<「好き嫌い」と才能 楠木建 編著>より
   * まずは「嫌いなことをしない」
 「好きな事をやる」より、まず「嫌いな事をしない」が、第一歩。
私自身の人生をけっこう、気に入っているのは、これを貫いてきたため。
 戦略とは「何に焦点を合わせ、集中することより、何を絶対にしないかを
優先すること」というが、人生も、ビジネスでも同じ。「嫌なことはやらない!」
黒柳徹子の「仕事も、遊びも、好きなことしかしない」からこそ、現在でも現役
でいられるコツ」は有名だが、それ以前に「嫌いなことはやらない!」が優先とは… 
20歳の頃、「キリスト教倫理」の課題に『人生の将来設計図』が夏休みの課題。 
 考えあぐねた結果、『創業人生を生きる』で、両親の戦後の転職の苦労話を
書き連ね、自分も、同じ人生を生きたいと、書上げ提出。 驚いたことに、
丁寧な長文の返事が返ってきた。そこには
 『素晴らしい、その人生を生きるべきです!』 単純なものだが、
この遣り取りで、自分の日常が一変してしまった。丁度、都会生活と、寮の先輩
夫婦がペアレントをしていた軽井沢山荘のヘルパーに駆り出されて、単調な学生
生活から抜け出し始めた頃であった。何か世界が、将来が明るく輝き出したような… 
 世界は「自由、平等、博愛」を理想としているが、現実は真逆。それらは一つは
ずつ自分で獲得するものと。人生は自分の意思で選択するものと。考えるとは、
まず何が好きで、何が嫌いかから出発する。
 
  〜著者の、以下の部分が、一番の要点…
≪ テレビの創成期の日本テレビのプロジューサーだった井原高忠さんが
 書いた『元祖テレビ屋大奮戦』という本に、ガツンとやられた。…
<自分の好き嫌いで仕事をしている!これこそ理想だ>と思いました。
漠然とした自分の方向感覚が出来ました。以来、井原さんが僕のモデルです。
会ったことがないが、勝手に心酔しています。彼の本の素晴らしいところは、
<「好きなことをしろ」より「嫌いなことをするな」である>というメッセージ
が前面に出てくるところです。 フツーの人はそもそも自分が好きなことが何か
わからない。それで困っているのに「好きなことをやれ!」って言っても…。
好きなことはわからなくても、まず嫌いなことをやらないと決めたのです。≫

▼ 兄姉たちは、両親から距離を置いていたが、末っ子の私は、常日頃、
 親元にまとわりついて育ってきた。 面白いのが、商売のコツの話。
情報と知識の重要性、特に読書と新聞購読がベースと… それと知恵の捻り
出しの具体的ケースの数々。何ごとも好きになるまで努力をすること。
それと師と仰ぐ人の存在。父は津上製作所社長の「津上退助」「野本恭八郎」。
努力の量も、質に変化していくこと。ここでいう、『努力の趣味化』。
何とも面白いのが、津上退助が「女好き」を聞きつけ、母親に電話させ、
面談の機会を得た話。それをキッカケに贔屓にされて、戦中の困難を乗り
越えたと! その時は戦死者が多数出るという話題から、仏壇販売を手掛けて、
難局を乗り越えたと!
 まず「嫌いなことをしない」こと。好きなことをすれば、当然「嫌いなこと」
は薄れていく… ただし、嫌なことも慣れ、コインの裏表と同じく、そこに
素晴らしい何かが隠れていることがえてして多い。時と、場合次第である。 
 誰がすき好んで、17年も連日、頼まれたわけでなし、小難しいテーマを
取上げ、書きつづけますか。嫌が応でも意地で続けてきたため。 
人生で一番良かったことは、嫌なことでも、嫌と思わなくなれたこと。
良し、悪いの比率が6対1のため。好きを増やすか、嫌いを減らすかは人による。
<500mで安住してきた人、大好き。> 私自身のこと? それとも皮肉か?

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5262,贅沢を敵にしない 〜ニーチェ「超」入門〜
2015年08月11日(火)
              〜ニーチェ「超」入門〜白取春彦
   * 贅沢を敵にしない        
 ここで何度も書いているが、小・中・高・大学の同級会に毎年、出席して
いるが、進学するほど当然、空気が違ってくる。その大学でも、進級するに
つれ、属したグループの人の質(知識、家柄、人柄,etc)もアップしていく。
 4年前から、世界が住居の長岡だけに狭まったが、この小さな世界の段差が
嫌でも見えてくる。この城下町は未だ『贅沢は敵』の精神が付いてまわる。
 稼いだだけ、堂々と使えば良いだけだが。で、30年間、堂々と使ってみて、
どうだったか? いや、良かった。本当に!使った分は、あの世とやらに、
持っていける。ということで、両親にも教わっていたが、以下の論に納得! 
