ーあわいの力 「心の時代」の次を生きるー安田登(著)
   * シテの「あわい」の役割
 夜八時に就寝し、午前一時には目が覚め、四時に起床するまでは朦朧とした
半睡状態。そこは無意識という異界と、現実の間を漂う「あわい」の世界。
そして起床、この随想日記の書上げをしている。 まずは〜アマゾンの案内〜
《 古代人には「心」がなかった―― 「心」が生まれて3000年。
「心の時代」と言われる現代、自殺や精神疾患の増加が象徴的に示すように、
人類は自らがつくり出した「心」の副作用に押し潰されようとしている。
そろそろ、「心」に代わる何かが生まれてくるのではないか?
 シュメール語、甲骨文字、聖書、短歌、俳句・・・。
古今東西の「身体知」を知りつくす能楽師・安田登氏が
「心」の文字の起源から次の時代のヒントを探る。
 あっちとこっちをつなぐ不思議な力!
異界と現実の間(あわい)の存在(能におけるワキ方)であり、
古代文字の研究も重ねる著者が、まったく新しい時代の姿を求め、
「あわい」の世界に飛び込んだ・・・! 可能性は、「日本人の身体」にあり!? ≫
▼ 先日書いた『中の人・外の人』で(一年の間、縫いぐるみを着て外出した
 経験を持つ筆者が、縫いぐるみの「うち」「そと」の『あわい』について
書いいた。 また彼が現在、住んでいる京都のひとは、「うち」と「そと」
の使い方が絶妙であると指摘。それは内面と外面が違うという単純なことでなく、
「うち」「そと」のあわい、中間領域を共有しながら京都の暮らしは営まれて
いることを指摘する。宇宙に漂う人間の心の背景の「間」にヒントが?
この時間も、毎日書いている、この文章も、「あわい」になる。
 とすると、現実と思っている日々そのものも、「あわい」。
・・・・・・
4699,末期がん、その日のための予習を ー2
2014年01月25日(土)
       ー「末期がん、その不安と怖れがなくなる日」樋野 興夫 (著)
 余命の期間を宣言された瞬間から奈落の底に突き落とされ、独り悶えること      
になる。そこで医師による患者に対する「心の処方箋」が、この第一章にある。
人は言葉によって救われる存在。その目次の小テーマそのものが、要約された
救いの言葉。知っているかどうかが大違い・・ 三冊の愛読書と、iPodと、
好きなDVDの用意か?  シリアス過ぎる? 
   第一章 がんとの賢い暮らし方 の目次より
・日本人の2人に1人がかかる国民病 
 ー「よりによって自分だけが!」でなく、丁反の確率と割り切るしかない!
・がんになっても天寿はまっとうできる ー「ガンで死なない時代」。
  遅らせ、天寿を全うすると割り切るべし!
・がんの不安とともに暮らす時間が増えていく 
 ー長生きの負の部分と割り切るしかない!
・人間関係の悩みは病人も健康な人も同じ 
 ー病気の悩み、家庭内・職場での偏見は、健康体でも同じと割り切るべし!
・10の悩みを0ではなく7に減らす ー所詮ゼロにするのは無理なら、
  少しでも減らす算段を!その差は大きい
・不安解消には「がんを忘れる」こと、「がん」の優先順位を下げる 
 ー好きな音楽を聴く、iPodなど準備をしておく
・柔軟性は強さ、頑固は脆さ ー泣いても笑っても同じ空と、心を柔軟に
・「目下の急務」がわかれば不安はなくなる ー言残すこと、書き上げるなど・・
・未来でも過去でもなく「いま」を生きる ー分からない未来より、
  目の前にある「いま」を大事に生きる
・いい思い出は、いまの活力 ー原点に帰ることで、今を整理する
・「今日が人生最後の日」と思えばいい ー健康人も、毎日を最後と
  生きれば、怖れは減る
・死ぬのは確実、いつ死ぬかは確率 あいまいなことは、あいまいに 
  罰が当たったと思う必要はない !!(ノll゚Д゚llヽ) (ノД\lll)コワ!                          ・罰は荷物として背負っていけばいい ー意外な落とし穴が、過去の後悔と自責
・発症するとはかぎらない「遺伝性のがん」 ー40歳前半で家系が全て死んで
  しまう人の話、ところが当人は!60過ぎ
・「がんの家系」にまつわる誤解ー食事など環境要因のガンが7割、その他3割
・がんも「個性」のひとつ ー 一律に考えないこと 自分自身の内と割り切る    
・不安や怒りは他人との比較から生まれるー自分一人の問題(人 *) 南無阿弥陀仏
・「看板かじり」は精神的に脆い 
  ー勤め先の肩書きだけに生きないこと。別のライフワークを持つべし
・衣食住が足りればそれで良しー勤めていたら閑職に甘んじるべし割切るべし
・顔を変えれば世界が変わる ー悲観した顔は他人に見せない。
               感謝の気持ちで第三者に接すれば顔は変わる
・「大好き」の気持ちは強い武器 ー医者や患者に、まず大好きという
  気持ちを持つこと、その前に現状の肯定を
・人間関係は鏡のようなもの ゴールまでが見通せないこともある
・ふまじめも、きまじめも「ほどほど」がいい ぁゎ(ω`;))((ノ;´・ω)ノぁゎ
・ネガティブな状態からいつ抜け出すか ー良かった思い出の領域にいるよう
  意図的にコントロールする
・人生いばらの道、にもかかわらず宴会 八方塞がりでも天は開いている 
  ー地球見学に来て、そろそろ元に帰還するだけ!
