* 創業時の取引先の営業関係者が、ほぼ亡くなった!
 毎年の忘年会の常連メンバーを思い浮かべると、ホテル創業時の営業担当の3分の2が、亡くなっていた。
30数年前からの営業関係者なら、さもありなんだが。大体が60歳前半のガン。70歳過ぎが、二人。
その中で、80歳過ぎまで10数年間、古町の老舗料理屋を毎月通っていた近くの不動産屋の遊び人?がいた。 
倒れた前日、飲みに誘われたが、先約があったため、他の?かと飲んだ後、さらに自宅で酔いに任せウィスキーを、
一本を空にした翌朝、脳溢血で意識不明になっているのが発見され、一年後に意識回復することなく亡くなった。
 酒の壮絶死は、後先、身近で見たのは、初めて。私も一つ間違えれば? 営業担当もあって、ガン死が殆どだが、
建設関係は、酒によるガン悲話 <夫の意に反しての単身赴任の結果、ガンで亡くなり、そのショックで奥さんが
重いノイローゼに・・云々> <営業の酒席の過多でアル中で、離婚>などを多く聞く。営業担当は、飲み屋の
付けを抱えているため、競争関係者に、その支払いの代償に、自社の利益に反する情報を売ることもある?
  * つれづれに 〜語り直しは、内省!
 装置産業は、創業で当てれば天国だが、後は何もすることがない。
立上げで、勢いをつければ枝と幹が出来たようなもの。日常業務は、支配人、マネジャーの仕事。 
一棟目の一周の春夏秋冬を経験すれば、二棟目以降は一ヶ月も過ぎると、何もすることが無くなる。 
そこで事務所で本を読むか、年二回、海外旅行で刺激を得ることになる。あとは、お決まり小人閑居して酒。
しかし、お客の生命を守る危険な仕事。 火災、ヤクザの脅し、酔客などの苦情、自殺など、いつ何時、
何が起きても対応しなければならないため、常に緊張感が必要になる。 リタイア後、その縛りと、
45年間の刷りこみから解放感で、宙に浮いているよう。『現役時代は良かった』の心持ちはゼロ。
現在も、そのまま同じ。同年代の人の仕事の話を聞いていると『   』。 
 振返ると、その持て余した時間が、人生にとって大きな贈物だったことが、見えてくる。
これは振返ってこそ見えてくること。そうと、当時、もっと意識をしていたら、味わい方も違っただろう。
過去は、変えられないが、見方、解釈は変えることが出来る。 それもこれも、どうでも良いことだが。
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4507, どうせ死ぬなら「がん」がいい ー2
2013年07月19日(金)
             『どうせ死ぬなら「がん」がいい』近藤 誠 (著), 中村 仁一 (著)
 対談ということもあり、目次の小項目がテーマが、ずばりキーワードになっている。 これを並べれば概要になる。
どれもこれも、今までの思い込みと真逆な内容。「ガンは悪性なら助からないし、良性なら助かる」それが分かってない。
それを延命させようとしただけ苦痛を与える。自然死こそ本人のため。私も20年にわたり毎年、胃腸や肺を胃カメラ
CTスキャンなど半日検診を欠かさず受けてきた。結果からすると、2~3年に一度でよかったのでは?必要がなかった?
