『世界の大富豪2000人が教えてくれたこと』トニー野中 (著)
   * 宝くじを当てた95%が、5年以内に当選金を失う
 日本では『悪銭、身につかづ』という諺がある。入る器の方を育て上げないと、
その殆どが溢れ流れていく。私も事業投資の当初の10年で5倍まで純資産を
増やしたが、2001年の9・11と、リーマンショックと、2011年の3・11の10年で
壊滅! 辛うじて保険代りに家内名義で積みたててきた給与の預金と、
妻との二人厚生年金で、これまでの生活を維持している。 その辺りから〜p40
≪ アメリカやイギリスでは、「宝くじを当てた人が、その後どうなったか?」と
いう追跡調査が、よく行なわれます。 それによると、「宝くじの一等が当たった
人の95パーセントが、5年以内に手にした当選金の全てを失っている」という。
「器のできていない人がお金を持っても身につかないこと」を、データは如実に
証明しているわけです。 いえ、当選金を失うどころか、それ以上のマイナスを
被るとがあります。たとえばアメリカでは、宝くじに当選すると、宝くじ売り場
まで乗ったタクシーの運転手まで「分け前を寄こせ」と主張してくるそうですし、
100万ドルを当てたーカ月後に毒殺されるという事件まで起こっています。
『となりの億万長者』というベストセラーで知られるトマス・J・スタンリーは、
その著書で「宝くじを買う頻度と、その人の資産レベルの間には非常に顕著な
反比例関係がある」(『なぜ、この入たちは金持ちになったのか』日本経済新聞社)
ということを証明しています。それは、「お金があるから、宝くじなんて買わない」
という理由だけではないのです。宝くじの当選確率など、計算すれば、ビジネスで
成功する確率よりはるかに低いとすぐにわかります。大富豪になるような人で
あれば、そんな確率の低いことよりも、もっと確実に稼げることに、時間とお金
を投資しようと考えるのが当然でし欲う。それでも多くの人が宝くじをほしがり、
"当たる"と評判の宝くじ売り場に朝一から並んでいるのは、
「楽して莫大な富が手に入る」という誘惑に逆らえないからです。≫
▼ 宝くじは夢を買うもので、それ自体に矛盾がある。夢は長年かけて地道に
 積み上げ実現するもの。そのプロセスにこそ価値(意味)がある。数羽の
ブラックスワンで、私の事業は終わったが、プロセスで元をとっていたので、
後悔は意外に少ない。宝くじの当選金を5年で失っても、持ったままより、
遥かに良い!とも考えられる。「失う」と思うのは傍目で、実際に使えば、
その価値を味わい尽くすことが出来る。 5年で数億など使ってみたいもの。
いや実際に使ってみた。一棟、ホテルを建てると土地代を入れると3〜10億。
そのプロセスを遊びに昇華すれば、遊びとして、それだけ使ったことになる。
実際、遊びとしても面白かった。 当事者の実感は、「失った」というより
「使った」である。本人が言うから間違いない! ということは、著者は浅い!
ボロボロになって涙した方が、その数倍増やしニヤニヤしているより濃い。
大恋愛の成就より、失恋をした方が遥かに良いことを例にとれば解るだろう。
『宝くじを当てた95%が、5年以内に当選金の全て使う!』 良いでないか。
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4846,閑話小題 ー同級生の急逝の式場で
2014年06月21日(土)
   * 同級生の急逝の式場で
 一昨夜の三条での通夜が500人、本葬が100人の参列。 
通夜を含めて中学校の同級生6人?が出席した。膵臓がんが発見されて二ヶ月!
七転八倒の苦しみの中で、亡くなったという。御焼香で手を合わせると同時に、
『おれ、こんなに早く、死にたくなかった!』という、彼の声が聞こえたような?
