つれづれに

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 滝川クリステルと、小泉進次郎にはドッキリ。
これこそ、当たるも八卦、当たらないも八卦
生活臭が全くしないお二人。熟年同士でうまく
いって欲しいが。 マスコミが手のひらを反す時期は
何時なのでしょうか。

滝川クリステルは妊娠しており、年明けにも出産する予定。
妊娠可能な見妙な年齢が故に、その確認のうえで発表となった。







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3787, 閑話小題
2011年08月08日(月)
  * アメリカ国債の格下げ
 ここでアメリカ国債が、アメリカ議会での共和・民主党の対立で危うく債務不履行になりかけた。
このため70年維持してきた格付けがトリプルAからダブルAに下げと発表になった。これはアメリカ国家の
格付けと同じである。3年前のリーマンショックは世界経済システムの崩壊だったが、それに対してアメリ
政府は、やれることは全てやり尽した。それが限界にきた結果がデフォルトの危機である。 このことは、
円高、ドル安は当分の間は続くことを意味する。その結果として世界にとって、とりわけ日本にとって最悪の
事態になる。 まず世界同時株安、そして世界恐慌の具体的現象化とみてよい。それが今年の後半から来年に
始ることはリーマンショック直後からいわれていた。欧州経済も右倣いで崩壊寸前の事態で、その歪が何時
爆発してもおかしくない異常事態。 まず今週から来週にかけて世界の株価がどうなるか見ものである。
  * 原発事故、これから始る影響
 原発事故による放射能汚染の実態が一つずつ表面化している。まず、この秋の新米がどうなるのか。
最悪の場合、東北・関東甲信越の新米が全滅ということもありえる。その対策として消費者は既に古米の購入に
走っている。 特に子供がいる世帯は他人事ではない。汚染が、どの程度で収まるか今のところ誰も分からない。 
それは時間と共に現われ出てくる。悲観楽観論は、この事態では失せてしまう。放射能は水の循環の中で動植物
の生態の循環の中に静かに入り込み我々に影響してくる。昨日、チェルノブイリの事故の、その後の現地民の
汚染による影響のTV番組の再放送を見た。 あそこまで酷くはないとしても、日本人は放射能に敏感である。
それが水と農作物、畜産物から体内汚染とくれば、壊滅的打撃になる。 本州崩壊と原発事故直後に風評が
聞こえてきたが、それが現れ出てきているのか。
  * 私は特別の人間! だもの
 若い女性は、いや人間そのものは、心の何処かに「自分は特別な存在」と思っている。しかし少し考えれば、
それぞれが特別の存在であり、今さらいうことではない。しかし世界の広さと深さを知り、自分の卑小さ知る
につけ、特別の存在という思いなど吹っ飛んでしまう。 最近、身近の人が正直に「私は特別の存在なの」と
面といわれて驚いてしまった。その言葉の中に、特別選ばれしものという思いあがりを感じたが、そう心の
底に、思える純真は大事なのかもしれない。ただ見方によれば、ただ無知なだけだが・・ 今、此処にある
存在の不思議からみれば、私は特別の存在と思うのも仕方がないのか?
