つれづれに

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 ワールドサッカー、間違って、クロアチアに勝ったのであり、
それは相手選手の手にシュートが当たったフロックによる勝利。
で、次があるかといえば、非常に難しい。誰もが解ってはいるが… 
問題は、次のラウンドに行けるかどうか?



 
・・・・・・
5576,突然、余命宣告を受けました ー⑤
2016年06月21日(火)
             『あの世へ逝く力』小林玖仁男著
  * モノゴトは、「断・捨・離」に向かう
 著者の場合、二年生存率はゼロに近いというから、置かれた状況は厳しい。
身辺の整理を直ぐに実行しなければならない。
 私の父親も、余命一年といわれて、退院直後に、姉夫婦の思惑?に反して、
会社の株式と、個人名義の不動産を、母と、姉夫婦と、実兄と、私に4分割
して亡くなっていった。それが父の断捨離であった。 そのお陰で、現在の
自分がある。 この本は、終わりまで、著者の生の緊迫感が直に伝わってくる。
≪  何をやり、何を捨てるか。
 ゴールが見えている者にとって「仕分け」は喫緊の重要課題です。
「仕分け」は、例の《死の五段階》でいえば、最終段階の「受容」(あきらめる)
の中の作業。「あきらめる」という言葉には、そもそも「明らかにする」という
意味もあり、辛い現実を明らかにし、積極的に受け入れようとする段階です。
余命のゴールに向って仕切り直すと、これからは「断捨離」になりました。
「断行.捨行.離行」。断ち切って、捨てて、離れて、悠々自適になること。
モノへの執着から解放されて、身軽で快適な余生を手に入れることです。
 じつは今まで私のいちばん苦手なことでしたが、ここいちばんでできないと
なりません。「もったいないから」と大事に持っていても、遺品のほとんどが
ゴミになってしまいます。要らない物は断つ。使わない物は捨てるか、人に
あげるか、バザーに出すか。モノへの執着からはサッパリと離れる。
こういう発想が必要です。
社会生活や人との関係と違って、物は捨てればそれで済みます。私が住んで
いる賃貸マンションは、私が最終入院をしたら解約することにしました。
その前に、物という物はみんなじゃんじゃん捨てて、人が欲しそうな物だけを
残します。形見分けも始めました。ネクタイをバンバン差し上げていたら、
かわいい後輩に時計も狙われたので進呈しました。
・あの世には何、持っていけません
・こちらから差し上げないと、相手からくれとは言えません。
・もらってもらわないと、遺品はほとんどゴミになります。
これは何とも清々しい作業でした。ゴミを出すたび、人にあげるたび、
生への未練も捨てられました。
 そして、モノの次はコトを片します。 人生に、片を付ける。大事なこと、
完結したいことの優先順位を付け、やりたいことを、「片付け」ていくのです。≫
▼ 5年前の事業清算の決断の中で、自ら創った会社の事業整理を淡々と、
 それも、ゲームのように実行している自分を2m後方から見つめている、
自分が存在していた。この随想日記を書き続けた効能でもある。目先の生活に
窮することがない事もあるが、弁護士事務所が代行して全てを処分してくれた。
結果、後悔も、執着が何も残らなかった。独り、布団の中で、大声で喚いたり、
惨めな自分を笑ったりした。 少しでもワダカマリが残ると、ストレスの種に
なる。だから、逆手に、この状況を乗りきるために、厳しめな一日の、一週間
のスケジュールを組み、厳格に実行することにした。この辺りは手馴れたもの。
少しは強がりの言い訳に思えるかもしれないが、ハッピーエンドより、この方が
良かったと、直ぐに思うようになっていた。数十年にわたる準備もあったが。
 この書中に、弁護士の単語がない。アドバイスにしろ、身辺整理に、その職能
が必要のはずである。「こちらから差上げないと、相手からくれと言えません」
は、言いえて妙である。「もらってもらわないと、遺品はゴミになる」も然り。

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4479, 歌舞伎町 写真集
2013年06月21日(金)
 6年前、新潟駅前近くの図書館で、『歌舞伎町事変』(写真集)を見つけた
が、その生々しさに驚いた。日本一の繁華街で、ヤクザや中国マフィアや警察
などが入り乱れているのが日常の歌舞伎町。 その続編が、この『歌舞伎町』
権徹著で、数ヶ月前に出版されたばかり。一冊目の『歌舞伎町事変(1996~2006)』
文ー李小牧、写真ー権徹の毒々しさは少し薄れたが、迫力は充分。ページを捲る
たびに、いつの間に歌舞伎町の緊迫した世界にタイムスリップしてしまう。
生々しい現場写真のため、その迫真が直接迫りくる。新潟駅前の飲食繁華街で
