閑話小題 ~美しいことは、どう、良いのか? -3
* 具体的な美女の共通点とは…
昔から,好きなタイプの女性には共通点があった。そこで、それぞれの地区で
出あった(というより、傍観?してきた)5人を想い浮かべると、共通点がある。
・お嬢様タイプ
・清潔感抜群
・輪郭が卵型
・目が生きている
・衣装のセンスがよい
・自信を持っている
・明るく、積極的
・肌がきれい
・歯並び、口元が締まっている
・健康的
・姿勢がよい
・知性・教養が満ちている
~これらに、5人の特殊要因…
・身長が中肉中背の162cm当たり
・血液A型?
・長女タイプ
・プラス思考・
私の知る限り、性格の明るさ・暗さと、知性・教養を除くと、上記の条件を
ほぼ満たしている。4人の姉が基準があったため、ある程度は冷静でいられたが、
やはり男の生理が?目を眩ませる。「一人を選ぶということは、一人以外から
除外される」周囲の事例をあまりに知り過ぎていた? 青春が一瞬で消滅して
しまう現実。
誰もが認める美女には悩みがある。適応できる相手の絶対数が少ない。
条件が良質ほど機会が少ないのである。 こんな筈がなかった、何で? 声を
かけても、自信なさそうに、反応してこない。 現実に妥協した相手の内実を
知れば知るほど、隣の芝生が緑に見えてくるが、反応なし。自分を、少なくとも
二ランク上の逆上せが、更に自尊心を傷つける。世間の常識に縛られて、息も
出来ない程のプレッシャーの結果の妥協が、今の私? そして、それも諦めが…
で、その結果が、世間にまみれた小母さんに! 何より可哀そうで、哀れな
のが初な男! 人類の永遠のテーマ? でも、何故か、何れのステージでも、
美女に恵まれていた! 4人の姉の基準があったお陰ですか。 いや、逆か?
ところで、小泉進次郎と… 何、あれ? お似合い過ぎて、嫉妬が湧き上がる?
・・・・・・
6357,閑話小題 ~つれづれに哲学=言語ゲーム
2018年08月09日(木)
* 日常生活の中で言語を考える!
1日1テーマで、文章を書上げ、ここに提示しているが、これはテーマ探しから、
起承転結の文を書上げ、推敲し、完成に至るゲームでもある。毎日、何か黒い影
に追いたてられている感覚になるが、これも慣れ。気ままに、ゲーム感覚で、思い
のままにテーマを決めて、論理を組みたてる遊び。どうしても、過去の話に捉われ
がちになるが、前向きな創造的内容も多くある。 5年、10年、17年間、読み続けて
いる読者(自分も含め)に向け書いている点でゲームに近い。
ウィトゲンシュタインとは少し意味合いが違う。彼は日常用語に注目し、
諸活動に織り込まれた言語に注目し、分析する。 ~その幾つかを紹介する~
≪ 言語ゲームとは、言語哲学者ウィトゲンシュタインの用語。
彼は言語を、「命令する」「演劇をする」「ジョークを作って話す」などの、
諸々の活動に織り合わされたものとして考察した。
このような言語を伴った諸活動が、言語ゲームと呼ばれる(『哲学探究』1953年〉)。
そこには「言語に先立って個人の内的感覚や客観的事実があらかじめ存在しており、
言語はそれを写し取る道具である」とする古典的言語観を解体しようとする意図がある。
・言語が客観的事実を描写するとしても、それは単に事態を写すのではなく、例えば
火事を知らせる場合のように、「自己や他者に対するなんらかの活動」なのである。
