間、町中の人が白い服に赤の腰巻の布を巻き、
赤いネッカチーフをつける。パンプローナの出身者の多くが帰ってくる。
毎朝6頭の闘牛とそれを先導する虚勢牛6頭の合計12頭が闘牛場に向かう
街の道路に放たれる。毎日異なるドラマを生みながら熱狂を8日間重ねる。
その6頭の闘牛が毎日おこなわれる。4年前その最終日の闘牛をみたが、
会場が異様な熱狂に包まれていた。 その牛の前を走るエニシエロが、勇気
試しになる。19世紀半ばからこの祭りが始まり、闘牛とか牛追いは途中
からその祭りに加わった。
 ーユーラシア旅行社でいくと、市役所広場の前の4階の部屋から
  最終日のエンデングと牛追いが見れる。
――――
4年前の「北スペインの旅」-より抜粋ー  
 ・・この中で一番のハイライトがパンプローナの“牛追い祭り”であった。
延々8日間にわたって毎夜、闘牛が行われる。その牛を毎朝、市役所から
闘牛場へ、町中を追い上げる。その前を街の若者が走って、度胸試しをする。
死人が出ることがあるという。我々が着いたその日が最終日の為、最高の盛り
上がりであった。夜の闘牛もその為か異常な熱狂を会場にただよわせていた。
これこそ正しくスペインと思われた。
 深夜の十二時に向けたファイナルギャザリングが、一生の思い出になる
感動的場面であった。市役所前に数千の群集がロウソクを手に持って集まり、
ロウソクをかざしながら歌い踊るのだ。 彼らが心の底からパンプローナ
愛しているのがよくわかる。民家の4Fの一室を借りて見たのだが、光の海を
見ているようであった。トランペットやバイオリン・タイコの楽団の演奏に
あわせて歌を全員が歌っている。
 キリスト教で祭りを集団で祝うのはスペインだけといわれている。
イスラムキリスト教が融合して、神聖かつ感動的・熱狂的なお祭り騒ぎ
なのである。このような宗教的感動的場面に出会ったのは初めての経験。
この場面に出会っただけでもこの旅行は充分の価値があった。
一生の心の財産になった。 ≫

・・・・・・
4055, 一個の人間の顔、それは一つの象形文字
2012年05月02日(水)           
           ー「人生を励ます黄金の言葉」中野孝次著 より
≪「一個の人間の顔、それは一つの象形文字だ。ある神聖な、明確なしるしだ。
 なかに魂の現在があらわれている。動物だってそうではないか水牛がものを
咀嚼しているとき、その顔を見てみたまえ、鷲の顔を見てみたまえ、犬の顔を
見てみたまえ。一個の人間の顔の中にはっきりした意欲と決意とがあらわれて
いるとき、それは一個のばらばらな意欲と決意という以上のものだ。
そういう顔をぼくの夢想の中のドイツ人は持っていた。どれも一息つくより
短い夢の間にすぎなかったが。むろんぼくは、ぼくに向って吹きつけてきた
その未知の人物の顔を必ずしもいつも見たわけではない。(中略) だがともかく
そういうとき、ぼくはそういった顔を内側から見たという気になったものだ。
『 わたしはこういう人間だ 』と、それらの顔には書かれていた。
そして今ぼくはこの四ヶ月というもの、現実の人間の顔を見ているわけだ。 
なにもぼくはかれらに魂がないなどというのではない、魂の光は一再ならず閃き
出るのだが、それがすぐまたふっと消えてしまうのだ。鳩小屋の鳩と同じことで、
強と弱、近いものと遠くから持ってきたもの、卑俗なものと高貴なものとの、
永遠の入ったり飛び立ったりなのだ。あるのはざまざまな可能性のそういった
落着きのない出入りだけ、そしてそこにはつねに、あの一つの偉大な、決して
言葉に言い現わせぬ奥底の思想が欠けている。立派な顔には必ずある
あの変らぬものが。・・・ ≫  ーホフマンスタール『帰国者の手紙』より
▼ 顔に責任を持て、と言われても今更だが、年齢を重ねた顔には責任を
 持たねばならない。特に、政治家の大事を成し遂げた顔は、大事の象形文字