 早朝ウォーキングを毎日一時間以上を続けてきたことと、ストレスを溜め込まないことが、私の健康法だった。
   一章 がんの誤解を解く 
・どうせ死ぬなら「がん」がいい           ・治療しなければ、がんはけっこうな病気
・がんが痛むのではない。治療で痛むむ        ・がんの9割に抗がん剤は無意味
抗がん剤が「効く」とは、しこりが一時小さくなるだけ・「腫瘍内科医になるのは、おやめなさい」の意味
・ひとりも痛まない老人ホームの「がん放置患者」   ・胃がんも肝臓がんも放置すればラクに死ねる
・手遅れの幸せ。安らかな自然死           ・がんの9割は「末期発見・治療断念」「放置」がいちばん
・家族ががんだとわかったら             ・人間ドックを受けたために、がんで玉砕
・いくらでも見つかる「潜在がん」「がんもどき」   ・がんの集団検診をやめたら、がんが減った"
・この半世紀、日本人の融がん死亡率は変わっていない ・姉の乳がんが「乳房温存療法」「がん放置療法一のきつかけ
・150人以上の「がん放置患者」を謬て理論と事実が一致 ・本物のがんと「がんもどき」
・本物のがんは、見つかった時点で転移している    ・「早期がんを手術で取ったから助かった」の誤り
・手術は「人工的な大けが」。傷口が痛み、がんがはびこる ・スキルス胃がんも切らない方が余命が延びる 
・「抗がん剤が効いた」という論文のカラクリ      ・腹永も消える、安らかな自然死  
・「治僚しない」ことに耐えられない日本人       ・「やるからには徹底的に」が医者の性格
・手術で大きな後遺症を抱えて寿命が縮む        ・症状のない前立腺がんを放射線で虐殺
・放置すれば最後まで痛まない胃がん、肝臓がん、食道がん、子宮がん
・消えるのは「がんもどき」。末期がんからの生還例はない ・1%の可能性だけ見て99%を考えない"
西行が桜の下で死ぬ夢を叶えるためにしたこと      ・治療を拒み、飲まず食わずでスーッと逝った"
・食べないから死ぬのではなく「死に時」が来たから食べない
 ▼ どれもこれも「ガンを老いの病と捉え、抵抗をしないで、従うしかない」ということ。
  西洋医学に限界と無理がある。目先、医療知識のない患者は、医師の方針に従うしかなく、恒例の手術か、
  抗がん治療に入っていく。誰もが自然死を選ぼうとしないのは自然の成り行き。で、管に巻かれて悶え死んでいく。
 「この論を信じるべきか?」 で、真逆の真逆の論?「がんで死なない生き方」中川恵一著を借りてきた。 
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4133, 「夏目漱石の自己本位」 ー2
2012年07月19日(木)
            『定年後 ー豊かに生きるための知恵』 加藤仁著
「自己本位」が無作法に行われたら人間社会は成り立たない。そこには当然、心得がある。
それを厳格に守るのが個人主義である。我々は社会の中に生きている。社会にはルールや心得がある。
それを知った上で自己本位で生きていかなければならない。
   * 当然、「自己本位」に心得がある!
≪「他人本位」から「自己本位」に生き方を転換するには、三ヵ条を心得ておかねばならないと漱石は言う。
第一に、自分の個性の発展を遂げようとするならば、他人の個性を尊重しなければならない。
第二に、自身が有する権力を行使しようとするならば、それに付随する義務を忘れないこと。
第三に、自己の金力を示したいのであれば、それに伴う責任を重んじなければならないことである。
 講演の最後に、漱石はこう言いきっている。《 ただもう一「つ御注意までに申し上げて置きたいのは、
国家的道徳というものは個人的道徳に比べると、ずっと段の低いもののように見える事です。元来国と国とは
辞令はいくらやかましくっても、徳義心はそんなにありゃしません。詐欺をやる、誤魔化しをやる。
ペテンに掛ける、滅茶苦茶なものであります。だから国家を標準とする以上、国家を一団と見る以上、
よほど低級な道徳に甘んじて平気でいなければならないのに、個人主義の基礎から考えると、
それが大変高くなって来るのですから考えなければなりません。》≫
▼ 漱石は「自己本位」という金鉱を見つけたことで、その後の進むべき道を見い出した。
聴衆に対して「もしどこかにコダワリがあるなら、何かを掘り当てるまで突き進むと、各人各様にもって生まれた
個性がそこにぶつかり、初めて腰がすわる。そこに腰を落ち着けて前進していくと、個性に磨きがかかり、発展し、
幸福感と安心がもたらされる」と、説く。このことは定年退職者にも、同じく当てはめることが出来る。
若さを失う要素の一つは周囲に流されやすくなり、他人本位になることがある。まだ江戸時代の滅私奉公の
気持ちが抜けきらない時代に、「自己本位」を言ってのけたのだから、驚いてしまう。単一民族で、島国では、
互いを大事にするあまり他人を意識過ぎて、自分を確立する機会が減ってしまう。特に勤め人は孤立に弱い。
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3767,閑話小題 
2011年07月19日(火)
   * 女子ワールドカップ・サッカーで日本が優勝
 テレビで話題を盛り上げるため、日本が優勝すると笑いながら言っていた解説者はいたが、殆どの人は、
「日本が優勝するなど有得ない」と思っていた。ところが昨日、一般の予測に反し日本女子が優勝をしてしまった。
ドイツに買ったのだから、日本がアメリカに勝っても不思議ではないが、24戦して22敗、二引き分けの相手である。
もし勝つなら「何とか引き分けに持ち込んで、PK戦で勝ちを拾うしかない」と、思っていたのが、正夢になってしまった。
結果的には大震災と原発事故で瀕死の状態の日本に米国が勝ちをプレゼントしたことになる。 米国の一方的な攻撃の中で、
耐え抜いてPK戦に持ち込んで勝利したのだから、恐れ入る。 その中で、神憑り的な幸運が試合の随所でみられた。
明らかに弱者である日本は、一方的な攻撃に耐え抜く弱者の戦法が、最後に幸運を引きよせた結果を生んだ。
 最悪の事態の時に、最悪の出来事を呼び寄せることを「布置」と、先日、ここで書いたが、逆に、この時期に有得ない幸運?を
引き寄せることも「布置」というのだろうか? 
