つれづれに

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 まあ、暑い。




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5239,窃盗専門の「泥棒刑事」 -?
2015年07月19日(日)
           『泥棒刑事』 元三課部長刑事 小川泰平著
 * 外国人窃盗団の手口 ~中国人の場合
 日本人は、単独で、無施錠のドアか、窓のガラス破りが殆どで、現金か貴金属だけを狙う。
中国人は高価なものを中心に何でも手をつける。南米の窃盗団は、食品から何でも見境なく
盗むのが特徴という。~その辺りから~
≪ 外国窃盗犯の場合は日本人の窃盗犯と違い複数で侵入することが多い、 いわゆる
外国人窃盗団である。外国人の窃盗団の手ロは一目でわかる。とにかく仕事が荒っぽい。
侵入方法も物色方法もすべてが荒っぽいのが特徴。2003年が外国人犯罪のピークと言われて
いるが、当初は、この外国人の窃盗団には手口捜査があまり有効ではなかった。
窃盗団のリーダーの指示どおり侵入し物色するからだ。また、その手口が伝えられ
マニュアル化されており、日本人の常習者のように、この手ロならといった具合に、30人
くらいに絞れることはまずなかったのである。・・中国人の場合その特徴は顕著だった。
 中国人は地元意識が強く、出身地ごとに集まり徒党を組む性格がある。
この場合、集るのは食材店や料理屋。中国人は味に対して保守的で故郷の味から離れられない。
そこで故郷の料理を出す店に通うのである。たとえば福建省出身なら福建料理を出す店に、
上海出身なら上海料理の店に行くという具合である。それが窃盗団の構成にも反映されていた。
彼らの立ち回り先には、メンバーを集めるため窃盗団の構成員が常にいて"リクルート"活動を行って
いたのである。こうして誘われた者は上海、北京、東北なら語学就学生や職業訓練生が多かった。
また福建省出身者の場合は密航者が多くを占めていた。福建省出身、上海出身、北京出身、
東北出身の窃盗団はいつでも身近で人員を補給できたのである。
これは泥棒とは別のマフィアもほぼ同じで、中国人の徒党の特徴を示す最も大きな指標。  
中国人の窃盗団の場合、2つのパターンがあった。一つぱ、正規に入国し語学学校に通ったり、
就学ビザや留学ビザを持つ者。もう一つのパターンは、最初から日本に泥棒のために来日した
窃盗団。 中国人の進入方法では、アパート・マンションの中階以上の玄関から入るのが
特徴であった。「ピッキング」「サムターン回し」といった侵入方法で、中国人窃盗団の
十八番である。この表のドアから侵入するということが中国人窃盗団の第一の特徴である。
次の特徴は集団ですばやく"仕事"を行うことから、その手ロは限りなく荒っぽい。
彼らが仕事をした現場は目も当てられないくらい散乱しているのが普通。引き出し内にある
ものすべてをぶちまけるのである。さらに盗んでいく物にも特徴が表れる。日本人泥棒の場合、
そのほとんどが現金か貴金属であり、他のものには手をつけない。ところが外国人窃盗団は
金目のものとなると洗いざらいかっぱらっていくの。中国人の場合、現金はもちろん、
貴金属も盗むが貴金属は安物には手をつけず高価なものだけ選別して盗むのが特徴である。現場で
選別するのであるから、相当な目利きの人物がいるということになる。そのほかには、ノート
パソコンも必ずと言っていいほど盗まれる。しかしノートパソコンも3年以上古い型だと盗まれ
ないことが多い。また面白いことに、新型でも台湾製のパソコンには手をつけていなかった。
被害に遭ったほとんどがソニーパナソニックNECなどの日本製のパソコン。≫
▼ 東北大震災のとき、福島第一原発の周辺の家が泥棒に荒らされた映像を見たが、全ての
箪笥、押入れなどが、散乱している様に唖然としたが・・ 外国人の窃盗団だったのだろう。
犯罪に関して、日本もグローバル化に入った。10年ほど前、関西系の人の話では、住民間
の窃盗に対する切実な危機感の話を聞いたことがあった。