と見ることが出来る。『わたしはこういう人間だ』と、そのまま書かれている
ようだ。先年、亡くなった片岡球子の人物画の顔が良い。人間の顔が象形文字
ということを知り尽くしているから、あのような顔がかけるのである。 
顔は魂の表出、老いてきたとき、行蔵が、そのまま現れ出る。
    ・・・・・・・
3689, 自己を見つめる -12
2011年05月02日(月)
  * 世間とは        「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著) 
 世間についても、何度も取り上げてきた。特に絶対神を持たない日本では、
右に倣えの世間的価値に同化することが善になる。人生の最晩年になって、
いかに、それが自分の壁になっていたことに気づいて慌てふためく。
(それさえない人もいる)世間から身を守るためには、やはり読書か、芸術や
趣味などに専念するなどライフワークが必要である。世間を否定するのではなく、
それと、心底で距離を置くことが必要である。 
  ー以下の、哲学的世間論も分かりやすい。
【 ー世間とはー 世の中の人が判断する仕方に従って判断する。大勢に
 準じた生き方のスタイルが、自分自身の生き方のスタイルになってしまう。 
それ以外に自分の人生を考える余裕もすっかりなくなってしまう。なにしろ、
そうした自己喪失的な大勢順応の暮らし方のほうが、気楽で、安心で、責任が
なく、居心地がいいのである。 下手に逆らったり、別の道を選ぶと、世間から
締め出される危険性が忍び寄ってくる。 みんなと一緒のほうが安全なわけである。
 したがって、誰も、真剣に自分のほんとうの生き方の道などを考えてみよう
とはしない。 ハイデッガーは、こうした自己喪失的な世人のあり方を「頽落」
と呼んだ。そのときには、世の中の人は、いやな過去のことはどんどん忘れ、
将来の成功のことをもっぱら予期し、現在の周りの出来事には、最大の注意を
払って、そこでの出番の成り行きに汲々となる。そのとき世の中の人は、好奇心
に動かされて、噂話や風評に打ち興じ、物事の真相を曖昧にしたまま、仕事や
趣味や遊びや気晴らしで、興奮した多忙な日々を送る。そうしないと、恐ろしい
倦怠と、ぞっとするような人生の深淵が眼に入ってきて、鬱陶しいのである。
そうして、無責任で活気にみちた興奮と狂乱と日常的な世界内存在の表面
ないし前景を形作ることになる。・・・ 】
 - 世間とは、無責任で活気にみちた興奮と狂乱と日常的な世界内存在に
生きている人たちをいう。しかし人間は、自分の存在の根底を見つめたとき、
投げ出された底なしの存在に、不安を覚えるもの。その気分の方が、人間の根源
に潜む根源的気分であると、ハイデッガーが看破した。それは死にさらされた
自己自身の存在の自覚とともに立ち上がってくるという。その逆に、存在の根底
から目を背ける人たちが世間の人である。我々は底なしの存在から目を背け現象
に気持ちを集中させて生きようとする別名、俗人ということになる。 
俗人も悪くはないが。
・・・・・・・
3324, 「B層」という「IQ]が低い人々
 2010年05月02日(日)
 ー「知の衰退」からいかに脱出するか?ー大前研一 (著) の中で、
  B層という言葉が印象的に残った。
 以前、小泉元首相が、≪一言メッセージ≫を国民にわかりやすくコメント
したり、郵政解散自民党の内部分裂をショーにして選挙に大勝した。これは、
考えない「B層」に狙いを絞った戦略だったことを、この本で知った。
その後の民主党の大勝も、「腐りきった長期政権の自民党の破壊」という分かり
やすい争点であった。それにしても、小泉、安部、福田、麻生、鳩山という
政治を家業とする二代目が、徹底的に日本を破壊してくれた。創造の前の破壊
なら、それも良しだが。どうも、そうでもない。アメリカの実質、日本の植民
地化の政策が背後にある。彼等二世の養成もアメリカの長期戦略の一つ? 