▼ いずれ誰にも訪れる死神、上記を心がけて、独り静かにプッツンと逝く。
 そして、生ゴミ。 さほど遠くない近未来にこれを真剣に読み返す時期が
来ると思うと凍りつくが、とはいえ、最優先すべき知識である。゚;Д;゚;カタカ㋟
・・・・・・
4332, 自己とつきあうということ −2
2013年01月25日(金)
        「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著)
 定年退職や失業などの節目で、戦略的引きこもり、良くいえば自己に沈潜
することが重要になる。現在の私が、そうである。枝葉を切って根を養う時。
特に老木は必要としない枝葉を思い切って落とさなければならない。
戦略的退却と判断したら、果敢に決断、実行すべきなのが人生である。
そして、人生を振り返り、己に沈潜すべきで、それから逃げては人生を狂わせる。
  * 自己への引きこもり ー人生の戦術的退却と沈潜ー
≪ スペインの哲学者オルテガ(1883〜1955)は、自己へと向かう姿勢を重視。
「自分自身への戦術的退却や慎重な思索なしに、人間的生は不可能である」。
彼は、人間は、しばしば自分から疎外されて、自分が信じているもの、
忌み嫌っているもの、大切なものがなにかを見失ってしまう危険にさらされて
いることを指摘した。 われわれひとりひとりは、唯一にして他に譲り渡す
ことのできないところの自分自身でなくなるという危険に常にさらされている。
オルテガは、そうした自己喪失から人間を救うのは戦略的に自己へと撤退
すことだと見なし、それを「注意力の転換」「内部への注目」「自己の内部に
引きこもること」といった言い方で示した。 しかし、彼が、「自己疎外」
との対比でくりかえし言及したのが「自己沈潜」である。
 それは「自己に沈潜する能力、われわれの朽ちることなき深みに静かに
ひきこもる能力」を意味する。とはいえ、自己の内部への沈潜、撤退によって、
他人や外界とのつながりを断ち切ってひきこもってしまうという姿勢が
強調されているわけではない。ひきこもるのは、「周囲についてのわれわれの
考えを検討し、そして戦術を練るために一時行動を中止」するためである。
われを忘れ、自己を疎外された人間のふるまいは、しばしば「ばかげた態度」
や「愚行」を招きやすく、「理にあわない別の態度」へと波及するがゆえに、
その連鎖を断ち切るためにこそ、沈潜が必要とされるのである。 
・・オルテガの言う、「自分自身の孤独の深みにひんぱんにひきこもらなければ
ならないという義務」はほとんどはたされていないであろう。戦略として内部に
向かう態度、自己に沈潜する態度を保持する人より、自分以外のものに拘束
され、外部へと結びつけられた態度の内で生きる人が圧倒的に多い現実のなかで、
両者の見解は時代錯誤的なものに見えないではない。しかし、生のさなかで、
生を感受し、生を考えて生きることの楽しさを味わうことを求めるとすれば、
この考え方から学ぶべきことは多いであろう。 ≫
▼ オルテガが「自己疎外」と「自己沈潜」と対比しているところが分かりやすい。
 自己疎外は自分と折り合いがつかない状態で、自己沈潜は自己疎外による愚行を
避けるために、戦略的に一時期に自分を閉じてしまうことである。そういえば、
 私の午前中の時間の使い方がそうだ。明らかに独りになり自分の世界に
沈潜している。午後からは、シネマやTVで映画をみたり、スポーツジムに
行ったり、SCで買い物をしたり、図書館で本を読んだりして、外界に触れる
ようにしている。砂時間沈潜でしかないが・・ 社会という森林の中の、
一本の木(事業)から離れ、自分自身に撤退し、自己沈潜をすることは、
人生の義務である、とすると、身に沁みて理解できる。成るほど、独り部屋で、
音楽を聴いたり、ネットサーフィンをしたり、随想日記の下書きをしている
時間が至福に思えるのは、その義務を楽しんでいるため。
社会から自分独りの世界への撤収、そして沈潜だが、浅い。
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3957, 他人を責める「新型うつ」について ー3
2012年01月25日(水)
 * うつ病患者と自殺の異常増加の原因とは    
      ー日本の論点2012ー 他人を責める「新型うつ」片田珠美