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3767,閑話小題 

2011年07月19日(火)

  * 女子ワールドカップ・サッカーで日本が優勝
 テレビで話題を盛り上げるため、日本が優勝すると笑いながら言っていた解説者はいたが、
殆どの人は、「日本が優勝するなど有得ない」と思っていた。ところが昨日、一般の予測に反し日本女子
が優勝をしてしまった。ドイツに買ったのだから、日本がアメリカに勝っても不思議ではないが、24戦
して22敗、二引き分けの相手である。もし勝つなら「何とか引き分けに持ち込んで、PK戦で勝ちを
拾うしかない」と、思っていたのが、正夢になってしまった。結果的には大震災と原発事故で瀕死の
状態の日本に米国が勝ちをプレゼントしたことになる。 米国の一方的な攻撃の中で、耐え抜いて
PK戦に持ち込んで勝利したのだから、恐れ入る。 その中で、神憑り的な幸運が試合の随所でみられた。
明らかに弱者である日本は、一方的な攻撃に耐え抜く弱者の戦法が、最後に幸運を引きよせた結果を生ん
だ。最悪の事態の時に、最悪の出来事を呼び寄せることを「布置」と、先日、ここで書いたが、逆に、
この時期に有得ない幸運?を引き寄せることも「布置」というのだろうか? 
  * メタボの雀、再会
 昨日の朝、女子サッカーを見た後、何時もの信濃川の川辺のサイクリング・コースのベンチで、
ストレッチをしていると、前に書いたことがあったメタボの雀が、何時もの通り、50センチ位のところ
までやってきた。このところ見かけなかったので、餌が無かったが、ポケットに手を入れ撒いたふりをすると、
そのあたりを必死に餌を探している。 信濃川の雀、その後、何気なく自転車に乗りながら観察しているが、
餌が豊富なのだろう、全体にメタボ気味のようだ。  * そろそろ、軽い鬱になりそうな三月末を区切りに、
自宅に中心の生活に変わり100日余りになる。だんだん慣れてはきたが、そろそろ軽い鬱がきそうか。
早朝、この随想日記の仕上げと、電動アシストのチャリで信濃川土手のサイクリング。そしてスポーツ
センターと、午前中は過し、午後は流しに入る。 映画館、SC、図書館に行ったり、読書をしたりで、
時間がたっていく。しかし、今度は余裕が出来てくると、周囲の人の視線が見えてくる。 
事が事だけに獄門打ち首のサラシの身の上か、1~2年は蟄居閉門である。本人には、そんな意識は
少ないが、あの視線は、やはり、そういうことか?という感がする。 元もとアウトサイダーを基本と
してきたので、「その辺の輩」への逆視線はある。 私も人間、環境の動物。今さらか・・ 
それ以前の初老性欝か、大震災の背景も?
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3402, 「壊れ窓理論」の経営学
2010年07月19日(月)
「壊れ窓理論」の経営学  ー犯罪学が解き明かすビジネスの黄金律 ー M・レヴィン (著),
 ーアマゾンの内容説明からー
小さなことが大きな成功と失敗を生む! 「壊れ窓理論」とは、小さな犯罪(壊れ窓)を放置すると
大きな犯罪を招く、だから小さな犯罪を取り締まれ、というものだ。この犯罪学の理論をビジネスに当て
はめたのが、本書である。有名企業の豊富な事例をもとに、あなたの会社の「壊れ窓」を防ぐ方策を伝授。
  =まず、その要点をまとめてみると・・=
≪ 「ニューヨークの凶悪犯罪が減ったのは地下鉄の落書きを消したから」 「あなたの会社にも壊れ
窓はないか?」という再三の問いかけと、ささいなことを大事にするか疎かにするかで大きな差がつく
という指摘にドキッとさせられる。序文の一行目に「汚いトイレとは、壊れた窓である。・・・」とある。
「一枚の割れた窓のようなチョットした綻びが、毎日そこを通りかかる人々に向かって強いシグナルを発する。 
壊れたまま修理されてなければ、建物の所有者はそれに気づいてないか、目をつぶっているという意味だ。 
ということは、近辺では窃盗や破壊行為や暴行など、もっと深刻な犯罪が見逃されていたかもしえない。 
少なくとも、誰も目を配っていないのは明らかだ。これが壊れ窓理論の核心である。」と・・・
 ここで、さらに鋭く「もし、あなたが経営者で、小さなことはどうでもよいと本気で思っていたら、
本書を是非とも読んで欲しい。あなたの会社を救えるかもしれない。ともかく、些細なことがビジネスの
成否を大きく分けるというのは、どれだけ強調しても足りない。・・・壊れ窓とは汚れたカウンターかも