・第2に、言語による表現は、人々の間に共有されたルールにもとづくものとされる。
個人の内的感覚でさえも、そうしたルールに基いてはじめて表現され理解されうる。
・第3に、ルールはたまたま成立している慣習的なものにすぎず、絶対のルールなど
存在しないとされる。 例えば真偽を判断する際も、なんらかの慣習的なルールに
基いて行われる以外になく、絶対的な判断基準などは存在しない。
こうして言語ゲームの考え方は、相対主義的ニュアンスを強く帯びることになった。
現在では言語ゲームは、社会学上の用語としても広く用いられている。例えば、学校
や家庭やもろもろの宗教などを、それぞれ異なったルールをもつ言語ゲームと見なし、
それぞれの特質を分析することができるからである。≫
≪ 言語の本質はなにか、というのを考えて行き着いた概念。
例として挙ているのは、石置き場におけるやりとり。親方が「柱石」と叫ぶとする。
すると、弟子が柱石を持ってきてそれを親方に渡す。この場合、別にその「柱石」
という語の意味を把握して何かの行為をしているわけではない。この台詞を聞けば
このように行為せよ、というのを既に習得していて、それに従って行為したという
だけだ。だから、たとえばこの「柱石」という言葉は、別のところに行けばまた
別の意味を持ってくるわけである。個々の状況から独立した言葉の意味というものは
存在しない。すべての語の意味は、状況に規定されるものだ、ということになるわけ。
このことを、ゲーム(互いに理解しているルールに基づいてやりとりするもの)と
似ているという理由で言語ゲームと呼んでいる。≫
―
▼ <諸活動に織り込まれた言語活動という点で、このブログ活動は言語ゲーム。>
新たな読者が読みはじめて半年、一年では、脈絡が理解しにくいだろうが、
慣れてしまえば、こんなものか?と。ウィトゲンシュタインの後期には、日常言語
に立ちもどって日常会話に注意を向け分析をしている。哲学者たちは神、魂などの
語りえないものについて語ろうとしているわけになるが、彼は哲学から、こういう
形而学を排除し、語りえないことには沈黙を守るべし!と主張した。それは、この
ブログを読めば、生半可な知識、情報を、未消化で提示している愚かを気づくはず。
それでも、私にとってプラスと思えるから続けている。毎日、同月同日分の
文章を読み直しているが、書き、提示する目的が自分自身向けのためか、状況説明
が甘い欠点と、それ故の誤解も多くなる。大相撲協会の怪しげな体質を代表とする
諸々のスポーツ協会の問題。現在は、レスリング協会、日大アメフト問題、そして
ボクシング協会へと問題が移動しているが、彼らの言語活動から垣間見る異常な
世界が、言語ゲーム感覚で何とも面白い。格闘技など、言語の代わりに「暴力」を
入替えた「暴力ゲーム」でしかないため、そこには、『言葉足らず』の活動が
独り歩きし、独特の世界を形成する。「力」とは「知空」とゲーム感覚で当て
はめるのも言語ゲームですか。スマートフォンの進化の御蔭で、言語ゲームから、
インスタバハエの『映像ゲーム』に世の中は変化をしている。これも、添えて書き
こまれた言語次第だが、それさえ必要としない映像が溢れている。
豊かさって何でしょう? その根本が、世界で問われている。「意味の意味?」…
さて、エネギー補充のため、信濃川土手に向けて出発だ!