  * メタボの雀、再会
 昨日の朝、女子サッカーを見た後、何時もの信濃川の川辺のサイクリング・コースのベンチで、ストレッチをしていると、
前に書いたことがあったメタボの雀が、何時もの通り、50センチ位のところまでやってきた。このところ見かけなかったので、
餌が無かったが、ポケットに手を入れ撒いたふりをすると、そのあたりを必死に餌を探している。 信濃川の雀、その後、
何気なく自転車に乗りながら観察しているが、餌が豊富なのだろう、全体にメタボ気味のようだ。
  * そろそろ、軽い鬱になりそうな
 三月末を区切りに、自宅に中心の生活に変わり100日余りになる。だんだん慣れてはきたが、そろそろ軽い鬱がきそうか。
早朝、この随想日記の仕上げと、電動アシストのチャリで信濃川土手のサイクリング、そしてスポーツセンターと、午前中は過し、
午後は流しに入る。 映画館、SC、図書館に行ったり、読書をしたりで、時間がたっていく。しかし、今度は余裕が出来てくると、
周囲の人の視線が見えてくる。 事が事だけに獄門打ち首のサラシの身の上か、1〜2年は蟄居閉門である。
本人には、そんな意識は少ないが、あの視線は、やはり、そういうことか?という感がする。 元もとアウトサイダーを基本と
してきたので、「その辺の輩」への逆視線はある。 私も人間、環境の動物。今さらか・・ それ以前の初老性欝か、大震災の背景も?
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3402, 「壊れ窓理論」の経営学
2010年07月19日(月)
「壊れ窓理論」の経営学  ー犯罪学が解き明かすビジネスの黄金律 ー M・レヴィン (著),
 ーアマゾンの内容説明からー
小さなことが大きな成功と失敗を生む! 「壊れ窓理論」とは、小さな犯罪(壊れ窓)を放置すると大きな犯罪を招く、
だから小さな犯罪を取り締まれ、というものだ。この犯罪学の理論をビジネスに当てはめたのが、本書である。
有名企業の豊富な事例をもとに、あなたの会社の「壊れ窓」を防ぐ方策を伝授。
  =まず、その要点をまとめてみると・・=
≪ 「ニューヨークの凶悪犯罪が減ったのは地下鉄の落書きを消したから」 「あなたの会社にも壊れ窓はないか?」という再三の
問いかけと、ささいなことを大事にするか疎かにするかで大きな差がつくという指摘にドキッとさせられる。
序文の一行目に「汚いトイレとは、壊れた窓である。・・・」とある。「一枚の割れた窓のようなチョットした綻びが、
毎日そこを通りかかる人々に向かって強いシグナルを発する。 壊れたまま修理されてなければ、建物の所有者はそれに
気づいてないか、目をつぶっているという意味だ。 ということは、近辺では窃盗や破壊行為や暴行など、もっと深刻な犯罪が
見逃されていたかもしえない。 少なくとも、誰も目を配っていないのは明らかだ。これが壊れ窓理論の核心である。」と・・・
 ここで、さらに鋭く「もし、あなたが経営者で、小さなことはどうでもよいと本気で思っていたら、本書を是非とも読んで欲しい。
あなたの会社を救えるかもしれない。ともかく、些細なことがビジネスの成否を大きく分けるというのは、どれだけ強調しても
足りない。・・・壊れ窓とは汚れたカウンターかもしれないし、見つけにくい場所に置かれたセール商品、適当に羅列された
メニュー、態度の悪い従業員かもしれない。≫
▼ 耳が痛い。あまり細部に口を出すのは管理・監督まで指示するから、と目を瞑ること自体が出発点から間違っているのである。
 忘れていたことである。 内部的にも、その辺を見られる。そういう目で色いろな店とかを見て合せ鏡にするのも良い。
 自分自身の壊れ窓、身近の人の壊れ窓、知人の壊れ窓、という視点で、その性格を見ると面白い。 私は?癖、 はたまた??か。
 ズット壊れたままか。何度も修理をしてきたが、何時の間にか・・ 誰か笑っているけど、壊れているのを自覚してない方が恐ろしい。
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3027,アキバ・オタク文化
 2009年07月19日(日)
 現在、秋葉原が注目を浴びているが、秋葉原は昔から時代の10年先を行っていたという。
現在は秋葉と、中野ブロードウェイは「お宅」だけでなく、外国観光客のスポットになっている。
引きこもりのオタク文化は、新自由主義の変化が引き起こした歪みの側面がある。