≪ やせた土地には作物が育たない。これと同じことが人間にもいえる。
 貧しい状況から豊かなものは生まれてこない。しかし、経済的に豊かな
状況からのみ何かが生産されるということではない。心が豊かであれば、
あるいは豊かな感受性を持っていれば、そこから生まれてくるものが必ずある。
豊かな知識、豊かな経験、豊かな能力、豊かな力、豊かな度量、そういった
ものから必ず生まれるものがある。
 しかしまた、いくら莫大な資産を持っていようとも、それを使わなければ
何かが生まれてくるということはない。当然のことながら、贅沢から生まれる
ものは多い。贅沢を好む気持ちからでさえ、蕩尽からでさえ生れるものがある。
ケチ、節約、出し惜しみ、死蔵、衰弱、弱気、過度の貯蓄などから豊かなもの
は生まれない。それでは、豊かなに生きられない、人生を十全に生きられない、
いきいきと生きられない、ということを意味する。
 たとえば、返済に数十年もかかるローンを組んだために好きな本も買えずに
図書館から借りては返し、質の悪い衣服をまとい、質素な物を食べなければ
ならない生活というのは、それ自体が豊かなことではないし、豊かなものを
生むのがとても難しくなる。実際に、そのために子供すら育てられない家庭が
あるのだ。粗食だの節約だの質素だのというのは、早々に人生を見切った老人
にまかせておけばいい。わたしたちは人生を見切るという愚をおかさないため
にも、豊かさを好み、贅沢を味方にしておかなければならない。
 そうでないと、ただ生きるだけになるからだ。税金をはじめとした支払いの
ためだけに生きることが人生といえるのだろうか。それはそもそも人生と呼べ
るのか。 豊かに、多彩に、悲喜こもごも、味わい尽くすのが人生である。
 あのイエスさえ、粗末な衣服をまとってはいなかった。ニーチェもまた
質素な生活はしていなかった。昼はいつもホテルのレストランでステーキと
オムレツを食べていた。ニーチェは、人間はもともと贅沢を好むものと述べる。
 人は豊かさを好むものだ。禁欲よりも放縦になびく。誰が好んで広い空より
も狭い空をあおぎたがるだろうか。誰が好んで、多くの可能性よりもわずかな
手だてを選択するだろうか。人間の本性の顔は贅沢に向いているのだ。
 たしたちは、机上の計算をするだけで金銭を得ることが当然だと思っている
ような経理的な人間にだまされてはいけない。これだけの金しかないのだから
この程度しかできないと彼らはいうのだ。彼らは金こそ可能性と力だと思い込ん
でいる。数字の計算が重要だと思っているような彼らより、本当に生産に
たずさわっている人たちは知っているはず。狭さよりも広さ、制限よりも解放、
圧迫よりも自由、計算上の明日よりも望みを含んだ今、貧弱よりも豊満、臆病
よりも大胆、反撥よりも限りない抱擁。そういったものこそ、人間をもっとも
人間らしい自由に導き、そこから新たなものを生むことを。かがんで身構えて
いては何も掴めない。踏み出し、進み、手を伸ばし、欲望をあらわにし、
求めなければならない。賛沢は何かを捨てることではない。何か新しいことを
得ることだ。贅沢は人間の能力を解放することなのだ。〜p109〜111  ≫
▼ 上記の意味すら理解できない人が、地方には多い。周辺の思惑に左右され、
「かがんで身構えて何も掴もうとしない!」 そう、ただ彷徨っているゾンビ
のような人が、身近な顔色を伺っているだけ。近づかなければ良いだけだが、
それが、また・・ 21歳時に、一ヶ月で、現在の300万以上の大学の欧州一周
ツアーに参加してみて、それまでの、小さな先入観が粉々に粉砕された。
そこで知ったのが、上記のこと。可能な限り力を発揮し、その力で、最大限、
豊かさを得て、この世を楽しむことこそ人生。 だからこそ創業を目指した。
 創業45年の人生、一応、豊満で、面白おかしい経験が行蔵に残っている。
贅沢は敵でなく、素敵である。どの道、直ぐに死ぬのだから!で、以下に続く!