 たまため去年の同日に取りあげたテーマの通じていた。
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3422, 哲学者の言葉 100 ー2
2010年08月08日(日)
 * 第一章、哲学と人間
   ≪ すべての人は、われわれのようなものである。<ヤスパース> ≫
 これまで生きてきて、どの世界にも同じような人がいて、同じことを考えていた。ただ違うのは、地方性と、
レベルの差。そこで差異をみると同時に、同じところをみることが、早く同化するポイントになる。年齢差、
男女、地域性、学歴差、などあるが、まずは、同一性が問題になる。まず P-21の以下の部分を、抜粋。
【 そもそも人間とは何であるかについて、ヤスパースは次のように考えました。
「人間は一つの点のように存在しているのではなく、いつも何かの状況の中に拘束されて生きている、
そのような"状況内存在"である。さまざまな状況と関わりをもち、いろいろな予測や判断によって危険を
回避しながら事を運んでいくが、最後には乗り越えることのできない壁にぶち当たる。それは、争い事や、
責め苦や、死によってもたらされる」  ヤスパースにとっては、人間は言葉をもち思考する生物であり、
行為によって国家(都市国家・ポリス)を法律のもとに共同体としてつくった生物であり、道具を製作し仕事
をし、経済によって生計を営む生物なのであるが、決定的なことはそういう事柄にはない。人間の本質は
運動の中にあるという。人間は現状のままにとどまってはいられず、他の動物のように平穏無事に世代から
世代へと同じことを繰り返す存在ではない。人間は、袋小路、退化、転倒を繰り返し、自己疎外に陥ること
すらある……。・・・ ヤスパースは、このような意味で「すべての人は、われわれのようなものである」
と言いました。そして、人間が、やがてどこかで、いつの日か、限界状況にあるのを知ったときに、人間は
これまでと違うことを始める。知識欲や、航海の冒険、とどめがたい好奇心等々いろいろありますが、それは
勇気を伴なう。この勇気こそが限界状況でも人間に自由への希望を与え、勇敢に終局へと向かわせるもの、
ヤスパースは考えた。 人間が何であり得るかは、やはり彼の自由の希求の中に秘められています。
人間が生きていく限り、絶えず努力して獲得しなければならないのは、人間として品位であり、人間が人間
であるのは、その品位をまた他人の中にも認めること、それが「すべての人は、われわれのようなものである」
というヤスパースの言葉の内実(内なる事実)でもありました。】
《 人間が生きていく限り、絶えず努力して獲得しなければならないのは、人間として品位であり、
人間が人間であるのは、その品位をまた他人の中にも認めること、それが、「すべての人は、われわれの
ようなものである」》は、究極の真理である。そうありたいが、そうはいかないのが人間様である。
人間としての品位のないのが、人の中にあるわけのない品位を求めてしまうから、ことが拗れてしまう。
勇気こそが限界状況の中で自由への希望を与える、というのも道理である。老いは勇気の喪失からくる。
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3047,自信過剰な人
2009年08月08日(土)
 異常なくらい自信過剰な人を最近、身近で見かけた。その位でないと、この時代では前進できないが、
それが自分の実力を超えた思い込みでは、自滅する確率は高くなる。 やはり身近で自信喪失の人もいる
から、その両者の断層から多くのことが見えてくる。世の中は自信過剰な人と自信喪失の人で成り立って
いるし、人生はその交互作用でもある。この不況の中では「私」は少々自信喪失気味だが、そのぐらいの方
が良いのだろう。 特に若いときなどは自信過剰と、その結果としての無残な失敗の繰り返しがある。
 失敗に対して、繰り返し立ち上がってチャレンジできるかで人生が決まってくる。
 大学を卒業し数年、大きな挫折体験の中で、「自己能力の限界の設定」という言葉に出会ったが・・
   ーまずは、ある本の説明部分を抜粋してみるー
《 英語では(overconfidence)という。 自己の能力や知識を過信すること。悪い事態が起きる確率を
 過小評価し(「過度の楽観主義」という)、いま目の前に起こっていることがコントロール可能だと思い、
成功の確率を主観的に高く評価する(「支配の錯覚」ないしは「マジカル・シンキング」という)。まだ、
いくつもの可能性を残しているにもかかわらず(「狭すぎる予想範囲」という)、そのまま突き進んでしまう。 
そこへ追加的な情報が与えられても、自分の予測を補完するものだと確信を強めてしまい、予測の範囲が
それほど広がらない。たとえば、投資家の心理として、情報の正確性を誤認し、過度の取引をしてしまう
(予測が外れるのは数%と判断しても、実際は20-30%外れていることは多々ある)。また、「後知恵」的
解釈の原因でもある。 》
  こういう実験がある。
 質問=あなたは幾ら賭けますか?
