〜『善人は、なぜまわりの人を不幸にするのか』
                          曽野綾子著より 
   * 地獄へ道は善意で舗装されている 〜2
 書上げてから気づいたが、このテーマ、以前も取上げたことがあった。
複雑な悪意と善意が交わりあう世界では、知っておかなければならない基本的
知識になる。世間とは、私ー>両親ー>家族ー>御近所ー>町…の方向性を持つ。
また逆の方向性の性格を持つ。それは善意という人間としての温みを持つ。 
 しかし、「良かれと思って行ったことが悲劇的な結果を招いてしまうこと。
または、悲惨な出来事が皮肉にも善意の行いが発端となっている」ことを言う。
これが「日本では誤用されている」との主張もある。その論を要約すると
実際には、「天国をめざして信心する人は多いが、そのために善行を続ける人は
少なく、結局は地獄へと進む事が多い。地獄への道には、そうした人々が心の中
から落としてしまった善意(直訳は「善き意図」)が降り積もっているのだ」
… という言葉である。つまり「善意を持っていても、実行がともなわなければ、
いずれその人は地獄へ落ちる」という意味になる。
 ところで、善意って、それを被った悪意? その自覚さえ無い無知? 
地域社会でホワイトナイト気取りに、是非、身に付けるべき絶対センス!

  〜内容紹介〜
≪ たしかにあの人は「いい人」なんだろうけど……。
 ときに悪意よりも恐ろしい、善意の人との疲れない〈つきあい方〉<人と接するのが待ち遠しくなる!>
 1 善意は何をもたらすか
 2 「知らない」ことの不幸
 3 不完全のすすめ
 4 矛盾を抱えてこそ人生
 5 どうすれば自分を失わないでいられるか
 6 図らずも心が救われるとき
 7 傷ついた人にしかわからないことがある
 8 生きることの厳しさを教えられる親になるために

 善意の人々は、自分の好み、自分の思想、が正しいのだから、それは世間に
とってもいいことだ、と疑うこともない。たとえ正しいことでも、世間では、
その正しさが相手を苦しめることもあるなどとは夢想だにしないのである。
もちろん家族や世間を困らせるのは、いわゆる犯罪であり、悪意や憎悪である。
しかし善意もまた、時には油断がならない。 本書「まえがき」より -- ≫

▼ 日本の裁判の9割が「善意が仇となって起きる争い事」と… 。
 学生時代にロマンローランの『ベートーベンの生涯』の中で、
『良く、かつ高貴に行動する人は、それだけで不幸に耐えることが出来る』
『苦悩を通り抜け、歓喜に!』という言葉を読んで、座右の銘にしていたこと
があった。これがもしかして、地獄の道の善意ではなかったのでは?
英国、スペイン、それ以前の、キリスト教布教を建前にした、アフリカ、アジア、
アメリカ大陸の植民地化が、まさにキリスト教という弱者救済の善意の舗装工事
の押付けでしかなかった。相手の気持ちを考えずに平然と相手を傷つけていた
憶えが多々あるが、これも、相手のためという善意が見え隠れする。毎日、
数時間もかけて、これを書上げ、ネット上に公開しているが、未来の自分と、
共感して?くれる読者に対する善意があるが、これが曲者になる。
としても、露悪より、偽善の方が、まだマシ。だって…コスプレが面白いもの。