しれないし、見つけにくい場所に置かれたセール商品、適当に羅列されたメニュー、態度の悪い従業員
かもしれない。≫
 ――
 耳が痛い。あまり細部に口を出すのは管理・監督まで指示するから、と目を瞑ること自体が出発点から
間違っているのである。忘れていたことである。 内部的にも、その辺を見られる。そういう目で色いろな
店とかを見て合せ鏡にするのも良い。自分自身の壊れ窓、身近の人の壊れ窓、知人の壊れ窓、という視点で、
その性格を見ると面白い。 私は?癖、 はたまた??か。ズット壊れたままか。何度も修理をしてきたが、
何時の間にか・・・ 誰か笑っているけど、壊れているのを自覚してない方が恐ろしい。
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3027,アキバ・オタク文化
 2009年07月19日(日)
 現在、秋葉原が注目を浴びているが、秋葉原は昔から時代の10年先を行っていたという。
現在は秋葉と、中野ブロードウェイは「お宅」だけでなく、外国観光客のスポットになっている。
引きこもりのオタク文化は、新自由主義の変化が引き起こした歪みの側面がある。
しかし電器商品や、萌えとか、コスプレなどのファッションは面白い独自の世界を形成している。
 ーウィキペディアによると
・まず戦後、闇市から出発。 ・1960年代に入り、家電の街になって、・70年代になってオーディオの街に、
・80年代がマイクロコンピューターの街になり、・90年代でマルチメディアの街に、・2000年代になって
オタクの街になった。
 それが時代が過ぎても、それぞれが生き残こりながら重層化をした奥行きの深い独自の文化圏をつくり
あげている。先週に上京した時に二泊したが、二日目の午前中の空白時間に、秋葉原を三時間位をぶら
つくつもりでいた。 
  ≪字数制限のためカット 2011年7月19日≫
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2662, 閑話小題
2008年07月19日(土)
 *図書館の、ある光景
もう三月になるだろうか、昼休みに図書館の、あるコーナーに行くと、その二メートル先の立ち席の
机に三十冊ほどの本を積み上げ、腕まくりをしてノートに書き写している40歳位の男の人がいる。
週に一度は、そのコーナーに行くので互いに意識?をする。座り机が幾らでもあるのに立って調べている。
その方が気持ちを集中出来るからである。研究者なのだろうが、ただ者ではない雰囲気を漂わせている。 
何事かと、思うのは当然だろう。
 *地球儀
私の事務所の机の前に地球儀がある。二人の息子が使い、その後ゴミ箱に捨てられいるのを見つけて、
会社に持ってきたもの。 表面は茶色になり、割れてボロボロでみるに耐えない。
そこで新しいのを買おうと決心して「ツタヤ」で特価品を見つけ買おうとしたが、留まった。
そして汚い地球儀をジッと見たところ、表面の割れているセルロイドは実はカバーで、二重構造に
気づいた。そこでハサミで剥いでいったら、内側の新品同様の地球儀が顕れたのである。25年前の
地球儀で、ロシアはソ連であるが、何となく地球を俯瞰するのが目的で大よその位置が解れば十分。
 *喉ぼと過ぎれば熱さを忘れる
 *神様に信じられる人間か?
≪字数制限のためカット 2010年7月19日≫
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2007年07月19日(木)
 2298, とどまりたまへ旅人よ
   わきめをふらで急ぎ行く  君の行衛(ゆくえ)はいづこぞや
   琴花酒(ことはなさけ)のあるものを  とどまりたまへ旅人よ
  ーー
 藤村の、この言葉を若いときの自分を振り返って、投げかけてやりたい言葉である。
「わきめをふらで」何を目指していたというのか?‘お前、何を焦っているのか、もっと今・そこを
みたら!’と。時は戻らない、しかし、しかし!・・である。それが青春なのだろう。ただ、精一杯生きれば
よい!ということではない。といって、精一杯生きなければならない時節もある。誠実に生きることだ、
自分自身に。そして、その時、そのことに。しかし、とどまっていては駄目な時もある。 わきめをふらないで
歩む時も! まっすぐに、歩かなければならない時もある。 とどまることも、必要ならとどまることだ、
琴花酒とともに。 楽しんだら、酔いがさめたら、立ち去ることだ、それが人生だから。
  ーー
 島崎藤村 「若菜集」ー『酔歌』より
 