Aーコインを投げる前に、表と裏と幾ら賭けますか?
Bーコインは既に投げられたけれど、どちらが出たか分からないが、幾ら賭けますか?
  この実験の結果は、後者の方が掛け金が少なくなる、という。
 そこには、本人の意志は通らないが、何か心理トリックで意志が通るような錯覚に陥ってしまう結果
 が出てしまう。それが事業でも全てにいえるのである。 自信も同じで、自分で気づかない心理トリック
 が潜んでいる。新規に何かをする方からしたら、考えつくした上で発狂するしかない。 何もしない
 人間の壁を見ているからだ。しかし心理トリックを実験で導き出す面白い事例である。 この心理
トリックで女も男も、相手をどんどん換えていくのである。 許されるのは若いうちだけだが。
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2682, マネーの未来、あるいは恐慌という錬金術 -2
2008年08月08日(金)
 この本は、特に目次が面白い。
結局は、金融のエリートと称する詐欺師に素人が騙されたいる図式しか見えてこない。 しかし時代は
、断層の時である。自分がその真只中に居るから、その大きさに気づかないだけ。いや、目を逸らして
いるのである。この本の目次を見ているだけで、この本の概要がわかる。間違いなく、アメリカの崩壊
が始った。アメリカはイギリス連邦と、日本と組んでブロック化をしていくだろう。
それが早まるか、遅くなるかは大統領選挙の結果で決まる。その意味で、この選挙の結果は大きい。
 ー目次ー
   (字数の関係でカット 09年08日)
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2007年08月08日(水)
2318, 岸洋子の世界        
      おはよー (((。・-・)从(・-・。) さん!
一昨夜、何げなくまわしたチャンネルNHK・BSで、懐かしい岸洋子が歌っていた。彼女は十数年前(1992年)
に亡くなったが、今でも強い印象が残っている歌手である。番組は丁度半分過ぎていたが、後半だけでも充分に
見ごたえのある内容であった。早速インターネットで調べてみた。後に、その番組の紹介内容をコピーしてある。
波乱に富んだ人生を紹介しながら彼女の、その時々の歌の録画を構成していた。そのエピソードを聞きながら
岸洋子の歌を聞いていると、涙が溢れてきた。その歌の合間の石井好子菅原洋一のコメントが好い。菅原洋一
をして「全ての面で彼女の歌は私の上です。彼女には敵いません!」と言わせている。 菅原は私の大好きな
心の歌を多く歌っている。最盛期の彼の歌は絶品であり、魂から迸る叫びを感じた。菅原洋一のコメントを
聞いて彼女の一曲一曲を改めて魂を込めて聞いてみると、なるほど彼より上、というのも謙遜と思えなくなる。
彼女が死の病を抱えて開いたステージの歌があった。命を賭けた魂の歌とは、このことか!と、思い知らされた
歌であった。石井好子の彼女への言葉「一流の歌い手とは、歌に命を賭けています。命を賭けた歌は、声が
かすれようが、その心は相手に伝わるものです。彼女の歌は、それを感じます!」が好い。好きな人と別れ、
その人がパリに行く。その後、彼女は一日だけパリに立ち寄ったが、彼と会わずに帰ってきた。パリのタクシー
の中で聞こえてきた歌を、日本に帰ってきて自分のものにして涙ながら歌っている場面があった。
たしか「恋心」だったが・・一人の誰かを思い浮かべ感情を込めて囁きかけていたようだ。その囁きは全ての
人にも通じ、奥深く振動する。そのナレーターの話を聞いた後に、彼女の歌を聞けば誰でも涙が出る。
世の中は、人生は、感動で満ちている。感じ取れないのは「日常の牡蠣の貝殻」が、コビリツイテいるから。 
たしか、それがバカの壁になってしまうとか?横に流れている時間に、縦に立つ時間(魂の入った、感動した
時間・・)がクロスする時に人間は活きているのである。そして、そこに永遠が立ちあがっている。