事業をしていたので、その猥雑さと恐ろしさを垣間見てきた。 
歌舞伎町といえば、学生時代に数回、怖いものみたさに行ったことがあるが、
女装したオカマをはじめて見た。 2003年の頃から取締りが強化。また監視
カメラが設置されて状況は一変した。今ではガラス張りで明るい猥雑さに
なったようだ。写真家の韓国人の権徹が、歌舞伎町「人間劇場」との出会いに
ついて、以下のように書いている。
《 1996年春、歌舞伎町を撮り始めた。写真専門学校の1年目のことだ。当時、
 四谷3丁目に住み、渋谷の学校へ通っていた。ゼミの撮影テーマが「新宿」
だったこともあって、通学途中に新宿駅まで歩き、この街を注意深く観察した。
あるとき、歌舞伎町交番前で鉄パイプを持ったヤクザ20~30人がケンカをして
いる場面に出くわした。あまりの怖さに膝が震え、カバンの中からカメラを
取り出して撮影することさえできなかった。このエキサイティングな街は、
いったい何なんだ。 韓国ではありえない交番前の乱闘に強い衝撃を受けた。
このときボクは歌舞伎町を写真撮影の「主戦場」のひとつに選んだ。 
歌舞伎町は、人間の生臭さや欲薦むきだしの街だ。苦労して撮った分、写真は
おもしろくなる。東洋一の「眠らない街」は取材のたび、ボクを刺激し
続けてくれる。ここは撮影テーマの尽きない「人間劇場」なのだ。》
▼ 彼の場合、歌舞伎町写真家として、警察にもヤクザにも顔が知られ、
 妨害や嫌がらせが少ないようだが、 それでも危険の真っ只中である。 
夜の世界の猥雑といば、5月の連休明けにみた「探偵はBARにいる2」が、 
夜の世界を何気なく描き出している。二年前に‘その一’を見たが、なかなか
面白い。そこは、カウンター 一枚で普通の世界とは別世界が広がっている。
その辺を知らないと大怪我をする魔界。その最たるのが歌舞伎町だろう。
写真は、数千秒の一の瞬間を切り取る。そこに多くの人間模様が見えてくる。


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3374, しあわせを感じるには「技術」がいる ー2
2010年06月21日(月)
 ーしあわせを感じる「技術」ー 東洋経済新潮社・しあわせ研究プロジェクト編

 「しあわせ」を感じとる技術を、これだけ明確に書いている文章は珍しい。
ー以下は、同志社大遠藤徹助教授のレポーの中の一文である。なるほど、この通りであるー
≪ しあわせとはイメージである。イメージは断片の積み重ねによって、より実質に近づいていく。
ジグソーパズルのピースを多く集めれば集めるほど、全体像がクリアにいくのと同じである。
しかし、時代は急速な変化を遂げ、情報というピースがあふれ出し、ピースを『ピースである』と
自覚できない人々が徐々に増えていく傾向にある。・・・ 戦後、TVや教育などを通じて、
『西欧社会のイメージ』が真似をするべきモデルとして入ってきた。 あなたはひとりの人間である。
男も女も平等である。 個人はすべからず自己実現すべきだ、と。 イメージが、伝統的な日本の社会の
あり方と矛盾を持ちはじめた。・・・輸入された西欧的なしあわせのイメージのなかに留まろうとする
その一方で、日本の伝統社会での役割を演じることを要求される。 その狭間である仮想の世界、
『バーチャル・リアリティ』のなかで、我われはもがき苦しむ。 では、そこから脱する方法がある
のだろうか。「自分はいったいどういう人間なのか、何をしたいのか、そういうことをもう一度
自分に問い直してみなければならない。こういう幸福なイメージがありますよ、と言われて安易に
飛ぶつこうしているだけだと、たとえそれをかたちの上で実現できたとしても本当に満たされない。 
まず自己が持っている『しあわせ』というイメージに対するジグソーパズルのピースのひとつひとつを
クリアに認識して、自分の等身大の『しあわせ』というものを目指すことが重要なのではないでしょうか」 
しあわせを感じるには「技術」がいる。 それは観念でなく、具体である。モノ、視界、思想、気分。
あらゆるレベルのしあわせの「仮想空間」から抜け出していく。 
それが自己の存在に気づいていく真の意味の自立なのである。≫
 ~~
 しあわせとはイメージというのは、今さらのことだが、そのイメージをジグソーパゾルのピースで
組み立てる、というのも面白いといえば面白い。 人間は言葉を持ったためにイメージを持つことが
出来るようになった。それは仮想とも言えるが、自己ステートメントとして文章化しておくことも
大事だろう。若い女性が小さなノートに書くような夢日記もおなじようなもの。 しあわせの正体は
簡単そうだが、意外とむずかしい・・・。しかし、好きなことをしているか、好きな場所にいるか、
好きな人と一緒にいられるか、でしかない。それと比べないこと!