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4897,閑話小題 ーシャバシャバ
2014年08月11日(月)
   * 娑婆とは
 「娑婆」の定義を知りたいとネットで検索したところ、次の内容があった。
≪ 娑婆とは仏法では人が生きる世界を指し、世界四苦八苦に耐える自由の
 ない世界としている。しかし、俗語的に娑婆は刑務所に入っている人にとって
の外の自由な世界を意味する。これは江戸時代、遊郭を娑婆に対する極楽安堵の
地と例えていたが、遊郭で働く女郎からは「娑婆(外の世界)こそ自由の世界」
になるためで、意味は逆だがどちらも人が普通に暮らす世界をさす意味では
変わっていない。俗語的意味で娑婆がよく聞かれるのはドラマの出所シーンで
「シャバの空気はうめえ」というセリフ。また、日常生活でも合宿中の生徒や
新入社員、人里離れた地で勤務する人など自由のきかない生活をしている人が
「早くシャバに戻りたい」といった形で使用する。≫ 
≪「彼岸」は「此岸」に対する言葉で、ともに仏教から出た言葉。「此岸」
(こちらの岸)とは、私たちの住む世界のことで、仏教では娑婆(しゃば)世界
ともいいます。「娑婆」とは昔のインドの言葉で、堪忍土とも訳され、耐え忍ぶ
世界という意味です。≫ とあった。
▼ 父の口癖が娑婆。日常的に世間を娑婆と言換えて使っていたため、たびたび
 聞いていた言葉。商家は、日常が戦場の真只中で四苦八苦世界の側面があった。 
終戦直前に、空襲の焼夷弾で街が焼かれた直後に物心がつき、一家は転業を
しながら日々を過ごす娑婆世界の環境であった。若者言葉に「やばい」と
「シャバ」をかけ「シャバイ」があるとか。今の私の日々は、シャバイになる?
この言葉から「ショバイ」が連想される。ショバイ日々、商売に熱中する日々。
ショバショバである。現在の私は「ショボショボ」になるのか!

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5992,閑話小題 〜最後の講義・12 ー石黒浩:対談
2017年08月11日(金)
   * 人の感情を推し量ることからの開放
 大人数の家族の末っ子として育ったこともあり、周囲に気を使い過ぎる
きらいがある。 SJでも、軽い会釈か、挨拶さえしないで独り、無言で、
イージーライン、ヨガ、ウォーキングマシン、マッサージのコースを大よそ、
2時間、熟している。メンバーをみると、3分の2が独行で、残りが2〜3人で
談笑しながら過ごす。対話の話題には、こと欠かないが、日常会話は苦手。
どうしても口が重くなってしまう。 まずは、何気なく褒めれば良いのは
分かってはいるが… 表情を最小にしたロボットが、思いの外、重宝して
いるようだ。無表情な部分を人は、想像でカバーしているようだ。無口で、
無表情の人に何やら魅かれるのは、そのせいである。
――
<石黒>
 アンドロイドの研究を行ってきた結果、最終的に行きついたのが、
「人の存在をどうやったら表現できるか」、「その条件は何か」ということ。
人間の脳は、「見る」と「聞く」を足し合わせて、1+1の2で認識すると
思われがちですが、実は、2つ情報が重なったときに、4とか5に反応する
しくみになっています。その結果、「知っている」という状態になるのです。
ハグビーの場合も2つの情報は「声」と「触感」です。
 人間そっくりのアンドロイドをつくって分かったことは、人間は大事では
ない要素を引き算して認識するということです。さらに、あるところまで行き
つくと人間は相手のことを想像でカバーし始めます。テレノイドが受け入れ
られるのは、人間は、「誰かはっきり認識できる相手に話しにくいこともある」
という性質があるからです。後期高齢者認知症の人は、人に対して申し訳
ないといった感情から、話ができなくなっています。ところがテレノイドに
対しては、自分の記憶の中で適当な想像を働かせながら話すことができます。
<本荘>
 それは面白いですね。リアルな人間よりも、テレノイドに対しては、人間に
対する遠慮のような感情が湧かなくなるから、ピュアに受け入れられるのですね。
<石黒>
人間は相手のことを推察しますが、相手の感情を直接見ることができるわけ
ではない。すべて自分の想像の産物です。ネガティブな想像をはじめれば、
とことんネガティブになってしまう。ところが、ロボットだと分かっていれば、
ネガティブな想像をしなくなります。 私たちが行った実験では、高齢者、
認知症の人、自閉症の子ども、みんなロボットが大好きです。
今の社会では、人の感情などを推し量る必要があるため、そこで問題が起きる
ことが多いのです。もちろんロボットで全ての問題が解決できるわけではあり
ませんが、少なくとも治療の手段にはなります。ロボットを使用してある程度
話せるようになれば、人間を相手にして話す、といった活用です。 既に、
自閉症専門病院では、小型のコミュニケーションロボットであるCommUが使われ
ています。精神障がいの女の子の例ですが、大ゲンカをする嫌いな相手の女の子