この人の歌を聞いていた時に、永遠を感じていたようであった。「感動を子供にシャワーのように浴びせて
あげなさい!それが親の一番の努め」という。大人になったら、自分に常に感動のシャワーをかけ続けないと・・
それが自分への一番の勤めです。  BSエンターテインメント 歌伝説 岸洋子の世界 - 
 8月6日(月)BS2 午後7:45~9:15}
(字数の関係でカット 09年08日)
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2006年08月08日(火)
1953, ローマから日本が見える-22
    Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning    ー読書日記ー
第九章 ローマから日本が見える -2
 ー「ゲルマニア撤退」を決意 ー
アウグストゥスの政策の中で唯一の失敗は、ゲルマニア地方への遠征であった。
カエサルの定めたローマの基本防衛はライン川であった。しかし、彼はその基本ラインをライン川より更に
東にあるエルベ河に移そうとする。アウグストゥスカエサル暗殺後の内戦に勝ち続けることができたのは、
生前カエサルがつけてくれた優秀な副官アグリッパのお陰であった。彼が長生きしていたら、ゲルマニア
遠征は行われなかっただろう。カエサルでさえも、「ゲルマニア」は短期の征服はできても、最期の征服は
無理と見た土地である。長年軍事を任せていたアグリッパを失った彼は、現地の状況を充分知らないまま遠征
プランを立てて実行に移してしまった。そのままローマがこの地で戦いを続けていたら、帝国はどうなって
いたか解りません。ところがローマ帝国はやはり違った。アウグストゥスの次の、第二代皇帝ティベリウス
によってAC17年、ゲルマニアからの撤退を決めてしまう。 
  (字数の関係でカット 11年08日)
・・・・・・・
2005年08月08日(月)
 1588, 自民郵政解散の攻防-2
郵政改革法案で、今日一日は大きなドラマになるだろう。昨日の日曜日の生のサンデープロジェクトなどの
モーニングショーは、今後の流れに大きく左右する。 各局は、ほぼ郵政改革を支持していた。やはり予測
していたとおり、旧守派への弾劾になっていた。今までの大きな政府か、小さな政府か、の選択である。
民間が血の出る思いでリストラをしているのに、政府はそのままなど許されるわけがない。いくら国民の
民度が低い?といっても、この程度の判断を国民ができないと思っているのだろうか。日経新聞をはじめ、
大新聞も郵政改革賛成である。もし否決されたら、小泉首相は選挙で直接国民の真意を問うべきである。
政治空白が問題などいっていられない。利権を守ろうとしている旧守派の哀れな姿は滑稽でさえある。
衆院の反対派が、逆に必死になって参院の反対票を潰している?可能性がある。彼らには、そこの浅い
利権の政治屋のエゴしかみえてこない。政治の世界に対して興味は持たないほうだが、今回だけは違う。
もう改革は待ったなし、否決されたら衆院は即刻解散しかない。それにしても、緊迫した面白い一日に。
戦後体制の総決算の選挙といってよい。旧守派の整理の丁度よいタイミングになる。
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2004年08月08日(日)
 1223, 思い出のメロデー
お盆前のこの時期は、NHKの歌謡番組の「思い出のメロデー」である。毎年必ず見ることにしているが、
生の番組みの迫力がよい。今年は、例年より長い時間(19時30分~23時30分)まで放映をしていた。
どういうわけか全員、熱が入っていたようで、圧倒されみていた。「歌は世につれ」というが、その時代
を反映をしている。次から次へとでてくる懐かしい歌にやはり長い年月を感じる。歌は過去に向かって
歌うものというが、「思い出のメロデー」はまさにタイトルどおりである。思い出の歌は魂の故郷である、