7年前の以下の文章は、この文章を書上げた後に、ネット内検索で拾ったもの。
何か、7年前の自分が、現在の文章を見て冷笑しているような? でも、
この重なりも悪くはないという、言い訳も。 
――――
2011/10/05
地獄への道は善意で舗装されている  〜2
 20数年前の経営セミナーで、創造工学の中山正和が、
「日本の裁判の中で、9割が善意でしたことが発端で裁判になっている。
『地獄の道は善意で舗装されている』のが、現実社会である。」という言葉が
印象的だった。甘い善意は、地獄の入り口と心に刻んだことを記憶している。 
特に事業においては善意は絶対禁物が人間関係の第一歩。当たり前のことだが、
それを知らない人が多い。
 善意の積み重ねは、その人の人徳を高める第一歩。しかし一つ歯車が狂うと、
「軒先を貸して、母屋を取られる」結果になる。営業を生業とするものは善意を
ノウハウとする。それが相手にとってのニーズであり、対象の懐に入る。
善意、好意を示され喜ばない人間はいない。この格言は昔から言われいる基本。 
  ー ウィキペディアによると ー
≪*「いかに悪い結果につながったとされる事例でも、それが始められた
  当時までさかのぼれば、善き意志から発していたのであった」
  (地獄への道は善意で舗装されている について) ーユリウス・カエサル
 *「天国へ行くために最も有効な方法は、地獄への道を熟知することだ」
  (地獄への道は善意で舗装されている について)ーマキャヴェリ
 *マルクスは、この格言の発祥でこそないものの、これを援用、敷衍させ、
  「地獄への道は善意で、天国への道は階級闘争と俺の濃い髭で舗装されている」
   などと語ったと言う。
 *キリストとその弟子達は、善意からキリスト教を発足させた。
  その結果、十字軍や宗教戦争魔女狩りなどの惨劇が起こり、人々に夥しい
  地獄を体感させた。・・・ 善意という言葉は、法律用語で言えば、
  「知らないこと、認識していないこと」という意味も含有する。
  つまり、犯罪と知らずに
 窃盗を行ったり、人を殺したりしても、その原因は善意になるのである。
法律用語の善意も考慮に入れると、古来起こってきた全ての惨劇や、人間同士の
軋轢は、全ては善意が引き金になっていると言っても過言ではない。しかし、
ウィキペディアでもコミュニティの円滑化、利用者の齟齬防止の為に善意にとる
ことが推奨されているように、人間同士の意思疎通や、社会の構築とその円滑な
運営には「善意」が必要不可欠なのだ。この二律背反に、多くの哲人達が煩悶
してきたことは言うまでも無い。
 哲学者であり、レスラーとしても著名な木吉カズヤが、地獄への道である善意
よすがとしなければ生きていけない人間、保てない社会を悲しみ、「救いは
ないね!救いはないんですか?」と絶叫したことは、あまりにも有名である。≫
― 
▼ 善意をもって事に当たるのは、それはそれで良いが、逆手に取られても、
 恨まない範囲で示すと割切ることだ。善意も捨石として、直接の見返りを求め
ないこと。「積善の家に福が集まる」は、見返りを求めないからこそ福が来る。

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5211,宝くじを当てた95%が、5年以内に
2015年06月21日(日)
      『世界の大富豪2000人が教えてくれたこと』トニー野中 (著)
   * 宝くじを当てた95%が、5年以内に当選金を失う
 日本では『悪銭、身につかづ』という諺がある。入る器の方を育て上げないと、
その殆どが溢れ流れていく。私も事業投資の当初の10年で5倍まで純資産を
増やしたが、2001年の9・11と、2008年のリーマンショックと、2011年の3・11の
10年で壊滅! 辛うじて保険代りに家内名義で積みたててきた給与の預金と、
二人厚生年金で、これまでの生活を維持している。 その辺りから 〜p40
≪ アメリカやイギリスでは、「宝くじを当てた人が、その後どうなったか?」と
いう追跡調査が、よく行なわれます。 それによると、「宝くじの一等が当たった
人の95パーセントが、5年以内に手にした当選金の全てを失っている」という。
「器のできていない人がお金を持っても身につかないこと」を、データは如実に
証明しているわけです。 いえ、当選金を失うどころか、それ以上のマイナスを
被ることがあります。たとえばアメリカでは、宝くじに当選すると、宝くじ売り場
まで乗ったタクシーの運転手まで「分け前を寄こせ」と主張してくるそうですし、
100万ドルを当てたーカ月後に毒殺されるという事件まで起こっています。
『となりの億万長者』というベストセラーで知られるトマス・J・スタンリーは、
その著書で「宝くじを買う頻度と、その人の資産レベルの間には非常に顕著な
反比例関係がある」(『なぜ、この入たちは金持ちになったのか』日本経済新聞社)
ということを証明しています。それは、「お金があるから、宝くじなんて買わない」
という理由だけではないのです。宝くじの当選確率など、計算すれば、ビジネスで
成功する確率よりはるかに低いとすぐにわかります。大富豪になるような人で
あれば、そんな確率の低いことよりも、もっと確実に稼げることに、時間とお金
を投資しようと考えるのが当然でし欲う。それでも多くの人が宝くじをほしがり、
"当たる"と評判の宝くじ売り場に朝一から並んでいるのは、
「楽して莫大な富が手に入る」という誘惑に逆らえないからです。≫
▼ 宝くじは夢を買うもので、それ自体に矛盾がある。夢は長年かけて地道に
 積み上げ実現するもの。そのプロセスにこそ価値(意味)がある。数羽の
ブラックスワンで、私の事業は終わったが、プロセスで元をとっていたので、
後悔は意外に少ない。宝くじの当選金を5年で失っても、持ったままより、
遥かに良い!とも考えられる。「失う」と思うのは傍目で、実際に使えば、
その価値を味わい尽くすことが出来る。 5年で数億など使ってみたいもの。
いや実際に使ってみた。一棟、ホテルを建てると土地代を入れると3〜10億。
そのプロセスを遊びに昇華すれば、遊びとして、それだけ使ったことになる。
遊びとしてみても、実際に面白かった。当事者の実感は、「失った」というより
「使った」である。本人が言うから間違いない! ということは、著者は浅い?
ボロボロになって涙した方が、その数倍増やしニヤニヤしているより味は濃い。
「大恋愛の成就より、失恋をした方が遥かに良い」ことを考えれば解るだろう。
『 宝くじを当てた95%が、5年以内に当選金の全て使う! 』良いでないか。