 このレポートで「増加の一途のうつ病患者」について、次のようにある。
≪ 国内のうつ病の患者数は、1996年には43万人程度だったのが、2008年には
100万人を超え、いまや15人に1人が、生涯に一度はうつ病を経験するという。
うつ病の増加は、日本だけでなく世界的な傾向である。1970〜80年にかけて
おこなわれたコロンビア大学による世界各地の疫学調査では、北米.西欧州、
中東、アジアなどの各国すべてで、うつ病が増えているとの結果がでている。
アメリカでは年間2000万人がうつ病にかかり、全米保健統計センターの調査で、
1994年には2万人程度だった子どものうつ病が、03年には80万人と、なんと
40倍に増加したと報告されている。 ・・・≫
▼この異常の増加には、製薬会社の陰謀?があるようだ。DSMという米国流診断
基準が大きく影響しているという。「うつ病とは何か」を考えることをいったん
止めて、「うつ病とは、これこれといういうもののこと」と勝手に定義をして、
その基準にあわせて、それまで病気でないものを、どんどん、「うつ病」に
仕立て上げていった。要するに、うつ病の基準を広げ裾野が広まったための増加。 
それと時を同じくしてSSRIという抗鬱剤の新薬が販売された。ちょっとした
落ち込みでも「うつ」でないかと、直ぐに受診する人が増え、この薬を飲む人
が急増していった。「うつは心の風邪」というキャッチフレーズは、この新薬の
発売にあわせて広められたもの。しかし、この薬が普及するにつれ、自殺者の
数が爆発的に増えていった。実は、この薬は自殺念慮を惹起させる副作用
があるという。また、イライラや攻撃性が強くなる作用があるという。
ある温和な人が突然、狂ったように人の陰口をいっている現場を見たことが
あるが、あれは薬の作用だった?とすると、納得する。ハッピードラッグの
副作用も、一つ間違うと大きな挫折を伴うことになる。私も何人もの身近の人に、
気楽に通院を勧めていたが、ハッピードラッグの副作用までは知らなかった。
合法的とはいえ、ドラッグはドラッグ。 考えてみれば酒も一種の麻薬の類。
これもハッピーウォーターになる。疲れや心を癒すが、一つ間違えればアル中。 
うつを和らげるが、身体に蓄積していく。
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3592,  閑話小題 
2011年01月25日(火)
  * ワールドカップとオリンピックの差
「日本人は、ワールドサッカーとオリンピックの差がわかってないのでは?」
と、塩野七生。オリンピックは建前としても、素人の戦い。それに対して
ワールドサッカーは、選ばれし金稼ぎのプロが国の名誉と、自分の商品価値を
上げるために死力を尽す。勝ち上がらなければ、何の価値もない。この辺の
ところが日本人には分かってないので、マスコミの報道に首を傾げるという。
見ている方は、それを肴に盛り上がりゲームを楽しむ。しかし日本のマスコミ
も国民もオリンピックの延長上で論じていているから、奇妙なことになる。
勝てば官軍、負ければ敗軍になって当然である。オリンピックも銀銅をなくし
金一個にしたら盛り上がりは違ってくる。それが出来ないところが、ワールド
カップとの差。 今夜は日韓戦があるが、何?は覚悟が違う。
  * ところ変われば、意味が違う
(字数制限のためカット 2012年1月25日)
 ・・・・・・・
3227, フリー −4
2010年01月25日(月)
「フリー <「無料」からお金を生みだす新戦略>」クリス・アンダーソン著  
 * 数百万点の中古品をタダで提供
  ー以下は、この本でフリーサイクルを紹介してある文章であるー(p249)
≪ すべては1台のベッドから始った。2003年の春にアリゾナ州トォーソンに
 住むデロン・ビールは、地元の慈善団体にベッドを寄付をしようとしたが、
衛生面で問題があるということで拒否をされた。そこで、彼はゴミを減らすため、
フリーサイクルを立ち上げた。 
・不用品を売ったり・ゴミ捨場まで持っていくのがいやの人と、
・物を欲しい人を結びつけるサイトである。このフリーサイクルのサイトは
 非営利で、グーグルによるスポンサーバーを僅か置いているだけの広告収入
 から、ささやかな予算で運営されている。(14万ドル)
 地元のヤフーグループの仲介者に自主的に組織されたヤフーグループによって