お盆の里帰りのようなもの。それぞれの人が、それぞれの思い出の中に帰っていく。終戦直後の戦災の
焼け跡に生まれたこともあって、当時流れていた歌が特に懐かしい。そして、戦後50年間は日本にとって
の黄金期であったことを、改めて思い知った。本当に良い時代に生きてきてよかった。繁華街の真ん中の
店で、10歳まで暮らしていたこともあり、いつもラジオから流行歌が流れていた。
当時の歌を聞くと、感無量になる。それと学生時代の歌謡曲黄金期のポップスも、思い出が深い。
時代は、どんどん変わっていく。だからこそ、思い出の歌が必要なのだ。
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2003年08月08日(金)
856, 経済評論家ー高橋乗宣の本
 高橋乗宣の『日本経済、価値革命のうねり』と『日本経済の破断界』とたて続けに読んでみて、日本経済
悲観論者の論とはいえ背筋が寒くなる。彼はバブルの最中から今の日本は大恐慌になると警鐘をならしていた。
そしてあまりの悲観主義ゆえか三菱総研の理事からおろされてしまった。しかし大筋として彼の言ったとおり。
「数年前は地獄の釜の蓋が開いた!」と言っていたが、今は「地獄の釜の熱湯が溢れ出てきた!」といいた
いだろう。「日本経済の破断界」によれば今頃は恐慌でパニックに陥っているはずだが。
  (以下、字数の関係でカット 2008年08月08日)
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2002年08月08日(木)
 481, ある信条 -経営セミナーにて
30歳代は数多くセミナーに行った。一番何でも頭に入る時期であった。それと焦りがあった。700人の席の
一番前の真ん中にいつも座って聞いていた。この豪華の第一線の学者や経営者は自分一人の為に、講義にきて
くれているのだと、思うように聴いていた。見ていると、日銀の総裁のような面の皮の厚くみえる人でも
震えている。テーマを話しながら結構自分の信条とか信念をいう。これがなかなか面白い。今でもハキッリ
憶えているのがある。香港の財閥家と結婚して、今はその財閥のトップになっていた日本女性の話。その信条
がよかった。「他人には優しく、自分に厳しく。いつもニコニコ、人によかれと思って生きる」を自分に言い
聞かせているという。なるほどな!と思った事を憶えている。ー人間は、そのままだと 自分に甘く、他人に
厳しく。何か人の不幸がないかと考えて、いつもブッスとしている。 教養のないあの子狐がその集約された
姿だが。考えてみれば、自分でもある。ところで何時も書いている子狐のモデルは誰?と聞かれる。
もちろんいるが80パーが合致している、いや90パーか。実際は過去に見てきた卑小の人間の複合体である。
しかし、誰もが持っている要素である。だからあれは自分の事ー影と言っている。先日も「自分が言われて
いるみたい?」と言われたが。その%の濃いか薄いかである。話しがそれたが、そこで感じた事は皆明るい事!。
それでも多くの人が逮捕されたり、倒産したり、失脚している。電電公社の会長、地産の会長、フットワーク
の社長、100円ライターの東海??の社長とか。そう甘くはない。
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2001年08月08日(水)
 [102] 夢について-6
これまで夢について書いてきたが‘天女二人とセックスをした夢’の事を書こう。 20年近くなるが私の
元部下の大森という人が亡くなって、暫くして大森さんしのぶ会が開かれた。彼の人柄もあって4~50人が
集まりスナックで盛大におこなわれた。非常に気持ちの良い会でもあり、かなり酒も入った。思い当たる
ふしがあるのだろう。夢としても感覚にしても、これ以上ないことは誰もわかることだが。夢は面白い!
学生時代の寮の友人に、夢コントロールのできるという男がいた。夢の中で寮の中を歩く事ができるという。
吉永小百合とも寝る事が出来るとも言っていた。少し内容が露わか?