しかし電器商品や、萌えとか、コスプレなどのファッションは面白い独自の世界を形成している。
 ーウィキペディアによると
・まず戦後、闇市から出発。 ・1960年代に入り、家電の街になって、・70年代になってオーディオの街に、
・80年代がマイクロコンピューターの街になり、・90年代でマルチメディアの街に、・2000年代になってオタクの街になった。
  ≪字数制限のためカット 2011年7月19日≫
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2662, 閑話小題
 2008年07月19日(土)
 *図書館の、ある光景
もう三月になるだろうか、昼休みに図書館の、あるコーナーに行くと、その二メートル先の立ち席の机に三十冊ほどの本を積み上げ、
腕まくりをしてノートに書き写している40歳位の男の人がいる。週に一度は、そのコーナーに行くので互いに意識?をする。 
座り机が幾らでもあるのに、立って調べている。その方が気持ちを集中出来るからである。 
研究者なのだろうが、ただ者ではない雰囲気を漂わせている。 何事かと、思うのは当然だろう。
 *地球儀
≪字数制限のためカット 2010年7月19日≫
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2007年07月19日(木)
2298, とどまりたまへ旅人よ
   わきめをふらで急ぎ行く  君の行衛(ゆくえ)はいづこぞや
   琴花酒(ことはなさけ)のあるものを  とどまりたまへ旅人よ
  ーー
 藤村の、この言葉を若いときの自分を振り返って、投げかけてやりたい言葉である。
「わきめをふらで」何を目指していたというのか?‘お前、何を焦っているのか、もっと今・そこをみたら!’と。
時は戻らない、しかし、しかし!・・である。 それが青春なのだろう。ただ、精一杯生きればよい!ということではない。
といって、精一杯生きなければならない時節もある。誠実に生きることだ、自分自身に。そして、その時、そのことに。
しかし、とどまっていては駄目な時もある。 わきめをふらないで歩む時も! まっすぐに、歩かなければならない時もある。 
とどまることも、必要ならとどまることだ、琴花酒とともに。 楽しんだら、酔いがさめたら、立ち去ることだ、それが人生だから。
  ーー
 島崎藤村 「若菜集」ー『酔歌』より
 
旅と旅との君や我     君と我とのなかなれば    
酔ふて袂の歌草を     醒めての君に見せばやな
  ≪字数制限のためカット 2012年7月19日≫             
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2006年07月19日(水)
1933, 霊界からの訪問者-2   (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ? ヨウ  ユーレイイホー ♯♭
ー四四太郎の霊日記ー3
宗親よ、御前の命も10年か20年、早ければあと5年だろう。 そんなものだ。それじゃ~、本当に解っているというと解ってないだろう。
こちら側の殆んどの連中は「まさか自分が死ぬなんて思ってもいなかった」と言っているよ。死ぬ意味がわからなかったようだ。
それは生きる意味がわかってないことと同じことなんだよ。死ぬとね完全に無になって数十年か数百年の休みを貰って娑婆世界に
戻される、と思ってりゃ良いんだよ。実際は??・・ ただ、誰もが死際に後悔をするんだ。あれもこれも何故しなかったのだろう?と。
「人生は二度とない」は、お前の口ぐせだったろう。ワシがこうして出てきたからには、これから死ぬまでの間、生き方を指導してやるよ。
それとも、お前の脳に光を当ててやるよ。前にも言ったとおり、人生の60年や80年など一瞬でしかない。
そして、ある日、一瞬に終わりになるんじゃ。      \(+×+)/バタンキュー
それでいいんだが、その日まで 光り輝いて生きるべきだといっているのじゃ。
といって、それほど深刻になることも無い!ただ、せっかく短い人生、何時までもあると思うな!ということさ。
御前の好きな言葉に「正中心一点無」という言葉があるだろう。 常に物事の中心を見つめ求めること、
そうすると中心点の無からエネルギーがでてくるのじゃ。その正中心一点無がワシであるのだ。