恐ろしい限りである。
 ーウィキペディアによると 「B層」とは
2005年、小泉内閣の進める郵政民営化政策に関する宣伝企画の立案を内閣府から
受注した広告会社「スリード」が、小泉政権の主な支持基盤として想定した概念。
その後、ポピュリズムに動員される国民層を揶揄する意味合いで使われるよう
になった。  スリード社の企画書では国民を「構造改革に肯定的か否か」を
横軸、「IQ軸(EQ、ITQを含む独自の概念とされる)」を縦軸として分類し、
「IQ」が比較的低くかつ構造改革に中立ないし肯定的な層を「B層」とした。 
主に主婦や教育レベルの低い若年層、高齢者層を指すものとされる。上記の企画書
がネット等を通じて公に流布されたため、資料中に使用された「IQ」(知能指数
の語や露骨なマーケティング戦略が物議を醸し、国会でも取り上げられた。
・「A層」=エコノミストを始めとして、基本的に民営化の必要性は感じているが、
  これまで、特に道路公団民営化の結末からの類推上、結果について悲観的な
  観測を持っており、批判的立場を形成している。「IQ」が比較的高く、構造
  改革に肯定的。
  *構成ー財界勝ち組企業、大学教授、マスメディア(テレビ)、
   都市部ホワイトカラーなど
・「B層」=現状では郵政への満足度が高いため、道路などへの公共事業批判
  ほどたやすく支持は得られない。郵政民営化への支持を取り付けるため、
  より深いレベルでの合意形成が不可欠。「IQ」が比較的低く、構造改革
  中立・肯定的。
  *構成ー主婦層、若年層、高齢者層など。具体的なことは分からないが
   小泉総理のキャラクター・内閣閣僚を支持。
・「C層」 構造改革抵抗守旧派。 「IQ」が比較的高く、構造改革に否定的。
  ~~
 大前は、「B層という知の減退した人たちと一線を引いて、何とかA層に
入りなさい!」というから辛辣といえば辛辣。しかし、この日本の低たらくの
現実がある。 ネット社会=情報化社会では、端末から価値ある情報が無限に
引き出せる。したがって彼の論旨も、ある意味で納得できる。知能まで植民地の
住人に落ちてしまったB層の比率の拡大? 周囲は、ほぼB層?ということは、
私も? まあ、いいか!  で、A層とかいう幸せな方々、実はD層じゃないかい 
 (一番大事なことを考えない、見えてない、という意味で?)上記の5人が、
その証明。  闘い続けている点は認めるが!
 ・・・・・・・・
2949, スリルな瀬戸際だった日々
2009年05月02日(土)
 先日の4月28日に、無事に第二シングル・インの中のテナントが決まり、
調印が終わった。そして午後にテナントの内装屋から電話が入り「建物の用途
変更は、お宅でして貰えるのでしょうね」という。     
 (字数の関係でカット2,008年5月2日)
 ・・・・・・・・
2585, 情報は1冊のノートにまとめなさい
2008年05月02日(金)
「情報は1冊のノートにまとめなさい 」
 -100円でつくる万能「情報整理ノート」 ー奥野宣之著
 (以下、字数制限のためカット2010年5月2日)
・・・・・・・・・
2007年05月02日(水)      
 2220, 酒の話ー3  +.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゜・:*☆  
酒の話は、ここで何度も取り上げてきた。酒には付き合い酒、祝い酒、涙酒、
別れ酒、怒り酒、迎え酒、寝酒など、色いろあるが、あるHPで酒に関する面白い
文に行き当たった。酒は下ネタと同じく時空を超えて万国共通であるためか
人間の本質を知る上で身に沁みる戒めが多い。特に私は!? 偶然の一致だが、
三年前の今日、『酒について』というテーマで酒について、書いていた。
面白いものである。 それにしても、酒の失敗があまりにも多い!
  =====
*まずは『旧約聖書外典』である。『外典』は、『正典』としての「旧約」や
「新約」聖書の成立の編纂で、排除された文章をまとめたもので、酒に関する
戒めのような実用的なものが多い。これが2000年前の旧約聖書にあったのだから、
酒は今も昔も人間を狂わせてきた魔物。
 ー『旧約聖書外典』(関根正雄編 講談社文芸文庫)よりー
大酒を飲むことで勇者を気取るな     酒で失敗した人は多いのだ
炉が鋼鉄をためすように         酒は酔っ払う人の性格をためす
酒はほどよく飲めば           生命の力となる
酒なくして何の人生か          酒は人を幸せにするために作られた
時をえらんでほどよく飲めば       酒は心を楽しませ 愉快にする
だが飲みすぎれば苦い思いを味わい    怒りと復讐の心を生む
愚か者は酒によって憤り 自ら害を招く  酒は力を弱め ついには障害をうける
酒の席ではとなりの客と争うな      相客が楽しんでいるのを妨げるな
隣人をあざけったり           借金の催促などをしてはいけない
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また若山牧水「酒の歌」で『今まで自分のして来たことで多少とも
眼だつものは矢張り歌を作ってきた事だけの様である。いま一つ、出鱈目に
酒を飲んで来た事。』と酒の思いを述べている。
ー牧水の酒のうたー
(字数制限の関係でカット09年5月02日)