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5260,永劫回帰 ~ニーチェ「超」入門~
2015年08月09日(日)
~ニーチェ「超」入門~白取春彦著
* 永劫回帰 ~人生の肯定
ニーチェといえば、「超人思想」の他に「永劫回帰」があるが、この本
では、大きく取り扱われてない。しかし、これを避けてニーチェは語れない。
『哲学で自分をつくる』瀧本往人著の中に、以下のような文章があった。ーp141
≪ 二ーチェは「奴」のいない「主」を超人とした。超人は誰にも何にも依存
しない。確かにこれは人間を超えている、人間はもとより社会的な生き物で
あるがゆえに、誰にも何にも依存しないということはほぼ考えられない。
考えられないことを創出したからニーチェの思考は飛びぬけているが、
同時に危険でもある。それはまた自分の生き方にも適用される。
「いやもう一度、いや何度でも、まったく同じ自分の人生を」といった、
自分の生を絶対的に肯定する。これがニーチェの言う「永劫回帰」である。
人は誰もが死に至る。しかしこの「私」とは、生まれてきた以上、永遠である。
生まれ変ったら別の人生を歩もうとか、前世は立派な人間だったはずだ、とか、
そういう考えはたわごとにすぎない。永遠にくりかえし、足し引きがなく、
まったく変わらず、そのままの人生に戻ってくる、と二ーチェは述べる。
永劫回帰は、どうみても当時ヨーロッパにおいて流行した仏教の輪廻思想との
近似性を感じるが、ただし輪廻においては全く同じ人生に戻ることはない。
世界のあらゆる事象が有機的に結びつき、死もまた新たな生と結びついている
ということを輪廻は教える。また、輪廻思想では、自分が死んだあとには
別の何者かに生まれ変わるが、ニーチェは生まれ変わってもまた、全く同じ
自分が「生きる」だけなのだ。これは、一般的には好まれない考え方だろう。
人はみな、生まれ変わったら、別の自分でありたい、と思う場合が多いからだ。
つまり何かしら後悔をしており、やり直したい、別の人生を歩みたい、
あのときもし、ああしていれば、そういった後悔の修復・訂正を求めている。
しかしニーチェはそういった考えをやめよ、と強く主張しているのである。
つまり死んだらおしまい、である。永劫回帰とは、絶対的な虚無主義を基盤と
しつつも、だから人生は虚しい、と考えるのではなく、人間は本来、この一度
きりの生を十分に楽しみ自己を肯定して生きるべきである、という人生観を
現している。そこにニーチェの強烈な、魂の咆哮を感じずにはおれない。
二ーチェの嫌ったソクラテスが自らの運命として毒杯をあおったように、
ニーチェは自らの「表現」に稲妻を落とすのであった。しかし、ニーチェは、
このように並なみならぬ強さ、超人的な生き方を強調するが、実際の彼は
きわめて病弱だった。そんな彼が異常なまでに健康や生の強度(内的な充実性
に溢れた自己経験)にこだわった文章を遺していることこそ、実は、彼の生の
弱さを物語っているとも言える。そして同時に(だからこそ)彼がここで「超人」
に至っているのは、それでもなお、自分の生を肯定的に受けとめ、しかも
それを永遠にくりかえしてもかまわない、と言い切ってしまったところである。
ここに他の哲学者にはない迫力と緊張を私たちは見ることになる。・・ ≫
▼ 『再び、生まれ変わったても同じ人生を!』と言えるかどうかが、晩年の
私たちに 突きつけられる大問題。自分の人生が肯定できるか、否かは、
本人にとっての一大問題。しかし、肯定できたとしても、死んで三日もすれば!
ならばこそ、「一度限りの人生を楽しみ、自分を肯定して生きるべき」になる。
・・・・・・
5625,人生を幸福で満たす20の方法 ~⑤
2016年08月09日(火)
<人生を幸福で満たす20の方法>三宮 麻由子(著)
* 空虚な日々を楽しむ方法
5.海を渡って心をリセット
≪ あなたは、あなたという船の船長です。乗組員がいてもいなくても、海に
乗り出した以上、あなたは航海しなければなりません。漕ぎ手や修理係りは
来てくれるでしょう、でも舵取りはあなたの役目です。・・(略)
川では小さすぎる。隔てるものもあるが、文化を結びつける働きもする。
しかし、海は「文化を隔てる」ものである。だから、海を渡ると、実に
多くのことが見えてきて、心も経験も豊かになる気がする。海を渡ることは、
リセットの極意である。 ・・海を渡るということは、自然の境界を越える
ということである。自然や文化を大きな変化を体験できるということ。
これは、一つの冒険であり、リセットの極意でもある。 ≫
▼ 21歳の「欧州30日間の旅行」は、人生にとっての大きな分岐点(リセット)
になった。アラスカ経由でデンマークのコペンハーゲンに下り立った時の、
あの空気と、宿舎への道すがらのバスからみた光り輝く緑の中にある街並み。
その時から行く先々の光景のどれもが、異界を見ているようであった。
この経験は、それからの人生の浮沈みの中で大きな支えになっていた。
その時の経験が私にとって、いかに衝撃だったかである。それから10数年は、
仕事、家庭に専念、十数年間は出ることが出来なかった。 40歳前半辺りから、
年に二回は出るようになっていた。年に二度のリセットで、何とか人生の峠を
のり超えてきた。これも絶対量が蓄積すると、強力な磁力なる。
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5990,5991閑話小題 ~最後の講義・10(11) ー石黒浩:対談
2017年08月09日(水)
* 複数体のロボットが人間に与える変化
~3つの小型ロボットに役割分担~
1つが男性、2つ目が女性、3つ目が色々知っている先生の役割にした
ロボットと客を対話をさせて、指輪の購買を喚起させる実例を紹介。
現場では既に活躍しているようだ。 ~石黒のHPより~
≪ 人工知能やロボティクスの発展によってロボットが当り前のように
働いている未来。そこでは、どんな情景が広がるのでしょうか。
複数台のロボットが人とコミュニケーションを図った最新の実証実験を、
第一人者の石黒浩教授が評価します。
~意思決定を促す3体のロボット~
1 、結婚を決めたカップルを対象に
石黒 この映像は、どこで撮影されたものですか?