がいるのですが、嫌いな理由は一切医師には言わない。しかしCommUにはすべて
話すのです。CommUを通じて、次は相手の女の子と話すことを約束した結果、
普通に話すことができて、関係を回復させることができました。 
心に引っかかっている、ちょっとした何かを取り除く助けになるかもしれない。
それがロボットの可能性です。
<本荘>
認知症や精神障がい以外にも、ロボットは、転職や職探しのケースで効果がある
と聞きましたが。
<石黒>
 ジョブカウンセリングも同様、人間のカウンセラーだと遠慮して言えないこと
があります。遠隔操作のロボットであるとわかっていれば、心を開きやすい傾向
があります。マツコロイドのお悩み相談は何度もやりましたが、相談者は素直に
話してくれます。落ち着いて緊張することなく、論理的に話せるのが特徴です。
――
▼ スマートフォンの普及で、仲間同士がネットで繋がりを持つことが可能に
 なった昨今、ブログが、感情の吐きだしとして有効に働くことになる。
マイナスも多いのだろう。 歳を重ねる度に、人は自閉症的になるようだが…
・・・・・・
5627,お金に強くなる生き方
2016年08月11日(木)
           【お金に強くなる生き方 〜佐藤 優 (著)】
   * 年収600万で上位10%
 佐藤優の【お金に強くなる生き方】というテーマに惹かれて図書館から
借りてきた。現実的な内容で合点がいく。年収600万で上位10%とは驚き。
 正社員の収入が414万円で、非正規を含めると、中央値が300万半ばになる。 
これが現実である。 〜その辺りを抜粋する〜
《 先ほどの国税局の調査で平均年収が414万円。この数字は平均で、高所得者
 に引っ張られているため。実際は、これより低い。「年収300超〜400万以下」
が17・4%。 男女別に見ると、男性が「年収300超〜400万以下」が18・7%が
最も多く、次いで、「400〜500万以下」が17・1%。 女性で最も多いのが
「100万〜200万以下」で、26・1%、次いで「200〜300万以下」が21・8%になる。
 おそらく、この数字が一般的な日本人の給与所得者の実感に一番近い。
つまり、年収300万台が中央値である。日本の労働者の年収上位10%には、年収
580万台の人が入ります。年収600万なら間違いなく上位10%に入る。
 どうもバブルの頃のイメージが抜けきれず、平均値のマジックに惑わされるが、
年収500万位が平均的な数字のような感覚があるが、現実は、かなり違っている。
300〜400万も稼いでいれば自分を卑下する必要もないのに、何か焦って、変な
投資をして騙されるケースが多い。》
▼ 「年金生活者」の言葉自体に問題がある。「年金補助生活者」が性格な答え。
 これが浸透してないため、不平が政府に向かう。とはいえ、三人に一人が預金
ゼロというから、僅かな年金では生活できない。そこで、「生活保護制度」で
何とか生きていける。とはいえ、バブル崩壊以降は、厳しさは増している。
 〜で、これも偶然だが、以下に続く!
 ・・・・・・
4155, 閑話小題 ーオリンピックも後半に
2012年08月11日(土)
   * オリンピックも終盤に入った
 ロンドンオリンピックも終盤になってきた。今回のオリンピックは日本として
はメダル数が多い。外国にならいメダルが取れそうな種目に集中してきた効果が、
ここで出てきたようだ。特に女子選手の活躍が目立っている。
国が衰るとオリンピックやサッカーのワールドカップの成績が良くなるというが。
 そういえば以前ほどオリンピックに大騒ぎをしなくなった。不景気で、
浮かれていられないということか。 そろそろ国内外の政治も動き出してきた。
9月から年末にかけ、中東のシリア、イランか、ユーロ圏の経済危機で焦臭い
動きがで始めるだろう。 今のところオリンピックへのテロは起きてないが、
無事終了して欲しいもの。テロリストも国を背負っているので躊躇するのが
道理だが、それが通らないのが彼ら。
  * 地平線の距離は?
 地平線という言葉は、何か私たちを惹きつける。「どの位?」というと、
20キロか、30キロと思うが、実は4キロ強。一番身近では海原と空の境目
がある。海岸線に100Mの展望台をつくったら、36キロ先とか。タンザニア
のセレンゲッテーの草原で、360度の草原の地平線を見たが、これは感動もの。 
私たちが数十キロ先の山や海原が見えるのは段差があるため。
  * つれづれに
 この時節、早朝のポタリング(自転車散歩)の帰り道、子供のラジオ体操の
帰り姿と出くわす。その姿を見て、「この子供たちは60年、70年先も生きて
いるのか!」という思いが出ている。つい最近までは、そんなことは無かったのに。
一線を退いたこともあるのだろう。羨ましいとか、気の毒にとかいう気持ちは
無いが、これが昔からの年寄の気持ちだったのだろう。最近、隣家が取り壊され
更地になって3ヶ月経つが、幼児二人を連れた父親が、日曜日に空き地の中で
楽しそうに佇んでいた。恐らく近く着工が決まっていて、近い将来、家族で住む
のを楽しみにしている姿が良い。人生で一番、幸せな時である。