旅と旅との君や我     君と我とのなかなれば    
酔ふて袂の歌草を     醒めての君に見せばやな
               
若き命も過ぎぬ間に    楽しき春は老いやすし
誰が身にもてる宝ぞや   君くれなゐのかほばせは
 
君がまなこに涙あり    君が眉には憂愁あり
堅く結べるその口に    それ声も無きなげきあり
 
名もなき道を説くなかれ   名もなき旅を行くなかれ
甲斐なきことをなげくより  来りて美き酒に泣け
 
光もあらぬ春の日の    独りさみしきものぐるひ
悲しき味の世の智恵に   老いにけらしな旅人よ
         
心の春の燭火に      若き命を照らし見よ
さくまを待たで花散らば  哀しからずや君が身は
              
わきめもふらで急ぎ行く  君の行衛はいづこぞや
琴花酒のあるものを    とゞまりたまへ旅人よ
ーーー
▼ 最近、こういう歌に惹かれるようになってきた。 振り返るようになったからである、人生を! 
  少なくとも、人生に大きな悔いが無かったことが、すくいである。
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2006年07月19日(水)
1933, 霊界からの訪問者-2   (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ? ヨウ  ユーレイイホー ♯♭
ー四四太郎の霊日記ー3
宗親よ、御前の命も10年か20年、早ければあと5年だろう。 そんなものだ。それじゃ~、本当に解って
いるというと解ってないだろう。こちら側の殆んどの連中は「まさか自分が死ぬなんて思ってもいなかった」
と言っているよ。死ぬ意味がわからなかったようだ。それは生きる意味がわかってないことと同じこと
なんだよ。死ぬとね完全に無になって数十年か数百年の休みを貰って娑婆世界に戻される、と思ってりゃ
良いんだよ。実際は??・・ ただ、誰もが死際に後悔をするんだ。あれもこれも何故しなかったのだろう?と。
「人生は二度とない」は、お前の口ぐせだったろう。ワシがこうして出てきたからには、これから死ぬまで
の間、生き方を指導してやるよ。それとも、お前の脳に光を当ててやるよ。前にも言ったとおり、人生の
60年や80年など一瞬でしかない。そして、ある日、一瞬に終わりになるんじゃ。    
それでいいんだが、その日まで 光り輝いて生きるべきだといっているのじゃ。
といって、それほど深刻になることも無い!ただ、せっかく短い人生、何時までもあると思うな!
ということさ。御前の好きな言葉に「正中心一点無」という言葉があるだろう。 常に物事の中心を見つめ
求めること、そうすると中心点の無からエネルギーがでてくるのじゃ。その正中心一点無がワシであるのだ。
だからワシの声は真実なのじゃ。                   つづく     
ーーーーー
四四太郎の霊日記ー4
霊のことを、結局はお主の頭で考えた範囲のことでしかないと思うだろうが、ワシの口を通すと
全く違う視点になるのじゃ。
  ≪字数制限のためカット 2010年7月19日≫
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2005年07月19日(火)
 1568, 退屈について
退屈な時間を誰もが当然経験をしている。しかし一部の哲学者を除いて退屈に対して真正面から
考えようとしなかった。退屈といえばトマス・マンの「魔の山」を思い出す。隔離された療養所の中で
延々と議論がつづくのだ。過去の人生を振り返ってみると、暇で退屈な時ほど一番効果的な何かをしていた。
何かをやろうとする時は、意図的に空白時間を置く。ABC分析のAのことだけに直面できるが、多くの手持ち