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5941,自由な脳のつくり方 −強固なマインドセット
2017年06月21日(水)     
        <「世界一自由な脳のつくり方」茂木健一郎著>
   * マインドセットとは
 「人生は、18歳までに洗脳された固定観念、常識を生涯かけて破壊して
いくプロセス」である。常識という名の牢獄に押し込まま、定年をむかえ、
それに初めて気付き、涙する。それさえ気付かずに、もやもやした不満を、
周囲に八つ当たりするのが、俗にいう「世間」。18歳までのセットが如何に
強固であるかは周知のはず。親は、可能な限りしなやかなマインドを、子供
にセットするため、家族旅行や美術館などで、世界の広さ、深さを長年かけ、
教え込み、常識にとらわれない基礎教養のベースを幼児期から構築しておく
必要がある。ということは、両親の質の掛け合わせで、ほぼセットが
決まっている。これは壁にもなり、土台にもなる。 〜その辺りから〜
≪ マインドセットは以下のように定義されています。
 経験、教育、先入観などから形成される思考様式、心理状態。
暗黙の了解事項、思い込み(パラダイム)、価値観、信念などがこれに含まれる。
マインドセットの言い方は、人の意識や心理状態は一面的なとらえ方はできず、
多面的に見てセットしたものがマインドの全体像を表しているということから
来ている。
 靴を販売する会社の営業マン2人がアフリカへ現地調査に向かい、靴を履かず
に裸足で生活する人々を目のあたりにしました。それを見た1人の営業マンは
・「誰も靴を履いていないので、売れる見込みはありません」と報告、
・もう1人の営業マンは「誰も靴を履いていないので、無限大の販売見込みが
あります」と報告しました。
 報告の方向性からも分かるようにこの2人は真逆のマインドセットの持ち主で、
当件での成果に差が生まれるといえるでしょう。この例では、行動する前から
諦めてしまう癖がついている人と、プラス思考が出来る人の間に、大きな違いが
生まれるということが学べます。
 ドゥエック教授は、マインドセットという概念を提唱した第一人者。
教授は研究で、子どもの成績や学習意欲・行動は、
・「努力しても変わらない」(硬いマインドセット)という考えの持ち主か、
・「努力次第で伸びる」(しなやかマインドセット)という考えの持ち主かに
 よって、変わることが分かったとしています。
マインドセットによってあらゆる能力に差異が現れ、ひいては人生の幸不幸に
影響するというのです。またマインドセットを変えるのは簡単ではないけれど、
それは可能であるとしています。マインドセットを変える、すなわち固定観念
再構築することは、簡単ではありません。それこそ子供のころからついた習慣
という基礎部分を全面的に改修しようというのですから、強い意志を持って
臨まなければなりません。とはいえそれは決して難しいことではなく、
ポイントをおさえることで、効果的に改善していくことができます。≫

▼「慶応幼稚舎」などに、親が必至の思いで入園させるのは、真っ新な幼児期
 にマインドセットをするため。逆に言えば、この頃、しなやかマインドセット
をしておかなければ、大方と変わらない能力にとどまることになる。
恐ろしいのは、「知っていること以外は何も知らないこと。もっと恐ろしいのは、
そのことすら知らないこと」 その範囲で物事を捉え、思い付きで決めつける、
人間の愚かさ。他者に見えても己のそれは、見えない。この「随想日記」は、
その露呈の列記になる… 読む方からしたら、これほど、面白いことはないはず。
 キャリアとうのは、職場転換、転職で、マインドセットを切替え続けた結果、
身についていく能力。深い穴は、まずは広く掘らなければならない。
それもこれも、死んで三日も経てば、みな同じ。 そういうこと!