その後の親族の挨拶でも、故人が同じようなことを言っていたというから・・ 
故人は晩酌が楽しみで、その過多が原因? 7〜8歳の孫が二人、別れの顔見と、
出棺時に、大泣きをしていたのが涙をさそっていた。去年の同級会の三次会に
故人と、二人飲んだのが最期。「俺の最後の仕事は、家族に一億を残すとと!」
と真顔で話していた。自宅に帰って一時間後に、シネマに行く予定だったが、
グッタリ!急遽、中止。
 ところで、参列した同級生の一人の奥さんが一月前の20日に亡くなって、
今日が同月命日。『絶対にカミさんより、早く死んだ方が良い!連れの死は、
こたえる。生まれてこの方、一度も炊事の経験無しが、長男と自分の炊事と、j
家事は、非常にきつい!』の言葉が、重い。まだ、同居の長男がいるだけよいが。
入院して二週間で17年前の乳ガンの腰骨への転移での急逝というが、連れは
死ぬつもりがなかったため、何処に幾らの金があるか、全く分からず、
大変だったとか。 亡くなると本人名義の貸金庫、預金は凍結され、葬式の
金さえ工面がつかない中で、何とか葬式を終えた等の話は非常に深刻。
 私が家内より先に逝くつもりだが、これだけは? 自炊経験はあるし、
スーパーの買物は好き。宅配弁当もあるので、大丈夫と思うが。
「早いもの勝ち」は、夫婦の死期にも当てはまる。老いの辛酸は、身近な
人から、聞こえてくる。 これで中学校の同級男子で、7人も亡くなった。
不明を除くと、3〜4人に1人が、御先に逝ったことになる。 
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4479, 歌舞伎町 写真集
2013年06月21日(金)
 6年前、新潟駅前近くの図書館で、『歌舞伎町事変』(写真集)を見つけた
が、その生々しさに驚いた。日本一の繁華街で、ヤクザや中国マフィアや警察
などが入り乱れているのが日常の歌舞伎町。 その続編が、この『歌舞伎町』
権徹著で、数ヶ月前に出版されたばかり。一冊目の『歌舞伎町事変(1996〜2006)』
文ー李小牧、写真ー権徹の毒々しさは少し薄れたが、迫力は充分。ページを捲る
たびに、いつの間に歌舞伎町の緊迫した世界にタイムスリップしてしまう。
生々しい現場写真のため、その迫真が直接迫りくる。新潟駅前の飲食繁華街で
事業をしていたので、その猥雑さと恐ろしさを垣間見てきた。 
歌舞伎町といえば、学生時代に数回、怖いものみたさに行ったことがあるが、
女装したオカマをはじめて見た。 2003年の頃から取締りが強化。また監視
カメラが設置されて状況は一変した。今ではガラス張りで明るい猥雑さに
なったようだ。写真家の韓国人の権徹が、歌舞伎町「人間劇場」との出会いに
ついて、以下のように書いている。
《 1996年春、歌舞伎町を撮り始めた。写真専門学校の1年目のことだ。当時、
 四谷3丁目に住み、渋谷の学校へ通っていた。ゼミの撮影テーマが「新宿」
だったこともあって、通学途中に新宿駅まで歩き、この街を注意深く観察した。
あるとき、歌舞伎町交番前で鉄パイプを持ったヤクザ20〜30人がケンカをして
いる場面に出くわした。あまりの怖さに膝が震え、カバンの中からカメラを
取り出して撮影することさえできなかった。このエキサイティングな街は、
いったい何なんだ。 韓国ではありえない交番前の乱闘に強い衝撃を受けた。
このときボクは歌舞伎町を写真撮影の「主戦場」のひとつに選んだ。 
歌舞伎町は、人間の生臭さや欲薦むきだしの街だ。苦労して撮った分、写真は
おもしろくなる。東洋一の「眠らない街」は取材のたび、ボクを刺激し
続けてくれる。ここは撮影テーマの尽きない「人間劇場」なのだ。》
▼ 彼の場合、歌舞伎町写真家として、警察にもヤクザにも顔が知られ、
 妨害や嫌がらせが少ないようだが、 それでも危険の真っ只中である。 
夜の世界の猥雑といば、5月の連休明けにみた「探偵はBARにいる2」が、 
夜の世界を何気なく描き出している。二年前に‘その一’を見たが、なかなか
面白い。そこは、カウンター 一枚で普通の世界とは別世界が広がっている。
その辺を知らないと大怪我をする魔界。その最たるのが歌舞伎町だろう。
写真は、数千秒の一の瞬間を切り取る。そこに多くの人間模様が見えてくる。 
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4105、私は完全な本 "日本の自殺 'ー8を作った
2012年6月21日(木)
  * 現代文明がもたらす幼稚化
 これが書かれた37年前からスーパーなどのチェーン店などが多く現れて