 運営されている。会員になりたい者は、200文字以内の会員になりたい動機を
 記さないと会員になれない。一たび会員になると、沢山の無料のモノが
 まっている。 革製のソファーとか、テレビ、バイクなど。
 贈与経済は以前からあったが、それを広めるためにウエブほど効果的な
 プラットフォームはない。2008年には590万の会員が一日2万点を寄付して、
 合計800万点になっている。≫(字数制限のためカット 2012年1月25日)
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2852, チベット旅行記 −3
2009年01月25日(日)
 この旅行記の中では、仏教の真髄を説いている部分がある。究極のところ
仏の教えを試される場面が何回も出てくる。宗教は生きていく上で必要条件。
 * 白巌窟尊者との大問答
尊者「いろいろな困難をしてまで何でラサにいかれるのですか」
 慧海「仏道の修行をして一切衆生を済度しようというため来たのです」と
  実際的な問いをはずして形而上の仏教的な答えをした。すると
尊者「あなたは何の原因で済度するのですか」
 慧海「何も私には原因はない。衆生がいろいろ苦しみを受けているからです」
尊者「それではおまえは世の中の衆生というものを見ているのか」と言って、
  非常に理想的な問いを発したので、私も理想的なオウム返しをしてやった。
 慧海「我に我なくして、どうしてこの衆生を見ましょうか」と答えた。
  次に尊者はあの賊に会った時の私の気持ちを尋ねて、
尊者「盗人を憎いと思ったか・・・・、盗人が去った後で彼等を憎み、
  呪法でも唱えて仇を帰すようなことをやったか」
 慧海「私に取られるべき原因があってあの盗人に取られたのですから、彼等を
  憎む必要はありません。私がこのような不幸な目に会う原因を持っている
  ことこそ、むしろ憎むべきです。私は借金返しを出来たことを喜んでいます。
  だから呪術をかける必要はありません。どうかあの男も私のものを取ったのを
  因縁として、この世で出来ないとしても、あの世で真の道に入って、立派な
  人間とも菩薩ともなるように祈ったのです」と言うと、
尊者「それはもっともだが、これから賊に会うかもしれないから、
  ラサに行くのは止めておいた方がよい』と、言ったので、
 慧海「私はそんな曖昧なことはできません。目的のためにはどんな方法を
   執るべしという事には、同意しかねます。大日経には方便すなち究境
   なりといいます。誠実なる方法を実行することで、目的そのものとして
   一切万事誠実なる事のみを行う。その結果として目的が達せられると
   いうことになるのです。」
尊者「どうも妙じゃ、必死の恐れがある道を選ぶより、安全なネパールへ
  帰るがよい。お前が必ず死ぬことが見えている」
 慧海「しかし私は死ぬことを知りません。生まれてくることも知りません。
  ただ誠実な方法を行うことを知っているだけです。」
   と答えると、尊者は俯いて考えていたが、たちまち話を変えた。・・
▼ 出立の時に、十分すぎるほどのお金と食料を尊者は慧海に与える。
 この問答で尊者と慧海の底知れない大きさを感じ取ることが出来る。 
 事上練磨で仏の教えが深まっていく一例である。 
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2008年01月25日(金)
2487, 不動産は値下がりする!  ー読書日記
 『不動産は値下がりする!』 江副浩正著(中公新書
知人に借りて目を通して、直ぐにアマゾンで(中古本だが)発注した本である。
地方にいると都会の不動産の生の情報は殆ど入ってこないので、山の手線沿線の
超高層ビル群の実情を興味深く読むことが出来た。それもリクルート創始者
江副浩正なら、一言一言が響いてくるのは当然のこと。東京の不動産事情を江副
というブランドの目を通した講義録とみれば、これほど面白いものはない。
私自身は、新築不動産を購入するならマンションより一戸建てを選ぶ。
それぞれ価値観があるから、一概にどっちらがよいか括れないが、買った瞬間に、
その価値は6〜7掛になる。3〜4割が業者の荒利になるからだ。
(ちなみに、ファッションや貴金属は三分の一、10分の一もある?)