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2999,百貨店の衰退について
 2009年06月21日(日)
今さらの話になるが、百貨店の衰退が激しい。
先日の昼休みのランチ時に読んだ喫茶店の週刊誌に載っていた大前研一のレポートによると
・12年連続マイナスで、売上高が22年前の水準になっており
・10年前の調査では、若い女性は通勤用、デート・レジャー用、結婚式やパーティー用と、
 シーンを三場面に分けて、一万、二万、数万円の予算だった。ところが5年前ほど前から、通勤と
デート・レジャー用を兼ねた提案のメーカー、ショップにお客が移動するようになった。 更に
最近は、全身で1万円でコーディネートできる H&Mや、ユニクロなどに殺到するようになった。
その上に、LA発のカジュアルファッションチェーンの「フォーエバー21」などが次々に進出してきた。
百貨店は、20年以上も衰退傾向にあったが、若い女性のファッションで凌いできたが、それも
時代の変化についていけなくなってしまった
大前研一は、「もし百貨店の建て直しを依頼されたら、大家との契約を解除をして値段を下げて
もらい、テナントにユニクロ、H&Mなどのテナントか、アウトレットのテナントに入れ替える作戦に出る」
と提案をしている。家具はニトリや東京家具、電器製品は山田デンキやビッグカメラ、紳士服は青山、
アオキになどに侵食され、最後の砦も欧米の格安のファッション店に攻撃され、瀕死の状態。その前の
40年間は、ジャスコヨーカ堂などの総合量販店に叩かれてきている。そのジャスコヨーカ堂も、
専門チェーン店に侵食されて衰退傾向に入ってしまった。日経新聞も、地方百貨店の減収を取り上げて
いたが、総じて10~20パーセント減で深刻な現状。本来の百貨店の役割はファッションなどの情報の
先取りを売りにしていたが、情報化社会ではネットやTVで、安易に収集が可能になってしまった。 
自己存在の意義が無くなったしまったということ。
 大丸が松坂屋を、伊勢丹三越を、高島屋が阪急と阪神を、ヨーカ堂が西武とソゴウを救済合併
 目先を凌いでいるが、この合併効果も何時まで続くかである。全ての業種で根こそぎ、存在意義を問わ
れている。正体は本格的情報化社会の到来。既存の価値観、そして体制が適応出来なくなって
きたのである。動乱の世である。 
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2635, 娘に贈る12の言葉  ~4
 投資家ジム・ロジャーズの言葉 ー読書日記
ー 5、哲学を、つまり「考える」ということを学びなさい。ー
・通念や慣習が人々の思考能力を奪っている。哲学とは「自分の頭で、どのように考えるか」という技術。
「考える力をつける方法は何か」→ひとつの方法は通念や慣習からして「絶対にそうだ」と考えられていて
間違っていたことを、振り返ることである。その時、多数に従わない少数者は何を考えていたかをシッカリ
調べて欲しい。
・誰も考えないことを探す。
→多くの投資家が考えないことは何だろうか。
→「どこが弱気(ベア)か」を探している。ほとんどの投資家は強気(ブル)を探す。
→弱気相場は誰も気にかけないが、素晴らしい投資先であることもある。
・こんなふうに考えてごらん
 歴史的にみて、あと十年は商品の時代が続く。 商品と株の価格は逆に動く
解)この数年、哲学に関しての本を読み続けている。経験の裏づけができた為だろうが、
それにしても面白い。特にカントを多くの入門書レベルの本の中で、少しずつ学び続けている。
先日から「子どものためのカント」(フィリートレンダー)を読んでいるが、それが難しい。
哲学語を殆ど使わないで書いている。こんど、ここでも取り上げてみるが。
ー 6、中国の時代・中国語を身に付けてください。ー
・君の世代では英語についで重要な言語となる。ソ連が 74年間の共産主義だったが、中国は厳密の
共産主義は30年間だけであった。
・中国株を買おう。中国株を買わないことで有名だったウォーレン・パフェットまでが、
2003年にペトロチャイナの株を買って、その後も保有比率を増やしている。
解)20世紀初頭のアメリカが、現在の中国に似ているのではないだろうか著者は述べている。