稲川 結婚前のカップルが、プロのアドバイザーに結婚式に関する相談が
できる店舗「ゼクシィ相談カウンター」です。ここでは、結婚準備や式場に
ついて様々なことを相談できますが、その中の1つとしてブライダルジュエリー
もご案内しています。
ブライダルアドバイザーの方が、カップルの2人から結婚式に対する希望を
聞いた後、その希望に合う結婚式場をピックアップする時間があるんですね、
その7〜8分をいただき、人間の代わりにロボットが指輪の選び方、買い方を
説明するシーンです。
―
(動画内の音声)
Sota(ブルー)「あっ、お客さんだ。ここに来たってことは、
ついに結婚するんですね」
Sota(ピンク)「今日は結婚が決まったラブラブなお二人と指輪の
お話がしたいな」
Sota(オレンジ)「そこの綺麗なあなた、いま幸せですよね」
Sota(ブルー)「やっぱりね」
Sota(3体)「結婚、おめでとう!」
――
石黒 それぞれのロボットの役割分担があるのですね。
稲川 ブルーが男性、ピンクが女性、オレンジが色々知っている先生という設定。
ブルーと対面する形で左側に男性、ピンクと対面する形で右側に女性が
て、挙式のアドバイスを受けに来店した際にブライダルジュエリー
(本検証では婚約・結婚指輪)に対する購買意欲を喚起しようと。
ゼクシィ相談カウンターはジュエリーショップと提携しています。
顧客の送客につなげられるかを検証するため、ジュエリーパンフレットの
持ち帰り率の向上を検証しました。ロボットは目線を男性と女性、両方に
目配せしながら語りかけています。ロボット同士の対話にカップルが参加
していく感じを出していますね。 ≫
――
▼ この着想には驚いた。漫才ロボットに使えそうだ。ボケと突っ込みの漫才の
ソフトを入替えれば、数限りなく聞くことが可能。 先週、見た『トランス
フォーマー』が、人間代わりに、宇宙の彼方の星からきたロボット同士を闘わす
物語。これでは残酷さからくる気分の悪さが少なくて済む。実社会で、アルバイト、
パートタイマーが、ロボットに近い状態。 思考作業を極力取除いた単純作業を
従事する人間のロボット化である。ロボットには判断作業も可能となれば、これ
如何に? その上の単純労働を管理するのが、「一般社員」になるが、その上の
管理職は、システム化で、極力少なくてよい。とすると、トップと、スタッフと、
サービス部門に、ラインのスペシャリストしか、人間の能力を要しなくなる。
金融機能など、その最たるものと、先日の週刊誌の見出しに載っていた。
自動車のロボット化が、そう遠くない未来に(5~10年後)に売りだされる
見通しのようだが、この応用が、全ての分野で起こるとすれば、人間の存在とは
何ぞやという根本問題が生じてくる。
――――
閑話小題 ~最後の講義・11 ー石黒浩:対談
ロボットそのままを人間に当てはめて考えることが出来る。
一対一の対話の訓練、複数の人達との対話。その対話は物語を伝え、互いに
理解しあうことが目的である。その為には、互いに信頼感がなくてはならない。
ということは、ロボットは、人間を深く理解してないと、創れない。
~その辺りから~
―対話のつくり込みが肝心―
・石黒 売り子がロボットが人間に代わって販売業務をする際、僕は「対話戦略」
がすべてだと思っています。大阪髙島屋の紳士服売り場に設置した「ミナミ
ちゃん」の場合、実際に購入してもらうことにこだわりました。髙島屋で一番