一戸建ての場合は、ベースの土地は相場の値段として計算?されるので、
売価対原価の比率として、購入と同時の減額は少ないはずである。
それだけではない。今後、総人口が減少に転じ、総世帯数が減少する国で、
不動産が高騰する訳がない。家は既に余り始めているのである。この失われた
10年で低迷がつづき、その対策として金利が長期間、史上最低にあり、土地、
戸建、分譲マンションの値上がりが続いてきた。 首都圏の分譲マンションの
年間適正供給量は4万5千戸と言われてきたのが、10年以上も8万戸前後の
供給が続き、それが順調に売れてきたというから、その反動が来るのは至極当然
のことである。アメリカのサブプライム問題が発生、世界の金融機関をパニック
にしているが、日本版サブプライム問題になるのは時間の問題。 
この本の「まえがき」と内容が、少し違っている。「まえがき」では、
不動産は値下がり間違いないと言いながら、「これからは都心、中でも港区、
千代田区、渋谷区に人口が集中し、都心のマンションは益々値上がりする」
と述べている。利上げが供給過剰なバブルを破綻させるというが、他の理由は
殆ど書いてない。需給のバランスの供給を大きな理由にあげているが。
土地も関東・東海の一部地区を除けば、更に値下がりするのは自然の流れ。     
ーーーーーーーー
2007年01月25日(木)
 2123, 階級社会ー不平等社会を考える  オハ☆:*:・★(o≧□≦)o☆・*:!
世界は不平等社会で成立している。今さらのことだが、これは何度も振り返って
考える必要がある。戦後日本は実質的に社会主義的な平等社会であったというが、
本当だろうか?「自由、平等、博愛」はEUの基本理念であるが、世界は
その正反対から成り立っている。だからこそ、理想として基本理念に掲げている。
インドでは3000年前に白人系アーリア人がインド全土を支配。ヒンズー教
つくり上げて500以上の階級を詳細につくりあげて、白、赤、黄色、土色の肌色
をベースとして、その混血を防止するため、この宗教をつくり上げた。
それが宗教的効果も加わり現在まで全く変わることなく続いてきた。
インドでは交通事故で最下層の人を轢いても犬を轢いたのと同じように扱われる。
地方では最下層の村の襲撃事件が彼方此方にあり、虐殺は日常的であるが、警察は
全く取りあわない。去年の暮れにニューデリー近郊で起きた二十人以上の幼児や
若い女性の猟奇殺人の容疑で二人が逮捕されたが、これも下層階級の牛以下と
みられた階級に対するアーリア系?による差別行為の一端と報じていた。
我々が「娑婆を知る」「世間を知る」というと、「奇麗事の民主主義の中にある
階級社会の不平等の現実を受け入れ、それぞれの立場で、自分を見つめること」
をいう。「何で皇族を養わなければならないのか?」と誰もが思うのは当然で
あり、何で朝鮮系の彼らを象徴としなければならないのか?という根本的な
疑問は誰も持っている。この疑問の拡大は、押し戻すことはできない。
考えてみたら、実家にはお手伝いがいて、店には50~60人の従業員がいた。
それが当然のことであり、何も考えたことはなかった。ところが上京して、
根こそぎ不平等社会に曝された。大都会の中で、初めて自分の存在の小ささに
直面した。皇居に出入りする車の列をみて、「何でアイツラが税金で特別待遇
を受けなければならないの?」という原始的な疑問を持った。
東大の安田講堂立て籠もり事件の頃のこともある。
(字数制限のためカット 2013年1月25日)