 成るほど、北京や上海の林立しているビル群をみると、肯けるが。 僅か20年もしない
うちである。
ー 7、歴史を勉強しなさい。ー
・大局をつかむこと
歴史を学ぶことを通じて大きな視点で世界の変化を捉える。
「歴史は繰り返し、人類は常に変わらない。」
・一見、目新しいこと それは歴史の中で繰りかえし起こっている。
今までに世界で何が起こって、何が起こらなかったか、しっかりと学ぶべき。
解)パール・バックの「大地」を学生時代に読んだことを思い出した。
中国の王一族の何代もの栄枯盛衰の壮大な物語である。中国には、数千年の歴史が背後に
あるから、その底力は計り知れないのは解る。
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2007年06月21日(木)
2270, 東北6県の平均収入が、東京の半分だと!
                 ・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ○〕ヽ(・д・`●) 
 先日、昼休みに大型書店のジュンク堂で本を見ていたところ、最近出版の『ワーキング・プア』
という本に、「東北6県の一人当たりの収入・241万に対して、東京が456万円」とあった。
二倍じゃないかい!と、地域格差の大きさに目を疑った。東京に対し新潟八割、長岡7割と最近聞いた
ばかり。東北6県平均とはいえ収入が半分だというから、若者は東京志向になるわけである。
感覚として首都圏は物価は2割高いとしても、地域格差は予想外だった。地方の場合、地価が安く家持
比率が高いので、そのまま生活レベルが半分とは言えないが・・東北6県の人口が1200万人というから、
東京都の人口と同数である。それが、これから28年間で23?減になるが、東京都は微増。東北地方以外
の全国の他の地域も似たような傾向。首都圏には全国の人口の三分の一近くが住むことになるが、
この28年間に関東から東海地区にかけては、大地震がおこる可能性が80?以上! 神様は微妙なリスク
を置いている。その辺が何とも可笑しい!
  まずはーasahi.com の記事からー
 ーーー
2035年、45道府県で人口減少 秋田は65歳以上が4割 =2007年05月29日
(字数制限のためカット 09年06月21日)
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2006年06月21日(水)
 1905, グーグル Google ー10                 
 おっ w(゚Д゚)w ハァョ?         ー読書日記
 この本の一番重要な章は、この5章ではないだろうか。それほど、キーワード広告の意味は深い
のである。早速、グーグルのアドセンスにキーワード広告を投入してみたがアクセスがない!お客の
立場からのセンスが無いのだろうか? この辺になると、21世紀の世界がハッキリ見えてくる。
五章の要点を抜粋してみる。
   ーーーー
第五章 最大の価値基準となる「アテンション」
 以前は検索エンジンは、ヤフーやAOL、MSNなどの総合ホームページのおまけツールとしてしか認識
されてなかった。だからGoogleも当初は「今さら検索エンジンじゃ、儲かるわけがない」とみられていた。
 ところがグロスという男が、検索に使われるキーワードに大変な価値に気が付いたのである。
 そしてこの価値をキーワード広告という広告モデルに昇華させたのである。このキーワード広告は
それまでのダメなインターネット広告を一掃し、「良質な広告」としてクライアント、ユーザーの
双方から絶賛され、受け入れられた。そしてグロスのキーワード広告はこっそりとグーグルによって
真似られ、アドワーズという広告としてスタートした。アドワーズはやはり巨大な収益を上げるよう
になって、一時の苦境から完全に脱し、マイクロソフトやヤフー、インテルなどと肩を並べる巨大
IT企業へと変貌した。そしてアドワーズで急成長したグーグルは、2003年には新たに広告サービス
アドセンス」を投入した。「アドセンス」は、個人のHPなどに広告を配信するサービスだ。
 HPを持っている人がアドセンスに申し込むと、広告がグーグルから送られてくる。その広告を
自分のHPに貼り付けるように設定しておくだけで、広告は新しいものに自動的に更新される。