きて手軽に何でも手に入る、一億総中産階級社会になった。それは幼稚な愚民
の群れであり、大量生産・大量消費の結果である。 ー以下はその辺りを指摘ー
≪ 現代人にみられるこの思考力、判断力の全般的衰弱と幼稚化傾向は、
 一体なにによってもたらされたのであろうか。
◎ 第一に実に憂慮すべきことに、驚くべき技術の発達、物質的豊かさの
 増大、都市化、情報化の進展と教育の普及など高度現代文明が もたらした
恩恵それ自体が、このような精神状態を副作用として惹き起こしていたのである。 
思考力、判断力の衰弱と幼稚化傾向は、 高度現代文明それ自体の産物である。
・・・インプットとアウトプットとを結びつける複雑な仕組みについて思考や
判断を働かせるのは馬鹿げてたことだ。そんなものはブラックボックス
してしまえ、「賃金は大幅に上げろ、物価は大幅に下げろ」「税金は減らせ、
しかし 社会福祉は大幅に増やせ」こういう種類の要求を駄々っ子のように
叫びながら、この要求を実現するような便利なおもちゃを作れと言う。
そういうインプットとアウトプットとを結びつけるような調子のよいブラック
・ボックスは到底作製不能だと言っても、「そんなことを考えるのはわれわれ
の仕事ではない、われわれの仕事はとにかくボタンを押してこのおもちゃで
遊び続けることなのだ」と足をばたばたさえ、挙げ句の果てに癇癪を起こして
手当たり次第にまわりのおもちゃを放り投げ、ぶちこわし始めるという始末。
 やがてかれらは群をなして群衆心理の陶酔を楽しみ始める。思考力、判断力
の全般的衰弱と幼稚化は、第二に情報化の代償、つまり マスコミの発達と
教育の普及の代償として生じている。エンゲル係数で現代の消費生活の構造を
知ることができないのと同様、文盲率の減少や進学率の増大などで現代文化の
内容を判断はできない。「学歴ある文盲とでも呼ぶべき現代人」のあいだに
見受けられる恐るべき知力の低下、倫理能力の喪失、判断力の全般的衰弱の
秘密が、いまこそ本格的に解明されなかればならないであろう。かっての時代
の農民、漁民あるいは職人たちは完全に自分自身の生活体験を通じてテスト
した知識の枠内で図式を作り、それでもって人生や世界を測っていた。
かれらの持っている知識や情報は確かに限定されたものであったかも知れないが、
しかし少なくともかれらの生きている生活空間に関しては現代人の到底及び
得ない賢明さと生活の知恵を持っていた。それに引きかえ、現代人は自分の
直接体験をしっかりと見つめる時間を失い、自分の頭でものを考えることを
停止したまま中途半端で、皮相な知識の受け売りで世界中のできごとに
偉そうに口をはさんでいらいらと生きているのである。こうした思考力、
判断力の衰弱がもたらした品質の悪い情報は、我々の情報環境に満ちあふれ、
恐るべき情報汚染を惹き起している。 情報汚染の濃厚凝縮を受けた人間は
やがて幼稚な狂信者となり、暗殺をしたり、ハイジャックをしたりする犯罪者
と化していく。われわれはこうした現代文明にひそむ恐るべき幼稚化と野蛮化
のメカニズムを直視し、これを克服するための新しい努力を全力を挙げて
開始せねばならない。マスコミの発達と教育の普及の代償として捉えている
点が、すばらしくもある。少なくとも教育の普及があれば、思考力、判断力
の全般的衰弱と幼稚化を回避できると思ったが、そうでなかった。≫
▼ 当時書かれた、この警告は、さらに深刻な社会現象になって現れ出ている。
国家収入の二倍の国家予算を組んでも国民の要求を答えざるを得ないのが現状
の日本。国家そのものが判断も決断も出来ない幼児化をしている。
情報化の影の部分である 
 ・・・・・・・
3739, 自分の居場所のみつけかた ー�
2011年06月21日(火)
  * 愛は根っこ、その愛をふくらませるのが知性 ーP・150    
             「自分の居場所のみつけかた」 ー 斉藤学著 
【 私たちは通り過ぎる人々の群の中に自分の居場所を見ることはできません。
 その中の何者かと出会い、互いに相手に飼いならされ、相手を飼いならし、
それによっで、その関係の中に居場所を見つけるのです。本来、知性という
ものは優しさを増す効用があるものだと思います。他の民族、年齢や性別の
差など、自分と違う立場というものを理解し行くのには知性が必要です。
けれど、それは根っこにちゃんと優しさがあればこそです。その優しさが、
その知性によって増していくのであって、根っこが悪すぎると知性が悪用
されてしまいます。それでは、その根っこはどこから生えてくるのかとよく
考えるのですが、やはり子ども時代にイヤというほど愛された人というのは、