時間を持て余す。それが、良いのだ。 般若心境の[[空即是色]である。その退屈な時間に多くのことを
考えることができる。忙しくて仕方がないときは、ロボット的仕事ばかりをしていた。暇な時間、いや
退屈な時間という現象をもっと深く考えてもよいだろう。携帯電話は考えてみたら、暇や退屈な時間を
無くしてしまったのかもしれない。「小人閑居して不善をなす」という言葉もあるように、退屈な時間に
何をするかである。退屈とは意味の欠如からくることが多い。何もすることに意味を見出せない状態が
退屈の状態であろうか。フランクルの「意味への意志」の欠如ということである。反面、そんなことに
全く関係ない、退屈の気晴らしの人生もよいのかもしれない。いや実際、それが人生だろう。
所詮人生は何の意味の無いことの上で成り立っているのか?もし、そうだとしても、それで良いの
ではないか?子育てに、家事に忙殺されている主婦に退屈はないだろう。また女性にとって子育ては
最も意味あることである。子育ても終わり、家事もマンネリになった時に退屈がでてくる。そこで、
次に意味を探すことになる。それを見出せないと、退屈が覆いかぶさってくる。そして欝になる。
欝はだいたい10?の人がかかるという。欝体質の人はもっと多いだろう。まあ退屈紛れに、
退屈について書いたが意味は深い。「退屈の小さな哲学」という本を、図書館で借りてきた。
まだ読んでないが、この本の中に多くのヒントがありそうだ。
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2004年07月19日(月)
1203,実存哲学(2) 
 ー哲学についてー18
マルクスー1
 実存哲学が「主体」(自己)をテーマにしたのに対して、マルクスが「存在の哲学」を主張した。
包括的な主体の哲学である。マルクスの哲学上の最大の発見は、資本主義生産システム分析を通して、
・この社会は合理的に統御不能な存在である、・人間の「主観」から独自な「主体」(意志)を持つ
ことを見出したことである。「資本主義社会を根本的に動かしている力は、生命力を無制限発動して
いる無意識である」ということを明らかにした。マルクス主義がみごとな思想体系をそなえている理由は、
ドイツ哲学、フランス政治理念、イギリスの経済学という三つの知的伝統を融合させたものであったからだ。
したがって、マスクス主義は哲学には分類できない。マルクス主義は、そのほとんどがヘーゲルから受け
継いだものでしかない。 ある本に、ヘーゲル哲学とマルクス主義の共通する考え方を10に要約していた。
非常に解りやすくまとめてあったので書き出してみた。
1、現実はものごとの状態ではなく、つねに進行中の歴史的プロセスである
2、現実を理解するには、歴史的変化とは何かを理解する必要がある
3、歴史的変化は、無作為におきるのでなく、発見可能な法則にのっとっている
4、この発見可能な変化の法則は弁証法的であり、テーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼの運動を繰り
  返している。
5、この法則を繰りかえす原動力は疎外といわれ、その疎外によって、どのような
  状態になっても内部に矛盾を生じ、それは終わりを迎える
6、このプロセスは人間にはコントロールできず、それ自体が内部にもつ法則によって前進させられる
7、このプロセスは、内部にある矛盾が解決されるまで反復され、矛盾が解決されると
  疎外も解決される。変化をうながす原動力もなくなる
8、このような対立のない状態に達すると、人間は自分で制御できない力によって
  流されることもなくなり、自分で自分をコントロールし、自分自身が変化の決定者になる
9、こうなってはじめて人間は、自由と自己実現を達成できるようになる
10、最後には、自由が謳歌され、自己実現が可能な社会が到来するこの社会は、自由主義者