画面の端に比較的小さな文字で、「動画配信サービス」「クリエーターのお仕事情報」といった
広告が表示されている。これがアドセンスである。 こんな小さな広告が効果あるのかというが、
これにグーグルの驚くべきノウハウがふんだんに使われている。
  (以下、字数の関係でカット2008年6月21日)
・・・・・・・
2005年06月21日(火)
1540、「人を動かす」ー2       ー読書日記
 この本を読んで実行した感想は、少しのことで人間は変わりうるということである。人間関係
という一番初歩的な基本を身に着ければよい。会話や対話で、まず相手の話を把握した後で自分の
意見を返すという基本がある。 
 
(世の中には、この基本を全く知らないで一生を終える人がいる。数知れずみてきたが、それを
自覚してないから始末が悪い!もしかしたら、自分も?)誠意を持って相手の話を聞くことは、
「人からして欲しいことを、まず自らなせ」の実践である。少しまともな営業屋なら当然身に
つけている。接客業の飲み屋のママやホステスなどは初期段階で叩き込まれるものばかりだ。
 まずは、ふり(演技)から実践してみると面白い。人間なぞ他愛のないものに思えてくる。
それだけ、自分のことを認めて欲いし、話したいのだ。しかし、小手先で身につけると、
「ただ感じのよい人になってしまう」ことにもなりかねない。会社の入社前教育で、まず訓練
するのは「対話訓練」である。新人は会話術は身につけていても、対話術は身につけていない。
この「人を動かす」は、会話術より対話術に属する? 会話術としても使うと、誠実さに欠けたり
底の浅さを露呈してしまう。しかし、それを知っているといないとでは違いが出てくる。人の話
を真剣に聞くことは、並大抵のことではない。
  ー以下のカーネギーの原則は、対話術というより会話術に近いが。
  ーーー
ーあるHPより抜粋ー
 人を説得する12原則
1.議論に勝つ唯一の方法として、議論をさける。
・議論はほとんど例外無く、双方に自説をますます正しいと確信させて終わるものだ。
 議論に勝つことは不可能だ。たとえ勝ったにしてもやはり負けている。相手は劣等感を持ち、
 自尊心を傷付けられ、憤慨するだろう

 ・・・議論に負けてもその人の意志は変わらない。
・意見の不一致を歓迎せよ。いつも意見が一致するなら、そのうち一人はいなくてもいい人間だ。
 思い及ばなかった点を指摘してくれる人がいたら感謝しなければいけない。
・最初に頭をもたげる自己防衛本能に押し流されてはいけない。冷静に構え、最初の反応を警戒
 する必要がある。あなたの最悪の人柄が突出し、最善の人柄がかくれてしまうかも知れないのだ。
(以下、字数の関係でカット2008年6月21日)
・・・・・・・・・
2004年06月21日(月)
 1175, 哲学について ー7
ードイツ哲学の時代
イギリスの経験主義哲学につづいて、ドイツ哲学の時代がくる。18~19世紀にかけて古代ギリシャ
に匹敵するほどの哲学がドイツを中心に発展する。その先がけがカントで、それまでの合理主義哲学
と経験主義哲学を統一させた。「人が経験することができるのは、身体的なあり方によって枠組み
をされており、その枠組みのなかでしか、個々のものごとの存在を想像することができない」と説いた。
盲人にとって、見ることを理解することができない、嗅覚のない人も臭いについて理解するのは不可能。
人間の理解は、その持っている機能の範囲内に限られる。カントの文章は非常に深遠で難解で、理解
することが非常にむずかしい。カントの思想はショーペンファウアーによって受け継がれ、さらに
豊かなものになっていく。ヘーゲルは絶対的な観念論をうみだした。彼は「現実世界のすべてと
その歴史を、精神的なものが発展していく姿」と考え、世界と現実は自己認識に到達するための歴史的
プロセスと考えた。その過程は「正、反、合」の三つのプロセスを繰りかえし、すべての変化の理由とした。
マルクスヘーゲル哲学を基礎として観念論から唯物論を導き出した。ニーチェはあらゆる既存の道徳を
攻撃した。彼は「神が死んだ」という有名な言葉を残した。当時の価値観はギリシャ哲学とユダヤ教徒
キリスト教の教えが土台になっていた。しかし当時は、その信仰心が薄れていて自らの価値観を求め