 どこか人間の善意というものを当たり前と思い、その存在を信じています。
善意が当たり前だということは、感謝が足りないと見えることもあるかもしれ
ませんが、本人も他人に当たり前に善意を示して、感謝を求める気がないのです。
逆に他人からはっきりと悪意を示されると、びっくりします。けれども少々
意地悪をされていても、そんなことがあるわけないと思うから気がつかない。
なんだかいじめられていても、ちっとも感じない。そのうちに、いくら
いじめても面白くないから仲間に入れてしまえ、ということになって、人間関係
がうまくいきやすい。これと正反対に、子どもの頃からいじめられるのが当たり
前だった人は、世の中の人は当たり前に自分をいじめるものと信じています。
他人の物腰や表情の中に悪意を読み取ろう読み取ろうとしていますから、いくら
でも読み収にてしまう。 時にはニュートラルなことや、善意そのものさえ、
「私を利用されている」「最初に喜ばせておいて、後でひっくり返そうとして
いる」と勘ぐったり、誰かにほめられたら、「後でひっくり返そうとしている
のでないか」など素直に喜べない。 】
▼ 子供の頃の経験は大きい。良いにつけ悪いつけ、自分の根底が、それに左右
 されるということを意識して修正するしかない。それに役立つのが知性である。
だから自分で知性を磨くしかない。そのため、他人の話を聞き、本を読み続ける
こと。その結果、教養が培われる。 私のように多くの姉や兄の末っ子で育った
者は、善意も悪意も読み取る習性がある。常に人の間で緊張しているのは、
そのためである。ただ、何をしても最後は許されてきたため、何処か甘さが
付きまとってきた。私の場合、許される場が自分の居場所ということになる。
だから、長女系の優しそうな人に惹かれる。スナックや、行きつけの喫茶店
通うのは、母なる癒やしを心の奥に求めているケースが多い。
・・・・・・
3374, しあわせを感じるには「技術」がいる ー2
2010年06月21日(月)
ーしあわせを感じる「技術」ー東洋経済新潮社・しあわせ研究プロジェクト編
 「しあわせ」を感じとる技術を、これだけ明確に書いている文章は珍しい。
  ー以下は、同志社大遠藤徹助教授のレポーの中の一文である。
    なるほど、この通りであるー
≪ しあわせとはイメージである。イメージは断片の積み重ねによって、
 より実質に近づいていく。ジグソーパズルのピースを多く集めれば集める
ほど、全体像がクリアにいくのと同じである。しかし、時代は急速な変化を遂げ、
情報というピースがあふれ出し、ピースを『ピースである』と自覚できない人々
が徐々に増えていく傾向にある。・・・ 戦後、TVや教育などを通じて、
『西欧社会のイメージ』が真似をするべきモデルとして入ってきた。あなたは
ひとりの人間である。男も女も平等である。個人はすべからず自己実現すべき、と。
 イメージが、伝統的な日本の社会のあり方と矛盾を持ちはじめた。・・
輸入された西欧的なしあわせのイメージのなかに留まろうとするその一方で、
日本の伝統社会での役割を演じることを要求される。その狭間である仮想世界、
『バーチャル・リアリティ』のなかで、我われはもがき苦しむ。では、そこから
脱する方法があるのだろうか。「自分はいったいどういう人間なのか、何を
したいのか、そういうことをもう一度自分に問い直してみなければならない。
こういう幸福なイメージがありますよ、と言われて安易に飛ぶつこうしている
だけだと、たとえそれをかたちの上で実現できたとしても本当に満たされない。 
まず自己が持っている『しあわせ』というイメージに対するジグソーパズルの
ピースのひとつひとつをクリアに認識して、自分の等身大の『しあわせ』
というものを目指すことが重要なのではないでしょうか」しあわせを感じるには
「技術」がいる。それは観念でなく具体である。モノ、視界、思想、気分。
あらゆるレベルのしあわせの「仮想空間」から抜け出していく。 
それが自己の存在に気づいていく真の意味の自立なのである。≫
▼ しあわせとはイメージというのは、今さらのことだが、そのイメージを
 ジグソーパゾルのピースで組み立てる、というのも面白いといえば面白い。 
人間は言葉を持ったためにイメージを持つことが出来るようになった。
それは仮想とも言えるが、自己ステートメントとして文章化しておくことも
大事だろう。若い女性が小さなノートに書くような夢日記もおなじようなもの。 
しあわせの正体は簡単そうだが、意外とむずかしい・・・。
 しかし、好きなことをしているか、好きな場所にいるか、
好きな人と一緒にいられるか、でしかない。それと比べないこと!