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4846,閑話小題 ー同級生の急逝の式場で
2014年06月21日(土)
   * 同級生の急逝の式場で
 一昨夜の三条での通夜が500人、本葬が100人の参列。 
通夜を含めて中学校の同級生6人?が出席した。膵臓がんが発見されて二ヶ月!
七転八倒の苦しみの中で、亡くなったという。御焼香で手を合わせると同時に、
『おれ、こんなに早く、死にたくなかった!』という、彼の声が聞こえたような?
その後の親族の挨拶でも、故人が同じようなことを言っていたというから・・ 
故人は晩酌が楽しみで、その過多が原因? 7〜8歳の孫が二人、別れの顔見と、
出棺時に、大泣きをしていたのが涙をさそっていた。去年の同級会の三次会に
故人と、二人飲んだのが最期。「俺の最後の仕事は、家族に一億を残すとと!」
と真顔で話していた。自宅に帰って一時間後に、シネマに行く予定だったが、
グッタリ!急遽、中止。
 ところで、参列した同級生の一人の奥さんが一月前の20日に亡くなって、
今日が同月命日。『絶対にカミさんより、早く死んだ方が良い!連れの死は、
こたえる。生まれてこの方、一度も炊事の経験無しが、長男と自分の炊事と、j
家事は、非常にきつい!』の言葉が、重い。まだ、同居の長男がいるだけよいが。
入院して二週間で17年前の乳ガンの腰骨への転移での急逝というが、連れは
死ぬつもりがなかったため、何処に幾らの金があるか、全く分からず、
大変だったとか。 亡くなると本人名義の貸金庫、預金は凍結され、葬式の
金さえ工面がつかない中で、何とか葬式を終えた等の話は非常に深刻。
 私が家内より先に逝くつもりだが、これだけは? 自炊経験はあるし、
スーパーの買物は好き。宅配弁当もあるので、大丈夫と思うが。
「早いもの勝ち」は、夫婦の死期にも当てはまる。老いの辛酸は、身近な
人から、聞こえてくる。 これで中学校の同級男子で、7人も亡くなった。
不明を除くと、3〜4人に1人が、御先に逝ったことになる。 

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5576,突然、余命宣告を受けました ー?
2016年06月21日(火)
             『あの世へ逝く力』小林玖仁男著
  * モノゴトは、「断・捨・離」に向かう
 著者の場合、二年生存率はゼロに近いというから、置かれた状況は厳しい。
身辺の整理を直ぐに実行しなければならない。
 私の父親も、余命一年といわれて、退院直後に、姉夫婦の思惑?に反して、
会社の株式と、個人名義の不動産を、母と、姉夫婦と、実兄と、私に4分割
して亡くなっていった。それが父の断捨離であった。 そのお陰で、現在の
自分がある。 この本は、終わりまで、著者の生の緊迫感が直に伝わってくる。
≪  何をやり、何を捨てるか。
 ゴールが見えている者にとって「仕分け」は喫緊の重要課題です。
「仕分け」は、例の《死の五段階》でいえば、最終段階の「受容」(あきらめる)
の中の作業。「あきらめる」という言葉には、そもそも「明らかにする」という
意味もあり、辛い現実を明らかにし、積極的に受け入れようとする段階です。
余命のゴールに向って仕切り直すと、これからは「断捨離」になりました。
「断行.捨行.離行」。断ち切って、捨てて、離れて、悠々自適になること。
モノへの執着から解放されて、身軽で快適な余生を手に入れることです。
 じつは今まで私のいちばん苦手なことでしたが、ここいちばんでできないと
なりません。「もったいないから」と大事に持っていても、遺品のほとんどが
ゴミになってしまいます。要らない物は断つ。使わない物は捨てるか、人に
あげるか、バザーに出すか。モノへの執着からはサッパリと離れる。
こういう発想が必要です。
社会生活や人との関係と違って、物は捨てればそれで済みます。私が住んで
いる賃貸マンションは、私が最終入院をしたら解約することにしました。
その前に、物という物はみんなじゃんじゃん捨てて、人が欲しそうな物だけを
残します。形見分けも始めました。ネクタイをバンバン差し上げていたら、
かわいい後輩に時計も狙われたので進呈しました。
・あの世には何、持っていけません
・こちらから差し上げないと、相手からくれとは言えません。
・もらってもらわないと、遺品はほとんどゴミになります。
これは何とも清々しい作業でした。ゴミを出すたび、人にあげるたび、
生への未練も捨てられました。
 そして、モノの次はコトを片します。 人生に、片を付ける。大事なこと、
完結したいことの優先順位を付け、やりたいことを、「片付け」ていくのです。≫
▼ 5年前の事業清算の決断の中で、自ら創った会社の事業整理を淡々と、
 それも、ゲームのように実行している自分を2m後方から見つめている、
自分が存在していた。この随想日記を書き続けた効能でもある。目先の生活に
窮することがない事もあるが、弁護士事務所が代行して全てを処分してくれた。
結果、後悔も、執着が何も残らなかった。独り、布団の中で、大声で喚いたり、
惨めな自分を笑ったりした。 少しでもワダカマリが残ると、ストレスの種に
なる。だから、逆手に、この状況を乗りきるために、厳しめな一日の、一週間
のスケジュールを組み、厳格に実行することにした。この辺りは手馴れたもの。
少しは強がりの言い訳に思えるかもしれないが、ハッピーエンドより、この方が
良かったと、直ぐに思うようになっていた。数十年にわたる準備もあったが。
 この書中に、弁護士の単語がない。アドバイスにしろ、身辺整理に、その職能
が必要のはずである。「こちらから差上げないと、相手からくれと言えません」
は、言いえて妙である。「もらってもらわないと、遺品はゴミになる」も然り。