られていた。その土壌の上で、多くの偉大な哲学者が輩出したのである。この頃の哲学者が生み出した
思想は現代哲学に大きく影響している。そして現代の哲学が現れてくる。
・・・・・・・・・
2003年06月21日(土)
 808、 大丈夫
一休が死ぬ間際に、自分が死んだ後もし如何にもならなくなった時に開くようにと一通の封筒を残した。
そして残されたものが、如何にもならなくなった時がきた時に封筒を開いた。その中味には「何とかな
る!」と書いてあったという話が残っている。本当かどうか解らないが、一休らしい逸話である。
 先日、本屋で立ち読みをしていたら、ある本の目次に「女に持てる法」という項目があった。
さてと心トキメイテそこをみて驚いた。常に「大丈夫!」といい続けることだと。何か肩透かしを
食らったようであったが、納得した。言葉だけでも、誰もが「大丈夫!」といって欲しいのが心理である。
それも女性なら尚のことである。最悪の「死」を考えてみても、死んだ瞬間には本人にとって死では
なくなる。あるのは「死」に対する恐怖である。だから何事も「大丈夫!」といえるのだ。何事も
90数?が、あくまでも不安という恐怖心でしかない。 話はそれるが「女にもてる法」といえば、
九州の学生時代の友人が新潟に遊びに来たときの話である。彼は長崎で飲食店を数軒経営しているのだが、
女性が大好きだという。そして女にもてる話が始まった。実際にもてるのだろ
う、なかなか含蓄がある。
ー我われ中年はそうでなくても若い人から見たら脂ぎっている。それを自覚して「演技でよいから
ポヨーンとして、女には全く興味がないようにしていなくてはならない。それで普通の状態に見られる。」
 なるほど一理があるが、勝手に持てているのは自分だけ信じているのが面白い。
経験的にみると「お前は女に持てるだろう!」というと、殆んどの男が舞い上がってしまう。
そして「如何に自分が持てているか」の自慢話が始まる。誰かに実験してみたらよい、罪のないジョーク
として。少しアルコールの入っている状態で、誠意を込めていえば大部分の男は舞い上がってしまう。
挙句に「お前はもてないだろう。ケチで口が悪い上に・・・」と始まる。ほっとけバカと思うのだが
「もてるのもてないは苦労の結果だろう」というのが持論だ。もてない男のいい訳か。
これも男の永遠の課題だろう。テーマが変わってしまった。この不況の中、今度は「ありがとう」
だけでなく、「大丈夫」を呪文のように唱えるか。 今さら、どうでもよいか?
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2002年06月21日(金)
 444,面白い話ー本??
 http://www.melonpan.net/tatsu/yatta/index.html  「やった。」坂本達著
図書館の海外旅行のコーナーで面白い本を見つけた。 なかなか面白い。
子供服の「ミキハウス」に勤め数年、何処でもある話で自己逃避も含めて「海外旅行に出たい」
という気持ちが出る。辞表を書く段階で社長の耳に入る。オーナー社長がそれを宣伝材料?とみて、
有給休暇を条件に引きとめる。そして夢のような4年3ヶ月の旅行記。なかなか面白い内容で
あったー本もホームページも。そして社長の思惑どうり?帰国後その体験をホームページに書き込み、
さらに講演を続けている。それなりに面白い内容である。 少なくとも自分でしたいができなかった事だ。
こういう社会もあるということで目を通してもいいのでは? またこういうことがあっても、
良いのではと思った。
http://www.nikon.co.jp/main/jpn/society/sakamoto/
http://www.melonpan.net/tatsu/  http://www.melonpan.net/tatsu/report/index.php
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2001年06月21日(木)
 [59] 3D-ホームページー三回目打ち合わせ
富士総業の小竹さんより3dのホームページのモニターという
話に乗ったがちょっとしたプロジェクトだ。当たればおお化けする可能性がある。
デジタル文化の1現象を目の当たりにしている。7月1日を楽しみにしているが凄い
世界に入ったもの