だからワシの声は真実なのじゃ。                   つづく     
ーーーーー
四四太郎の霊日記ー4
霊のことを、結局はお主の頭で考えた範囲のことでしかないと思うだろうが、ワシの口を通すと全く違う視点になるのじゃ。
  ≪字数制限のためカット 2010年7月19日≫
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2005年07月19日(火)
 1568, 退屈について
退屈な時間を誰もが当然経験をしている。しかし一部の哲学者を除いて退屈に対して真正面から考えようとしなかった。
退屈といえばトマス・マンの「魔の山」を思い出す。隔離された療養所の中で延々と議論がつづくのだ。
過去の人生を振り返ってみると、暇で退屈な時ほど一番効果的な何かをしていた。何かをやろうとする時は、意図的に空白時間を置く。
ABC分析のAのことだけに直面できるが、多くの手持ち時間を持て余す。それが、良いのだ。 般若心境の[[空即是色]である。
その退屈な時間に多くのことを考えることができる。忙しくて仕方がないときは、ロボット的仕事ばかりをしていた。暇な時間、いや
退屈な時間という現象をもっと深く考えてもよいだろう。携帯電話は考えてみたら、暇や退屈な時間を無くしてしまったのかもしれない。
「小人閑居して不善をなす」という言葉もあるように、退屈な時間に何をするかである。退屈とは意味の欠如からくることが多い。
何もすることに意味を見出せない状態が退屈の状態であろうか。フランクルの「意味への意志」の欠如ということである。
反面、そんなことに全く関係ない、退屈の気晴らしの人生もよいのかもしれない。いや実際、それが人生だろう。
所詮人生は何の意味の無いことの上で成り立っているのか?もし、そうだとしても、それで良いのではないか?
子育てに、家事に忙殺されている主婦に退屈はないだろう。また女性にとって子育ては最も意味あることである。
子育ても終わり、家事もマンネリになった時に退屈がでてくる。そこで、次に意味を探すことになる。
それを見出せないと、退屈が覆いかぶさってくる。そして欝になる。欝はだいたい10?の人がかかるという。
欝体質の人はもっと多いだろう。まあ退屈紛れに、退屈について書いたが意味は深い。「退屈の小さな哲学」という本を、
図書館で借りてきた。まだ読んでないが、この本の中に多くのヒントがありそうだ。
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2004年07月19日(月)
1203,実存哲学(2) 
 ー哲学についてー18
マルクスー1
 実存哲学が「主体」(自己)をテーマにしたのに対して、マルクスが「存在の哲学」を主張した。
包括的な主体の哲学である。マルクスの哲学上の最大の発見は、資本主義生産システム分析を通して、
・この社会は合理的に統御不能な存在である、
  ≪字数制限のためカット 2013年7月19日≫
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2003年07月19日(土)
 836, 私のクレートジャーニー
ー<グレート・ジャーニーとは>
「人類は、400 万年前、東アフリカに誕生し、アジア、極北の地を経て、ついに 1万年前には、南米大陸最南端の
パタゴニアへ到った。 この 5万キロの大遠征をアメリカの考古学者フェイガンは'GREAT JOURNEY 'と呼んでいる。
  ≪字数制限のためカット 2013年7月19日≫
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2002年07月19日(金)
461,海外旅行のもう一つの難関
 今は殆ど気にならなくなったが、下痢である。 何とかなるものだが、初めの慣れてない一回目の一ヶ月の欧州旅行では
あわやということが数回あった。やはり経験不足で、食事制限とかポイントが解らないことからくる。大事なのはワンフライト 
 ≪字数制限のためカット 2013年7月19日≫
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2001年07月19日(木)
 先ほど無事帰る。変化の激しい旅行だったが、満足の行く旅行であった。新潟の会社へ直接よる。
  ≪字数制限のためカット 2013年7月19日≫