・・・・・・
4479, 歌舞伎町 写真集
2013年06月21日(金)
 6年前、新潟駅前近くの図書館で、『歌舞伎町事変』(写真集)を見つけた
が、その生々しさに驚いた。日本一の繁華街で、ヤクザや中国マフィアや警察
などが入り乱れているのが日常の歌舞伎町。 その続編が、この『歌舞伎町』
権徹著で、数ヶ月前に出版されたばかり。一冊目の『歌舞伎町事変(1996〜2006)』
文ー李小牧、写真ー権徹の毒々しさは少し薄れたが、迫力は充分。ページを捲る
たびに、いつの間に歌舞伎町の緊迫した世界にタイムスリップしてしまう。
生々しい現場写真のため、その迫真が直接迫りくる。新潟駅前の飲食繁華街で
事業をしていたので、その猥雑さと恐ろしさを垣間見てきた。 
歌舞伎町といえば、学生時代に数回、怖いものみたさに行ったことがあるが、
女装したオカマをはじめて見た。 2003年の頃から取締りが強化。また監視
カメラが設置されて状況は一変した。今ではガラス張りで明るい猥雑さに
なったようだ。写真家の韓国人の権徹が、歌舞伎町「人間劇場」との出会いに
ついて、以下のように書いている。
《 1996年春、歌舞伎町を撮り始めた。写真専門学校の1年目のことだ。当時、
 四谷3丁目に住み、渋谷の学校へ通っていた。ゼミの撮影テーマが「新宿」
だったこともあって、通学途中に新宿駅まで歩き、この街を注意深く観察した。
あるとき、歌舞伎町交番前で鉄パイプを持ったヤクザ20〜30人がケンカをして
いる場面に出くわした。あまりの怖さに膝が震え、カバンの中からカメラを
取り出して撮影することさえできなかった。このエキサイティングな街は、
いったい何なんだ。 韓国ではありえない交番前の乱闘に強い衝撃を受けた。
このときボクは歌舞伎町を写真撮影の「主戦場」のひとつに選んだ。 
歌舞伎町は、人間の生臭さや欲薦むきだしの街だ。苦労して撮った分、写真は
おもしろくなる。東洋一の「眠らない街」は取材のたび、ボクを刺激し
続けてくれる。ここは撮影テーマの尽きない「人間劇場」なのだ。》
▼ 彼の場合、歌舞伎町写真家として、警察にもヤクザにも顔が知られ、
 妨害や嫌がらせが少ないようだが、 それでも危険の真っ只中である。 
夜の世界の猥雑といば、5月の連休明けにみた「探偵はBARにいる2」が、 
夜の世界を何気なく描き出している。二年前に‘その一’を見たが、なかなか
面白い。そこは、カウンター 一枚で普通の世界とは別世界が広がっている。
その辺を知らないと大怪我をする魔界。その最たるのが歌舞伎町だろう。
写真は、数千秒の一の瞬間を切り取る。そこに多くの人間模様が見えてくる。