  理想とする、個々人がバラバラに活動する分断した社会ではなく、それ々人の人生とは比べ
  ものにならないほど大きく充実した全体の中に個人が吸収される有機的な社会になる
・・・・・ 
2003年07月19日(土)
 836, 私のクレートジャーニー
ー<グレート・ジャーニーとは>
「人類は、400 万年前、東アフリカに誕生し、アジア、極北の地を経て、ついに 1万年前には、
南米大陸最南端のパタゴニアへ到った。 この 5万キロの大遠征をアメリカの考古学者フェイガンは
'GREAT JOURNEY 'と呼んでいる。関野吉晴氏が大遠征の道筋を、自らの脚力を頼りに、逆ルートで踏査を
した旅をTVで、数年間ドキュメントで放送した。私はツアーだが、今回のアラスカ旅行で(シベリアの
地をを除いて)点線で、グレート・ジャーニーをしたことになる。ー少し強引な理屈付けになるが。
ケニアタンザニアから下は南アフリカ、西アフリカからモロッコ、スペインを経て西ヨーロッパ
から北欧、ロシアのルート。
シルクロードのコースはエジプトからトルコ、イスラエル、ヨルダン、シリア、 レバノンを経て、
インド、ネパール、 パキスタンウイグル地区、桂林、北京を得てシベリアへ。
・香港より南下するコースはベトナム、タイ、フィリッピン、そしてフィジーからニュージーランドへ。
 ーまだ行ってないが、オーストラリアとイースター島に行けば南米へ行くコースも完成することになる。
・シベリアからのコースはアラスカ、カナダを通ってアメリカ、メキシコ。
 テーブルマウンテンのあるベネゼイラ、そしてインカのペルーへ。
 ブラジルのイグアスの滝を見ながら、サンパウロを通って、リオへ。
 アルゼンチンのブエノスアイレスを通り、ペルーへ南下をして最南の地パタゴニアに到着。
 一応コースは出来上がることになる。そうすると、残された地は東欧、カザフ、モンゴル、シベリア、
 オーストラリア、イースター島ということになる。しかし今回のアラスカで一応完成した感がする。
・・・・・・・・
2002年07月19日(金)
461,海外旅行のもう一つの難関
 今は殆ど気にならなくなったが、下痢である。 何とかなるものだが、初めの慣れてない一回目の
一ヶ月の欧州旅行ではあわやということが数回あった。やはり経験不足で、食事制限とかポイントが
解らないことからくる。大事なのはワンフライト(10~12時間)の機内食である。飲み物はアルコールを
含め飲み放題。時差も含め次々と食事はこちらの体調に関係なく出てくる。それが美味しいときている
から自制がきかなくなる。さらに気圧の関係で着陸後の2時間目あたりにくる。お腹もパンパンに張って
いたのが、元に戻って腸を刺激する。それに疲れと時差の関係で、2~3日はおかしくなって当然。
それを前提にして、機内食を制限したりして体調を整える。一般的には、現地で出発の最低2~3時間前
に起きてトイレにいき、朝食後の出発前に更に行く。9割がたの人はそのようだ。そして到着後2~3日は、
昼食後もいく。これは時差の為身体が慣れてない対策だ。それとワンフライト目の食事、いや機内食
3ぶん1しか腹に入れない。更に梅干を一日3個を食べる。これで大体大丈夫だ。迷ったら人の目を気に
せずドンドントイレに行くことだ。私の場合、お城の牢獄に入るとどういうわけかオカシクなる。
インドは9割以上の人が、かなりひどい下痢になる。日本の薬では全く効かない。それと今回のスイス
のように高度のところも危ない。高山病は下痢と頭痛と倦怠が同時に襲ってくる。
・・・・・・・
2001年07月19日(木)
 先ほど無事帰る。変化の激しい旅行だったが、満足の行く旅行であった。新潟の会社へ直接よる。
修理に出したパソコンを自宅に持ち帰るためだ。あまり国内は変わったことはないようだ。
おりおり旅行内容な書いていくつもりだ。