売り上げがある販売員を数ヶ月かけて観察し、彼女の対話戦略を組み込んだ。
数日間のイベントとして非日常的な存在のロボットに関心が向けられるでしょうが、
これまでの実験結果、イベント性効果の持続はせいぜい3日間だとわかっています。
ロボットが人間に代わるためには、ちゃんと対話を通じて人間を説得できるよう
にしなくては。年齢、性別、性格、売り場の状況、全部想定して対話の中身を
デザインできたらいいですね。男女も「ケチ」「見栄っ張り」といったタイプ別
に場合分けして、それらの相性まで考えると、どちら側を説得すれば買ってくれる
のかなど、説得の仕方が全部変わるんですよ。
――
―ストーリーを伝える存在―
・稲川 ミナミちゃんと違って、今回の実証実験で3台のロボットを
使いました。この台数は適正だったと思われますか。
・石黒 男女が相談する意思決定ですし、悪くなかったと思いますよ。ただ、
3台の関係性は複雑なので、対話の構造に気づく必要が出てきます。
私たちの研究室では複数台のロボットを使って様々な実験を行っているので、
共同研究をしていただければ、対話戦略をいくらでも教えられます(笑)。
少しだけヒントを教えると「人はなんのために対話するのか」を考えればいい。
簡単に言えば、自分の中にないストーリーを取り込んで、共感し、自分の想像の
世界を膨らませることにあるんですよね。ただ、取り込むときに納得できないこと、
共感できないこともあるわけです。共感しやすくするため、男性役、女性役の
ロボットをいかに使うかという枠組みを考えればいい。人はそこに冷静な観察者
として引き込まれていくはずです。
――
ーロボットとの信頼感のある対話―
・石黒 婚約指輪に関しては、男女の間で意思決定するバランスだから良かった
と思いますよ。それが、例えば「1人の男性を説得する」といったケースでは、
女性がいたらダメなんです。すべての対話で、パターンを変えないといけません。
よく私たちが設定するのは、1対1で人間同士で対話するとき、ロボットを
「陪席者」として隣に置くというシチュエーションです。
昔は医者の横に「大丈夫よ」「そうよ」なんて言う役割の看護婦がいましたが、
それに代わるものです。最近は人手が減って医者とマンツーマンで喋らなくては
いけないでしょう。あれって結構、緊張しませんか?
・稲川 確かにそうですね。
・石黒 あくまで主役は医者と患者の対話ですが、横に置いたロボットが相槌を
打ち、ときどき代わりにロボットは先生と喋るわけです。患者はそれを横で
見ている。すると意思決定がすごく楽になるんですよ。1人で意思決定しなくても
いいと感じるので。東大病院と阪大病院の外来で臨床実験をしたときは、実際に
アンドロイドを医者の横に置くと、患者の理解度が有意に上がることが示された。
―
▼ 一強のベストのソフトを、多弱の人達のソフトに入替えれば、それだけ社会
が進化することになるが、実態は、そうはならないことを歴史が示している。
<「人はなんのために対話するのか」と言えば、「自分の中にないストーリーを
取り込んで、共感し、自分の想像の世界を膨らませることにある」と述べている。
この随想日記は、読書や、ネット、TV、実体験などから得た知識、経験をテーマ
にして物語化して、将来の自分や、読み手に伝えることが目的。受け取る読み手
は、様ざまな解釈をして…?? まあ、読まれないより、批判するより、遥かに
面白いこと上なしを実感しているため、「そのまま、結構」になる。